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2011年12月31日 (土)

「上州の山河と共に」第89回 出馬を決意

このような作業をしていた当時、肝心な、芳賀地区では、私の存在は、まだ全く認知されない状態であった。このことは、実に淋しいことであったが、芳賀へ移り住んで日も浅い上に、PTAや自治会などの役員すらしたことがなく、知名度がゼロに近い状態であることを考えれば、当然のことであった。

 このような運動を始めてから二ヶ月程経った頃から、支援の手紙や電話が時々寄せられるようになった。

 ある晩のことである。電話が鳴って、受話器を取ると、

「私は、Sという者ですが、あなた、今日、私の家を訪ねてくれましたね。今、あなたのパンフレットを読んだところです。家内から話を聞いて、あなたに、大変興味を持ったんですが、あなた、本気でやり抜く考えですか」

「もちろんです。命懸けでやり通す決意です」

「なるほど。それで成算はおありですか」

 私は、ずい分、ずけずけと物を言う人だなと思った。しかし、声の感じからして、これは冷やかしているのではない、力を貸してもらえる人かもしれないと直感したので、私は真剣に答えた。

「成算と言われても困りますが、道が必ず開けると信じています。私がお会いすると、皆さん、大変関心を示してくれます。まだ、十分な御理解を頂くまでに至っていませんが、皆さん、私のことを、本物かどうか、眉に唾して見てくれている、という状態かと思います。私としては、いろいろな方に直接お会いしてお話しできることが大変貴重な勉強になっています。こういう形で、有権者に訴えてゆくことが、本当の民主主義を実現してゆく道なのだと思っています。これは、実際に、運動をやってみて、はじめて実感できたことで、素晴しいことだと気づいたんです。

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月30日 (金)

人生意気に感ず「号泣は嘘泣きか。消費税遂に承認。日本の債務危機」

◇金正日総書記の葬儀が28日に行われた。大きな遺影を掲げる遺体を載せた車には後継者金正恩が寄り添って歩く。号泣する人々の姿は異様の一語に尽きる。立派な服装の大の大人たちが大きな口を開けて臆面もなく泣き叫んでいる。平壌市民に至っては、老若男女を問わず地面を叩きながら泣いている。

 嘘泣きではないか、演技ではないか、それともそうさせる何かの力が働いているのではないか。日本ばかりでなく、世界中の普通の国の国民は皆不思議に思ったに違いない。

 北朝鮮の機関誌は、金総書記の遺産は人工衛星の打ち上げと核保有国になった事と報じた。人工衛星と報じているが実際は弾道ミサイル発射実験である。経済は破綻し多くの国民は飢えている中で、独裁者の「遺産」を真から喜ぶ国民はいないだろう。

 革命を達成し国を作った金日成の時はほとんどの国民が本気で泣いたろうが、金正日については国民のために何もよいことをしなかったから、悲しむ理由がない、だから本気で悲しんで泣いていないとある北朝鮮研究者は語っている。

 北朝鮮は国民の不満を抑えるために監視体制を作り上げ恐怖政治を行っている。目をつけられたら「山へ送られる」と北朝鮮出身の私の知人は語った。山とは強制収容所の事だ。こういう体制に慣らされた多くの国民は悲しくなくても保身のために泣くのだろう。国民をこのように統率する軍事最優先の独裁国家の恐ろしさを改めて思う。後継者正恩はこの体制をどこまで引き継ぐのか。この北朝鮮の存在自体が我国危機管理の対象である。

◇消費税増税案が決まった。29日深夜、11時過ぎテレビでは、首相が出席して協議中と報じていた。朝の新聞はこの日深夜に決着と報じている。首相自らの提案で実施時期を半年ずつ延ばした。結果として、14年4月に8%に、15年10月に10%に、税率を引き上げることで民主党税制調査会の総会は了承した。総会は、9時間にも及んだ。国会を通れば国民の生活に深刻な影響を及ぼす。「案」には、引き上げまでに議員定数削減などを断行すると書かれた。案承認の根底には欧州の二の舞になるとの危機感があった。アイスランドから始まった欧州の債務危機。日本全体の公的債務は1千兆円を超えた。それでも予算編成が可能なのは金利が1%、10兆円と低いから。イタリアのように7%なら金利だけで70兆円になり予算編成は不可能になる。(読者に感謝)

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2011年12月29日 (木)

人生意気に感ず「1年を振り返る。事故調査報告の語るもの」

◇人生には忘れられない年がある。それは忘れられない出来事が起きたからである。長い人生の中で、今年はすくなくともそういう年の一つである。いうまでもなく3月の東日本大震災だ。これに県議選も重なって、私としては一層忘れられない年となった。

 3月11日、午後2時46分、私はこの時刻を選挙事務所として使う予定の小坂子町公民間で迎えた。不気味な轟音と揺れは長く続いた。これがその後の異常事態を告げるシグナルであった。

 やがて原発事故が伝えられる。初めは大した事はないと思っていた。原発は大丈夫という安全神話が支配していたのだ。事故のレベルはチェルノブイリと同等と報じられても信じ難かった。国民の間では放射線に敏感に反応した人と関心が薄い人に分かれた。

 その後、原発事故人災説が広がり、政府や東電に対する不信と共に混乱は深刻化した。

◇26日の事故調査委員会の報告は、やはり、と人災説を裏づけるものだった。今後の最大の課題は調査が明らかにした事を如何に生かすかである。民間の受け止めが重要だ。その意味でこのブログでも書き止めておきたい。

 調査・検証委の委員長は「失敗学」で知られる畑村東大名誉教授。6月の調査委発足時、畑村氏は百年後の評価に耐えられる報告をつくると表明し、延べ456人から計900時間の聞き取り調査を行った。

 結論的な事は、政府や東電が過酷事故を想定せず、従って対策が甘く、また、事故の対応も非常に不手際だったというもの。信じ難いような事が指摘されているのだ。現場の事実誤認や原子炉冷却装置の操作に運転員が習熟していなかったなどを挙げ、原子力事業者として「極めて不適切」と指摘。また、異常に巨大な天災地変だからという主張には、特異な事態という弁明では済まないと厳しく批判した。

◇各地で避難訓練や防災訓練が行われていた。日頃の訓練の成果によって多くの児童を救った釜谷の奇跡がある。報告書から思うことは、極く基本的な日頃の訓練で事故の拡大を抑制出来たということだ。そうすれば、非常用復水器が機能していないことに運転員が気付かなかったとか、原子炉を冷やす操作に慣れていなかったという事は避けられた筈。一番直接の現場にまで安全神話が浸透していた。技術立国日本の信用を取り戻すための教訓を引き出さねばならない。(読者に感謝)

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2011年12月28日 (水)

人生意気感ず「西日本巨大地震。歴史の警告。民主党の自壊」

◇東日本大震災が教える事は限りなく多いが、その中でも最も重要な事の一つは、「想定」の見直しだろう。近い将来に確実視される西日本の巨大地震につき、中央防災会議は想定の見直しを発表した。南海トラフ沿いの超弩級地震である。従来M8.7としていたがM9.0とし、震源域も従来の1.8倍に広げた。山梨県南部から九州の東海岸に及ぶ。高知県は実に全県がすっぽりこのエリアに入る。多くの県が防災対策の見直しを迫られることになった。

◇連動型の巨大地震についてはこのブログでしばしば取り上げてきた。西日本の沿岸に沿った海底には南海トラフと呼ばれる千キロ以上も続く細長い窪地がある。ここで歴史上繰り返し起きている巨大地震が、東海地震、東南海地震、南海地震。これらは約百年間隔で起きるが、3回に1回は、連動してほぼ同時に起きる超弩級のもの。今回見直しの対象とされる近い将来の巨大地震はこの3回に1回の番に当たるといわれる。

◇連動型の過去の例を記録から見る。前回は東南海地震(1944年・昭和19年)と南海地震(1946年・昭和21年)が2年の時間差で発生。前々回は、まず、安政東海地震が発生し(1854年)、その32時間後に安政南海地震が発生した。そして、3回前の宝永大地震(1707年)では、3つの震源域が数十秒のうちに動き超巨大地震となった。これらは、いずれもM8.4からM8.6と推定されている。これから起きようとしているのはM9.0というから凄まじい。

◇地震学者は2030年代には次の3連動地震が南海トラフ沿いで確実に起きると予測。また、今回の東日本大震災が、3連動の一つである東海地震の発生を早めるのではないかともいわれる。私は、歴史に学ばねばならない、歴史は嘘をつかないという思いで、書いている。歴史の警告を共有しなければならない。今こそ、その時。

◇八ツ場ダム、消費増税、TPPで政府と民主党に激震が走っている。離党者が増える動きだ。八ツ場ダム中止は民主党マニフェストの象徴で、マニフェストの最後の砦とされた。子ども手当、年金改革、議員定数削減、高速道無料化。これらもみなマニフェスト違反となった。消費税を大きく上げることは国民の生活に深刻な影響を与えるから、国民の判断を仰がねばならない。衆院選の予感が強まった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月27日 (火)

人生意気に感ず「北朝鮮。国を守る意識。原発事故調査報告」

◇私は最近、萩市で初代群馬県令楫取素彦について講演した。講演後、吉田松陰や高杉晋作の遺跡や著作に接して、彼らの国を思う鮮烈な意識に感動した。また、先日、NHKのドラマで日本海海戦のシーンを見て、松陰たちの志が兵士の心に受け継がれていることを感じて胸を熱くした。それに比べて現在の日本人の国を守る意識は極め希薄であると思う。

◇現在、日本にとっての最大の脅威は北朝鮮である。何をしでかすか分からない国である。ラングーン爆弾テロ事件(ビルマ訪問中の全斗大統領を暗殺しようとした)、大韓航空機爆破事件、日本上空へのテボドン発射、直接の被害としては日本人の拉致等、北朝鮮は狂気の犯罪国家である。

 多くの国民を飢えさせながら、軍事を最優先させる先軍思想の道を突き進んでいる。シビリアンコントロールが利かない追い詰められた独裁国会に対して「想定外」はない。

 私は、かつてブログで書いたが、原発が攻撃されたら大変だと思う。日本海岸には多くの原発が存在する。原発事故の恐ろしさは、今回、いやという程身に染みたが、津波や大地震だけでなくテロ攻撃による原発事故も考えなくてはならないのだ。

 金正日が急死し、30歳代の政治的には未経験の金正恩が世襲によって独裁者の地位についた。世界の独裁者が民衆の力によって次々消えていく中で、世襲によって独裁政権が継承されるのは極く稀である。厳しい情報の規制の下でも国民には世界の情勢が届き、世界の潮流はこの独裁政権にも押し寄せている。もはや限界といわれる中で金正日が亡くなり正恩にかわった。専門家の分析によれば軍との不仲が深刻とも言われる。国民に対して存在感を示すために軍事的冒険も有り得るというのだ。日本政府の危機管理能力と私たちの国防意識が問われる。

◇被災地の小学生の少女が語っていた。「津波は自然災害だから仕方ないが原発事故は人災だから悔しい」と。この事が政府の事故調査で明らかになった。

 調査報告は、津波直後、原子炉冷却装置が機能していないことに現場が気付かなかったこと、装置の操作に運転員が習熟していなかったこと等をあげ、原子力事業者として事故対応が極め手不適切だったと指摘した。その他多くの指摘がある。その基本にあるものを今後のあらゆる災害対策に活かす事が最大の課題である。(読者に感謝)

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2011年12月26日 (月)

人生意気に感ず「報道の日2011。日本海海戦。八ッ場成る」

◇「報道の日、2011」を見た。細切れの錯綜とした原発事故情報を整理して客観的に理解するのに役立った。また、国民の知る権利に奉仕する報道の役割を知る上で、そして、今後の教訓を引き出す上でも有益であった。

 絆に結ばれて助け合う人々の姿は、外国のメディアが日本人の美徳として報じた事をうなずかせた。「釜石の奇跡」については日頃、避難教育を指導していた片田群大教授が「奇跡ではない、日頃の教えを実行しただけだ」と語っていたのが印象的。原子炉の建設に関わった科学者は自然の力に対する謙虚さに欠けていたと反省。百億円以上かけた装置による放射性物質の流れる方向と状況を示すマップを住民の避難に利用しなかった事が分かった。担当大臣はその理由を国民のパニックを避けるためと答えていた。放射性物質が流れる方向に逃げる人々もいたのである。呆れたものである。

◇最も注目すべき事は、東電、官廷、原子力保安院の間の情報の混乱、トップの間の意志疎通の欠如だ。最高責任者が決断を下したくも的確な情報がなければ出来ない。水素爆発の認識の遅れにもこの事が現れていた。

◇菅総理(当時)が振り返って、根拠がないのに大丈夫、大丈夫とやってきたことがこの事態を招いたと語った点に全てが現れていた。首相周辺の人が菅氏につきもっと冷静であって欲しかったと語った事は、菅氏の伝えられる行動と照らしても重大である。

 この「報道の日2011」と同時刻にNHKでは、坂の上の雲で日本海海戦をやっていた。バルチック艦隊を壊滅させるシーンである。皇国の興廃はこの一戦にありの覚悟でぎりぎりの判断と決断を行ったことが勝因だった。見ていて、第一原発事故も、日本国の興廃はこの一戦にありだと思った。司令官とそれを支えるスタッフの軟弱ぶりが対照的だった。ドラマは、危機管理におけるあるべき姿を教えていた。最大の反省材料にしなければならない。

◇八ツ場ダムが作られる事になった。半世紀以上に及ぶ八ツ場をめぐる歴史の重みは重大な論点だった。民主党のマニフェストの象徴的存在。マニフェストの総崩れは、民主主義と選挙につき貴重な教訓となった。マニフェストは主権者に対する公約であるから民主主義の基礎である。守れない公約を選挙目当てに提示すると結局国民を欺くことになる。(読者に感謝)

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2011年12月25日 (日)

「上州の山河と共に」第88回 出馬を決意

このような話を聞かされてみると、手探りで、進む方向も分からぬような状態でやっていたあの当時の私の運動も、なかなかの効果を産んでいたと思えるのである。

話を元に戻すが、最初の頃の私の運動は、このように足で稼いで出来るだけ多くの人に接するという作戦が中心であったが、これと並行して、私の関係するいろいろな名簿に載っている人に対する手紙作戦も、重要な運動の一つであった。

私の小学校、中学校、そして、高校の同窓生、あるいは、中村塾の卒業生というようにグループごとに違う文面を作り、ハガキで訴えるという方法を採ることにした。

作業に従事するスタッフは、私と妻ヒサ子、笠原久子さん、娘のゆり、そして、私の母の計五人であった。私が文面を作る。久子さんとヒサ子は手分けして清書したり、宛名書きをしたりする。そして、印刷には、市販されている簡単なプリントゴッコという道具を使った。一枚ずつ、ハガキをこの道具にセットして印刷するのがゆりの役目、印刷され、まだ乾かぬハガキを並べていくのが母の仕事であった。

塾が終わった後の教室は、一変して妙な作業場となった。

「まるでマニュファクチャーね」

プリントゴッコを操作しながらゆりが言った。

「ねえ、県議選の準備を、こんな風にやっているって誰がおもうかしら」

黙々と筆を走らせていた妻が、顔を上げ、子供のように瞳を輝かせて言った。

「これで本当に当選できたら、みんなビックリするわよね」

こういいながらもゆりは、ちょっぴり不安そうである。

「ゆりちゃん、そんな言い方はダメ。当選したらではなく、当選させるのよ。絶対に」久子さんの明るい声が夜の教室に響いた。(読者に感謝)

※土日祝日は「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月24日 (土)

「上州の山河と共に」第87回 出馬を決意

いろいろな家を訪ねる時、良く、玄関先に貼ってあるセールスマンお断りのシールが目に入る。また、ブザーを押して、玄関の戸を開けたとたんに、

「間に合っていますよ」

 などと言われたりすることが度々ある。このようなことを経験する中で、私は、ある時、自分もセールスマンなのだと気付いた。考えてみれば、まさに自分を売り込もうと努力しているセールスマンなのである。

私は、県民を代表して県議会で働く人間として、自分を売り込もうとしているのである。相手の奥さんが怪訝そうな顔をしているのは、それだけの商品価値があるかどうかを疑っているのだ。

 もし仮りに、そういう商品価値があるかと聞かれたとすれば、私は、現在はまだその価値はないが、努力してその価値を身につけると答えるしかないと思った。そういう可能性を持った人間と信じて買って欲しい、と訴えているのである。このように考える気とが楽になり、訪問セールスもやや楽になったと感じられるようになった。

 現在、二期目の県議になって、この当時のことを時々振り返るが、様々な人に直接会って感じたこと、話したことの一つ一つが、貴重な体験として私の財産になっていると思うのである。

 また、時々、思わぬ所で、

「あの時、中村さんがうちを訪ねてくれたこと良く覚えているわよ」

などといわれることがある。

「夢中でした。自信がなく、おどおどしていたと思います」

「とても新鮮に映ったのよ。いきなり家に来て、県会の話をするからビックリしましたけどね。近所で、すぐ話題になっていたわ」(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月23日 (金)

「上州の山河と共に」第86回 出馬を決意

 この老人は、その後しばらくして、実際に十人程の仲間を自宅に招き、紹介してくれたのである。初めての記念すべき座談会の実現であった。この時の老人達の温かい心は、いつまでも忘れることが出来ない。そして、この時の体験にヒントを得た少人数の座談会の開催が、その後の私の重要な作戦の一つとなった点においても、この座談会は記念すべきものであった。

 運動を始めた最初の頃は、このような良い話にぶつかることは稀で、むしろ辛いことの連続であった。

 初めての家を訪問した時、よく聞かれることがあった。

「あんた、一人で廻っているの、案内をしてくれる人はいないの」

通常、このような運動は、秘書や鞄持ちがいっしょについて歩くのが当然、と一般に人は思っているのである。

また、

「何か組織はあるの。支持母体は何ですか」

こういう質問をよく受けた。

「組織はありません。これから支援者を探し出して、お願いして作ってもらうんです」

こう答えると、相手は、あきれたような、失望したような表情になる。

こんな時、私も、心の片隅では、お供の一人か二人連れて歩けたら格好が良いだろうなという思いが湧くが、すぐにそれを打ち消して、<それでは、従来のタイプの政治家と同じではないか、俺は、お供を連れて歩けないが、これこそ、一般庶民であることの証なのだ。今に見ていろ、きっと多くの人が理解してくれる時が来る、その時まで頑張り抜くのだ、と自分に言い聞かせるのだった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月22日 (木)

人生意気に感ず「普作邸・萩博物間・藩校明倫館と明倫小学校」

◇萩市を案内されて驚く。江戸時代の城下町絵図がそのまま使えるような町並みと街路が残り、その中に維新で活躍した人の生家などが随所にあった。高杉普作が角からふらっと現れるような錯覚にとらわれる。観光の一団が現れ、見ていると向かう先は高杉の家。萩では、吉田松陰を別格として、どこでも一番の人気の的は高杉普作であった。楫取素彦旧邸跡も訪ねた。

◇萩博物館では、副館長で学芸員の樋口氏が案内してくれた。ここでは萩出身の企業人の特別展示をしていた。長州萩といえば政治の面で活躍した人物を先ず考えるが、経済面でも傑出した人物を多く出した事を知る。

 ルネッサンス期イタリア北部から多くの天才がどっと現れたように、萩の燃えるような環境が人々の精神を刺激し才能を開花させたのだと思う。

◇この日(21日)の最大の収穫は明倫館跡地と明倫小学校で得た。校長の新川美水氏が自ら案内し明倫館と明倫小学校につき丁寧に説明してくれた。

 明倫小は、長州藩校明倫館の跡地に「明倫」の名を継いで建てられた。明倫とは人の生き方を明らかにするという意。

 明倫小の広い敷地内には藩校時代の重要な遺跡が多くある。吉田松陰が教鞭を執った教室の跡には「講学の跡」の石碑が建つ。楫取素彦もこの藩校で教えたのである。私は、長州藩が人材教育に如何に力を注いだかを肌で感じることが出来た。高杉普作も明倫館で学んだ。

◇明倫小の構内に入って先ず古い木造校舎の偉容に驚く。私が学んだ宮城村の小学校を思い出した。今ではこのような校舎を使う所は少ないだろう。校舎は校風を語りその歴史を誇っているように見えた。

 正面玄関を入ると階段わきに松陰の座像がある。右肩が下がっているのは、常に本を右手で抱えたために出来た松陰の姿だという。この学校の目標は、「成徳達材」及び、「松陰の教育精神の尊重」である。毎朝全児童が姿勢を正して松陰の言葉を朗唱する光景に多くの参観者は感動するという。反対する父母はほとんどないと校長は自信を示した。萩だから出来ると私は歴史の重みを感じた。私は、前橋市の桃井小でも、かつては、「正直に腹を立てずにたゆまず励め」という鈴木貫太郎の言葉を朗唱した事があると新川校長に話した。校長が通りすがる児童の名を呼んで優しく靴の履き方を注意している姿が印象的であった。(読者に感謝)

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2011年12月21日 (水)

人生意気に感ず「萩の講演は成功。松蔭神社で留魂録を読む」

◇いよいよ講演の日である。楫取素彦生誕の地・今魚店町(いまうおのたなちょう)の中原正男さんの運転で講演の町へ向かう。中原さんは日本海に面した萩市から瀬戸内海に臨む宇部市まで迎えに来られ、また、道を折り返しているのだ。片道1時間半・途中の中国山地ではなだらかな丘陵にのどかな農村地帯が広がり緑の木々の間に時おり赤い実をたわわにつけた柿の木が見えた。  今魚店町は小島が点在する日本海に臨む地の萩城跡の近くにあった。波の音が聞こえる町の角に楫取を顕彰する立派な説明板が立てられ、その中に群馬における業績を記述する私の文章があった。  町内の「老人憩いの家」の広間に多くの人が集まった。地元紙でこの日のことが報じられていたのだ。山口県議会副議長の新谷氏、萩博物館学芸員、萩市職員などの姿もあった。スクリーンに映す用意をした資料に県庁近くの清光寺の場面があった。騎兵隊の姿で並ぶ萩市の人々である。「ここへ来てこの姿に着替えたのでしょう」と言うと、「萩からその姿で行った」と会場から声が上がった。何と、会場の2人は写真の人物であった。これからは、楫取の結ぶ縁を生かして、親類付き合いをしていきたいと言って講演を結んだ。その後、地元の新聞とテレビの取材を受けた。 ◇松陰神社内の宝物殿・至誠館館長近藤隆彦氏が待ち受けて松陰の資料を説明してくれた。留魂録は心打つものであった。吉田松陰は安政6年10月27日の朝死罪の宣告を受ける。門下生に残した遺書・留魂録は、その直前10月25日から26日夕刻にかけ書いたもの。その中に、小田村伊之助(楫取素彦のこと)の事が書かれていることを知った。「同志諸友ノ内小田村・久保・久坂等ノ事」と特に記している。  なお留魂録は2通作られ、1通は門下生に届けられたが回覧のうちに行方不明になった。もう一通は共に牢内にいた者に託した。兵学者松陰の深慮だという。託された沼崎は衿の中に縫いこんで隠し、後に出獄し長州人に届けたという。  講演では同じく国法を犯し、こちらは渡米に成功した新島襄の事も話した。その弟子・湯浅次郎が県会議長として、楫取と力を合わせて全国初の廃娼県への道を開いた事につなげたのである。萩の海を見詰めると松陰や晋作の姿が浮かぶようだ。(読者に感謝)

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2011年12月20日 (火)

人生意気に感ず「最後の専制君主金正日の死。宇部市の夜」

◇多忙にして充実した一日を

山口県宇部市

のホテルで終えようとしている。今、19日の午後10時である。朝4時起床、原稿に取り組むなどして、6時から1時間走った。翌日の

萩市

の講演の筋立を完成させ、10時から前工団の会議に出て、その後、県庁で記者の取材に応じ、帰途、正午近く車のラジオで驚くべきニュースを聞いた。

 北朝鮮総書記の急死である。家のテレビでは講釈師のような女性アナが「民族の独立と世界の平和に貢献した偉大な総書記」と、金正日をたたえていた。何が世界の平和に貢献かと思った。

 北朝鮮は非道の犯罪国家である。他国の主権を侵してその国民を拉致しミサイルを放つ。先軍思想を掲げて武力の増強に国力の大半を注ぎ国民を飢えさせる。多くの犠牲者を出した大韓航空機爆破事件やラングーン爆弾テロ事件は身勝手な目的のために手段を選ばす、なんでもやらかす国であることを示した。サダムフセインのイラクやカダフィのリビアより危険な国である。この両独裁者も惨めな死を遂げた。北朝鮮は残された数少ない独裁国家であり、強権が世襲される点ではほとんど他に例を見ない。

 したたかな外交で国家の存立を保ってきたがもはや限界に見えたところで金正日の死を迎えた。28歳の後継者金正恩の筋肉と骨を感じさせない弛んだ風貌は追い詰められた極限の国家の先頭に立つリーダーにはどうしても見えない。混乱は避けられず、影響が日本に及ぶのは必至だ。民主主義の対極にある前世紀の遺物の如き国家の末路を全世界が固唾を呑んで見守る。私たちにとっては不気味な巨大津波の前兆のように感じられる。

◇羽田空港の売店では金正日の死を大きく報じる夕刊が売られていた。私は、7時5分発のJAL最終便で、9時、山口宇部空港に着いた。予約したビジネスホテルはタクシーで10分程の所にあった。

◇宇部の朝を迎えた。5時、窓外は濃い闇だ。午後1時半の講演に間に合うように楫取素彦顕彰会の中心人物中原さんが車で迎えに来て下さる。簡単に考えていたが、瀬戸内の宇部から日本海の萩まで大変な距離だ。楫取が生まれた今魚店町(いまうおのたなちょう)とはどんな所だろう。楫取素彦によって生じた縁は今後どう発展するのか。目的地を目前にして私の期待と興味はふくらんでいく。(読者に感謝)

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2011年12月19日 (月)

人生意気に感ず「原発事故収束。市長選の争点。萩市の講演」

◇福島県知事が怒っている姿が印象的だった。それは、原発事故収束を説明するために福島県庁を訪ねた政府官僚との会見の場面である。原爆の直撃を受けた現場の如き惨状を抱える被災県の知事とすれば当然の感情だろう。

 しかし、事故後9ヵ月を経て遂に地獄の脱出口を見つけたという感を国民として抱く。野田総理は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と述べた。冷温停止状態の達成を確認したことを踏まえた発言である。

 冷温停止とは原子炉内の水温が、核分裂抑制により100度未満になった状態。野田総理は「事故の対応が終わったわけではない」と語った。しかし、最も重要な除染の問題はこれからの事であり、避難住民の生活再建もほとんどが未解決である。こんな状態での収束宣言が現実軽視につながらないか。福島県の人々と知事にはこんな不安があるだろう。

 原発事故に関して大きな節目を迎えた今、振り返ってこの事故の想像をはるかに越えた恐ろしさを改めて思う。飛散した放射性物質の総量は広島型原爆の20個分。海に放出されたストロンチウムの総量は462兆ベクレルで、これは、かつてイギリスで起きた世界最悪と言われる海洋汚染時のストロンチウム放出量に匹敵するそうだ。

◇前橋市長選の前哨戦が既にたけなわになっているが原発事故に関する事が表立った争点になっていない。これだけの放射性物質が放出された事による食の安全、子どもの健康への不安、除染などだ。今後、予想される公開討論会で、主催者はこれらを論点に組み込んで欲しい。

◇児玉龍彦東大医学部教授は、各地方自治体が「コールセンター」と「すぐやる課」を作ることを提案している。放射線の問題は今後長く続くことだから、新しい市長は、この提案を実現すべきだ。県は各市町村と連携してこの体制を作ることを考えてはどうか。

◇いよいよ萩市の講演会が迫った。初代県令生誕の地・萩市の今魚店町で私は、群馬における楫取の業績を語る。当地では私の顔入りのポスターまで作って準備している。

 私は大震災後の群馬で、改めて楫取素彦が注目されている理由として、かつて、楫取が大切にした人間の心の問題がクローズアップされていることも話そうと思う。楫取生誕の地の人々と私たちの新しい絆が生まれることを願っている。(読者に感謝)

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2011年12月18日 (日)

「上州の山河と共に」第85回 出馬を決意

一軒一軒廻ってゆくと、色々な人に出会う。ある町内で、以前小学校の校長をしていたという老人に出会った時のことである。

「県会というのは、何をする所なのかね。市町村という直接の自治体があるのだから、県会なんて必要ないのではないかね」

 老人は、私の顔を覗き込むようにして、先生が生徒に聞くような口調で言った。

「はあ、まず、県内全体を対象としてやらなければならない仕事があります。例えば、道路だとか、河川だとか、警察の仕事もそうです。それに、市町村に対する指導や助言の仕事があります。福祉や教育など、それぞれの市町村でバラバラのことをやっていたのでは困りますからね。

それから、国と市町村の間に立って国の方針などを伝える役目もあります」

私は、緊張して直立不動の姿勢で答えた。

「ふんふん、なるほど。ほんのちょっと分かった気がする。しかし、今の群馬県議会は、何をやっているのかさっぱり分からないよ。これでは、困るんじゃないの、君」

「その通りです。今、地方の時代と言われ、それぞれの地方が頑張って、いい地域社会を実現しなければならないんです。その為には県が、市町村と力を合わせて頑張らなければなりません。そして、県会がその役割を果たす為には、県民の皆さんに、県政をよく理解していただかねばならないんです」

「その通りだ。そこで、あんたはどうするの」

「私は、県政を県民に身近なものにして、県民の意志に基づいた県政を実現したいんです。教育とか、福祉とか町づくりとか」

「なるほど。君の言うことはよく分かった。でも、大変な仕事に挑戦したものだね。そうだ今度、折りを見て、町内の老人達に紹介してやろうか。そこで、今のような話をしてみてはどうかね」

「ありがとうございます。是非、お願い致します」

思いがけない、有難い老人のお言葉であった。この時、私は初めて、小さな手応えを得た思いがした。(読者に感謝)

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2011年12月17日 (土)

「上州の山河と共に」第84回 出馬を決意

 この時点で、強力な理解者、そして支援者が現れた。それは、笠原始郎、久子夫妻である。前にも触れた通り、久子さんが、妻の友人であったことから、笠原夫妻が私達の結婚の媒酌人をつとめて下さったのである。御主人は銀行にお勤めということもあって、久子さんには、御主人の分までも色々ご支援いただくことになったのである。

私は、訪問した人に後から手紙を出すことにした。それは、訪問の趣旨をよく分かってもらうと同時に、私の存在を印象づけることが狙いであった。先日は突然お邪魔して失礼したこと、良い県政を実現する為に、民主主義の原点に立ち返って頑張ってゆきたいので、宜しく御指導、御支援をお願いしたいということを簡単にハガキに書いて出すのである。

笠原久子さんは、訪問者リストの整理、住所の確認という作業から、ハガキの宛名書きまで手伝ってくれた。久子さんは、明るく陽気な女性であるが、私からリストを受け取りながら、時々、

「こんなことをしていて、本当に当選できるのかしら」

と、不安そうな表情で漏らすのだった。

 「大丈夫ですよ、そのうち、段々、世間の関心が集まって来ますよ」

こう言いながらも、私の心の中にも不安はあった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月16日 (金)

人生意気に感ず「低線量でも危険。児玉教授の敬言。山本龍」

◇地震や放射線に関する情報がこれだけ毎日押し寄せると、どれをどのように受け止めたらよいか迷うし、刺激に慣れて関心が薄れてしまう。最近、放射線に関し特にこのような思いを抱く。このような現象の根底には多くの人々が放射線に関する基礎知識をもっていないという事実がある。そして、市民の生命や健康に責任を負う政治家一般にもこの事が当てはまる事を知るに及んで私は怒りに似た感情を覚える。原発事故は図らずも政治家の不勉強を暴露した。

 私は原発事故におおわれた一年を振り返って、7月27日の衆院に於ける児玉龍彦教授の姿とその発言内容に強烈な刺激を受けた事を改めてかみ締める。児玉氏は国の事故対応に満身で怒りを現わしていた。私は、発言の全文とその後の氏の論文を身近に置いて新聞やテレビの情報と照らし合わせて来た。そして、大まかに言って、この東大教授の指摘と警告の通り事態が推移している事に驚くのである。

 氏が主張する論点は多いが、その一つに、「低線量放射線」に関する鋭い指摘がある。一般には、「基準値以下なら大丈夫」とか、「直ちに健康に影響はない」などと言われているが、児玉教授は、低線量被曝の影響を科学的に分析し、「特別部位のDNAの損傷を繰り返せば、それは確実に癌を発生させる」と指摘する。

◇9月に福島市で開かれた国際専門家会議の発表は、児玉教授の見解とほぼ一致する。この会議で、イギリスやロシアの専門家は線量が低くても健康への影響はゼロではないという研究成果を発表。参加したイギリスの教授は、低線量でも、がんリスクはゼロにならず線量に応じて直線的に増えると指摘していた。

◇15日、政府の「低線量被曝のリスクに関するワーキンググループ」は、報告書の中で、放射線の影響を受けやすいとされる子どもにつき「優先的に放射線防護のための措置をとることは適切」と述べた。

 この会議で東大の児玉龍彦教授は最新のゲノム科学の研究成果から低線量被曝でも染色体異常を引き起こし膀胱がんなどを誘発する可能性があると指摘した。私は児玉氏の意見に注目していた。

◇昨夜(15日)、山本龍を支援する企業団体の対話集会があり、多くの人が集まった。就職弱者を救って欲しいと発言する若者、保育園の補助を厚くと訴える保母、残土条例を作れと主張する市民などで会場は盛り上がった。龍さんは雇用を増やす事に全力を注ぐと訴えた。(読者に感謝)

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2011年12月15日 (木)

人生意気に感ず「奇跡の一本松の死。議会基本条例。ずさんなプルトニウム管理」

◇奇跡の一本松が遂に枯れた。荒涼とした陸前高田海岸に唯一本ひょろ長い松が立っていた。堤防を押し倒し、鉄筋コンクリートの建物を基礎ごと引き抜いた巨大津波に耐えて生き残ったことは正に奇跡と言うにふさわしい。その姿は人々に大きな勇気と希望を与えた。強く生きる生命力の象徴だった。誠に残念である。

 根が塩分によって腐ったのだ。しかし、この松の生命力を受け継ぐ2世が育つという。松ぼっくりの種や枝の継ぎ木から奇跡のDNAを継ぐ若木が芽生えると報じられた。枯れた松の本体は保存して奮闘をたたえるための工夫をして欲しい。

◇議会基本条例が作られることになり、議会内で研究会が回を重ねられ、素案が作られ、14日、自民党県議団の勉強会が開かれた。この条例は議会に関する条例の最高法規であり、議会に関する憲法ともいうべき存在である。

 条例制定の目的は一言でいえば県議会のあるべき姿を実現すること。そして、あるべき姿とは、知事に対する監視機能や政策形成機能を高め、知事と対等な立場で役割を果たせる議会である。従来、地方議会の形骸化が指摘され、議会無用論まで出ていた。

 県議会の権能を高めることはかねての私の悲願で、私は折りに触れて議会基本条例の制定を求める発言をしてきた。今年の5月定例会でも同条例制定の必要性とその中での議会事務局の充実を発言した。

 そこで、昨日の素案勉強会でも積極的に発言した。その一つが事務局体制の整備であり、そのために、新たな条項、「議会は専門的な知識経験を有する者を任期を定めて議会事務局職員として採用することが出来る」を設けることを提案した。

 議会が知事と緊張関係を保つには、議会事務局職員は、本来、議会が独自に採用することが理想であるが、現実にはなかなか難しい。

◇廃棄物から濃縮ウランやプルトニウムなどが大量に見つかった。原発以外でも日本は、核物質の管理がずさんなのかと国民に不安を与える。そして、このようなことが、原発への不安と不信を増大させるだろう。

 全国の原子力関連施設の廃棄物から未計量、そして未報告のウランやプルトニウムが大量に見つかった。プルトニウムは、最も恐ろしい放射性物質であり極く微量でも体内に入ると発癌の原因となる。福島第一原発の敷地でも微量が検出されて問題となった。(読者に感謝)

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2011年12月14日 (水)

人生意気に感ず「巨大地震近づく。釜石の奇跡。前高OB会」

◇12日の大規模地震対策特別委員会の審議は午後5時近くまで続いた。委員の数が多いこともあるが、大震災の衝撃が今も生々しく続く状況下にあって、議論すべき点が非常に多いからである。

 この特別委員の目的は、今回の大災害を初めとした過去の災害から学んだ事をこれからやってくる大災害に如何に活かすかという事だ。

そのために、過去の災害と、近づくこれからの大災害の両方を見詰めることが不可欠である。

 私は、近づく巨大地震をどう認識しているかを当局に質した。M9とも予想される房総沖地震、首都直下型地震、東海・東南海・南海の3連動型巨大地震などだ。これらが現実のものとなった時、高速交通が発達し、首都圏に近くしかも地盤が強固な群馬は最適な避難地帯となるだろう。その受け入れの対応を研究して備えることを論点として主張したのである。

 又、私は教育委員会に対しては児童生徒に対する防災教育の必要を強調した。ここでは「稲村の火」と「釜石の奇跡」が話題になった。

「釜石の奇跡」は、東日本大震災の中で生まれた最大の朗報であり、今後、模範とされるべき出来事である。これは、群大の片田教授が実施してきた防災教育の成果である。釜石市の14の小中学校の児童・生徒約3千人は瞬時の差で迫る巨大津波から逃れることが出来た。片田教授は、過去に於いて、警報が出されても避難する人は極くわずかだったという調査結果からスタートした。「想定にとらわれるな」、「最善を尽くせ」、「率先して避難せよ」。この3原則を訓練で身に付けさせた。今回、巨大津波を背に、中学生は小学生を導き、高台へ高台へと必死で逃れた。私は、この物語を、現代の「稲村の火」として、副読本を作るなどして、教材として活かす事を提案したい。

◇この日は、過密なスケジュールをこなした。委員会の合間に商工連幹部との市長選に関する会議に出席、委員会終了後は、党の常任委員会、前高県庁OBの忘年会、刀水クラブ記者たちとの懇談会と続いた。

 常任役員会では、政策立案能力向上のための対策などが議論され、私は議会基本条例の中にこれを位置付けることを提案した。前高OBの集いでは県庁内の前高パワーを感じた。現在前高OBたる県職員は522人。私は挨拶で市民科学者・高木仁三郎と鈴木貫太郎に触れた。(読者に感謝)

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2011年12月13日 (火)

人生意気に感ず「原発事故は国家の犯罪。絆。中国船の狂暴」

◇総務常任委員会(12日)で、私は、放射線対策に関して国の原子力政策を批判する、少し思い切った発言をした。委員会では、東日本大震災を踏まえた、群馬県地域防災計画の見直しが議論された。

 風評被害に関して県が素案に示す対策は、「各種モニタリング実施結果等を踏まえ、観光客減少や県産農林水畜産物売り上げ減少等風評被害の未然防止のための広報活動等を行う」と言う簡単なもの。見直し案は、今回の大災害を振り返って反省点を見詰めそこから教訓を引き出すものでなければならない。

 私の発言要旨は次のようなもの。「風評被害の原因には国が事実を隠してつくり上げた安全神話がある。福島第一原発は欠陥を抱えていた。それを指摘する意見を無視してきたといえる。安全神話は国民を騙して作り上げたもの。事故後も事実を隠した。風評被害は国や東電に対する不信が生んだもの。このことを反省し、これを活かして対策を立てねば次の大災害で同じ事を繰り返す」

◇今年の漢字が「絆」に決まった。一年の世相を一文字の漢字で表す、京都清水寺の恒例の行事。過去最高の応募者数だった。次に多い順は災、震、波、助と震災に関する文字が並んだという。絆の1位にはなるほどと思う。私も挨拶などで、何回となくこの文字を口にした。

 絆。広辞苑には、断ちがたい恩愛、離れがたい情実などとある。未曾有の大災害は日本人に心の問題の大切さを気づかせた。戦後の日本人は、物は豊かになったが心は貧しくなったと言われてきた。物欲に走り、金さえあれば何でも出来るという考えが支配した。巨大な地震と津波はあらゆる物を破壊し消し去った。それは、おごれる人間の心に下った天罰のように思えた。人々は、温かい心、人と人との結びつきの大切さを改めて思い知ったのである。

◇韓国近海で違法操業を繰り返す中国漁船の狂暴ぶりは驚くばかりだ。多くの木造船が船団を組んで押し寄せる様は蒙古来襲はかくやと思わせる。韓国側に死者が出た。中国政府の姿勢に問題がある。巨大な権力で、目に余る違法行為をなぜ厳しく取り締まらないのか。海底の石油資源等を求めて中国政府が近隣諸国とトラブルを起こしていることと共通性があると思う。日本にとっても他人事ではない。韓国と連携を密にして中国に対して毅然として立ち向かうべきだ。国を守るという問題である。(読者に感謝)

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2011年12月12日 (月)

人生意気に感ず「群大教授のオウム発言。風評被害。地球外生命近し」

◇忘年会がたけなわである。帰りの夜空に美しい満月がかかる。この月も見る者の心によって異なって感じられるだろう。東北被災地の荒涼とした海岸に注ぐ冷たい月光を想像した。青黒く広がる海面は放射線による汚染を考えれば月の下で動く巨大な怪物に見えるだろう。

◇被災地から遠く離れた所での放射線の受け止めた方は人によって大きく異なる。福島の農家をオウムと同視した群大教授の発言が注目を集めている。「セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米をつくる行為はサリンをつくったオウム信者と同じ」と発言した。学者として放射線の被害を真剣に受け止めているに違いない。だとしても、多くの人を殺害し、13人の死刑囚を出した犯罪集団と同視するのは理解し難いことだ。福島の農家は米のセシウムが基準値以下になることを祈りつつ米作りを行った。教授の発言は同胞たる被災地農民を敵視するもの。大学が教授を訓告処分にしたことは当然だと思う。

◇放射線問題で最も深刻なことは風評被害である。それは、原発に関し国を挙げて構築した安全神話が音を立てて崩れた事と、事故後の国の情報提供に対する不信に起因している。

 県は東日本大震災を踏まえた群馬県地域防災計画の見直し案を作ろうとしているが、風評被害が如何にして生じたかを分析し、そこから最大の教訓を引き出すべきだ。今日(12日)の総務常任委員会でこの点につき発言したい。

◇東京電力は、低濃度汚染水を基準値以下に処理したものを海洋に放出する計画を明らかにし、これに対し漁業団体が猛烈に反発している。東電は環境に影響のないレベルと言っているが、漁業団体は風評被害を恐れている。当然だと思う。

 既に膨大な放射性セシウムが海に流れ込み、魚介類を汚染している。汚染処理水の放水は、海水に対して恐怖を抱く人々の心を説得することは難しい。

◇私が抱く大きな感心事は地球外生命の発見だ。宇宙のどこかに知的生命が存在すると信じている。NASAは、最近、生命に欠かせない水が液体で存在し得る惑星を確認した。地球から600光年離れ、大きさは地球の2.4倍、平均気温は推定セ氏22度。「ケプラー22b」と名付けられた。何十億年の間に生命が発生したら進化しているかも。興味はつきない。(読者に感謝)

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2011年12月11日 (日)

上州の山河と共に」第83回 出馬を決意

実際に行動を起こす段になると、太平洋に小舟で漕ぎ出すような不安な気持ちになる。そこで、今は一人でも、これから同志や仲間がだんだん増えてゆくのだと自分に言い聞かせながら、作業を進めていった。

私は、資料の収集にとりかかった。

前橋高校定時制の同窓会名簿、小学校、中学校時代の学年名簿、中村塾の卒業生や父母達の名簿、妻の教え子達の名簿、そして、私が昔ダンゴやせんべいを売って歩いていた時のお得意さんのリストなど、自分と関係のある人々の資料を可能な限り集め、整理することから始めた。そして、これらの資料からピックアップした一人一人の人を実際に訪問して会ってみることにした。

 これから県会議員になって、県政にたずさわろうと考えているので、御理解、御支援をお願いしたい、と言って他人の家を訪ねることは、大変勇気の要ることであった。特に、面識のない人の場合は緊張した。最初の家の玄関を入る時、私は、足がすくむ思いで、その家の前を何度か行ったり、来たりした後、意を決してブザーを押した。

「突然お邪魔致しまして、中村というものです」

「はあ、何の御用でしょうか」

奥さんは、怪訝そうな顔をして私を見上げている。

「県会議員になって、良いふるさとを創るために頑張りたいのです」

「はあ、そうですか」

奥さんは、まだ不思議そうな表情をしている。

「ここに、私のパンフレットがあります。あとでよく御覧になってください。宜しくお願いします。どうも失礼しました」

丁寧に頭を下げて外に出た私は、ふーっと溜息をついた。この先どうなってゆくのだろう。心細さでいっぱいになった。しかし、もう後へ引くことは出来ない。でも辛棒すれば、そのうちきっと何か道が開けるに違いない。私はこう考えて、一軒一軒同じような行動を続けていった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月10日 (土)

「上州の山河と共に」第82回 出馬を決意

出馬を決意

私は、ついに、県議選出馬を決意した。身内に熱い血が湧いてくるような興奮を覚えつつ、新しい目標に向って、私の人生の再出発の時が本当にやってきたことを実感した。

昭和六十二年の統一地方選挙の一環として行われる県議選まで、一年と八ヶ月程あった。福島浩は、私の決意を聞いて喜んでくれた。そして、彼の人脈の中から、信頼の出来る人々を選んで紹介してくれることになったが、その最初の人物が、町田錦一郎氏であった。町田氏は、青年実業家として活躍している人物であるが、福島浩が最初に紹介しようとするだけに、尊大なところはなく、篤実な人という印象を私は持った。

町田氏は、私の話を聞いて、協力を約束してくれた。

行動の第一歩は、福島浩、芝基紘、そして町田氏と共に、パンフレットを作ることであった。今から思えば、後に大きな流れに発展する源流が、この四人の小さな、そして秘かな行動によって始まったのである。

やがて、苦心の末、パンフレットが出来た。パンフレットの一頁は、恩師、元東大総長林健太郎先生と私が握手しているカラー写真で埋められた。

林先生は、東大総長の任を果たされた後、退官し、この時は、参議院議員をされておられたが、私が県議選に出馬することに賛成しパンフレットに写真を載せることも快諾して下さった。私は、恩師の温かい心に感激し、百万の見方を得たような力強さを感じたのであった。同時に、先生の御恩に報いる為に、どうしても当選を果たし、立派な県会議員にならなければならないと心に誓った。(読者に感謝)

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2011年12月 9日 (金)

人生意気に感ず「粉ミルクにセシウム。障害者と災害。自転車事故。国際戦略。」

◇今日は、今議会で問題となっている事で県民の日常生活に関わりの深いものをいくつか紹介したい。

◇災害時の障害者対応。東北の被災地で障害者の死亡率は健常者の2倍以上。それは、聴覚、視覚に障害のある人は緊急時の情報を受けられないからだ。知的障害者は回りとの対応が出来ずパニックになる例もあり避難所にも居られない場合がある。

 県は、障害者の実態を調査し、地域防災計画の中に要援護者と位置づけ対応策を検討することに。

◇自転車事故が急増している。警察庁は対策につき通達を出した。これは社会の現実に一石を投じる事になった。事故でトップは高校生、次いで中学生。県は事故の事例集を作り配布する。

 車、人、自転車が如何に共存するかの問題。通学路の歩道の整備、自転車道の整備、交通ルールの教育等、課題は多い。

◇放射線に関する最大の問題は食の安全。女性議員が加工食品に関する懸念を取り上げたのは当然と思われた。

 折しも、食品大手の明治の粉ミルク「明治ステップ」から放射性セシウムが検出された。ドラッグストアの中には商品の撤去をした所も。基準値以下で健康に影響はないとされるが母親の不安は広がっている。当然だ。放射線は小さい幼児ほど影響を受ける。ミルクは継続して使用されるもの。加工食品一般に不安が広がることを恐れる。風評被害を抑え消費者を安心させるためには検査を徹底させる以外にない。

◇群馬の「国際戦略」を複数の議員が取り上げた。先月の知事の中国訪問を機に関心は高まっている。盛り上がる東アジア新興国の動きを群馬に呼び込もうとするものだ。経済が低迷し閉塞感にあえぐ本県の状態に活路を切り開くことが目的である。

 3つの柱がある。即ち、観光に於ける誘客、物品の販路拡大、本県からの進出企業の支援である。中でも観光を重視している。今や観光は極めて重要な産業であり群馬は観光立県を目指す。そのための重要な課題が中国を中心とする東アジアからの誘客を進めることだ。

◇首都機能のバックアップ問題も今議会で大きく議論されている。首都直下型巨大地震に備え、その機能を分散させる事は緊急な課題。本県は首都圏に位置し高速交通が発達し災害が少ない。本県の利点を生かす大きなチャンスである。(読者に感謝)

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2011年12月 8日 (木)

人生意気に感ず「北関東、グリーンドーム、県庁舎に太陽パネルを」

◇3日間の一般質問は7日で終わり、あとは常任委員会、特別委員会に移る。今議会でも電力に関する議論がいくつかあった。いうまでもなく3・11以後の電力問題に関するものである。例えば、「電力の自給率向上に向けた取り組みについて」(公明党の福重議員)、「北関東自動車道を利用した太陽パネルの施設に設置について」(自民党、中沢議員)など。

 エネルギーの自給率とか自給自足ということが真剣に論じられるようになったのは、これから原子力発電に頼れなくなるからである。電力の動向は日常生活や経済活動に密接に結びついている問題なので、県民の民様は議会の動きに注目して頂きたい。

 本県の現在のエネルギー自給率は20%強。小水力、火力、風力、バイオ、地中熱、太陽光などによる電力の自給率を、県は、今後目標値を設けて取り組んでいく。

 これらの取り組みは、「3・11」の前と後では大きく意味が異なる。CO2対策にとどまらず、切実な死活問題なのだ。

◇かつて私は、議会で公共物の屋上や壁面を発電所にすべしと発言した。これはソーラーパネルを意識したものだが、これも「3・11」後では、まったなしのこととなった。

 その動きが現れ始めた。その例が北関東道や前橋グリーンドームの壁面である。北関東道に関しては、自民党の県議が知事に質問する予定で通告済みであったが時間の都合で出来なかった。

 北関東道の県内部分約33キロのうち、道路南壁の可能な部分にソーラーパネルの設置を検討する動きだ。9月大沢知事は国交省の道路局長に意向を伝えた。道路を利用するとなると道路管理上の問題などが生ずる。

 前橋市は、グリーンドーム前橋の外壁に太陽光パネルを設置する計画で来年度に工事を行うという。利根川に面したドームの壁面が様相を一変させ、あたりの景観も変えるだろう。

 県は、県庁舎及び県議会棟の南壁もソーラーパネルを設置したらと思う。発電効果もさることながら、県が率先して新エネルギーを生み出す決意を県民に示す意義があると思う。

◇「八ッ場ダム」が検証の全工程を終え、国交相が近く最終判断する。7日の有識者会議では浅間の大噴火の泥流でもダムは破壊されないとした。反対の人たちはダム現場の実情とその歴を見ない。建設に向かい歯車は回り出した。(読者に感謝)

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2011年12月 7日 (水)

人生意気に感ず「3.11を如何に活かすか。柔道の内柴逮捕」

◇昨日(6日)の本会議一般質問では、「3.11」関連の問題が議論され注目された。東日本大震災から9ヵ月近く経過した。世の中の関心度が幾分下がった感がする近頃であるが、これからが冷静に3.11を振り返る時である。ここで主な質問項目は、「県有施設等の電力抑制について」及び、「3.11の大災害からの教訓について」であった。

◇今夏、県有施設の節電はかなり効果を上げた。156の施設で4500キロワット、およそ、6800万円節約できた。質問者は、この成果をこの夏だけのことにせず、今後に活かせと主張する。誠にもっともなことだ。

 活かし方は、この成果・実績を踏まえて、電力会社との電力契約量を見直すことである。暑さに耐えた辛さを今後も続け、冬の寒さも我慢することになる。

 この主張には、単なる節電を超えた大きな意味がある。それは生活スタイルの転換だ。私たちは便利さを求めて過度にエネルギーを消費してきた。止まることを知らない欲望の暴走を抑えねばならない。物質的欲望を追い求めるうちに、私たちの心は逆に貧しくなった。生活スタイルを変えよという主張にはこの流れを変えるという大きな意味が含まれている。こう考えながら私は耳を傾けた。

◇「3.11からの教訓」には、この節電の問題を含めて、様々な問題点が含まれている。先ず、防災対策では、従来の「地域防災計画」の見直しが問われた。知事は、地域に存在する、警察、消防、自衛隊、民間の力、これらを結びつけて、「地域は地域で守る」ことを実現させると決意を述べた。

 危機管理と防災に関しては、群馬の特徴と歴史を活かすことが主張された。群馬は災害が少ないと言われるが決してそうではない。浅間の大噴火や、キャサリン台風をはじめ多くの災害がある。千年に一度の大災害がいつ起きるか分からないことを「3・11」は教えたのだ。「想定外」を持ち出す事は許されなくなった。

◇また、防災避難教育も論じられた。群大の片田教授が7年間も釜石でこの教育に取り組み多くの命を救ったことが例として挙げられた。教育長は、大災害で示した日本人の節度ある態度、地域における助け合いの姿、こういう多くの美点を活かして「学校災害対応マニュアル」を年度内に見直すと発言。災害を教育の場でいかに活かすかは私も5月議会で主張した。

◇金メダルの内柴氏がセクハラで逮捕された。金メダルを目指して心と身体を極限まで鍛えた筈なのに、その緊張の糸が切れたのだろうか。事実なら、日本の柔道に汚点が残る。被害女子も苦しい立場にあるだろう。誠に残念だ。(読者に感謝)

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2011年12月 6日 (火)

人生意気に感ず「ケータイの害と改正条例。消費増税の問題点」

◇青少年のケータイ利用に原則としてフィルタリングを義務づける改正条例が間もなく来年11日から施行される。フィルタリングの原則義務化を定める群馬県青少年健全育成条例の一部改正は、県世論及び私たち議会の強い要望の下で今年5月に成立した。実施を目前にして、ケータイ使用の問題点と改正法の意義をしっかりと受け止めなければならない。

 フィルタリングとは、アダルトや出会い系サイトなどへの接続を制限する機能であり、原則義務化というのはやむを得ない場合に例外が認められることを意味し、やむを得ない場合とは、青少年が仕事をしているためフィルタリングがあると仕事上大きな支障が生じる場合などである。そして、この場合、保護者はケータイ事業者に理由書を提出しなければならない。

◇青少年に関するケータイの弊害が叫ばれて久しい。県議会はケータイ議員連盟を立ち上げてこの問題に取り組んできた。

 この議連の研修会で私たちは次のような事実を知った。「ケータイは電話だと思って疑わない人が多いが、ケータイからインターネットにつながり子どもは有害な情報に容易にアクセス出来る。これは日本だけだ。ケータイはもしもしが出来るインターネットであり有害なアダルトメディアである。インターネットを生み出したアメリカではパソコンから入ってくる有害な情報から子どもを守るために親が様々な努力をしてきた。これをペアレントコントロールという。日本の親もペアレントコントロールが必要だ」

 このような認識の下に県議会は改正条例を成立させた。この改正は大きな前進であるが、フィルタリングの効果は十分とはいえない。県は、保護者、家族が子どもとよく話し合い、ネット利用のルールづくりをすることが重要だと訴えている。

◇消費税のアップと社会保障の充実の一体改革に不退転の決意で臨むと野田総理は表明した。高齢化と少子化が同時に進む中で社会保障費は毎年一兆円も増える。このままでは財政が破綻する。しかし、一方で格差が広がり生活困窮者が増えている現実がある。政府は行財政改革の断行と共に、経済状況好転の施策の推進、低所得者対策などを示さねば増税への国民の理解は得られない。民主党はマニフェストで増税なしと明言した。失政のツケは大きい。(読者に感謝)

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2011年12月 5日 (月)

人生意気に感ず「楫取素彦を萩市と群馬で。映画死刑囚の手記」

◇山口県萩博物館学芸員道迫(どうさこ)氏は、2日、一般質問終了に合わせて県議会を訪ね私と会った。群馬歴史博物館学芸員の手島氏も一緒である。私たちは南波議長に初代県令楫取素彦を没後百年に合わせて県としてきちんと顕彰すべき事を提案した。議長も大賛成であった。

 来年は楫取没後百年に当り誕生の地山口県萩市で記念行事が行われる。道迫氏は展示資料を求めて来県した。多くの資料は県庁舎から直線距離で百米余の浄土真宗清光寺にある。

 実は楫取の生誕地を更に絞ると萩市今魚店町である。今魚店町(いまうおのたなちょう)は、その昔毛利の殿様が魚を扱わせるために設けた町だと言われる。町を映した写真には町並みの彼方に日本海に浮かぶ小島が見える。

 この小さな町内で、今、楫取を顕彰する動きが盛り上がり、今年は、まち角に顕彰説明板が立てられ、その中で、群馬に於ける楫取の活躍を述べた私の一文が紹介されている。町内顕彰運動の中心者中原正男氏と私は連絡を重ね絆を深め、今月20日、私は町内で楫取素彦につき講演することになった。私は本県を代表した心意気で、人づくりと近代産業で群馬の原点を築いた楫取を語るつもりだ。

 議長訪問に次いで私たちは清光寺を訪れた。この寺のスタートは、楫取の妻で吉田松陰の妹である寿子が本願寺門主に頼んで開いた県内初の浄土真宗の説教所である。それだけに寿子に関する資料が多い。寿子の墓は東京の青山墓地にあるが、その長文の墓誌は楫取が書いたもので胸を打つ。清光寺の一室の壁には、その拓本がかけられている。本物は長い年月の風雨に晒され一部不鮮明であるといわれるが、拓本は墨痕鮮やかである。

 43歳で世を去った寿子の生き様は鮮烈で兄松陰をほうふつさせる。幕末、長州の政争に巻き込まれ入牢した楫取を寿子は毎夜更け、獄舎を訪れ獄吏に頼んで食物等を届けたという。

◇私はレジスタンスもの映画が好きだ。娘に勧められ「抵抗(レジスタンス)・死刑囚の手記」を見た(4日)。第二次大戦のドイツ占領下のフランス。死刑を待つレジスタンスの将校、独房の外では銃殺の音が続く。スプーンでのみを作り、ベッドの針金とシーツの布でひもをつくる。空中のひもを伝うシーン。手に汗を握り白黒の100分はあっという間に。私も死刑を宣告されたら命がけの脱走を考えるだろう。脱獄映画の芸術作品である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」連載しています。

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2011年12月 4日 (日)

「上州の山河と共に」第81回 県議選へ向けて

阿部氏は、私の相談に応じて言った。

「ある程度時間をかけて、底辺の有権者に根強く接触する戦法をとれば、面白い結果が出るかもしれない。

 今、政治不信は根強いものがある。

一般大衆は、信頼できる政治家を求めている。それは、この人こそ、自分たちの代表であると実感できる人だ。

 今、民主主義がだめになるかどうかの曲がり角に来ている。民主主義は地方から実現してゆかなければならない。君が選挙に出ることは、大きな意義のあることだ。君なら、きっと上手くゆくと思う。やってみろよ」

こう言って、阿部氏も賛成してくれた。選挙に出るということは、私にとって、全く、未知への挑戦であったから、私は、最悪の状況、条件を想定して、それぞれの場合はどうするかを、日夜、考えていた。

妻ヒサ子は、教員生活を通して、私と同じように子供達の将来に不安を抱き、政治の力によって、教育の正しい流れを作らねばならないと考えていた。また、自ら身体に障害を持つものとして、日常の生活体験を通して、福祉のあり方や社会的平等と言ったことに関心を持っていた。

 従って、私が民主主義の理想をかかげて、政治の世界に入ってゆくことに対しては、初めから基本的に賛成であった。ただ、実際に選挙というものが全く分からないので、その点に不安を抱いていたのである。彼女は、私の中に新しいエネルギーが満ちてくるのを期待と不安の入り混じった気持ちで見守っているふうであった。(読者に感謝)

※土日祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年12月 3日 (土)

「上州の山河と共に」第80回 県議選へ向けて

 家久の言うことは、彼の持論であって、耳新しいことではない。しかし、この時改めて彼の言葉を聞くと、大いに勇気づけられ、私は、胸にかかっていたもやが晴れて、胸の奥まですっきりとしてゆくように感じられたのであった。

 今、自分がやろうとしていることは、民主主義の実現にとって大きな意味のあることだ。また、それは、これまで自分が歩んできた人生の様々な体験を全て生かして、社会の為に役立てることが出来る仕事に違いないと思えるのだった。

 私は、自分の気持ちが広がってゆく中で、更に何人かの人に相談してみた。その中の一人に阿部孝夫氏がいた。この人は、前にも触れたが、駒場寮弁論部の先輩で、私が弁論部に入ったのもこの人との出会いがきっかけであったし、その後も何かと相談相手となってもらい、お世話になっている人である。

 阿部氏は福島県の出身の秀才であるが、都会派の秀才とはちょっと違っていて、東北の風土で身につけたと思われる素朴さと芯の強さを持ち、駒場弁論部のリーダー的存在であった。そして、彼は、学生時代からきちんとした自分の考えを持ち、それをどんな所でも筋道を立てて堂々と主張する論客でもあった。東大卒業後は、自治省に入り、その本領を発揮して頑張っていたが、途中から請われて、北陸大学法学部教授に転じ、現在、執筆活動をしながら、教育、文化と多方面にわたる活動をしている。

 私が県会議員になってからも、阿部氏との関係は蜜で、現在も月一回、東京で阿部氏を中心とした各界の人達との勉強会が続いており、ここから県政への示唆が得られることが多いのである。(読者に感謝)

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2011年12月 2日 (金)

人生意気に感ず「M9近しの報。吉田町の津波マップ。海が届けた小ビン」

2011122日(金)

人生意気に感ず「M9近しの報。吉田町の津波マップ。海が届けた小ビン」

◇「今年12月から来年1月にかけてM9クラスの地震が発生する可能性がある」と専門家が自分のホームページで警告したが、その後そのホームページは閉鎖された。この専門家とは北海道大学大学院附属地震火山研究観測センターの森谷武男氏。同センターは、森谷氏の予測を公式に否定したが、閉鎖前の森谷氏のホームページでは「東日本大震災の地震エコーと似た感じのエコーが観測され、もしこのまま3月11日の地震前と同じ経過をたどるとすれば再びM9クラスの地震が発生すると推測される」と書かれていた。なぜ閉鎖されたのかと疑問が広がっている。

◇学者や専門家が研究の成果に基づいて地震が近いと信じたら発表すべきだ。たとえ空振りに終わってもいい。3.11だって、今になって実は予測していたなどと言う声がある。だったらなぜ発表しなかったのか。多くの人が救われたかも知れない。

 多くの専門家が、現在、日本列島は本格的活動期に入ったといっている。房総半島沖の巨大地震、首都直下型大地震、そして、東海・東南海・南海の連動地震、これらが近いと言われているのだ。

◇これらに立ち向かうために最も重要なことは東日本大震災を教訓として活かすことだ。そのためにはまず、科学の力によって大地の変化を察知して国民に知らせること、次に自然の威力を再認識し想定の範囲を広げて防災対策を立てることだ。

 この点で静岡県吉田町が東大地震研の協力で津波ハザードマップを作ったことが注目される。東海地震が近いとされるが、この町では海抜5mの所に1万7千人が住む。500年前の明応東海地震級の大津波を想定、避難場所、避難の心得、東日本大震災の教訓などを記した。日本で初めての試み。他の手本となるだろう。

◇共愛学園賛助会の理事会に出た(1日)。そこで、私は東日本大震災のことやオウムの終結と関連づけて共愛の宗教教育の意義などを話した。この会場で校長が面白い話をした。十数年前同校新聞部が太平洋に流した小ビンが東北の被災地に流れ着いたというのだ。中には、このビンを受け取った人は連絡して下さいというメッセージが入っていた。早速連絡があった。津波の海が、打ちひしがれた被災地に小ビンを届け新しい交流の仲立ちをした。被災地の人々は海の優しさに勇気をもらった事だろう。(読者に感謝)

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2011年12月 1日 (木)

人生意気に感ず「再審決定と司法の信頼性。全原発廃炉。米の検査」

◇また再審開始決定。当時中学3年の女子が殺害された事件の犯人として逮捕された前川彰司さん。逮捕から約25年。懲役7年の実刑が確定し服役した。出所後再審請求を続けてきた。

 私は再審決定のニュースを聞くたびに不思議に思う。三審制の下で審理を尽くして確定した判決が履えるのだ。再審は無罪とすべき新証拠が見つかったなど特別の場合に認められる。

 再審開始決定を伝える報道写真には再審で無罪となった布川(ふかわ)事件の杉山さん桜井さんの姿もある。布川事件の2人は、強盗殺人罪で無期懲役が確定。29年を経て仮釈放され、その後再審で今年6月無期が認められた。同じく無期懲役で17年半も拘束された足利事件の菅家さんの例は記憶に生々しい。超精密なDNA鑑定で再審無罪となったのは昨年3月だ。

 戦後再審により無罪となった主な事件が7件あるが、そのうち免田事件、財田川事件、松山事件では死刑確定後に再審無罪となった。このような例を知ると冤罪で死刑が執行された者もいるのではないかと誰もが想像してしまう。

 実は、死刑執行後に再審請求がなされている事件がある。08年に執行された飯塚事件。この事件は菅家さんを有罪にしたかつての精度の低いDNA鑑定法の結果を有力な証拠として死刑判決を下したもの。死刑執行後の無罪判決が下れば大変なことになる。

 再審判決が続く状況で思うことは、司法手続きも人間がやる事だから誤りは避けられないという事だ。人権尊重の立場からは、ここで死刑制度に伴う矛盾に突き当たる。死刑制度の存続をめぐり、オウム事件は大きな曲がり角になるのではなかろうか。

◇放射性物質は西日本に迄及び今や日本中が放射線の影響下に入ったといえる。そして近づく巨大地震を考えると原発事故の恐怖は国民の間で漠然と増大している。このような状況下、直接の被災県福島の動きは重要な意味を持つ。

 今年10月福島県議会は県内全原発の廃炉を求める請願を採択し注目された。そして、11月30日、知事は全基廃炉を東電と国に求めることを表明した。

 福島県では伊達市など2地区のコメから基準値を超えるセシウムが検出されたが、知事は基準値以下の検出地・28市町村のコメを検査すると発表。群馬県の農政も今後に不安が募る。(読者に感謝)

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