« 人生意気に感ず「国立博物館の偉容。弥勒菩薩。南大門」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第117回 政治家への道 »

2012年3月30日 (金)

人生意気に感ず「武寧王は日本で生まれた。古代日本と朝鮮」

◇29日は、武寧王陵・国立公州博物館(公州市)、国立扶余博物館(扶余市)、百済歴史団地等を視察した。古代の百済(くだら)と日本がいかに深い関わりをもっていたかを歴史的遺物を通して実感した。

 百済の武寧王陵(墓)は1971年に偶然、奇跡的に発見され世界は騒然となった。予期せず、未盗掘で大量の副葬品と共に発見された点で、ツタンカーメン王墓、秦始皇帝陵の発見と並べられる。

◇平成天皇は、かつて、誕生日のインタビューで、桓武天皇の生母が武寧王の子孫であること、武寧王の子、聖明王が日本に仏教を伝えたことなどをあげ、日本と韓国が古くから深い交流があったことを述べられた。私は、天皇の言葉を思い出しながら胸を躍らせて王の遺物を見た。

◇県立女子大の熊倉教授と遺跡を巡りながら、武寧王の生誕地が九州佐賀県の加唐島(かからとう)であることも話題にした。

 慶北大学のムンギョンヒョン名誉教授は、「百済の使節が日本に向かう時に、王の母が産気づいて島に立ち寄った。古代の交流は想像をこえる親密さだった」と解説している。

◇私はかつて九州の離島を訪ねた時、海の彼方に韓国の島影が見えることを知って驚いた。今回の視察で、この距離の近さは、両国が文化的にも政治的にも激しく熱く交流したことを物語ることを知った。

 視察中、白村江の戦いが話題となった。日本書紀には、この戦いで唐・新羅群に敗れた百済から臣賓ら難民数千人が日本へ亡命したと記されている。日本にとって大変な収穫だったろう。

◇百済歴史団地は、かつての百済の王宮を復現したもので、天にそびえる五重の塔を初め壮大な建築物が並ぶ姿は、奈良や平安の都の原点がここにあるかと想像させた。

 案内をした若い女性は福井県出身の人で、大阪の四天王寺は、ここと同じ建物の配置で4~5人の百済人が日本に行ってその建設を手伝ったと語っていた。

◇視察を終えた夜、道議員、テレビや大学関係の人たちとの交流があった。私は忠清南道議会の人たちに北朝鮮の情勢についてたずねた。弾道弾発射はいつものことで心配していない、金正恩の能力は未だ分からない、農業は壊滅的で食料の70%を援助に頼っているから、北は長くもたない等、彼らは語った。今日生まれた絆を今後の発展に活かそうと誓い合った。(読者に感謝

)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

|

« 人生意気に感ず「国立博物館の偉容。弥勒菩薩。南大門」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第117回 政治家への道 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生意気に感ず「武寧王は日本で生まれた。古代日本と朝鮮」:

« 人生意気に感ず「国立博物館の偉容。弥勒菩薩。南大門」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第117回 政治家への道 »