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2013年9月 8日 (日)

随筆「甦る楫取素彦」第二回

 一例を上げて言えば、県庁隣接地に建つ楫取素彦功徳碑の一文に関することである。「県民の君を慕ふこと慈父母の如く、去るに臨み、老幼路を遮(さえぎ)りて留まらんことを乞い、送る者数千人、惜別(せきべつ)の情に勝(た)えず」とある。数千人は多少オーバーかも知れぬが、楫取辞任が全県的な出来事であったことがうかがえる。このことからして、当時の県民の間には、楫取のことが吉田松陰の義弟ということもあって県内隈なく絶対的存在として知れわたっていたに違いない。楫取が去って、およそ130年が過ぎたが、楫取の存在を知る人が非常に少ないということはどういうことか。納得がいかないというのはこのことである。

 名木も手入れをしなければ枯れる。楫取功徳碑が苔むし、雑草に覆われていたことはこれを物語る。私は先ず県教育界の姿勢に不満を抱いた。道徳教育を叫び、郷土愛を強調しながら足元の名県令に全くといえるほど目を向けないとは何としたことか。

 これが、楫取素彦顕彰会を立ち上げ、楫取素彦を甦らせようと考えた第一の理由である。時あたかも、国難の時を迎え、その内憂外患ぶりは楫取が生きた幕末に似ている。この危機感も私たちを駆り立てた。 

(注)○楫取素彦功徳碑は明治23年10月建てられた。

   ○素彦は明治9年に群馬県令となり明治17年に辞任した。

  土日祝日は中村紀雄諸「甦る楫取素彦」を連載しています。

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