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2012年3月31日 (土)

「上州の山河と共に」 第117回 政治家への道

 告示が数日後に迫ったある晩、もう殆んど人気のなくなった事務所の二階から、私は市街地を見下ろしていた。私の心は平静であった。この山小屋が、天が私に与えた条件なのだ。とすれば、あとは、戦い抜き、勝ち抜く他はない。こう思うと、闘志が漲ってくるのが感じられた。よし、これから、あそこへ攻め下るのだ。私は、火の海のように広がる夜の市街を見下ろしながら、拳を固く握りしめていた。

いよいよ決戦

1987年・昭和62年4月3日、県議選は告示され、決戦の火ぶたが切られた。この日、定数57議席に対し79人が立候補の届け出をした。前橋の選挙区では、定数8のところへ11人が立候補し、予想通りの激戦となった。選挙運動の期間は9日間、12日が投票日とされていた。

 今回の選挙の特色として、自民党は49人を擁立し、前年の衆参同日選圧勝の勢いに乗って県議選勝利を獲ち取ることを目指していたこと、野党はこれに対して、売上税反対のスローガンをかかげて対決の姿勢を鮮明にしていたことなどが上げられる。私は無所属から立候補し、″身近な県政″を、木目細かに訴えてゆくと考えていた。

 四月三日の早朝、私の住む鳥取町の大鳥神社で必勝祈願祭を済ませると、私は、これから9日間必死で戦場を駆回ることになる選挙カーに乗って、県庁前に向かった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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