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2012年9月 4日 (火)

人生意気に感ず「萩市で楫取を学ぶ。明倫小。私の文が載る説明板。山口を走る」

◇文教警察常任委員会の視察第一日目、楫取素彦研修は萩博物館で行われた。主任研究員の道迫氏は、楫取と吉田松陰の堅い絆について説明した後、次のように語った。維新政府の非常に高い地位に就いた後、山口に戻って隠棲していたが政府から群馬県(当時は熊谷県)へ行くようにと命ぜられる。民情が荒く難治といわれる地に楫取は気が進まなかったが大久保利通に懇懇とさとされ決意した。この事を示す資料が見つかったという。

 私は発言の機会を得て提案した。楫取素彦が生涯で最も輝いていたのは群馬の県令時代だった。群馬にはその時代の楫取の資料がある。群馬と山口の資料を交換し合うことによって楫取の姿が鮮明になる。道迫氏は賛成した。群馬と山口の絆も深まり人造りの基盤も厚くなる。

◇藩校明倫館の説明もここで受け、その後、明倫館の後を継ぐ明倫小学校を訪ねた。一時は千数百人の生徒数を誇った同校も時代の波で現在は約七百人。古い木造の校舎群が並ぶ光景は歴史を遡る感を与える。正面玄関を入った所に吉田松陰の座像があった。生徒は毎日松陰先生に接しているのだなと思った。明倫館の頃、楫取もここで教えた。教育者楫取が近代群馬の教育の基礎を築いたことに改めて思いを馳せた。

◇明倫小の近くに楫取生誕の地・今魚店町(いまうおのたなちょう)がある。昨年この地の楫取素彦顕彰会によって、町の一角に楫取素彦顕彰説明板が建てられ、その中に私の一文が取り入れられた。中村紀雄の議員日記より抜粋とある。楫取の妻寿子が兄松陰の形見の短刀を新井領一郎に渡す場面である。視察団がこの説明板を見れたことは私にとって光栄であった。この説明板にならって、群馬でも8月14日(楫取の命日)、楫取素彦功徳碑に隣接させて顕彰説明板が建てられた。

◇中国新聞を読む。山口県企業局は宇部丸山ダムを利用して小水力発電所を新設する。再生可能エネルギー固定買取り制度を利用するもので、同ダム以外でも小水力発電所を新設する機運が広がりそうだとある。こちらでは原発への関心は高くないと見るが、再生可能エネルギーは全国的うねりであることを感じる。

◇山口市の朝を約一時間走った。朝の気温は適温。朝、町を走ると町の素顔が見られる。木戸神社、木戸孝允旧宅跡もあった。

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。

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