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2012年7月 1日 (日)

 楫取素彦読本 第六回

日本の新しい時代をつくったこのような人々の中にいて激しく燃えた人物が、その後、群馬県に現われて群馬県の新時代の扉を開いたことに、私たちは不思議な思いを抱かずにはいられません。私たちは、楫取の生き方を知ることによって、そこから勇気と力を得られることでしょう。 楫取素彦が仕えた長州藩は、天皇を中心に一つになって外国を打ち破るという方針でした。そのため、幕府の怒りをかって幕府に攻められたこともありました。長州藩の中も動揺し、楫取素彦は、反対派によって、一時、藩の牢屋に入れられたこともあったのです。 長州藩には、楫取素彦と同じ時代を生きた若者に、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎など、高い志を持った多くの若者がいました。また、他藩には坂本龍馬や西郷隆盛などもおりました。楫取素彦は、これらの人々と深く交わり学び合い助け合ったのです。これらの若者がやがて世の中を大きく動かし新しい時代の扉を開くことになります。 日本の新しい時代をつくったこのような人々の中にいて激しく燃えた人物が、その後、群馬県に現われて群馬県の新時代の扉を開いたことに、私たちは不思議な思いを抱かずにはいられません。私たちは、楫取の生き方を知ることによって、そこから勇気と力を得られることでしょう。 三、吉田松陰とは、そして楫取素彦との絆 楫取素彦を知る上で吉田松陰は欠かせません。楫取素彦は吉田松陰の妹を妻にし、松陰が主宰した松下村塾とも深く関わりました。 楫取素彦が後に群馬の県令(知事)として実行した多くの仕事、特に教育の面における業績を見るとき、楫取素彦が吉田松陰と深く関わったことの重要さに皆さんは気付くと思います。 そこで、吉田松陰とはどのような人か、楫取素彦にどのような影響を与えたのかを見ることにします。  吉田松陰は学問の家に生まれ、十一歳の時、藩主の前で講義(こうぎ)しました。藩主はその立派さに感銘し舌を巻きました。 解説 ○かつての桂小五郎は剣の達人で維新の美男子といわれました。木戸孝允と名を改め「維新の三傑」の一人となりました。明治4年の欧米視察団(岩倉使節団)の一員です。 ○後に述べるように、楫取元素彦を信頼し、つよい絆で結ばれていました。29歳で斬首されました。「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」は死を前にした言葉です。 この願いが楫取素彦に受け継がれました。 ※土日祝日は中村紀雄著「楫取素彦読本」を連載しています。

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