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2013年4月20日 (土)

『炎の山河』第5章 地獄の満州 第45回

⑨ 遂に日中国交回復。一時帰国の道が

今から見れば、松井かずたち中国帰国者は国の政策の犠牲となり、また、さまざまな国際政治の波に翻弄されてきたのである。

サンフランシスコ対日講和条約が調印されたのは、1951年(昭和26年)9月8日である。これは、日本が戦争で関わった世界の諸国との間で、戦争の後始末をつけ平和と国交を回復するための条約である。ところが、この条例には、ソ連と中国は含まれなかった。だから、これらの国との国交正常化は、ソ連については1956年(昭和31年)鳩山首相が日ソの国交回復を、また、中国に関しては、1972年(昭和47年)田中内閣が日中国交回復を、それぞれ達成させるのを待たねばならなかったのである。

 サンフランシスコ対日講話条約締結に際しては、ソ連、中国を含めた全面講和を結ぶべきだと強く主張する国内の意見もあった。その意見を採用せず、アメリカ及びその友好国との間の講和条約に政府が踏み切ったのは、冷戦構造、つまり、米ソの激しい対立があったからである。アメリカは、この講和条約後もソ連、中国から日本やアジアを防衛するために、引き続き日本に軍事基地を設け、強大なアメリカ軍を駐留させた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著『炎の山河』を連載しています。

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