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2012年8月17日 (金)

人生意気に感ず「東条・田中の処刑。竹島と魚釣島・日本の外交力」

◇処刑前、東条英機が家族と面会する映画のシーンにジーンと来た。金網越しの妻と娘たちに「父さんは大丈夫だ。母さんを大切にしなさい」と語る場面。

 自決をはかって失敗した東条は東京裁判にかけられるや検事キーナンの訊問に一歩もゆずらず反論。自分が天皇の御意見にそむくことなど絶対に有り得ないことを力説すれば天皇に責任が及ぶことになる。東条は「日本の論理」を述べて譲らなかった。23年11月12日、ウェッブ裁判長から「ハンキング」(絞首刑)の宣告を受けると微笑しながらイヤホーンををはずし、傍聴席の家族にちらっと視線を走らせ法廷のドアから姿を消した。12月23日午前零時、単鴨留置所で刑が執行された。64歳であった。東京裁判でただ一人東条は勝ったという見方がある。法廷で天皇の責任を認めさせようとする検事の追及をかわしたからだ。

◇この日7名が処刑されたが、その中に広田弘毅がいた。日中事変勃発時の外相。訴因はいくつかあるが、中心は南京大虐殺の罪を当時の外務大臣として問われたとされる。

 裁判の開かれる日は、次女と三女は必ず傍聴に訪れた。その後満州から引き上げた長女も加わるようになる。判決最終日の前日、法廷を終えてバスが正門を出るとき、令嬢たちがハンカチを振る姿を目かくし窓のすき間から見た広田は、席を立って気も狂わんばかりに帽子を振った。それは静かな広田を知るバスの同囚たちに深い印象を与えたという。

 ウェッブ裁判長の「デス・バイ・ハンキング」の宣告を聞くと静かにイヤホーンをはずし傍聴席の令嬢たちに会釈し微笑して去った。他の6名は「天皇陛下万歳」と叫んだが広田は黙って絞首台の穴に落ちた。

◇何百人という人が命を捨てた。指導者たちは敗戦の瞬間から死は覚悟したに違いない。勝ち目のない戦争をなぜやったか。どうしてもっと早く幕を引けなかったか。67年、まだ十分に検証は出来ていない。

◇竹島と魚釣島。どちらも頭に来るが、魚釣の場合は暴力団のような人々なのに対し竹島には大統領が上陸。軽薄な指導者だ。日本は国際司法裁判所に提訴する方針だが韓国は応じない。不利と分かっているからだろう。日本の主張を国際社会にアピールする場になる。日本の外向力が落ちている。サムライが少なくなったからだ。外交も敗戦から学ぶことは多い。(読者に感謝)

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