« 『楫取素彦読本』第29回 | トップページ | 人生意気に感ず「9・18と反日デモ。今日は楫取の集い。子孫が集まる」 »

2012年9月17日 (月)

「楫取素彦読本」 第30回

幕末に横浜などいくつかの港を開き外国と貿易を始めた頃、日本の輸出品の大部分は生糸で、群馬は生糸の貿易で重要な役割を果たしたことは前に触れました。

群馬は土地の性質が蚕の餌になる桑に適したことから古来養蚕が発達していました。

前橋藩は生糸の生産に力を尽くし、横浜で生糸が取引されるようになると前橋の生糸は大変好評を得ました。外国では、「マイバシ」というブランド名で通るようになったといわれます。

前橋藩は生糸の質を高め、また大量に生産するために、器械製糸場を設けました。現在、前橋市住吉町の国道17号沿いに「日本で最初の機械製糸場跡」という石碑が立っています。

前橋には、この藩営工場と共に、生糸産業を支えた多くの商人がおりました。後に初代前橋市長になった下村善太郎はその代表的人物の一人でした。

【解 説】

前橋のブランド「マイバシ」

○ヨーロッパでは、微粒子病というかいこの病気がはやっていました。

 そこで、質の良い日本の生糸が尊重されたのです。

前橋藩の生糸は、マイバシ(前橋のこと)のブランド名で高い評価を得ていました。

そこで、日本各地では、質の悪い生糸をマイバシの名で売り出す悪質な業者も現われました。

群馬の識字率

○群馬県が堂々たる生糸の歴史を持つ背景には、群馬は畑作地帯が多く、土地の性質がカイコの餌となる桑の栽培に適していたという事情がありました。

なお、生糸は、換金の必要があるので商人とのやり取りの上で字が読めることが重要でした。

これは群馬の識字率が非常に高かったことやかかあ天下といわれる女性パワーの基礎にもなっていたと思われます。因果のつながりは面白いものです

|

« 『楫取素彦読本』第29回 | トップページ | 人生意気に感ず「9・18と反日デモ。今日は楫取の集い。子孫が集まる」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「楫取素彦読本」 第30回:

« 『楫取素彦読本』第29回 | トップページ | 人生意気に感ず「9・18と反日デモ。今日は楫取の集い。子孫が集まる」 »