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2012年4月27日 (金)

人生意気に感ず「小沢無罪。世界遺産。弥平宅で高良とみを語る」

◇小沢一郎の無罪判決に多くの国民は釈然としない。刑事裁判の厳格なルールに従えば確たる証拠を示せなかったのだから無罪はやむを得ないとしても市民感覚では有罪だった。刑事司法に市民の一般感覚を取り入れようとした、検察審査会の強制起訴の制度に限界を感じてしまう。金の力で一流の弁護団を使えたから勝ったと思う人も多い。いずれにしても小沢一郎の政治的道義的責任は別だ。それを追及するのは国会の使命だがこれも期待できない。裁判員裁判も検察審査会も国民の司法参加という点は共通だが、後者はより問題を抱えている。いずれにしろ国民のレベルが問われる。

◇総務常任委員会で世界遺産登録を目指す「高山社跡」と「田島弥平旧宅」を視察した(26日)。ほぼ確実視される世界遺産登録の対象はメインの富岡製糸場の他に絹産業遺産群がある。そして、この遺産群には昨日視察した2つの他に「荒船風穴」がある。

 田島弥平らは、日本の近代養蚕法をつくり出し蚕聖といわれた。その特色は自然の通風を重視した「清涼育」。弥平旧宅は、空気を通すために屋根の上に屋根をつけた独特の形だった。

◇実は、私には、旧弥平宅で直系の当主田島健一氏に会う別の目的があった。掘著・シベリヤ強制抑留「望郷の叫び」を渡し、この中で高良とみの事を書きましたと切り出すと、健一氏は、「とみはフランから入った。グロムイコは40分の間茶一杯出さなかった」と相好を崩して語った。

 グロムイコとはかの有名なソ連の外相で当時は外務次官、高良とみとは、弥平の孫邦子を母にもち、戦後女性国会議員として初めてソ連の日本人強制収容所を訪ねた人である。とみは10歳の時、群馬の島村の小学校に転入し母の実家で養蚕の実際を身近かに体験している。

 モスクワの国際経済会議で行った英語のスピーチは大きな反響を生みグロムイコに会う機会を得た。グロムイコは彼女の態度に打たれ強制収容所視察を許した。しかし高良とみは収容所の悲惨な実態を見ることは出来なかった。ソ連当局によってすっかり偽装された収容所を見せられたのである。昭和27年5月1日の事である。

 とみはきれいなカーテン、純白なシーツで整えられた病室で元気な病人と面会。日本人は女の国会議員など信じられなかったがとみのバッグに貼られた赤い日の丸を見て涙した。この収容所に居た元大本営参謀瀬島龍三が「入ソ以来最初の日本人だった」と回想録で書いている。(読者に感謝)

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☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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