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2012年9月23日 (日)

『楫取素彦読本』第32回

九、生糸の直接輸出と吉田松陰の短刀

ここで、楫取素彦が生糸業に力を注いだことを示す興味あるお話を一つ紹介します。明治の初め、日本は貿易には慣れていません。今日の貿易立国日本から見ればヨチヨチ歩きの赤ちゃんです。生糸の輸出も、中間の貿易業者に利益を吸い取られてしまうことが分かってきました。

そこで楫取素彦は、アメリカに直接輸出する道を開拓しようと、志ある実業家の渡米を助けることにしたのです。

ある時、新井領一郎という青年実業家が楫取素彦を訪ねました。販路開拓の目的でアメリカに渡る前、県令に挨拶するためでした。

【解説】

下村善太郎は幼名を定之丞といい大変腕白でした。生糸商人として巨万の富を築いた点で前橋を代表する生糸商人でした。そして、桃井小の前身である十八郷学校の開設、明治七年の本町の大火への義援、明治九年の県庁誘致、臨江閣の設置等に率先して私財を投じました。

前橋の誕生は明治二十五年(一八九二)のことで、下村善太郎は初代市長に就任しました。在任一年二ヶ月、六十七歳で病没しました。

その功を表彰するため市は明治二十六年六月市葬を行なうことにしました。会葬者は本町の下村家から、祭場となった竜海院まで続く程盛大だったと長く語り草となりました。

明治天皇が臨江閣にお泊りになったのはこの年十月のことでした。

※土日祝日は中村紀雄「楫取素彦読本」を連載しています。

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