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2011年11月30日 (水)

人生意気に感ず「妊婦の内部被曝・コメのセシウム。ザスパのグランドの改修。騙されて買った測定器」

◇11月定例議会が始まった(29日)。朝7時半より恒例の群馬会館地下食堂で自民党の朝食会。私は朝食べない習慣なので、野菜、ヨーグルト、コーヒーなどに口をつけ、あとはパックにしてもらって持ち帰りだ。車に入れたまま忘れて古くなってナナの胃袋に収まることが時々ある。この秋田犬も朝食会の一員といえるかもしれない。

◇午前10時、定刻に議会が開始されると、先ず知事が登壇し提出議案の大要を説明するが、その前に「提案説明に先立ち一言申し上げます」という言い出しで、県政の近況を振り返ることが慣例となっている。今回はこれに続けて「誠に多事多難でありました」と述べ、東日本大震災、北関東自動車道の全線開通、群馬DCの成功、つい最近の中国訪問の成果、八ツ場ダムの早期完成の強い要望などにつき発言し、提案説明に入った。

◇提出議案のうち、私が注目するものをいくつか紹介しよう。大きな予算(総事業費3億5千万、今年度はその半分)をつけるのはザスパ草津のホームスタジアムの改修事業。Jリーグスタジアム新基準に適合させるために座席を増やし照明も改善する。

 条例改正がいくつかあるが、原発事故関連として警察職員の特殊勤務手当改正条例案がある。東日本大震災に派遣され危険地区で働く人の1日当りの手当を現行4,600円から44,600円に引き上げるもの。この議会で認められれば、3月11日(地震発生日)に遡って適用される。反対者はいないだろう。

 もう一つ面白い事例として損害賠償の訴えの提起がある。県が訴えを起こすには議会の承認が必要なのだ。大気常時監視自動計測器(つまり放射能測定器)を不当に高く買わされた事に「よる賠償請求の訴。3社から16台買ったが、談合によるものと判明。請求額は3千3百万円余。世間では、不当な額でこの種の機器を買わされる例が増えている。災害便乗だ。その他の議会の状況は追って説明するつもり。

◇気の毒なことだが福島県では相次いでコメから基準値超えのセシウムが検出されている。大波地区に次いで今回伊達市で基準値の2倍超のセシウムが出た。膨大なセシウムが飛散した事を考えると今後も各地で予想される事だ。

◇福島市は、28日、妊婦らを対象に内部被曝の検査を始めた。椅子型のホールボディカウンターで1人5・6分で測定できる。福島県の動きは関心が薄れる本県にとり他山の石。(読者に感謝)

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2011年11月29日 (火)

人生意気に感ず「大阪都構想。1日五百億ベクレルが海に。東電と会う」

◇2011年は災害と政治上の出来事の面で歴史上特筆される年になる。災害とは言うまでもなく東日本大震災の事。そこでは、死者と行方不明合わせて2万人以上の犠牲者を出した大津波と膨大な放射性物質を飛散させた原発事故が発生した。政治上の出来事とは地方の反乱ともいうべき今回の大阪の選挙結果である。

 「大阪都」を創る構想の影響は大阪だけに限らない。実現には地方自治法の改正や特別立法の必要があり、これは国会の仕事である。橋下氏は、既成の政党が国会で協力しなければ次の衆院選・近畿選挙区で維新の会から候補者を出すといっている。

 府と市を一体化させる構想は、大阪で突然生まれたわけではない。2月の愛知県のダブル選挙では県と市を一体化させる「中京都構想」を公約に掲げた知事と市長が圧勝、新潟県でも1月、知事と新潟市長が県と新潟市を合併させる新潟州構想を発表した。「大阪都構想」はこのような動きと今後どのように連動するのか。この動きと道州制はどのように関わっていくのか。国民は、無能ぶりをさらけ出している国会にやきもきし我慢は限界に来ている。大阪ダブル選の結果はこのような国民感情の象徴的現われだ。この影響は各地に及ぶだろう。

◇福島県を流れる阿武隈川から海に流れ出る放射性セシウムの量は1日あたり約500億ベクレルにのぼることが京大、筑波大などの合同調査で分かった。中流域2カ所では1日925億ベクレル、838億ベクレルが観測された。

 福島第一原発の事故で飛散した放射線の総量は広島型原爆の20コ分という指摘の重さを今更ながら痛感する。食の安全の為には魚介類をどう選べばよいか。海底のセシウムは除染できない。深刻な状況は今後も続く。

◇災害対策の1日委員会で東電群馬支店の幹部を参考人として呼び福島第一原発事故に関する県内の問題につき説明を受けた。それは、農産物被害、観光業風評被害に対する賠償状況及び今冬の電力需給見通し等についてであった。震災後東電社員に接するのは初めて。説明と謝罪の姿に切実感があった。この冬の本県電力の供給は大丈夫との事だ。私は計画停電時の混乱を取り上げ地域の実情に合った計画にすべきだったと発言した。この日は、日本オイルターミナル(ガソリン不足は大変だった)、県央水質浄化センター(汚泥の放射線)、玉村の五料橋(路面に段差)を視察した。(読者に感謝

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☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月28日 (月)

人生意気に感ず「ブータン王国。大阪ダブル選。楫取素彦顕彰会」

◇初代県令楫取素彦について、このところ講演したり、私のふるさと塾で触れたりしている。近代群馬の原点をつくった男を今注目すべきだという思いがある。明治政府による強力な中央集権体制が進む中で、人づくり教育や近代産業の基礎づくりなどで地方の特色を発揮するために斬新な施策を展開した。それは地方自治の見本ともいえる。

 山口県萩市で、来年の楫取没百年に合わせて功績を顕彰する動きが盛んである。生誕地・萩市の今魚店町(いまうおのたなちょう)では町内に大きな顕彰説明版が立てられた。

 そこには、群馬県議会議員中村紀雄の議員日記より抜粋として、私の一文が紹介され、私は名誉な事と喜んでいる。私の文には、楫取が日本で最初の廃娼県への道を開いた事、新産業である製糸業の発展に尽力した事、そして吉田松陰との関わりなどが書かれている。顕彰板の縁で今魚店町の人との絆が深まりつつある。12月21日、22日に彼の地を訪ね、群馬に於ける楫取素彦について講演をすることになった。これを機に、萩市今魚店町との楫取が結ぶ縁が深まり、同時に群馬における楫取の関心が高まることを願っている。顕彰板との出会いが楽しみ。

◇国賓として来日したブータン国王夫妻は、暗く沈んだ日本国民の心を一陣の涼風のように心地よくかすめて去った。秘境の国、遅れた国と思っていた多くの日本人は、夫妻のスマートな笑顔に驚いたようだ。九州位の広さで国民の顔は日本人によく似ている。大変な親日国で、世界で唯一チベット仏教を国教とする国。チベット仏教の特色は輪廻転生である。永久に生まれ変わり死に変わる。だからチベット仏教を信ずる者は肉体が死を迎えることは怖くないという。

 人口約70万人の小国がインドと中国に挟まれて存在を続けることは大変な事だろう。政治は全体主義的な伝統を維持している。全体主義とは個人の尊重よりも国家を上に置く体制である。国民総生産ではなく国民総幸福量を問題とし、伝統文化を尊重するために国民に民族衣装を強制するのも全体主義の一環であろう。

◇橋下パワーが大阪ダブル選を制した。私は、選挙をやる者として圧勝を予感した。大阪府と大阪市の二重行政の無駄を指摘し東京都と同じような大阪都を目指すという。橋下徹には、改革児の感がある。2都の存在は面白い。壮大な政治・行政改革だ。2都物語の行方に注目。(読者に感謝)

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2011年11月27日 (日)

「上州の山河と共に」第79回 県議選へ向けて

「政治家への道」

 私は、ある時、妻ヒサ子の休暇を利用して、彼女と共に北海道の友人家勅男を訪ねることにした。妻と旅行するのは始めてのことであり、県議選に関することを夫婦の間でじっくりと話し合う良い機会でもあった。

 家久勅男は、学習塾をしながら医学部に通い、既にインターン生となっていた。

 彼は、私の話を一通り聞き終わると言った。

「僕は大賛成だ。前にも言った通りだよ。決断のときだ」

「金も、組織も、知名度もないのだ」

「そういうところから出ることに意義がある」

「しかし、現実は厳しい」

「選挙の度に思うことだが、有権者の大半は、無関心、投票所へ行くのも半分がいいところだ。この現実を君はどう思うんだ。政治に対する信頼がなくなっているんだ。これでは、民主政治といっても、形だけだよ」

 家久は数年前と同じことを熱っぽく話す。彼の言うことは、もっともなことで、私の考えていることと全く同じだった。

 私がうなずくのを見て、彼は続ける。

「選挙に行かない人には、批判的な意味をこめていかない人と、政治にまったく無関心な人がいると思う。こういう人達に訴えてわかってもらうには、従来のタイプの政治家では駄目だ。一般市民の中から出て行って、一緒に教育や福祉やまちづくりを考えてゆくという政治姿勢が必要だ。大衆は、今、そういうタイプの政治家を求めているはずだ。

 君、やれよ。大いに意義のあることではないか。君なら地でゆけばいい。誠実に、分り易い言葉で訴えれば、きっと分かってもらえる。票はきっと集まると思う」

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2011年11月26日 (土)

「上州の山河と共に」第78回 県議選へ向けて

 教育の目的、あるいは教育観というものを考え直す時が来ている。今の教育は、受験戦争という言葉が象徴的に表すように、受験のための知識の詰め込み競争を目的としている観がある。つまり、生徒本人はもとより、学校や家庭までも、偏差値を上げることが、あたかも教育の目的であるかのように、このことに夢中になっている。

 このような教育環境の中で育てられた子供達には、この難しい社会を自分の力で切り開いていく力、又、これからの日本や地域社会を支えていく力を期待することは出来ない。

 このような教育の現状と比べると、私の宮城村での小学生時代の方が、学校も地域社会も家庭も、教育の本来の方向を目指して子供達を指導していたという気がする。偏差値中心の教育を改めて、教育を本来の姿に戻さねばならない。

 しかし、この小さな教室でいくら汗を流しても、又、声を大にして叫んでも、その効果は微々たるものである。時代に即応した教育を実現してゆく為には、もっと大きな立場から一石を投じる行動を始めなければならないだろう。地域の福祉やまちづくりについても、基本的には同じことが言える。

 このように、いろいろなことが目に付き、気にかかりながら、何かをしたくても出来ないという欲求不満が私の中で高まっていたのだった。福島浩の言葉は、このような私の胸の中で小さな芽を出し、それは次第に根を張って、ひとりでに成長してゆくように思えるのだった。

 私は大いに迷い、悩んだ。そして、迷いながらも、選挙に関する書物を読んだり、その関係の情報を集めたりするなかで、私の選挙に対する関心は一層高まっていった。

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2011年11月25日 (金)

人生意気に感ず「巨大地震の確率90%。3連動は必ず来る」

◇政府は最近盛んに首都機能の一部移転の検討を始めた。目的は、近い将来必ず起るといわれている大地震に備えるためである。群馬は地盤がしっかりして地震が少ない上に交通が発達して東京から近い事もあって対象地の可能性が高いと考えられる。

 首都に大影響を与える地震といえば第一に首都直下型地震である。未曾有の災害を起こした関東大震災は大正12年(1923年)、今から88年前の出来事。次に直下型が東京付近を襲う確率は、「30年以内に70%」と試算されているが、東日本大震災の影響でこの高率が高まったといわれる。

 もう一つ多くの専門家が予測する大地震は房総半島沖地震。これは東日本大地震の巨大な地震域のすぐ南側に当たる。これは、今回の巨大地震が別途誘発するものだというのだ。京都大学教授鎌田浩毅氏は、「今回の地震と酷似する2004年のスマトラ沖地震はその3カ月後にすぐ南の地域で巨大地震を発生させた」事を例にあげ、「過去は未来を知る鍵」と語る。政府の地震調査研究本部は、24日三陸沖北部から房総沖にかけて、今後30年以内にM9クラスの地震が30%の確率で起きると予測した。多くの専門家の指摘を政府が公認した形だ。

◇鎌田教授は「我々がもっとも心配しているのは西日本の太平洋沿岸で必ず起きると予想される別の巨大地震である」と指摘する。教授は、過去の例を資料にしたシミュレーションの結果として、東海地震、東南海地震、南海地震の3連動地震が2030年代に必ず起きると予測する。過去には、3連動が数十秒のうちに発生した例がある(1707年宝永4年)。その状況を想像すると神の怒りかと身の毛がよだつ思いだ。専門家によっては今回の地震が3連動の一つ東海地震を早めると予測する。

 鎌田教授はまた次のように指摘する。「日本全土が本格的な変動期に突入したことは間違いない、今後の日本にとって喫緊の課題は、この3連動をいかに迎え撃つかである」と。(文藝春秋、6月特別号)。そのために、私たちは今回の地震を教訓として活かさねばならない。

◇委員会で県立女子大を視察(24日)。オウムの裁判で結論が出た事をあげて、学園でカルトの動きがあるか質問した。過去に宗教を隠して勧誘の動きがあったが、現在はないとの事。この際、若者たちの心の動きを知りたかった。(読者に感謝)

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2011年11月24日 (木)

人生意気に感ず「赤城はホットスポットが。有識者会議のほぼ安全」

◇東日本大震災から8ヶ月経ったが放射性物質に関する問題は終息どころではない。何しろ広島型原爆20個分の放射線量が飛散したというのだから。そのうちのかなりの量が群馬に落ちた筈だから深刻に受け止めるべきだ。

 22日、知事や市長、町長、議員等が出席して、行政懇談会が行われた。その中で、赤城大沼のワカサギやウグイから基準値を上回るセシウムが検出されたことや放射線に関する有識者会議の結論に関して発言があった。

 県内17の湖沼のワカサギのうち基準値を超えたのは赤城大沼のものだけ。漁協関係者約160人を動員し大量の検体を得て原因を究明することに。大沼周辺に大きなホットスポットがあるのかと私は注目している。

◇放射線の健康への影響を議論するために県が設置した有識者会議は、21日、県内で生活するのであれば、「安全」又は「ほぼ安全」と結論づけた。この事につき私は22日の行政懇談会で発言した。

 それは、このような結論は、限られたデータに基づくものだから県民は信用しないのではないかというもの。そして、サーベイメーターをもっと大幅に増やしたり、食の安全確保のため県と市町村が連携して具体的施策を実施することなどが重要だと発言した。有識者会議の「ほぼ安全」とはどう理解したらよいのか。かつて、官房長官が「直ちには健康に害はない」と語ったのと同じたぐいの発言と思える。あいまいな表現は混乱と不信を生むだろう。

◇放射性物質を含む県や市町村の下水汚泥4900tの処分方法がなく、増えるばかりで困っている。児玉龍彦東大教授は、「私の東大病院の経験では放射性廃棄物はいかなる理由があっても他の施設や自治体では受け入れてくれない」と語る。県は、他県の受け入れを打診したが断られている。

 セメント原料に再利用出来るセシウムの濃度は1Kg当り500ベクレル以下だ。そこで県は濃度の低い汚泥と混ぜて再利用可能なレベルに濃度を下げる実験を始めた。

◇企業の不祥事が続く。オリンパスの不正経理、大王製紙前会長の逮捕、そして、今度は本県の名門企業井上工業の元社長等が逮捕された。オリンパス及び井上工業の件に関しては暴力団の関与が疑われている。苦境を乗り切るために違法な手段を使うと闇社会が入り込む。暴力団排除法の関係が今後注目される。(読者に感謝)

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2011年11月23日 (水)

「上州の山河と共に」第77回 県議選へ向けて

 政治、それは、私が物心ついてからいつも頭を離れない課題であった。定時制高校の時代は、貧しさの中にあって、世の中の不平等に不満を抱きつつ、その環境から抜け出したいと喘ぎながら、この貧しさや不平等は政治と密接にかかわっているに違いないと、素朴な憤りを抱いていた。

 また、東大時代は、そこで学んだ歴史の知識や政治の理念と結びつけて、自分の過去の体験や日々の政治的出来事を真剣に、そして純粋に考えていた。

そして、東大卒業後は、再び故郷に帰り、実社会の現実と接することになったが、ここで出会う色々な社会問題を、かつての少年時代とは違った視点で受けとめられるということが、私にとって新鮮な驚きですらあった。しかし、それらに対して何も行動することが出来ず、傍観者でいる自分が不甲斐無くも思えるのであった。

塾で生徒を教えながら、日本の教育はこれで良いのだろうか、これからの教育はどういう方向に動いてゆくのだろうかと、いつも悩んでいた。

 この頃の子供達は、私たちの子どもの頃とあまりにも違う。ひ弱で逞しさがないのは、高度に発達した文明社会の子どもとしてある程度止むを得ないのかも知れないが、彼らの精神は貧しすぎるような気がする。あまりにも自分中心で、他に対する配慮や思いやりに欠ける子供が多い。

 この子供達は、知識を詰め込んで、他人を押しのけて、偏差値を上げて、少しでも良い学校へ進もうとしている。彼らの行く手には、どんな人生が待ち受けているのだろうか。

 これからの日本を、この子等は支えてゆけるのだろうか。この子供たちを育てている父母達は、年老いた時、彼らに何を期待できるのだろうか。

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月22日 (火)

人生意気に感ず「13人の死刑は何を訴えるか。海底にもホットスポット」

◇前代未聞の特異な犯罪の幕が下りる。オウム真理教の犯罪で13人目の死刑が確定へ。21日最高裁の判決が下された。麻原の逮捕以来16年半。冨士山麓・上九一色村、サティアン、サリン、VXガスなど、今まで耳にした事のない言葉がおどろおどろしい事件の中で躍った。189人が起訴され、死刑13人、無期懲役5人、懲役20年3人、懲役15年3人等々。

◇この犯罪史に残る事件は、様々な問題を私たちに突きつけている。判決が下ったとはいえ、それらは未解決だ。人間はかくも簡単にマインドコントロールされて殺人鬼に変貌してしまうのかと思った。いくら洗脳されたとはいえ、坂本弁護士の幼児を絞め殺すなどよく出来たものと不思議に思う。

 教団を去ったある元幹部は、「派遣切りや引きこもりと、社会は事件当時より悪化している。若い人が捨て鉢になってカルトに居場所を見つけるかも知れない。我々が社会を発展させる段階で失ったものを取り戻す努力をしないと」考えさせられることだ。

◇間もなく年末を迎える。また、10大ニュースをやるだろうが、今年の第一は何と言っても東日本大震災。その中でも原発事故による放射線に関する問題だろう。

 放射線の総量は広島型原爆の20個分といわれる。そして、一番問題となっている放射性セシウムは半減期が30年だから私たちは、これから長くこのやっかいな怪物と付き合わねばならない。しかし、幼い子どもたち、これから生れてくる子どもたちにとっては放射線の影響は深刻なのだから、手をこまぬいているわけにはいかない。

 早急に打つべき手が2つあると思う。食の安全対策と除染である。これらは官民が協力して取り組むべきであるが、第一は行政の課題である。県と市町村自治体が連携して全力を尽くすべきだ。最近、食の安全につき、行政がやっと動き出した。

◇福島第一原発は海に面しているから、飛散した放射性物質の半分は素人考えでも海に入ったと思える。又、陸に積もったものも川に入って海に至るから海水の汚染は深刻ではなかろうか。海は広いから薄められるといわれるが、以前から放射性セシウムは海底に沈積し、海底に住むカレイやエイを汚染するといわれてきた。また食物連鎖で小魚を食べる大型魚の汚染も指摘される。海底にもホットスポットがあるらしい。(読者に感謝)

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2011年11月21日 (月)

人生意気に感ず「オリンパス暴力団に1千億。大王製紙・私物化」

◇オリンパスの巨額損失隠し問題は、日本の企業の信頼性を失う重大事である。損失隠しを迫られた契機は有価証券の価格の記載のルールが「取得価」から「時価」に変わったこと。例えば取得時に千円だったものが下落して時価五百円になったとする。このとき、千円で報告すれば会社の価値を正しく表示しない事になる。そこで新しい会計基準は時価を表示させることになった。オリンパスは千円で買ったものが五百円になったことを明らかにしなければならなくなった。正直に記載すればバブル期の投資の失敗がバレル。これを「飛ばし」と呼ばれる裏技で隠した。このような企業は多いともいわれる。

◇もし、超優良企業のこのような秘密を闇の勢力が握ったらどのように利用するだろうか。暴力団排除条例が各地で作られ暴力団は資金源に増増窮することになった。ニューヨークタイムズ紙で伝える事は衝撃的である。1千億円を超える資金が暴力団に流れたと報じた。

資料は、日本の捜査側に近い人物から入手したという。その資料には、同社が過去の損失隠しなどをめぐり、暴力団から脅かされていた可能性が示唆されているといわれる。東京地検特捜部は捜査を始めたようだ。同様な問題を抱える企業があるとすれば戦々恐々としているのではないか。

 暴力団に関して、暴力団排除条例が全国的に動き出した時期に、日本企業の信頼性に関する事件が重なった。ニューヨークタイムズが取り上げたことは、この問題に世界が注目していることを示す。根が深い問題なので、今後発展するだろう。

◇社会的存在である上場企業の私物化が大問題となっているもう一つの例が大王製紙。創業一族の前会長は106億円という巨額の金を無担保で会社から借り、ラスベガスのカジノで使った疑いがもたれている。

この人物・井川意高氏は小学生の時から飛行機で東京の塾へ通い東大に入ったといわれる。東京地検特捜部は特別背任罪容疑でこの人物を事情聴取している。人生の地獄を初めて味わっているのだろうか。

◇今日21日、オウム真理教13人目の最高裁判断が下される。一・二審の死刑判決が覆ることはあり得ない。オウムから派生した団体の活動は今も続く。会員は1500人もいる。若者の心を引きつけるものは何か。未解決な事は多い。(読者に感謝)

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2011年11月20日 (日)

「上州の山河と共に」第76回 県議選へ向けて

 芳賀は、赤城のなだらかな裾野に置かれた美しい里である。無数の変化に富んだ起伏があり、その先は、関東平野がはるかなもやの中に海のように広がり、その上には、秩父の山々が幾重にも稜線を重ねて連なっている。そして振り向けば、赤城山が山肌の岩まで見える程に近く、大きく迫って見える。

この赤城山の懐で、私は少年時代を過ごしたのだ。その場所は、ここから宗と遠くない所に広がっている。そう思うと、私は、芳賀が一層好きになった。

芳賀は、私が人生の新しい方向を求めて思索を練るにふさわしい場所であり、また、私達家族が人生の再スタートを切るには誠に理想的な環境であると思われた。

芳賀へ移って何年かが過ぎ、私達の生活もすっかり落ち着いて、ゆりは高校生となっていた。そして、我が家の構成員は一人増えて賑やかになっていた。それは、長男周平が生まれていたからである。

 そんなある日のこと、福島浩が会いたいと言う。会うと、彼はいきなり言った。「中村、県議選に出てみないか」

突然の、意外な言葉に、一瞬私は面くらった。

「やり方によっては、勝機はある」

福島浩は、私の目をのぞき込むようにして話し始めた。それは、県議会の情勢、そして、前橋の県議会議員の状況などについてであった。

それは、私にとって、全く未知の世界の話であった。福島浩の話に耳を傾けながら、私は、かつて、東大時代の友人家久勅男が北海道から出向いて来て、政治家になれとすすめた時の話を思い出していた。

 これは、即答できるような性質の問題ではなかった。しかし、福島浩の話は、私の心に大きな波紋を投げかけることになった。

※土日祝日は、中村のりお著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月19日 (土)

「上州の山河と共に」第75回 政治家への道

「中村さんの生き方に共鳴しました。私のような者でよかったら、よろしくお願いします。今すぐゆりちゃんの良いお母さんになる自信はないけれど、まず、お姉さんのつもりで頑張りますからね」

 大崎ヒサ子の声も弾んでいた。

 結婚式は、笠原始郎、久子ご夫妻が媒酌人となって、前橋カトリック教会で行なわれた。

 披露宴は、福島浩の司会の下、質素に、手作りで、しかし楽しい雰囲気の中で行なわれた。

 ここに、私の第二の人生が始まったのであった。そして、新しい生活は、過去を切り離した新しい環境で始めなければということで、私たちは、長年住み慣れた西片貝の地を離れて、緑したたる赤城のすそ野、芳賀の地へ移ったのであった。

 政治家への道 

 

「県議選へ向けて」

 芳賀とは、旧芳賀村のことで、前橋市に合併した後も、この地域を芳賀と呼んでいる。この地区は、五代、端気、鳥取、勝沢、小神明、嶺、小坂子、金丸、そして、高花台の各町から成り立っている。

私達は、高花台二丁目のある家が転勤の都合で空くというので、一年程そこを借りて住み、その後鳥取町に移り、現在に至っている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月18日 (金)

人生意気に感ず「オウムの終結近づく、空前の死刑。裁判員制の合憲判断」

◇かつて日本の治安の良さは先進国で奇跡的といわれた。その安全神話を崩したのが地下鉄サリン事件だった。オウム真理教は他に松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件など多くの事件を起こし、麻原彰晃以下11人の死刑が確定し、一、二審で死刑判決を受けている同宗教元幹部の上告審判決が、18日・21日に下され、16年半に及ぶ裁判が全て終結する。

 オウム真理教が起こしたこれらの事件は、病める日本を象徴するかのようであった。事件関与者の多くは高学歴者だった。最高の学問を納めたというが、それは単に知識を頭に移しただけで、人生の役に立たない根なし草のようなものだと多くの人々は思った。その意味でこの事件は、教育の目的は何かを改めて問う契機となった。

 又、この事件が現代の日本に突きつけたもう一つの大きな問題点は宗教とは何かだった。今日の日本の社会には宗教的基盤がないに等しい。学校でも宗教の意義を教えない。オウムに入った人たちは宗教につき無菌状態だったのではないか。今日の状況は日本が敗戦によって伝統を断ち切った事の一つの結果だと思う。間もなく、残された2つの最終の判決が下る。死刑は免れない。

犯罪史上空前の死刑判決がそろった時点で、マスコミはこの事件を改めて大きく報じ、私達は死刑制度に向き合う事になる。19日の「ふるさと塾」では、オウムを頭の片隅に置きながら、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教につき語るつもりだ。

◇裁判員制は合憲だという最高裁の判決があった(16日)。この制度が平成21年に始まった時、法律に全く素人な市民が刑事裁判に参加することに国民の間に大きな不安があり、制度の意味が分からないという声が多かった。

 本県初の裁判員裁判は21年12月8日に始まり前橋地裁前では266人が傍聴券を求めて列を作った。この中に制度は憲法違反だと抗議する人の姿があった。私もブログで民主主義が根づき教育が普及した社会でなければ、裁判員裁判は人権侵害になる恐れがあると書いた。

 今回、最高裁は、裁判所による裁判を受ける権利を侵害するという主張に対して、裁判員と裁判官の協議で良識のある結論を期待できると判断した。しかし、制度の目的を達成するには相当の期間と努力の積み重ねが必要と述べた。私の指摘と共通な認識が見える。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月17日 (木)

「アラブの嵐・ジャスミン革命・不思議な民族」

◇今年最後の「ふるさと塾」は今年19日(土)午後7時、前橋市総合福祉会館で行われる。私が講師で歴史を語る。振り返ればよく続けたなと感慨が湧く。今回は、「あらぶの嵐」と題して、「ジャスミン革命」と「イスラエル、パレスチナ問題」などを扱う。早朝走りながらも構想を練っている。誰でも無料で参加可。

 民主主義は世界の大きな潮流だが宗教の激しい対立、大国のエゴ、教育の遅れなど複雑な要素が絡むイスラムの世界では長く一党独裁制が続いてきた。この地域はドラマチックな歴史の展開を繰り返してきた。独裁政権を揺るがす変化も、ある日ドラマチックに起きる。

 アフリカの一小国チュニジアで昨年末に始まった民衆の反政府デモは、国を代表する花・ジャスミンの名をとってジャスミン革命と呼ばれるが、一青年の焼身自殺を契機に火を吹き、遂に長期独裁政権を倒した。

 21世紀はインターネットの時代である。チュニジアの変化は、同様な矛盾を抱える他の国に直ちに飛び火した。エジプトのムバラク、リビアのカダフィが倒された。塾では、スエズ運河を国有化しアラブの英雄と言われたエジプトのナセル、いかれた独裁者リビアのカダフィの事にも触れる。

◇アラブの嵐の核心には常にイスラエルとパレスチナの対立がある。ユダヤ人は不思議な民族だ。2千年の放浪と苦難の歴史を経て神に約束されたと彼らが信ずる地にイスラエル国を建設した。ナチス・ヒットラーによる大虐殺・ホロコーストから3年後のことだ。この地に長く住み続けたアラブ人にすれば、今更大昔の神の約束を持ち出されたのではたまらない。アラブ諸国とイスラエルの間で戦争が起きるのは当然だ。難民となった人々の中から自爆テロで抵抗する若者が出るもの分かる。

 アラブは何度戦ってもイスラエルに勝てない。イスラエルを常に強力に支えるのはアメリカだから、アラブの憎しみはアメリカに集中する。01年9月11日の同時多発テロは世界を震撼させた。国民に反撃を宣言するブッシュは十字軍だと叫んだ。「塾」では、争いの根底にあるキリスト教とイスラム教の対立にも触れる。

◇怖い夢を見た。髪を振り乱し私に何かを訴えようとする老婆の顔は正しく亡き母であった。私の心に悩みがあった。母の姿は勇気を出せという私の心の叫びでもあった。翌朝未明に飛び出してある人物に会った。道は開けたのである。(読者に感謝)

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2011年11月16日 (水)

人生意気に感ず「美術展で心の充電。放射線は全国に」

◇群馬県美術展を見る(15日)。青空の下、のどかな陽光を受けて群馬の森の静かなたたずまいは、ここが、文化の拠点であることを訪れる人に語りかけているようだ。森に囲まれて近代美術館と歴史博物館の建物が並ぶ。喧騒の日常から抜けて別の世界に踏み込んだ感じだ。

 絵画では、日本画、洋画両部門に力作が並ぶ。ふと足を止める作品がある。それぞれの作品はみな何かを訴えている。足を止めるのはそれを自分の内なる力が受け止めた時だ。

 洋画の部のある作品の前で立ち止まった。谷川岳であろうか峨峨とした偉容を背に古い農家が描かれている。失われつつある日本の山村の原風景で安らぎを覚える。ははあーとひらめくものがあり作者を見ると、私の後援会幹部のSさんであった。画題は「風光る里」。入選したと聞いていた。久しぶりの美術館の一時で心の充電が果たせたと感じた。

◇放射性物質が西日本や北海道にも広がっていると報じられた。改めて福島第一原発事故の想像を絶する規模を感じる。日米欧の研究チームがシミュレーションの結果を示した。研究チームは直ちに人体への影響はなく、除染の必要もないとする。ただし、放射能放出量が最も多かった筈の事故直後、3月19日まではデータがないので解析の対象に含まれていない。そこで、実際の沈着量は、今回の分析より多い可能性が高いという指摘もなされている。

 児玉龍彦東大教授は7月27日衆議院で参考人として発言して以来、膨大な量の放射性物質の総量を問題にしてきた。「福島第一原発事故によって放出された総量は広島型原発20個分に当たり、それらは、大気・水・土・家畜・人体など自然界のあらゆる領域で拡散したり、濃縮されたりして循環していく」というのだ。

 これが事実とすれば、放射性物質の飛散領域は、長野・群馬の県境に止まらず、今回の報道のように全国的に広がっていると見るのが私たちの感覚にも合致する。

 私は、今94歳のある老医師の言葉を思い出す。広島の原発で被ばくしたこの人は、当時広島の病院の軍医だった。彼は言う。これからは、どこへ行っても放射線から逃れられない、放射線と共に生きていく時代になった、正しい生活習慣によって放射線に対する抵抗力を身につけることが一番重要だと。この点はなるほどと思うが放射線を受け入れてしまって、恐さを忘れることは許されない。私たちは忘却の達人だから。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月15日 (火)

人生意気に感ず「給食の放射線の毎日検査。汚染土処理技術の発見」

◇群馬県には高濃度の放射線の帯が延びる。局所的に線量の高いいわゆるホットスポットが各地で見つかっている。計測器を行政が貸し出すなどして人々が発見に努めればその数は更に増えるに違いない。

 人々が放射線を恐れるのは健康を害する危険があるからだ。被曝には内部被曝と外部被害があるが、影響が大きいのは放射性物質が体内に入る内部被曝で、それは主に食物を通してなされる。かつて「食の安全」は農薬などに関して議論されたが、今日は、放射性物質の汚染が食の安全の最大の課題となった。

 食の安全を確保するにはどうしたらよいか。市民は暗中模索の状況で不安を抱く。イオン、イトーヨーカドー、ダイエー、西友、ユニーなどのスーパー大手は自主検査を行って市民の不安に応えようとする。しかし、効果は微々たるものだ。食の安全対策の基本は国や地方自治体の行政が本腰を入れてやらねばならない。

◇自治体の施策として注目するのは、前橋市が計画する学校給食の毎日検査だ。生徒がその日に食べる調理済み給食について、食品放射能測定器によって毎日検査する。

 約300万円の測定器は、私の地元、芳賀の五代町の共同調理場に本年度に設置する。市には8ヵ所の共同調理場があるが、他の7調理場からも調理したメニューを五代町に運んで検査する。他の自治体では富岡市が10月から月2回ほど調理済み給食の検査を始めている。

 前橋市教育委員会の試みは市民の食に対する不安を解消するために効果的だと思う。県として他の自治体が同様な検査体制を実施することに援助を与えてはどうか。調理済み給食の検査に限ったことではない。食の安全を守るために、県は県下の全自治体を指導し、又は協同して早急な対策を進めるべきだ。技術の国日本には食の安全を守る手段はある。これを活かさずに人々の健康を危険に晒すことは行政の怠慢である。

◇汚染土壌から放射性セシウムを比較的簡単に除去することに京大准教授らが成功した。最先端の科学から生まれた怪物は、科学の力でからめ捕らねばならない。汚染土を特殊のザルで洗って88%のセシウムを水に移し、残りのセシウムは粘土に吸着させる。水と粘土のセシウムは固化させる。除染に伴う最大の課題は除染後の汚染物の処理だ。日本の技術力なら他にも方法は見つかるだろう。大学と企業が連携すべきだ。(読者に感謝)

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2011年11月14日 (月)

人生意気に感ず「原発事故現場の公開。除染に見る自治体の見識」

◇福島第一原発の敷地内が、12日、事故後初めて報道陣に公開された。際限なき羅災者を発生させ、今後の日本の運命にも重大な影響を与える事故の現場は国民にとって最大の関心事。国民には憲法で保障された知る権利がある。事故後8ヶ月が経過した。公開は遅きに失した感がある。

 新聞の伝えるところによれば、原子炉建屋は厚さ1mのコンクリートの壁がぼろぼろにはがれ、外部から電気を送る送電線の鉄塔がアメのように曲って倒れ、そこでは全面マスクで防護した多くの作業員が黙々と工事を続けている。作業員は平日3000人といわれる。戦場のさながらの凄さを想像する。作業員にとって放射線は降り注ぐ敵の弾丸である。事態の収拾はこの人たちの肩にかかっている。建物の壁は、ありがとう、がんばってと、作業員に向けた激励文で埋められて、色紙の折鶴が飾られている。危険の中にいる作業員に対する祈る思いが伝わる。厳しい批判の目が向けられる事故現場に熱いドラマが展開されていることを知る。現場で指揮を執る所長は3月11日から1週間で死ぬだろうと思ったことが数度あったと語る。このような報道に接し、私は、事故の深刻さを改めて認識すると共に、国民が復興に心を合わせる必要を痛感する。

◇文科省の調査によれば本県には放射性セシウムの高濃度汚染帯が広がる。県は8月から9月にかけ、防災ヘリで県全域の状況を調べた。各地の詳細は市町村が行っている。

 福島第一原発の事故の現場が落ち着く方向にある現在、最大の関心事は蓄積したセシウムの除染である。住民の生活と密着する市町村にとって大きな課題だ。

 12市町村が国主導の除染を行う意向だ。それは、高崎・桐生・沼田・渋川・安中・みどりの各市、下仁田・中之条・高山・東吾妻の各町、高山・川場の各村だ。又、12の市町村が行わない方針を示している。

 注目されるのはそれぞれの理由である。風評被害を恐れてしないところと観光への風評被害を心配しながらも除染を決めた自治体と別れる。高濃度汚染地域で小さい子どもを持つ母親は除染を強く望む。住民の健康と風評被害を秤にかければどちらが重いか明らか。風評被害を克服するためにも除染が得策ではないか。自治体の民度と見識が問われる。(読者に感謝)

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2011年11月13日 (日)

「上州の山河と共に」第74回 大崎ヒサ子との出会い

 大崎ヒサ子に初めて会った時、私は、そのさわやかな人柄に感動した。あの宮城村の少女の時代から、これ迄に、辛いことや苦しいことが多かったに違いない。

 それらを乗り越えて必死で生きてきたのだろうが、それを表に表わすような気負ったところは見られず、暗さも全く感じさせない。これらは、彼女のそれまでの生き方の凄さの証明のようにも思える。私は、彼女が教壇に立って多くの生徒に教えている姿を想像した。そして、真っ白な包帯にぐるぐると巻かれた手と明るい笑顔を見ながら、この人も、私と同じような真剣勝負の人生を生きてきたのだなと感じたのであった。

 宮城村のこと、そして共通の教え子のこと、これらについて話している時、私は、大崎ヒサ子と以前から知り合いであったような錯覚に陥ることがあった。そして、お互いが、その人生観、価値観をよく理解し合えるように思えるのであった。

 私はいつしか、出来ることなら、第二の人生を大崎ヒサ子と共に生きてみたいと考えるようになっていた。

 ある日、ゆりと母を交え、四人で食事をしたことがあったが、その時以来、ゆりは、自分のお姉さんが出来たような気になって喜んでいた。

 ある時、私が墓参りに行く話をすると、大崎ヒサ子も一緒に行きたいと言う。

「千鶴子さんは、辛かったでしょうね」

花をたむけながら、大崎ヒサ子は言った。

 緑の芝生に囲まれて、墓石は何事もなかったように静かに立っていた。

 それから間もなくのこと、私と大崎ヒサ子は結婚の合意に到達した。ゆりも母も、大喜びであった。(読者に感謝)

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2011年11月12日 (土)

 第73回 大崎ヒサ子との出会い

 私は、福島浩に、この人のことをそっと聞いてみた。彼は、私が宮城村を離れた後も、ずっと宮城村に住んでいたから、宮城村のことは何でも知っていた。彼の話によれば、この女性は、やはり私が昔見かけた少女であり、手の包帯は、三歳の時囲炉裏に落ちて火傷をしたのだという。そして、この人の父親大崎茂氏は、宮城村役場で長く収入役を勤めた人物で、村でも人望のある人だという。

 私は、再婚ということとは別に、この大崎ヒサ子という女性に興味を持った。そういう気持ちで振り返ってみると、今迄も、時々、塾の生徒の間でこの人のことらしい話題が交わされていたことに気付くのであった。

 学校と塾との間には、一種の対抗意識のようなものがあるから、生徒が学校の先生について話していることには自然と注意が向く。生徒たちが時々話題にしているのは、英語の女性教師のことであり、そして、めったに先生のことをよく言わない彼らが、大変好意を持って話しているという点が私の注意をひいていた。彼らの多くは、小学生の時は、亡き妻が可愛がっていた子ども達だったことを考えると、何か不思議な気もするのだった。

 ゆりに話すと、しばらく写真を見ていたが、

「お母さんにちょっと似ているみたい。お父さん、会ってみたら」

ゆりは、真面目な顔で言うのだった。

 後日談になるが、ゆりは、二十三歳になった今でも、事情を知らない人から、

「ゆりちゃんは、お父さんより、お母さんの方に似ているね。」

 と言われることが良くある。

 ともあれ、写真を見てのゆりの第一印象は良かったらしい。

 このようにして、大崎ヒサ子との運命的な出会いが実現することになった。

(読者に感謝)土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月11日 (金)

人生意気に感ず「旅荘塚越屋七兵衛で楫取素彦と鈴木貫太郎を語る」

◇群馬県飼料商組合の伊香保の講習会で講演を行った(10日)。題は「群馬の原点を語る」。内容は初代県令楫取素彦と日本を救った宰相鈴木貫太郎について。70分間であるが中味の濃い話しが出来たと思う。「今、大変な国難の時期にあり、群馬の原点を見詰めることが大切です」と前置きして始めた。ふるさと塾のように映像を使った。その粗筋をここで紹介する。

◇話は、山口県萩市で今年8月楫取百回忌の法要が行われ、生誕の町・萩市今魚店町(いまうおのたなちょう)では楫取顕章の説明板が立てられそこには、私の文が書き込まれた事から始まった。私の文には、楫取素彦が初代群馬県令として、近代産業興隆の基礎をつくったこと、また、吉田松陰との関わりなどが書かれている。文末には群馬県議会議員中村紀雄の議員日記より抜粋とある。

◇廃娼運動は明治初期の刺激的な社会状況を背景にして起きた。発端にはペルー船籍の奴隷船マリアルーズ号事件がある。明治政府は大胆にも多数の清国人を解放したが、ペルーとの間で国際裁判になった。ペルー側は、何と女郎の証文を法廷に出し、日本には過酷な奴隷制度があると迫った。世界に対する対面を重んじた政府は、急きょ太政官布告で娼妓解放を宣言。これが新時代の清新な風起こる上州の若者の心を刺激した。

 遊廓の存在は教育環境に害となり若者の勤労精神を蝕んだ。かつて松下村塾を支え、今、群馬の県令として教育と新産業に思いを致す楫取にとりこれは看過出来ぬ事であった。一方、米国から帰国した新島襄の感化でクリスチャンとなった県会議員湯浅治郎は青年たちと呼応して県議会で廃娼を進めた。これら諸力の働きで群馬は全国初の廃娼県の金字塔を建てた。群馬の原点はたぎる時代にあった。

◇楫取が群馬の県令となったのは明治9年、鈴木貫太郎の父が群馬県庁に職を得たのは明治10年である。この父は他県にもチャンスがあったが我が子のため、教育に力をいれる群馬を選んだ。貫太郎が学んだ前橋市の桃井小学校の校庭には、今でも貫太郎の言葉「正直に腹を立てずにたゆまず励め」を刻んだ碑がある。

 昭和20年8月2発の原爆が投下された直後の御前会議ではなお本土決戦を叫ぶ人々がいた。宰相鈴木は機敏に聖断を得て会議をまとめた。軍人鈴木の見事な行動は日本を救った。会場には若い人が多くいたが皆熱心に私の話を聴いてくれた。(読者に感謝)

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2011年11月10日 (木)

人生意気に感ず「TPPの前に。オリンパス。大王製紙」

◇野田首相はTPP交渉参加の決意を固めているようだ。太平洋を囲む地域で関税を原則的に撤廃することでお互いの貿易拡大を図ろうとするもの。関税が0になれば、安い物品が入ってくる。関税によって守られている産業は大打撃を受ける。その典型が農業で、壊滅的影響を受けるとされる。

 本県農業への影響額を試算すると、農業産出額の減少は、780億円。例えば米は、農家が自家飯米や縁故米として利用する数量を除きすべてが安い外国産に置き換わると見る。

 今の日本の農業はTPPを別にしても危機に瀕している。高齢化、後継者難で耕作放棄地や遊休農地が限りなく広がっている現状がそれを物語る。農業政策の失敗の結果である。

 こんな状況下でTPPに参加すれば壊滅的打撃となるのは火を見るより明らか。TPP来襲は日本の農業にとって正に何百年に一度の津波である。津波対策が必要なように農業革命を断行すべきだ。国はTPP参加に耐え得る農業改革の筋道を国民に示すことを先ずなすべきではないか。津波を前にただ騒いでいる。

◇オリンパスの損失隠しは、一企業の問題に止まらない。日本を代表するようなハイテクの企業が会計上の不正を犯した。世界の投資家が投資するか否かの判断材料は正しくなければならない。巨額の損失を隠したことは、会社の価値を実際より大きく表示した事を意味する。上場企業に関しては監査も厳しい筈なのに、承知しながら見逃したのか。株主総会で全株主を欺いた事になる。バブル崩壊後の時価会計制度導入に伴う窮余の偽装だから他の企業にも同様の問題があるかも知れない。世界の投資家は疑いの目で、他の日本企業を厳しく見るだろう。失われた信頼を取り戻すことは難しい。オリンパスの事件を機に世界の投資家が日本の企業に寄せる視線は巨大な津波のようなものだ。一難去って又一難、日本の国難は尽きない。

◇製紙大手の大王製紙前会長の子会社からの巨額借入事件も不可解だ。カジノに使うためのこの借金は106億を超える。特別背任容疑だ。上場企業なのに会社を私物化。それをチェックできなかった取締役会や監査役会。前会長は小学生時代から飛行機で東京の学習塾へ通い東大に入ったとか。創業者の祖父はボロ服、リアカーで古紙を集めていた人。金持ちは3代続かない。日本の今日の姿に似る。(読者に感謝)

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2011年11月 9日 (水)

人生意気に感ず「成都・西安の対日感情。災害が日中友好に果たした役割」

◇中国視察に関して、これ迄、この欄で書いてきたが書きたい事は尽きない。四川省成都の主な調査目的は四川大地震であったが、ここと陝西省西安についての共通の関心事として対日感情の問題があった。成都と西安では、昨年10月16日大規模な反日デモがあった。それは、尖閣諸島沖の中国船衝突事件に関するものだ。日本では船長釈放に対して政府の弱腰外交が激しく批判されたが、中国では船長逮捕に対する抗議の嵐が吹いた。その時の内陸部成都、西安の学生の動きが特に報道された。

 成都では2千人の学生が集まりイトーヨーカ堂などを囲み「日本製品を買うな」、「釣魚島を守れ」などと叫んだ、また、西安では、7千人の学生が「釣魚島は中国の領土だ」と叫び日本の国旗を燃やす動きもあった。

 しかし、今回の訪中で両市の対日感情は非常に良いと感じられた。両市で一年前に激しい反日デモがあったとは信じ難い雰囲気だった。私は、両市で早朝、まちを走り、走りながらコンビニで買い物もしたが、私を日本人と知ったらしい中国人からは、険悪な視線は感じなかった。

 それは集団で商店街を歩いた時も同じであった。又、西安外事学院は、講堂の壁面に熱烈歓迎群馬県議員団の赤い文字を表示して私達を迎えたし、この大学で教える友人角田さんの話では日本の大震災後、学園内で、いち早く日本へ義援金を送る運動が始まったとの事だ。

◇東日本大震災が中国人の感情に好影響を与えた事が考えられる。ここで、四川省人民政府外事弁公室の黄功元氏が語った事が思い出される。黄氏は、日本人が大災害に際し秩序を守り冷静だったことに感動したこと、またまっ先に救援に駆け付けてくれたと振り返っていた。約3年の間に計らずも両国で起きた巨大地震は、それぞれの国民性を顕在化させそれをある程度接近させる役割を果たした。

 西安人民政府との会見の状況も同様だった。西安日報が熱烈歓迎の様子を報じたのは事実の通りだった。私が、日本は大変な災害に見舞われたが必ず復興を果たしますと語ると、幹部たちはしきりに頷いて拍手したのである。会見の後は合同で写真をとり、テーブルを囲んで食事を共にしながら会話を楽しんだ。私が有意義な心の交流が出来たと実感したのは遣唐使以来の交流の歴史を語った時だ。西安市副市長の張会彬氏は私の発言に応えて、群馬県と西安市はたくさん協力する領域がありますと嬉しそうに話していた。(読者に感謝)

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2011年11月 8日 (火)

人生意気に感ず「一人っ子政策の破綻。中国の深刻な子ども事情。孔明の出師の表」

◇先月31日、四川省成都をバスで移動しているとき異様な光景にぶつかった。大変な数の子どもと大人があたりを埋めている。ガイドの説明では小学校に迎えに来た親と合流した子どもたちとのこと。1人っ子政策の下、親は1人の子を大切にする。王子・王女なのだ。キレイな身なりの子どもたちにかつての中国社会を建設した逞しさを期待するのは無理だろう。子どもの誘拐も多いという。

 一人っ子政策は破綻しつつある。過保護に育った子どもたちが将来多くの高齢者を支えることは無理である。更にこの政策は多くの無戸籍者を生んだ。その数は1300万人に達する。政策に違反すると多額の罰金を支払わねばならないから戸籍にのせない。無戸籍者は平等な法律の保護を受けられないから悲惨だ。教育の危機と言うべきだ。

◇もう一つ、最近の子どもの深刻な実態がある。麻(まー)さんの自慢話の中に、都会へ出た若者は田舎へ戻らない、田舎の父母は都会を嫌って出てこないというのがあった(昨日のブログ)。実はこの話の背後に留守児童の問題がある。その数は5800万人に上る。都会に働きに出る人々が田舎の父母に預けている子どもたち。

 離ればなれの生活は親子の絆を弱め子どもの教育環境を悪くする。働きに出たまま、何年もふるさとに帰らない親が多いという。中国の伝統的な農村社会と比べ、急速に発展を遂げた都会は、全く別世界だ。長く暮らすうちに親の価値観も変わるだろう。

 中国の農村地帯は若者が少なくなり高齢化が進む中で人間関係が希薄化し崩壊しつつあるに違いない。麻さんが古里の黄土高原の生活を語る姿に淋しさがにじんでいたように感じられた。

◇今回の中国視察で私は初めて内陸部を見た。そして格差の実態を考える機会を得た。中国は共産党が指導する社会主義の国。社会主義の基本は平等である。格差は平等を打ち壊す。かつて走資派(資本主義に走る一派)打倒を掲げて文化大革命を起こした毛沢東は、中国の変貌振りを天国でどのような思いで眺めているであろうか。

◇四川省はかつての蜀の国。店頭で、竹片をつなげた「出師の表」を買った。諸葛孔明が出陣に際し書いたもの。これを呼んで涙しない者はないといわれてきた。女性ガイド王さんの説明に心を打たれて買ったが今読んで胸が熱くなる。改めてブログで紹介するつもりだ。(読者に感謝)

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2011年11月 7日 (月)

人生意気に感ず「ガイドが語る中国社会。宦官の髭。西安日報に載る」

◇中国視察から帰って、今、ガイドの話を楽しく振り返る。そこには中国の社会を知る重要な手がかりがあった。黄土高原出身の麻(まー)さんは大変頑張って西安の良い大学に入った。それは、東京大学に入るより5倍位難しいことで、私は有名になったよ、大学を出て親に28インチのカラーテレビを贈ったら村中が見に来た、私は大変親孝行なのです、と素朴な風貌の巨漢は自己紹介から始めた。

 麻さんの話によれば若者は都会に出ると田舎に戻らない、田舎の親は都会を嫌って出てこないという。高齢化の中で取り残された地方の姿を想像した。それは中国が直面する都市と農村の格差をも物語ることだろう。

 中国は現在、凄い建設ラッシュだ。沿道にはマンションの高層ビルが林立する。それを指さして麻さんは話す。あれは高いよ、あれを買えないと結婚してもらえないので、若者は父方、母方の祖父母からも借金してマンションを手に入れるのです、そして結婚出来ない若者は多いのですと。

 中国でも高学歴化に伴い非婚化晩婚化が進んでいる。その上に、長い間の一人っ子政策の影響がある。少子化と高齢化に伴う日本と同様な問題が、より深刻なかたちで一挙に進むのではなかろうか。

◇話題を変えて、西博物館での事。宮廷の群像の絵の前で、麻さんはあれは宦官ですと指さす。宦官とは奥御殿につかえる去勢された役人のこと。なぜ分かるのと尋ねると髭のない顔つきとあの匂い袋だと答えた。絵の中の人物は腰のあたりに小さな丸い袋を付けている。宦官は男性ホルモンが少ないので髭がない、男根切断のため小用が不便で臭いがするというのだ。去勢手術の危険性についても聞いた。時代を遡れば多くの殉死もあった。華やかな宮廷の裏面には怪奇な人権無視が横たわる。権力が極度に集中する弊害の原点ともいえる。

◇私たち議員団と西安市幹部との会見は意外に大がかりであったが、11月2日の西安日報で詳細が報じられた。そこでは、張会彬氏が長安以来の歴史を語り群馬県と西安市はたくさん協力する領域があると述べた事、中村先生は日中両国は一衣滞水の関係でこれを機会に経済文化の交流をますます深めたいと表明したことなどが記されている。なお、この席で中国の当日夜の宇宙船打ち上げの話が出たので、私もハヤブサの快挙とそれに群馬の企業が関わったことを話した。(読者に感謝)

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2011年11月 6日 (日)

 第72回 大崎ヒサ子との出会い

 中村塾の生徒は、大部分が桂萱中から来ているが、もしかしたら、うちに来ている生徒達は、この先生に教えられているのかもしれないと、すぐに思った。実は、そのとおりであって、後にいろいろなことが分かってくる。

 私は一枚の写真に見入っていた。理知的な目とかすかに笑みをたたえた口許は、やさしい中にもきりっとした新鮮な雰囲気をつくっている。

 私の目は、椅子の肘掛けの上に無造作に置かれた彼女の左腕に焼きついた。真白な包帯が指先までぐるぐると巻かれている。

 私は、それをじっと見ていて、はっとひらめくものがあった。宮城村の出身、腕の包帯この風貌・・・・・あの女の子がこんなに立派に成長したのだろうか。私は、宮城村時代のはるかな思い出に記憶をさかのぼらせていた。

 前にも触れたが、宮城村の小学校に通う途中でよく見かける少女がいた、目がぱっちりとして利発そうなだけに、ぐるぐると手に巻いた白い包帯が痛々しく目に付いた記憶がある。宮城村を離れて以来、長いこと思い出すこともなかったが、今、目の前の写真をみてると、あの少女の姿が長い時のトンネルを越えてあざやかによみがえって来るのだった。私は、不思議な思いにかられて写真を眺めていた。

 母の話によれば、母から私の写真と身上書を受け取った銀行員は、それを銀行内のいろいろな人に見せたらしい。それがどうゆう経路を辿り、どういうふうに話が進んだのか分からないが、大崎ヒサ子の写真が私のところへ届くことになったとのことであった。

 その後間もなくわかったところによれば、私の写真と身上書は、東和銀行に勤務していた笠原始郎氏の手からその奥さんの笠原久子さんの元に届き、その友人として笠原家に出入していた大崎ヒサ子に話が伝わったということであった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年11月 5日 (土)

「上州の山河と共に」 第71回 大崎ヒサ子との出会い

 母は、この頃まだかくしゃくとしていたが、妻の発病を機に、私の所で家事のことやゆりの世話などをしてもらうことになった。母は、自分の夫の死、さらにそれに続く

孫の死の後遺症も癒えぬ間に、今度は嫁の病気、そして死とかかわることになって、さぞかし大変だったであろうが、ゆりにとっても、私にとっても、母の存在は大きな助けであった。

 妻の死後、母は、亡き妻に代わって家事やゆりの世話をこまごまとしてくれていたが、私たち親子にとって、心の支えとしての存在が何よりも有り難かった。

 しかし、元気であるとはいえ、年ごとに老いてゆく母に、いろいろと負担をかけることは、私にとって忍び難いことであった。

 ゆりは、早くも六年生になっていた。

 ある日のこと、母は集金に訪れた東和銀行(当時は、大生相互銀行)の社員の方に、息子の再婚相手に誰か良い人はいないかと話を切り出したらしい。そのような背景について知らない私の所に、ある日一枚の女性の写真と簡潔にきれいな字で書かれた経歴書が届けられた。

 女性の名は大崎ヒサ子であった。私は、その経歴書を見て非常に驚いた。それには、勢多郡宮城村の小学校、中学校を卒業し、その後、前橋女子高校、群馬大学へ進み、現在も宮城村鼻毛石に住んでいるとある。

 宮城村といえば、私にとって聞くのも懐かしい心のふるさとである。その昔、福島浩等と共に過ごしたあの山野、あの小学校で、この女性も育ったのかと思うと、それだけでも、親近感が湧く。

 そして、すぐ近くの桂萱中学校で英語教師として在職中という点については、さらに驚いた。(読者に感謝)

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2011年11月 4日 (金)

人生意気に感ず「10キロを制す。94歳被曝者の話。大渋滞の中空路へ」

◇中国から2日午後10時に帰宅。3日、県民マラソン10キロコースは午前9時40分スタートだった。1年間準備して臨んだ。体重を4キロ減らす目標は達成出来なかったが完走の自信はあった。直前の中国視察は当初の想定外。中国の5日間は水に細心の注意を払った。帰国後の下痢を何度も経験しているからだ。4日前10月30日に中国で71歳の誕生日を迎えた。 スタートの号砲と共に関を切った水のように人の流れが始まった。足が重かった。兵馬俑の兵土の顔を思い浮かべ、長安路を走った光景を頭に描いて走った。完走証を受け取ると1時間4分51秒だった。今までで、最悪のタイムだが、今回は納得の出来る成果と思われねばならない。

◇講演・「内部被曝の脅威」(広島陸軍病院軍医・肥田舜太郎の証言)を聴いた(3日)。シネマまえばしを経営する娘夫婦が主催者である。お父さん、必ず来てねと言われていた。先ず肥田さんの声の力強さに驚いた。94歳とは思えない。長い年月内部被曝を体内に抱えこれに抵抗して生き抜いた姿なのか。 肥田さんが勤務していた広島の爆心地の陸軍病院では897名の患者が3秒で3名残して即死。肥田さんはたまたま往診に出ていて免れた。内科医として、また、原爆の被ばく者として語ることは単純なことだった。これから原発事故による放射線と無縁に生きる事は誰も出来ない、一番大切なことは正しい生活をして放射線に対する抵抗力をつけること、そして原発をなくせと主張した。元気21のホールは多くの市民であふれ、山本龍君の姿もあった。

◇中国を振り返って、実は最後の日(2日)は大変だった。ホテルから上海空港に向かう途中大渋滞に巻き込まれた。前方で事故があったらしい。出発の時刻は刻々と迫る。JTBの乗務員は必至で多方面に電話。ヒコーキの出発を少しでも遅らせて欲しいとまで関係者に頼んでいた。私は翌日の県民マラソン不参加を一時覚悟した。その後車列は動きだしギリギリ、予定の機に飛び乗る事ができた。 渋滞中の車内に西安の案内人麻さんから連絡。西安幹部との会見の様子が2日目朝の西安日報で報じられ、コピーを日本へ送ったというのだ。麻さんは面白い男性だ。黄土高原出身で大学を出て親に28インチのカラーテレビを買ったら村中が見に来たと話していた。(読者に感謝)

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2011年11月 3日 (木)

「上州の山河と共に」 第70回 大崎ヒサ子との出会い

 妻と共にやってきた事には、妻なき後、真に情熱を燃やすことがどうしても出来ない。このような私の心理状態は、時が経てば解決するというようなものではなかった。

 しかし、いずれにしても、妻の死は、私のそれ迄の人生に幕を引く出来事であった。このことを自覚して、新たな人生の道を見つけて歩み出さなければ、私の心も死んだと同然で、それでは、ゆりを育てることも出来ないし、妻の死を乗り越えて立派に生きると誓った約束を果たすことも出来ない。前向きに強く生きなければならない。私は、このように自分に言い聞かせた。新たな生き方を求め、模索しつつ、月日は過ぎていった。

「大崎ヒサ子との出会い」

 私の大学卒業を涙を流して喜んだ父は、持病の心臓喘息からも開放されて、母と共に、弟賢三のもとで、しばらくは平穏な生活を送っていたが、60代の半ばを過ぎた頃、胃癌の手術を受けてから、めっきり体力が衰えて老け込んでしまった。そして、70歳を過ぎる頃になると、また、病気がちになって、入退院を繰り返していたが、昭和53年の夏、酷暑に耐えかねたように世を去った。

 父の葬式は、弟の所で行なわれたが、この葬儀の日、弟の二男で4歳になったばかりの巧(たくみ)が、葬儀の目前で、自動車事故にあって死亡するという出来事が起きた。

二重の不幸ということもあって、弟夫婦の落胆ぶりは見ていられない程であった。

 悪いことは重なるもので、それから程なくして、私の妻の発病そして死と、我が家の不幸が続くのであった。(読者に感謝)

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2011年11月 2日 (水)

人生意気に感ず「長安路を走る。陜世博物館。西安の大学。市幹部と交流」

◇早朝6時から西安市の長安路を約一時間走った(1日)。内陸の夜明けは遅い。しかし闇に包まれた中でまちは既に活気づいていた。片側4車線の一直線の道路では自動車がスピードをあげて走っていたし、街路樹の下では道を掃く老婆の姿も見えた。3日は、県民マラソンで10キロを走る。私は利根川沿いのコースを頭に描きながら走った。広い街路の両側は高層ビルが並び唐の都長安を感じさせるものはない。ビルがとぎれた広場に朝食を売る屋台のリヤカーが並び、その背後にうずくまって口を動かす男たちの姿があった。なぜかほっとさせる光景だ。この日のスケジュールを頭で追いながら私はひたすら走った。

◇陜西歴史博物館の見学、西安外事学院での学生との交流、西安市人民政府幹部との会見などがこの日の主な日程であった。

 陜西歴史博物館は、「古都の名珠」といわれるだけに世界的一級品が陳列されその一つ一つが当時の歴史を雄弁に語っていた。陜西省は中華民族及び中華文明誕生発展の重要な地域といわれるだけあってここから出た陳列物は中国の歴史を知る上で重要であると感じられた。陜西省は青銅器の里といわれ、古代中国の青銅器文化を語る多くの物を見る事が出来た。信じ難い出土品に、始皇帝兵馬俑の酸化クロムメッキが施された銅剣があった。近代ドイツで始められた技術である。どう理解すべきか。紀元前の戦国時代の貨幣は面白い。小刀を模した刀銭、農具をかたどった貨幣である布銭、統一前の秦が使った半両銭など。紀元前に既に貨幣経済が存在したとは大変なことだ。

◇西安外事学院の図書館の一画には私がこれ迄に送ってきた日本の書物が並んでいた。この大学には県から「グラフぐんま」など定期刊行物も贈られている。講堂で、日本語科の学生と県会議員との交流が行われ、私は30分程度の講演をした。そこでは東日本大震災後の日本の課題を話した。

◇西安市人民代表大会常務委員会の人々との交流は感動的だった。彼らは長安以来の長い歴史と文化に並々ならぬ誇りと自信を持っていると感じられた。私の挨拶にも自ずと力が入った。古都の奈良・京都に触れ平城京、平安京が長安にならって造営された事や遣唐留学生・阿倍仲麻呂についても語り、今日の日本の文化はこれらの歴史の上に築かれていると主張した。今後の日中関係は益々重要で、文化の交流を深めていくこと、群馬との文化交流も進めていく事で一致した。西安では、本物の文化の力に触れ刺激を受けた事が大きな収穫であった。(午前4時、西安のホテルにて)

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2011年11月 1日 (火)

人生意気に感ず「歴史都市西安に入る。息を呑む軍団・兵馬俑」

◇中国視察第3日目は成都を立ち空路西安に向かった。西安は、かつての唐の都長安である。日本は平安時代先進国の文化を取り入れる為に一大国家事業として遣唐使を派遣した。それは正に命がけの事業だった。日本海の荒波に呑まれて目的を果たせなかった遣唐使は多かった。内陸の都市西安に残る古都の遺跡に接し、私は、東海の果ての小国日本が苦難を冒(おか)してここまできたのかという思いを抱いた。

 視察先西安についてはこのような日本文化の原点に接したいという思いがあった。しかし、「長安」の遺跡は後回しにし、この日(31日)、世界遺産・秦の始皇帝陵と兵馬俑を訪ねた。兵馬俑の発見は20世紀最大の考古学的成果といわれた。赤土の兵馬俑坑の壮観さは息を呑むばかりであった。甲冑に身を包んだ等身大の兵士は7千数百に及ぶ。平均身長は1m83cm。1つとして同じ顔はない。選りすぐられた屈強な兵士達の姿である。戦国の七雄を打ち倒した秦軍の苛酷さが伝わる。そして、このような空前の事業を自分の死後に実行させた始皇帝の権力と秦国の組織力の想像を絶する凄まじさに圧倒された。

 兵士の表情は一つ一つが個性的で意志と誇りを表し品位がある。その隅々までが疎かにされていない。優れた芸術作品であると同時に当時の事物を知るこの上ない資料である。発見後37年も経つのに兵士が並ぶ広大な建物の一画では修復作業に取り組む考古学者の姿が見られた。

◇文化遺産とは何か、世界遺産の名に値する価値とは何か。兵馬俑坑の兵士たちは、私たちの胸にそれを雄弁に訴える。人類はこのように血を流しもがきながら歩みを続けてきたのだ。戦争と平和の問題は2200年を経た今日でも変わっていない事が多い。人間の生と死もそうだ。群馬の世界遺産登録も生易しい問題ではないことを考えさせられた。

◇西安のスケジュールの一つに西安外事学院での学生との交流がある。31日の夕食会にこの大学で日本語を教える友人の角田一之氏が参加し西安の話が盛り上がった。訪中団の県議は5人。副団長の関根圀男県議は視察を成功させるために心を砕いている。お陰でハードだが充実した一日一日が過ぎている。夕食会でサプライズがあった。団員が私の誕生日を祝ってくれた。10月30日私は中国で71歳を迎えた。上海、成都で早朝の市街を走った。これから西安も走る。2日に帰国し、11月3日、県民マラソンで10キロを走る。その時、私の胸にあの軍団の姿が甦るだろう。(読者に感謝)

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