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2013年11月30日 (土)

随筆 『甦る楫取素彦』 第29回

◇天保7年(1836)、楫取8歳。相変わらず諸国で飢饉は続き、東北の死者10万人といわれた。この年、大雨が続き萩地方は開府以来といわれる大洪水に見舞われた。このような天候の異変は凶作をもたらし米価が高騰し飢餓人が多く発生した。大変な情勢は上州群馬でも同様であった。勢多郡茂木村では38人の離村者が出、安中藩主板倉勝明は、安中宿に、小児、困窮人のため撫育金150両を貸与している。

◇天保8年(1837)、楫取9歳。萩の惨状は一層酷くなり、郡部から流出した飢餓人の行き倒れが続出した。依然として諸国の飢饉は続き餓死者は多数出た。大阪でも餓死者が相次ぎ遂に大塩の乱が起きる。これは幕府や諸藩に大きな衝撃を与えた。

「大塩の乱」

 大阪町奉行は窮民救済策をとらず、富商は米を買占め暴利を得、さらに幕府は上方の米を江戸へ廻送することを命じた。そこで、耐えかねた大阪町奉行所元与力で陽明学者の大塩平八郎は、窮民救済のため門弟や民衆を動員して武装蜂起した。

 大塩平八郎を支えたのは陽明学の「知行合一(ちこうごういつ)」である。知識と行動は一致させねばならない。「君子の善に於けるや、必ず知行合一す。君子もし善を知って行はずんば即ち小人に変ずるの機なり」やるべきことを知っていながら実行しないなら徳のないつまらぬ人間になってしまう。多くの窮民を前にして政治はなすべきことをしない。陽明学者大塩の目には、大飢饉は天災ではなく政災に映ったに違いない。大塩にとって、命をかけて自分の存在を問うときであった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月29日 (金)

人生意気に感ず「参院選無効。防空圏に自衛隊機。堤清二の死」

◇参院選で違憲無効判決が出た。参院選で戦後初。7月の岡山選挙区。広島高裁の判決。国民は平等だからその一票の力は同じであることが理想である。それが地域によって差が生じ、7月の選挙では最大格差が4.77倍となっていた。これではかつての身分制社会ではないか。

 これまで最高裁は違憲状態を抜本的に解決することを求めていたが国会は怠った。参院無用論があるように参院は本来の役割を果たしていない。それなのに自ら改革して是正する努力を怠って違憲状態の上にあぐらをかいている。多くの選挙区で同じ問題を抱え年内に14高裁で判決が出る。敢えていえば無効の国会が国民の生命や生活に関わる法律を作っているようなものだ。無効が確定するのは最高裁であるが、高裁段階でも容易ならざる事態であることは間違いない。

◇中国が尖閣上空に防空識別圏を設けたと主張し、従わなければ武力も辞さずと威嚇した後、米軍のB52爆撃機が従来通りに飛行、今度は自衛隊機が飛行。いずれの場合も中国側の反応はなかった。

 日米安全保障上の重大問題だから、日米は可能な限りの情報に基づいて、連携を密にして行動しているに違いない。情報が漏れたら計画は失敗する。あらゆる情報は国民のものであるが、常に即座に開示できないことは今回のことが示している。特別秘密保護法案を考える生きた教材である。カーボンコピーと言われ、無効判決を突きつけられた参院はどこまでその使命を果たせるか。正念場だと思う。

◇堤清二さんが86歳で亡くなった。人は誰でも死ぬのだなあ、と改めて思った。西武グループの創始者で清二の父康次郎は伝説的な人物で、「ピストル堤」との異名をとる強因さで一代で西武を築いた。清二は東大在学中、左翼学生運動に入り父と対立する。異母弟の義明とは父の遺産を継いで対照的な人生を生きた。

 かつて米国の経済誌「フォーチュン」は日本の独裁的経営者10人を挙げその中に2人の兄弟を選んだ。そこで清二は「銀座の吟遊詩人」、義明は「封建領主」と表された。必ずしも的確ではないが清二の文学者の面、義明が途方もない土地を所有した面に注目したのだ。2人とも経済の面は失敗し、義明氏は悲惨な境遇となったが、清二氏の文化人としての人生は後世に名が残るであろう。人の人生は難しいものだと思った。(読者に感謝)

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2013年11月28日 (木)

人生意気に感ず「防空識別圏をB52が。秘密法と参院。ケネディ初演説」

◇中国は尖閣諸島の上空を「防空識別圏」に指定し、無断で侵入すれば武力行使も辞さないと威嚇した。ほとんどの日本国民は怒っただろう。脅しに屈すれば次の脅しが迫る。日本外交の正念場なのだ。

 政府は強く抗議し、民間航空会社に従わないよう要請した。民航は応じて中国への届出を止めた。

 問題はアメリカの態度。いち早く強い懸念を表明し、中国の指定とは関係なく行動することを声明した。一部でオバマの弱腰が言われていた。アメリカは中国の挑発行為に怒っていると言われる。アメリカは声明を行動で示した。2機のB52爆撃機が問題の空域を通告なしで飛んだ。

 民主党などの弱腰論者はこれをどう見るか。私はこれ位のことをしなければこちらの威信を保てないと思う。平和ぼけした日本国民は多少の緊張の中で、国を守ることの現実を感じたのではないか。中国は振り上げた拳をどうするのか。日米が連携を強化して毅然とした姿勢をとることに計算違いがあったかも知れない。

◇中国の今回の暴挙、又常に注意しなければならない北朝鮮、これらに対し、日米の緊密な連携は不可欠である。そのためには情報の共有が必要で、保安上の情報は秘密を要するものがあるのは当然。秘密が守られねばその共有は出来ない。その意味で、秘密保護法が必要なことは多くの国民に分かる筈。問題は民主主義の大前提である知る権利との調和だ。公開まで60年は長すぎる。時代が変わってしまう。関わった人は自分の生きている間に公開されるということで歴史の審判を受けることへの謙虚な覚悟を求められるのだから。

◇この特定秘密保護法案が参院に移った。参院は何のためにあるのかが改めて厳しく問われる。行政改革で国会議員を減らせと叫ばれている。最大の改革は憲法を改正して参院をなくすことだ。もとより参院が無用の長物ならの話。カーボンコピーでなく良識の府であることを示せ。これまで参院には良識の府にふさわしくない落語家や漫才師、レスラーなどが入ってきた。この際厳しく監視すべきである。

◇ケネディ大使は初講演で、今回の対中国での日米の連携を讃え、日本はアジアで最重要の同盟国と言明し、中国の防空識別圏設定を強く非難した。父の姿が胸にあるだろう。(読者に感謝)

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2013年11月27日 (水)

人生意気に感ず「秘密法案の衝撃。天皇の死生観。死刑囚の証言」

◇秘密法案が衆院で強行的に採決され通過した。次は、衆院のコピーと批判される参院の番。その真価が問われる。「維新」と「みんな」は存在感を示せなかった。自民党では1人が棄権した。国民の「知る権利」が侵害されることが最大の課題。国民はその本質を知らねばならない。ある憲法の権威は、知る権利を当然の前提として国民の「知る義務」を訴えている。この道はいつかきた道と懸念されるのは戦前の治安維持法。

◇特定秘密として保護すべき秘密の存在は否定できない。その範囲があいまいである。漏らした公務員は10年以下の懲役、不当な方法でそれを取材した者も罰せられる。審議の時間も極めて不十分だった。

 与論の状況を見ると首相の支持率は急落するだろ。地元の国会議員は有権者に丁寧に説明すべきだ。普段地元へ来て薄っぺらな口調で「地元の為に」と演説している自民党の国会議員は、集会を開いてきちんと信念を語って欲しい。

◇仕事柄よく葬式に出る。最近の葬儀で「ちょっと惚けるのがいい」と誰かが言っていた。惚ければ死の恐さを意識しないからだろう。

 最近日本人の死生観が変わってきたと思う。生前に墓を作ったり、棺に入る体験などをやっている。

 最近(今月14日)、天皇皇后が御自身の葬儀や陵(墓)について御気持ちを現されていることは象徴的だ。御高齢になられ、そろそろ準備せねばと思われてのことであろう。両陛下の御意志を受けてと思われるが宮内庁が、最近発表した。火葬にすること、葬儀や陵は規模を小さくすること等だ。

 土葬は約350年続いた伝統。昭和天皇崩御の際は自粛で大変であった。様々な民間行事がストップし、中には結婚式を延期する例もあった。平成天皇はそれを避けたい御気持ちに違いない。ともかく、天皇皇后が自らの死を考えて配慮の考えを示されたことは死を考える全ての国民に大きな勇気を与えたと思う。

◇オウム事件の死刑囚が公開の法廷で真実を話したいと言っている。オウム事件の平田信被告の証人尋問にたつ井上嘉浩死刑囚。既に死刑が確定している人間はどのような心境で臨むのか。最早自分の刑のことは考える余地がない。この世に未練のない心で真実を語るのか興味がる。審理は来年1月に始まる。審理の続く間は死刑の執行はない。他の死刑囚も証人で出るのだろうか。裁判員裁判である。死刑の問題が国民に近づく。オウムを風化させぬ意味も。(読者に感謝)

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2013年11月26日 (火)

人生意気に感ず「脱原発の時。中国の露骨な脅威。キャロラインの笑顔」

◇原発推進派と脱原発派は5分5分と言われる。自民党国会議員のことだ。実際に取材した半々の実名が週刊誌で公表されている。小泉発言のインパクトは大。自民党内に自由に反原発を言える環境を作り出した。日本の未来は原発問題にかかる。「3.11」が問題を白日の下に晒した。今こそ国民はこれを考えるべき時。コスト、安全性、実現可能性、そして政治の有り方などだ。

◇百聞は一見にしかず。小泉元総理はフィンランドの核廃棄物処理施設オンカロを見て脱原発を決意したという。私は青森の六ヶ所村を見てことの重大性を実感した。日本には原発のゴミを処分し、あるいは貯蔵する場所を確保することは現実には不可能だ。こういっている間にも増え続けている。

 日本のエネルギー政策は中途半端だ。政治が決断すれば、新しい知恵、新しい技術が生まれ、新しい潮流が生じ、新しい社会が誕生するに違いない。このエネルギーを生むのは国民の意識である。

 国民が福島の被災者と意識を共有できるかが重要なポイントだ。他人事と思っているから福島の反省を生かせない。間もなく巨大地震が来て原発に被害が生じたら、それはエネルギー問題の決定的瞬間になるだろう。

◇中国の覇権主義が露骨さを加速させ始めた。尖閣を含む上空に「防空識別圏」を設定。侵入すれば武力攻撃とも主張。上空を中国領と主張しその実効支配を始めた。日本の主権が侵害されることを黙っていられない。日本は撤回を求めた。

 木寺大使は中国外務省に抗議したら逆に「でたらめなことを言う日本に断固反対する」と抗議に出たという。アメリカは重大な懸念を発表し、尖閣につき日米安保の対象であることを確認、中国の今回の措置に何ら影響を受けないと発表した。中国は従来の外交方針を本気で変えようとしている。日米の同盟を今は頼もしく思う。かつて激しく戦った敵国は今、それをかえって絆を強める要素にしている。

 故J・Fケネディが、日本軍の攻撃を受け大破した魚雷艇の上に裸で立つ写真を懐かしく見た。キャロライン・ケネディ大使は、今回の中国の措置に対し日米で連携を深めると強調した。大使の最初の試練となるだろ。大使は被災地石巻市の小学校を訪れ児童と交流した。彼女の笑顔は大きな励ましになったことだろう。(読者に感謝)

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2013年11月25日 (月)

人生意気に感ず「猪瀬知事窮地に。秘密保護法。古墳サミットに」

◇猪瀬知事が馬脚を露した感じ。苦しい言い訳が先方と食い違っている。1億円要求した。知事はこれを否定。創業者の虎雄氏は「取りに来させろ」「足がつかないようにしろ」と来客の前で細かい指示。知事は「意識が弱かった」と5千万円の受領を認めた。又知事は借用書を書いて渡したと主張するが病院側は「見たことがない」と否定。5千万受領以外は証拠がないから水かけ論になりそうだが、状況からは知事が不利。知事の言葉を信じる人は皆無だろう。

 この先、辞任するかどうかが最大関心事。かつての不正を追求する激しさと清潔さを買った有権者はがっかりしている。五輪誘致に成功した知事なので世界の注目も集まっている。日本人の身の処し方が一層注目される。

◇今一番大きな政治問題の1つは、特定秘密保護法の行方。憲法の存在を遠のくことと思っていた人にとって憲法が身近かに立ち現れたのだ。憲法上の問題とは第21条に含まれる「知る権利」の侵害である。特定秘密とされれば知ることが妨げられる。身近かな例は原発の安全性。事実が明らかにされなかったために「安全神話」に座らされていた。

 しかし、一定の事実を秘密として保護することは必要だ。日本はスパイ天国と言われてきた。問題は何を秘密とするか。その決め方だと思う。現在の安倍政権なら何でも出来る。しかし何でも許せばいつか来た道を辿ることになる。自民党内でもしっかり議論すべきだと思う。これから越えることが予想される大きな山々の第一としてしっかり取り組み、我々は有権者に説明する力を身につけるべきだ。

◇昨日大室公園の古墳サミットに出た。渋川の市長だったと思うが次々に新しい事実が現れていくと話していた。歴史は過去との対話であるという歴史家の言葉を思い出しながら聞いた。発掘によって現代に現れた事実をもって過去に語りかけることによって過去は新たな事実を示す。東金井裏遺跡から様々なことが判明している。

 西大室の遺跡に関しては明治の初め英国の外交官アーネスト・サトウが古墳を調査した。サトウは優れた考古学者でもあった。当時の県令は楫取素彦であった。長州が英国と戦った時、サトウは通訳として高杉晋作等とわたりあった。この時のホットな渦の中に楫取やその妻も居た。NHKの大河ドラマが実現すれば女だてらに奮闘した彼女らが登場するかもしれない。(読者に感謝)

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2013年11月24日 (日)

随筆『甦る楫取素彦』第28回

◇天保4年(1833)、楫取素彦は5歳となる、この年あたりから天保の大飢饉が始まった。江戸時代の三大飢饉は享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉である。

 天保の大飢饉(天保4年~10年)では、天候不順・冷害などで全国的凶作となり天保7年の作柄は3分作、犬猫から垣根の縄まで食いつくす状態であった。なぜここまで酷くなったか。それは小規模な農業のため生活がたちまち破滅したこと、そして、領地ごとに孤立する経済のため広域な救済策をとれなかったからだ。鎖国で世界から孤立し、その中で更に国内的には藩や領地で経済が孤立したのだから追い詰められた農民の生きる道は一揆や打ち壊しや間引きしかなかった。「農民は生かさぬように殺さぬように」と言うのが江戸時代の農民対策の基本だったが、江戸後期、農民は生きられないぎりぎりの状態に追い込まれていく。飢饉の中では、「人、合(あ)い食(は)む」という正に地獄の所もあった。苦しさは町人も同様であったが、農民の重圧は特別であった。このような幕府体制の行き詰まりのところへ、やがて外からの黒い影が近づく。日本が国を閉ざしている間に世界ではとんでもない変化が起きていた。黒い影はその変化の波及する姿であった。楫取素彦は、正にこのような時に幼少期を生きた。そして、彼の学問、思想、人間性は、このような時代状況で形成されていく。

※土日祝日は中村紀雄著『甦る楫取素彦』を連載しています。

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2013年11月23日 (土)

人生意気に感ず「楫取ツアー最後の日。原爆ドームと厳島神社」

◇昨日(22日)未明、平和公園を目指して走った。身を切る寒気の中、被曝少女佐々木禎子の像が立っていた。白血病になり生きたいと願って千羽鶴を折りつつ13歳で亡くなった。私はかつて海外視察でスペインバルセロナを訪れ、サダコ学園を視た。平和と生きることの素晴らしさを教育理念としたこの学園は、日本の被曝少女の短い生涯を子どもたちに教えていた。地の果ての国にこのような学園があることに私は驚き感銘を受けた。

 原爆ドームは闇の中に残骸を晒していた。夜の光景は初めて見た。中にころがるコンクリートの塊とむき出しの鉄骨は時を止めて当時の惨状を語る。残虐の極致と平和への悲願を象徴する。正に世界文化遺産にふさわしい。傍らでは太田川が静かに流れていた。

 当時、この川に人々は争って飛び込み川は死体であふれた。ドームは元産業奨励館で、爆心地の西北160mにあった。感慨に浸っていると暗い中に数人の人影。楫取素彦顕彰会の人たちだった。ドームの下で語るうちに白々と夜が明けてきた。

 この日、ホテルを出て、フェリーで厳島神社に渡った。平清盛が作ったこの社ではちょうど結婚式が行われていた。ひたひたと満ちてくる潮の上で新郎新婦の胸には何があるのかと思った。あちこちで鹿が無心に動き、回りの景色に溶け込んでいた。人々の中には、再来年と噂されているNHKの大河ドラマを話題にする人もいた。

 バスガイドは面白い人で、楫取を学びたいとしきりに言う。「楫取素彦読本」を送るから宣伝に使って欲しいと頼み、送ることを約束した。バスの中で、私は、前日の「紙芝居」で怒った理由を説明した。今、この文を書いているのは翌日(24日)の朝であるが、電話が鳴り、萩市の人から楫取の読本を送って欲しいという。レセプションの波紋が広がっていることに感動した。萩市の楫取素彦顕彰会会長中原正夫さんには大変お世話になった。萩・防府両市との絆を深めたことが最大の成果。それを活かすためにもブログを中心にして顕彰会として報告書をつくる予定。

 帰りの高速道は大渋滞。バスの中では「釣りバカ日誌」と「綾小路きみまろ」を見た。きみまろの会場はどこもおばさんたちで超満員。これも現代日本を象徴する姿だ。忍び寄る危機を意識せず人々はただ流される。流れの中でふと注目して欲しい存在、それが松陰であり楫取である。大河の実現もそのために祈る。(読者に感謝)

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随筆『甦る楫取素彦』第27回

出航の時、暴風雨により船が難破し、彼の荷物から禁制の日本地図や葵の紋付が出てきて大問題となった。彼は追放となり地図を渡した役人高橋景保は獄につながれ、多くの関係者が罰せられた。これがシーボルト事件である。

追放されたシーボルトは後に30年振りに再び長崎の地を踏んだ時、日本に残した実の娘柄本イネを見て、「医学が君の美しい聡明な容貌を磨いたのですね」と言ったと伝えられる。

 江戸時代は泰平といわれる中で、諸矛盾は深刻化しつつあった。その最大の要因は鎖国制度にあった。現代の日本が豊かなのは世界と貿易して利を得るからである。北朝鮮が経済的に行き詰まっているのは他国と付き合えない鎖国のような体制のためだ。

 江戸時代は鎖国政策によって外敵の侵略からは免れた。泰平というのはそれを指す。しかし国内では、収益は増えないのに生活は派手になりとくに武士階級の困窮は時と共に深刻になっていた。参勤交替制により江戸の華かさが地方に波及するのも大きな原因だった。武士は町人に頭を下げて金を借りる一方で、百姓から厳しく搾取したので一揆が頻発するようになった。悪政を天が咎めるように諸国に飢饉が発生した。幕府や諸藩は改革によって切り抜けようとするが、事態は小手先の改革ではどうにもならないところに来ていた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月22日 (金)

人生意気に感ず「東光寺と松陰神社。萩でザクロを植える。広島の朝」

◇東光寺と松陰神社を訪ねた(21日)。東光寺は毛利氏の菩提寺。3代、5代、7代、9代、11代の萩藩主の墓がある。奇数代である。これらの前に重臣の石灯籠500基が整然と並ぶ。この光景は藩主の前に家臣団が居並ぶ姿に見え毛利の結束を思わせる。

 顕彰会が特に心を打たれたのは楫取関係である。次男道明と実兄松島剛蔵の墓があった。楫取の次男道明は台湾で暴徒に襲われ39歳で死んだ。日本支配下の台湾で教育政策を進める目的だった。6人が殉難したがその1人は安中の中島長吉であった。

 実兄松島剛蔵は禁門の変の後、長州が幕府に謝罪する為処刑した重臣の1人で藩きっての洋学者だった。東光寺では維新を生んだ長州の重い歴史を学んだ。

 松陰神社の近くに松陰の生地跡があった。バスからチラっと見ただけで想像を駆り立てられた。松陰の家は小禄で農業をやらねば食えなかった。萩の武家屋敷にも住めなかったのである。松陰は農作業の中で学問をさせられた。働きながら学ぶ意義を幼少にして身につけた。松陰が唱えた知行合一の原点になったと思われる。

◇この日、萩図書館の入口近くに前橋から運んだ石榴(ざくろ)の苗を植えた。土をかけたのは2人の市長(野村・山本)と2人の楫取顕彰会会長(中村・中原)。石榴は、最後の前橋藩主松平直克が藩勢繁栄のために植えさせた。直克は徳川慶喜に恭順を強く進め江戸を戦火から救うに大きな功をなした人だ。

 植樹後萩図書館を視察。野村市長は年中無休館で、朝9時から夜9時迄と説明した。群馬の県立図書館は月曜休館で午後は7時迄(土、日は6時)である。中原さんを通して寄贈した私の本数冊が見える位置に置かれていた。図書館を見ればその県の文化度が分かる。萩はさすがと思わせた。図書館を去る時振り返ると野村市長は車が曲がる迄手を振っていた。

◇稜線を重ねた中国山地の山あいを縫ってバスは走る。赤い石州瓦が目立つのどかな集落が点在する。日がとっぷり暮れた頃、黒い山容の前面にきらめく火の海が現れた。広島である。今、22日の朝5時となった。テレビは気温5度、地震がありましたと東北の地震を報じている。今朝は平和公園まで走る。キャロライン・ケネディはこの地を訪れるだろう。人影を石に焼き付けた原爆と原発は同根だ。96歳の生方大六さんが頑張って歩いている。(読者に感謝)

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2013年11月21日 (木)

人生意気に感ず「毛利本邸の風格。紙芝居の扱いで怒る」

◇20日、羽田で楫取家当主の能彦氏と合流。宇部空港に着くと寒いのに驚いた。前日雪が降ったという。防府市の大楽寺で楫取とその妻の墓を詣で焼香した。妻とは美和子のこと。美和子は久坂玄瑞の妻であったが、久坂が禁門の変で自刃したことで独身となった。一方、楫取は群馬県令の時、最初の妻寿子が病死したため独身となった。そこで楫取と美和子は再婚した。 

 寿子と美和子は共に吉田松陰の妹である。なお姉寿子の墓は東京青山墓地にある。この大楽寺には楫取が建てた野村望東尼の墓もある。次いで防府天満宮と毛利本邸を訪ねた。天満宮は日本中にありその数1万を超えるが防府は最初の天満宮。ここでは明治天皇の皇女の遺品を納めた堂宇を見た。楫取は養育係だった。ここの資料館には楫取の大きな肖像画と彼が群馬県令の時編さんさせた「修身節約」が展示されているのを見て驚いた。

 毛利本邸は壮大で堂々、毛利の歴史と力を感じさせた。当主の毛利元敦氏は防府の楫取素彦顕彰会会長である。元敦氏は、楫取が懐刀として仕えた幕末の藩主毛利敬親と似ていると思われた。交流会は格調高く行われ感謝した。

◇この日、萩市に入る頃、日はとっぷり暮れ、ガイドは暗い一角を指して、あの当りに松陰先生縁りの涙松がありますと説明した。歓迎レセプションは本陣というホテルで盛大に行われた。大広間はいっぱいだった。

 ここでの予期せぬ出来事を私は書かざるを得ない。私の演じる「紙芝居」につき萩市の担当者に誤解があったと思われる。予想の順が違って乾杯後だいぶ経って余興として行われることになった。私は壇上に走りマイクをとって叫んだ。「私は宴席の余興として紙芝居をやるつもりはありません。それでは松陰や楫取に申し訳ない。この絵は脳梗塞で倒れた人が左手で描きました。魂を入れて話すつもりで参りました。静かに聞いてもらえないのなら止めに致します」野村市長は明日改めて席を設けると話されたが、会場が水を打ったように静かになったので、私はやることにした。結果として成功だった。道迫学芸員と教育界の幹部は明倫小学校でやって欲しいと言う。私は万難を排してやってくると気持を伝えた。左手による絵、私の高揚した心に映った松陰と楫取、このような条件が揃って紙芝居の目的は達せられた。野村市長は大河ドラマを語っていた。(読者に感謝)

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2013年11月20日 (水)

人生意気に感ず「議会基本条例。キャロライン・ケネディ。萩で大河を」

◇議会基本条例推進委員会が行われた(19日)。議会が本来の使命を果たすことを目的として既に実施されている同条を更に改良することを目指す委員会。前回私が提案した「議会事務局の機能強化」が主な議題であった。

 議会と知事部局は二元代表制の下で緊張関係が求められる。そういう議会を支えるものが事務局であり、職員である。職員については議会を支えるという自覚が求められる。従来この点に問題があったので改革の為に明文を設けるべしとしいのが私の主張。岩手県議の条例のみがこの規定をもつ。来年1月その運用の実態を視察することになった。

◇キャロライン・ケネディには馬車が似合う。皇居へ向う姿に多くの人々が沸いた。クラシックな雰囲気の中で笑顔がきれいだった。こんなに注目される駐日大使はかつてない。

 昨日、大統領の信任状を天皇に奉呈し正式に駐日米大使に着任した。悲劇のケネディ家と言われてきた。大統領がダラスで撃たれてから22日で50年。叔父のロバートケネディも暗殺された。兄弟が固唾を呑んだキューバ危機が甦る。大統領の執務室で遊ぶ少女の姿が目に焼き付いている。伝説の中から日本の現実の世界に現れた初の女性大使。オバマと直接電話で話しが出来る。「日米は自由、民主主義法の支配という価値観を共有している」と語った。日本国憲法の基盤たる価値だ。アメリ力が日本を如何に重視しているかを示す。中国に対しては特に大きなメッセージになるだろう。日本国内に対しては女性のパワーを刺激するに違いない。上げ潮ムードの日本にタイミングを合わせたキャロラインの登場だ。

◇今日、大挙して萩、防府両市に向かう。楫取素彦顕彰会から約50名。「市民の翼」関係が約40名。朝5時20分前橋発、羽田から飛行機。

 約130名が参加する萩市の交流会では私が「楫取素彦紙芝居」をやる。小さな太鼓も用意した。ここには萩市長、山口県議会議員、萩市議長、楫取顕彰会会長、萩市教育長、松陰神社宮司など多彩な顔ぶれが参加する。

 防府市では毛利本邸に行く。防府では楫取顕彰会の上山さんが横断幕で出迎え、毛利邸では銘柄「毛利公」がプレゼントされるとの情報。毛利元敦氏が挨拶される。

 NHK大河も念頭に重要な交流。群馬の楫取は長州では毛利公の懐刀だった。5代目楫取能彦氏も加わる。紙芝居の太鼓が快く響くだろう。(読者に感謝)

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2013年11月19日 (火)

人生意気に感ず「動物の腐体を食べる。トイレなきマンション。虚偽表示を」

◇死臭の原因には動物の死体もあるらしい。フィリピンの惨状が刻々と伝わる。道路が寸断され物資が届かない。人々は極限の飢えに直面し死んだ動物の腐敗した肉を食べている。かつて南方で飢えに苦しんだ日本軍を思わせる。被災地、被災者ともに、公平に物資が届かない。野宿を強いられ、窃盗、略奪、強姦が多発している。地獄絵図、サバイバルゲームの様だ。報道はこのようなことを伝える。人間は極限下でどこまで理性を保てるか。

 フィリピンの台風は社会資本の未整備や教育の遅れが惨状をひどくしていることを語る。根底にあるのは貧しさだ。異常気象は貧しさに対して容赦しないことを示した。

◇運転期間が過ぎて廃炉が迫る原発が相次ぐがそれが出来ない。解体後の「廃炉のゴミ」の処分場がないからだ。東海原発も来年から廃炉の予定だが同じ理由で解体作業は先送りになった。

 処分を迫られ困っているのは、この「廃炉のゴミ」ばかりでなく「核のゴミ」がある。これは燃えた核燃料から生れたもの。(廃炉のゴミは解体後の部品など)。

 政府は、核のゴミを再処理して再び燃料として使う計画だ(核燃料サイクル政策)。しかし、それでも核のゴミは出る。再処理後のより高レベル放射性の核のゴミ。これを地下深く埋める最終処分場のメドはない。

 私はかつて青森県六ヶ所村に建設中の再処理工場を視察したが完成していない。仮にこれが完成しても高レベルのゴミが出るということ。

 つまり、廃炉のゴミも燃焼後のゴミも、最終処分のメドがない。例えば悪いが「トイレのないマンション」はよく分かる。それでも原発を続けるかが問われている。フィリピンを襲った超巨大台風は、これでもかと、日本の原子力政策に不気味な警告をつきつけていると見なければならない。豊かな先進技術立国の責任でもある。

◇食品偽装は偽物時代の象徴である。他の偽物と比べより深刻なことは人間の健康と生命に直結する点だ。国に任せておけない。地方の役割は大きいと思っていたら新しい動きが起きた。違反者に県も措置命令が出せるように法改正が行われる方向だ。国が全国の業者を直接調査するには限界があった。消費者庁がこれまでに措置命令(表示の禁止)を出したのは僅か4件。正に氷山の一角。命を守るため「天網恢恢疎にして漏らさず」であるべきだ。(読者に感謝)

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2013年11月18日 (月)

人生意気に感ず「楫取、大河ドラマに。東大向ヶ岡寮が茶会で。中国の暴動」

◇昨日の江戸千家群馬支部創立70年記念式典ではいくつか注目点があった。私の両隣の席は、市長と家元の娘さん。市長は挨拶の中で楫取素彦がNHKの大河ドラマになることを話した。茶会が楫取と縁の深い臨江閣で行われたことと結びつけて話したもの。正式発表は未だであるが、井上真央が楫取の妻の役に内定したことなどがインターネットでは報じられていた。

 支部は昭和18年にスタート。16年に太平洋戦争が始まったから戦争の真最中、しかも戦局は厳しい状況にあった。茶の文化は荒れた社会にあって人の心を支える役目を果たすと思った。今日の社会も同様である。

 家元のお嬢さんとは意外な方面で話が弾んだ。自宅が文京区弥生町向ヶ岡と聞いて驚いたのが話の始まりだった。私は東大の向ヶ岡寮にいて、当時町内にはサトー八ローや後に最高裁長官になった団藤重光さんの屋敷があった。家元の家は団藤さんのすぐ並びだという。驚いたことはこのお嬢さん、子供の頃、食堂の横山さんの子と同級生で、寮の学生に宿題を習ったりしたという。40人か50人位の寮で横山さんというおじさんが一人で食事をまかなっていた。一人の丸顔の女の子がいて漫画のQちゃんに似ていて寮生の人気者だった。寮から塀をまたいで農学部に入る近道のことも家元の娘さんは知っていた。木造の寮は壊されハイカラな建物になったこと、学生の気質もすっかり変わったことを話しておられた。夜、岡を下った根津の町へ食事に行ったことなどを懐かしく思い出した。茶の雰囲気の中で、青春の1コマを振り返れたことは有益だった。あれから激しく走り通した人生は、一服の茶で一息入れながらまだまだ続く。世の中が大きく変化したことを改めて感じさせた会話であった。

◇先日、県国際戦略課主催による海外企業のリスクマネジメントに関する講演を聞いた。一番関心があるのは中国情勢だった。昨年の暴動を含む抗議活動は中国全土で約18万件というから凄まじい。05年は約9万件だったから急増していることが分かる。歴代王朝は民衆の暴動が契機となって亡んだ。中共の危機が叫ばれている。

 このような折、新疆ウイグル自治区で警察が襲われ11人が死亡した。刀やおので武装した9人の暴徒は射殺されたという。内部の矛盾を抱えて中国の運命はどうなるのか。(読者に感謝)

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2013年11月17日 (日)

随筆『甦る楫取素彦』第26回

鳴滝へは、難しい病気の患者が集まった。大手術のときはシーボルトが自ら手術に当たった。多くの命を、瀬戸際で救ったので、シーボルトの名は、たちまち神の医、奇しき医師として四方に伝り、近くより、遠くより、医者も、学者も、病人も皆、この大医を慕って集まってきたと言われる。そして、彼は「鳴滝はヨーロッパの学問を愛好する日本人たちの集合地となり、この小さな場所から科学的教養の新しい光が四方に輝きわたり、これによってわれわれと日本国の関連は拡大された」と書いている。「科学的教養の新しい光」には江戸幕府体制の矛盾を衝く力が秘められていた。そのことが形となって表に現われたのがシーボルト事件だった。

文政11年(1828)、楫取誕生の前年、シーボルトは任期が終わり帰国することになった。長女いねが生れていたので別れが特に辛かったらしい。

シーボルトの汽船がいよいよ離れる時、小さな漁船が漕ぎよせ、汽船からもボートが近づいた。漁船にはお滝とイネ、ボートの人はシーボルト。3人は最後の別れを惜しんだという。シーボルトは母子の像を貝の内に描かせ、2人の髪の毛を入れて帰国した。これは、現在、市立長崎博物館にシーボルトの遺品として保存されている。

※土日祝日は中村紀雄著『甦る』楫取素彦を連載しています。

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2013年11月16日 (土)

随筆 「甦る楫取素彦」 第25回

独身のシーボルトは16歳の滝を妻に迎えた。滝は格式の高い郭の遊女であった。シーボルトは本国への手紙で、家庭的生活に満足していること、週3回オランダ語で医学と植物学の講義をしているが、そこには最優秀な日本の医師たちが出席していること、また、弟子の中には非常に巧みにオランダ語を話し、自分に徹底的に日本語を教えてくれる人がいることを書いている。

シーボルトは妻を「お滝さん」と呼び、発音は「おたくさん」だった。彼は「日本植物誌」を著し、その中で、アジサイの名をオタクサとつけた。お滝さんは、アジサイのように水々しい美しい日本女性だったのであろう。2人の間には女の子が生れいねと名づけられた。いねは日本の女医第一号になり、シーボルトの姓を日本流に志本で表し、志本いねと名のった。

シーボルトは、オランダ商館の一員として江戸に来たとき、江戸より北に行きたいと強く願ったが許されなかった。仮に許されていれば上州に来たかも知れない。幕府が強く反対した理由には、鎖国制の下で外国人を長崎出島に限定させたこと、蘭学が広がりつつあることへの警戒があったのであろう。シーボルトは鳴滝塾を開いて多くの日本人を教えた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月15日 (金)

人生意気に感ず「徳洲会の落城。フィリピンの地獄。給食費滞納」

◇最近の注目すべき大事件は徳洲会をめぐるものだ。選挙をやる者として目を見張る。離島の貧しい中から身を起こし一代で築いた巨大な城が今や落城の危機に晒されている。衆院選に挑戦していた頃の徳田虎雄氏の迫力と輝く瞳を私は覚えている。戦国の風雲児の感があった。それが、車いすの天才ホーキングを思わせる難病に倒れ体も口も動かせない状態だ。天国から地獄とはこのことだろう。マスコミも世間も大騒ぎである。他人の不幸は蜜の味と言う声を聞いた。

 全国展開する巨大な医院が組織ぐるみで選挙違反をやった容疑。虎雄氏の2人の娘が逮捕され、息子の衆院議員毅氏は自民党を離党し連座制の適用に怯える。状況から推測すれば辞職までゆくのではないか。

◇日本の医療は現在大変な問題を抱えている。無医の地域、診療拒否のたらい回し等々。全国に総合病院をというスローガンは説得力があったし、徳州会はある程度存在意義があったと思う。関わっている患者を含め今後どうなるのか。

◇フィリピンの大惨事はまだ全貌が見えない。復興の遅れ、略奪などを見ていると、様々なことが教訓として他山の石として浮き上がってくる。

 レイテは太平洋戦争の激戦地で我が連合艦隊が壊滅的敗北を喫したところである。災害対策は国の総合力である。国民の民度、教育、社会資本の整備など。これらが遅れている上に、水、食料などが不足すれば生きるために人間は何でもする。極限の縮図を見る思いだ。

 電気は2年間復旧しない、倉庫を襲い、それが空になって民家で略奪が起きている、水道管を引き抜いて水を求めている、被災地で生まれる子は今月1万2千人、銃撃戦が起きている、こんな情報が伝わる。現地の実際はもっと酷く地獄であろう。不明の日本人93人はどうか。このような台風は今後も続くと見るべきだ。日本とて早急に備えねばならない。

◇高崎市が給食費滞納に強行策をとる。高崎だけではない、給食費だけではない。県立病院の診療費も長いこと問題になっている。公徳心の欠如である。支払えるのに支払わないのが問題である。そのような世帯、約千件に法的措置も辞さないという。私の子どもの頃は袋に入れて持参したものだ。貧しかった我が家は父に2・3日待てとよく言われた。懐かしい。(読者に感謝)

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2013年11月14日 (木)

人生意気に感ず「小泉脱原発の衝撃。猪木と高良とみ。ケネディ大使」

人生意気に感ず「小泉脱原発の衝撃。猪木と高良とみ。ケネディ大使」

◇小泉元首相の「原発ゼロ」発言の衝撃波が走る。講演を繰り返しているが12日の記者会見は格段のインパクトをもつ。反対を押し切って郵政民営化を断行した人ゆえの迫力と影響力だ。

 国民を騙してきた欺瞞性を「3・11」の事故は切り崩して白日の下に晒した。2年8ヶ月を経て

未だ収束しない。地震の巣の上にある日本列島だ。脱原発は現実的でないというが果たしてそうか。核廃棄物の最終処理場の目途は立たない。これを指して「トイレのないマンション」というたとえは明快だ。

 小泉さんは「壮大な夢のある事業、自然を資源にする事業だ」と訴える。「3・11」の反省を生かす最大の道は脱原発だ。人類唯一の原爆被曝国日本が平和憲法と脱原発を掲げて推進するとこは地球文明に対する輝かしい貢献になる。被災地の人の苦痛を多少とも共有する覚悟があれば歴史の転換を実現できる。

◇アントニオ猪木が参院で懲罰を受けることになった。渡航不許可決定に従わず訪朝した。

 猪木事件で私は拙著「望郷の叫び」で取り上げた女性参院議員高良とみを思い出した。

 高良とみは戦後第一回参院選に当選。日本人としてまた国会議員として初めてソ連に入りシベリア強制収容所を訪れた。吉田政権は講和条約発効直前ということもありアメリカとの関係を心配してソ連へのパスポート発行を認めなかった。とみは旅券法違反による逮捕を覚悟で出国。ソ連はパスポートのない彼女がモスクワの国際経済会議に出席することを認めた。この会議に於けるとみの演説に感激したグロムイコ(当時は外務次官)が彼女に会いハバロフスクの収容所視察を許可した。

 高良とみは群馬県と縁が深い。彼女の母は前橋女子校出身で、蚕聖田島弥平の孫。田島家は今や富岡製糸場と共に世界遺産に登録されようとしている。

 ところで、とみが見た収容所は偽装されたもので、とみは気付かず衛生状態もよく模範的な施設と報告した。しかし、面会した人々はとみのバッグに貼られた日の丸を見て涙を流した。猪木の訪朝は法を侵すだけの意義があったのか。

◇キャロライン・ケネディが中日大使で来る。父が暗殺された時5歳。あの姿が焼きついている。かつてのライシャワー以上に注目される。笑顔は父に似ている。悲劇のケネディ家の歴史は彼女の新人生を支える背景だろう。日本の歴史と文化を学びたいと言う。朗報だ。(読者に感謝)

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2013年11月13日 (水)

人生意気に感ず「もんたの独占手記。フィリピンの惨状。虚偽表示の実態」

◇みのもんたの独占手記「私はなぜここまで嫌われたのか」を読んだ。毎朝午前3時に目を覚ます習慣は私と同じと思いながら。もんたの存在自体が悪だといっているとしか思えない程バッシングは想像を超え特に週刊文春と週刊新潮はキツかったと語る。

 31歳の次男はコンビニ前に落ちていたバッグのキャッシュカードを自販機に入れたことで窃盗容疑で逮捕された。もんたが言いたいことは、30歳を超えた息子について親はどこまで責任をとるべきかという点。それがみのの行状が許せないという方向に変わってしまったと怒りをぶつける。マスコミの頂点にいた男がマスコミによって血祭りにあげられた。

 嵐が去って何だったのかと思う。今、時間が出来て本を読み身体を鍛えているというがこの男が今後どう再起するのか興味がある。

 もんたが降板前、最後に出した企画書はチェルノブイリ、スリーマイル、福島をテーマにして原発事故を検証する番組作りだったという。実現したら、いいテーマだし反響もあったであろう。私も見たかった。もんたは降板した。信念があるなら降りずに貫く道はなかったのか。マスコミの世界は分からない。日本の文化の質が問われる事件だった。

◇フィリピンの惨状は「3.11」を思わせる。鼻を押えて歩く人々の姿が。死臭である。自然災害の直撃はその国の社会の実態を切り裂いてさらけ出す。大型ショッピングモールでは千人以上の住民が押し寄せ商品を持ち出している。日本の災害を取材する外国メディアが先ず驚くことは略奪がないことだという。社会の激変の中でこういう日本の美点も危機にあることを、この際銘記しなければならない。

 レイテだけで死者は1万人を超えるというが全貌が分かれば大変なものであろう。これは地球が狂い出した現れだから他人事でない。日本には更に巨大地震も迫る。日本の総合力が試される時なのだ。

◇食品虚偽表示はまたかと思わせる。一流ホテルでもあったと発表された。食への信頼に関わることだが、偽物時代、総詐欺時代の一翼を担うようなものだ。日本文化の質が崩されていくのを止めねばならない。政府は省庁を通じて外食関連業界の一斉調査を決めた。身に覚えがある企業や店舗は軒並みだろう。(読者に感謝)

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2013年11月12日 (火)

人生意気に感ず「元首相の脱原発論に賛成。この冬に巨大地震か」

◇小泉元首相の脱原発論に私は基本的に賛成である。3.11から2年半以上経つが未だ終息していない。故郷に帰れない被災地住民は悲惨だ。「原発はクリーンで、安く・安全」と言う定説は完全に覆った。最大の問題は廃棄物の最終処分場がないことだ。元首相は「トイレのないマンション」と言っている。

 思い出すのは、事故1年後の平成24年3月11日、高崎城趾公園の集会に出た時のこと。さよなら原発アクションである。この時私は段階的脱原発論だった。そして反原発オンリーでは空振りになるから新エネルギー推進と連動させるべきだと訴えた。自民党県議だと名乗る私に赤旗が林立するあたりから激しい野次が起きた。「黙って話を聞け」、会場をにらんで私は腹の底から声を絞って叫んだ。全会場を適に回す覚悟で登壇したが、以外にも大きな拍手が起きた。

 反原発を叫ぶ人々も一様ではないことを知り、大いに勉強になったと感じた。あれから1年余り、世論は静かになったが、底流に於いて変わらない。世論の大勢は脱原発とみる。原発が全部止まっても電力に不足をきたしていない現実がある。新エネルギーの動きは増増盛んになっている。政府が脱原発を決断すればこの動きは更に加速するだろう。

 日本は脱原発、新エネルギーの先進国として世界に手本を示すべきだ。日本の技術がそれを可能にするだろう。中国は驚くべき勢いで原発を増やそうとしている。やがて行き詰まり破綻するだろう。その時、アジアをリードするのは日本だということが分かる。「3.11」の反省を真に生かさねばならない。文藝春秋最新号の元首相の話で特に目新しいものはないが勇気ある発言は多くの政治家に勇気を与えると思う。

◇先日四国の障害者施設を訪ねたときそこは5mの津波を想定していると聞かされた。南海トラフは近づいている。誰もがその時を知りたい。東大名誉教授の村井俊治氏は、南海トラフ巨大地震がこの冬起こると予測している。測量学の世界的権威。精密な観測によるデータによれば、国土地理院が設置する地上の基準点が異常な動きを示しているという。「3.11」前と状況が似ている。

 村井氏は、自分の研究の成果を踏まえて語る。データがあるのに発表せず結果として多くの人が死ぬことには耐えられないと。いつかは必ず来るのだから、このような警鐘を自己責任で受け止め対応すべきだと思う。(読者に感謝)

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2013年11月11日 (月)

「県外視察最後の日。台風30号の恐怖。農業祭」

◇県外視察の最後は愛媛県の四国中央市。子育て支援の一環である児童の安全安心対策を研修した。冒頭、市長と議長が挨拶。異例のことだ。篠原市長は4月まで県議。県議野球の監督をしており、野球大会では群馬で世話になったと私に話した。

 四国中央市は合併により新しく誕生。この市は愛媛県の東端にあって、四国の中央に位置する。北は瀬戸内海に臨み、高知、徳島、香川の各県に接する。四県に繋がる唯一の地。「子育て支援」、「産業活力」、「行革ランキング」の施策で四国一を目指す。

 児童の安心。安全対策とは、ICカード利用による「登下校管理システム」、「保護者連絡網システム」である。大阪の「池田小事件」が契機になっている。なるほどと感心。

ICカードを首に下げ、学校に着くとき、また下校の時、カードを付けると、母のケータイにメールが届く仕組み。「ピッピとやるのが楽しい」、「自分の命を守れて嬉しい」と小学生が答えている姿が報じられた。

 母の方も、登校の遅れ、下校時がすぐに分かる、不審者情報も瞬時に得られ、直ちに対応出来、安心して仕事に取り組めるという。

 市はこの仕組みを「安心のプレゼントカード」として無料で提供している。当初1年生にカードを通す習慣が定着するか心配したが、お姉さん、お兄さんを見習って早く定着した。登校の意識も高まり、着いていない時、教職員が手分けして捜せるなど成果も上々という。他県の行政の取り組みは多いに参考になる。視察の成果は議会事務局のサポートと準備にかかる。田子、関川両君がよく頑張った。関係部・課長と視察を通して懇談出来ることも行政視察の重要な点である。

◇台風30号に襲われたフィリピン・レイテ島の惨状は想像を超える。タクロバン空港はほぼ崩壊。風速90mで、4mの高潮が押し寄せた。レイテ島だけで犠牲者は1万人を超え市内では物資の略奪が始まったと伝えられる。温暖化と海面上昇により今後このような状態が頻発するだろう。略奪を別にすれば日本の近未来の台風状況を思わせる。備えねばならない。

JA前橋の農業祭(9日)、芳賀地区の収穫祭(10日)に出た。農は国の大本。その意味は生命を守り社会の基盤をつくるからだ。農業祭ではTPPや減反廃止問題を乗り越えて日本の農業を守るべしと挨拶した。(読者に感謝)

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2013年11月10日 (日)

随筆『甦る楫取素彦』第24回

 この頃、蘭学は次第に発達していたが、蘭学者の間には合理的な考えが芽生え広がっていた。西洋の合理的な科学を学ぶ事から生ずる当然の帰結である。知識の面からも幕府政治以外の政治形式があることが明らかになる。これが幕府政治の大きな行き詰まりと重なれば、当然、幕府政治を批判することになる。合理的な西洋の知識は、非合理な政治に対する批判の芽をその中に秘めていたのだ。幕府はそれを恐れ、幕政批判を抑えようと神経質になっていた。シーボルト事件はこのような時に起きた。この事件は、その後の蛮社の獄につながる。

 少し横道にそれるがシーボルトが日本西洋医学を通して、日本の近代化に貢献したことを示すエピソードにつき触れたい。

シーボルトは医師であると同時に植物学に対する造詣が深かった。彼がその該博な学問を日本人に伝えた影響は極めて大きかった。

ドイツ人シーボルトが長崎に着いたのは文政6年(1823)で楫取誕生の6年前であった

シーボルト家は代々医学で知られた家柄で祖父は大学教授でかつドイツ第一流の外科医として知られ父も叔父も大学教授だった。シーボルトは大学で医学、植物学、動物学、地理学、民族学を学んだ。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月 9日 (土)

随筆 『甦る楫取素彦』 第23回

楫取は、萩の藩医松島瑞幡の次男として生れ、名は哲(さとし)通称久米次郎と言った。以下では楫取素彦の名で記述する。

 長男剛蔵は西洋医学も修め藩主の侍医となり、洋学所の初代局長を務め、萩藩洋学の第一人者と言われた。弟の健作も側儒の名家小倉家の養子となるなど三兄弟みな優れ、後に吉田松陰が「三兄弟皆読書人」とたたえた程である。群馬の教育に尽力した楫取の原点をここに見ることが出来る。

 楫取が生れたのはどのような時代か。その前年、江戸幕府の体制を揺るがす前触れともいえる事件が起きた。シーボルト事件である。

 シーボルトは長崎オランダ商館の医官で、鳴滝塾を開き高野長英等に学問を授けた。シーボルト事件は、幕府の役人が伊能忠敬の日本地図をシーボルトに送ったことで起きた。シーボルトは追放され多くの人々が罰せられた。洋学(蘭学)の研究から幕府批判が生れることを恐れた幕府の思想統制の一環だった。日本地図を外国人に渡すことは、国防に関わる重大事だから、それ自体幕府として容認できないことであるが、これを機会に、幕府の体制を脅かす思想を厳しく規制しようとしたのである。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月 8日 (金)

人生意気に感ず「施設で人間の極限の姿を。無縁墳墓。ナナよ」

◇全国でも例のない「徳島県発達障害者総合支援ゾーン」を視察。各施設が結集して連携する総合的拠点である。責任者の方々は計3時間余りにわたり丁寧に案内し説明してくれた。

 ゾーンを統括する「ハナミズキ」、「みなと高等学園」、病院の機能を持つ「ひのみね療育センター」、「赤十字乳児院」である。

 乳児院では、今日の複雑な社会状況を背景に、育てられない赤ちゃんを懸命にかつ温かく支える施設の実態を見た。そして、無心な乳幼児の将来に思いを馳せた。入所理由には母親の疾病、虐待、ネグレスト、受刑など様々。生後10日の入所の例もある。

 病院の機能を持つ「ひのみね療育園」では重症心身障害者の衝撃的な姿に心を打たれた。目を剥いて手を突き上げる車イスの人、獣のように叫ぶ人、幼児のような小さな身体ながら表情から明らかに年配の人など。この人たちの心の底には何があるのか。厳粛な気持で人間の尊厳という事を思った。

 前日の「エフピコ」の障害者の作業所が頭に浮かぶ。トップの意識で人々が甦ることだ。重症心身障害者もトップの意識で「物」と扱われるか「人間」として見られるかの違いが出るだろう。

◇地方に出て地方の新聞を見て地方の実状を知る。四国新聞で「増える無縁墓」を読んだ。高松市の市営墓地で、長年放置された「無縁墳墓」と呼ばれる墓地が急増している。

 墓を継ぐ者がいない。市のやすらぎ課は「少子化、核家族化、墓を継ぐ意識の希薄化など、現代は無縁墳墓が増える要因があふれている」と話す。市は「合葬式墓地」を進める。生前に予約。地下の納骨堂にまとめて埋葬。利用者が急増しているという。

 墓を守るということは精神文化の基盤に関わる。「死んだ後はどうでもいい」という風潮は先祖尊敬の念を変化させ人間軽視の要因となり社会の基盤をこわす。不毛の社会が迫っている。群馬の実情はどうなっているであろうか。

◇昨日倉敷市の朝を走った時のこと。倉の屋敷が並び、その間に静かな水辺が広がる。朝の営みが始まり、散策する人々の姿があった。私は一人の男性に引かれる大きな犬を見てはっとした。立った耳、巻いた尾、流れる鼻筋、「ナナ」だと懐かしさが込み上げた。近づいて声をかけると「秋田犬です」と。今年亡くなった秋田犬のナナは私の生涯の友だった。出張から帰ると飛びついたあの姿が甦る。ナナよ。(読者に感謝)

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2013年11月 7日 (木)

人生意気に感ず「県外視察。障害者の働く姿に人間の可能性を見た」

◇流れるラインに並んで作業する人々がいた。「障害者ですか」と案内の人に私は思わず尋ねた。黙々とテキパキと流れてくる使用済トレイを選別している姿は健常者と変わらない。広島県福山市の株式会社エフピコ内の作業風景である。

 且田氏が待ち受けていた。先月、前橋のグリーンドームで開かれた「障害者雇用促進トップセミナー」の講演でこの人は「トップの考えで障害者が戦力に!」と題して語った。私たち特別委員会は、その現実を見るためにはるばるやってきた。

 エフピコグループでは障害者雇用率が16.3%にのぼりその定着率は95%を超える。ほとんどは重度の障害者。彼らの表情は生き生きしている。信じられない光景だ。担当者の説明を聞き、私は人間の可能性と障害者雇用問題の根本を突きつけられた思いであった。

◇字も読めないある重度の障害者が、「卵パックが流れてきたら別の箱へ。印刷シールはダメ」これを覚えるのに長い月日を要したという。

 この人はこれが出来たことで喜びを覚え次の段階に進んだ。10万円を超える月給を得て自信と誇りをつかんだ。説明の人は「0から1に至るまで、徹底的に共に努力する。これが出来れば10が可能に。果てしない地平線に向って一緒に走り、ある一つのステップに共に登れるかだ」と語る。情熱的に語る人は且田さんの娘さん。その姿に、人間を信じる人の信念と哲学を感じた。

 従業員50人以上の企業の法定雇用率は2%。しかし、一般には定着率は悪い。社会には障害者への偏見がある。そのために人間の可能性を引き出すことが出来ない。グリーンドームで語った「トップの考えで障害者が戦力に」の深い意味を知った。障害者は戦力になれることによって自分も生まれ変わるのだ。「トップの考え」とはトップの人間観であり哲学である。

◇この企業には毎日、全国から多くの視察者が訪れる。人々はそれぞれの立場で胸に刻むことが多いだろう。私は、「トップの考えで」の言葉は学校の現場でもあてはまると思った。校長の考えで救われるハンディのある子は多いに違いない。事なかれ主義で流れていないか。

◇現在岡山県倉敷市のビジネスホテル。朝6時。外はまだ暗い。これから観光地区を走る。今日の視察は徳島県発達障害者総合支援ゾーン。阿波鳴門といえば吉川英治の鳴門秘帖を思い出す。(読者に感謝)

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2013年11月 6日 (水)

人生意気に感ず「特別委員会の県外視察。萩・防府との連携ツアー。オウム裁判」

◇今日から3日間、障害者・子育て対策特別委員会の県外調査。委員は委員長の私を含め10名で執行部は部長や課長等が参加し総勢17名。朝8時高崎に集合し、第一日目の広島県のダックス福山工場へ向う。障害者の雇用状況を見る。先日、この会社の社長がグリーンドームで講演した。障害者の雇用促進と労働環境改善は今や社会の大きな課題。

 その他の視察地は徳島県の「発達障害者総合支援ゾーン」、愛媛県「四国中央市」(子育て支援を見る)等となっている。現地の実情を報告する予定だ。

◇「楫取素彦」の知名度がやや上がってきた。今年最後の事業は、今月20日からの萩市・防府市へのツアー。前橋市と楫取顕彰会が連携して総勢85名。先方と連絡をとりつつ準備を進めている。

 萩市、防府市にも楫取顕彰会が出来ており、3つの顕彰会が今後連携を深める機会にしたい。来年は、ひょっとすると「楫取」に関する大きな変化があるかも知れない。それを、3市長、3顕彰会長で話し合うのも実は課題なのだ。

萩市では私が楫取の紙芝居を実演することになっている。15枚の絵は、右手が脳梗塞で使えなくなった画家が左手で描いた。心で描いたことが分かるもの。原画は私が描いて参考に供した。人間塾(機会があったら紹介しよう)で何度かやったが私のナレーションも悪くはないと思っている。

 昔、まち角でおじさんの紙芝居をよく見た。ただ見の私は時々おじさんにポコンとやられたがあの光景は懐かしい。紙芝居の世界に持ち込んで、楫取の品格を落としてはならないと戒めている。

◇オウムを風化させてはならない。昔から人の噂も七五日というが、現代の流れは速すぎるからあっと言う間に忘れられる。13人の死刑が確定した未曽有の大犯罪。若者たちの不毛の精神の砂漠に現れた幻とも思える社会現象だが裁判の状況と被害者の苦しみは過酷な現実であることを突きつける。

 これから平田被告の裁判が始まる。これに被害の遺族2人が参加する。被害者参加制度の初例。遺族は、質問し刑について意見を述べることが出来る。死刑囚が証人として出廷するらしい。このために執行が実施されなかったふしがある。地獄の釜のふちから引き出される死刑囚の心中は。亡者がうごめいている。(読者に感謝)

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2013年11月 5日 (火)

人生意気に感ず「10キロを征す。楽天日本一に。ナンペイ事件の犯人か。死刑囚の一言」

◇一年かけて目指してきた10キロの日。体調整備で実現出来なかったことが1つある。体重5キロ減だ。身長160で70キロある。やるしきゃない。朝食はバナナ一本。今回、変わったことが1つある。頭を通して前後にかかる真紅の布にゼッケンと並べ73才の白地を付けた。娘に工夫してもらったもので、「これでいく」という私の心意気を示した。

 9時10分号砲が鳴る。3日前に同じコースを走った時より足が重い。スッスハッハ、スッスハッハ。国体通りを南下していると意外な事が続く。「73歳、頑張れ」、「やりますね」などと声をかける人がいるのだ。ある女性は後ろから来て私と歩調を合わせ、「おじさん73ですか、私は53です。頑張りましょう」と言って走り去って行った。長くやっているが走りの中で声をかけられたのは初めて。栄養剤のドリンクより効き目がある。瞬時に心を刺激した。県庁舎を目前にするころ口が渇き唇が開かない程粘る。今年は県庁構内に給水場があった。ごくり、実に美味い。五体に染み渡るようだ。スッスハッハ、スッスハッハ。グリーンドームの横を北上すると南下する人がまだぞくぞく。大渡橋の下をくぐる頃、今年もやれたという思いが胸に湧く。スタンドに走りこむ。ワァーという喚声。前の人を追い抜く力はない。しっかりした足どりでフィニッシュ点を踏んだ。達成感はひとしおだ。

 タイムは1時間11分。去年より約10分遅い。この10分は何を意味するのか。人生の問題を私に突きつけている。走ることは素晴らしい。戦いを終えてこのことをかみ締めた。

◇この日1時からの接骨師協会記念祝賀会に出たら、中曽根弘文さんが私のマラソンを話した。実は、朝、グラウンドで会ったのだ。話すつもりはなかったのだが、続いて登壇した私は、「中曽根さんに紹介されたので」と、10キロ完走に触れるとドッと拍手がわいた。

◇何と東北楽天が日本一になった。私は巨人ファンだが今回は嬉しい。東北の被災状況が選手を支えた一因になったろうし、結果が被災地に与えたインパクトは測り知れない。

◇八王子のスーパーナンペイで女性3人を射殺した男の可能性のある中国人がカナダから移送される。

 既に死刑を執行された日本人が執行前にこの男の事を警視庁に話していたという。闇の世界の不気味なつながりを感じる。死刑囚は死を前に真実を話す気になったのか。(読者に感謝)

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2013年11月 4日 (月)

第22回 随筆『甦る楫取素彦』

第二章 楫取素彦のルーツ

楫取の少年時代の内外の情勢 

 楫取素彦の前半生はどのようなものであったか。群馬の人々は成長し大木となった楫取に接したが、それは小さな芽から始まり風雪に耐えた年月を経ている。その過程を知らなければ群馬に現われた大木を理解することは出来ない。楫取少年は、時代の風の中で育った。楫取及びその時代の状況を知ることは群馬の時代背景を知ることでもある。幕末の激流は日本を貫いて流れていたのだから。

そこで、楫取の歩みを時代の流れの中で見てゆくことにしたい。

◇楫取素彦は文政12年(1829)に萩の今魚店町(いまうおのたなまち)で生れた。明治維新のおよそ39年前のことである。翌年の吉田松陰の誕生に始まって、楫取13歳までに、木戸孝允、井上馨、山県有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文等が同じ萩で生れている。これらのひとびとが、明治維新の原動力になったことを考えると驚くべきことだ。松陰は、これらの中で楫取とは格別な絆で結ばれているから、これから、度々登場するが、ここでは、2人は共に次男であるために他家の養子となった点を挙げておく。即ち楫取は儒官小田村家に入り、松陰は兵学の吉田家の養子となった。当時の世襲社会にあっては、長男が家を継ぎ、次男以下は、優秀な者が他家の養子となってその家業を継いだのであった。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月 3日 (日)

第21回 随筆「甦る楫取素彦」

 日本で最初の女性解放と位置づけられる「廃娼」は、日本の人権史上画期的なことでありました。湯浅治郎には人間平等のキリスト教思想があり、楫取素彦を支えたものには、吉田松陰と共に培ったと思われる身分形式にとらわれない人間観があったと信じます。二人の人間観が共鳴し合ったであろうことに新鮮な驚きを覚えます。また、廃娼運動には、時代の空気を大きく吸った上州の青年たちの議会外の大運動が政治家を動かした事実があったことにも注目されます。

 湯浅治郎は、実業家でもありました。民間では日本で最初の図書館である「便覧社」をつくり、また、新島襄の同志社大学設立と運営を助けました。明治の初め、群馬の夜明けに際し、楫取素彦と湯浅治郎が上州群馬で出会ったことが不思議に思えます。

 楫取素彦について人々に語るときいつも思うことがあります。それは、群馬における楫取を話すだけではその実態が伝わらないということです。楫取の根は幕末の長州にあるからです。例えば二度獄に入り死を覚悟したこともあると話すと人々が驚くのはこのことを示すと思います。史都萩の皆さんに楫取素彦及び関連する上州の歴史を私の素人の感覚で、お話出来れば望外の幸です。お許し願えれば時々投稿したいと思っております。

 平成20年に萩市からナツミカンの苗木3本が寄贈されましたが、今年は、楫取素彦顕彰碑の傍らで見事な実をつけました。これを眺めると、萩の武家屋敷跡のナツミカンを思い出すと共に往時の志士たちの姿が偲ばれます。

※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月 2日 (土)

随筆『甦る楫取素彦』 第20回

 現在、幸にも、「読本」の読者は徐々に広がっています。一例として、先日、上野村の生徒45人から感想文が届けられました。多くの生徒は、楫取が道徳教育に力を入れたことに触れ、その重要性が分かったことを書いています。楫取の姿が子どもたちの胸に小さな根を下ろすことを思うと感激です。なお、上野村とは、昭和0年(1985)、史上最悪の航空機事故が生じた御巣鷹山の麓にあります。

 今回、「史都萩」を知り、「愛する会」に入会させていただきました。皆様との交流から学ぶことは大きいに違いないと期待致しております。

折りしも、今年、大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。八重が嫁いだ新島襄は、幕末明治を熱く生き近代日本の文化に大きな足跡を残しました。特に郷土群馬の精神文化に与えた影響は少なくありません。吉田松陰は下田踏海で失敗し、結局悲運の運命に見舞われましたが、新島襄は、密出国に成功し、幸運にも恵まれ、アメリカでキリスト教徒として大きな成果を得て帰国しました。

 古里群馬の安中藩に帰り、新島襄が熱く語るアメリカの話に近隣の若者は大いに動かされました。その一人湯浅治郎は新島の感化でキリスト教徒となります。やがて県会に入り、第二代県会議長を務めました。ここで湯浅は、県令楫取と出会い、二人は力を合わせて、廃娼運動に取組み、日本で最初の廃娼県確立への道を開きました。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。

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2013年11月 1日 (金)

人生意気に感ず「日展は氷山の一角。山本議員と園遊会。上原の快挙」

◇先日書道に関わる者として私は「日展事件」を書いた。不正を指示した顧問は予想通り「書」の顧問を辞任し日展を退会した。実名も古谷蒼韻と明らかにされた。古谷氏の作品は撤去された。

 日展の展覧会は今日開幕。内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞、日展会員賞は自粛となった。これは「書」の部だけでなく日本画、洋画、彫刻、工芸美術も同様。初めてのことで異例。

 日展は外部の者も入れた調査委員会の設置を決定、又、別に外部の識者のみで構成するワーキンググループも設置して書部門審査員から事情を聞いた。

 この日展の出来事は「不正」を悩む心ある人の内部告発だと思う。その衝撃波は、同じような問題を抱える文化・芸術関係に影響を与えることだろう。

◇山本太郎議員が園遊会で天皇に手紙を手渡した。中味は原発問題とか。私も園遊会で天皇と言葉を交わしたことがあるのであの場面を想像した。山本議員は憲法上の微妙な問題につながる可能性を認識できなかったのではないか。

 天皇に原発問題に関する自分の意見を書いた手紙を園遊会で渡す。そのこと自体大きな社会効果を生じる。原発は政治問題である。国会議員が手紙を渡すこと自体が政治的意味を持つ。憲法には「天皇は国政に関する権能を有しない」と書かれている。招かれた席を政治的に利用と評されても仕方ない。昔、田中正造が公道上で決死の直訴をしたこととは違う。軽率な行為だった。

◇昨日、常楽園というデイサービス施設の開所式に出た。全国的に珍しいのは、残留孤児2世が作った点にある。私は帰国者協会の顧問で、残留孤児を主人公にした本も書いた。在日の残留孤児も高齢となり、関係者も益々高齢化。普通のデイサービスでは、言葉の問題、習慣の違い等があって心が休まらない。設置者夫妻はハルビン出身でご主人は中国の医科大学出で、両方の言葉が出来る。常に笑いがある「常楽の園」になるだろう。

◇明後日に備えて、早朝10キロを完走した。バラ園北を左折して北上、また左折して国体道路に出るまで辛かった。それからは比較的楽に走り、県庁北西を曲がると「私の楫取」が根性を示せと声援。1時間15分で完走。

◇上原のワールドシリーズ制覇の姿に感動。日本の若者も大したものと見直した。上原の息子さんが「エクサイティング」と発言していた。(読者に感謝)

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