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2012年9月29日 (土)

「楫取素彦読本」 第33回

この時、県令の妻寿子は、紫色の錦に包まれた細長い物を新井領一郎に渡して言いました。

「これは、兄、吉田松陰の形見です。この品には、兄の魂がこめられています。その魂は、兄の夢であった太平洋を渡ることによってのみ安らかに眠ることが出来るのです。」

新井領一郎は、驚き、そして、うやうやしく拝受しました。刀は三十五センチ位、国富という銘の入った美しいものでした。

 寿子が語った兄の事とは、前に触れたように、

幕末、下田の沖の黒船に小舟で近づいた吉田松陰がアメリカに行きたいと頼み断られた事件です。

 国のために戦い、新しい日本の建設を夢見ながら二十九歳で首を切られた吉田松陰です。斬首の理由は国禁を犯してアメリカに渡ろうとした事です。

【解 説】

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○江原芳平は嘉永元年(一八四八)前橋に生まれました。この年楫取素彦は、長州で二十歳を迎えています。生糸商で巨万の富を得て前橋第一の富豪と言われた父・江原芳右衛門の跡を継いだ芳平は、下村善太郎らと共に私財を投じて前橋発展の基礎を築きました。

生糸改良のための製糸社天原社を創設しました。また、県会議員三期、前橋商工会議所の初代会頭、第三十九銀行の頭取等を務め、後に貴族院議員を務めました。

楫取が初代県令として赴任した明治九年、芳平は二十九歳の青年実業家でした。県庁を前橋に移転する条件として、楫取は師範学校と県職員の宿舎等の建設費の挙出を求めました。その時、お金を出した二十五人の実業家の中で江原芳平は最年少でした。

楫取素彦に協力した下村や江原の努力がなければ、前橋市は県都とはならなかったでしょう。

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