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2012年9月 8日 (土)

「楫取素彦読本」 第26回

 七、楫取素彦と多胡碑

楫取素彦は、文明開化の行き過ぎを抑えようとしたことを述べましたが、彼は同じ考えに基づいて、古来の先人が残した歴史遺産を守ろうとしました。先人の業績を尊重することは、祖先を尊う心や郷土を愛する心を育てることに通じ、道徳教育の基礎であると考えたのです。

 そこで、楫取は古墳や古碑の調査、保護に努めました。今日、東国文化に光をあてることがクローズアップされていますが、その中で、多胡碑の存在が注目されています。

 楫取素彦は多胡碑のことを日本三碑の第一位であるとし、「碑亭」を作って永久保存に努めました。日本三碑とは、群馬県の多胡碑、栃木県の那須国造碑、宮城県の多賀城碑を指します。

【解 説】

   多胡碑

Photo

碑文

『弁官符す。上野国片岡の郡・緑野の郡・甘楽の郡、せて三郡の内三百戸を郡と成し、羊に給いて多胡の郡と成せ。和銅四年三月九日甲寅に宣る。左中弁・正五位下多治比真人。太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。』

○碑文の要点は次の通りです。政府の命令で、上野国(当時の群馬県)の片岡の郡、緑野の郡、甘楽の郡の三つの郡から三百戸を分けて新しい郡をつくり多胡郡としなさい。羊という人に支配させる。

○和銅四年とありますが、西暦では、七二年で、奈良時代が始まったのが七一〇年でした。

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