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2012年5月16日 (水)

人生意気に感ず「黒船と松陰、ペリーの見方。西連寺。大失態」

◇ある人から貴重な資料をお借りした。540頁に及ぶ英文の書は、「ペリー提督の日本遠征記」。ペリーがやってきて日米和親条約が結ばれた2年後、1856年、合衆国政府のオーダーで出版された。この中には吉田松陰が黒船に乗り込み米国行きを懇願した事件が描かれているという。資料の主は、私が楫取素彦と吉田松陰の関係を調べていると知って貸してくれた。

 私は真剣に頁をめくり遂にその文を捜し当てた。TowJapanese gentlemen(2人の日本人の紳士)というタイトル。このタイトルにも現われているがペリーは、2人(松陰と従者)をeducatedmen(教養ある人)と表現している。

そしてアメリカ人は、この2人が日本人の特性を表しているとして次のように指摘している点が大いに注目される。「厳しい国法を犯し知識を得るために命をかけた2人の教養ある日本人の激しい知識欲は興味深い。この不幸な2人の行動は日本人に特有なものと信じる。日本人の激しい好奇心をこれ程現すものは他にない。日本人のこの特質を見れば、興味あるこの国の将来には、何と夢に満ちた広野が、何と希望に満ちた期待が開けていることか!」「!」を付けて表現している。吉田松陰の行動は、アジアの果ての後進国日本の意地を示した。

 黒船はその偉容をもって江戸湾に入り空砲を轟かして威嚇した。日本人は右往左往し幕府は圧力に屈して不平等な条約を結ばされた。こんな中で、松陰の行動は、日本人侮り難しということを示して侍日本を世界に認めさせた。この気概を今日私たちは学ばなければならない。

◇この日(15日)、歴史博物館の学芸員等と共に藤岡市の西蓮寺を訪ねた。明治10年開基の浄土真宗本願寺派の寺で、前橋の清光寺と共に吉田松陰の妹寿子(楫取素彦の妻)の熱心な働きかけでスタートした。初代住職は萩の人で、この寺に唯一、寿子の写真が存在する。これを使わせてもらうことのお願いが訪問の一つであった。寿子の面長な容貌は兄松陰とよく似ている。因みに、古来、革命家の顔は面長といわれる。言われてみればキリストの顔もそうである。

◇西蓮寺で話が弾み、夕刻の大切な会議を失念してしまった。手帳に記載しなかったことも含めて大失態。こういう事がたまにある。反省。(読者に感謝)

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松陰の妹・寿子、西蓮寺に唯一写真がある。兄も面長の顔。革命家の顔は古来面長という。

鋭利な武器でなければ現状を壊せない。顔は性格を現わすか。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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