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2012年8月31日 (金)

人生意気に感ず「南海トラフの恐怖。パラリンピックとホーキング博士。盗撮」

◇「私は小学6年です。高知県に住んでいます。対策をして下さい。助けて下さい。まだ生きたいです」私のグログに届いたメールだ。

 南海トラフ巨大地震の被害想定を国が発表した翌日のことだ。高知県の黒潮町は、最大34mの津波に襲われると報じられた。

 次のような子どものブログも目に付いた。「さっきニュースで高知県の黒潮町が一番津波が高いって言ってて、凄く怖くて号泣しちゃった。神様、どうか家族そして自分そして皆を助けて下さい。ご先祖様、自分家族そして皆を助けて下さい。お願いします。ちゃんとお利口にしてます」予想被災地の子どもたちは皆、死の恐怖に怯えている。何とかしなければならない。

◇過去の巨大地震と違うことは、東日本大地震という巨大地震の直後であること、そして、繰り返し発生が予告されていることだ。だから、教訓を活かし、対策をたてることでいくらでも「減災」を期待できる。東日本大震災では、被災後の国民の一致協力が注目されたが、「南海トラフ」では、来るべき災害に向けての一致協力が重要である。この方がずっとやりがいがある。国や行政はできることをしなければ責任を問われる。場合によっては「人災」と非難される。正に日本人が試されるときが来た。

◇障害者スポーツの祭典・パラリンピックが始まった。ハンディや偏見と闘う人々だ。義足のランナー、骨肉腫を抱えるテニスの選手、事故で半身不随となった車イスラグビーの選手等々。全ての人に勇気と希望を与えてくれる祭典だ。

 車イスの天才宇宙物理学者ホーキング博士が登場したことに驚く。私は「ニュートン」の愛読者である。そこで見てきた難病の博士は、長く生きられないのではと思っていたが70歳となった。知の象徴であり、知の力で生きている姿に心を打たれる。

 言葉を失っているホーキングは、機械で素晴らしい言葉を紡いだ。「好奇心を持ち続けよう」、「何が我々の宇宙を成り立たせているのかに思いをはせよう」、「知の力で偏見に立ち向かい、よりよい社会をつくろう」。一つ一つが重い。パラリンピックの本質を導く言葉だ。

◇現職の裁判官に続いて、今度は日本IBMの最高顧問だ。スカートの中をのぞいて全ての社会的地位を失う。何故か、全く理解に苦しむ。こうすればこうなることと知りながら。幼稚園児の間でスカートめくりがはやったことがある。大人のスカートめくりは犯罪なのだ。(読者に感謝)

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2012年8月30日 (木)

人生意気に感ず「32万人の死者。大川小と船越小。稲むらの火。裁判官の盗撮」

◇32万人の死者、34mの津波。南海トラフ巨大地震の最悪被害想定。東海、東南海、南海の3連動型巨大地震が確実に近づいているといわれる。過去に繰り返し起きている科学的現実を避けることは出来ない。最も重要なことは過去の例から学んで減災を実現すること。

 最大の被害が想定される高知県のある幼稚園のことがテレビで報じられた。先生は裏山の急斜面をおんぶやだっこで園児たちと逃げる決意を語っていた。ここで心に甦らせるべき最大の実例は大川小と船越小の出来事である。

◇宮城県石巻市の大川小では108名の児童中74名が犠牲になった。指導者が判断を誤って裏山に逃げることを選ばなかったからだ。一方、岩手県山田町の船越小では136人の児童全員が助かった。鬼気迫る様子で逃げるんだと迫った校務員の言葉に従って裏山に逃げた結果だ。校庭で5分も考えていたら全校呑まれたと校長は青ざめて語った。

◇過去の3つの連動巨大地震を振り返る。①宝永の超巨大地震は、東海、東南海、南海が同時に動いた(M8.6)。1707年(宝永4年)である。②次の安政巨大地震では、先ず東海・東南海が動いて安政東海地震(M8.4)が発生し、その32時間後に安政南海地震(M4)が発生。1854年(安政元年であった。③次は昭和に入って起きた。1944年(昭和19年)の東南海地震(M7.9)と1946年(昭和21年)の南海地震(M8.0)。これも連動なのだ。

 次は、2030年代に連動型が起きるといわれてきたが、東日本大震災の影響で早くなるという見方がある。今大騒ぎしている最悪20万人死者の超巨大地震である。

◇「稲むらの火」は地震防災の不朽の教材。1854年の安政南海地震の時、高台に住む浜口梧陵は稲むらに火を放ち村人を導いて命を救った。私は子どもの頃紙芝居で見て感動した。9月19日(水)、「新生ふるきゃらバラエティ・稲ムラの火」が前橋テルサで18時半より上演される。見ようと思う。

◇空前の危機に対する備えとして、「稲むらの火」の復活と共に、東日本大震災の「大川小」と「船越小」の読本化を提案する。

◇教員、警察官のスカート内盗撮は珍しいことではなくなったが、裁判官の登場には唖然。この大阪地裁の裁判官は、死刑言渡に関わったという。極刑が軽く扱われたと思えてしまう。日本崩壊を象徴する出来事かもしれない。(読者に感謝)

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2012年8月29日 (水)

人生意気に感ず「残留孤児の訪中。瀋陽と長春。中国デモ。前工跡地の太陽光発電」

◇中国帰国者協会訪中団の結団と打ち合わせの会があった(28日)。9月7日から3泊4日で中国東北2省の瀋陽と長春を訪ねる。協会の正式名は群馬県中国残留帰国者協会。

 昭和四十七年(1972)の日中国交回復を機に旧満州から帰国した人たちが中心となっている。「残留孤児」たちにとって、旧満州は悲劇の地であると同時に忘れがたい心の古里。国交回復40周年を機に訪中することになった。総勢13人。協会顧問の私は団長で臨む。

 先ず瀋陽は遼寧省省都で東北地方最大の都市であり満州国の時代は奉天であった。かつて清朝の祖たる金が都を定めたところでもある。

 長春は、遼寧省の北に位置する吉林省の省都でかつて日本が建てた満州国の都・新京だった。

 旧満州国は中国侵略の象徴である。清朝を建てた満州族発祥の地。中国は日本の満州を屈辱と把え「偽満」と呼んだ。こんな歴史的背景から反日感情を心配する訪中団員がいるのも無理はない。瀋陽、長春では、尖閣の問題で反日デモが起きた。JTBの担当者は団員の懸念に心配ないと答えた。瀋陽の日本領事館ではこの件を含め、最近の中国の状況と進出日本企業の動向につき調査し現地から報告するつもりだ。

◇中国の反日デモを見て、ネットで結ばれた若い人が生き生きと参加していることを感じる。中国の歴史を振り返れば、貧しい人達が暴動を起こしそれが雪だるまのように大きくなり、また、雪崩のような力となって国をひっくり返す、その連続だった。

 今日のデモは貧しさ故ではない。表現の自由を求める人間の本能的欲求である。本来表現の自由の基本は政治に対する批判の自由にあるが、中国ではそれがない。制約が緩い方向は、反日と環境問題等である。しかし、政治の批判をいつまでも押さえ込むのは不可能。チュニジアから始まった「アラブの春」の影響、インターネットの普及、これらが中国社会をどう変えているか。肌で感じてきたい。

◇政府は、エネルギー政策の国民的議論を検証し、過半の国民が脱原発を望んでいると統括。今後の国の最大の課題は新エネルギー政策とそれを踏まえた新しい社会像づくり。この方向は東日本大震災を活かす最大の道である。

◇汚染土壌のある前工跡地に太陽光発電を整備するという前橋市の方針は賢明である。新エネルギー推進につき地方自治体の役割は大。市の目立つ所の施設は市民の意識を高める効果も期待できる。(読者に感謝)

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2012年8月28日 (火)

人生意気に感ず「楫取素彦読本成る。百回忌。偲ぶ会。記念講演」

Tokuhon ◇楫取素彦読本が完成した。3千冊のうち、8百冊が昨日(27日)納入となった。小冊子ながら苦労したのは、子供向け、一般向けという二兎を追う工夫を凝らしたからである。

 小中学生も挑戦できるように、本文は、大筋を易しい表現で記述し、人名、地名、歴史用語などは原則として常用漢字を使用し、なるべくルビをつけた。また、下段の「解説文」のコーナーでは、関連事項の他、楫取素彦と吉田松陰を通して、「顕彰会」が伝えたいことを描こうと試みた。執筆は私が担当した。

 約100ページ。頒価300円は、執筆・構成等全て顕彰会が行い、印刷だけを製本会社に任せた結果である。

「読本」には、群馬を舞台にした近代日本の歴史が詰まっている。楫取素彦は明治政府から任された「難治」の県群馬を、教育と近代産業で興そうと決意した。就学率の点では、全国トップレベルに高め、「西の岡山、東の群馬」と称されるまでにした。近代産業は「生糸」。楫取の支援で渡米した青年実業家新井領一郎は頑張って生糸直輸の道を開いた。渡米に当たり、楫取の妻寿子は、兄吉田松陰の魂がこめられていますと言って、松陰形見の短刀を渡した。「読本」の中に、「楫取は松陰が果たせなかった夢を群馬で実現しようとした」という記述がある。

 楫取が県会と力を合わせ女性解放・「廃娼」に尽くした事は、「人権」の問題としてとらえなぜ「金字塔」なのかを記述した。

 「顕彰会」にはこの「読本」に寄せる特別な願いがある。それは近・現代史教育に道を開く契機にしたいということだ。日本は歴史教育で明治以降を疎にしている。今一番大切なことである。出来れば、中学生を対象に「読本」に関する感想文コンクールを実現したいと思っている。

◇9月18日には、楫取に関する3つの行事がある。没百年の法要(清光寺)、偲ぶ会(臨江閣)、記念講演(前橋テルサ・2Fホール)。

 テルサでは、能楽師・下平克宏による能楽「融(とおる)」及び、講演「楫取素彦を語る」が行われる。講師は楫取能彦(五代目当主)、及び小田村四郎(楫取素彦曾孫、元拓大総長)。入場無料で、問い合わせ先は、私の事務所となっている。

◇昨日に続き、早朝約1時間走った。暑さのため暫く休んでいたら途端に走力が落ちた。11月3日、10キロを走るのだ。(読者に感謝)

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2012年8月27日 (月)

人生意気に感ず「近づく解散。維新の会。アームストロングの死。甲状腺癌」

◇衆院の解散が迫っている。野田総理が公言した「近いうち」を巡って蜂の巣を突いたような騒ぎが続いたが、どうやら10月解散、11月選挙となるらしい。世論調査では、自民、維新、民主の順で、このままでいけば自民が政権奪還となりそうだが、そうかんたんにはいかない。巨大な無党派層の不気味な動向があるからだ。彼らが敏感に反応するのが原発問題である。

 新聞社のちょうさでは、2030年時点の原発の割合をゼロとする国会議員が42%。国民の世論も0%が最多。せんきょでは分かり易い発言が第一で、原発は新エネルギー政策の関連で発言しなくては説得力がない。普段からこの問題につきしっかりした考えをもっていない人が票目当ての発言をしてもすぐ見透かされるだろう。今回の選挙は国民一人一人が日本の課題を学ぶ時。

◇総選挙最大の関心事の1つは「維新の会」。

ハチが蜜に群がるようにすり寄る候補者はみじめだ。問題は「大阪維新の会」の実態。本物がパフォーマンスか。橋本氏は衆院定数半減を新に打ち出した。これを見て、尻ごみする国会議員は多いだろう。大きなテスト問題に彼らがどう答えるか見ものだ。

◇アポロ11号の船長アームストロングが死んだ。82歳。1961年(昭和44年)、あの衝撃は忘れられない。かぐや姫のおとぎの世界と思えた月面に人類が立った。ウサギはいなかったようだねと真顔で話したお年寄りがいた。世界で5億人、日本で7000万人がテレビに見入った。人類初の靴の跡が月面に印された。飛行士は飛び跳ねるように動いた。重力が6分の1なのだ。「一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな飛躍だ」飛行士のこのメッセージが世界中に流れた。

 あれから43年、小さな一歩は、宇宙に大きく広がり、人類が火星に立つ日も近づいた。

◇福島県の子どもの甲状腺異常が問題になっている。昨年10月の受診者の35%ののどにしこりなどが。「良性のものが通常でもよくある」というが、福島の数字が異常か否かは他県の子どもと比較しないとわからない。

 なぜ福島県に限定できるのか。事故直後群馬にも放射性ヨウ素は飛来した。半減期は8日だが、その間の被曝が心配。チェルノブイリでは数年後に多くの甲状腺癌が。私は検査を主張。県は、必要ないと考えているらしい。(読者に感謝)

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2012年8月26日 (日)

「楫取素彦読本」第23回

皆さんは、鈴木貫太郎という人物をご存知でしょうか。前橋市の厩橋学校(今の桃井小学校)を卒業し、群馬県尋常中学校(現在の前橋高校)、そして、海軍兵学校へと進み、後に日本を救ったといわれる総理大臣になった人です。

日本を救ったといわれるわけはこうです。第二次世界大戦の末期、日本は原子爆弾を広島と長崎に落とされ、なお、本土を戦場として戦うべきか否か、国の指導者たちは二つに分かれて、激論を交わしどちらも譲らない状態でした。この時、鈴木貫太郎総理は、巧みに会議を導き本土決戦を避け、多くの国民の命を救いました。

さて、エピソードというのは、鈴木貫太郎が桃井小学校に入るときのお話です。

【解説】

〇現在、前橋市役所に位置する桃井小学校は、1872年、群馬県で最初の小学校「第一番小学校厩橋学校」として創立されました。

鈴木貫太郎と結びつけて振り返るとき、その歴史の重さに胸を打たれます。県都の小学校の中心的存在でした。

○戦争の継続か否かは、連合軍が突きつけたポツダム宣言を受諾するか否かにかかっていました。鈴木貫太郎は軍人でしたが平和を愛する人でした。日本の浮沈に関わる極めて重大な時に総理大臣となった鈴木貫太郎は、自分の全責任で戦争を終わらせようと決意していました。

 鈴木は語っています。自分が殺されかけた二・二六事件で一度は死んだのだから戦争を終結させるために命をかけようと決意していたと。

※土日祝日は中村紀雄著「楫取素彦読本」を連載しています。

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2012年8月25日 (土)

「楫取素彦読本」 第22回

萩市の明倫小の小学生が毎朝、吉田松陰の言葉を、姿勢を正して朗唱していることを前に述べましたが、今、これが道徳教育の実践だという思いを強めるのです。

そして、今、この文を書きながら、筆者は、明倫小学校の校風と楫取素彦の姿を重ねているのです。吉田松陰の教育の根本は、真理の実践にありましたから、群馬の教育に臨む楫取の胸にも道徳教育の実践が燃えていたに違いありません。

群馬県に於ける楫取素彦の教育が世間から高い評価を受けた事を示すエピソードを一つ紹介しましょう。

【解説】

○今日の社会は、楫取の時代と比べ、驚くほど国際化が進み、科学技術が発達しています。その大きな波に日本がのみ込まれ、日本人が日本人の心を失うようでは、生きる力を身につけることも出来ません。

楫取が心配したことは、今日的課題として私たちに突きつけられています。

○明倫小学校を訪ねて感激したことは、長い歴史と伝統が現代の教育の中で息づいていることでした。今日、時代の変化は目を見張るほどです。戦後、社会を支える価値の基盤は一変しました。

しかし、過去の歴史や伝統の中には時代を越えて守るべきものがあります。それを新しいものといかに調和させるかが重要です。明倫小の校風は、そのことを示していると思えました。

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2012年8月24日 (金)

人生意気に感ず「社会科教科書。いじめ訴訟。富岡世界遺産」

◇文教警察常任委員会の1日委員会のテーマは「社会科教科書の採択について」及び、「いじめ問題について」であった(23日)。いずれもホットなそしてタイムリーな内容であった。「教科書」に関して、県内中・高校で使われる多くの教科書につき、問題となっている点の記述をめぐって議論した。

 項目は、自衛隊、国旗・国歌、竹島・尖閣・北方領土、拉致問題、南京事件、従軍慰安婦等であった。地方議会では珍しく、憲法9条(自衛隊)、同19条(国旗・国歌・内心の自由)、領土権、世界戦争に絡む歴史問題等が熱く議論された。私もこれらの点について議論に加わったが特に指摘したことは、本県で採択された教科書には竹島や尖閣につき、日本固有の国土であることを明確に記述していないものがある点である。全体的に文科省の検定に問題があるとして意見書を提出することになった。

◇「いじめ」につき、私は上村明子ちゃんの自殺からはじめた。私は、あの時、明子ちゃん宅を訪ね両親に会い本会議で取り上げた。「自殺の連鎖を群馬で断ち切ることが明子ちゃんの死を活かす道」と訴えたのだ。

 昨日の委員会では校長の役割が極めて重要であること、訴訟に持ち込んでは真の解決にはならない、訴訟に持ち込ませない努力が教育委員会には必要だと主張した。

◇委員会終了後、教委幹部と懇談会。楫取素彦のことが話題になった。委員会の県外調査で来月3日山口県萩市を訪れる。楫取の原点を知るためだ。吉田松陰と共に楫取が、かつて教壇に立った藩校明倫館を継ぐ明倫小学校も視察する。教育県群馬を復活させる力を得たい。

◇富岡製糸場跡を中核とする絹遺産群のユネスコへの推薦が正式に決まった(23日)。よくこぎ着けたと正直思う。本県にとって画期的なことだ。2014年の世界文化遺産登録を目指す。

 世界文化遺産と認められるためには一地域をこえた世界的、普遍的価値が求められる。かつて絹は高級品で大衆には手が届かなかった。それを技術力と大量生産により大衆のものにした。富国強兵、殖産興業の施策として始めた明治政府の事業が当初の狙いを超えて世界に貢献した。

 本家本元の群馬は絹の歴史を含めて改めて文化遺産の価値を学ばねばならない。県教育委員会の役割も大きい。明治以降の近代史がおろそかになっている。そこに活路を開く機会だ。楫取素彦につながる事実も存在する。(読者に感謝)

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2012年8月23日 (木)

人生意気に感ず「原発ゼロに。新エネルギーを大胆に。取調べの全面可視化」

◇エネルギー政策の「討論型世論調査」の結果、「原発をなるべく早く廃止する」、つまり、「原発の役割を0%にする」が、他の選択肢と比べ最も多かった(46.7%)。この方法は、討論参加後に意見を述べる方法だから普通の世論調査より中味が濃いといえる。最近は政府高官も将来の脱原発を公言するようになった。

◇天は、福島第一原発事故を通して、原発と人類につき重要なことを示した。人類は核を正しくコントロール出来ないということだ。核燃料廃棄物の処理も解決方法が見つかっていない。放射能の恐怖は、原発が原爆と同根であることを改めて示した。広島、長崎と福島は今後日本では同列の問題として論じられるべきだろう。

 最近ある会合で議論した時、「福島の子は将来お嫁にいけなくなる」と心配する人がいた。放射能で内部被曝した身体で健全な子どもを産めるかという不安があるからだ。このような問題点を踏まえれば「経済の論理」より「健康上の問題」を優先させるべきだ。日本列島が地震の巣となっており巨大地震が繰り返されるという事も考えねばならない。私も将来の原発ゼロを支持する。

◇政府は脱原発を踏まえた大胆な新エネルギー政策を打ち出すべきだ。目標がはっきり掲げられれば日本の技術力をその方向で結集することが出来る。日本が成功すれば世界に模範を示すことが出来る。これこそ唯一の被爆国の進むべき道である。「禍を転じて福となす」、「危機からチャンスをつかむ」今こそその時。日本人が試されている。

◇赤城山麓に耕作放棄地が広がる。太陽光発電に利用するには農地法が壁となる。簡単に除外できないからだ。法律の改正、特区の申請など現状を変えるための研究をなすべきだ。

 潜在する可能性は限りなくありながらもたもたしているのは国がエネルギー政策につき決断を示さないからだ。

◇昨日、9月補正予算に関して自民党政調会が行われた。警察本部は主要事業の一つとして「取調べ録音・録画装置の整備」のための予算につき説明した。自白の任意性確保、冤罪の回避が目的だ。警察庁が取調べ方法の高度化を打ち出した事に対応している。完全な可視化は取調べの妨げになるという意見もある。取調べ官の工夫と技術アップが必要ではないかと質問した。警察段階の調書が裁判に大きな影響を与える。(読者に感謝)

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2012年8月22日 (水)

人生意気に感ず「女性記者の死。アラブの春。世界遺産登録。楫取の講演」

◇シリアの激戦地でジャーナリストの山本美香さんが殺害された。話題にしたら「関係ない」と言う人がいた。果たしてどうなのか。

 シリアの内戦は独裁政権と民主化を求める反政府勢力の戦いである。山本さんは、反政府軍サイドに居て政府軍側から撃たれた。

 世界には独裁国がまだまだある。隣国には中国や北朝鮮がある。世界は一体化しているから一国の変化は直ちに他国に連動する。シリアの民主化運動は、「アラブの春」と呼ばれるアラブ世界の民主化運動の一環で、これはアフリカのチュニジアから始まりリビア、エジプトに及んだ。これらの国では独裁が民衆の力で倒れ、独裁者は悲惨な結末を迎えた。シリアの独裁者アサド大統領はそれをみているから必死だ。反政府勢力をテロとみなして徹底弾圧を行っている。女や子どもを含めた多くの市民が殺され大量の難民が出ている。死者は25千人を超え、難民は100万人規模に達した。国連は打つ手を見出せない。中国、ロシアがアサドを支援しているからだ。

◇アラブの春の動きをみて情報は世界を動かす力だと思う。しかし、その情報が何を伝えているかが問題だ。山本さんは、弱者の立場から悲惨な現実を命がけで取材した。政治は本来国民のものなのに、誤ると国民を殺す装置になることを弱い市民の現実でもって伝えようとした。私たちも、今日の民主政治を手にいれるために様々な苦しい歴史的過程を経た。民主主義の貴重さと、その抱える問題点を見つめねばならない。アラブの春はその資料である。

◇富岡製糸場と絹遺産群が世界遺産登録に確実に近づいた。政府は23日に推薦を正式決定する。日本ではここだけである。正式推薦書を来年1月ごろユネスコに提出。ユネスコの世界遺産登録は14年夏となる。

 現在暫定登録されている。群馬と同時期に暫定登録されたのは長崎県の「キリスト教関連遺産」。平成20年に視察したとき本登録に向けた長崎の懸命な取り組みとその遺産価値をみて群馬はかなわないと思ったが逆転した。この幸運を活かすには登録後の取り組みが大きな課題。

◇昨日、ある所で楫取素彦の講演をした。このところあちこちで依頼を受ける。楫取がどういう経歴の人でなぜ群馬に来たか、そして、教育と新産業で群馬の基礎を築いたこと、これらの話を人々は身を乗り出して聴く。昨日は、富岡製糸場と楫取の関連も話した。楫取は、今日の群馬の活性剤になると感じた。(読者に感謝)

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2012年8月21日 (火)

人生意気に感ず「尖閣反日デモ。成都・瀋陽・長春。50万人の熱狂」

◇尖閣をめぐる中国の反日デモが激化している。浙江省の杭州四川省の成都などでは若者中心の約3千人が、「日本に宣戦」「日本製品ボイコット」などと叫んだ。19日の反日デモは、東北部の瀋陽、長春にも及んだ。成都は昨年末に訪れ、瀋陽、長春は来月に予定しているところなどで関心をもっている。

 中国の民衆が広い国土の中で瞬時に情報を交換し合いデモに立ち上がるようになったことは最近の注目すべき現象である。中国は多くの政治的、社会的矛盾を抱えている。一党独裁への不満、平等を建前とする社会主義の国なのに拡大する格差などだ。

 反日デモの姿は、これらの矛盾に対しても民衆が直ちに反応する可能性を示している。中国政府が最も恐れている事だ。一九八九年(平成元年)の天安門事件の衝撃は今でも中国社会へ影響を与え続けている。また、一昨年、アフリカのチュニジアで始まった民衆の反政府デモ(「アラブの春」・ジャスミン革命)はリビヤ、エジプトなど各国に波及し世界の独裁国は飛び火を恐れている。中国政府が反日デモの対応に慎重な理由はここにある。一歩間違うと矛先は政府に向かう恐れがあるのだ。

◇昨年暮れの日中議連による四川省成都訪問の目的は08年の四川大地震に関する視察だった。死者行方不明は9万人を超えた。北京五輪直前の大参事だった。中国政府は初めて外国の救援チームを受け入れた。四川省人民政府の黄功元氏は、日本の救援チームは一番早く駆けつけたと感激していた。感情的な反日デモは一過性だが、人道上の貢献は永く中国人の心に残る。

◇今年は日中国交回復40周年に当たる。9月7日から3泊4日、中国残留帰国者協会中心の訪中団が瀋陽と長春を訪ねる。瀋陽は遼寧省の省都でかつては奉天と呼ばれた。郊外の柳条湖は満州時変の勃発地。長春は吉林省の省都で満州国の時代は新京であった。

 これらの都市はかつて満州国があったところ。反日デモの背景にはかつての日本の支配に対する歴史的感情があるかも知れない。帰国者協会の人にとっては故郷の地。40周年を機に、歴史と現状を学ぶ。県の国際戦略にも役立てたい。

◇メダリストのパレードに50万人のファンが熱狂した。これだけの人が自発的に心を燃えたたせ笑顔をそろえることが凄い。この新鮮なパワーを線香花火にせず、リオにつなげ、教育の活性化と日本人のパワーにつなげたい。(読者に感謝)

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2012年8月20日 (月)

人生意気に感ず「地獄の戦場の生還者の最後の講演。ダンピール・サラワケット」

◇ニューギニアからの生還者岩田亀作さんを訪ねた(19日)。近く94歳になる亀作さんは「最後の講演」を快く引き受けた。人生最後の体験を語るシリーズの一環である。私は副議長の時、慰霊のためニューギニアを訪ねたのを機に、「今見る地獄の戦場」と題した小著を著したことがあるがその中で岩田さんのことを書いた。「生き残った戦友もほとんどいなくなった、奇跡的な人生だった」と久しぶりに会った私に亀作さんはしみじみと語った。

 貴重な体験を、戦争を知らない若い人たちに是非話して下さいと頼むと亀作さんは大きくうなずいた。ダンピール海峡やサラワケットに話を進めると身を乗り出して瞳を輝かせた。

◇私は平成13年慰霊巡拝でパプアニューギニアを訪れ、ラエの追悼式に臨んだ。近くに3千名近くの日本兵を呑んだダンピール海峡があった。制空権はアメリカ軍の手にあったからダンピール海峡を渡る日本の船団の空に対する備えはゼロに等しかった。爆撃を受けた甲板は死体が重なり、千切れた手足が散乱しぬめぬめした鮮血でおおわれた。船は、大爆発を起こし船首を空に向けて沈もうとしていた。死体をかき分けて外に出た亀作さんは海中に飛び込み沈む船が作る大渦から辛うじて逃れた。2時間近くも海を漂って救助された。低空から日本兵を狙い撃つアメリカ兵の顔が波間からはっきり見えた。俺は亀だから泳いで助かったと亀作さんは懐かしそうに笑った。

 4000メートルを超えるサラワケット越えに約8000の将兵が臨み約2200名が命を落とした。そそりたつ断崖絶壁の綱にマラリアにおかされた無数の兵士が蟻のように取りすがって登った。けもの道のような行路には死体が重なり、「湯が煮えたつように」蛆が盛り上がっていた。山の麓は熱帯だが上は零下となる。兵士たちは軽装だから凍死者が続出した。死んだ兵士の服を脱がして使う。「仏さんいただくぜ」と言って脱がそうとしたら「まだ生きている。死んでからにしてくれ」と絶えだえの声が聞こえた。亀作さんは銃の台尻を削って燃やし暖をとった。このようなことを語る亀作さんの脳裏には70年以上前の出来事が焼きついているのだ。生き証人の証言は貴重だ。無数の人が亡くなる中で人は命の最後の一滴にすがって生きようとする。戦争とはかくなるもの。人間の極限の姿だ。亀作さんの「最後の講演」は9月か10月になる。(読者に感謝)

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2012年8月19日 (日)

『楫取素彦読本』第21回

 何でも新しいものが良いということで、昔からの伝統や習慣が軽視される傾向が広がっていたのです。当時、「ざん切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と世相を風刺する言葉がはやった程です。

 これでは、子どもたちも教育も流される木の葉のようです。楫取は、このような時の流れをうれい、自ら学び生きる力を子どもたちに身につけさせようとしたのです。

 この事は、国際化が大きく広がる今日の社会においても大変重要な事なのです。

このような楫取素彦の教育方針は今日にも通じるものです。いや、それどころか、今日に於いてこそ、積極的に取り入れるべきことなのです。

○これは、修身説約の中に出てくる一例で、「信用される人」というタイトルがついています。

【解説】

人と約束をして守らないことは非常に良くないことだ、多くの人から見放されてしまうと説き、一人の男子のまじめな仕事ぶりをあげています。

文明開化の弊害

楫取素彦は、文明開化の大波を一つの国難と考えていました。

欧米の植民地にされるという最大の国難を乗り越えた後にやってきた国難は日本人の心が流されるという危機でした。

「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」(11頁下段)と言い残した吉田松陰の悲願は、日本人の心を守ることでした。

松陰の遺志を受け継いでそれを群馬の教育に実現しようとした楫取は、「剽悍にして軽佻」(37頁下段)と言われた群馬県人の心が文明開化の波に流されることを警戒したのです。

※土日祝日は中村紀雄著『楫取素彦読本』を連載しています。

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2012年8月18日 (土)

『楫取素彦読本』第20回

生きる力とは何かを考えてみましょう。国語も、算数・数学も、理科や社会科も社会を生き抜くために必要ですが、これらも、しっかりとした正しい心があって初めて活かすことが出来ます。

だから生きる力とは、正しい心、つまり、健全で逞しい心を基礎にして、その上に知識を身につけ、自分の力で問題を解決する力なのです。

つまり、楫取素彦は道徳教育を基本として、その上に知識を身につけることを考えたのです。

 楫取が道徳教育に力を入れたことを示す業績として、道徳の教科書「修身説約」の編纂があげられます。これは、群馬県で作られ全国的に教科書として使用されました。

 明治天皇が、明治十一年に来県された際には、出版前の草稿をご覧に供する程、県は力を入れました。

 楫取素彦が書いた序文にこの本の目的と楫取の考えが現われています。その一つは当時の大きな流行であった文明開化に注目しつつ、その弊害をおさえようとした点です。

【解説】

○平成二十三年三月十一日の東日本大震災は、日本人に道徳教育の根本ともいえる命の大切さ、助け合うことの大切さを示しました。

心の底に道徳がなければ、学問も知識も一片の木の葉のように軽いものだということを教えました。

幕末のぎりぎりの厳しい社会を行き抜いた楫取は、人間の生きる力の本質は、道徳であることをしっかりと自覚し、群馬の教育の上で、実現しようとしたのです。

○修身節約

群馬県で出版され全国的に使用された道徳の教科書です。

全十巻で、第一巻の序文を楫取素彦が書いています。

※土日祝日は中村紀雄著『楫取素彦読本』を連載しています。

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2012年8月17日 (金)

人生意気に感ず「東条・田中の処刑。竹島と魚釣島・日本の外交力」

◇処刑前、東条英機が家族と面会する映画のシーンにジーンと来た。金網越しの妻と娘たちに「父さんは大丈夫だ。母さんを大切にしなさい」と語る場面。

 自決をはかって失敗した東条は東京裁判にかけられるや検事キーナンの訊問に一歩もゆずらず反論。自分が天皇の御意見にそむくことなど絶対に有り得ないことを力説すれば天皇に責任が及ぶことになる。東条は「日本の論理」を述べて譲らなかった。23年11月12日、ウェッブ裁判長から「ハンキング」(絞首刑)の宣告を受けると微笑しながらイヤホーンををはずし、傍聴席の家族にちらっと視線を走らせ法廷のドアから姿を消した。12月23日午前零時、単鴨留置所で刑が執行された。64歳であった。東京裁判でただ一人東条は勝ったという見方がある。法廷で天皇の責任を認めさせようとする検事の追及をかわしたからだ。

◇この日7名が処刑されたが、その中に広田弘毅がいた。日中事変勃発時の外相。訴因はいくつかあるが、中心は南京大虐殺の罪を当時の外務大臣として問われたとされる。

 裁判の開かれる日は、次女と三女は必ず傍聴に訪れた。その後満州から引き上げた長女も加わるようになる。判決最終日の前日、法廷を終えてバスが正門を出るとき、令嬢たちがハンカチを振る姿を目かくし窓のすき間から見た広田は、席を立って気も狂わんばかりに帽子を振った。それは静かな広田を知るバスの同囚たちに深い印象を与えたという。

 ウェッブ裁判長の「デス・バイ・ハンキング」の宣告を聞くと静かにイヤホーンをはずし傍聴席の令嬢たちに会釈し微笑して去った。他の6名は「天皇陛下万歳」と叫んだが広田は黙って絞首台の穴に落ちた。

◇何百人という人が命を捨てた。指導者たちは敗戦の瞬間から死は覚悟したに違いない。勝ち目のない戦争をなぜやったか。どうしてもっと早く幕を引けなかったか。67年、まだ十分に検証は出来ていない。

◇竹島と魚釣島。どちらも頭に来るが、魚釣の場合は暴力団のような人々なのに対し竹島には大統領が上陸。軽薄な指導者だ。日本は国際司法裁判所に提訴する方針だが韓国は応じない。不利と分かっているからだろう。日本の主張を国際社会にアピールする場になる。日本の外向力が落ちている。サムライが少なくなったからだ。外交も敗戦から学ぶことは多い。(読者に感謝)

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2012年8月16日 (木)

人生意気に感ず「慰霊祭。玉音放送。竹島・魚釣島・毒殺命令」

◇群馬アリーナで終戦記念日の追悼慰霊祭が行なわれた(15日)。正午の鐘と同時に黙とう。続いて天皇陛下のお言葉が正面の大画面に写し出された。天皇の声を聞きながら、67年前の天皇の声、つまり「玉音放送」に耳を傾ける人々の姿を想像した。

 国民には正午に重大放送がある旨知らされていたが天皇の声が流れるとは誰も思わなかった。明治憲法下、天皇は神であって、国民に直接語りかけるなど有り得ないことだった。

 しかし、直ぐに天皇の声と知ったときの国民の衝撃の大きさは測り知れないものだった。

 ラジオの声は聞き取りにくい部分があったが、戦争の終わりを告げている事は分かったと多くの証言は述べている。皇居前に集まった人々は、天皇の住む方向に向かい玉砂利に手をついて自分たちの努力が足りなかったことを詫びた。腹を切る軍人もいた。

 多くの国民は心の芯を抜き取られたように虚脱感に襲われたがやがて明るさを取り戻した。

 67年前の「玉音放送」は再生日本の原点だった。慰霊祭にもその意味を持たせなければ、慰霊にならないと思う。戦没者の悲願は日本の再生に違いない。

◇今回の慰霊祭では、これまでになく多くの若者が参加した。慰霊の実質を後世に伝えるためにも中高生の参加を増やすべきだと私は主張してきた。今回は、学生ボランティアの大学生33名や遺族のひ孫等を含め計87名が参加した。この動きを来年は更に加速させるべきだ。そして、祭の中味の工夫も要検討だ。

◇日本海の波高し。韓国、中国との間で、火花が生じている。韓国大統領が竹島に上陸し、香港の活動家が魚釣島に上陸した。

 豆粒のような小島だが、国の主権に関わることで国民感情を刺激する。竹島は島根県に尖閣諸島の魚釣島は沖縄県に位置する。これら島をめぐっては隣国との歴史的背景が関わっている。日本は毅然とした態度を貫くべきだ。オリンピックで示した国民的高揚感を本物にしなければならない。魚釣島で逮捕した14人については特別扱いせず不法入国として厳正に対応しなければ、益々中国になめられる。

◇元軍医の証言。捕虜にさせないため3千700人を毒殺せよと青酸カリを渡される。玉音放送で使わずに済んだという。同様の話を前橋の岩田亀作さんから聞く。衛生兵として病人200名の毒殺を命じられたが薬を土に埋めた。ニューギニアの戦場。人間は消耗品だった。(読者に感謝)

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2012年8月15日 (水)

人生意気に感ず「楫取の除幕式。群馬の金字塔。私の終戦」

◇初代県令楫取素彦の命日に合わせ顕彰板除幕式が行われた(14日)。前日からの頭痛のたねは天気。予報は微妙だった。未明、窓外の柿の葉を打つ微かな雨の音にはっとして目を醒ます。屋外の式場が目に浮かぶ。夜明けと共に雨は本格的となった。天を怨む気持ちだ。午前8時意を決して土砂降りの中、会場に向かった。集合時間の8時半、県庁舎東の高浜公園に着くと雨は止んでいた。やったー。心に叫ぶ。

◇主催者挨拶の冒頭、私は次のように述べた。「吉田松陰は死の直前楫取素彦に、至誠にして動かざるは未だ有らざるなりという言葉を送りましたが、今日の式を成功させたいという楫取の至誠が天に通じ雨は止みました」

 県会議長、前橋市長等が挨拶した。来賓席には県市の教育長、富岡市長も。除幕が行なわれ楫取功徳碑に並んでステンレス製の立派な楫取説明板が姿を現わした。板面には、楫取、寿子夫人、松陰、清光寺、臨江閣茶室が鮮やかに描かれている。楫取顕彰会の若者が、この公園を楫取公園と呼ぼうと叫んだ。名案だ。

◇顕彰説明板は上出来だと思う。四枚の写真もきれいに配置されている。公園もこの日に合わせてきれいに整備されたことだし、歴史巡りの一つのポイントになればと思う。

 司会者の学芸員手島さんから説明板の解説をと振られ、私は松陰の短刀、富岡製糸場、廃娼運動等につき話した。これらは隣接の楫取功徳碑にもない事実である。

◇「廃娼」は楫取の業績で最も重要なものだ。湯浅治郎を中心とする県会と楫取が力を合わせて築いた女性解放、人間尊重の金字塔なのだ。

 説明板には記されなかったが、廃娼運動では、新時代の理想に燃えた上州の青年たちが大きな役割を果たした。また背景には奴隷船マリアルース号事件に関する政府及び世界の動きがあった。

 これを含め楫取素彦を中心とした近代群馬の動きを近く東大の一機関誌「縦の論壇」に寄稿する。群馬を売り出す一助になればと思う。

◇私は5歳の時、県庁の近くで終戦を迎えた。我が家は旧宮城村の最北の地に掘立小屋を作り開墾生活に入った。谷川にはカニや小魚が群れ、下の部落にお使いに行く道では時々大きなヘビに出会った。食料難の時代であったが、毎日食べさせられた大根、サツマイモ、ウリッパには涙を落とした。一年余で小学校へ通える所へ家を移した。鼻毛石の小学校へは裸足で通った。多少の根性はあの山野のお陰である。(読者に感謝)

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2012年8月14日 (火)

人生意気に感ず「終戦記念日のマンネリ。玉音放送。再び五輪を」

◇明日(15日)は67回目の終戦記念日。戦争を知らない人々が大半を占め、あの戦争が日本人の体感から離れ歴史的事実に没し去ろうとしている。記念日施行の目的は、慰霊と同時に日本民族のあの歴史的悲劇から教訓を引き出すことだ。教訓を活かさねば慰霊にならない。「活かす」ためには後世に戦争の生生しさを伝えねばならない。

 毎年のアリーナの慰霊祭に出て思うことは、まんねり化し、参加者が少なくなっていること。多くの若者たちを参加させよと私は提言しているが行政は変化を嫌って実行しない。今年も同じことの繰り返しだろう。

◇67年前の今頃、ポツダム宣言受諾の可否をめぐって政府中枢では激論が交わされていた。既に、無条件降伏を告げるポツダム宣言が7月26日に発せられていた。8月6日広島に原爆投下、8月9日ソ連軍が満州に侵攻、そして同日、長崎にも原爆が投下された。

 最終的にポツダム宣言受諾が決まったのは8月14日午前10時45分に開始された御前会議に於いてであった。この会議を巧みにしきってポツダム宣言受諾に導いた人が鈴木貫太郎首相だった。議論を尽くしても結論が出ない状況で、天皇の判断によって決しようと提案し、異議をはさむ余裕を与えず会議を進めたのだ。

 天皇は、戦争終結の決意をはっきり述べた。そして自分はどのようになろうとも万民の生命を助けたい。そのため自分は何でもする。国民に呼びかけるためにマイクの前に立つと決意を述べた。かくして事は決せられ、15日正午の「玉音放送」となった。

 明治憲法の下でも天皇が自ら政治的判断を下すことはなかった。そういう意味では超法規的で異例な出来事であった。結果として本土決戦を避ける事が出来た。このような結論を導いた鈴木貫太郎は日本を救った総理大臣と言われる。

◇オリンピックが終わった。38個のメダル数が日本の実力を雄弁に語る。自信を失った日本人に、日本も捨てたものではない、頑張れば道は開けるということを示し、勇気と自信を与えた五輪だった。女性の活躍が素晴しかった。なかでもなでしこは偉かった。ワールドカップで優勝し、これで終わりかと思ったらおごることなく五輪で銀。今回の五輪の成果を日本人共有の宝として五輪以外に広げたい。学校では先ず五輪の歴史を教えるべきだ。(読者に感謝)

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2012年8月13日 (月)

人生意気に感ず「熱き墓に。楫取の除幕式。五輪終了。御巣鷹の怨み」

◇亀泉の霊園の小さなキリスト墓地は32年前のあの時のように炎天の下、夏草の中に静かに横たわっていた。墓石には8月14日命日とある。40歳に手が届いたばかりだった。かつての人生の同志に手を合わせ近況を語りかけた。墓の主の兄はかつて、「限りなく熱き墓なり妹よ」と詠んだ。

◇楫取素彦の命日、明日8月14日に「楫取素彦の足跡」を記した顕彰説明板の除幕式が行われる。ステンレスの板面に近代群馬の基礎を築いた業績が記される。日本で最初の女性解放の意味をもつ廃娼運動の記述は、隣接の楫取素彦功徳碑にはない。高浜公園はこの日に合わせ整備され見違える程きれいになった。功徳碑も顕彰会の人々の手によって水で洗われた。炎天下、120年振りの入浴に楫取もさぞ喜んでいるだろう。建立は明治25年(一八九二)だった。除幕は午前10時。一般の人も歓迎である。楫取の顕彰を一過性にしないことを顕彰会は決意している。

◇オリンピックが閉幕した。引き込まれて感動と興奮を味わった。白地に太陽、日の丸は素晴しい旗だ。遠い異国で目にする日の丸は選手にとって格別のものだろう。7、14、17。これは金、銀、銅の数。計38個はアテネを抜いて日本史上最多。メダルの一つ一つに物語がある。限界に挑戦して更に一歩を踏み出す力は精神力である。団体競技ではそれが特に顕著で、一プラス一は二以上となる。

 日本人を鼓舞させた背景には東日本大震災があったと思う。多くの命が失われる中、人々は助け合った。力を合わせて困難に立ち向かうことの尊さを、大震災は日本人の心に焼き付けた。これが日本人のオリンピックを支えたと私は信じたい。メダルを獲れなかった選手も最大限の努力をした。あるメダリストの言葉にグッと来た。「負けたことが力をつけた」というもの。負けた選手たちよ、この言葉を信じて再起して欲しい。ブラジルに向けた戦いはもう始まっている。

◇「尺八の夕べ」と題した民謡のコンサートがあった(12日)。挨拶の番を待っている時、朗朗と澄んだ尺八の音が流れた。九ちゃんの「上を向いて歩こう」だった。坂本九は日航機事故の犠牲者である。

 520人の死者を出したジャンボ機墜落からもう27年がたった。12日、上野村の御巣鷹の尾根で慰霊祭が行なわれた。巨大事故は必ず起きることを教えている。上野村村長は、ここは、航空機事故を戒める霊地。事故を未然に防ぐ発信基地にしていくと決意を述べた。

(読者に感謝)

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2012年8月12日 (日)

「楫取素彦読本」第19回

六、楫取素彦の人づくり教育

人づくり、つまり群馬の教育に力を入れたことは、本来学者であり、教育者であった楫取素彦として当然のことでした。

 県令(知事)として群馬県の教育を指導する立場に立った楫取の胸には、かつて古里の長州で関わった松下村塾や藩校明倫館の事が甦っていたことでしょう。

楫取素彦は教育を進めるための立派な施策を実施しました。中でも一番力を入れたことは道徳教育でした。道徳とは人間が歩むべき正しい道のことで、つまり心の教育でした。

道徳教育の大切さは、二十一世紀の今日でも変わりません。現在、私たちの社会は教育の目的を「生きる力」を身につけることとしております。

【解 説】

明治十四年(一八八一)

楫取素彦五十三歳の時、人生の一大事が起きました。寿子夫人が四十三歳で病死したのです。

寿子夫人の墓は東京の青山墓地にあり、墓誌には、楫取素彦の哀切な心情が刻まれています。

 その墓誌の拓本は、前橋市の清光寺に保存されています。

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2012年8月11日 (土)

「楫取素彦読本」 第十八回

倒幕と明治新政府の樹立により自分の役目は終わったと考えたかも知れません。しかし、新しい時代の流れは、楫取素彦が静かに野にくだることを許しませんでした。

 新政府は、彼にふさわしい新たな任務を与えました。国のためならば、ということで楫取素彦は新たな決意をもってそれを引き受けました。それが群馬の初代県令だったのです。彼はどんな思いで、新天地に赴任し、そこで何をなし遂げたのでしょうか。

それを明らかにすることは、楫取素彦を二十一世紀に甦らせ、楫取と私たちとの新たな出会いを実現し、群馬の新たな発展の基礎を作ることにもなるのです。

 治めるのが難しいとされ「難治」といわれた群馬を任された楫取は、人づくりと新産業で群馬を発展させようと決意しました。

【解 説】

○難治の県群馬とは。

 楫取素彦功徳碑には、「その民は剽悍(あらっぽい)にして軽佻(かるはずみ) 事に臨み躁急(せわしい)にして老成(分別)持久(忍耐)の実無し」とあります。

 ちょっと不満ですが反省の材料にしたらよいと思います。

○明治十四年(一八八一)楫取素彦五十三歳の時、人生の一大事が起きました。寿子夫人が四十三歳で病死したのです。

○寿子夫人の墓は東京の青山墓地にあり、墓誌には、楫取素彦の哀切な心情が刻まれています。

 その墓誌の拓本は、前橋市の清光寺に保存されています。

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2012年8月10日 (金)

人生意気に感ず「長崎平和宣言。警官不祥事。ナデシコはやった。」

◇長崎市長の平和宣言は天魔の所業の無慈悲さを甦らせる。「人間は熱線で黒焦げになり…。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきました」また、無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核兵器がなぜいまだに禁止されていないのかと世界に訴えた。

 そして、福島第一原発事故に関しては、放射能に脅かされない社会の再構築のための新エネルギー政策の目標と明確な具体策を政府に求めた。

 同根から発した原爆と原発の問題が一点に集まった。共通の問題であることが認識された意義は大だ。核のない世界の平和と新エネルギーを一体として進め世界に貢献する新しい日本の方向がスタートした瞬間である。

◇最近、警察官が海水浴場で若い女性をレイプした事件は、警官の不祥事に慣れっこになった社会の目にも特に異常に映った。日本の社会に何が起きているのか。背景に何があるのか。

 今年6月までの半年の懲戒免職警官は31人で過去最悪。警察庁は都道府県に再発防止への取り組みを指示した(9日)。不祥事多発は群馬も同様で、私は5月議会で指摘し対策を求めた。警察官も人の子だから時の社会の異常さの影響を受けるのは止むを得ない。しかし、その上で警察官なのだ。警察庁と地方の警察が共通の認識と決意をもって臨まねばならない。警察官はサムライの志をもて。

◇いじめ問題をはじめとした警察の対応が批判されている。警察庁は被害届の即時受理を都道府県警に指示した。これまで、受理しなかったことが被害を拡大させたり解決を遅らせることが少なからずあったからだ。「受理」は警察が市民に向き合う一歩であり、信頼をつくるスタートでもある。

◇なでしこジャパンはよくやった。紅き血のイレヴンだ。アメリカの猛攻に耐え最後に意地の一点を返した。なでしこの成果は限りなく大きい。日本の女子サッカーは更に輪を広げるだろう。その教育的効果は計り知れない。

 オリンピックを頂点とするスポーツを教育の視点からしっかり位置づけ国民的コンセンサスをつくるべきだ。教育界は閉塞状況にある。東日本大震災後の日本人のモラル覚醒状態と合わせて進める好機だ。(読者に感謝)

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2012年8月 9日 (木)

人生意気に感ず「消費増税。衆院解散。小原日登美の金。長崎の原爆」

◇ロンドンでオリンピックが燃えている時、国会も野田首相と谷垣自民党総裁が火花を散らせている。こちらは、消費税増勢と衆院の解散がかかる。自民は消費増税法案を通す条件として衆院解散の確約を迫った。総選挙で政権を奪還することは自民の悲願である。解散総選挙となれば負けるのが必至の民主党は解散を遅らせたい。解散権は首相の大権だから、首相は他の力で左右されたくない。解散の時期を自民に約束させられるようでは首相の権威は地におちる。しかし「政治生命を賭ける」法案成立のため妥協しなければならない。「近いうち」で谷垣総裁が了承。法案は10日に成立の見通しだ。

◇「近いうち」とはあいまいで解散時期は決まっていないことである。しかし、遠くない時期にあるのは確実の状況だ。総選挙となれば群馬にも波乱が起きる。民主党は極めて厳しいだろう。自民党県議からは笹川博義氏が2区から出馬する。4区では維新の会からの出馬が表明されている。前橋は市長選の熱い攻防が終わったばかりだがまた選挙の季節だ。来年2月には市議選もある。

◇女子レスリングで伊調、小原が金を得た。女子レスリングは柔道と並んで日本が得意とする部門。柔道は惨敗したが、女子レスリングは凄い。「金」獲得にはどれにもドラマがあるが、小原日登美の歩んだ姿には心打たれる。31歳で金を手にするまで、ずい分回り道をし、引退を決意し失意に沈んだ時もあった。全てを克服した精神力に頭が下がる。青森出身。東北の人に限りない勇気を与える。金とよくマッチした笑顔だった。おめでとう。

◇今日、9日、長崎は原爆の日を迎える。67年前の8月9日午前11時2分であった。長崎は不運だった。第一目標の小倉市が雲で覆われていたために長崎となった。雲の状況が違っていたら今日の原爆の日は小倉で開かれていただろう。

 広島の原爆はウラン原料で形は細長くリトルボーイと呼ばれ、長崎のはプルトニウム型でファットマン(デブ、太っちょ)と呼ばれた。長崎はカトリック教徒が非常に多い。かつてキリスト教徒に対する過酷な弾圧が行われた。長崎の離島には隠れキリシタンの遺跡が多い。群馬と同時にキリスト教遺産が世界文化遺産への暫定登録になったが、本登録は群馬が先となる。調査で長崎県庁を訪れる度に悲劇のまちの人々の誠実さと優しさを感じる。今日長崎の鐘が鳴る。(読者に感謝)

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2012年8月 8日 (水)

人生意気に感ず「オリンピックと67年前の敗戦。処刑後の再審。楫取素彦除幕式」

◇顧問を務めるある組合の懇親会で挨拶した。その内容は、今、どの業界も難題を抱えて大変だが、日本人がオリンピックでぎりぎり頑張ってメダルを取る姿を見れば大いに勇気がわくではないか、また、67年前の敗戦から立ち上がったことを考えればどんなことにも耐えられる筈だというもの。

◇日本人がオリンピックの多くの種目で健闘する姿を見て67年前の敗戦時のことが思い出される。私は数えで5歳だった。前橋の大空襲は8月5日であった。私は母に手を引かれて前橋公園の防空壕に入り息を潜めていた。赤ちゃんの泣き声に「B29に聞こえるぞ」と怒る人がいた。

 この時、日本の運命を決する歴史的一大事が次々に起きていた事を小さかった私はもち論、一般の人々も知らなかった。8月6日広島に原爆が投下され、8日には、ソ連が満州に侵攻し、9日、今度は長崎が原爆に見舞われた。私は原爆の悲惨さについて、小学校に入って映画教室で知った。原爆の威力は「ピカドン」で語られた。子ども心に衝撃的であった。その後、学校で原爆の原理について教えられることはなかった。なぜかと今、改めて考えさせられる。

◇後年長崎を訪れるたびにこの街に原爆が落とされた不運さを思う。予定地は小倉であったが雲で地上が見えないため長崎となった。ちょっとした気象条件が長崎の運命を左右した。

 今年から小中校で「放射線」を教えることになった。通り一遍の授業になろうとしている。原発事故と共にヒロシマ・ナガサキもきちんと教えるべきだ。

◇私がかねて関心を持っていた東電OL殺人事件について再審開始が確定した。ネパール人ゴビンダの冤罪が明らかになる。確定死刑判決についても再審無罪が少なからずあることは衝撃的だ。最近の再審は、菅家さんの足利事件に見るように超精密なDNA鑑定、科学捜査の成果である。死刑執行後に、この科学の力によって新たな証拠が出ることは必ずあり得ることだ。執行後に無罪となったら取り返しがつかない。執行後の再審が問題となっているのは、08年執行の飯塚事件である。

◇初代県令楫取素彦の顕彰説明板の除幕式が楫取の命日、8月14日に取り行われる。県庁舎西の高浜公園内、楫取素彦功徳碑の隣りに建てられる。楫取素彦の足跡を記した。楫取素彦顕彰会が主催。8月14日午前10時、一般の人も参加可。メインの記念事業は9月18日。(読者に感謝)

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2012年8月 7日 (火)

人生意気に感ず「ボルトの偉業。ナデシコの奇跡。ヒロシマの平和宣言」

◇ボルトが100mを9秒63で走った。五輪新記録。身長195cm、最速時の歩幅は2m75cm、ゴールに突進する迫力は凄い。ジャマイカ出身の世界最速男は「伝説への一歩に過ぎない」とこともなげに語った。

 ジャマイカはカリブ海の島国でコロンブスによってこのあたりが発見された後スペイン領になりアフリカの黒人が奴隷として運びこまれた。その後イギリス領となり現在は英連邦の一員である。ボルトの逞しい肉体と白人を圧倒する動きを見て壮大な世界史の流れを連想する。オリンピックには世界史が凝縮されている。

◇ナデシコがやった。午前2時半頃目を醒まし、30分間のドラマを見ることが出来た。息を呑む瞬間の連続。勝利の時、やったと思わず叫んでいた。会場のどよめきの中に日の丸が乱舞する。決勝に進み銀が確実になった。

 フランスの猛攻を耐えに耐えて少ないチャンスを活かした。日本人らしい戦い方。日本の存在を世界に示し、日本人に限りない勇気を与えた。子どもたちにとってこれ以上の教材はない。残すは強敵のアメリカ戦。平和の戦いでアメリカを負かして欲しい。男子サッカーに対しても大きな刺激となる。男子、女子のサッカーが奇跡の結果を生むことになれば、それこそ日本再生の狼火である。

◇広島市長の平和宣言を読んだ。市長は、当時13歳の少年の体験を紹介する。遺体収容作業の場面だ。「足首をつかむがズルッと皮がむけて握れない。指先に力を入れると滴(しずく)が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ」

また市長は、「辺り一面は無数の屍が重なり、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など正に生き地獄だったのです」と当時の状況を語り、核兵器の非人道性とその廃絶を訴えた。

 また、東日本大震災に関しては、被災者の姿は67年前のヒロシマの人々と重なると述べ、エネルギー政策については、国民の間に「核と人類は共存出来ない」という声があることをあげ、政府は市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立すべきだと訴えた。

◇67年の時をへだてて、西日本と東日本に起きた2つの出来事の共通点は原子力である。原爆の悲劇を国民全体の教訓として活かさなかったことに天は大きな示唆を与えている。

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2012年8月 6日 (月)

人生意気に感ず「原爆の日。原爆と原発。女子マラソン。教育書道展」

◇今日は原爆の日。投下から67年経つ。今回は福島第一原発事故により、放射線の恐怖を見せつけられた直後だから、日本人は改めて原爆投下を見詰めるべきだ。原爆と原発は同根である。核分裂のエネルギーで湯を沸かし発電機を回す原理である。核分裂の放射線のコントロール失敗が事故の実態。福島の被災地の荒涼とした光景は原爆投下後の広島のようだ。

 広島市の記念式典には、全町民避難の浪江町町長や原爆投下を命じたトルーマンの孫も初めて出席する。

◇投下目標都市は広島・小倉・長崎・新潟で捕虜収容所のない広島は第一目標だった。67年前の今日、8月6日、午前1時45分太平洋のテニアン基地を出たB29エノラゲイ号は午前8時15分、広島市上空高度9600mからウラン型原爆リトルボーイを投下した。

 被爆者は証言した。「一瞬広島市は地面に叩きつぶされていた。巨大な火柱が中天めがけて奔騰した。全市阿鼻叫喚の修羅場と化した。全裸半裸の血だるまの群集が幽鬼の姿で逃げまどい死んでいった」

 その年の12月までの広島の死者は約14万人。人類初の無差別殺戮、テロであった。広島・長崎後、原爆の恐怖を語り、反対することは、広島と長崎を除いては左翼勢力の専売特許のようになった。そして、政府も一般国民も、学校もことさらこのことに関心を示さないできた。そして、安易に原子力の平和利用として原発を推進してきた。そのつけが今日の事態を招いた。

◇オリンピックも終盤を迎えた。若い力が日本の存在感を世界に示している。限界に挑戦しギリギリ頑張る姿は閉塞感あふれる日本人に限りない勇気を与えている。オリンピックに於ける成果は国の総合力を示すもので、文化度や精神的なバックボーンが重要な要素となる。サムライ日本を高く掲げ再認識したい。

 女子マラソンを見た。黒い旋風がロンドン市街を駆け抜けた。エチオピアやケニアの強さは圧倒的である。同国民に与えるインパクトは想像に余りある。

◇県教育書道展で挨拶。東日本大震災では書道に携わっていた子どもたちも犠牲になったに違いない。災害時の日本人のたすけ合う姿を世界中が日本人の美徳とたたえたが、それを支えるものは心を重視する日本の伝統文化であり書道に打ち込む意義は大きい。このようなことを話した。壇上に登る子どもたちの中には瞳を輝かせた豆粒のような小一の姿もあった。(読者に感謝)

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2012年8月 5日 (日)

「楫取素彦読本」第17回

ここで、楫取の人間性について少し触れておきたいと思います。なぜなら、初代県令の真価を知る上で重要だと思われるからです。

 楫取は人の血が流されることが日常茶飯事の時代を生き抜いた侍でしたが、どちらかといえば平和を好む誠実な学者肌でありました。だから、殿様から、諸藩や京の公卿たちとの交渉役などの役目を与えられたのです。

戦いの時代はひとまず終わり、安定した明治の時代になりました。楫取のような人物が本領を発揮する時代です。しかし、楫取は人をかき分け押しのけて出世を目指す男ではありませんでした。

■解説■

明治九年(一八七六)、四月、楫取は熊谷県令に任ぜられます(群馬県の前身です)。

同年八月、熊谷県は群馬県と改められ、楫取は群馬県令に任ぜられました。四十八歳でした。

翌年(明治十年)維新三傑の一人木戸孝允が四十四歳でこの世を去りました。

楫取素彦は、高い志と共に、深い学問を持った人でした。

長州藩は、幕末の多くの困難を抱える中で、他の藩や朝廷の人たちと接し交渉する人物を必要としましたが、楫取素彦は、そのために最適な人物でした。

従って、大宰府にいた公卿・三條実美の所へ藩の使者としておもむき薩長同盟の準備をしたこと(32頁下段)は、楫取素彦の面目躍如といえます。

※土日祝日は中村紀雄著「楫取素彦読本」を連載しています。

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2012年8月 4日 (土)

「楫取素彦読本」 第十六回

明治の新しい世の中の実現を楫取素彦は万感の思いで迎えたに違いありません。

その胸の中には、この変化を見ることが出来ず

に世を去った吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞ら多くの志士の姿が描かれていたことでしょう。

また、彼の胸中には、これら多くの同志の死を決して無駄にしてはならないという思いがあったはずです。

 明治政府は群馬県を「難治」の県と想定しました。治めるのに難しい県という意味です。資料によれば、荒々しい県民性が原因のように言われますが、他に、群馬の諸藩は徳川家との関係が深かったので幕府を倒した新政府は要注意の県と考えたと思われます。

また、古代から群馬の地は、国を治める上で大変重要な所でした。そこで、長州藩出身の立派な人物、楫取素彦を県令(知事)として任命したのです。

【解 説】

○慶長八年(一六〇三)江戸幕府が開かれました。

○慶応元年(一八六五)楫取素彦は九州大宰府の三條実美の所へ内使としておもむき、ここで、坂本龍馬と会って薩長同盟を策しました。この時、楫取素彦は三十七歳でした。

○明治元年(一八六八)に江戸幕府は亡びました。また、この年江戸を東京に改称しました。

PhotoKatori

・初代議長 宮崎有敬 ・初代県令 楫取素彦

○初代県令は、楫取素彦でしたが初代県議長は宮崎有敬でした。宮崎有敬は、生糸と織物の改良に尽力しました。

また、前橋の上毛繭糸改良会社の創設、県農事試験場の設置を実現しました。高浜公園に立つ宮崎有敬顕彰碑の文は、楫取素彦撰文によるものです。

○楫取と宮崎は、新しい群馬の出発に当たり、それぞれ、県令、県会議長として力を合わせました。

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2012年8月 3日 (金)

人生意気に感ず「福島原発聴取会。原爆と原発。隣県の原発。警官の犯罪。楫取の除幕式」

◇将来(2030年)の原発比率をどうするかに関して政府が各地の県民の意見を聴く会(聴取会)が1日、福島県で開かれた。原発を抱え、直接被害を受けた県民の声の激しさは真に迫っている。

「意見を聴くというがガス抜きではないか」、「今すぐ原発ゼロに。原発と命は共存できない。安全神話と決別すべきだ」、「政府も東電のいいなりで事故になった。ふるさとを失った苦しみが分かるか」等々。

◇かつてドイツの科学者はウランに中性子をあてると核分裂を起こしその際計器の針が振り切れるほどのエネルギーが生じることを発見。このエネルギーを兵器に応用したのが原爆であり、発電機を回す力に応用したものが原発である。原爆と原発は同根なのだ。

 人類史上初の原爆の惨禍を体験したにもかかわらず原発の危険性を軽視したために今日の原発事故が生じた。広島・長崎の参事を日本人が全体で受け止めなかたつけである。歴史は繰り返す。福島第一原発の事故は型を変えた原爆投下のようなものだ。国会事故調査委員会の報告書が「人災」と指摘したことにはそのような意味が含まれていると見るべきだ。

◇本県に原発はないが、一度事故が起きれば県境は関係なく放射性物質が飛来する。ましてや隣県の原発は脅威である。私は議会で隣県新潟・刈羽発電所に対する備えについて取り上げたが、当局に緊張感はなかった。原発県との連携を密にして対策を立てるべきだ。

◇栃木県は原発異常時の対応につき東電と覚書を結んだ。相手は福島第一・第二と刈羽の原発。東電から速やかに通報すべき場合として、放射性物質の漏えい、故障による原子炉の停止、原発敷地内の火災などだ。本県もならうべきだ。私は提言したい。

◇警察官の犯罪が日常化する時代になった。またかとあきれる事件は大阪府警の準強姦容疑。海水浴場の少女に酒を飲ませ泥酔させて乱暴した疑いである。ゴムボート上の行為を複数の海水浴客が目撃したという。職務を離れた時も警察官の自覚は必要。全国的な問題である。「警察を見たら泥棒と思え」であってはならない。

◇楫取素彦の顕彰説明板の除幕式が楫取の命日に合わせて行われる。8月14日午前10時、県庁舎西の高浜公園内、楫取の功徳碑と並ぶ位置に。楫取素彦読本も17日に世に出る。萩博物館から大きなポスターが来た。楫取素彦と幕末明治の群像とある。萩市も没百年特別展を9月22日から開く。本県は9月18日に行う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。

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2012年8月 2日 (木)

人生意気に感ず「女子柔道松本と上野。原発事故告訴。67年前の原爆の夏」

◇柔道女子の松本薫(金)と上野順恵(銅)がいい。松本が試合に臨む形相は、荒ぶる魔神の如くであったが、目的を果たして破顔一笑する姿は一変、個性的な美人となっていた。

 上野順恵は柔道三姉妹の一人。姉は北京五輪の金メダリスト。上野の闘う姿は控え目で消極的に見えた。しかし、インタビューに応える様子には、内に秘めた闘志が現れている。とつとつとした話し振りから家族の団結とほのぼのとした愛情が伝わる。松本も上野も変化する日本の女性を象徴する姿に見えた。

◇柔道はまともに見ていられない。巨体の外人選手が強引に相手を寝技にからめ取る姿は獲物に襲い掛かる大蛇を思わせる。男子サッカーの対ホンジュラス戦。キーパーのボールにしがみつく背中が死んでも離さないという執念を語る。

◇原発事故の刑事責任を問う告訴・告発が受理された(1日)。被害者の申立が告訴、被害者以外の申立が告発。国会、政府、民間等の調査は全て東電や政府が打てる対策を怠ったと非難、特に国会事故調は「人災」であることは明らかと指摘していた。業務上過失致死傷容疑の申立は当然だと思う。さもなければ小さな犯罪は厳しく大きな犯罪は見逃されるという不公平感が広がり社会の正義が崩れる。

◇8月に入り終戦記念日が近づく。戦争を知らない人々が大半を占め、あの戦争が風化していく。15日の追悼式も年々参加者が減少する。私は、高校生等の組織的参加を呼びかけてきたが県は進めない。なぜか。

 炎暑が続くが67年前の夏の暑さはこの比ではない。7月16日、ニューメキシコの砂漠でアメリカは人類初の核実験を成功させる。これはポツダム会談中のトルーマン米大統領に報告される。7月26日対日無条件降伏を示すポツダム宣言が発せられるが、この日、早くも日本を射程内とする太平洋のテニヤン基地に原爆は運び込まれた。

 時の首相は、前橋市の桃井小を経て前中(現前高)で学んだ鈴木貫太郎。御前会議を巧みに導きポツダム宣言受諾を決定し、本土決戦を避け日本を救った総理である。8月6日、9日と原爆が投下された。爆心の熱は数百万度。人も鉄も溶かし大量の放射線を撒き散らした。原発の原点がここにある事に日本人は目をそらしてきた。前橋市の大空襲は8月5日。535人の死者を出した。今、これらを見詰める意義は極めて大きい。(読者に感謝)

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2012年8月 1日 (水)

人生意気に感ず「東電OL・再審。五輪の日本女性。楫取の読本と説明板」

◇東電OL殺人事件の無期懲役囚だったネパール人ゴビンダさんは裁判所の再審開始の判断により家族と共に帰国した。再審に対する検察の異議申立が7月31日棄却され再審の公判が確実となった。

センセーショナルな事件を私は注目してきた。超エリートの東電OLは勤務時間後娼婦となって連日道玄坂などに立った。自分にノルマを課す如く手帳には相手と全額まで書かれていた。ゴビンダさんが逮捕され、一審は無罪、高裁で無期となりその後確定。ゴビンダさんがこのアパートで相手をした事は事実だった。第三者の精液が鑑定され再審につながった。ゴビンダさんの可能性も残るが、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟の原則で再審が支持された。昔、再審は針の穴に象を通すと言われたほど開始は困難だった。確定判決の権威を守るためだ。今日の動きを支えるものは、裁判にも過ちがある事と人権の尊重である。足利事件の菅家さん再審無罪は身近かで記憶に新しい。

◇オリンピック女子水泳の寺川綾、鈴木聡美のメダルを手にした笑顔が素晴らしい。水にぬれた躍動する姿は何とも言えない。柔道にサッカーにと日本女性の活躍は目覚ましい。女性のこのような動きは日本の歴史になかった。「サムライ」には女性も含まれているという見方が世界に広がるだろう。

◇8月になった。67年を数える終戦記念が近づく。オリンピックの若者を見ていてあの大戦も過去の歴史上の出来事になったと思う。

 あの敗戦時と同じような国難に直面している現在、足下の岩盤を見つめることは重要だ。そんな思いで楫取素彦に取り組んできた。今年はこの初代県令の没後100年で8月14日は命日に当たる。今月、顕彰会の事業として「読本」と「顕彰説明板」が完成する。

 楫取素彦読本は途中の段階から多くの人に見てもらう事を心掛けた。「粗本」だという批判も無視せず糧にして、下段の「説明欄」には顕彰会の考えを書き完成させた。今月17日頃出版の見込み。

 又、顕彰説明板は、「楫取素彦の足跡」と題して、90センチ×180センチのステン材で、右上段の楫取、下段には吉田松陰、楫取寿子(楫取の妻で松陰の妹)等を配置し、教育と新産業で群馬の基礎を築いた県令楫取の業績を記した。8月14日の日付。県庁舎裏の楫取顕彰碑に並んで建てられる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「楫取素彦読本」を連載しています。

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