« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月31日 (土)

「上州の山河と共に」 第117回 政治家への道

 告示が数日後に迫ったある晩、もう殆んど人気のなくなった事務所の二階から、私は市街地を見下ろしていた。私の心は平静であった。この山小屋が、天が私に与えた条件なのだ。とすれば、あとは、戦い抜き、勝ち抜く他はない。こう思うと、闘志が漲ってくるのが感じられた。よし、これから、あそこへ攻め下るのだ。私は、火の海のように広がる夜の市街を見下ろしながら、拳を固く握りしめていた。

いよいよ決戦

1987年・昭和62年4月3日、県議選は告示され、決戦の火ぶたが切られた。この日、定数57議席に対し79人が立候補の届け出をした。前橋の選挙区では、定数8のところへ11人が立候補し、予想通りの激戦となった。選挙運動の期間は9日間、12日が投票日とされていた。

 今回の選挙の特色として、自民党は49人を擁立し、前年の衆参同日選圧勝の勢いに乗って県議選勝利を獲ち取ることを目指していたこと、野党はこれに対して、売上税反対のスローガンをかかげて対決の姿勢を鮮明にしていたことなどが上げられる。私は無所属から立候補し、″身近な県政″を、木目細かに訴えてゆくと考えていた。

 四月三日の早朝、私の住む鳥取町の大鳥神社で必勝祈願祭を済ませると、私は、これから9日間必死で戦場を駆回ることになる選挙カーに乗って、県庁前に向かった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月30日 (金)

人生意気に感ず「武寧王は日本で生まれた。古代日本と朝鮮」

◇29日は、武寧王陵・国立公州博物館(公州市)、国立扶余博物館(扶余市)、百済歴史団地等を視察した。古代の百済(くだら)と日本がいかに深い関わりをもっていたかを歴史的遺物を通して実感した。

 百済の武寧王陵(墓)は1971年に偶然、奇跡的に発見され世界は騒然となった。予期せず、未盗掘で大量の副葬品と共に発見された点で、ツタンカーメン王墓、秦始皇帝陵の発見と並べられる。

◇平成天皇は、かつて、誕生日のインタビューで、桓武天皇の生母が武寧王の子孫であること、武寧王の子、聖明王が日本に仏教を伝えたことなどをあげ、日本と韓国が古くから深い交流があったことを述べられた。私は、天皇の言葉を思い出しながら胸を躍らせて王の遺物を見た。

◇県立女子大の熊倉教授と遺跡を巡りながら、武寧王の生誕地が九州佐賀県の加唐島(かからとう)であることも話題にした。

 慶北大学のムンギョンヒョン名誉教授は、「百済の使節が日本に向かう時に、王の母が産気づいて島に立ち寄った。古代の交流は想像をこえる親密さだった」と解説している。

◇私はかつて九州の離島を訪ねた時、海の彼方に韓国の島影が見えることを知って驚いた。今回の視察で、この距離の近さは、両国が文化的にも政治的にも激しく熱く交流したことを物語ることを知った。

 視察中、白村江の戦いが話題となった。日本書紀には、この戦いで唐・新羅群に敗れた百済から臣賓ら難民数千人が日本へ亡命したと記されている。日本にとって大変な収穫だったろう。

◇百済歴史団地は、かつての百済の王宮を復現したもので、天にそびえる五重の塔を初め壮大な建築物が並ぶ姿は、奈良や平安の都の原点がここにあるかと想像させた。

 案内をした若い女性は福井県出身の人で、大阪の四天王寺は、ここと同じ建物の配置で4~5人の百済人が日本に行ってその建設を手伝ったと語っていた。

◇視察を終えた夜、道議員、テレビや大学関係の人たちとの交流があった。私は忠清南道議会の人たちに北朝鮮の情勢についてたずねた。弾道弾発射はいつものことで心配していない、金正恩の能力は未だ分からない、農業は壊滅的で食料の70%を援助に頼っているから、北は長くもたない等、彼らは語った。今日生まれた絆を今後の発展に活かそうと誓い合った。(読者に感謝

)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月29日 (木)

人生意気に感ず「国立博物館の偉容。弥勒菩薩。南大門」

◇昨日(28日)は、ソウル市の国立中央博物館の視察に半日をあてた。館内の案内は現地のガイド女性金さんと、県立女子大の熊倉教授がやってくれた。議員9名である。

 国立中央博物館は、韓国が民族の誇りと威信を賭けて築いた質量共に壮大なものであった。私は、多くの小学生が列をなして入場する光景を見て、発射台上に屹立する北朝鮮の弾道弾ロケットを想像した。

 二つは両国を象徴する姿である。同じ民族でありながら一方は平和と文化を謳歌し、他方は国民を飢えさせながら軍事に狂奔する。

◇この博物館の白眉は国宝の弥勒菩薩像・半跏惟像(はんかしいぞう)である。口元にほのかな微笑をたたえた表情からは静かな息遣いが伝わってくるようだ。

 この仏像は京都広隆寺の弥勒菩薩像と酷似する。韓国の仏教文化が日本に強い影響を与えたことを物語る。6世紀、仏教は百済から伝えられ古代日本の政治と国民の心の問題に計り知れない影響を与えた。仏像の生きているような表情に接し、改めて韓国と日本の深い関係に思いを馳せた。

◇新羅の塚から出土した器に刻まれた文字の中に群馬の多胡碑の文字と酷似しているものがあった。これは、古代の朝鮮半島の文化が遠く離れた内陸の群馬にも影響を与えていた事を物語るもので興味深い。

◇国立中央博物館の建設は、日本の朝鮮支配と関わりがある事実を知って驚いた。かつて日本は植民地朝鮮に博物館を建てたが、日本の支配を脱して独立した朝鮮は、1945年12月3日、民族のプライドに基づいて国立民族博物館を開館した。

 しかし、建物はもとのままだった。国民は民族の貴重な文化財を日本が支配した象徴のような建物に展示することを許さなかった。2005年10月28日、悲願がかなって、今日の龍山地域にアジア最大級の国立博物館が誕生した。

 私は国立博物館の役割の大きさを改めて認識した。それは民族の精神的基盤となり、国の存在を歴史的に支える柱なのだ。

◇夜、市内のレストランで焼肉で食事をとり、その後、南大門のにぎやかな商店街を散策した。日本では消えてしまった市民の活気が息づいていた。この通りのメガネ屋でメガネを修理してもらったら無料だった。レストランで人とぶつかりレンズが外れたのだ。韓国人の人情を感じた嬉しい瞬間だった。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月28日 (水)

人生意気に感ず「ソウルへ向かう朝。首相演説。仏像が待つ。斉藤明美に実刑」

◇今日(28日)は、朝8時半のフライトで韓国に向かう。昨夜は前泊で近くのホテルで過ごした。韓国は何回も訪ねているが、今回はホットな世界情勢の渦中に飛び込むような気持ちの高ぶりを覚える。

 53カ国首脳が参加したソウルの核安全サミットは昨日(27日)閉幕したが、この会議の主題となった北朝鮮の弾道弾発射に向けた動きは依然として続いているようだ。世界のプレッシャーを北朝鮮はどう受け止めるのか、そして、これから向かうソウルにはどんな緊張感が流れているのか大いに気にかかるところだ。

◇私は野田総理の昼食会の演説に注目した。首相は原発事故の対応の反省を踏まえ、「甘い想定」と「安全神話」にとらわれていたことを述べた。首相には、国際社会に対する謝罪と共に、日本の過ちを世界の教訓として役立てたいという思いがあったことだろう。

◇首相が述べた事は、福島原発事故独立検証委員会の報告書が厳しく指摘していた事と一致する。報告書は、「想定外」ではなかった、多くの研究が「想定」していたのに東京電力が聞く耳を持たなかった、つまり、「想定が間違っていた」こと、また、東電や政府が「安全神話」に縛られていたと分析したのだ。

 そして、放射性物質を含む水を、予告なしに太平洋に流したことも国際社会に対して配慮を欠く行為だと鋭く批判していたのである。

◇野田総理はとんぼ返りで、消費税増税問題で沸く熱い国会に飛び込んだ。不退転の決意で政治生命を賭け、命を賭けるといっている。民主党内では異常に長い議論が続き、その状況が国民に伝えられる。これは、国民が消費増税の可否を考える事を促す意味がある。

 この問題の先には衆議院解散総選挙があるに違いない。28日、韓国では国政選挙がスタートすると聞く。外国の選挙の実態に触れる機会は少ない。期するところ大だ。

◇今日は、午前10時50分に金浦空港に着き、昼食後、国立中央博物館で視察研修を行う。旧石器時代からの朝鮮半島5千年の歴史が並ぶ。同館最大の誇りは国宝の仏像・半跏思惟像。京都広隆寺の弥勒菩薩像と酷似している。

◇オウムの元信者斉藤明美被告に懲役1年2カ月の実刑が下った。私は執行猶予の可能性もあると思ったが重要犯を長くかくまった罪は重かった。裁判長は「挫折と受け止めないで」と諭した。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月27日 (火)

人生意気に感ず「小学校同窓会に。中帰りとは。韓国歴史視察に」

◇宮城村小学校の同窓会に出た(26日)。昭和22年入学の64人の参加者は顔に人生の深い年輪を刻んでいた。一緒に風呂に入ると肉体の年輪は更に歴然。山本龍市長が2年程前私と一緒に風呂に入った時、「先生の尻の肉はすごい」と叫んだのを思い出した。普段走っている成果は同年の肉体と比較すると如実だ。しかし、同時に、人生の長い道程を振り返る機会となった。

 私に挨拶の機会が与えられた。「今回の東日本大震災を第二の敗戦という人がいます。私たちは第一の敗戦を既に経験しました。人生で2度の敗戦を経験した事になります」このように話す私の胸に学校まで片道7キロを裸足で歩いた頃の光景が甦った。

◇宴会場では楽しし思い出話に花が咲いた。宮城村の最北部から通っていたT君は、今や立派な中小企業の経営者である。今の子どもたちの登校拒否が話題になった時、「おれは中帰りの常連だった」と懐かしそうに笑った。中帰りとは、登校途中に山の中などで時間を過ごし、下校時刻に合わせて家に帰る途中帰りの事で、学校嫌いの山間部の子どもによく見られた。

 学校関係を含め、諸事、厳しさの中にも、ゆっくりとそして温かく時が流れていた時代であった。私にも、6年の時、仲間と学校裏の畑のイチゴを食べて、砲丸投げで記録を持つ先生に「お前は級長のくせに」と横ビンタをもらった懐かしい思い出がある。ビンタの痛さは今も教訓として残る。

◇今日(27日)午後、羽田近くで一泊して、明日、午前8時半の便で韓国に向かう。目的は議会歴史遺産議員連盟の韓国歴史遺産の視察。スケジュールはハードで、国立中央博物館、国立公州博物館(武寧王陵)、国立扶余博物館(百済歴史団地)、国立清州博物館・済州島世界遺産視察等々が組まれている。現地から毎日、このブログでレポートする予定。

 韓国と日本の歴史は古代から密接な関係がある。現在東国文化に光をあてようとしている群馬にも朝鮮半島からの渡来人の足跡などが各地に見られる。この視察を機に、改めて朝鮮半島の歴史を学びたい。折りしも、韓国では28日から国政選挙がスタートする。また、北朝鮮の弾道弾発射が迫り緊迫した状況にあると思われる。ホットな隣国に対して日本人の関心は薄い。その背景には日本人の心の問題があり、歴史をきちんと教えない教育の問題もある。視察の収穫には期するところが大。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月26日 (月)

人生意気に感ず「ふるさと塾で楫取を。激しい討論会。検証報告書。全原発止まる」

◇久しぶりのふるさと塾は盛会だった(24日)。私のブログを見て、東京からわざわざ参加された小学校教師の女性は、県庁裏の楫取功徳碑を見て感動したと語っておられた。

 私は、「維新の群像」と題して、吉田松陰と初代県令楫取素彦を中心に話した。吉田松陰がいかに楫取を重んじていたかを示す例として、萩市の小学生用副読本(松陰読本)の事にも触れた。かつて萩市を訪ねた時、私は、この副読本を小学生に配布して読ませる教育方針に胸を打たれた。この本の扉に、松陰の書「至誠而不動者未之有也」を載せ、これは松陰が江戸へ行く前に小田村伊之助にあたえたものですと説明されている。小田村伊之助とは楫取素彦の事である。

◇私の話しには新島襄も登場した。楫取を語る時、廃娼運動のことは欠かせないが、楫取と共に廃娼県確立のために活躍した第2代県会議長湯浅治郎は新島襄の影響でキリスト教徒になった人である。廃娼運動については、奴隷船・マリアルス号事件の話と共に、5月26日(土)のふるさと塾で取り上げることを予告した。

◇ふるさと塾の前日(23日)、前橋市内某所で講演した。講演後は激しい質疑と討論の場となり、午後7時から始まった会が閉じたのは11時を過ぎていた。遠慮のない直球のやりとりは胸にずしりと響くものがあり意義のあるものであった。

 私が資料に使った主なものは、「福島原発事故独立委員会・調査検証報告書」。30人のワーキンググループが政府高官や原発関係者にヒアリングして得たものが内容となっている。原発事故から教訓を引き出すためにこれ以上のものはないと思われる。

 この調査の最大の目的は、「東電と政府が原発の過酷な事故に際して国民を守る責任をどのように、どこまで果たしたのかを検討すること」だとしている。そして、重大な指摘の中には、「国民がパニックに陥らないようにとの配慮から行政各階層の情報隠蔽があった」ことや、原子力安全の元幹部が異口同音に、「安全対策が不十分であるとの問題意識はあったが自分一人が流れに棹さしても変わらなかったであろう」と述べている点などだ。

◇刈羽原発が定期検査のため、26日発電を停止する。5月に北海道の泊原発が止まると、国内54基すべてが止まる。東電は対応策として火力発電をフル稼働させる。その際、石油などの燃料費が収益を圧迫するため電気料金の大幅値上げが問題となる。討論会では、電力の「コスト」が問われた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月25日 (日)

「上州の山河と共に」 第116回 政治家への道

 「市の工業課から、選挙事務所に貸すことは目的外使用を禁じる約款に反すると言ってきています」

 ガーンと一撃をくらった思いで言葉を捜していると、電話の主は続けて言った。

「調べて見たんですが、あと一ヶ月で十年が過ぎるところです。申し訳ありませんが、市からそう言われたのでは、お貸しすることが出来ないのです」

 またかと思い、目の前が真暗になる思いであった。誰かが事細かに調べて市に通知しているのかも知れない。それにしても、それをそのまま受け入れて通告してくる市の態度にもすっきりしないものを感じる。またも、大きな壁に突き当たってしまった。天は私を見捨てようとしているのだろうか。私は絶望感に駆られて、しばし抗議する力すら湧いて来ない程であった。

 しかし、いたずらに腹を立て、絶望して足踏みしている時ではない。もはや一刻の猶予も許されなかった。このままの状態が続き、選挙が出来ないのではと、黒い不安が胸をよぎる。

 血眼になって捜しあてた場所は、小坂子町の外れ、畑の中にぽつんと置かれた、ある企業の資材置場であった。所狭しと置場いっぱいに雑然と入れられている建築資材を片隅に積み上げ、整理して、やっとの思いで選挙事務所用のプレハブの建物を完成させたのは、三月も末のことで、もう告示が間近に迫っていた。

 前橋最北のこのような山里に県議選の拠点を設けるのは前代未聞のことと思われた。

目前に迫って見える赤城山から文字通り直撃するように吹き寄せる赤城颪は、プレハブの屋根をガタガタと鳴らし、中にいる者を心細くさせた。また、夜ともなると、小高い丘に立つ事務所からは、市街地の夜景が一望できるが、それも、私の目には、心細さを募らせるものでしかなかった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月24日 (土)

「上州の山河と共に」 第115回 政治家への道

我が陣営の落胆ぶりは大きく、告示迄の日が短いことも合って、幹部の間にも動揺の色が濃く感じられる程であった。私は、このような差し迫った状況になって、まだ選挙事務所の用地すら確保できないということが世間に広まった場合のマイナス効果を恐れた。福島浩は、さすがに冷静であった。

「新人が選挙に出る時は、こんなものなのだろう。予想されたハードルと考えて乗り越えなければならない」

 彼は、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。

 八方手を尽くして、次に見つけ出した候補地は、前橋市の建設会社が芳賀に所有する野球のグランドであった。ここは、道路から引っ込んだ所で、宣伝効果については期待できそうになかったが、それを問題にしている場合ではなかった。

 ここは、もう長いことグラウンドとして使用していることであるし、周りの町民も時々借りて使っている所だから、問題はないと考えられた。兎に角、選挙ができるという事が嬉しかった。

 広いグランドの一角には、プレハブ小屋を建設する為に丸太の杭が打ち込まれ、建築資材を運ぶトラックも到着し始め、ことは順調に滑り出したかと思われた。

 私は、グランドに立って作業の様子を見ていた。この時である。グラウンドの隣にある、このグランドを所有する企業の事務所から事務員が走ってきて、本社から私に電話がかかった旨を告げた。

私の胸を不吉な予感が走った。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

人生意気に感ず「中国の留学生。日中友好中村文庫。原発検証報告書」

◇県立女子大の卒業式並びに評議委員会があった(22)。私は、評議委員会に出た。留学生のことが論じられた。現在の若者は内向きで海外に出ようとしないと言われているが、この大学の学生には積極性があるようだ。現高崎市長の冨岡氏はこの女子大の学長として大学改革のために大変なワンマン振りを発揮して教授陣との間ではかなりの摩擦があったが、学生のレベルアップには辣腕を振るった。この大学の活気はその成果かも知れない。冨岡市長が高崎市の改革にどのような手腕を発揮するのかと想像を巡らせた。鼻っ柱の強さの点では山本前橋市長と似ているようにも見える。両市の未来が2人のキャラクターにかかっている。

◇女子大評議会で大連外国語学院の留学生について尋ねた。両大学が旅順のキャンパスで友好交流の協定を結んだのは08年(平成20年)11月のこと。その後、1人の留学生が女子大で学んだが、現在別の留学生が来ているという。成果が続いている事を知って嬉しかった。

 県は国際戦略と称して中国との交流を重要な政策と位地付けているが、私は、この大学との関係を戦略の中で活かすべきだと考えている。

 そこで提携調印に至る経緯を述べたい。この大学に私は長いこと日本の書籍を贈っている。県の定期刊行物もあるが、多くは県立図書館の処分対象の書物である。構内図書館には「日中友好中村文庫」のコーナーがある。

 このような積み重ねが基礎となり、日中議連(私が会長)が間に立って県立女子大との提携となった。この大学の日本語を学ぶ学生数は、外国の大学では世界最大である。政府、教育界、企業など、多方面に人材を送り出している。

 11月27日の調印式には県立女子大から3名が参加、日中議連からは私と関根県議が出席。セレモニーの後、私は「最近の日本の課題と群馬」につき記念講演をした。盛会で学生は熱心に耳を傾けてくれた。私の友人で、中国日本語教学研究会副会長の曲維氏も出席した。

◇福島原発事故独立検証委員会検証報告書の内容は衝撃的である。30人のワーキンググループが300人に及ぶ証言を得て作成した。政府や東電など原発推進側も安全神話に縛られていた事実、「国民がパニックに陥らないように」と情報操作が行われた「エリートパニック」と呼ばれる事実などが、明らかにされている。「原発はもうだめだ」と叫ぶ作業員、「撤退などあり得ない」と怒り、ヘリで現地に向かう菅氏の姿などが生々しく描かれている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月22日 (木)

人生意気に感ず「世界に響くマイバシ。最初の器械製糸工場。楫取と富岡製糸」

◇困難に直面した時、特に混乱の中で新たな発展を目指す時、重要な事は歴史的原点を見詰めることだ。県が県産品のブランド化に躍起になっている現在、注目すべき歴史的事実がある。

 幕末の開国間もないころ、上州の生糸は欧米で「マイバシ」のブランド名で高く評価された。これに便乗して、粗悪品がマイバシの名で売られる事態が生じた。そこで前橋藩は生糸改所を設立し検査を通ったものを横浜で販売した。この生糸改所は外国から高く評価された。

◇前橋藩は良質な生糸の大量生産を目指し、明治3年、日本初の器械製糸場を設立した。現在、前橋市住吉町の国道17号沿いに、日本初器械製糸場跡の碑が立っている。(富岡製糸場の操業開始は2年後の明治6年で、廃藩置県は明治4年であった)

 この頃活躍した生糸商人として名高い人が下村善太郎で、彼は初代前橋市長となり、県庁前通りにその銅像が立っている。大沢知事も山本前橋市長も、この銅像の意味と時代背景をよく理解すべきだ。

◇このような状況下、初代県令(知事)となった楫取素彦は新産業たる生糸業を発展させることで群馬を興そうと決意した。少し前に操業を開始していた官営冨岡製糸工場に県令楫取がどのように関わったか、私は大きな関心を抱いていた。

 最近、この点に関し興味ある資料を得た。政府に対して富岡製糸場の存続を求める、楫取の情熱あふれる格調高い意見書である。これは、富岡製糸場の閉場の危機に当たりその存続を求めたもの。政府は官営工場の払い下げを進めたが、富岡製糸場は規模が大きすぎて応ずるところがなかった。政府は「払い下げの手立を尽くし、なお請願人がいない場合には閉場の手続きを進める」という方針だった。政府は閉場の方針を変えたが、そこには楫取の大きな影響があったと思われる。閉場になっていれば、今日の世界遺産登録の問題もなかったかも知れない。

◇この2月県会で富岡市出身の県議から次のような発言があった。「世界遺産登録を目指すにあたり、遺産の価値を高めるためにも蚕糸業を維持・存続させることが重要である」

 その通りである。歴史あるカイコの灯を消してはならない。養蚕後継者の育成サポートなど県も力を入れているが正念場である。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月21日 (水)

人生意気に感ず「弾道ミサイル発射。議会基本条例とは。韓国歴史遺産」

◇前門の虎後門の狼という。原発事故、巨大地震の脅威に加えて北朝鮮のロケット発射予告が日本列島に衝撃を与えている。衛星打ち上げといっているが事実上の長距離弾道ミサイルの発射だ。

 これは、外国の侵略に対して国を守るという問題である。54基の原発はテロ攻撃には無防備である。原発がミサイルで攻撃されたら日本中が大パニックにおちいる。北朝鮮は、ラングーン爆弾テロ事件(韓国高官17人を爆殺)、大韓航空機爆破事件、多数の日本人拉致を実行した狂気の国。今県議会では、拉致問題の早期解決を求める意見書を国に提出する事になった。

◇2月県議会が終わった(19)。多くの議決がなされたが注目すべきものに、議会基本条例の成立がある。県議会が実現させた。全国で17番目である。

 一般県民の関心は薄いが、実は県議会の大改革を導き、新しい方向を創るものである。私は以前から発言し、案文についても意見を述べてきた。私の一貫した思いは議会の地位を向上させ本来の役割を果たす事。議会は何をしているのかという厳しい世の批判があった。

 前文にある、「議員は責任の重さを自覚し、一人ひとりが最大限能力を発揮し県民の信頼にこたえていく」という部分は、私たちの決意を表現するもの。又、24か条の条文中には、知事の執行を「監視」するという文言が5か所使われているが、これは、何でもOKという慣れ合い議会脱皮の姿勢を示すものである。

◇議決された国に対する意見書で注目すべきものは、前記の拉致に関するものの他、「再生可能エネルギーの推進」や「八ッ場ダム本体工事の早期着工」を求めるものがあった。再生エネルギー問題は脱原発との関連で重要である。

◇議会終了後、歴史遺産議員連盟の勉強会があった。今月28日からの韓国歴史遺産視察に備えるもの。知事は、群馬がかつて東日本最大の古墳大国で会った事を踏まえて、「東国文化」に光を当てて発信しようとしている。本県の古墳出土物には韓国の出土物と酷似したものが多い。この際、国立中央博物館、国立公州博物館、国立扶余博物館などを視察する事には大いに意義があると思う。あちらからレポートを送る予定。

◇平成天皇が記者会見で、「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫であると続日本記に記されていることに韓国とのゆかりを感じます」と述べられた。韓国と日本の深い関係を新しい視点で見詰める時だと思う。その一歩にしたい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月20日 (火)

 「上州の山河と共に」 第114回 政治家への道

 前橋市内でこのような条件を備えた土地を捜すことは、容易なことではなかった。もっと早くから研究して捜しておけば良かったと悔やまれたがもともとそんな余裕はなかったのだから仕方のないことであった。

 3月になって、やっと、これはと思うところを見つけることができた。それは、芳賀工業団地の一角で、工場建設の予定地とされている所であった。所有者である食品会社の社長は、私の熱心な後援者で、建設着手までは3ヵ月ほどあるから是非使って下さいと言ってくれた。私は、これで、いよいよ戦う拠点が確保できると、大変喜んだ。

 しかし、その喜びも束の間で、前橋市の工業課からの電話で消し飛んでしまった。

それは、工業団地として分譲する際に、10年間は、譲渡の際の目的外のことに使用しないという約款が交わされているが、選挙事務所用地として使用することは、この約款に違反するというものであった。

 私達は、これを聞いて、大変不服であった。何と形式的な解釈であろうか。若手の後援会員の中には、これは、他陣営の謀略だ、といって怒りを顕わにする者もいた。

 約款の趣旨は、その企業の業種や目的を審査して、工業団地進出の便宜を図るのだから、用地の所有権取得後直ぐに他の目的に使用するようでは、工業団地を造成して便宜を図る目的が達せられないことから、所有権取得後も、一定期間他の目的の為の使用はしないという制約を進出企業に課す点にあると思われる。

 従って、極く短期間、プレハブの建物を建てて、選挙事務所として使用することは、この約款の趣旨に違反しないのではないか、と考えられる。

しかし、市当局に抗議して、争っているうちに選挙戦に突入するようなことになれば大変なことになると考えると、私達は、当局の指示に従って、引き下がるより他はなかった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月19日 (月)

人生意気に感ず「細野環境相出席。短大で高木仁三郎。浪江町の人の講演。楫取の公文書」

◇がれき処理に向けて全国的な動きが起きつつある。不安を抱く人の気持ちとその背景も分かる。難しい問題だ。本県では、中之条町、高山村、東吾妻町が先頭に立つ。17日の住民説明会には細野環境相が出席し、被災地の人に力を貸して欲しいと訴えた。

 がれき受入れの態度をいち早く表明した折田中之条町長は、受入れの場合、岩手県宮古市のがれきを試験的に燃やして放射線の数値を公表する考えを示し、また、昨日(18日)、宮古町を視察した。全県が注目する事態である。

 来年度から小中学校で放射線を理科教育の中で教えるが、魂の入った活きた授業にするために、原発事故の波紋についても是非ふれるべきだ。

◇短大の卒業式で挨拶した(17日)。ほとんどが女子学生で、満開の色とりどりの花が咲き乱れるような光景だった。学長が、反原発を貫いて逝った前橋高校卒の科学者・高木仁三郎を取り上げ評価したことに驚いた。彼女らの屈託のない笑顔を見て、学長の言葉がこのお花畑の隅々に届いたかどうか気にかかった。

◇福島県浪江町の大聖寺住職夫人の講演を聴いた(17)。主催は「みつばちの会」。この会の名は、シネマまえばしが上映した脱原発のドキュメンタリー映画・「みつばちの羽音と地球の回転」からとった。

 会場正面には、「大地鳴動し大海突如として牙を剥き襲いかかる。その波、人も住みかも豊鐃たる大地も奪い去る」と大書した紙が。その雄渾な筆致は未曾有な大災害の深い意味を雄弁に語っているようだった。夫人は語った。原発事故は普通の事故と違う、すべてを奪い、人もバラバラにする、次の朝、助けてという声とがれきを叩く音が聞こえたが助けられなかった、遺体は餓死者のものが多かった、等々。

◇初代県令(知事)楫取素彦と富岡製糸工場の関わりを示す文書が国立公文書館で見つかり私の下に届けられた。かねて捜していたもので驚きと感動はひとしお。

 楫取は群馬を近代産業製糸業で発展させる強い決意をもっていた。ところで、政府は富岡製糸場の民営化を図り払い下げを進めようとした。そして、申し出がない場合「閉場の手続きを進める」方針だった。楫取は政府に対して意見書を書いた。製糸場の意義を確信する楫取の思いが伝わる名文である。政府は「閉場」を撤回した。楫取の行為がなければ、世界遺産登録の問題も存在しなかった可能性がある。意見書は明治14年11月16日、農商務省宛、素彦敬白とある。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月18日 (日)

「上州の山河と共に」 第113回 政治家への道

 

 県議選は、群馬県が多くの選挙区に分かれて行われるが、私が属する選挙区は前橋市区で、定数は8である。そして、現職県議の内訳は、社会2、共産1、公明1、そして、自民4であった。

 選挙に関する情勢は、様々な情報が飛び交う中で、1月、2月と進むうちに次第に明確になっていった。それによると、立候補予定者は、現職8人、元県議でカムバックを狙う菅野氏、そして、私であった。

 改めてこれらの人たちをライバルとしてみると、みな強敵で、選挙の経験のない私が、その一角を崩すのは至難の事と思えた。これらの人達に正攻法でぶつかったら、我が陣営はひとたまりもなく敗れるに違いない。頼みは、こつこつと路地を歩いて握手したり言葉を交わしたお年寄り、おじさん、おばさん達である。あの人達は、あれから相当の月日が経って、私のことなど忘れてしまったのではあるまいか。あるいは、他の人から支援を頼まれれば、そちらに簡単に心を動かしてしまうのではあるまいか。弱気になると、きりもなく不安材料が浮かんでくる。

 これではいけない、と私は思った。仮にも、私は一軍の将である。私の弱気が外に現われれば、私の為に、私を信じて懸命に動いてくれている人達に大きな悪影響を与える。そんなことでは勝てる筈がない。そこで、私は、細かいことは気にせず、人事を尽くして天命を待つという心境でゆこうと決意した。

 2月に入ってから選挙事務所設営の場所を捜し始めたが、これがなかなか見つからない。選挙事務所としての条件は、まず、多くの人が集まれる広い場所であること、そして、人目に付き易い場所であることである。交通の便が良ければなお好都合であった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月17日 (土)

「上州の山河と共に」 第112回 政治家への道

我が陣営では、誰もが、翌年4月の目標がはっきりと、そして、一段と近いものになったと受けとめ、その表情は明るかった。

 福島浩は、この時、喜ぶ私の顔を鋭く見つめて言った。

「ここで気を緩めたらだめだ。今までの努力が水の泡になる。ほんの小さなハードルを越えただけなのだから」

 私は、ハッとして頷いた。確かにそうであった。これからが本当の戦いという時に、皆が気持ちを緩めてしまったら、厳しいハードルを乗り越えていくことはできない。我が陣営にとって、今一番大切なことは、油断を戒めることであった。このことは、大会後の反省会で、後援会長から改めて提案され、皆、一層気持を引き締めて頑張ろうということになった。

 大会参加者名簿を基に礼状を出し、また、これを整理し分析して、これはと思う人には、一層の支援者の拡大をお願いするなど、大会の成果を最大限有効に生かす努力を重ねるうちに、早くもこの年は暮れて、年が明けるといよいよ決戦の時を迎えることになる。

決戦の時来る

 昭和62年は慌ただしく明けた。年賀状の整理、年始の挨拶まわり、新年の各種行事への顔出しなどで、1月はあっという間に過ぎた。

 前年の秋頃から他の候補予定者たちの動きも活発になり、それに関する情報もしきりに伝わって来て、我が陣営を刺激していたが、年が明けるとそれらの動きは一段と顕著となった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月16日 (金)

人生意気に感ず「谷川岳の露天風呂。大地震近し。がれき受入れ。漫画ワンピース」

◇昨日(14日)夕、谷川岳の麓の温泉で、知事を囲む政策懇談会があった。自民党のほか公明、爽風、リベラルの議員も参加。中に3人の女性議員も。会派の垣根を越えた自由な意見交換は有益だった。

 小さな談話の輪の中で、たまたま、私が明治の歴史の一コマを話すことになった。ペルー船籍の奴隷船・マリアルス号事件と群馬の廃娼運動の関わりから始まり、話には、楫取素彦、吉田松陰も登場。雪の夜、議員間で歴史を語れる事が不思議に思えた。

◇ちょうど、露天風呂につかり灯火に浮かぶ幻想的な雪景色に見とれていた頃である。午後9時5分ごろ千葉県東方沖で震度5強の地震があった。この3時間前にも北海道、青森、岩手で震度4の地震があった。少し慣れっこになっているが、巨大地震地近しの予想が連発されている時の相次ぐ強震なので、いよいよという感を抱いた。5強の直撃を受けた地域は生きた心地がしなかったことだろう。

◇副知事、企画部長等に某大学教授を合わせ首都バックアップ機能について話し合った(15)。バックアップとは後方支援の事で、この問題は首都直下型大地震に備える危険分散の引き受け地として群馬を考えること。この会議で一致したポイントは、まったなしの状況、群馬は最適の地の利をもっということだった。企画部長は前橋市の副市長に名が上がる細野氏である。

◇がれきの受入れで多くの自治体に変化が見られる。全国65の県が可能性を示す。女川町で各地の担当者が、がれきの山を前に説明を受ける場面が報ぜられた。

 群馬は受け入れ地・東京を視察したが、がれきを送り出す現地の視察はより重要と思う。がれきの山が消える時、日本人の美徳が世界から高く評価され、私たちも心の世界で大きく前進することになる。がれきは絆が試される象徴でもある。

◇漫画ワンピースの売れ行きの凄さは津波のようだ。ストーリーは、過去のミリオンセラーと比べいたって平凡でむしろ劣る。人々を引きつけるのは、心に訴える言葉にあるらしい。「おれは弱い」「かえっておいでバカ息子」「仲間が大切」「生き抜けば必ず楽しいことが起きる」等々、勇気付けられたり、なぐさめたり、我が意を得たりの表現が多くあるらしい。大震災後の日本人の心に自然に染み込んでいる。社会現象の効果は?

◇山本前橋市長が市長を含む特別職の退職金廃止の条例案を取り下げるという。朝令暮改と言われないよう政策決定は慎重にすべきだ。当選後初の市議会が始まる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月15日 (木)

人生意気に感ず「前橋副市長問題。美術館とシネマまえばし。道州制。地滑り。巨大地震秒読みに」

◇前橋市の副市長候補が新聞に出てしまった。この人事は市議会が決めることなので、事前に新聞に出ることが議会軽視と受け取られることを心配する。前夜、裏を取りたい記者の問い合わせが複数あったが、私は「決まっていない」と答えた。この答え方は正しいのである。

 市の副市長には、政策通で篤実な人物が必要だ。長く県政に携わった人ならなおいい。現在、県と市が連携すべき課題が山積しているからだ。また、とかく勇み足の傾向がある山本市長の女房役が期待されるからだ。

◇新市長誕生で美術館構想の行方が注目されている。実は、この問題と連動しているのが映画館「シネマまえばし」である。現在、美術館の工事との関連で休館となっている。

 まちの文化の中心に名画座を据えてまち興しを実現したいという執念で館を始めた人物は、私と関わりが深い小見純一君。経産省の助成が認められて取り入れたデジタルシネマ方式は、本県では初めてのもの。作品のセレクトでは日本一と自信をもつ小見君は、伝説の名画「忠治旅日記」でスタートさせ、数々の名画座を上映した。その中には脱原発を目指す「みつばちの羽音と地球の回転」もあった。ファンも増えたが2年ほどで休館となっている。美術館構想の今後は、この映画館と切り離せない。再開は来年4月頃の予定。ファンの1人として素晴らしい再スタートを待つ。前橋再生のシンボルとして。

◇私は道州制に賛成である。都道府県を廃止して10程の道州に再編する。自民党の公約で一気に進むかと思ったが、政権転落で静かになっていた。自民党は、この度、新たに、「道州制基本法案」の原案をまとめた。新しい動きをプッシュした力は橋下氏の維新の会の動き。

 今日の社会は高速交通網で結ばれ、隣県、近県は県境を越えて一体となっている。関係の深い数県を一つの自治体と成すことによって状況は一変するだろう。地方分権を加速し大きな無駄が省かれ新しい力が生まれる。群馬が中心となって、太平洋と日本海に通じ、複数の空港をもつ夢の自治体が生まれる可能性がある。最高の地の利を持つ群馬だ。かつて上州遷都論があった。

◇上越市の一時間に10数センチという地滑りは一気の崩落より無気味だ。群馬にも多くの土砂災害危険箇所がある。思わぬ伏兵になる恐れがある。想定外が言い訳にならぬ時代だ。

◇昨夜、谷川温泉で地震速報を知る。千葉県震度5強。巨大地震の予測が飛び交う中のこととて唯事と思えない。秒読みの段階に入ったか。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月14日 (水)

人生意気に感ず「放射線副読本。がれきとお互い様。中之条町の動き」

◇災害対策の特別委員会で、私は、放射線の副読本問題を取り上げた。来年度から小中学校でも放射線を教えることになり文科省が副読本を作成したが、その内容が、不十分であるとして本会議でも問題になっていた。

 不十分というのは、原発事故や放射線の危険性について触れていない点である。私は次のような発言をした。「私たちは広島、長崎と原爆を経験したにもかかわらず、学校で原子力や放射線について教えてこなかった。そのつけが今日来ているといえる。この事を踏まえて原発事故や放射線の恐ろしさをきちんと教えるべきである」と。

 教育委員会の担当者は、子ども達に不当な恐怖心を与えぬようにして教えると答えた。私は、教育委員会の方針が現場の教師を萎縮させてはならないと主張した。

 広島、長崎を教室で教えなかったことは、原子力や放射線に関する国民の知識の欠如をもたらしたのみならず、原爆の悲劇を国民全体で受け止めなかったこと、そして、大きな政治不信の原因ともなった。放射線に関する、今日の風評被害や何を言っても信じてもらえぬ政治不信の淵源がここにあると私は考える。痛みを分かち合えなかった歴史は今日のがれき処理の行き詰まりに深く関わっている。

◇東日本大震災から1年経った今、最大の社会的課題の1つはがれき処理だ。風評被害、政治不信などの問題がここに集約されている。

 しかし、世間の動きが、ここに来て大きく変化してきた。みのもんたが毎朝、テレビで叫んでいる。正確な情報と安全確保が何よりも求められる。受入れが必要なのは岩手・宮城両県のがれき。福島県のものは福島県内で管理せざるを得ない。

◇政府は、被災地以外の都道府県に対し文書で正式に協力を呼びかけることを決めた。巨大ながれきの山は、復興にとって最大の障害。1年経っても処理は1割に満たない。がれきの跡地にきらきらと新産業が立ち上がり、人々が生き生きと働く姿を想像する。

本県でも動きが広がり始めた。勇気ある一歩を踏み出した中之条町長、折田さんは個人的にも親しい人。中之条の町民説明会には細野環境相も出席する。折田さんは住民の要望をいれて、被災地の視察に区長の参加を呼びかけ、子どもの健康診断も実施する考えだ。中之条が一つの良い先例を作れば、その効果は大きい。「おたがいさま」は日本の良き習慣だ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月13日 (火)

人生意気に感ず「さよなら原発集会。木嶋死刑求刑。特別委。マラトンの戦い」

◇「さよなら原発集会」で自民党の県会議員の登壇が奇異に映ったらしい。かなりの反響があった。「挨拶がよかった」、「ヤジが飛んだが毅然として再生可能エネルギーへのシフトを主張した」、「自民党の看板を背負って脱原発を掲げる集会に参加するのは勇気がいることではないか」等々。もとより計算外のことだが正等に評価されて嬉しい。

 自民党に対する厳しい批判の雰囲気があったが、実は、自民党は幅のある政党である。凋落傾向にある我が党は改革に力を入れている。私の行動もその一環と見て欲しい。

 実は会場で私は自分の感情をあらわにした場面があった。ヤジが続くので、「うるさい、静かに聴け」と大声を出したのだ。受け止め方はいろいろあったと思われるが、「毅然とした態度」と解してくれた人に感謝したい。

 私のことを「どんな人物」か興味を示すメールがいくつかあった。23日、前橋市のスナック「クールフール」で原発事故を含めた大災害につき話す。又、24日前橋市綜合福祉会館で「維新の群像」のテーマで話す。いずれも午後7時、後者は入場無料。

◇木嶋佳苗被告に死刑の求刑があった(12日)。金と欲望のためには人の命を何とも思わないという病める社会の象徴的事件としてこのブログでも何度か取り上げ注目してきた。どろどろした欲望の黒い沼をのたうってきた怪物のように見える。

 直接の証拠はない。練炭とコンロという間接証拠のみ。被告の冷静な受け答えは、検察の指摘のように反省のなさともとれるし、もしかすると本当かともとれる。市民の感覚を重視する裁判員裁判で裁く。裁判員は、この状況で死刑という重圧に耐えられるのか。今日(13日)は被告人が意見を述べる。判決は来月13日。

◇13日、14日は特別委員会。私は大規模地震対策特別委員会に属す。がれき処理、こどもと放射線、食の安全、防災対策の見直しなど議論すべき課題は多い。

◇オリンピック、マラソンの代表が決まった。当選者落選者の表情は対照的。天国と地獄だ。公務員ランナーは届かなかった。落選者でその日が新たなスタートと語る人がいた。マラソンは継続した根性が問われる。語源となったマラトンの戦いで勝利を伝える使者は42.195キロを走って絶命した。五輪の歴史だ。(読者に感謝

)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月12日 (月)

人生意気に感ず「天皇のお言葉。3.11の集会にでる。古舘伊知郎のこと」

◇多くの日本人が様々な思いでこの1年を振り返ったに違いない。天皇陛下は退院後の体調が必ずしも良くない状態で追悼式に出席された。強い御意志があったと聞く。おことばには次のような表現があった。「被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ被災地の状況が改善されていくようにたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」

 東日本大震災を指して第2の敗戦と言う人がいる。同感である。天皇の胸には、66年前、国民の前に立って終戦の詔を読んだ昭和天皇の姿があったのではなかろうか。天皇の存在意義を感じた。

◇生死の境で、極限の体験をした人たちの姿が報じられた。壊れた建物の屋根に乗って3日間海を漂流した男性は、目の前で海に呑まれた妻を思いつつ、自分の尿を飲んで渇きを凌いだと語った。被災地で繰り広げられた無数の命のドラマを私たちは、自分たちの問題としてしっかり受け止めねばならない。

◇「力あわせる200万群馬・(さよなら原発アクション)」に出た。この種の会合に出るのは初めてのこと。心に多少の抵抗感はあったが、予想される会場の雰囲気に逆らって訴えたい事があった。

 壇上に立って挨拶した時、赤い旗が林立するあたりから激しい野次が起きた。まず、自民党の県議だと言うと、「自民党は本当に反省しているのか」という声。基本的に原発に反対だが、現実を直視すれば段階的に減らしていかねばならないという主張に対しては、「すぐだ」の怒声。

 私の訴えのポイントは2点だった。それは、原発反対だけでは空振りになるから新エネルギー推進の運動と連動させるべきだということ、そして、痛みを分かち合う意識の大切さ。

 また、私たちは、広島、長崎の原発を経験したにもかかわらず、痛みを分かち合うことをしなかったために、原子力や放射能のことを学校で教えることもしなかった、そのつけが今来たのだという発言には「そうだ」という声が上がった。考えさせられる集会であった。

◇共産党員を名乗る人がツイッターで昨日の私の演説に感動したと述べている。他にも勇気ある行為と評価するものなどあり、勇気づけられた。昨日の事ではないが、不法ないいがかりも時に届く。古舘伊知郎が圧力をかけられたと語る。言論の自由を貫くには勇気が要ることだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月11日 (日)

「上州の山河と共に」 第111回 政治家への道

 昨夜用意して覚えたはずの原稿の文面は、会場の熱気に煽られて、私の頭の中で千切れて飛び散っている。

私は記憶に頼ることを止めて、浮かんでくる言葉をつかまえ、それを私が意識する話の方向に必死でつなげて、聴衆に投げかける。<その通り>という言葉は、私の演説に対する確かな手応えであった。この大会では、全ての参加者が私の話に注目し、又私を試していると思って緊張していたのでこの言葉は嬉しかった。

「私は、組織も地位もない、平凡な市民です。しかし、普通の市民としての喜びや苦しみ、そういうものを噛み締めて、これまで生きてきました。私のような平凡な市民が政治の壇上で頑張ることが、今、一番求められているのではないでしょうか。私は、県政を身近なものとし、県政に対する

信頼を回復して、皆さんと共に、明日のふるさとを築きたいと思います」

大きな拍手が起こった。

 続いて、私は、二十一世紀が間近な今、私達は、教育、福祉、道路、まちづくり、環境問題その他様々な課題を抱えている、これらを皆さんと共に考えて行く県会議員になりたい。そして。常に、皆さんに接して、皆さんからご意見を聞かせてもらい、そこから学んでゆく政治家を目指してゆくつもりである。だから、是非、私を県政の場で働かせてほしい、………と話を進めていった。

私の演説も、初めとしては、概ね、合格点がもらえるような雰囲気の中で終わった。

 そして、大会は、当初予想していた以上の成果を上げて、大成功と思われた。これはひとえに福島連合後援会長以下、多くの後援会の人達が心を一つにして、必死で頑張ってくれたお陰であった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月10日 (土)

「上州の山河と共に」 第110回 政治家への道

「皆さん、本日は、お忙しいところをこの大会にご出席下さいまして、本当にありがとうございます。私は、このように沢山の方々に、今日ご出席いただけるとは、実は、思っておりませんでした。胸がいっぱいであります。感謝の気持ちでいっぱいであります。本当にありがとうございます」

言葉を切って頭を下げると、大きな拍手が湧いた。私の胸に熱いものが込み上がる。感情に流されそうになるのを、ぐっと唾を呑みこんでこらえる。

「これまで、お集まりの皆さんを始として、多くの方々に支えられて運動を続けてまいりました。この運動は、道のない所に新しい道を切り開く為の運動であります。そして、皆さんと共に素晴しいふるさと、明日の群馬を築く為の運動であります」

 会場が水を打ったように静かになり、緊張が漲る。全ての視線が私に注がれるのを感じて、私の緊張も高まる。

「今、地方の時代と言われて、地方が重視される時代です。地方の住民が心を一つにして力を合わせて、地方のふるさとづくり、そして、地方住民の幸せを築いてゆく時代です。その為には、地方の政治家が大きな役割を果たさねばなりません。

 現実にはどうでしょうか。政治家は、特別な人でなければなれない。普通の常識や感覚を持った普通の市民は政治家になることができないのであります。その結果として、政治も政治家も、国民、県民から離れたところで動いている。

これでは、本当に民意を反映した政治は出来ないのではないでしょうか」

「その通りだ」

 会場で誰かの叫ぶ声がして、それにつられるように拍手が起こった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 9日 (金)

人生意気に感ず「群馬国際戦略。3.11の確認。新型インフル。孤立死

◇昨日(8日)、私が属する委員会は企画部と企業局関係を審議した。県民の生活にとって重要なかかわりをもつ課題が多かった。その中で注目すべきものは、「群馬県国際戦略」。初めて耳にする人は国防問題と思うかも知れないが、目的は東アジアの活力を本県に取り込む事である。中心は中国だ。中国の経済発展は凄い。戦略のポイントは、観光誘客の促進、農畜産物の販路拡大、企業のビジネス展開の支援など。

 他県と比べ出遅れ感がある。うまく道が開ければ、景気や雇用で苦しむ本県にとって大きな効果が期待できるが、乗り越えるべきか課題も多い。

 私は中国東北部との歴史的つながりを活かすべきだと主張した。大連や瀋陽がある遼寧省を中心とした東北三省には旧満州があった。私が本を送り続け、県立女子大との連携を作った大連外語学院もある。経済の交流のためには人や文化の交流も非常に重要である。

◇3月11日が近づいた。群馬は大丈夫という安全神話を反省する日にしなければならない。そのために、「あの日あの時」をもう一度見詰めたい。昨年3月11日の午後、私は地元小坂子の公民館にいた。鉛色の雲がたれこめ強い風が吹いていた。午後2時46分ごろ、轟音と共に異常な揺れが始まった。今日迄続く大混乱の発端となった大災害の襲来であった。

 驚くべき事実が続いた。マグニチュードは9.0、最大震度は7.20m級の大津波・原発の破壊と大量な放射性物質の飛散等々。

 この巨大地震は地震の巣といわれる日本列島を激しく揺すり各地の大地震の動きを早めているようだ。首都直下で震度7が迫るという東大発の情報は衝撃だ。「7」は震度のレベルでは最高のもの。首都の脱出先の最適地は群馬である。その受入れ策が今議会で議論されている。

◇地震と原発の騒ぎに隠れるようにして、忍びよる恐怖は新型インフルエンザ。政府は新型インフルエンザ特別措置法を今国会で成立させる。64万人の死者を予想して対策を急ぐ。群馬も対策を研究しているが、一般の関心は薄い。

 私は鳥から発生し変異する新型インフルに対して警鐘を鳴らしてきた。一昨年世界に広がったものは、メキシコの豚から生じた弱毒性のものだった。今回、津波異常の大災害となる恐れがある。

◇都内のアパートで孤立死が続く。大震災で絆の大切さが叫ばれるが、現実は深刻だ。東京だけの特異現象ではない。本県も要注意である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 8日 (木)

人生意気に感ず「木嶋佳苗。山本市政報告。新エネルギー。ダルヴィッシュ。」

◇今、世間が大いに注目する二人の女がいる。一人は元オウム信者斉藤明美(49)。もう一人は練炭殺人に問われている木嶋佳苗(37)である。犯罪はその時代の社会の特色を反映するものである。オウム真理教の事件も練炭殺人もその背景には病んだいびつな現代社会がある。

 しかし、二人の女は刑事被告人ながら対象的だ。斉藤の方は、愛する人のためにかくまい、800万という多額の金を被害者の遺族に贈ろうとし、世の同情を集めている。それなのに、木嶋は魔性の女であり、不道徳の塊である。

 難しいのは、いくら魔性であっても、不道徳であっても、それをもって有罪を基礎づけることは出来ない点だ。法廷の状況を見ていると、木嶋は限りなく有罪に近いと思える。どろどろとした汚濁の中を生き、その関連でとらえると練炭もコンロも不気味な凶器に映る。しかし、いずれも状況証拠だ。検察は3人の殺人で攻めているから死刑を求刑するだろう。しかし、民間人である裁判員は、この状況で死刑と判断することには躊躇するだろう。オウムの斉藤被告人に対しては懲役2年が求刑されている。目が離せない2つの裁判の行方である。

◇昨夕(7日)、粕川市で山本新市長市政報告会があった。飲食はゼロ、当選の報告を兼ねたものであった。「14,000もの大差の勝利は皆さんのお陰。全市の有権者の期待の大きさを現すものです。」私はこう挨拶しながら、これからが大変だと思った。会場を埋める善男善女の顔、顔、顔。山本市長は、選挙で、理想を語ってきただけに、この顔が失望の色に変わるのははやい。山本市長には、身近かな具体的な約束を一つ一つ実現してほしい。真の信頼を勝ち取って、大衆に不人気な政策も断行出来る市長になるべきだ。これは、当選後初めての集会で感じたことである。

◇原発事故後、脱原発、新エネルギー加速の方向で世の中は大きく動いている。今議会でも新エネルギー問題は大きく取り上げられている。

 このような時、榛東村が村有地のゴルフ場跡地にメガソーラー(大規模太陽光発電所)を設置することになった。ソフトバンクとの契約に基づく。640世帯分の発電量。これをきっかけに本県の新エネルギーの新しい動きが大きく発展するといい。県の役割は大きい。

◇朝5時、この原稿を書きながらダルの初登板を見た。堂々たる成果にホッとした。来る3・11に焦点を合わせた如き快挙に勇気をもらった。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 7日 (水)

人生意気に感ず「市長と清掃工場。がれき処理場視察。3.11の大会出席。県警の連携不備。オウムの斉藤被告」

◇山本新市長の就任以来、一週間が過ぎた。当選後の舞い上がるような高揚感が冷める頃だ。まったなしの政策課題に冷静さと謙虚さで向き合わねばならない。

 山本市長が選挙戦で凍結を公約した新清掃工場の建設問題が喫緊の課題となっている。新市長は凍結といっている。凍結は中止ではない。前市長は、亀泉、大胡、六供の3工場を一つに集約させる計画だった。

 これに反対する論拠は、3工場の耐用年数や集約した場合の災害時リスクなど。3.11後の建設という事で放射能や大災害など新たな問題点も生じているのだから徹底した検証と議論を行うべきだ。

◇県と県内8市町村の職員は、6日東京都のがれき処理施設の状況を視察したが、私たち災害対策の特別委員会も視察する事を決めた。

 私が属する大規模地震対策特別委員会は、国に提出する意見書の内容を先日決定した。国民の不安に丁寧にかつ的確に応える措置をとるべきことなどを求めたもの。その時、東京都の現実の受入れ状況を視察する事が責任ある態度だとの発言があり全会一致で決まった。百聞は一見にしかずである。

◇「3.11さようなら原発アクション」が3月11日、高崎城址公園で行われる。今議会で知事に出席を求める声があり、大澤知事は検討すると答えていたが知事の出席はまずないだろう。 実は私にも出席要請があり、悩みつつ前向きに検討している。私は、段階的脱原発論者である。出席するとすれば、多くの若者や一般市民が参加するだろうから、現実を直視することの必要性、日本人が真に助け合うために何が求められているか等を訴えることになるだろう。

◇長崎ストーカー殺人で2人が殺された件につき、長崎・千葉・三重3県警は、警察の連携と危機意識の不足を遺族に陳謝した。遺族には防ぐことが出来たという思いがある。高速交通の時代だ。警察は他県との連携を特に求められる。

 これは本県でも同じ。私は平成22年11月の議会で「未解決事件」を取り上げ横山ゆかりちゃん事件など一連の事件で栃木県警と協力すべき事を訴えた。菅谷さんの足利事件と関係する。県境20キロ内で5人の幼女誘拐事件が起きており、同一犯の可能性がある。

◇犯人蔵匿罪に問われた元オウムの斉藤被告は、「愛する人を守りたかった」と動機を語る。懲役2年の求刑だが、私は執行猶予が適当と思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 6日 (火)

人生意気に感ず「がれきに意見書。赤城南麓大地震。東南海地震。ナデシコの快挙」

◇早いもので、一年目の「3.11」が近づく。この一年、あらゆるメディアで東日本大震災に触れなかった日は皆無だ。私たちはまだ混乱のなかにいる。被災地の海岸の仮設の魚店をテレビは映す。そこに、底抜けに明るい老漁師の笑顔が。ああいうのを大胆不敵というのだろう。がれきを拒む私たちの姿ががれきの一片のように見える。

◇昨日(5日)の災害対策特別委で国に出す意見書を全会一致で決めた。がれきの処理を進めるために必要な措置を国に求めるもの。4項目あるが、その第一項は「法で定める指定廃棄物の基準以下であれば安全である根拠について国民に丁寧かつ明確に説明し理解を得ること」というもの。

◇一年目の3.11を目前にし、一年前の3.11を振り返るとき、私たちは、歴史的大事件に遭遇し、まだ、その渦中に居ることを実感する。

 心に焼きついているのは、委員会で宮城県多賀城市を視察した時のこと。市長は歴史に学ぶ事が大切である、歴史は嘘をつかないと述べ、貞観地震について語ったのだ。

 市長の話は、869年、この地に大地震が起き津波が多賀城の城下まで押し寄せ多くの死者が出たこと、そして、今回、また同じことが起きたことを指している。大災害から教訓を引きだすことは、同時に歴史から学ぶ事の大切さを意味する。

◇歴史から学ぶことの重要さは群馬県でも同じだ。多賀城の例は「日本三代実録」にあるが、同じく平安時代の群馬の大地震は「類聚国史」に記されている。818年(弘仁9年)関東各地で大地震が起き、土砂にのまれ押しつぶされた人はとうてい数えることが出来ないほど多数であった。近年、赤城山麓(旧宮城村や新里村等)の地割れ後の調査により、ここにも弘仁の大地震があったと考えられている(『赤城山麓の歴史地震』-新里村教育委員会編、『地震の日本史』-中公新書)。火山では1783年(天明3年)の浅間山の大噴火がある。この際、近づく3連動巨大地震を学びたい。

◇東海、東南海、南海の巨大地震が近い。大変興味深いのは、終戦(45年)をはさんで東南海(44年)、南海(46年)の巨大地震が起きたこと。東南海地震は、敗色濃い時期、B29が初めて東京を空襲した翌月(44年12月7日)に起きた。戦意喪失を恐れ新聞でもほとんど報じられなかった。

◇ナデシコがアメリカを下した。日本人に勇気を与える快挙だ。ナデシコの活躍は、今や日本女性の進化を象徴する。男も頑張らねば。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 5日 (月)

人生意気に感ず「南京虐殺。中国帰国者協会。山本龍と税の公平。4京ベクレル」

◇名古屋の河村市長の「南京虐殺」否定発言が波紋を広げ文化交流行事の延期などの事態を生じている。今年は日中友好の年、河村氏の言動は軽率というべきだ。私は、県議会の日中議員連盟会長、そして、中国残留帰国者協会顧問として、この問題には大きな関心を持つ。

 私は、「炎の山河」の中で残留帰国者松井かずさんの数奇な運命を書いた。前橋在住のかずさんは22歳の時旧満州に渡り、間もなく敗戦を向かえ死線をさまよう状況下で中国人男性と結婚し、5人の子どもを育てた。

 夢にまでみた祖国への帰国は、1972年の日中国交正常化を機に可能になった。かずさんは昨年6月87歳で波乱の人生を終えた。今年は国交正常化40周年で、日中議連として中国訪問の計画を考えている。

 県は政策課題である国際戦略として中国との連携を進めようとしているが、中国との深い絆をもつ千名を超える帰国者協会の人々はこの国際戦略に寄与するところ大であると私は期待している。

◇山本新市長は、税徴収の厳しさを緩和させる方針だ。前・前橋市長の下での徴収は厳し過ぎるという批判があった。生存権を脅かすような取立てが取りざたされていた。そのお陰か、前橋市の税の徴収成果は全国的にも上位にあった。

 「やさしい心と公平な心」で市民に向き合う事を約束した山本市長が最初に突き当たる問題が税の徴収である。税については何よりも公平さが求められる。正直者が馬鹿を見るような結果が横行すれば税の政策根幹が揺らぐことになる。道徳が地に落ちている時代だけに、手かげんにより滞納者が続出することを恐れる。

 要は、資産を厳しく調査することにより、納めたくても納められない人と納める力がありながら納めない人を区別することだ。前者の場合、分納等きめ細かい方法を工夫すべきだ。この問題で山本市長がつまづくことのないように祈る。研究チームを作り全力で当たるべきだ。

◇3月11日が近づく。昨夜(4日)NHKの映像特集を見た。肉親を失った人々の悲惨さは胸を打つ。がれきの山はほとんど手つかず。みのもんたが絆は口先だけかと叫んでいる。日本人の真価が問われている。

◇事故による放射性セシウム放出の総量は最大約4京(けい)ベクレルだという。京は兆の1万倍。放射性物質の総量は放射線量で広島型原爆20個分といわれる。改めて事故の重大さを思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

上州の山河と共に 第109回 政治家への道

福島浩の司会で、県民会館小ホールの幕が上がった。

 連合後援会長の福島貞雄氏は、冒頭の挨拶の中で、座席に坐れず通路や後ろに居られる方々、そして、会場に入り切れず外におられる非常に多くの方々に、誠に申しわけないと謝った。しかし、その声も、軽く弾んでいるように響く。

林先生は、約三十分程話をして下さった。東大西洋史学科の紹介から始まって、東大紛争にまで及ぶ話の課程で、先生の歴史に関する深い造詣に基づく話が易しい言葉で語られる。

 私の事に及んでは、「剛毅木訥は仁に近し」、という論語の言葉を引用して、中村は真面目で堅実な男である、県民の皆さんの信頼を得て大事な県政をすすめていくにはふさわしい男である、これからは、こういう男が政治の世界に入っていくことが、民主主義の進展の為にも必要だと、誠に勿体ない表現で紹介し、推薦して下さった。

 先生は、大衆の前で、大声をあげて選挙演説をするようなことは慣れておられない。淡々と大学で講義するような話し振りは、かえって真実味のあるものとして、聴衆の心を打っているように見受けられた。

 先生の話が終わると、いよいよ私の番であった。満堂溢れる聴衆を前に、高い壇の上から演説をするのは、もとより生まれて初めてのことである。そして、今日の舞台は、自分が主役であり、そのでき具合が試されていると思うと、どうしても緊張するのだった。

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 3日 (土)

上州の山河と共に 第108回 政治家への道

 開会の時刻は午後六時。林先生の送迎は、水洋会の伊藤正美さんと妻の役目であった。五時少し前、伊藤さんと妻は、入念に磨いた伊藤さんの愛車に乗って、林先生を迎える為に高崎駅へ出かけて行った。

 県民会館の中は、いくつものグループが慌しく動いていた。受け付けの為に机を並べる人達、駐車場での車の誘導を打ち合わせる人達、あるいは、壇上に花を置き、来賓や役員の椅子を並べる人達等。

 誰もが、長い間かかわってきた自らの運動の成果がどう表われるか、試験の結果を待つ受験生のように、不安と期待の入り混った気持で動いている。

 私は三十分程前から、舞台の裏手にある控室に入っていた。私の人生における初めての経験、その幕開けが刻々と迫る。もう、会場には人が入り始めている筈だ。入り具合はどうだろう。私は、幕の隙間から会場を見たいという衝動に駆られ、また、見るのが恐いとも思う。

 定刻十分前になった時、福島浩が顔を紅潮させて入って来て、私に近づくと耳元で言った。

「もう会場はいっぱいで入れない。ロビーもいっぱいで、まだ、どんどん来ている。受付が混乱しているから、少し開会を遅らせる。小会場は、まずかったな」

 彼は、ニヤッと笑うと、私の肩を叩いて出て行った。

〈やったあ〉、私は心の中で叫んだ。

その時、「やあ、大変な盛会ですね」こう言って、林先生が控室に入ってこられた。盛況の知らせと林先生の到着が重なって、私は、心地良い興奮に浸っていた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 2日 (金)

人生意気に感ず「山本市長を訪ねる。死刑後の再審。商工会議所会所と」

◇議会の昼休みに市役所の市長室を訪ねた。目と鼻の距離にありながら、いままで遠い存在だった。「のりお先生-」奥から大きな声がした。「応接はここにしようと思うんですよ」と新市長は、秘書たちが並ぶ一角を指して私を導いた。市長の強い希望らしいが、それは実現不可能らしい。秘書室にはいろんな訪問客がある。市長が手の届く距離で、ストレートに見える所に居るのは、保安上もまずいという。しかし、市民に身近な市長になることは間違いない。「これからは、龍ちゃんといってはまずいね」と言うと、「そんなことはないですよ、今まで通りでお願いします」龍ちゃんは大きな目を向けて言った。

◇一、二の重要な案件があった。それを済ませた後、初代県令楫取素彦の話になった。実は私の親しい弁護士が最近、萩の市長に会ったら、前橋の市長がかわって今年の交流イベントがどうなるか心配していたと言う。その旨を市長に告げ、楫取素彦を顕彰する私の企画も進んでいる事を説明した。今年は楫取没後百年の行事が萩市で行われ、前橋市も関わる。「いっしょにやろう」と握手を交わした。

◇昨日(29日)、扱いは小さいが注目すべきニュースがあった。平成4年福岡県飯塚市内で小学1年生の女児2名が殺害された。飯塚事件と呼ばれる。犯人とされた男は無実を主張したがDNA鑑定だけを決めてに死刑判決を受け執行された。

 何度かこのブログで書いたのは、まだ、精度が低かった鑑定であり、しかも、鑑定について意見が分かれていたこと、何よりも重大なのは死刑執行後に、裁判所に、再審の請求が出ていたから。

 足利事件の菅原さんを再審無罪に導いた最近のDNA鑑定は天文学的精度のものだった。この技術を飯塚事件で採用したらどうなるのか。29日の報道は、この件につき、福岡地裁が、地検から捜査の資料を取り寄せたと報じた。再審に一歩近づいた感じだ。執行後の無罪となれば恐ろしい事だ。死刑制度の根幹を揺るがす。死刑廃止論の最大の論拠の一つがこの事態だからだ。

◇県内10市の商工会議所会頭と県議との懇談会に出た。生の経済情勢が聞けて大変有益だった。震災後落ち込んだ状況が次第に回復していること、円高対応で部品を海外から輸入する動きなどが語られた。何人かから中小企業憲章が出来てよかったと言われて嬉しかった。私は、仏をつくって魂を入れるのが今後の課題だと挨拶した。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 1日 (木)

人生意気に感ず「放射線白熱。野猿の一隊。片田教授。死刑執行後の再審」

◇昨日(29日)は本会議一般質問の3日目、一番中味の重い質問は野党議員の原発事故・放射線に関するものだった。党派を超えた問題で、自民党議員が取り上げてもよいものだが、自民党議員の野次が飛んでいた。

 原発と放射能に対する理解不足が背景にあるが、同時に国と東電の原子力政策を暗黙のうちに認めるという心理が働いていると思う。これは、「放射線副読本」や「放射線有識者会議」に現われる県幹部の姿勢にも見える。

 NHKの度々の報道特集や今回の民間事故調査委の報告書が示す驚くべき実態を直視しなければならない。数年後、子どもの健康に放射線に関する異常が現われたとすれば、私たちは歴史の厳しい審判を受けることになるのだ。

◇野党議員の主な質問事項を列挙する。福島原発事故からどのような教訓を引き出したか。新潟刈羽原発等の事故を想定した避難計画は作っているか。原発についての知事の考えは。放射線の健康への影響に関する有識者会議について。全国民の健康調査について。小中高生向け放射線読本について。放射能測定・除染につき市町村への支援について等。「副読本」については、チェルノブイリにも触れず放射線の危険性を正しく伝えていないから配付を中止すべきではないかと主張していた。

◇我が党の星野議員が「鳥獣害対策」を取り上げたが、傍聴に来たみなかみ町藤原の吉野さんが昼休みに私を訪ねた。私とは長い付き合いになる。民芸品店・集古館の主である。

 贈呈された「雪郷(ゆきぐに)」の足あと」に面白い猿の群の描写がある。今年は、野猿が大変増えて大群になり、各字(あざ)を巡回しているという。一部を紹介する。「ボスは全体を取りしきり、小頭的な猿は集団の先頭を行き、あとから子どもや母たち、周囲を監視する猿も4・5頭、最後尾にも小頭らしいのが2・3頭見張りながら行くのだ。丁度人間社会の低学年の遠足のようです。村人とも顔見知りのようで、女には猿の方が威嚇し、血気な男が見えると静かになって、しかし逃げはしないで、じっと見つめて時間かせぎをしています」藤原は豪雪地。この雪の中猿たちはどうしているか。

◇今朝4時、NHKの「視点論点」で群大の片田教授が防災教育を語っていた。釜石の奇跡に貢献した人。又、早朝のニュースで、死刑執行後の再審に向けた新しい動きが報じられた。私がここで、何度か書いた飯塚事件。この二つ、明日のブログで書くつもり。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »