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2012年4月30日 (月)

「上州の山河と共に」第126回 政治家への道

「皆さん、こんなにもたくさんの方々が、こんな山奥まで激励に駆けつけて下さいまして、私は胸がいっぱいであります。本当に有り難うございます。選挙事務所を捜すにも、いろいろ障害がありました。やっとの思いで、このような、前橋最北の地に、選挙事務書を設けることができました。私は皆さんと共に、道のない所に道をつくりながら、ここまで進んで来ました。不利な条件は初めから覚悟の上であります。このように多くの方々に集まって戴き、その上、熱い激励を戴いて、選挙事務所の不利も、吹っ飛んでしまったと思うのであります。天は、私に、いや私達に、次々と試練を与えてきました。それは、政治家になる為の情熱があるか、一つ一つの障害を支援者と心を合わせて乗り越えることができるかどうかを試すものでありました。私は、皆さんと共に、その試練を克服して、とうとうここまでやってまいりました。当選は間近かであります」

「そうだ、当選は近いぞう」

「もう、当選だ」

「頑張れ!」

会場からは様々な声援と共に、割れんばかりの拍手が起こった。

「皆さん、この中村に、最後の力をお与え下さい。皆さん、私は、お金もない、地位もない、普通の市民として、立候補しました。

 目指すものは、身近かな県政、信頼の県政であります。今、地方の時代と言われるように地方が重要な役割を果たすべき時代であります。それは、それぞれの地方が、その地方の個性を生かしたまちづくりをしなければ、また、その地方の創意工夫に基づいて福祉や教育をしなければ、本当の意味の豊かな社会を実現することはできない、ということであります。そして、その為には、県政を身近かなものにし、県民の信頼に基づいた県政を実現しなければならないのであります。

中村は、皆さんにお約束します。この新しい時代の県政を担うにふさわしい県会議員となって立派なふるさと群馬をつくることを。

 その為に、どうか私を当選させて下さい。その為に、最後の最後まで、私と共に戦い抜いて下さい。お願いであります」(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2012年4月29日 (日)

「上州の山河と共に」第125回 政治家への道

連合後援会長の福島貞雄さんは、両手でマイクを握りしめ、ややひきつった表情で舞台中央に立っていた。

 「皆さん、いよいよ最後の大詰めを迎えました。中村はゼロから出発し、皆さんに支えられて、ここまでやってきました。当選は、あと一歩であります。何としても、あと一歩の距離を踏み越えて、当選させていただきたいのであります。皆さん、どうか、最後の力をふりしぼって戦い抜こうではありませんか」

 連合後援会長の一言一句には、不退転の決意が込められていた。それは、澄んだ空気を通して天まで届かんばかりの、その声の響きにも表れている。聴衆は、これに対して、「わあ!」

というどよめきで応えた。

 いよいよ私がマイクを握る時が来た。

 私は、ハチマキをきゅっと締め直し、舞台の中央に立った。妻は、やはりハチマキを締めて、私の斜め後ろに立っている。私は、両手でマイクを握ったまま深く頭を下げた。顔を上げると、人々の真剣な視線が一斉に私に集中しているのを感じる。(読者に感謝)

※土日祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2012年4月28日 (土)

「上州の山河と共に」第124回 政治家への道

 同紙によると、私については、次のように書いてある。

「保守系新人の中村紀雄氏も、全市的に後援会組織を結成、地元芳賀地区から他陣営に激しく攻撃をかけており、“台風の目”的な存在。この為、現職の一人が食われる可能性も出てきた」

 我が陣営は、誰もが無我夢中で頑張っていたので、自分達はどの辺を走っているのか、ゴールまでどの位あるのか、初めは全く検討がつかなかった訳であるが、このような新聞の記事は、ゴールが目前にあることを示すものとして、我が陣営の全ての者にとって大きな励ましであった。

 投票日まであと二日と迫った日に、総決起大会が開かれた。この大会が、どの位盛り上がるかが、当落を予想する一つのバロメーターとされていたので、このような前橋の最北の地に、多くの支援者が果たして集まってくれるかと、私は心配であった。

 その日は、空は晴れて、やや強い赤城颪が選挙事務所を囲むトタン塀をガタガタと鳴らしていた。そして、私は朝から緊張し、“皇国の興廃は、この一戦にあり、天気晴朗なれど波高し”というあの日本海海戦の折の文句を思い浮かべていた。

 資材置場を片付けてつくられた広場の一角に大型のトラックが置かれ、その荷台には紅白の幕が張られて大会の舞台が作られた。

 午後二時、開会の時が近づくと続々と支援者が集まり、ついに、広場がほぼいっぱいになる程になった。舞台の上からは、はるか彼方の前橋市街の家々が折からの太陽に反射してチカチカと光って見える。あんな所から多くの人が駆けつけてくれたと思うと、万感胸に迫るものがあった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2012年4月27日 (金)

人生意気に感ず「小沢無罪。世界遺産。弥平宅で高良とみを語る」

◇小沢一郎の無罪判決に多くの国民は釈然としない。刑事裁判の厳格なルールに従えば確たる証拠を示せなかったのだから無罪はやむを得ないとしても市民感覚では有罪だった。刑事司法に市民の一般感覚を取り入れようとした、検察審査会の強制起訴の制度に限界を感じてしまう。金の力で一流の弁護団を使えたから勝ったと思う人も多い。いずれにしても小沢一郎の政治的道義的責任は別だ。それを追及するのは国会の使命だがこれも期待できない。裁判員裁判も検察審査会も国民の司法参加という点は共通だが、後者はより問題を抱えている。いずれにしろ国民のレベルが問われる。

◇総務常任委員会で世界遺産登録を目指す「高山社跡」と「田島弥平旧宅」を視察した(26日)。ほぼ確実視される世界遺産登録の対象はメインの富岡製糸場の他に絹産業遺産群がある。そして、この遺産群には昨日視察した2つの他に「荒船風穴」がある。

 田島弥平らは、日本の近代養蚕法をつくり出し蚕聖といわれた。その特色は自然の通風を重視した「清涼育」。弥平旧宅は、空気を通すために屋根の上に屋根をつけた独特の形だった。

◇実は、私には、旧弥平宅で直系の当主田島健一氏に会う別の目的があった。掘著・シベリヤ強制抑留「望郷の叫び」を渡し、この中で高良とみの事を書きましたと切り出すと、健一氏は、「とみはフランから入った。グロムイコは40分の間茶一杯出さなかった」と相好を崩して語った。

 グロムイコとはかの有名なソ連の外相で当時は外務次官、高良とみとは、弥平の孫邦子を母にもち、戦後女性国会議員として初めてソ連の日本人強制収容所を訪ねた人である。とみは10歳の時、群馬の島村の小学校に転入し母の実家で養蚕の実際を身近かに体験している。

 モスクワの国際経済会議で行った英語のスピーチは大きな反響を生みグロムイコに会う機会を得た。グロムイコは彼女の態度に打たれ強制収容所視察を許した。しかし高良とみは収容所の悲惨な実態を見ることは出来なかった。ソ連当局によってすっかり偽装された収容所を見せられたのである。昭和27年5月1日の事である。

 とみはきれいなカーテン、純白なシーツで整えられた病室で元気な病人と面会。日本人は女の国会議員など信じられなかったがとみのバッグに貼られた赤い日の丸を見て涙した。この収容所に居た元大本営参謀瀬島龍三が「入ソ以来最初の日本人だった」と回想録で書いている。(読者に感謝)

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2012年4月26日 (木)

人生意気に感ず「富岡世界遺産。小沢一郎の判決。シエールガスと地震」

◇今日(26日)は総務企画常任委員会で「世界遺産登録」を審査する。このところ、富岡製糸場の世界遺産登録問題は前進しているようだ。25日大沢知事はこの問題で文科省を訪ねたが感触はよかったようだ。

 世界遺産登録のためには、個の問題を超えた普遍性が求められる。この点については2つの点に注目すべきである。

 1つは日本の産業革命の出発点のひとつとなったと言われること、もうひとつは、良質なシルクが大量に生産されるようになり、シルクが一般の人々のものになる糸口を作ったこと。絹は長いこと上流階級のぜいたくな品物だった。上毛カルタが、「日本で最初の富岡製糸」とうたう背景にはこのような深い意味がある。

◇私は、更に、富岡製糸場と群馬の生糸の関係に格別の関心を持つ。富岡製糸場の開始に先立って、幕末の横浜港開港以来、群馬の生糸は世界に知られるようになった。前橋藩は、明治3年に日本で最初の機械製糸場を作っていた。富岡製糸の操業開始は明治6年である。そして、楫取素彦が初代県令(第二次群馬県)として赴任するのが明治9年。彼は、群馬の生糸産業の発展を押し進めた。現在、群馬の生糸の歴史をしっかりと見詰める意義は大きい。

◇今日は騒がしい一日となる。消費税増税法案、原発停止・再稼動問題などで連日大揺れであるが、加えて今日は、検察審査会によって強制起訴された小沢一郎の判決が下る。

 これ迄の流れから無罪の見方が多い。刑事司法に市民感情を取り入れる目的の検察審査会制度の改革に基づく。不起訴になったことが市民感情からおかしいとして、審査会は2回起訴すべきだと議決した。

 冤罪だ、検察の謀略だという声がある。一方、市民の一般感情からは、どうみてもおかしい。刑事裁判の原則は「無罪推定」だ。市民の感覚の前にこの原則は厳としてたちはだかる。小沢一郎の悪人面と渦まく政治不信も市民の感覚に影響を与えている。判決は午前10時である。

◇アメリカでは、地下に眠るシェールガスでかつてのゴールドラッシュのように沸いている。オバマ大統領も大はしゃぎである。世界の脱原発の動きと関係がある。ところで思わぬ伏兵が。深い井戸の掘削が地震を誘発しているらしいというのだ。M3以上の地震が6倍以上に激増しているといわれる。乗り越えられるのか。(読者に感謝)

富岡製糸場Photo

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2012年4月25日 (水)

人生意気に感ず「集団登下校。副市長と。原発の下に活断層」

◇あるショックな事件が起きると、奇妙にそれが連続する。お互いは無関係なのに不思議だ。集団登下校中の子どもたちの事故である。

 私の友人が言った。「小さな子どもたちが集団で歩くから車に突っ込まれると被害が大きい」なるほど一理あると思った。集団登下校の在り方は今、大きな壁に突き当たっている。

 京都府亀岡市では集団登校中に児童ら10人がはねられ2人が死亡し、2人が意識不明の重体となっている。昨年は4月と7月に集団登校中の小学生が犠牲になった。

 4月の事件は、栃木県鹿沼市でクレーン車が突っ込み6人が死亡、7月の事件は、熊本県山鹿市でワゴン車により4人が死傷した。

 自治体の交通政策とも関わっている。昭和町の元教師Aさんが電話で厳しく指摘した。車道と歩道の間に何の境もない、危ないじゃないか、何とかして下さいというもの。教育委員会と警察は、連携して対策を考えるべきだ。通学路で危険な所だけでもガードレールをつけるなど、出来ることから行うべきだ。集団登下校の形も工夫すべきだ。川崎市では、私立小学校のほとんどが集団登下校をしていない。

◇前橋市役所で元県教育長のT氏、副市長、私で、文化や教育について話した。自由なトーキングは楽しく有意義だった。私は、楫取素彦の事を語った。顕彰会が出来、その事業の一つとして、易しい小中学生向きの楫取素彦読本の小冊子を作ることにも触れた。実は、既に執筆を始め、時間を見つけて少しずつ進めている。枠をつくらない自由な会合を時々やろうという事になった。

◇福井県の敦賀原発直下の断層が活断層の可能性が高いことが指摘され騒然となっている。敦賀原発敷地内には分かっているだけでも160の断層があり、原子炉建屋直下にも複数の断層があるが、これらは動かない古い断層とされてきた。原子炉の200m先には、「浦底断層」と呼ばれる活断層がある。

 この活断層が動いた場合、動かないとされていたこれらの断層が動く可能性が高いことが分かった。すると、これらも活断層ということになり、原子炉は活断層の上に作られていることになる。

◇調査結果が示すことは、敦賀原発問題に止まらない。調べ直せば同様なことが隠されているのでは、と国民の不信感を高める。脱原発のために、昨年の節電を思い出そう。のど元過ぎれば熱さを忘れる。昨年の節電を思い出そう。(読者に感謝)

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敦賀原発。

この下に活断層があった。また、不信の原因となる。脱原発へかじを切ろう。

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2012年4月24日 (火)

人生意気に感ず「駐在所開所式。北の特別行動。需給調査委。楫取と湯浅」

◇私の地元芳賀地区の駐在所が移転し開所式が行われた(23日)。巡査駐在所制度は明治20年に出来た。長い治安の歴史を支えてきた日本国有の制度である。

「かつて日本の治安は奇跡的と世界から評価されました、それを支えたのは、信頼で結ばれた警察と地域社会の連携でした、3・11後の現在、地域の安全安心が一層重要となりました、駐在所がその要となることを願います」私は来賓としてこのように挨拶をした。

◇「軍の特別行動を開始する、ネズミどもを一瞬のうちにせん滅して見せる」女性講釈師の講談の一節かと見まちがいかねない映像は、北朝鮮の公式放送の一コマだ。

 金正恩を批判する韓国の行為に対する反発である。全世界注視の中でミサイル発射に失敗し面目を失墜させた北朝鮮。プライドが全ての国である。今日の事態は、国民に対しても格好がつかない。これだけのことを世界に向けて公言した以上何もしないわけにいかないだろう。とばっちりがいつ日本に及ぶか分からない。日本の防衛と危機管理にも想定外はないと思わねばならない。25日が北朝鮮の軍創設80周年記念日。軍の威信を保つことを最大限重視する国にシビリアンコントロールはない。

◇エネルギー需給検討委員会の様子を見て驚いた。広い会場に居並ぶ専門家たちの数の多さもさることながら、なぜもっと早くこの会を開かなかったかということである。エネルギーの需要量と供給量を客観的に正しく示すことは原発再稼動と脱原発の問題を判断する場合の大前提である。この委員会でも原発なくしてエネルギーは足りるという学者の意見が出された。

 私は過日(323日)、アトミックカフェで原発問題で激論を交わしたが、その時も、ここが重要な論点だった。

◇県議会展示室に楫取素彦及び廃娼に尽くした湯浅治郎のコーナーを作る記事が新聞に載った。この2人を特に展示することは私の提案である。

 廃娼は暗いイメージを持つためか語られる事が少ない。しかし、群馬県が全国に先がけて金字塔を打ち立てたという意味を知らねばならない。廃娼の決定は世界的にも早い部に入る女性解放なのだ。議会をまとめた中心人物が湯浅治郎で、議会の議決を実施に向け方向づけた人が楫取素彦だった。楫取の背景には松下村塾以来の人間平等の価値観が、そして、湯浅を支えたものに新島襄から受けついだキリスト教の思想があった。(読者に感謝)

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2012年4月23日 (月)

人生意気に感ず「楫取顕彰会の顧問に五代目当主。太陽の異常、地球は寒冷に」

◇初代県令(知事)楫取素彦顕彰会の発会式が行われた(20日)。会場は、楫取素彦夫人にゆかり深い県庁舎南の清光寺。県庁裏の立派な功徳碑に業績が刻まれているにもかかわらず楫取素彦の実態を知らぬ人が余りに多い。楫取を良く知る人は、行政の怠慢であり、歴史を軽視することであり、楫取に対する忘恩だと憤る。

 顕彰会に参加する人々は、このような状況の下で、楫取素彦なる人物を21世紀の群馬に甦らせたいと願う。顕彰会では、規約、役員、今後の事業計画などがきまった。

 会長には、不肖、私が選ばれたが、注目すべきは、楫取家五代目当主の楫取能彦氏が顧問に就任したことである。この会を象徴する存在というべきだ。事業としては、楫取素彦の業績を21世紀の視点から伝える説明板の設置、清光寺に於ける楫取没百年の法要の実施、小中学生向きの楫取素彦読本の作成などがきまった

 県立女子大の熊倉教授、県歴史博物館の手島学芸員、前橋市文化国際課の稲垣課長等にもそれぞれ大切な役割を引き受けて頂いた。

◇昨年末、私は、楫取素彦の生誕の町、萩市今魚店町で群馬に於ける楫取に焦点をあてた講演をしたが、その際、萩市の研究者から楫取に関する重要な資料や示唆を得た。楫取素彦が薩長同盟に重要な役割を果たした事を示す資料はその一つである。

 楫取素彦は学者として、志士として、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬等と熱く交わり幕末の血風を駆け抜け、その体験と志をもって群馬に来た。私は、現代の小中学生に、先ず楫取の熱い姿を伝えたいと思う。

◇フラワーパークの開園20周年記念式典に出た(22日)。屋根だけの式場は大変寒く、暖かさに慣れかけた肌には真冬のように感じられた。テレビの天気予報は、風速34mの地域があることを報じていた。最近の「爆弾低気圧」の再来かと思った。異常気象が余りに多い。

 実は国立天文台の発表によると太陽に異変が起き地球が冬眠に入る可能性があるという。地球の温暖化が叫ばれているが、実は、地球寒冷化の危機がより深刻だと専門家はいう。その原因は太陽に起きている異常で、その1つとして黒点の数がとんでもなく異常になっている。発見したのは、日本の太陽観測衛星「ひので」。世界で最もすぐれた技術で大発見の連続だ。気候的に何でもありの時代になる可能性が強いという。地球も私たちも太陽次第だ。(読者に感謝)

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2012年4月22日 (日)

「上州の山河と共に」第123回 政治家への道

 激しい選挙戦の中で、いろいろな噂や情報が私の耳に飛び込む。ある陣営は、一歩抜け出したそうだが、別のある陣営は全く盛り上がっていないという噂、我が陣営の若者が貼ったポスターが、一夜のうちに対立する他陣営によって剥がされた話、あるいは、暗い中でビラ配りの運動をしていたら、怪しげな連中が同じようなことをやっている、また妨害しに来たかと詰め寄ってみたら、同じ我が陣営の仲間であったなどという話、このようないろいろな話が飛び込む度に、もし当選できなかった時は、この人達に対してどのように責任をとったら良いのかということが頭を掠めるのであった。

 選挙戦も終盤に近づく頃になると、序盤、中盤と比べ、情勢の変化がはっきりと感じられるようになってきた。選挙カーに対して手を振る人の数が目立って増えてきたし、その人たちの表情も真剣そうに見える。行き交う車からクラクションを鳴らし、あるいは、ライトをチカチカと点滅させてサインを送る人も増えてきた。町の人達のこのような反応は、私達に疲れを忘れさせ、当選に一歩一歩近づいていることを感じさせる。

 ウグイス嬢のかすれた声に悲壮感がこめられ、それに刺激されるように、私の声も大きくなる。普段とそれ程変わらぬ筈の町の空気が、私達にはピリピリと緊迫したものに感じられる。当選も夢ではないという思いで、私達は夕闇迫る前橋市内を少しでも多くの町内をと、走り回った。

 投票まであと三日という時点で、上毛新聞は、“前・新の三人急迫”という大きな見出しの下で、前橋市区の選挙情勢を分析している。“前”とは、共産党からカムバックを図る中島光一氏と、衆議院選に立候補して落選し、やはり再起を図る菅野義章氏である。そして、“新”とは、私、中村のりおを指していた。

(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2012年4月21日 (土)

「上州の山河と共に」第122回 政治家への道

笠原久子さんは、ここで、私の妻のことを持ち出す。中村さんの奥さんのヒサ子さんは、野口英世と同じように、三歳の時、お母さんがちょっと目を離した隙に囲炉裏に落ちて、手に火傷をしてしまった、だから、今でも、毎日、左手は包帯をしている、小さい時からこのようなハンディを乗り越えて勉強もよくやり、明るく、真っ直ぐに生きて来た。中村は心の広い人で、ヒサ子さんの火傷のこともよく理解してやっている、ヒサ子さんは、今、自分の生き方とも通じる新しい理想を見つけたと考えて御主人の選挙を手伝っている、といった具合に、話を進める。

 このような話は、聞く者にとって、難しい政治の理屈よりも面白いのだろう、聴衆の反応もいいので、笠原さんの話にも熱が入る。

 私達夫婦のことを最も良く理解し、それを少しでも良く伝えようとする笠原久子さんの熱弁には、本当に頭が下がる思いであった。しかし、また、私は、この演説を冷や汗を流す思いで身を固くして聞いていた。

 笠原久子さんの弁舌の冴えと効果は、あれから数年の月日が経った今でも、あちこちで語り草になっている。

 一日一日が矢のように過ぎていった。そして、各陣営も日毎に盛り上がりを見せ、選挙戦は過熱してゆくようであった。初めは、いくつもの団体が混沌としていて、力を合わせた有効な作戦が実行出来るのか危ぶまれていた我が陣営であるが、中盤を過ぎる頃から、それぞれの団体がその役割を認識して、秩序立った動きが出来るようになってきた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2012年4月20日 (金)

人生意気に感ず「関東大震災に学べ。福岡銃撃事件と暴力団排除条例」

◇連日、「首都直下型地震の被害想定」でわいている。新たな想定は、都の多くの場所(70%)で震度6強、死者は9,700人としている。

 今日、私たちが認識すべきことは、災害に上限はない、想定外はない、過去に起きた事はまた起きる、ということだ。そこで忘れている巨大災害関東大震災を想起すべきだ。

 およそ89年前の9月1日、台風の後の強い南風が吹く蒸し暑い日だった。正午頃、大地震が発生。地震計の針は振り切れ飛び散った。M8クラスの巨大地震で死者行方不明は10万人を超え東京では逃げ惑う人々の地獄絵が展開されえた。浅草の十二階が崩壊し、陸軍の被服廠跡では逃げ込んだ人々が火災旋風に襲われ4万4千人が焼死した。

 関東大震災では火災による死者が多かった。昼の食事時、密集する木造住宅、強い風などの条件が重なった。荷車に積んだ燃える家財に火がつく。たちまち火の海は広がる。大規模な火災では中心部に激しい上昇気流が起きる。竜巻が生じ、人、馬、荷車共に空に舞い上がったと伝えられる。しばしば起きた江戸の大火もはるかに及ばない火の恐怖だった。

◇近いと言われる「首都直下」も火災は最大の課題。荷物を積んだ大八車はガソリンを積んだ車にかわり、木造密集地域が広がり、高齢化が進んでいる。対策の上での大きな問題点は、昔と比べ地域の連帯が薄くなっていることだ。

◇東日本大震災は、絆の大切さを私たちに突き付けた。大震災を初めとした大災害で大きな役割を果たすものは自主防災であり、それを支え可能にする要素は地域の絆と連帯である。この自主防災を行政がいかにサポートするかが重要な課題だ。私は、大地震対策特別委員会の一員として先日、東京都の被災ゴミ処理を視察してこのことを肌で感じた。

◇工藤会の犯行か。元警官に対する銃撃に驚く。福岡県の全国初の暴力団排除条例は工藤会対策が契機だった。平成21年10月、福岡県議会はこの条例を成立させたが、その直後、私たちは福岡県警を視察し、これを踏まえ、私は、本県も条例を作るべきだと提案した経緯がある。

 福岡県警の説明は私たちに衝撃を与えた。工藤会の撲滅が県警最大の目標、一般市民に銃口を向ける凶悪性、学校で暴力団を非難すると暴力団の子がいて親が学校に怒鳴り込む等が語られた。群馬では平成22年の9月議会で成立した。この際この条例に注目して欲しい。(読者に感謝)

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特別委員会で都の処理場視察、私は、直下型大地震対策につき質問した。

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2012年4月19日 (木)

人生意気に感ず「死者9700人。群馬はバックアップの適地。関東大震災」

  ◇今日、日本の最大の危機として懸念されている課題は首都直下型大地震である。日本の人口の約3割と国の中枢機能が集中しているから、ここが巨大地震に襲われた場合、日本は正に沈没の危機に陥る。

 今度、発生近しといわれる中で、直下型地震による東京都の被害想定の見直しが行われた。東京湾北部地域で震度7の所があること、そして、23区の約70%が震度6強に襲われ、死者は全体で9700人に達することを推定した。東日本大震災の一年後であるだけにこの想定は格別のリアリティを持って人々に受け取られている。

 家屋の倒壊、火災、液状化、津波などが災害項目として挙げられているが、これらが同時に発生した場合、行政の力で対応できないことは火を見るより明らかだ。「減災」を目指した官民一体の対策が不可欠である。都のある町内会の自主的な消火訓練が報じられた。このような初期消火活動で火災のかなりの部分を食い止めることが出来るといわれる。これこそ「減災」のよき例である。

◇首都直下型大地震対策の一つとして、バックアップ体制をつくることが喫緊の課題となっており、群馬県もこれに如何に対応すべきかを検討している。

 国土交通省は、3月22日、バックアップに関するとりまとめ案を発表した。バックアップとは、英語で後押しするという意であるが、検討会では次のように定義する。即ち、東京圏で中枢機能の継続が不可能になった場合に、他の地域で中枢機能を代替すること。

国を支える多くの中枢が東京に集中する。これが壊滅したら国が立ち行かなくなる。万一に備えて安全な所に一部を移すことは当然のことだ。東日本大震災の教訓を活かして「何を」、「どこへ」が検討された。「災害に上限はない」、「国民の命と暮らしを守る」、被害を完全に食い止める「防災」でなく最小化する「減災対策」。これらがキーポイントになる。私は、距離、交通手段、災害が少ない点から群馬こそ最適地だと思う。東京を助けることが同時に群馬の活性化につながる。群馬県の検討委員会は、まったなしの重要性をしっかりと認識し受け止めるべきだ。

◇1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、東大地震学教室の地震計の針が狂ったように動き10数秒後に飛んだ。関東大震災の幕開けだ。歴史は嘘をつかない。繰り返すその時が近づく。東京の危機は日本の危機で世界の危機。(読者に感謝)

ここに逃げ込んで焼死した人は4万4千人だった。

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2012年4月18日 (水)

人生意気に感ず「都の被災ゴミ処理視察。尖閣を買う波紋」

◇午前8年、議会バスで県庁を出発、東京都の災害廃棄物処理施設に向かった。大規模地震対策特別委員会の調査である。うず高い被災ゴミの処理なくして東北の復興はない。被災ゴミの処理は全国が分担しなくては解決出来ない。この事は分かっていても、いざとなれば放射性物質を持ち込むかと必ず強硬な反対論が出て自治体はしりごみする。東京都は全国に先がけて受入れを実施している。石原都知事のリーダーシップだけで果たして可能だったのか。「尖閣諸島買う」の石原氏の衝撃発言を話題にしながら調査団のバスは一路関越道を走る。

◇世界の大都市東京都の都民の生活を支えるごみ処理は東京都にとって最大の問題の1つ。都は23の区と提携して壮大なゴミ処理計画を進めてきた。今回の被災ゴミ受入れの背景にはこのような都の備えがある。

 私は東京都環境局の説明担当者に3つの質問をした。都民の反対はなかったか、区との連携は、首都直下大地震への対応は、等である。

 初め都民の反対は凄く一日中電話が鳴り止まなかった、丁寧な説明によって不安はしずまったという。新江東清掃工場の被災ゴミ処理の光景は壮観だった。被災地から品川駅まで特製のコンテナで運ばれたゴミはそこからトラックで工場に運ばれ、21の搬入口からバンカに落とされる。その上方では、ゴミを摑んで動かす機械が巨大な怪物のように動いていた。工場の一画を借りて、災害廃棄物処理推進の提言を審議する委員会を開いた。面白い着想で調査の効果を活かすことが出来た。

◇石原知事のリーダーシップは小気味よいが時に暴走の危うさを感じさせる。昨日のブログで触れたが、石原氏はワシントンの講演で都が尖閣諸島を買うといきなり発表した。東京が尖閣を守る、日本人が日本の国土を守ることに文句がありますか、国が買い上げたらいいが中国にびくびくしていると、知事は語った。中国もかねて所有権を主張。中国は特に最近この海域に威力を示そうとしている。国土を守るのは第一には国。知事に押されて国が動く気配もある。現在漁釣島など4島の所有権はさいたま市の人がもち、都に売る考えを示す。都議会、都民の反応が注目される。

◇吾妻東部は宮古市がれきの受け入れを正式表明した(17日)。我が委員会は、この動きを進めたい。市町村と民間工場に対し積極受入れを働きかけるよう知事に提言する。(読者に感謝)

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2012年4月17日 (火)

人生意気に感ず「原発の選挙と巨大地震。警察不祥事。石原衝撃発言」

◇東海、東南海、南海の巨大地震、しかもその3連動の発生近しと騒がれる昨今、群馬は安全だからと高をくくってはいられない。東日本大震災は、日本がどこも一体である事を教えた。静岡県の浜岡原発は東南海地震の発生予想地点にある危険な原発として菅総理(当時)は稼動停止を要請した。東日本大震災直後の昨年5月のことである。そして、今年3月、巨大地震近しの報と共に、浜岡原発付近に、なんと高さ21mの津波が想定されると内閣府が公表した。

 浜岡原発がある御前崎市の市長選はこのような状況下で行われ、原発を推進してきた現職市長が当選したことで日本中の耳目が集まっている。福井県の大飯原発と共に消えかかった日本の原発の火を甦らせることになるのか。人々は、巨大地震をどこまで計算に入れて一票を投じたのか。

◇静岡、愛知、三重県下に大きな被害をもたらした東南海地震は、1944年12月7日に発生した。第二次世界大戦の戦局はいよいよ厳しく、まさに、B29が東京を初めて空襲した11月24日の直後だった。

 この東南海地震発生の翌日、12月8日、各紙の一面は軍服姿の昭和天皇の写真で飾られた。なぜなら、この日は、3年前の1941年12月8日米英に宣戦を布告した記念日だったからだ。政府は、国民の戦意喪失を恐れ大地震の事は報道を規制して伝えなかった。あれから約68年、東日本大地震は、南海トラフに影響を与え、巨大地震の発生を早めていると指摘する専門家は多い。

◇警察の不祥事が続いている。全国的な出来事は長崎県のストーカー殺人事件への対応の遅れや京都の7人を死亡させた交通事故の夜、交通部長等が懇親会で酒を飲んでいたことなどが指摘されている。

 県警の事件では、13日、警察官の強制わいせつ致傷や泥酔警官の不祥事を隠そうとして記録に虚偽記載させた事例が報じられた。

 その他、警察官の不祥事は目に余るものがある。全体として志気が緩んでいるのだと思う。今日、大災害が迫る中で、国民は不安にかられ、治安維持は重要さを増している。警察は社会を守る原点に立って使命感を自覚すべきだ。

◇石原都知事がワシントンで衝撃発言。隣国と火花を散らす尖閣諸島のうち個人が所有する島すべてを東京都が購入し、東京都が守ると発言した。個人の所有部分を買うことらしい。どのように守るのか。守れるのか。(読者に感謝)

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2012年4月16日 (月)

人生意気に感ず「佳苗の死刑、人の命の軽さ。原発選挙と巨大地震」

◇さいたま地裁は、13日、木嶋佳苗に死刑を言い渡した。49の傍聴券を求めて1330人が列をなした。異常な関心の高さを示す。横綱級の刑事事件が続く中で一際特異な犯罪だった。婚活サイト、練炭、睡眠剤、デートクラブ等々、いかにも今日的な道具立ても世人の興味を集めた。

 判決は3人の男性の殺人を認めた。検察は死刑を求刑していたが裁判員は情況証拠のみで死刑をきめられるのか私は半信半疑で待っていた。再高裁は、状況証拠だけで結論を出すのは慎重にという姿勢を示していた。

 木嶋佳苗という女の実態は何か。報道に寄せた手記の文字は整然として美しい。決して美人といえぬ女に何千万円という大金を男は簡単に提供するものなのか。公判では、新聞では書けぬような男とのおどろおどろしい性が語られ、男をその気にさせる巧みなメールが紹介された。

 公判の佳苗の話からそんな事がこの世にあるのかと驚く。男たちからは1回10万円もらった。「あなたほど凄い女性はいないと言われました」、「本来の機能が普通の女性より高いとほめられました」こんな事を平気で語り、法廷はどよめいたと言われる。だます男の他に同時進行の恋愛相手もいて、100万円の束4つをもらった事も。

 メールは極めて言葉巧みだ。私は学生で結婚前提でお付き合いできる方を探しています、結婚するなら交際期間でも避妊しなくてかまいません、とか、私は外見には自信はありませんが今まで真面目に生きて内面を磨いてきましたなどと書かれている。男は信じてしまうだろう。

 私は、これらから思う。金がジャブジャブ入る、いとも簡単に男をだませる、そして性に耽溺。こんな世界に浸っていたら、人間の価値も、人の命も極く軽いものになってしまうのではないか。その果てに、虫けらのように見える男を練炭で殺す、そんな佳苗の姿が見える。

◇静岡県御前崎市長選で原発推進の現職が当選した。浜岡原発の再稼働が争点だった。当時の菅総理が危険地帯の原発として停止を要請した。前回の東南海地震は1944年(昭和19年)。静岡には大災害をもたらしたが、戦時下のため国民にはほとんど知らされなかった。この東南海地震が近いと言われ、政府は浜岡原発あたりに21mの津波が来ると想定した。この選挙の影響は大きい。経済界は電気料の値上げを心配しているからだ。当選後の安全対策に全てがかかる。(読者に感謝)

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2012年4月15日 (日)

「上州の山河と共に」第121回 政治家への道

 笠原久子さんは、なかなかの美貌の人である。そして、知性と情熱を持ち前の明るい性格でうまく調和させているような彼女の雰囲気は、接する者に、常に新鮮な印象を与え、また、魅力を感じさせていた。

しかし、行動派の彼女も、大勢の前で選挙の応援演説をするのは初めてのことで、マイクを握った彼女の顔は、緊張と興奮で青ざめていた。

「私達庶民の喜びや悲しみが本当に分かる人、それが、中村のりおです。私達と同じような生活の体験を持ち、私達と同じような生活感覚を持つ人でなければ、私達の代表とはいえません。中村のりおこそ、私達の代表として最もふさわしい人です」

 笠原久子さんの澄んだ綺麗な声が、凛として響く。ほぼ満員となっている公民館のホールは、俄に登場した女性弁士の迫力に押されて、水を打ったように静である。

「中村のりおは、金も、組織も、知名度もありません。皆さんのお役に立ちたい、良い故郷を創りたい、ただ、その一心で、苦しい戦いを続けて来ました」

 笠原久子さんは、ここで声をつまらせ、高ぶる感情を必死で押えようとしている。彼女の胸には、ハガキの宛名書きをしたことや、足に豆を作ってあちこちと歩き回った日々のことが去来しているに違いない。彼女の、このたくまざる振る舞いは、プロの政治家の弁士よりも聴衆を動かす力を持っているように思われた。その証拠には、彼女の前に座っていたおじさんやおばさん達が、目を押さえたり、鼻をすすったりし始めたからである。(読者に感謝)

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2012年4月14日 (土)

「上州の山河と共に」第120回 政治家への道

 妻が聴衆の前で挨拶する機会は、次第に多くなった。妻は、大勢の前に立つと、直ぐに泣いた。涙を拭う左手の白い包帯と共に、彼女の姿は人々の目に印象的に映るらしい。激しく突き上げるものを必死で抑えようとするが、抑えつけようとすればする程感情は乱れ高ぶってしまう。

「皆様に、こんなにお世話になって本当に申し訳ありません。中村は、きっと立派な県会議員になって皆様に御恩返しをします。中村は、きっと、皆様のお役に立つ政治家になると思います。どうか、主人を当選させて下さい!」

やっとのこと、このような挨拶をすると、大きな拍手が起こり、涙を流している人の顔もあちこちに見られる。

「よし、分かった、きっと当選させるぞ!」

会場からは、嬉しい声援も飛ぶ。

このような盛り上がった雰囲気が更に妻を揺さ振るらしく、妻は、感激の涙を流している。

 私は、こんな妻を心の隅で不憫と思いながらも、それを振り返る余裕もなく、私自身次第に大きくなる渦の中に巻き込まれてゆくのだった。

昼間の作戦に続く夜の課題は、出来るだけ多くの座談会を開き、これを如何に盛り上げ、得票につなげるかということであった。

 座談会は、毎晩、六、七ヵ所で行われ、多くの後援会の幹部が手分けしてこれに臨み、立派に弁士を勤めてくれた。そして中でも、笠原久子さんの演説は新鮮、かつ、強烈な印象を与えていた。(読者に感謝)

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2012年4月13日 (金)

人生意気に感ず「インカ展、マチュピチュの涙。ミサイル失敗、ざまあみろ。秘密兵器V2号」

◇国立科学博物館でインカ帝国展を見た(12)。私は、平成8年ペルーを訪ねマチュピチュの遺蹟を見た時の衝撃は今も胸に鮮やかである。はるかな眼下に白い糸のように見えるウルバンバ川が走り、背後には神々が並ぶように高い山々があった。荘厳な雰囲気に打たれた私は息を呑み涙を流した。もう一度ペルーを見たいという思いでインカ帝国展に出かけたのである。

◇「マチュピチュ発見百年」の副題が示すように、この遺蹟の紹介に重点が置かれていた。空中都市と言われる奇跡の石積みの遺蹟はスペインに抵抗した最後の砦でもあった。「サヨウナラー」と叫びながら私たちのバスを追ったあの時の少年の姿が甦った。

◇コンドル湖の岩窟墓地の少女のミイラは、ノルウェーの画家ムンクの「叫び」に似た恐怖の表情を現し眼球が残っていた。

◇私が注目したのはインカ王処刑の図。中央に王、左に十字架を持つカトリックのドミニコ会士、右に切断した王の首を持つ男が描かれている。

 コロンブスの新大陸発見後40年、1532年のことである。侵略者ピサロの一行は、カハマルカで輿に乗り大軍に守られたインカ王アタハルパに対面する。ドミニコ会士が聖書を示しキリスト教の受容とスペイン王に従う事を求める。王は文字も書物も理解しないので聖書を宙に投げた。これが神への冒とくだとして侵略者は一斉に攻撃し王を捕らえた。インカの兵は馬を知らず、鉄器も火器もなかった。

 この出来事はカトリックを背景とした西欧文明の新大陸に臨む姿を象徴的に示している。キリスト教の独善、インディオを人間として認めず改宗に従わねば殺す。その後の奴隷制の原点でもあった。会場の随所の壁に当時のアンデスの記録者インディオのポマが描いた絵が貼られていた。

◇ミサイルが失敗した。落下したのは独裁国の威信。「ざまあみろ」の声が聞こえた。朝、みのもんたの番組がミサイルの起源はナチの秘密兵器V2号ロケットだと説明していた。そこで開発者フォン・ブラウンについて書く気になった。第二次大戦中、大陸からロンドンに降らせた長距離ミサイルV2号を作ったこの天才ロケット工学者は敗戦時ソ連の手におちることを嫌い進んでアメリカ軍の捕虜になった。33歳だった。以後月着陸船アポロ11号を生み出した。がんで死期が迫った時、子どものときの夢を生きているうちに実現出来最高だと語り、最後に、私は今銀河系を脱出しようとしている、ノバ(新星)とつぶやいた。65歳だった。(読者に感謝)

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2012年4月12日 (木)

生意気に感ず「スマトラで又巨大地震。北朝鮮の狂気。地球寒冷化」

◇3.11に続く巨大地震が迫るとされる中、インドネシアで、また11日、巨大地震が発生した。日本もいよいよ、と連想させるタイミングである。インドネシアのスマトラ島、バンダアチェ、M8.6.「また」というのは8年前、ここで巨大地震と巨大津波が起き、その記憶がまだ生々しいからだ。

 04年12月、インドネシアのスマトラ島沖でM9.0の巨大地震が発生。押し寄せた大津波で、約22万9千人の死者行方不明者が出た。

 この巨大地震は、当時、過去100年で4番目に大きく、1964年のアラスカ地震(M9.2)以来40年ぶりと言われた。私たちにとって非現実的と思っていたら、昨年3・11でM9.0が起き、今回、スマトラ島沖で又、M8.6が起きた。素朴な感覚から言えば、地球が活動期に入ったこと、首都直下型や南海トラフの巨大地震が迫っていること、これらを改めて感じさせる。3.11から引き出した教訓を活かして備えをしなければ。

◇人間界のM8級の激震が北朝鮮の動きだろう。建国の父とされる金日成主席は1912年4月15日に生まれた。だから来る15日は生誕100年に当たる。ミサイル発射は、これを祝って国威を発揚する意味がある。更に、20代の後継者金正恩の功績を国民に示すためともいわれる。

 北朝鮮は、金日成(キムイルソン)、金正日(キムジョンイル)、金正恩(キムジョンウン)と世襲が3代続く。権力の世襲は民主主義に真向から対立する。人類の歴史は権力の世襲を克服する歴史だった。その到達点として今日の世界の民主主義の大勢がある。

 民主主義の意義は人間を大切にすることだ。隣国北朝鮮は、最大の教材である。先軍政治の下で、核を持ち弾道ミサイルを開発し、国民を飢えさせている。

 私は、かつて南北を分かつ板門店を訪ね、北が南を侵略するために掘ったトンネルに入ってみた。黒い岩盤をくり抜いた巨大なトンネルは不気味で、北朝鮮は本気で何をするか分からぬ国であることを示していた。今日にもミサイルは発射されるかも知れない。

◇先日の爆弾低気圧もそうだが異常気象が地球的規模で起きている。温暖化が原因かと思っていたら、それだけでなく、太陽に重大な異常が起きている事と関係があるという。世界に誇る観測衛星「ひので」の働きで分かった。といわれる。何でもありの気象が続く地球は寒冷化の危機にあるというから驚きだ。(読者に感謝)

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発見されたトンネルは公開されている。衝撃を受けた。左は私のレポート。

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2012年4月11日 (水)

人生意気に感ず「大災害と車。大川小と船越小。ミサイル発射」

◇3.11の現場を指揮した2人の対談(文藝春秋)を読んだ。当時の警視総監池田克彦氏と当時の東京消防庁警防部長佐藤康雄氏である。3.11では東京も最大震度5強に見舞われ大混乱に陥った。

 この体験を踏まえる時、切迫した首都直下型大地震にどう備えるかというのが対談の中心である。関東大震災の教訓も語られ興味深く読んだ。

 強調するのは、地震の際「車を使わない」のが鉄則だという事。車は、ガソリンを積んでいる上に、タイヤ、内装、外装等石油製品の塊で、渋滞に巻き込まれ火がついたら大変だというのだ。渋滞にあったら、免許証を持ってキーをつけて車を離れろと警告する。

 関東大震災では隅田川の橋は1つを除き焼け落ちた。大八車に家財を積んで逃げそれに火がついたのだ。大八車は今日の自動車に当る。唯一残ったのは新大橋で、たもとで警官がサーベルを抜いて荷物を捨てさせたという。

 もう一つ、関東大震災の例を挙げる。それは消防車の威力だ。東京中で、神田佐久間町だけが焼失を免れたのは1台のポンプ車があったおかげだとされる。渋滞と混乱の中で消防車が機能できなくなる恐れは今日的課題である。

 群馬は大丈夫という安全神話に支配されがちな私たちだが、車と切り離せない生活を送っているのだから、大災害時に於ける車の使い方は常に念頭に置かねばならない。

◇あの大川小が校舎を高台に移転させる。全児童108名中74名が犠牲になった仙台石巻小跡には今も訪れる人が跡を絶たないと言われる。逃げる時間がありながらなぜ救えなかったか。

 結果論だが裏山を登れば助かった。山に逃げるかをめぐり争いがあった事が伝えられる。とっさの判断と決断は危機管理の要である。

 非常に似た状況下で全児童が助かったケースは岩手県山田町の船越小である。ここでは津波の歴史と恐怖を知る校務員が必死で訴え校長は児童に裏山を登らせたというのだ。2つのケースは最大の教材である。津波と無関係の本県の学校関係者も学ぶことが多い筈だ。

◇北朝鮮のミサイル発射が迫る。巨大なミサイルの陰に多くの飢えた国民がいる。その一方で国威発揚に沸く独裁を支える人々。過去と現在が同居する不思議で異常な国北朝鮮は危険な隣国である。この国の矛盾は限界に迫る。私は、「崩壊」の進行を息を呑んで見守る。(読者に感謝)

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2012年4月10日 (火)

人生意気に感ず「入学式で第四の火を。ミサイル発射。日本初の製糸場」

◇某私立高校の入学式に出る(9日)。500人をこえる生徒たちを壇上から眺めて、その厳しい前途を思った。この若者たちの胸に響くメッセージを送らねばと決意して挨拶に立つ。

「皆さんは、日本の歴史上かつてない大転換点にたっています、その中を生き抜くための基礎をこの3年間で身につけなければなりません」と始め、人類と火の関わりを語った。

「人類は火を発見し、火によって文明を発展させてきました、洞窟の中で木を燃やしていた人類は第二の火・石油を手に入れ、20世紀に至って、遂に第三の火、原子力を手にしたのです、そして、今日、3.11後の変化として、第三の火を転換する必要に迫られています」と話を展開し、太陽光、風力、水力などの新エネルギーの意義に触れ、全ての科目を大震災を意識して学べば生きた学力が得られると語った。

◇北朝鮮のミサイル発射が近づいている。平和ぼけと言われる日本人の中には無関心が多い。しかし、アメリカ国防総省の担当官は下院で日本にも破片が落下して犠牲者が出る可能性があると発言。またミサイル発射後の核実験の可能性を指摘する報道もある。

 中国がミサイル発射に反対している背景には福島第一原発事故の影響があるといわれる。それは、中国民が、ミサイル発射と核実験をセットにとらえており、核実験による放射性物質飛来を恐れているからだ。この事は、私たちに日本人にとっても同様である。日本では、大飯原発の再稼動問題が大詰めを迎えている。

◇昨日、日本で最初の洋式機械製糸場跡の石碑を調べた。国道17号沿い、住吉町1丁目の交差点の角に立つ。直ぐ南に広瀬川が横切る。

 初代県令楫取素彦に関心を持つ私は、毎日のように側を通るこの碑をしっかり認識したいと思った。前橋に県庁を定めることを楫取に決意させた重要な要素に「生糸の町前橋」があった。県令はこの新産業で群馬を発展させようと決意していたのである。

 碑には、明治3年に建てたとある。廃藩置県が明治4年であるから、機械製糸場が藩立であることを示す。市内を貫流する広瀬川の水を水車の動力源とした事も書かれている。「広瀬川白く流れたり」と朔太郎がうたった広瀬川には、このような近代産業に関わる歴史がある。時は流れ、脱原発と新エネルギーを求める時代になった。広瀬川の水を小水力発電に利用する事を新市長に提案したい。(読者に感謝)

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2012年4月 9日 (月)

人生意気に感ず「柔道大会で楫取を。松陰全集中の楫取に驚く。韓国の原発事故」

◇昨日(8日)は第46回関口杯大会で挨拶した。本県柔道の先達・関口孝五郎先生、林五郎先生の教えを受け継ぐ伝統ある柔道大会である。

 今年度から中学で武道が必修となり9割以上の中学校が柔道を選択します、県柔連の役割は重要です、柔道の「道」は正しい心の在り方を求めるものです、柔道が国際化する中で日本の柔道を守らなくてはなりません。ざっと、こんな話をした。2人の小学生が正座と礼に始まる型を演じた。中学では、礼儀を重視する柔道の精神を教えねばならない。

◇隣席の関口明会長が、私が進めている楫取素彦について話しかけられた。冨岡製糸を始とする群馬の製糸業の発展の背景には幕末から明治にかけての世界的にも驚くべき日本人の識字率の高さがあったこと、特に女性の識字率の高さに注目しておられた。

 初代県令楫取素彦は教育と近代産業たる製糸業で群馬の発展を実現しようとした。楫取の功績は大きいが、それを可能にした要素には識字率が示す日本人庶民の教養があったものと私も考える。

◇古書店から山口県教育会編纂の吉田松陰全集12巻を入手した。その第9巻を概観して驚いた。この巻は桂小五郎、久坂玄瑞など名だたる幕末の志士に宛てた書状が並ぶが、一番多いのが高杉晋作と小田村伊之助に宛てたものである。小田村伊之助とは楫取素彦の前の名前である。各20通ある。松陰の激しい思いを楫取に伝えようとしているものが多い。

 たぎるような幕末の時代を生きた男が初代県令として群馬の建設にあたったことを、今改めて見詰める意義は大である。近日、楫取素彦顕彰会が立ち上がる運びとなった。

◇吉田松陰全集編纂委員の一人に、廣瀬豊氏がいるが、その夫人の著「松陰先生にゆかり深き婦人」に興味深い記述がある。ここでは、松陰の妹にして楫取夫人である寿子の烈婦振りを描くが、関連して、出獄後の小田村(楫取)が坂本竜馬に会って薩長連合の緒を作ったと書いている。このような人物を21世紀の群馬に甦らせたい。

◇先日韓国を訪ねた時、韓国にも原発問題があり日本の事故に強い関心を寄せている事を知った。報道によれば、最近、全電源喪失と冷却水急上昇の事故が発覚し騒ぎになっている。21基ある。ならば中国はどうか。巨大な人口と急激な経済発展は原発を必要としている。日本は他国の原発を批判出来ないが重大な関心がある。(読者に感謝)

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2012年4月 7日 (土)

「上州の山河と共に」第119回 政治家への道

 選挙に出る前は、選挙カーで連呼してゆく姿を、何て馬鹿な事をと冷やかに見ていた私であったが、自分がその立場に立ってみると、いろいろな事に気づく。私は、自分でもマイクを握り、ウグイス嬢と交互に呼びかける。

「中村のりおでございます。県政を身近なものにし、皆様と共に素晴しい故郷群馬を築きます」

「中村のりおでございます。信頼の県政を実現します。県民の為の真の県政を実現する為に立候補しました」

「新人候補の中村のりおでございます。皆様と力を合わせ、二十一世紀の故郷群馬を築きたいと思います」

 このような短い言葉を発しながら、選挙カーは走る。

手を振る人がないような状態がしばらく続くと、行き交う人々は、私の訴えを聞いているのだろうか、それとも、皆、他の候補者を支持しているのだろうか、と不安になる。

 しかし、しばらく選挙カーを走らせているうちに、私は、これは、人々に私の訴えを聞いてもらい、支持者となってもらう為の絶好のチャンスが与えられているのだと気付いた。チャンスを生かせるかどうかは、こちらの工夫と努力による。選挙カーを走らせながら、一人一人の人々と出会う時間は、数秒間にも満たない。しかし、この短い時間で、的確なメッセージを送り、印象付けることができれば効果は大きい。

 私は、選挙カーで訴えることは、私の声を聞く人達一人一人との間で対話を行っているのだと考えるべきだと思った。だから、短い的確な表現で誠意をこめて訴えなければならないと思った。

 手を振らない人、振り向きもしない人、これらの人々の耳にも私の声は届いている。彼らは、私を支持するかどうかの一つの資料として、それを受け止めているに違いない。私は、このように考えて、後部座席のウグイス嬢とも打ち合わせ、その町、その通りの状況も考えながら、適切な表現を工夫して真剣に訴えていくことにした。(読者に感謝)

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2012年4月 6日 (金)

人生意気に感ず「原発ゼロからの脱出は。再生可能エネルギー。太田市とソフトバンク」

◇点検中の大飯原発の再稼動は国民的課題である。唯一動いている北海道の泊原発が5月5日に点検のため停止するから、再稼動が認められなければ「原発ゼロ」の状態になる。ゼロになれば世論の動向は大きく変わる。脱原発派を勇気づけ、一般国民の多くも、ゼロでもやれるのではないかと考えるだろう。だから、政府は危機感を抱きなんとしてもゼロは避けたいと必死である。

◇私たちは、問題の本質と筋道をつかまねばならない。当事者たる福井県やおおい町は、新たな安全基準を求めている。その背景にはこれ迄の原子力行政へのぬぐい難い不信がある。全国民も同じだ。専門的、科学的な分析により東電や政府の政策がいかに誤っていたかが明らかになっている。それを活かすことは天の声である。「福島原発事故独立検証委員会の調査・検証報告書」は、このことをえぐり出している。

◇政府は5日、再稼動基準案を了承した。判断を先送り、基準案作り、そして、了承と、わずか2、3日の目まぐるしい動きに私たちは驚く。橋下市長は「昨日のきようで暫定的な安全基準なんて作れるわけがない」と言っている。

 福島県は、再稼動を認める条件として、原子力発電の意義や再稼動の必要性を示せと求めている。これは、福井県の原発だけでなく日本の全ての原発にあてはまる事だ。

◇原発が歴史的転換点を迎えていることは、同時に再生可能エネルギー問題が大きな転換点を迎えていることを意味する。太陽光、風力、水力、地熱などが本県でも研究されているが、中でも注目される熱源は太陽光だ。

◇太田市が大規模太陽光発電施設(メガソーラー)計画を進めている。市街化調整地区の優良農地は原則として転用が認められないが、特区を申請しクリアーしようとしている。変電所の周辺の農作業しにくい場所を対象にするという。

 このように自治体が旗振りをし、民間企業とも連携すればメガソーラー事業は大きく進展する筈だ。地方の産学官が力を合わせ、エネルギー問題を転換させる時に来ている。

◇ソフトバンクが北海道で国内最大規模のメガソーラーを計画している。20万キロワット級だ。7月から始まる電力の固定価格買い制度が一つの推進力となる。国は法制度を研究して新しい流れを助けるべきだ。新しいビジネスが生まれる。人々の考えも変わる。禍転じて福となす。県と市の連携でそれは大きく進む。(読者に感謝)

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2012年4月 5日 (木)

「原発再稼動見送り。脱原発の節目。春の嵐の不気味」

◇定期点検停止中の大飯(おおい)原発の再稼動に関し野田首相は、判断を先送りした。当初、原子力安全委員会の審査結果を受け、再稼動の判断を下す構えだった。安全性を確認する材料が不十分であるためだ。

 先送りに際して述べた首相の言葉には重要な意味が含まれている。首相は「これまで行ってきた専門的、科学的な評価をしっかり確認し、国民の視点から再稼動に必要な安全性が確保されているか判断していきたい」と述べた。

 福島第一原発事故の検証から、政府と電力会社は、国民に不安を与えかねないとして、専門的、科学的見地からの安全対策を嫌ったことが明らかにされている。その結果の出来事を見て、国民の不信感は極度に達している。首相が「国民の視点」を気にするのはそのために他ならない。

◇安全委の班目委員長は、原子炉がいくつも並び同時に事故が起きた場合の事故対応が可能なのか評価されていないと指摘した。

 福島原発事故独立検証委員会の検証報告では、福島第一原発事故の最大の特徴は「過密な配置と危機の増幅」だと指摘している。6つの原子炉と7つの使用済み燃料プールが接近して配置されていたのだ。絶望的な状況の中でこれらに同時に対応することは不可能であった。班目委員長は大飯原発の安全評価について、この点を考えているものと思われる。

◇5月5日、唯一動いている北海道の泊原発が停止する。これ迄に福井県の大飯原発の再稼動がなければ、日本は「原発ゼロ」の状態になる。いったんゼロになれば脱原発を目指す世論の力は強くなり再稼動は困難になるだろう。

 橋下大阪市長は「今しかチャンスがない」と発言。国会内では脱原発を求める議連が次々に生まれようとし、経済界では中小企業を中心に脱原発を目指すネットワークが発足した。このような状況下で、大飯原発の再稼動の是非は、正に、日本の原発問題の天王山なのだ。首相は慎重に再稼動の判断を出す腹であろう。

◇春の暴風、春の嵐、爆弾低気圧。いろいろ表現される異常気象は凄まじかった。トラックが横倒しになり、電柱がポキポキ折れた。57年前、昭和29年にも、よく似た現象が発生し、日本海では36隻の船が波にのまれ、海の死者不明者は350人に達した。今回の日本海では、上層と下層では25度以上の温度差の空気がぶつかり、そのエネルギーが爆弾低気圧を生んだ。多くの人は大自然が暴れだす前兆の不気味さを感じたのでは。(読者に感謝)

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2012年4月 4日 (水)

人生意気に感ず「山本市長、細野副市長。スーチー当選。爆弾低気圧」

◇中国帰国者協会の幹部数人と山本市長を訪ねた。表敬と共に、市もこれから中国との関係を深めるべき時に当たり、協会として役割を果たす意志を伝えたかった。北軽井沢には、協会とゆかりの深い満蒙拓懇の塔がある。草津出身の市長は、この関係もよく理解しておられた。

 協会の正式名は群馬県中国残留帰国者協会。満州の歴史と悲劇を背負っている人々である。市長は、「国は日本人を守れなかった、酷いことをした」と発言した。1972年、田中内閣の下で日中国交回復が成立し、残留孤児たちの帰国が可能となった。今年は国交回復40周年に当たる。

 マチダコーポレーションの平和博物館で私が進めている「シベリアコーナー」も話題になった。約6万人の犠牲者を出したシベリア抑留は、残留孤児たちが体験した悲劇と、満州の荒野で結びついているのだ。

 山本市長の表情には、市長職に自信を持ち始めたことをうかがわせるものがにじんでいた。多少の混乱は屁とも思わない男である。すがすがしい表情は私心のなさを現わす。その突進力は時に危うさを感じさせるが、リーダーには改革の精神が求められる時代である。細野副市長は、ブレーキ役と女房役に適切な人物である。

◇アウンサンスーチーの会心の笑顔を見た。国民大衆に囲まれた笑顔の姿が似合う女性である。ミャンマーの希望を表現している。

 ミャンマーの国会補欠選挙で国民民主連盟党首のアウンサンスーチーさんが当選した。スーチーさんは、「新しい時代の幕開けとなることを望む」、「本当の民主主義を実現するためすべての政党が協力してくれることを期待する」と述べた。

 弾圧に耐えて非暴力民主化運動を進めノーベル平和賞を得た。自宅軟禁は合計14年以上に及ぶ。彼女のバックボーンには、ビルマ独立運動を主導し暗殺された、ビルマ建国の父アウンサーン将軍の娘としての誇りと民主主義への信念があるのだろう。ミャンマーが民主主義へ向けて大きく動き出したことは間違いない。世界の民主主義の流れがまた加速する。

◇すごい低気圧は爆弾低気圧と呼ばれる。死者3人、重軽傷者202人。全国40か所以上で観測史上最大の風速を記録し、その中の最大は、41.9mというから正に異常気象。津波や巨大地震と関連があるかと思ってしまう。日本がもみくちゃになる災害時代の到来なのか。(読者に感謝)

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2012年4月 3日 (火)

人生意気に感ず「巨大地震が近づく。最悪のシナリオ。情報は誰のものか」

◇首都直下地震では、東京23区のほとんどが震度6強以上の揺れとなり、1部地域は震度7に見舞われる(文科省のプロジェクトチーム)。

 また、南海トラフ地震では震度7になり得る地域は10県に及び、津波は最大34mになる(内閣府の有識者検討会)

 これらは、最近のマスコミが大きく報道することである。気象庁は、3月8日、昨年の東日本大震災以降、M5以上の地震が約600回に達していることを公表した。これらを踏まえると、首都直下も南海トラフもすぐそこに迫っていることを感じる。待ったなしの状況である。

◇地震考古学の研究者は、東日本大震災は、869年の貞観地震に似ている、貞観地震が起きた9世紀は日本中が地震の活動期というべき時代であったが、その状況が現在ととてもよく似ていると指摘している。私の頭にこびりついているのは、昨年、多賀城市を訪ねた時、市長が貞観地震を例に挙げて歴史は嘘をつかないと語った事だ。

◇因みに、関東大震災は、およそ88年前の1923年9月1日。これは相模トラフで発生した海溝型巨大地震だった。また、南海トラフ巨大地震は、終戦(1945年)を挟んで、前年(1944年)に東南海地震、翌年(1946年)に南海地震が起きた。現在、警告されているのは、東海、東南海、南海の3連動地震である。日本列島の上に多くの原発が乗っている事を考えると、日本は、正に沈没の危機にあると言っても過言ではない。

◇最も重要な事は東日本大震災の対応の誤りから教訓を引き出すことだ。その為の最大の資料は、独立検証委員会の報告書だと私は思う。

 その中に極めて示唆に富む指摘がある。「国民がパニックに陥らないように」との配慮から情報を伝えないという情報操作があったというのだ。その例として、「最悪のシナリオ」が公開されなかったことを挙げる。今回、首都直下型と南海トラフ型で驚くべき警告がなされた事は、この報告書の指摘が活かされているものと私は考える。

◇「報告書」が指摘する「最悪のシナリオ」とは菅総理(当時)が原発事故に関して作らせたもので、住民避難区域は200km以上に及び、首都圏を含む3000万人の避難が必要になるとしていた。

 パニックを起こすから情報をかくすというのは基本的に間違いだろう。大災害に際し、情報の公開はどうなされるべきかは極めて重要な問題。情報は国民のもので、国民には知る権利がある。(読者に感謝)

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2012年4月 2日 (月)

人生意気に感ず「済州島を走る。消費増税法案で激震。死刑執行」

◇31日、午前6時少し前、済州島の朝を約1時間走った。韓国は時差がない扱いであるが、実際は約1時間位の差がある。夜が明けると、ハングル文字があふれた街なみがあった。それはどこか他の宇宙にいるような異様な感じを与える。たまに、漢字を見つけるとホッとする。漢字には東アジアの歴史と人々の心を表す力があることを改めて感じた。

 朝食の粥を食べながら松井貞夫総領事から「済州について」レクチャーを受けた。韓国で初めて世界自然遺産に登録された「火山島と溶岩洞窟」、数万人の島民が虐殺された1948年4月3日の済州4・3事件、日本との深い関わりなどにつき学んだ。在日韓国・朝鮮人の約20%が済州出身者であること、農水産物90%の輸出先は日本であること等初めて知る。

◇帰国は31日深夜の予定だったが帰宅は1日の午前1時に近かった。秋田犬のナナが飛びついてきた私の顔をなめるのは外国から帰った時のいつもの歓迎振りだ。書斎の机には新聞が積まれ、いくつかの見出しは留守中の世の中の激しい変化を示す。

◇消費増税法案の修正案が閣議決定され、30日夕、国会に提出された。2014年4月に8%に、15年10月に10%に引き上げるが、「経済状況の好転」が条件となる。国民の生活に大きな影響を与えるのは必至。

 国会内に激震が走っている。国民新党の亀井静香代表は連立を離脱すると表明。民主党の輿石幹事長は党議拘束をかけ造反者は処分するという。法案の成立が政界再編の引き金になるかも知れない。県政を揺さぶる要素にもなる。

◇1年8か月ぶりに3人の死刑が執行された。私は死刑制度に強い関心を持っている。裁判員制度が始まって、司法にも国民の常識が入ることになった。この制度の下で国民の前に立ちはだかる大きな課題が死刑である。

 死刑執行で絶対あってはならないのは冤罪である。取り返しがつかないからだ。最高裁で死刑が確定しながら再審で無罪となった事件が少なからずあるし、執行後に再審請求がなされているものもある(福岡の飯塚事件)。国民的な議論をすべきだが、法務省は、そのためのきっかけとなる省内の勉強会を打ち切った。

 執行には法相の署名が必要である。現法相の小川氏は「執行は法相の職責」と語り今回の事態となった。注目されるのは13人の執行を命じた鳩山邦夫氏。今回連立離脱を表明した亀井静香氏は死刑廃止論者として知られる。(読者に感謝)

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2012年4月 1日 (日)

 「上州の山河と共に」 第118回 政治家への道

 選挙カーにとりつけられた看板の中村のりおの文字には覆いがかけられている。すでに市役所に出向いている幹部役員によって届出が適正になされた時点で、その覆いは取り除かれ、私は、第一声のマイクを握る手筈となっていた。事は予定通り運び、8時過ぎ、私は、県庁前の大通りで、生まれて初めてタスキをかけ、白い手袋の手にマイクを持って、立候補の第一声を放った。<新人候補の中村のりおである、県政を身近なものにし、信頼の県政を実現して、県民の皆さんと共に素晴しいふるさと群馬をつくりたい、その為に、この選挙戦を死にもの狂いで戦い抜くつもりだ>と挨拶した。

 朝の通勤時間である。道行く人達は、私に格別の関心を払うふうもなく、それぞれの職場へ急ぐ。立ち止まって耳を傾ける聴衆がなくても、私は、この一声によって、現実に選挙戦に突入したことを実感した。

 各地の後援会はどう動いてくれているのか、多くの人達が苦心して練り上げたいろいろな作戦は、計画通り実行されるだろうか、届出と同時に一斉になされた筈の選管指示の掲示板へのポスター貼りは進んでいるだろうか等、様々なことが気になるが、私は、もう、神輿の上の人であった。

 選挙カーが走り出すと同時に、後部座席のウグイス嬢の声が拡声機から流れ始める。

 選挙カーに対して手を振ってくれる人が目に入ると、本当に嬉しい。手の振り方、その人の表情は、走る車からの瞬時の肥え方であるが、それが、心からの支援の現われか、それとも、礼儀的なものか、よく分かる。

 選管の掲示板に時々出会うが、自分のポスターが所定の位置に貼られていると、ああ、ボランティアの人達が真剣にやってくれているなと、あの顔、この顔と目に浮かび、大変に勇気づけられる。(読者に感謝)

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