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2012年8月20日 (月)

人生意気に感ず「地獄の戦場の生還者の最後の講演。ダンピール・サラワケット」

◇ニューギニアからの生還者岩田亀作さんを訪ねた(19日)。近く94歳になる亀作さんは「最後の講演」を快く引き受けた。人生最後の体験を語るシリーズの一環である。私は副議長の時、慰霊のためニューギニアを訪ねたのを機に、「今見る地獄の戦場」と題した小著を著したことがあるがその中で岩田さんのことを書いた。「生き残った戦友もほとんどいなくなった、奇跡的な人生だった」と久しぶりに会った私に亀作さんはしみじみと語った。

 貴重な体験を、戦争を知らない若い人たちに是非話して下さいと頼むと亀作さんは大きくうなずいた。ダンピール海峡やサラワケットに話を進めると身を乗り出して瞳を輝かせた。

◇私は平成13年慰霊巡拝でパプアニューギニアを訪れ、ラエの追悼式に臨んだ。近くに3千名近くの日本兵を呑んだダンピール海峡があった。制空権はアメリカ軍の手にあったからダンピール海峡を渡る日本の船団の空に対する備えはゼロに等しかった。爆撃を受けた甲板は死体が重なり、千切れた手足が散乱しぬめぬめした鮮血でおおわれた。船は、大爆発を起こし船首を空に向けて沈もうとしていた。死体をかき分けて外に出た亀作さんは海中に飛び込み沈む船が作る大渦から辛うじて逃れた。2時間近くも海を漂って救助された。低空から日本兵を狙い撃つアメリカ兵の顔が波間からはっきり見えた。俺は亀だから泳いで助かったと亀作さんは懐かしそうに笑った。

 4000メートルを超えるサラワケット越えに約8000の将兵が臨み約2200名が命を落とした。そそりたつ断崖絶壁の綱にマラリアにおかされた無数の兵士が蟻のように取りすがって登った。けもの道のような行路には死体が重なり、「湯が煮えたつように」蛆が盛り上がっていた。山の麓は熱帯だが上は零下となる。兵士たちは軽装だから凍死者が続出した。死んだ兵士の服を脱がして使う。「仏さんいただくぜ」と言って脱がそうとしたら「まだ生きている。死んでからにしてくれ」と絶えだえの声が聞こえた。亀作さんは銃の台尻を削って燃やし暖をとった。このようなことを語る亀作さんの脳裏には70年以上前の出来事が焼きついているのだ。生き証人の証言は貴重だ。無数の人が亡くなる中で人は命の最後の一滴にすがって生きようとする。戦争とはかくなるもの。人間の極限の姿だ。亀作さんの「最後の講演」は9月か10月になる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。

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