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2012年3月22日 (木)

人生意気に感ず「世界に響くマイバシ。最初の器械製糸工場。楫取と富岡製糸」

◇困難に直面した時、特に混乱の中で新たな発展を目指す時、重要な事は歴史的原点を見詰めることだ。県が県産品のブランド化に躍起になっている現在、注目すべき歴史的事実がある。

 幕末の開国間もないころ、上州の生糸は欧米で「マイバシ」のブランド名で高く評価された。これに便乗して、粗悪品がマイバシの名で売られる事態が生じた。そこで前橋藩は生糸改所を設立し検査を通ったものを横浜で販売した。この生糸改所は外国から高く評価された。

◇前橋藩は良質な生糸の大量生産を目指し、明治3年、日本初の器械製糸場を設立した。現在、前橋市住吉町の国道17号沿いに、日本初器械製糸場跡の碑が立っている。(富岡製糸場の操業開始は2年後の明治6年で、廃藩置県は明治4年であった)

 この頃活躍した生糸商人として名高い人が下村善太郎で、彼は初代前橋市長となり、県庁前通りにその銅像が立っている。大沢知事も山本前橋市長も、この銅像の意味と時代背景をよく理解すべきだ。

◇このような状況下、初代県令(知事)となった楫取素彦は新産業たる生糸業を発展させることで群馬を興そうと決意した。少し前に操業を開始していた官営冨岡製糸工場に県令楫取がどのように関わったか、私は大きな関心を抱いていた。

 最近、この点に関し興味ある資料を得た。政府に対して富岡製糸場の存続を求める、楫取の情熱あふれる格調高い意見書である。これは、富岡製糸場の閉場の危機に当たりその存続を求めたもの。政府は官営工場の払い下げを進めたが、富岡製糸場は規模が大きすぎて応ずるところがなかった。政府は「払い下げの手立を尽くし、なお請願人がいない場合には閉場の手続きを進める」という方針だった。政府は閉場の方針を変えたが、そこには楫取の大きな影響があったと思われる。閉場になっていれば、今日の世界遺産登録の問題もなかったかも知れない。

◇この2月県会で富岡市出身の県議から次のような発言があった。「世界遺産登録を目指すにあたり、遺産の価値を高めるためにも蚕糸業を維持・存続させることが重要である」

 その通りである。歴史あるカイコの灯を消してはならない。養蚕後継者の育成サポートなど県も力を入れているが正念場である。(読者に感謝)

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