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2012年12月31日 (月)

人生意気に感ず「楫取素彦の一年。子孫たちの再会。読本は版を重ねて。」

◇振り返って、今年は楫取素彦だった。昨年12月、楫取生誕の地、萩の今魚店町(いまうおのたなちょう)で、講演したのが大きなきっかけとなった。改めて、この人物を誰も知らないのはおかしいと思った。今年2月、顕彰会が出来た。県議団総会で取り上げようと発言してもほとんどの県議が知らないのだ。

 今年の5月31日、本会議で楫取素彦を取り上げた。議会でこの人物を正面から議題としたのは明治以来初めてではないか。大沢知事は楫取素彦の顕彰を正面から認めて次のように語った「新しく生れた群馬県の方向をしっかりと定め県令として約10年かじを取り続け大きな功績を残したことに感謝の心を忘れてはいけない。このことをしっかり顕彰すべきものと思う」と。

 前橋市は市制120周年記念事業の一環として楫取を取り上げることになり私たちの顕彰会と共同して諸事業を行うことになった。そして、県もこれをサポートすることになった。

 主な行事は、楫取素彦顕彰説明板設置、百回忌法要、楫取を偲ぶ会、記念後援会、楫取素彦読本刊行等であった。法要、偲ぶ会、記念講演には楫取と縁の深いティム・新井夫妻が来日し、楫取直系子孫と対面した。

 ティム・新井は県令楫取の支援でアメリカに渡米し、絹直輸出の道を開いた群馬の青年実業家新井領一郎の子孫。顕彰会が招待した。

 挨拶に訪れた領一郎に対して楫取の妻寿子は一振りの短刀を渡して言った「これは兄の形見です。兄の魂は太平洋を渡ることで救われるのです。」兄とは吉田松陰で黒船で渡米しようとして失敗、29歳で他界。楫取の子孫とは5代目当主の楫取能彦氏と玄孫(やしゃご)の小田村四郎氏である。長い時と広い空間を越えて、楫取素彦との絆で結ばれた人々が一堂に会したのである。ここに私たちも含め新しい絆が生れたことを実感した。

 萩の人々との間にも新たな心の結びつきが出来た。11月4日・5日には、野村萩市長以下40人の萩の人々が来橋し交流して絆を深めた。

 萩の人々が、松陰先生と呼んで限りなく愛し尊敬する吉田松陰が果たせなかった夢を楫取は群馬で実現しようとしたに違いない。

 この事を重く受け止めて顕彰会は今後も頑張る。楫取素彦読本は2版を重ね、来年は3版を出す。この「読本」は定価300円で煥乎堂でも売られることになった。是非読んで欲しい。(読者に感謝)

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2012年12月30日 (日)

『炎の山河』第五章 地獄の満州 第10回

② ソ連の惨敗。-野獣のソ連兵―

 しかし、この避難所は、中国農民の襲撃を毎日のように受けた。襲撃は、決まって明け方に行われた。昼間、よく中国人がまんじゅうや飴を売りに来るが、彼らは避難所の様子を窺って仲間に教え、それによって襲撃が行われるらしい。長いひもの先に鎌を結んでぶんぶん振り回す者、棒や鍬を振りかざして戸や壁を叩く者、また、大声で何やら怒鳴る者など、興奮した群集は日毎に数を増やしてゆくようであった。避難所の人々は、鉄条網を巡らし、また、使える物は何でも使ってバリケードを築いて暴徒に備えた。

 松井かずたちは、動きがとれず、ここの20日間とどまっていたが、いよいよ出発の時が来た。ここでは、馬を殺し、肉をいくつも樽につめて塩漬けにしたものが用意されていたが、出発に当たり、人々はこの肉を大きな釜で煮て肉の塊を分配した。また、米を焙って、それを、手拭を縫って作った袋に詰めた。

 栃木開拓団の人々も加わって、大勢が通北を目指して出発した。既に辺りは暗かった。途中、中国人の部落を幾つか通過する。部落から出て来た人々が暗い所から闇をすかすようにしてじっと集団の通過を見ている。異様な集団に興奮した犬がしきりに吠える。

 やがて、一行は、大きな川にさしかかった。橋はなかった。浅い所を見つけて、人々は黙々と渡り始めた。松井かずは、ここで初めて、出発の時幹部が細い棒を手渡した意味が分かった。彼女が持っていたのは、隠元豆の手にするような細い木の枝であった。これを水に刺して深さを探りながら渡るのだった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2012年12月29日 (土)

『炎の山河』第五章 地獄の満州 第9回

② ソ連の惨敗。-野獣のソ連兵―

「前橋出身の宮崎という農場長は、体の小さな老人でしたが農場の責任者ということで必死で抗議したため殺されました。殺され方酷かったのです。賊の一人は、見上げるような大男で、宮崎さんを殴り倒し、その両足を持って振り上げ、宮崎さんを何度も頭から地面にたたきつけたのです。ちょうど、群馬の田舎で、昔、ワラを巻いたもので、とうかんやとうかんやって、子どもが地面を叩いたでしょ、あのように。宮崎さんの頭は割れて、脳が味噌のように飛び散ったのです。でも、私たちは、ただ見ているだけで何もできないのです。」

 松井かずは、あまりの恐ろしさに、夢を見ているのではないかと思った。しかし、目の前の惨劇は紛れもない現実であった。これによって、彼女は、行先の容易ならざることを思い知らされたのであった。

 人々は、宮崎老人の死体に草をのせ、油をかけて焼いた。そして、奉国農場の人々は、開拓団の人たちと一緒になって出発した。

 ところで、中国人がみな暴徒になったわけではない。松井かずたちが親しく付き合っていた部落の長は、彼女たちに同情し、馬で遠くまで見送りに出てくれた。

「気をつけて、無事に日本に帰っておくれ」

部落長は名残惜しげに言って、また馬で帰って行った。

 人々は、克東県まで歩き、そこからさらに2日歩いて、栃木県の人々の開拓団がある張本堡という村に着き、そこの小学校を一時の避難所とした。栃木の開拓団は、前橋の開拓団と比べ大変恵まれていた。ここでは、水田耕作が行われており、松井かずたちは、貴重な米を分けてもらうことができた。

◇「楫取素彦読本は、煥乎堂書店(℡027-235-8111)でも販売する事に成りました。定価300円。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河 地獄の満州」を連載しています。

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2012年12月28日 (金)

人生意気に感ず「国際化時代の吉田松陰。大津いじめ。八ッ場前進」

◇今年は国難、日本の危機をブログでも挨拶でも取り上げてきた。この危機の一つに日本人の心の問題があると思いつつ。年末に至って、安倍政権が誕生したことは何か象徴的である。長州出身の安倍晋三が尊敬する人物として吉田松陰をあげたことは、安倍氏が松陰と共に再登場した感を抱かせる。

 今年の愛読書は吉田松陰だった。海原徹(ミネルヴァ書房)と徳富蘇峰(岩波文庫)の「吉田松陰」を数冊のノートにコピーして貼り、持ち歩いて読んだ。少年時代からの習慣で時間は作り出すもの。トイレもコーヒータイムも秘かに使った。私の松陰像が胸の内に芽生え成長しつつある。

 松陰に手を出した動機は初代群馬県令楫取素彦の背景を探ることであった。二人の教育者、松陰と楫取は人間観、教育観に於いて共通の信念を持つ。楫取は教育県群馬の基礎を作った。彼は松陰が果たせなかった夢を群馬で実現させようとした。私にはこう思える。

◇安倍新総理がアメリカとの関係を再構築すると表明した時、私は吉田松陰の下田踏海事件を連想した。アメリカ行きを訴えて下田の米艦に乗り込んだ事件である。

 ペリーは日本遠征記に、松陰の事を教養ある立派な若者と評価し、命をかけて外国の知識を得ようとする日本人の激しい好奇心に驚きこの国の将来には大きな夢が広がっていると記述した。

昨今の大学生は内向きでチャレンジ精神に欠け、留学希望者が少なくなっている。これも日本の危機の1つである。

◇昨年10月の「大津いじめ」で、同級生2人が書類送検となった(27日)。自殺した生徒は「泣きながら電話した」、学校は「いじめはあったが因果関係はない」と主張した。いじめの信号を学校は見逃してきた。全校アンケートでは「自殺の練習をさせられていた」との記述もあった。いじめ生徒は家裁に送致される。

 学校の普段の対応と事件後の取り組みがまずいと犠牲者を出す。いじめた方も人生を台無しにする。大津市の事件は全国の教育界に対する警鐘である。

◇八ツ場が前進する。国交相は早期完成を表明(27日)、同日大澤知事は石破幹事長等自民幹部から、「一日も早く着工」の発言を得た。

 建設に向けた長い血みどろの歴史とあそこまで積み上げた現状の無視は民主政権失政の象徴だった。人を生かす為のコンクリートである。(読者に感謝)

「楫取素彦読本」は、煥乎堂書店(℡027-235-8111)でも販売することになりました。定価300円

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2012年12月27日 (木)

人生意気に感ず「安倍晋三と吉田松陰。楫取素彦読本煥乎堂で。一太入閣」

◇安倍首相は、政治の信頼と安定をある程度取り戻す可能性がある。そんな気がするのだ。尊敬する人に吉田松陰、座右の銘として「至誠にして動かざるもの未だこれあらざるなり」をあげる。政治家はよく自己アピールを取り繕うためにこれらの項目を書くが、安倍晋三の場合は違う。恐らく自然のかたちで精神の要素になっているのだ。

 山口県萩を訪ねると人々は松陰先生と呼ぶ。教育者松陰の人気に驚く。「至誠にして・・・」の言葉は吉田松陰が座右の銘とし行動の指針としたもの。山口県教育会は、「全国の小学生をはじめ世のお父さんお母さんにも広く活用されることを心から祈念して」吉田松陰読本を発行した。

 この本の冒頭には「至誠にして」の松陰の書が掲げられ、これは松陰が江戸へ行く前に書いて小田村伊之助にあたえたという説明がある。

 長州はかつて維新を実現させた人物を輩出したが吉田松陰は教育者としてその卵を育てた。その影響は今に至る迄測り知れない。安倍晋三もこのような風土と歴史的背景の中で育ったものと思う。

◇なお、「松陰読本」の江戸へ行く前とは処罰で江戸へ送られる前の事であり、小田村伊之助とは、松陰の妹を妻とした群馬の初代県令楫取素彦のことである。

 今年は、楫取素彦を顕彰する諸行事があった。内憂外患の国難に当り、吉田松陰や楫取素彦を通して近代日本の原点を見詰める意義は大きい。こう考えると安倍新総理が身近に感じられる。

◇楫取素彦顕彰会発行の「楫取素彦読本」はこれまで顕彰会事務局が購入希望に応じてきたが、昨日(26日)から、合わせて、煥乎堂書店でも対応することになった。定価300円なので多くの人に読んでもらいたい。

◇未来の党が内部混乱を起こしている。小沢一郎を党共同代表にと小沢系議員が譲らないらしい。嘉田代表が総選挙前に小沢一郎と組んだことが大誤算だった。小沢氏の経歴とダーティーなイメージは彼女と合わない。「小沢氏を使いこなす」というのも大甘の誤算だった。小沢一郎も最後で浮上出来ないだろう。

◇一太さんが沖縄北方担当相として入閣した。鋭い舌鋒に重み、中味を期待したい。安倍政権の失敗は日本の失敗と語った。頑張って欲しい。(読者に感謝)

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2012年12月26日 (水)

人生意気に感ず「安倍政権スタート。岸信介の覚悟。萩の工女と富岡製糸」

◇安倍政権がスタートする。野田聖子総務会長、高市早苗政調会長等、党三役に女性をあて、また、小渕優子を入閣させるなど女性重視が目立つ。本県から小渕優子と山本一太が入閣するのも話題である。本県から2人が入閣するのは平成20年麻生内閣の中曽根弘文、小渕優子以来。

 安倍政権にはいろいろ注目点がある。総理2度目は異例で戦後異常時の吉田茂以来だ。平成19年の突然の首相辞任に対しては総理の重圧に負けて育ちの良いぼっちゃんが逃げ出したと非難ごうごうだった。安倍さんはこの時地獄を見たと評する者がいる。今回の総裁選出馬は大変な覚悟と決断であったろう。地獄から生還して一回り大きくなった政治家安倍晋三を見る思いだ。

◇安倍さんを支えた背景には祖父岸信介の姿があったと思う。岸は、かつて「回想」の中で死を決意したことが3度あると語った。最初はサイパンで敗れたら降伏すべしと主張して東條首相と全面対決した時、2番目はA級戦犯として絞首刑に怯えた時、3番目は安保改定時だ。安保の時、幼児晋三は祖父のまわりでアンポハンタイと叫んでいたことは有名な話だ。岸は「総理は一国の運命を背負って日本のため国民のために、やらなければならないことは死を賭してやる覚悟を持たなければならない」と語っていた。政治家安倍晋三をつき動かした言葉だったと思う。

◇今年の私の大きな出来事の1つに、楫取素彦を通して萩市の人々と絆をつくったことがある。11月4日に来橋した萩の人たちに贈る一文を書いた。萩と富岡製糸の関係である。

 殖産興業の柱として富岡製糸を作った中心に萩出身の伊藤博文がいた。政府の「閉場」方針に反対して西郷従道に意見書を書いた楫取も勿論萩である。

 私は文の中で萩の工女のエピソードを紹介した。明治6年、山口県応募の女性の中に30人の萩女がいた。横浜から新橋までは前年日本で初めて開通した汽車に乗り、東京から富岡までは40台の人力車が走った。街道の人々は目を見張ったという。山口の工女の特別扱いを泣いて訴える他県の工女の姿も。萩の2人は病で死に、仲間の工女は金を出し合って墓をつくった。製糸場近くの龍光寺である。天上で2人は同郷の吉田松陰や楫取素彦と昔を懐かしく語り、世界遺産登録に驚いているだろうと書いた。(読者に感謝)

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2012年12月25日 (火)

人生意気に感ず「警官の凶悪犯罪。内憂外患。オウムの信者。教員心の病」

◇富山県警現職警部補の凶悪犯容疑逮捕はまたかという衝撃を国民に及ぼしている。容疑は2人の殺人、放火、死体損壊。県警本部長は「現職警官が極めて凶悪な事件を起こしたことは痛恨の極み。猛省し再出発しなければ」と長く頭を下げた。昆虫博士と呼ばれ、町内会長だった。一方、遊興費に使ったらしい多額の借金の存在から、今後事件の背景としていろいろ出てくるだろう。

 警察官の不祥事が多過すぎる。最近、懲戒免職が急増している。私は警察担当の議会常任委員会委員としてこの問題をいつも取り上げている。群馬県警は危機意識をもって気の毒と思える程真剣に取り組んでいる。他県も同様だろう。それでも起きるところに深刻さがある。警察力の役割が最も大きい時代状況下、志気が緩み威信が落ち警察力が低下することを恐れる。

◇内に国家崩壊の危機、外からは外国の脅威、正に内憂外患である。私は幕末の日本と似ていると思う。因みに、「内憂外患」の語の初発は、幕末水戸藩の徳川斉昭だと言われる。

 今日の内憂は、政治不信、大災害、原発、不況、日本人の心の問題等余りに多い。不安な時代にあって、警察は安全安心を守る重要な砦。警察の再建は社会全体の問題だから、警察だけに任せるのではなく、国民が警察を支える時である。

◇外患の最もるものは北朝鮮のミサイルである。人工衛星と主張するが長距離弾道ミサイルだという事が明らかになった。アメリカ本土まで射程に入る同心円の直近に位置する日本。時代に逆行し国民を飢えさせ大韓航空機爆破、日本人拉致など大犯罪を繰り返してきた非道の隣国は最大の脅威である。日本を守らねばならない。健全な愛国心を持たねばならない。

◇前代未聞の犯罪を起こし多くの死刑囚を出したあのオウム真理教事件は記憶に生々しいが、若い人たちにとっては過去のものになりつつあるのか。オウム真理教の流れをくむ「アレフ」や「光の輪」に入信する若者が増えているという。最近の入信者は255人と報じられた。日本人の心の危機を示す事実なのか。夢を持たず不安の海を漂う若者の姿は日本の危機の象徴である。

 ◇文科省調査では心を病む教員が依然多い。11年度、本県病気休職105人中47%の49人が精神疾患。予備軍は多いだろう。教育を支える教員の危機こそ日本の根本的危機である。

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2012年12月24日 (月)

『炎の山河』第五章 地獄の満州 第8回

② ソ連の惨敗。-野獣のソ連兵―

不安は、ソ連の日本に対する宣戦布告、ソ連軍の満州侵攻という形で現実のものとなった。八月九日のソ連軍の侵攻を機に、青少年義勇軍によって始められた開拓村も、その他の開拓村も、この予期せぬ出来ごとに大混乱に陥った。

 そして、混乱の中で、北満の果てに取り残された人々の逃避行が始まった。事態は、時を追って深刻となっていった。松井かずのもとへも、天皇の敗戦を認めるお言葉が正式に発表されたというニュースは届いた。日本の勝利を信じ、それだけを頼りに頑張ってきた開拓村の人々は、彼らの心を支えていた心棒が引き抜かれたように呆然として天を仰いだ。しかし、過酷な状況は、人々に一刻の猶予も許さない。ソ連軍が迫る。そして、日本の敗戦を知った中国人の暴徒が迫る。これらに追われて、松井かずたちの地獄の逃避行が始まった。

 前橋郷の人たちは、団体部に集まって直ちに避難することになった。しかし、わずかの食料と衣類を持って出発しようとした矢先、奉国農場は、馬に乗った賊に襲われた。彼らの目的は物盗りであった。抵抗する者は酷く打ちのめされた。松井かずは、一人の老人が賊に殺された場面を語る。

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2012年12月23日 (日)

『炎の山河』第五章 地獄の満州 第7回

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

 川の両岸はかなり高い崖になっていた。松井かずは水から頭を上げ、ふと崖の上を見上げて驚いた。そこには、中国人が鈴なりになって娘たちの戯れを見物しているではないか。視線が合うと、見物人の表情は、一瞬戸惑い、そしてすぐ笑顔に変わった。手を振る人、声をかける人もいる。娘たちは、下から力いっぱい手を振った。

 松井かずは、中国人たちが初めて自分たちに向けた自然の笑顔を見て、とても嬉しかった。満州の農村では、人々は、一般に風呂に入らない。そして、女は人前で手足の他は体を見せないのである。だから、日本のクーニャン(娘)が下着一枚で水に入っていることが、彼ら中国人にとっては驚きだったに違いない。

 川は、上と下で呼びかわす声でにぎやかであった。松井かずは、日本人が負けるというあの中国人教師の言葉もすっかり忘れていた。

 現地の習慣がいくらか分かりかけ、現地の人の中に入り知り合いが増え始めたころ、ある不穏な噂が始めていた。それは、いつか、松井かずが中国人教師から聞いたのと同じで、日本が負ける日が近いというものであった。まさかと思っていたことは、本当だったのか。松井かずの胸に不安は黒い雲のように広がっていった。前橋のこと、吾妻の両親や兄妹のことが、次々に頭に浮かぶ。そして、肉親から離れ、この異国の果てに取り残されるという不安が、松井かずを押しつぶすように重くのしかかった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2012年12月22日 (土)

『炎の山河』 第五章 地獄の満州 第六回 

勤労奉仕隊は、みなよく働いた。20代の数人の娘たちに混じって、尋常高等小学校を終えたばかりの少女もいた。日本から来た彼女たちにとって労働は辛かったが、これもお国のため、これが私たちの戦争だ、皆こう思って頑張った。

 松井かずたちを慰めるもの、それは、満州の自然であった。満州の自然はダイナミックに移り変わる。雪が溶けて厳しい冬が去ると、一気に夏が近づいてくる。5月が半ばを過ぎる頃には、初夏のような日射しが降り注ぐようになり、6月になると、いろいろな花が満州の野に一斉に競うように咲き出す。

 小さな紫色のスミレが、広い広いじゅうたんを敷いたように咲いている。集落のまわりには、あんずの花や大きな花房のサクラソウの花が咲き、また、むせかえるようないい匂いを放って白いアカシアの花が至る所で咲き出す。北満の平原は、春を飛び越えて一気に夏に向かうようであった。花の楽園の中で、若い女たちは、しばし血生臭い争いごとを忘れることができた。

松井かずたち勤労奉仕隊の若い女は、現地の人を見ると、遠くから手を振り会釈した。その後しばらくすると、片言で言葉を交わすようになった。中国人は、彼女たちに会うと丁寧に頭を下げて挨拶した。松井かずは、中国人は本当に日本人を尊敬しているのだと思った。

 松井かずは、日本にいたとき、青年学校で五族協和とか理想の国満州ということを繰り返し聞かされ、教えられていたので、中国人と親しくなれることはとても嬉しかった。

 ある時、松井かずが畑仕事をしていると、一人の中国人の若い男が近づいてきて、にこにこしながら語りかけた。男は、中学校の教師であるという。天気のことや作物の出来不出来のことなど、二人は楽しく話していた。そのうち、男は、ふと、厳しい表情になり、土塀の方向を指しながら言った。

「私は、あそこに住んでいた。あの塀も、この畑も、中国人、苦労して作ったよ。それ、みな日本人にとられたよ。しかし、日本、もうすぐ戦争に負ける」

 男はこれだけ言うと、まわりを見ながら逃げるようにその場を去って行った。松井かずは、鍬を握るのも忘れてその場に立ち尽くしていた。男の言葉が彼女の心に重くのしかかっていた。

 中国農民の日本人にたいする態度に変化が見られ、また、日本人を見る目がなんとなく険しくなったと感じられるようになったのは、これからそう遠くない日のできごとであった。

 6月のある暑い日、松井かずたちは、下着一枚になって近くの川に入り、水と戯れていた。どこまでも突き抜けるように青く澄んだ空の下、降り注ぐ夏の日差しを浴びて、川の水は実に心地よい。松井かずは、子どものように仲間と水を掛け合ってはしゃいでいた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2012年12月21日 (金)

人生意気に感ず「女性大統領出現のドラマ。北朝鮮。獄中のネール」

◇黒人大統領オバマの出現に次ぐ衝撃が韓国の女性大統領の誕生である。喜びに沸く韓国民は、「米国でも実現していない世界に誇るべきこと」と語る。アジアの民主主義の先頭に立つ日本も及ばぬ快挙だ。そして、韓国の民主主義が激しい流血を乗り越えて進んできた事を思う。槿惠(パククネ)氏の出自(しゅつじ)と歩みに小説よりも奇なるものを感じる。

 父母は暗殺された。父の朴正煕元大統領はクーデターによって政権を奪取した人物だがかつては日本軍の将校だった。朝鮮が日本の植民地だった頃、日本が創設した満州国の軍将校だったのである。

 朴正煕は現代韓国形成に最大の影響を及ぼした人物といわれる。18年の長期政権で韓国の近代化と奇跡と呼ばれる経済発展を成し遂げた。熱狂的なファンが多い一方で、人権弾圧を怒る激しい反対運動があった。娘は父の政争を見て育った。大統領である父を狙った凶弾で母が死に数年後に父は側近に射殺された。

 時を経て娘は国を救いたいと国会議員になった。議員として遊説中ほおを切られた事もあった。美貌に包まれた強い信念と高い志が伺える。韓国も格差の問題等を抱え危機にある。娘は再び国を救うために立ち上がった。

 「私には面倒を見る家族も、財産を譲る子どももいない。国民だけが私の家族であり、国民の幸福だけが政治をする理由だ」と遊説で訴えた

槿惠は激しい選挙戦を制して韓国初の女性大統領となった。20日、父母の墓前に当選を報告する娘の姿が報じられた。

 私は、激動の韓国で熱いるつぼから時々現れる政治家に感動する。今回の女性大統領及び死刑判決や拉致殺害の危機を乗り越えた金大中元大統領もその例。日本の明治維新を思わせる。私たちが学ぶべき点は多い。

◇朝鮮半島の北と南を対比するときその真逆の姿に圧倒される。民主主義の理念を否定する世襲・独裁制の下で、国民を飢えさせて凶器を磨く北朝鮮の様はおとぎの国である。北は、今回の南の女性大統領誕生をどう見ているだろうか。

◇日本の生きる道は平和憲法を掲げ、文化と技術でアジアのリーダーになることだ。アメリカとの同盟を活かし、韓国と連携して中国の覇権主義に対抗せねばならない。かつて獄中のネールは娘に語った。少年時、ロシアを破った日本に感動したがその後日本は変わったと。歴史の教訓を活かし日本が再び飛躍する時だ。(読者に感謝)

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2012年12月20日 (木)

人生意気に感ず「新酒・名峰赤城。景気対策。女性大統領。土下座」

◇忘年会のシーズンたけなわである。その中で、昨夜「名峰赤城」新酒発表会に出た。富士見商工会主催で前橋市制施行120周年記念事業の一環でもある。

 私は挨拶の材料として漫画「夏子の酒」に触れた。新潟の蔵元の娘夏子が酒作りに打ち込む。米作りの苦労、伝統の技を支える杜氏(とうじ)、ほのぼのとした農村の人間関係、そんな中で新酒が作られる迄の物語が私の胸に甦っていた。胸の内を踏えて、天下大乱の中で地域の伝統産業を守ることの大切さを述べた。大きな広間には明るさと活気が感じられ、それは最近の政治の大変化と関係があるように思えた。

◇円安と株高が進んでいる。列島を覆っていた鉛色の雲の一角が破れ青空が現れたようだ。出口を見つけられないで渦まいていたエネルギーが安倍新政権への期待で動き出したのだ。重症の日本再生には決断が要る。安倍総裁は大胆な金融緩和と公共投資拡大でデフレを脱却させると訴え大勝した。

 自民党・新政権の政策の柱は、10兆円程度の大型補正予算の編成と日本経済再生本部の新設である。民主党は「コンクリートから人へ」を掲げたが、人を活かす為のコンクリート、つまり社会のために真に必要な公共投資は不可欠である。近づく巨大地震対策はその一例だ。本県の「八ツ場」も進むだろう。

 新政策への懸念は国の借金を更に増やすことだ。ギリシャのような事態は避けねばならない。そのために、日銀との政策協定により物価上昇率の目標を2%に定めようとしている。

 失敗は許されない。来年7月の参院選で国民は厳しい審判を下すからだ。

◇日本の選挙戦と並走するように韓国の大統領選が進んでいた。全国民参加の熱狂振りは韓国のエネルギーを物語っている。韓国初の女性大統領が誕生した。直接選挙だから可能だった。隣国の大変化は日本にどのような影響を与えるか。「竹島」は依然緊迫している。

◇26日に新政権が発足するが、注目点は本県から2人の閣僚が出現する可能性だ。小渕優子さんと山本一太さんである。2人は、18日の県議団との顔合わせの時、期するところがあるのか意気軒昂に見えた。私は、しっかりした国家観をもって欲しいと求めた。

◇今朝はナナの水に氷が張った。重装備で走りながら土下座した落選議員を思った。政治は公器。土下座では政策は伝わらないのだ。(読者に感謝)

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2012年12月19日 (水)

人生意気に感ず「当選議員の顔。遅刻した新人。供託金没収。敗戦の弁」

◇衆院当選者と自民県議団との顔合わせが県連で行われた(18日)。当選者の顔ぶれは、2人の現職(佐田、小渕)と3人の新人(笹川、福田、井野)。全区当選者が並んだ姿は今回の歴史的勝利の縮図である。

 須田幹事長が「自民が高く評価されたのでなく敵失の結果である。おごらず謙虚に一歩一歩着実に」と挨拶。時間を間違えて約1時間遅れたある新人は、選挙区の長老県議から、初めからこんな事でどうするのだと怒られ全員に頭を下げ謝っていた。

 記者退出後の意見交換では県議と国会議員との連携を密にする為に定期の会合を増やす等の提案があった。私は、「国会議員はこの国をどう導くかについての哲学や国家観を養い国民に示して欲しい」と発言した。

 政治不信の一因は国会議員が国家観をもたぬ点にある。木の葉のような議員が春の嵐に飛ばされるように落選した事はよかったと話そうとしたが止めた。

 「ガールズ」とか「チルドレン」と呼ばれた人々は、春の世の夢の如く消えた。政治は数と考え、前回、風に乗じて彼らを国会に送り込んだ政治的責任は大。政治の停滞、混乱、政治不信をつくり、民主政治を衆愚政治に堕落させる危険を生じた。当選した新人を大挙引率して北京詣でしたかつての小沢一郎の行為は、振り返って、日本の政治の弱さの実態を中国に暴露した国辱ものではなかったか。

◇今回選挙の問題点の1つは低投票率である。本県は60%に至らなかった。当選者との会で配られた選挙の資料に法定得票数、供託物没収点の数字がある。法定得票数とは当選と認められる為の最低線。つまり、それ以上でないとたとえ1位でも当選とはならないことを示す基準となる数字。選挙の正当性を守る数字といえる。有効投票数の6分の1(公選法)で1区では35072票。また、没収点は、それに至らないと供託物(供託金)が没収される数で有効投票の10%(公選法)。1区では21043票だった。因みに、1区では、未来の後藤新氏と共産党の生方秀男氏は共に、法定得票数、供託物没収点に届かなかった。没収金額は600万円。小選挙区300万円、重複立候補の比例区300万円の合計である。供託金の制度は立候補の濫用を抑える意味があるが、日本は諸外国に比べ高いとも言われる。

◇野田総理決断の解散時期に関する敗戦閣僚の弁。真紀子氏は誤ったと怨み、前原氏は選挙は自分の責任と語った。敗戦の弁に見識が現れる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河 第五章地獄の満州」を連載しています。

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2012年12月18日 (火)

人生意気に感ず「田中王国崩壊。戦争やる国。安倍の記者会見」

◇一代で築いた巨富を放蕩息子が消滅させる。田中真紀子の選挙を見て思うことだ。父角栄が越後で展開した前代未聞、鉄壁の砦だった。ロッキードで司直の手に落ちたとき雪の農村を巡りマイクを握った男に後援会の人々は空前の票でこたえた。あの角栄の選挙を思い出す。

 自民党を出て自民党を攻撃する真紀子は聴衆に叫んだ「こんな自民党に賛成の人は手をあげて下さい」と。民衆の反応は衝撃だった。「ハーイ」、「ハーイ」と少なからぬ人が手を上げ、「民主党は終わりだ」の声も。田中王国崩壊を象徴する光景であった。

◇元総理や8人の閣僚の落選を指して、落ちるのが当然の人達だったとある評論家は論じた。外国からは増幅されて見えるだろう。

 くるくる替わる軽量浮薄な国家指導者たちが強(したた)かな中国になめられるのは当然だ。尖閣への挑発はこれを物語る。ナショナリズムとは縁がないような日本国民もさすがに耐えられなかった。

◇「戦争をやる国に戻る」という見方は当たらない。今回の自民の大勝利は、振り子が簡単に逆に動くことを物語る。自民党が変なことをすれば次の選挙で必ず敗れる。今回の選挙は日本の民主主義が健在であることを示したともいえる。

 当選者の約9割が憲法改正に賛成という。憲法はどのようにも変えられると思う人がいるが違う。改正権には限界があって現憲法存立の基盤たる平和主義を変えることは出来ない。戦前の軍国主義に戻るなど荒唐無稽である。日本を守るために真に必要な防衛費は増やさねばならない。

 憲法改正前に出来ることは海上保安庁や海上自衛隊の充実だ。思い切った財政措置は中国やロシアに対する明確なメッセージになる。

◇安倍総裁の記者会見で注目すべき点がある。1つは、「尖閣は日本の領土で交渉の余地はない」と言い切った点。中国に対する強い意志の発信である。私は今後、尖閣に対する領海侵犯などの挑発行動は少なくなると思う。2つ目は、憲法96条(改正条項)の改正に触れた点。多くの国民が改正を願っても、いずれかの議院の3分の1を超える議員の反対で国民は指一本触れられないと指摘した。96条は、両院それぞれ3分の2以上の賛成を要している。だから、この改正条項の改正に先ず取り組もうというもの。憲法改正については、憲法のイロハから議論する必要がある。今回の選挙はこの事をクローズアップさせた。(読者に感謝)

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2012年12月17日 (月)

人生意気に感ず「劇的結果。大物落選。小沢落城。異常な無効票」

◇歴史に記される1日は長い。はやる心で夕刻を待った。新聞やテレビは口を揃えて自民優勢を伝えていた。捲土重来を期して3年余を耐えた思いがこの日を最後と積っていた。

 午後7時を過ぎる頃選挙事務所には報道陣が詰め掛けた。多くの人々がテレビの前で固唾を呑んで待った。佐田玄一郎当確がNHKで報じられたのは83分。「ワァー」と歓声が上がった。

 私は選対本部長として最初に壇上に立った。皆さんのお陰で勝利出来ました、歴史の1頁を開くことが出来たのですと挨拶。事務長の町田さんは尾身幸次さんの貢献を称えた。尾身さんは短期間だが候補者のように頑張った。

 祝いを述べる尾身さんを見て平成21年のあの瞬間を思い出す。8月30日、午後8時直後宮崎岳志氏の当確が出て尾身氏は落ちた。前夜の打ち上げで命がけで戦いましたと語った尾身さんは、人事を尽くして天命を待つというところまで頑張りましたが不徳の致すところでと敗戦の弁を述べたのだ。今回は宮崎氏が敗戦の弁を語っていた。

◇県会から出た候補者に注目していた。後藤新氏は惨敗し、法定得票に至らなかった。長谷川嘉一氏も落ち、笹川博義氏は当選。後藤、長谷川両氏は厳しい浪人時代を耐えて臨んだ選挙だった。政界を諦めるという見方がある。

◇選挙を長くやった者として、勝者、敗者の姿は身にしみる。落ちればただの人といわれるがその差は天国と地獄。大きな番狂わせは迫真のドラマだ。田中真紀子、仙石由人、藤村修、平野博文らの大物が落選。新潟5区の異変は巨大地震を思わせる。天国の田中角栄はどんな顔で娘を見ているか。駒場寮で同室だった松宮勲君は、民主福井3区から出て落選。残念だ。

◇乱立新党では注目したのは、維新と未来。幕末維新を思う。「維新」の名を辱めるような軽い人々の集まりは看板倒れの感。石原慎太郎の存在に違和感を抱き危なかしさを感じた人は少なくないだろう。未来は小沢一郎を入れたことが誤算だったのでは。ところで、小沢軍団は壊滅的惨敗で「小沢ガールズ」も軒並み落ちた。政治は数だとして、議員を駒と考えるやり方は大きな政治不信の原因だった。

◇無効票の異常さは何を語るか。1区5789、2区7166、3区7624、4区5737、5区10764。この無効票の主なものは白票らしい。低投票率とつながる問題だ。(読者に感謝)

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2012年12月16日 (日)

『炎の山河』 第5章 地獄の満州 第5回

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

松井かずたち勤労奉仕隊の者は、前橋郷の一画にある奉国農場に案内された。大きな土塀に囲まれた広い土地に粗末な家が散在している。何もないところであった。トイレもなかった。用を足すのは、外の野っ原の適当な所でという具合だった。いかに異常な戦時とはいえ、それは若い女性に耐えられることではない。そこで、掘立小屋をつくり、穴を掘ってトイレにした。

この奉国農場には、既に先着の十数名がおり、これに松井かず等21名が加わって、共同作業、共同生活をすることになった。昭和20年6月上旬のことであった。周りの平原は、視野の限り一本の木もなくどこまでも続いている。ところが、夜、暗闇に目を凝らすと、遥かかなたの高い所にかすかな光が見える。初めは星かと思ったが、そうではない。星は、そのまた上の空に小さく光っている。「あれは、山の人家の火なの。あの山の向こうは、ソ連なの」

先輩の勤労奉仕隊員が言った。

松井かずは、ここで初めてソ連を身近に感じた。ついに、こんな所まで来てしまったのだと思った。この時、彼女の頭に、前橋の製糸工場にいたとき、青年学校の先生がよく言っていたことが浮かんだ。

「ソ連は恐ろしい国で、この戦争、どちらが勝つか、大蛇の目でじっと見ている。そして、勝つ方について、負ける方を呑んでしまう」

 その恐ろしいソ連にこんなに近い所まで来てしまったと、彼女は、この教師の言葉を思い出して身震いした。そして、遥か彼方の山の光が、開拓民の様子をじっと伺う大蛇の目に思えてならなかった。松井かずの恐れる大蛇は、意外に早く現実の姿となって現れることになる。

 落ち着く間もなく、農作業に取りかかった。作物は、主に、トウモロコシ、大豆、ジャガイモ、小麦、コォリャンなどであった。日本の畑と比べて桁違いに大きな畑であるから、さくも長い。鍬でさくを切ってゆき、途中で汗を拭きながら、背の低い柳の下へもぐり込んで休む、そしてまた、鍬をふるう。一本のさくを切って向うまでゆき、また、さくを切って戻ってくるとお昼になる。

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2012年12月15日 (土)

『炎の山河』 第五章 地獄の満州 第4回

松井かずたちを乗せた列車は、朝鮮から満州に入り、一路黒龍江省の克東(こくとう)県に向った。満州の平原は広い。行けども行けども、同じような広大な平野が続き、尽きることがない。地平線の上の真っ赤な太陽が、いましも沈もうとしている。日本で見る夕日の十倍も、あるいはそれ以上もあろうかと思われる夕日が落ちてゆく。松井かずは、落ちる夕日を前にして今まで味わったことのない不安にとらわれた。この列車も、平原も、あの地平線の所で太陽と共に底無しの暗い淵に落ち込んでゆくのではないかと。列車は、松井かずの不安を増幅させるように、汽笛を鳴らし、鈍い車輪の音を引きずりながら、曠野の闇をひたすらに突き進んだ。

新京、ハルビンと列車は進み、やがて目指す北安(ペイアン)の克東県に着いた。群馬の片田舎のよりもっと侘しい駅である。彼女たちが心細い気持で駅に降りると、開拓団の人々が出迎えに来ていた。彼らは、バケツにいっぱいのむすびを作ってきて遠来の同志に配った。

松井かずは、配られたむすびを手にして、〈ああ、とんでもない所へ来てしまった〉、と思った。むすびの米は、今まで見たこともない黒っぽいもの。それに岩塩をつけて食べるのだ。〈どんな生活をしているのだろう〉、むすびから想像されるこれからの生活が一段と不安になるのだった。

2、3時間歩いて、前橋開拓団の拠点、前橋郷に着く。ここで、松井たちは、更に驚いてしまう。土を重ねて作ったような家は、日本から来て初めて見る者にとっては、人が住む家というにはあまりにも異様なものに映った。

「なんだろう、この家は」

松井かずは思わず叫んでしまった。そして、〈私たちは、恐ろしい所へ来てしまった〉という後悔と不安が胸の中で黒い雲のように広がってゆくのだった。(読者に感謝)

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2012年12月14日 (金)

人生意気に感ず「終盤の情勢。拉致・尖閣・日本人の心。尼崎連続変死事件」

◇いよいよ残されたのは2日間。終盤の詰めである。昨夜、群馬全区のいろいろな情報を得た。16日は大変な結果が実現するかも知れない。

 捲土重来を期して耐えた3年余。政権を握る民主党だけが戦いのターゲットと考えてきた我が党にとって意外なことが生じた。西からの2つの旋風、「維新」と「未来」の出現である。

 しかし、2つは恐れたようには伸びなかった。維新には石原慎太郎が、未来には小沢一郎が加わり、当初のイメージが変わってしまったからだ。第三極といわれる新党は有権者の支援を分散させ結果的に自民党は有利になった。

 一区は利根、沼田の昨日の集会で大きな盛り上がりを見せ、心配した2区も予想外に伸びて優勢となった。

◇北朝鮮のミサイル発射を世界が非難し日本も抗議している。この動きは拉致問題に影響を与えるのは必至。協議できる状況でなくなったからだ。我が自民党にも拉致議連があり、私たちは強い懸念を寄せている。横田めぐみさんの両親の落胆する姿が報じられた。

◇今回の選挙では外交も大きな争点。「拉致」や「尖閣」は主権に関わることであり、国の防衛と国民の安全を脅かす問題だ。昨日も中国の公的飛行機が領空を侵し、中国の領土だとうそぶいた。

 外交の失敗、弱腰外交も改めねば日本人の心は上向かない。サムライの心を取り戻すことは日本の浮沈に関わる重大事だ。やれば出来る事を示す例として、かつて小泉首相が訪朝し金正日に拉致を認めさせ謝罪させた事がある。

 現在の日本は外患に脅えた幕末によく似ている。安倍総裁の言動の背景には長州の歴史が感じられる。父親の晋太郎の「晋」は高杉晋作からとったと聞いた。安倍晋三の晋も同じ流れであろう。今回の選挙で、日本人の心を取り戻すことは重要な争点だと思う。

◇今日の犯罪現象には病める社会、そして、日本人の心の問題が背景にある。オウムがそうだったし、最近の尼崎連続変死事件も同じだと思う。根本的に解決しなければならない。

「尼崎」も前代未聞の怪事件だと思っていたら、中心人物の角田美代子容疑者が留置場で自殺した。警察の失態の意味は重大である。多くの人が動物のように扱われコンクリート詰めにされた。死刑も有り得た犯罪だろう。自殺を漏らしていたのに何たることか。

◇今日は大変な一日になる。早朝の青果市場、議会の終幕、午後各地の決起集会と続く。(読者に感謝)

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2012年12月13日 (木)

人生意気に感ず「鎧人骨を見た。最後の選対会議。ミサイル発射」

◇榛名山麓の火山灰から出土した鎧着装人骨のニュースは瞬く間に日本中に伝わり注目を集めている。県には11日各地から問い合わせ電話が殺到。「楫取素彦」でお世話になっている萩市の中原正男さんからも、「今朝のニュースに驚きました。ポンペイのようですね」とメールがあった。鎧の人骨は古代のメッセージを伝える使者であり、殺伐とした現代社会に生きる人々にロマンを与えているようだ。

 12日、昼休みの時間を利用して渋川市金井東裏遺跡現地を見た。ヘルメットをつけた人々の長い列が斜面下の遺物に向かっていた。火山灰に囲まれ半ば土と化した茶色の塊が鎧と人骨だった。生後数ヶ月の乳児の頭骨が共に出土した。鎧の武人と乳児の関係は何か。怒りほえる火山に向かって武人は乳児を守ろうとしたのか、想像をかき立てる。鎧の調査から当時の社会に関する様々な事が分かるだろう。歴史とは過去との対話である。

◇歴史的な選挙も残り3日となった。夜8時からの拡大選対会議には多くの役員が集まり、27ヵ所に及ぶ地区別決起大会とベイシア文化ホール大集会につき細かな対策が協議された。これと同様の組織力をもちながら前回は敗れたのかという感慨を抱いた。尾身と佐田、両方の選対本部長を経験する私にはその違いが気にかかる。複雑な状況の中で、今回の組織力と作戦がどのような成果を生むか。結果を見る時が刻々と近づく。

◇北朝鮮が遂に、12日、国連決議に反して長距離弾道ミサイルを発射した。県危機管理室も万一の事態に備えて対応に当たったが事なきを得た。

 最も危険な隣りのテロ国家はまたレベルをアップさせた凶器を手に入れた。経済が破綻し国民が飢えている状態で軍事力に生き残りをかける不思議な国北朝鮮。「先軍政治」を憲法の国是とするこの国は核を持とうとし、核を運ぶ手段を手に入れたと世界に誇示しようとしている。

 今回のミサイル発射は日本の国防問題を国政選挙の渦中で問うことになった。北朝鮮のミサイルは日本に突きつけられた銃口である。

 安全安心な社会の実現が今回選挙のテーマとなっているが、安全安心は災害、治安等の国内問題だけではない。内憂外患というように、安全安心が外患によって脅かされている事を、ミサイル発射は改めて示した。憲法改正と結びついた問題である。(読者に感謝)

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2012年12月12日 (水)

人生意気に感ず「終盤の緊迫。原発活断層の衝撃。前高OB会」

◇いよいよ終盤。かつてない乱戦、混戦。様々な党の様々な候補者が様々な思いでゴールを目指す。16日の投票日は即日開票の結果全国で限りなく迫真のドラマが生じるに違いない。歴史的瞬間の光景を思うと身内が締まるようだ。

 選挙事務所も緊張が増している。候補者カーを送り出した後、私は朝礼で訴えた。「いよいよ終盤です。これからの戦い方に勝敗がかかっています。必勝を信じ心を合わせ新しい歴史を作るために頑張り抜きましょう」

 各役割の担当者が一日の予定を報告し、その場でランダムに指名された者が檄の音頭を取る。慣れて定着した朝の儀式も残り3回となった。議会に向かう車中では無数の候補者の政見が小刻みに流される。心に届く言葉はどれか。寸鉄人を刺す表現はない。

◇この日、放射能対策特別委員会が開かれ、最初の質問者として発言。前回の9月議会で私は隣県の原発に関するトラブル情報を知るシステム作りを提案(1012日)、担当官は刈羽原発等に関しそれを進めていると答え、新聞は大きく報じた。その続きの質問である。

 トラブル情報を如何に知らせるか。「3.11」では重大な情報を隠したことが不信を生み風評被害の原因をつくった。情報は県民のものという事を基本にすべしと強調。担当官は年内を目途に公表に関する基準を作ると答えた。

◇福井県敦賀原発の原子炉直下の断層が活断層の可能性が高いと原子力規制委員会が判断した(10日)。事実なら廃炉になるだろう。この隣県・滋賀には近畿の水がめ琵琶湖がある。水がめ擁護を訴える嘉田党首の「みらい」にどのような影響を与えるか興味がある。

 廃炉となれば、「3・11」後では、フクシマ事故原発以外で初となる。

 活断層の疑いで現地調査対象の原発は全国で6カ所にのぼる。福井の敦賀以外は、大飯(福井)、滋賀(石川)、美浜(福井)、もんじゅ(福井)、東通(青森)の各原発。福井県に集中している。

◇活断層問題は衆院選に影響を与える可能性がある。夜の選対会議で、50%は投票先を決めていない、これは原発で動く可能性がある票であると警戒を訴えた。

◇県職前高OBの会に出た(12日)。一角のテーブルの異彩に気づく。新入生だ。新しい血液ですねと挨拶。時局を語る中、衆院選にも触れた。(読者に感謝)

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2012年12月11日 (火)

人生意気に感ず「雪の沼田・尾身の集い。甲の人骨・大魔人甦る」

◇夜の関越道には雪が舞っていた(10日)。高速を降りて沼田市に入ると止んでいたが目的地・ディランの敷地には厚い雪があった。雪を踏んで集まる人々を目で追いながら中を想像する。

 ホールの入口に立って一人一人に握手する尾身幸次さんの姿があった。近づくと「重要な多くの人が話すから挨拶は短く」と耳打ちする。

 佐田玄一郎支援を訴えるため急遽計画された集いには、利根、沼田のほぼ全ての行政のトップ、主要な議会人、そして、尾身後援会幹部の姿があった。「昨日計画し、数時間前に声をかけた人もいます」と前置きし、日本の現状と未来を憂える尾身さんの情熱と気迫は人々の心をとらえ会場を圧倒した。礼を述べる佐田本人の姿が私には小さく見えた。

 選対本部長と紹介されて立った私は「尾身さんは、同志で、私は長く選対本部長を務めました。今回の佐田選対の本部長に就いたのは政権奪還のためです。非常に重要な意味を持つこの地域の皆さんの熱い心に感謝致します」と述べた。会を終えると外は本降りとなっていた。私は雪でおおわれた広い利根沼田の山河を想像した。それは厳しい戦場の姿でもある。戦いはいよいよ終盤に入る。

◇甲(よろい)着装の人骨が幼児の人骨と共に火山灰から出土し、明日(12日)、1日だけ現地で一般公開される。渋川市の金井東裏遺蹟。国道353金井バイパス建設工事の調査で発見。

 人骨の遺存状態は良好。榛名山の火山噴火の火砕流に巻き込まれた武人が幼児をかばう姿に見える。6世紀初頭、古墳時代後期のものである。

 古墳時代の甲(よろい)着装の人骨が出土したのは全国初のこと。古墳時代において火山噴出物の下からの被災人骨発見も全国初。

 武人は、1500年の時を超え天災の凄さと人間の絆の普遍性を訴える。タイムリーなこの時期を選んで出現したようにさえ思える。

◇09年7月県立歴史博物館で展示された国宝の武人埴輪を思い出す。太田市の長良神社境内出土のこの埴輪は埴輪で唯一の国宝。今回出土の甲着装武人人骨は、このハニワと同時代のものだ。一方で実物の武人人骨、他方で武人ハニワ。関連を想像でつなぐと楽しい。

武人ハニワは、映画「大魔神」のモデルとなった。戦国時代、民衆を虐げる悪人をこらしめるため、優しい目の石像が巨大な魔人となって破壊力を発揮する。今回出土の武人も乱れた社会に対し魔人となって甦る意志かも。(読者に感謝)

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2012年12月10日 (月)

人生意気に感ず「7日のM7.3は天の警告。中盤の選挙点描」

◇どっぷり暮れた夕闇の中、5時半からの選対会議に向かっていた。着くと「大きな地震ですよ」と一人のメンバーが興奮気味に言った。テレビは、東北の海岸に津波警報が出されたこと、そして多くの人々が避難している緊迫の状況を伝えていた。凄い揺れ、と思っていたら前橋は震度4。直ぐに「3.11」の再来かと思った。

 あの時も選挙で動いている最中だった。選挙事務所予定地の小坂子町公民館は厚い灰色の雲の下で、不気味な轟音と共に長く激しく揺れた。あの体験は生涯忘れない。

 いつかまたと思っていたらもう来たのか。M7.3、石巻市で1mの津波。規模はあの時より小さい。しかし、これで収まるのか。テレビは全局このニュースで持ちきりだった。

 被災地で住民は一斉に高台に逃げた。「津波てんでんこ」の古諺(こげん)が生かされたようだ。てんでんこは、ばらばらに、まず自分、を意味する。災難で助け合いは重要だが津波が迫った極限の心得を示すもの。

 行方不明1人、重軽傷11人で警報注意報は解除された。「3・11・M9」の余震だという。専門家は今後M8も起き得ると警告する。

 今回の地震は「3・11」を忘れずに生かせという天の警告である。首都直下、南海トラフ型と、巨大地震が迫る。最大の防災対策は「3・11」を活かすことであることを天は私たちに事実をもって示した。

◇選挙は中盤を進んでいる。佐田・上野・後藤・3候補の事務所がおよそ1キロ以内に陣取る。他陣営は気になるもの。対立する2つの砦にはいつも人影が少ないようだ。外に打って出ていることを示すものか。昔と違い事務所の賑わいは勝利の条件ではないという見方もある。それぞれ、自陣で練った孫子の兵法を実践しているのだろう。

◇6時過ぎ、旧宮城村の私の仲間が陣中を見舞った。来訪者が事務所で臨場感を得て運動員になる。これは選挙戦術の1つの理想である。

 旧宮城村は私の古里。話しが弾む中、尾身幸次さんが現れた。沼田をはじめ1区の主要部を回り、2区の伊勢崎でも自民候補を支援した後の到着である。79歳の長身痩軀に秘めた闘志は健在である。全員に握手した後激励の挨拶をした。自分の利益と離れた、国のためという信念の行動は人々を感動させたようだ。

◇あと一週間、日本の浮沈をかけて戦いは進む。悲喜交々(ひきこもごも)のドラマが列島で展開。天国と地獄の話題満載。民主主義の生きた教材だ。(読者に感謝)

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2012年12月 9日 (日)

『炎の山河』 第5章 地獄の満州 第3回

勤労奉仕隊は、前橋だけで、20人程いた。これに何家族かの開拓民を目指すものを加え一行は前橋を出発し、新潟へ向う。新潟には、満州を目指す人々が、各地から多く集まっていた。

船は直ぐには出発せず、その間、彼女たちは、近くの農家を手伝うことになった。いよいよ新潟港を出版する時、農家の人々は握り飯を沢山用意してくれた。

海は荒れていた。高い波の谷間に、うっすらと佐渡ケ島が上下して見える。佐渡を見るのもこれが最後であろうか。群馬を出るときは強気だった松井かずも、いざ日本を離れるとなると次第に不安になっていった。

丸2日かかって朝鮮の釜山に着く。ひどく船に酔って何も食べられない。このまま死んでしまうのだろうかと、異国の空の下でますます心細くなってゆく。新潟でつくってもらったむすびは、手つかずで、その上、すえてひどい異臭を放っている。松井かずは、処分に困って、10個ばかりのむすびをそっと海に落とした。白いむすびが海面にぷかぷかと浮いている。彼女は、むすびが早く沈んでくれないかと願った。しかし、むすびは、その意思で泳いでいるかのように、そして、自分を捨てた人間を咎めているかのようにいつまでも海面にあった。貴重な食料を無駄にしたことへの自責の念と他人に見られたくないという思いがあった。そして、むすびを作ってくれた新潟の農家の主婦の顔が浮かんだ。

松井かずは、釜山に上陸して、沢山の物乞いの群に驚く。これから先の大陸には、何が待ち受けているのだろうか。不吉な予感におののくが、もう後に戻ることはできない。覚悟を決めようと自分に言い聞かせる。

物乞いに腐ったむすびを与えている仲間の姿が目に入る。物乞いは、それを水で洗って食べている。ああいう利用の仕方があるのか、彼女はむすびを捨てた自分の浅はかな行為を悔いた。このことは、彼女の頭にいつまでも焼きついていた。後に、逃避行で食べる物もなく、一つぶ一つぶのコォリャンを数えるようにして口に運んだ時も、あの海に漂う白いむすびの光景は鮮明に蘇えって彼女に迫るのだった。

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2012年12月 8日 (土)

『炎の山河』 第5章 地獄の満州 第2回

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

 彼女は現在、前橋市広瀬町の市営住宅団地の一角に住んでいる。72歳になるが、かくしゃくとして年を感じさせない。私が帰国者協会のことで連絡すると、それは常に、正確に役員に伝えられ、答えを要するものは、約束通りに的確な答えが返ってくる。複雑な問題でも筋道を通して分かりやすく話すことができる。彼女の体験が語るように満州では大変な苦労をしたに違いないが、その暗さはない。彼女が満州に向けて前橋を立ったのは22歳の時であるが、さぞかし美しい娘であったろう。現在の姿からも、当時の面影をしのぶことができる。

 松井かずの家を訪ねると、壁に一人の老人の写真が掛けてある。いかにも風雪を刻んだ逞しい男の顔である。私がそれを見ていると、彼女は言った。

「私の主人です。平成2年に日本に来て、次の年に亡くなりました。40年間、撫順の炭坑で働いていました。自分の名前も書けない人でしたが、良い人でした」

 彼女は写真の方をちらっと見て、視線を私に移し、50年前の出来事を静かに語りだした。

 松井かずは、既に敗色の濃い昭和20年5月、勤労奉仕隊に参加して満州に向った。彼女が22歳の春であった。彼女は、大正12年、10人兄妹の3番目の子として、吾妻郡原町の農家に生れた。小学校を卒業すると同時に、前橋市岩神町の製糸工場で働いた。彼女の青春は、まさに、険しい戦雲のただ中にあった。ここで十年近く働いた後、6ヶ月間の勤労奉仕ということで中国・黒龍江省に渡ることになった。

 この頃、戦局は、既に日本に極めて不利に展開していた。この年、3月には硫黄島の日本軍は全滅し、東京の空襲もこの3月に始まり、日本中が緊迫した雰囲気に包まれていた。このように、日本の敗戦が間近に迫っている時、敢えて中国満州に渡ろうとする松井かずの行為は、今日の私たちには理解できないことであるが、それが当時の庶民の姿であった。徴用で軍需工場で働くか、六ヶ月の勤労奉仕で中国満州に渡るかの選択に迫られたとき、松井かずは、それ程迷わず、満州を選んだという。当時の異常な雰囲気がそうさせたのであるが、この判断が彼女の運命を大きく変えてゆくことになった。(読者に感謝)

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2012年12月 7日 (金)

人生意気に感ず「自民優勢。教育委員長の役割。ゆかりちゃん事件。栃木県警との連携」

◇選挙の中の議会が進行中である。朝8時、選挙事務所の朝礼で「油断大敵、新聞をそのまま信じると大変、気を引き締めて頑張ろう」と訴えた。

 朝刊各紙は一斉に「自民優勢、単独で過半数」と報じた。選挙は心理戦である。新聞やテレビのアナウンス効果は大。優勢と伝わると、陣営の人々は気がゆるみ戦意が落ちる、また、一般の支援者も、他からそちらは大丈夫だから助けてくれと頼まれて動いてしまう。私はこういう事態になることを警戒したのだ。

 しかし、事務所は活気づいている。メディアだけでなく、様々な情報が入る。とくに、議会には、県下各選挙区の生の情報が集まる。大きな流れが生じつつあることを肌で感じる。民主の激減、にわかに生じた「未来」その他小党の不振などは事実のようだ。

◇選挙で煽られる心を抑えて議会に臨む。9時から図書館広報委員会、10時から文教と警察の常任委員会が開かれた。

「文教」では、委員長に質問した。その中で、私は教育委員会の形骸化が叫ばれる中、委員長の責任は重大である、委員長は、教育が抱える重要な問題につき勇気をもって発言し、事務局を導き、現場にメッセージを発信して存在感を示すべきだと強調した。

 新委員長は、教育長と共に、任に耐えうる人材である。本会議では、議会との意志疎通をはかれという声が上がったが、議会と火花を散らすことも必要である。

 この日、上毛学舎の建て替え問題でバス付きが必要かを巡って議論が盛り上がった。

◇「警察」では、重大事件の未解決は警察の威信と県民の安心安全を脅かすという切り口で太田のゆかりちゃん事件、及び栃木の連続幼女誘拐殺人事件を追求した。

 ゆかりちゃんがパチンコ店から行方不明になった事件を含め5件が栃木との県境半径11キロの範囲で起き未解決のままである。菅家さんが再審で無罪となった事は真犯人が別に存在することを意味する。手口から同一犯の可能性がある。解決のために栃木県警と協力すべしと私は平成22年11月議会で質問したが、本部長は「仮定に基づく質問にはお答えいたしかねる」と答弁した。その後事態の変化があった。

 昨日、刑事部長は、栃木県警とのハードルを低くし、合同捜査会議の設置、警部補の交換などの事実を明らかにした。卑劣な真犯人の逮捕は崩れる社会の歯止めになる。(読者に感謝)

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2012年12月 6日 (木)

人生意気に感ず「若者低投票率。八ツ場の謝罪。2児餓死事件。教育委員長に」

◇選挙戦最中の議会一般質問。某女性議員は若者の低投票率対策を教育長に提案した。高校での模擬投票で他県では実施しているところがある。本県も、というもの。教育長は総合的学習の時間利用等の検討を考えると発言したが明答はなかった。その時議場から「やる気になればすぐにも出来る」と大きな声があがった。声の主は実は私である。

 20代の投票率は約20%。5人に1人とは余りに低い。選挙は民主主義を支える基盤。次代を担う若者が5人に1人しか投票しないとはどういうことか。正に日本の危機というべきだ。

 若者の低投票率の原因を問われた選管委員長は、政治不信、政治的無関心の増加等を挙げていた。そして、若者対策として、中学3年生向け選挙解説刷子の配布、コンビニのレジにピーアール紙を置く等の実施を表明した。

◇注目の質問に南波氏の「八ツ場」があった。私は八ツ場議連会長。「八ツ場ダム」は民主党のマニフェスト失政の象徴。

 南波さんは「ダム継続開始より一年余本体工事着手がない。経過につき謝罪すべき」と訴え、知事の考えを質した。会場からは損害賠償すべきだのヤジも。知事は「何もしない民主党政権の責任は重大。無条件に直ちに本体工事を開始すべきだ」と表明した。

 また南波さんは、笹子トンネル崩壊に関連させ本県のトンネル状況を部長に質した。県土整備部長は、県下にトンネルは142本ある。つり天井形式は3本でこれは12月31日までに点検すると答えた。上信越(八風山)と関越道の上下である。

◇社会を震撼させた衝撃の事件の高裁判決がおりた。2児をマンションに密閉放置し自らはホストクラブのホストに狂っていた母親に対し大阪高裁は「2児の飢えと渇きは想像を絶する」として懲役30年とした。

 求刑は無期懲役だった。地裁の求刑は死刑。中村早苗被告は、当時3歳と1歳だった2児を居間の扉にテープを貼りドアに施錠して外出していた。冷蔵庫は空になり壁には小さな手の跡が無数にあったと伝えられる。当時私の周辺には犬猫に劣るという声があった。

 離婚し育児に疲れていたという事情がなければ死刑も有り得た犯罪。母親の背景にある社会や教育も考えねばならない。

◇今日は文教・警察の常任委員会。教育委員長の役割と責任、連続幼児殺人失踪事件に関する栃木県警との協力状況などを質問する。(読者に感謝)

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2012年12月 5日 (水)

人生意気に感ず「告示日出陣式光景。鳥取不審死、死刑。朝の書斎」

◇総選挙告示第一日目。東照宮で必勝祈願後、宮庭で出陣の挨拶と檄。候補者第一声は群馬会館前で。佐田玄一郎の掲示板番号は6番。11時からJA農協ビルで全体の出陣式が行われた。

 この出陣式は弁士多彩で内容豊富だった。尾身幸次さんはひと月の3分の1は海外にいるが外から見るとこの3年、日本の凋落がよく分かる、民主党が日本を駄目にした、政権を奪還せねばと語り、山本一太さんは、維新の上野さんは比例一位が決まった、小選挙区で1票も取らなくも当選とは国民を馬鹿にしている、皆さん維新の票を取り込んでいきましょうと例の調子で訴えていた。

 私は、選対本部長として、この選挙の最大の目的は政権奪還、これに日本とふるさとの浮沈がかかっている、比例は公明党ということで力を合わせようと挨拶した。

◇選挙事務所もにわかに人が増えた。昼の時間帯、選挙用バンフレットに証紙を貼るボランティアの人々で大広間はあふれた。

 夜、7時半から選対会議。選挙の常で、何度も会議を重ねる中でチョロチョロの炎が次第に勢いを増し、中盤から終盤を迎える中で烈火となる今朝から、選挙事務所の朝礼に出る。

◇選挙で移動中、鳥取連続不審死の上田美由紀被告に死刑判決というニュースを聞いた。2人を川や海に溺れさせた。現場近くでずぶぬれの被告を見たという元同居男の証言。弁護側はこの男が犯人と主張。物証はない。直ちに控訴。今後攻防が続くだろう。

◇朝の私の書斎。机の横に音を消したテレビの画面。後ろではストーブの前にトコがのどを鳴らして横たわる。本に囲まれた私の世界である。

 4時を過ぎ、NHKの「視点論点」の論題の文字に引かれて音を出した。「証拠開示と公正な裁判」で、アメリカではDNA鑑定で年300件の無罪が確定している例をあげ、菅家さん、ゴビンダさんの冤罪の背景を論じている。

 日本には有罪確定後証拠物保管を義務づける法律がない。菅家さん等は保管されていたので運よく救われた。

 検察側が被告に有利な証拠を隠すことがよく言われる。これは、世界の先進国で共通のことらしい。解説者・成城大の指宿教授は、この点に関しカナダの最高裁の判決をあげた。

「検察の手にある証拠は公共の財産である」というもの。個人の問題を越えて国民一般の人権に関わることを指摘した。我が国にも当てはまる。人権に国境はないことを改めて思った。(読者に感謝)

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2012年12月 4日 (火)

人生意気に感ず「選挙戦の火蓋。憲法改正。トンネル崩落。楫取素彦読本」

◇いよいよ選挙戦の火蓋が切られる。今朝、午前8時、東照宮で必勝祈願を行う。選挙に伴う慣わしだが、票を巡る攻防は戦いであり、神に祈る気持ちは自然である。戦国時代、命をかけて行われた祈願祭は凄まじいものだったろうと想像する。歴史に残る選挙になる事は間違いない。かつてライバルとして戦った佐田陣営の選対本部長のイスにつく心境には複雑なものがあるが、政権奪還のため全力を尽くす決意である。

◇候補者が街頭で憲法改正を叫ぶことはほとんどないが、この選挙の大きな争点である。候補予定者の62.5%が改憲賛成という調査があった。恐らく、選挙後、改憲の動きは加速する。

 戦後66年一度も改正されず、社会の現実との乖離は進む。問題は改正の中味だ。多くの国民は戸惑っている。どんな改正も可能というわけではなく。改正には限界がある。国民主権、平和主義、基本的人権尊重などは改正不可。この際国民は憲法を学ぶべきである。

◇トンネル崩落の衝撃が広がっている。物流、観光など経済への打撃は人体の血管破裂のようだ。

 9人が死亡、2人が負傷した。警察は管理会社を業務上過失致死傷容疑で調べる。問われる過失は、天井を支えるボルトの点検を怠った点。「打音検査」をしなかった。調査のための足場がなく、構造上も問題があった。

 つり天井構造のトンネルの中には、関越道、上信越道、圏央道も含まれる。私は、関越トンネルをよく利用する。11キロのトンネルを通過する度に、ピラミッドや万里の長城以上の建造物だと感じ日本の技術の素晴らしさを思った。

 この度の崩落事故は、高度な技術にも意外な盲点があり簡単に人名を奪うことを示した。日本列島を大きく震動させた「3.11」の大地震を振り返り、また、更なる巨大地震が近づいていることを思う。あまり論じられていないが、あのような揺れは、きっと腐蝕したボルトや劣化したコンクリートに影響を与える。トンネル対策は、地震対策の一環でもある。

◇楫取素彦顕彰会は、「楫取素彦読本」800冊につき、前橋市教育委員会と売買契約を結び納入した(3)。市内中学生を対象に、読本感想文コンクールを実施する予定。執筆は私が担当した。郷土の偉人を心で受け止めることで郷土を愛する心を育て近現代史に近づくことを期待する。歴史教育は今日の重要課題である。(読者に感謝)

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2012年12月 3日 (月)

人生意気に感ず「山本市長の推薦。トンネル崩壊。最後のふるさと塾」

◇県・市共、議会中にあって選挙の緊張は高まる。この日、一般質問終了後、山本市長に会って一区公認の佐田玄一郎推薦を要請。市長はそれ迄の態度を改めて要請を容れた。公明が推薦を決めた事も市長決断の一要素である。

 その際市長の苦言もあった。佐田氏は、「地元」と「上武国道」だけしか語らないというもの。必ずしもそうではないが、市長の言わんとするのは、有権者にそう受け取られているところがあるという事。勝利を目指す提案である。

◇今回の選挙の特色は前代未聞の多党が様々な主張をしていること。有権者は選択に迷っている。候補者の説明能力が問われる。未曾有の混乱と国難の中、変化と安定が求められる。信念と熱意が有権者の胸に届くかが勝負。自民党の上滑りを恐れる。

◇とんでもない大事故が起きた。中央道のトンネルの天井110mが崩落し、少なくも9人が死亡した。高速道路は新幹線と共に技術立国日本の象徴であり、社会の動脈である。天井が落ちるとは誰も予想しない。天が落ちた感じだ。昔、中国で杞の国の人が天が落ちるかと心配した事故から、いらぬ心配を杞憂と言うが、トンネルの天井崩落は杞憂ではなくなった。

 同じような構造で老朽化のため崩落の危険があるトンネルは12ヵ所もある。笹子トンネルでは天井を支えていた金属が腐食していたらしい。今まで、この下を数知れない車が通過しその人たちはあわやの危険に晒されていたと思うとゾッとする。「3・18」の巨大地震が腐食部に影響を与えた事は容易に想像がつく。とすれば、迫る巨大地震に備えねばならない。笹子トンネルの事故は災害対策の盲点を指摘することになった。

◇今年最後の「ふるさと塾」には多くの人が参加。尖閣5島、毛沢東、ニクソン、田中角栄、胡錦涛、石原慎太郎、野田佳彦、オバマ等々の映像を使った。毛沢東は、反日デモのプラカードに掲げられた意味、そしてオバマは中国の新たな覇権主義に対峙するアメリカと安保条約を説明する材料だ。石原知事(当時)が買うより、野田の国有化に対し胡錦涛は異常な反応を示したこと、国境を守る日本国民の意識の薄さにも及んだ。

◇アメリカは、尖閣諸島が安保の対象であることは既に明確に表明していたが、上院は29日、日本の施政下にあり、安保条約に基づく防衛義務があることを明記した法案を全会一致で可決。国防は選挙の重要な争点である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。

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2012年12月 2日 (日)

『炎の山河』 地獄の満州 第1回

※中国やロシアとの関係が重要な課題となっております。そこで、土日祝日は満州の悲劇、シベリア抑留に関する私の作品を紹介します。

地獄の満州

「敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ」 第一回

一九四五年、昭和二十年八月十五日は終戦の日である。これに先立つ八月八日、ソ連は日本に宣戦した。そして、八月九日未明、雨に煙る地平線に突如姿を現した数千の戦車は、国境線を突破して一斉に進撃を開始した。

 また、空の一角をおおうように飛来したソ連機は、頭上の空から南の地平線に突っ込むように南下してゆく。大地を揺るがす戦車の轟音と天空を裂くような飛行機の爆音はしばらく前から、不気味にくすぶっていた満州の曠野の不穏な空気に火をつけた。ちょうど、ガスのこもる部屋にマッチを投げ込んだように。

 長いこと、日本人によって土地を奪われ、差別を受け、支配されてきた中国農民の不満、恨み、屈辱感は、もうほとんど限界に来ていた。日本の敗戦とソ連の参戦は、これらの人々を刺激し、その一部は理性を失って暴徒と化した。そして、若い男はほとんど全て兵隊にとられ、女とこどもと年寄りだけの開拓村は大混乱に陥った。

 満州の開拓は、これまで触れてきたように、強引に無理を通すやり方で進められてきた。日本は先ず、満州を武力で支配する意図で満州事変をひき起こし、その延長戦で日本の傀儡、満州国を建国した。そして、これが開拓移民の受け皿となった。だから、満州の開拓は、始めから正当性のないものであった。しかも、移民の進め方は、武装開拓団を先頭に立て、中国農民の土地や家を有無を言わせず取り上げてゆくというやり方であった。

 だから、中国農民を無理に押さえ込んでいた力がなくなったとき、押さえ込まれていた不満が爆発するのは当然であったが、そこに、支配者と被支配者の関係が敗戦によって逆転したという特殊な事情や原住農民の極端な貧しさなどが加わって事態を一層深刻にしたと言えるだろう。

満州の惨状を伝える記述は無数にあるが、私は、私が親しく接している一人の女性の体験を通して、当時の状況を振り返ってみたい。それは、国策の犠牲となり、国際関係に翻弄された数奇な一女性の姿である。

 女性の名は松井かずという。彼女は、群馬県中国残留帰国者協会の前橋支部長である。私が同協会の顧問であることから彼女とのつき合いが始まった。

(読者に感謝)

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2012年12月 1日 (土)

『楫取素彦読本』 最終回

十六、「読本」を閉じるにあたり

平成二十四年は、楫取没後百年に当たります。楫取が熱く生きた時代は、正に時代の一大転換点でした。そして、今日、私たちは、また、かつてない歴史的転換点に立ち、変化と混乱の渦にもまれています。楫取素彦は、あの世にあって、どのような思いで私たちを見ているでしょうか。

楫取素彦の期待にこたえるため、皆さんとその業績を振り返ることが本書の目的です。吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬などを、私たちは遠い存在と思いがちです。しかし、楫取素彦がこれらの人々と熱く交わった事実を踏まえて考えるなら、楫取は、これらの人たちと共に群馬にやってきて立派な仕事を為し遂げたとも思えるから不思議です。

吉田松陰が死ぬ前に楫取素彦に贈った言葉「至誠にして動かざるは未だこれあらざるなり」を記して、この「読本」を閉じることに致します。

明治十七年(一八八四)楫取は元老院議官となり転出します。

楫取素彦功徳碑には、「去るにあたり、数千の県民、道をさえぎり留ることを乞う」とあります。

このように、県民に慕われた県令(知事)はありません。政治家としてまた人間として、群馬の誇りとすべきです。

大正元年(一九一二)

八月十四日、楫取素彦は八十四歳の天寿を全うしました。

記録には両陛下より祭粢金千五百円賜るとあります。

○素彦と妻美和子の墓は、山口県防府市桑山の大楽寺にあります。

☆次回からの土・日・祝日の連載は、過去の旅行記、再読したいブログ等を取り上げます。

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