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2011年9月30日 (金)

人生意気に感ず「水道水の不検出は0でない。読者の質問と訴え」

◇常任委員会で水道事業及び工業用水道事業における放射性物質につき説明があった(29日)。注目したのは水道水の安全性だ。放射性物質は「不検出」という説明に対し、私は、「それは0ということですか」と質問した。

 実はブログの読者から最近、次のような質問が寄せられていた。「不検出とは測定器が測定できる下限値未満のことで下限値は50ベクレルと県のホームページにある。50は安全な数値か。50以下も測定可能な機器を導入出来ないのか。万一数値が大きく上昇した場合、一刻を争う告知が重要だがどのように知らされるのか教えて下さい」と。

◇これは多くの県民の不安を代表する声だと思った。私はこの質問の答えを県議会の場で引き出したいと考えていた。

 答えは、不検出とはゼロを意味せず、基準値の200ベクレル以下ということ。従来の測定器では50ベクレル以下は測れないのである。0ではないが基準値以下ゆえ安全ということだ。しかし、読者の言う如く「県民の健康に大きく関わる」こと。より精密に測ることが必要である。そこで、新たなゲルマニウム半導体検出器を設置して、9月12日から測定を開始した。現在では、0.7~0.8ベクレルまで測定できる。

 水道水の値が基準値を大きく上回った場合、県は、水道事業者に対し速やかに摂取制限と広報車の巡回による通報を実施するよう要請することになっている。また、このような最新情報の提供は県・市町村のホームページでも行う。

◇同じ委員会で、水道及び工業用水道の浄水場で、10万ベクレル以下8千ベクレル超の放射性物質を含む発生土が414トン、8千ベクレル以下(いずれもKg当たり)が1779トン存在すると報告された(921日現在)。これらにつき適性な管理と最終処分場の確保が課題となっている。

◇更に別のブログの読者から切実な訴えがあった。「信用できない情報ばかり発信され、信じては裏切られる。私は子どもをもつ勇気を持てません。少しでも正しい情報を教えて下さい(要旨)」その通りだと思う。正しい情報は命の糧。政治と行政の責任を痛感。私のブログは、ささやかなものだが、大切な情報発信の窓。コミュニケーションの広場としたい。要望やご意見には出来るだけ耳を傾けお答えしたい。大規模地震対策特別委員会は10月13日である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月29日 (木)

人生意気に感ず「議会だよりの題字を高校生が。食の安全。除染」

◇「議会だより」が変わる。私が属する図書広報委員会は、年4回の定例議会に合わせて広報紙「群馬県議会だより」を県下の毎戸に配付する。県民のための県政を実現するためには議会で何をやっているかを県民に知ってもらうことが第一。その窓口の役目を担うのが「だより」である。

 これ迄、「だより」に如何に関心をもってもらうかにつき苦しんできた私たちは、調査広報課長の提案を採用することにした。それは、第一頁上段の大きな題字を高校生に書いてもらうことである。次代を担う高校生の県政に対する関心が高まることを願う。新しい試みによる「だより」は11月6日に県下全家庭に届けられる。

◇東北被災地の海岸は、今サンマの季節。光って跳ねる大量の魚影を見て大根おろしで食べたらうまいだろうと思う。しかし、同時に放射能は大丈夫かと気になる。大量の放射性物質が太平洋に降り注いだことが報じられているからだ。何せ、飛散した放射線の総量は広島型原爆の20個に相当するというのだから。

 今、市民が一番恐れることは食の安全がおかされることだ。今までも農薬や食品添加物などに関する食の安全が問題にされてきたが、現在は食物を通して放射能が体内に入ることが最大の関心事。これは内部被曝の問題である。

 放射能に関する新たな食の安全は今議会でも取り上げられた。県民の健康をあずかる県政の最大課題であり、県政の正念場である。

 県は流通している食品の放射性物質の濃度の検査、また、医師や放射線技師らによる有識者会議を設け低線量被曝の健康への影響の検討を実施することになった。

 基準値以下の低線量は心配ないという専門家の声を今や多くの人が信じない。おとなと子どもを同じ基準で考えるのは問題だと思う。体内に入った放射線は細胞の遺伝子を傷つける。その影響は細胞分裂が盛んな幼児程大きいといわれる。有識者会議は使命感をもって、放射線に対する防波堤の役割を果たして欲しい。

◇大地の上で暮らす以上、健康を守るためには汚染土を除去せざるを得ない。児玉龍彦東大教授は、「除染せよ、一刻も早く」と警告する。環境省は福島・宮城・山形・茨城・栃木の5県で一定量以上の被曝線量の汚染土壌を除去する場合、その量は東京ドーム23杯分に当たると試算した。その貯蔵施設が問題となる。本県でもホットスポットの除染、汚染物の貯蔵が問題となる。(読者に感謝)

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2011年9月28日 (水)

人生意気に感ず「東大教授を招く案。決算委員長に。柔道対策。汚染マップ」

◇昨日はいろいろな事があった。朝の議員団総会では、前日の総務会で山本龍氏を来年2月の前橋市長選に臨む候補者として推薦することが全会一致で決まったことが報告され、控えていた龍ちゃんがお礼の挨拶を述べた。

本会議では一年生の女性議員が登壇し男女共同参画社会の推進につき知事の基本姿勢を質す場面があった。その中で知事の週刊誌問題を取り上げ、それは女性の信頼を失うことであり、男女共同参画を進める上でマイナスではないかと迫った。

◇昼休みに10月13日の大規模地震対策特別委員会の審議内容について話し合った。私は、この特別委員会で専門家を招いて研修会を開くことを提案。具体的には、衆議院で参考人として発言した東大教授児玉龍彦氏をあげた。事務局が交渉することになった。その時は、議員以外にも参加者の輪を広げることになるだろう。

◇本会議の一般質問終了後、議場で、議第13号議案として決算特別委員会の設置が提案され採決によって設置が決まり特別委員及び正副委員長の選任が行われた。委員は全議員46名が当たり、委員長には私が選任された。

 議会の存在意義が問われる中、県税の使われ方をチェックすることは極めて重要。そこで、決算特別委員会の在り方も議会改革の一環として工夫がなされた。全議員が参加し、各部会に分かれて審議し、結論に至るというもの。

 私は委員長就任の挨拶で「決算特別委員会の役割と使命は極めて重要です。私はこの委員会が本来の役割を果たせるように全力を尽くします」と決意を述べた。

◇午後6時半より、県庁内で、県柔道連盟幹部と教育委員会スポーツ健康課幹部が私を交えて話し合った。来年度から中学で武道が必修となる。柔道連盟の協力は不可欠と考え、私が教育長に提案して、この日の会合が実現した。必修化さる武道は、柔道、剣道、相撲の中から各中学が選ぶことになるが、予想では柔道が90%を超えて選択される。問題は安全対策。柔道は最も事故が多いスポーツである。県柔連は、「外部指導者」「研修会」の面で協力することになった。

◇群馬の汚染マップが公表された。北部山間部でセシウムの蓄積が多い。一部では1平方mあたり10万~30万ベクレル。安全基準の単位では、一時間あたり、高い所でも1マイクロシーベルトで問題ないという。より細かいホットスポットを捜すことが重要な課題だ。(読者に感謝)

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2011年9月27日 (火)

人生意気に感ず「母親が薬と売春を。チャイルド・デス・リビュー。秘書有罪」

◇今開かれている県議会で、これ迄に児童虐待を取り上げる議員が2人いた。現代社会の異常な世相を現している。2人は母親が実の娘に覚せい剤を勧め小学生の時から売春をさせていた事件に触れ、その1人は、「チャイルド・デス・リビュー」(デスは死、リビューは再調査)に及んだ。

 8月、北海道警に逮捕された16歳の少女の供述は衝撃的だ。小学6年生の頃から母親から稼いでこいと言われ売春をさせられた、今回の逮捕は母親に勧められて覚せい剤を使用した容疑。養父に注射されたとも述べている。母親は覚せい剤使用で服役していた。

 児童虐待が異常に増えている。女の子の場合、性的虐待が多いといわれる。この事件の少女は家裁に送られ少年審判にかけられる。少女に同情する。立ち直ることが出来るか。児童虐待の背景には現代社会の病理と深刻な家庭崩壊がある。社会が根底から崩れる危機感を抱く。

◇本会議の一期生の質問者は、表に現われない虐待死が多いのではないかと発言。育児に慣れない母が泣く子にいらいらして激しく揺すると脳に衝撃を与えて死に至らせるいわゆる、ゆさぶり死が多いというのだ。

 「チャイルド・デス・リビュー」は米国カリフォルニアで始まった。隠れた児童虐待死を調べ予防に役立てる目的だ。日本でもこの問題を研究する動きが医科大学などで始まっている。子どもの予防出来る死をなくすためにはその背景を知ることが第一歩。それが、デス(死)のリビュー(再審査)だ。県が正面から取り組むことには困難が伴うが、関係者はこの問題を強く意識すべきだ。県議会でこのような新しい問題が論じられることは、刺激的な時代の新しい風が吹き込むことを意味する。風を真摯に受け止めたい。

◇若い母親がインターネットで結び合って放射能につき発言する動きが注目されている。 

 子を思う母は子どもに対する放射能の害が深刻であることを本能的に受け止めている。年齢が低い程、細胞分裂が盛んであって放射能の影響は大だといわれる。政府や電気会社や多くの学者の発言が信用されない社会状況下、母親たちの行動は大きな力をもつだろう。

◇小沢一郎氏の元秘書等に有罪判決が下った。秘書の1人は現職の国会議員。秘書と小沢氏は密接につながる。監督責任もある。政治的道義的責任は免れない。小沢氏の公判も始まる。(読者に感謝)

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2011年9月26日 (月)

人生意気に感ず「チェルノブイリを塾で。前橋市長選。光速を超える」

◇24日のふるさと塾は50人以上の参加者を得て充実した内容となった。私は、7月27日衆院に参考人として出席した児玉龍彦東大教授の見解、その続きともいえる文芸春秋の彼の論考を紹介。それは、「除染せよ、一刻も早く」というもの。それから、スリーマイル島事件、チェルノブイリ事件を説明した。チェルノブイリでは、多くの子どもが、甲状腺ガンになった。消滅した数百の村、「サマショール」と呼ばれる人々。それは身勝手という意で勝手にもとの村に帰って放射能の中で暮らす人のこと。「おとぎの森」と呼ばれるようになった森には、放射能で変異した巨大生物が。スリーマイル、チェルノブイリは、フクシマの前例といえる。事実を隠して作られた日本の原発の「安全神話」は、これらの前例と同じで見えてくる。児玉教授はフクシマで発生した放射線の総量は広島型原爆の20個分と試算した。それは今後、海と陸にどこまで広がるのか。事故後に、手落ちによって放射性ヨウ素に対する薬を飲ませなかったことが明らかになった。母親たちは子どもの甲状腺異常に今後怯えるだろ。少量だから安全だという根拠はない。

◇市長選合同対策会議が行われた(25日朝)。10月19日グリーンドームで行うパーティで山本龍出馬の記者会見を行う件、又、「これを見れば分かる高木市政の問題点」の作成などが協議された。この印刷物は8頁からなり、08年の市長選後に噴出した「疑惑」なども取り上げられる。私は座長として会議を進めた。自民党は、今日(26日)の総務会で山本龍の自民党推薦を決める。

 総務会を正式に開くことは、これまでほとんどなかった。それは、某紙が報じたように自民党が割れているとか、他に候補者を捜しているとかによるものではない。きちんと総務会にかけて決定することにより磐石な基盤を作ろうとするもの。昨晩(25日)は総務会を前に、中曽根、佐田、山本一太の各国会議員と前橋の県議、市議が集まり山本龍で力を合わせようと意見交換を図った。

◇福島県二本松市では一般米から基準値(1キロ200ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された。主食の米から遂に。本県の米は大丈夫かと誰もが思う。水田にもホットスポットがあるかも知れない。

◇光速より速い素粒子が発見されたという。事実ならアインシュタインの相対性理論と矛盾することに。宇宙の謎が深まる。議論が続くだろう。(読者に感謝)

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2011年9月25日 (日)

「上州の山河と共に」 第59回 再入院・別れ

そのまま、直ぐに入院という事になった。妻は、個室に入れられた。顔見知りの看護婦の表情や動きもいつもと違う。何か異様な緊張が部屋全体を包んでいる。

「私、そんなに悪かったの」

妻は悲しそうに言った。私に出来ることは、ただ、妻の手を握りしめることだけであった。

妻は、すべてを悟ったようである。

重苦しい沈黙が続いた。そして、妻は、間もなく眠りに落ちた。看護婦が注射した精神安定剤のせいであった。

妻は、これからどうなっていくのだろう。妻の死を、私はまだ現実的なものとして受け入れることが出来ない。

窓の外は既に深い闇で被われている。引き込まれるような静かな夜である。遠くで犬の鳴く声が聞こえる。

幾分冷静を取り戻した私は、ゆりのことを考えていた。ゆりを会わせなければならない。ゆりには、どう説明したら良いのか。その時、妻が目を醒まして小さな声で言った。

「ゆりはどうしているの」

「夕食を済ませ、今は、寝ている」

「かわいそうに」

妻は目頭を拭きながら言った。

「明日、ここに連れてくる」

「駄目です。連れてきてはいけないわ。今は、止して下さい」

妻は哀願するように言った。

私には、妻の気持が良く分かる。妻はまだ事態を受け止められないでいる。そんな姿を娘に見せて悲しませたくないと考えているのだ。

「聖書と十字架を持って来て下さい」

 これだけ言うと、妻は顔を隠すように掛布を引き上げた。

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2011年9月24日 (土)

「上州の山河と共に」 第58回 再入院・別れ

明日は一緒に日赤へ行って、良く診てもらおうと話し合ったその夜のことである。

「もう駄目なのかしら」

妻は、青ざめた顔で呟いた。

静かな夜である。二人の間では、ゆりが静かに寝息を立てている。妻は、娘の寝顔をじっと見詰めていたが、堪え難そうに俯ぶせになると枕に顔を押し当てた。その肩が小刻みに震えている。

私には、妻の胸の内が痛い程分るが、話しかける言葉がない。私の頭に、妻の腹に取り残されたがん細胞のことが浮かんだ。

<薬が効かないでずっと増殖していたとすれば……>

私は、妻の体内の恐ろしい光景を想像して戦慄した。

「もし、再発だったらどうしよう」

妻は身を起こして言った。

私は、淡い光の中で、妻の思いつめた青白い顔を見上げた。私は、黙って首を横に振り、枕元のスタンドの紐を静かに引いた。妻の悲しそうな顔が闇の中へ消えていった。

翌日、私は、妻を連れて日赤病院へ出かけて行った。そして、妻は、この日を最後に二度と我が家へ帰ることが出来なかったのである。

妻が診察を受ける間、私は廊下で待っていた。私の視線は、手にした雑誌と診察室のドアとの間を落ち着きなく行き来した。やがて、私は、別室の医師の前に呼ばれた。

「肛門閉塞が起きています。癌細胞が肛門まで広がって肛門が塞がれているのです。腹水も大分溜まっています」

医師の言葉に、私は愕然とした。悪い夢を見ているのではないかと思った。心の片隅で覚悟はしていたものの、こんなに早くその時が来ようとは信じられなかった。(読者に感謝)

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2011年9月23日 (金)

「上州の山河と共に」 第57回 退院

だが、ゆりと屈託なさそうに笑い興じている妻の横顔を見ていると、また、私の胸に暗い影が頭をもたげる。

<腹の中に取り残された癌細胞は、どうなったのだろう。抗癌剤やワクチンは効いているのだろうか>

妻は退院後、日に日に、少しずつ良くなってゆくようであった。五月の末に退院し、七月を迎える頃には、妻の体調は見違えるほど良くなって、自転車に乗って買い物に出かけられる程であった。

一家は幸せを味わっていた。ゆりは、毎朝、元気良く学校へ出かけ、飛ぶように帰ってくると、母親にまつわりついてはしゃいでいる。

ある日曜日のこと、親子は利根川の河原で遊んだ。既に盛夏、ギラギラとした太陽が青い空で燃えている。その下で利根川は気持ち良いしぶきをあげて流れていた。流れを遡ると緑の松林が広がり、その上に赤城山のなだらかな稜線がゆるいカーブをつくって走り、更にその上には、雪をいただいた谷川岳の山々が連なっている。

ゆりは、はしゃぎ回り、夢中になって水と戯れている。私も妻も、病気のことは忘れて楽しい一時を過ごしていた。

しかし、私達の幸せは長くは続かなかった。この夏の日を境にして、妻の体調はくずれていった。そして、運命の時は意外に速くやって来たのだった。

「再入院・別れ」

七月も終わりに近づいた頃、妻は目立って痩せ始め、しきりに疲労を訴えるようになった。そして、八月になると、思うように排便が出来ない日が続いた。

医師は、手術後に予想される体調の変化だと言うが、私は、取り残された癌細胞のことが思い出され、大変不安であった。ついに、全く便通が絶え、妻は、固く張った下腹をさすり、額に油汗を滲ませ、怯えた目で私を見るようになった。その様子を見て私は狼狽した。(読者に感謝)

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2011年9月22日 (木)

人生意気に感ず「本会議で知事公舎問題を追及。台風15号の猛威」

本会議一般質問の初日(21日)は緊張した場面があった。4人が質問に立ったが3人が知事の「公舎利用問題」を取り上げた。自民のトップバッター岩井均(自民)、後藤克巳(リベラル)、岩上憲司(新星)の各氏。 自民を代表した岩井氏は、公舎に女性を泊めた事は晴天の霹靂、我々もお詫びしてきた、大いに反省を促したい、と発言。また、同氏が公舎を退去した事は危機管理上問題はないのか、台風が接近している今晩はどうするのかと質したのに対し、知事は、副知事、危機管理官と連携をとって、365日、24時間対応出来る体制が出来ている、今晩は前橋のホテルに泊まると答えた。岩井氏は、最後に、一度傷ついた信頼を取り戻すのは難しい、前向きに努力して欲しいと要望した。 ◇他党議員の発言には、危機管理の重要性が高まる中、退去して公舎に住まないというのは理解出来ない、公舎改修に1400万かかっている、その現地確認の調査を申し入れたが拒否されたがなぜか、また、週刊誌の報道が事実と違うなら名誉回復の法的措置をとるべきだなどがあった。現地確認拒否につき総務部長は、内部の間取りなど明らかになると警備上問題が生ずるなどと答えていたが、説得力に欠ける。議員の調査は受け入れるべきだ。やがて実現すると思う。 ◇台風15号の猛威は最近の異常気象を象徴するものだ。各地の川は濁流が逆巻き、山の木々は辛うじて斜面にしがみついている、海岸には山のような波が寄せる。関東を北上して東北に迫った台風は仮設住宅の人々に避難を迫る。 自然の荒れ狂う姿は、東日本を襲った大地震や津波とどこかで連動していると思ってしまう。これからは、このような異常現象が常態化するのではないか。 このような台風が群馬に近づくという時に議会では危機管理が語られた。県庁は県民を守る砦である。災害時には、最高責任者の知事が庁舎にいる事が、県民の安心の基盤だろう。仮に知事公舎はなくなっても、危機管理のために知事が宿泊する場所を県庁内に設けるべきだ。 ◇議会基本条例を作るか否かが県議団総会で議論された(21日)。私は、議会改革を進め、二元代表制の下で議会が本来の役割を果たすための基盤を作るために同条例を作るべきだと発言。自民党としては作る方向に決まった。(読者に感謝)

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2011年9月21日 (水)

人生意気に感ず「チェルノヴイリの報告と福島。台風15号迫る」

◇「チェルノヴイリ」を回想するある記録を読む。正確で早い情報がいかに重要かが分かる。原発の大爆発は夜中の3時半ごろ。朝になっても近くの町の一般の市民は事実を知らない。小学生の息子が学校から帰って、薄い褐色の錠剤を渡されたが飲まなかったと話す。21時30分(事故から18時間経過)、民間防衛団が現れ、「一人につき一錠必ず飲んで下さい。放射能に対するものです。何も怖ろしい事は起きていませんが万一の予防のためです。換気窓は開けないで下さい」と話し錠剤を渡した。その夜はぐっすり眠る。翌朝、家の上を低く旋回するヘリの轟音で目を醒ます。役人がドアを叩き「ラジオをつけ最大の音量にして、家から出てはいけません。窓を開けないで下さい」と家々に伝えている。13時10分、ラジオのアナウンサーの声は震えていた。「市民の皆さん、私たちの町の原子力発電所で事故が発生しました。平静を保つようお願いします。3日間の生活に必要な食料、衣服、必需品だけ用意してください。14時にあなたの建物の入口にバスが来ます。それに乗って下さい」町ごとの疎開が始まったのだ。

 事故発生から、アナウンスまでに33時間40分が経過していた。小学生の子どもたちに渡された錠剤は、放射性ヨウ素に対する薬だろう。放射性ヨウ素は、子どもののどの甲状腺に集まり甲状腺ガンの原因となる。チェルノヴイリ地域では、子どもの甲状腺ガンが異常に多発した。

 この事故後の経過を福島第一原発の事故と重ねて考えた。福島第一原発周辺の子どもたちの将来の健康が心配である。日本は民主主義が進んだ国で、人命と人権を最大限尊重する国。それを保障するものは正しい情報を迅速に開示すること。しかし、国と電力会社がつくり上げた原発の安全神話は、国のこの原則を根底から覆そうとしている。54基の原発と近い将来の巨大地震。安全対策と新エネルギーは私たち一人一人が真剣に考えねばならない待ったなしの問題だ。

◇台風15号が凄まじい雨と共に本県に近づいている。21日に最接近する。降り始めてからの総雨量は400ミリに達するとの見方がある。県は土砂崩れの危険箇所を指摘したが対策はとられていない。安全神話が支配する群馬への警鐘だ。昭和22年のカスリン台風を思い出す。利根下流域の安全と八ツ場を考える機会だ。(読者に感謝)

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2011年9月20日 (火)

人生意気に感ず「チェルノブイリと貞子の折鶴。敬老会」

◇今月の「ふるさと塾」では、放射能の恐怖を取り上げる。私は、原爆と原発は同根だとこのブログでしばしば主張した。私たちは、原爆の放射能についてはその恐ろしさを理解したつもりでいたが、原発の放射能については無関心だった。政府と電力会社は事実を隠し、「安全神話」を作り上げてきた。今回の福島第一原発の事故はこの事を明らかにした。私たちは、壮大な虚構の上でつかの間の繁栄を享受してきたのだ。

 世界では、原爆を経験した日本には原発はないものと思っていた人が多くいる。世界的な地震国でありながら54基もの原発を有し、今回の大事故を起こした。膨大な放射能は地球環境を汚染している。日本の恥をまき散らしているようなものだ。

 これから世界の人々は、チェルノブイリ、スリーマイル島、フクシマを語り継ぐに違いない。ふるさと塾では、チェルノブイリとスリーマイル島の原発事故も取り上げる。

◇チェルノブイリでは多くの子どもたちが甲状腺ガンで倒れた。彼らの間では「貞子の折鶴」が語られているという。貞子は、原爆に被曝し鶴を折りながら死んだ少女である。私は平成14年、海外視察でスペインの「サダコ学園」を訪れた。地の果てにサダコの名の学園がありサダコを手本に生きることと平和を教えていることに衝撃を受けた。彼らはフクシマをどのように受け止めているか。

◇敬老の祝いが多くの町内で行われた(19日)。私が出席したのは6箇所。どの会場でも高齢者は元気である。先日の運動会の開会式では倒れた小学生がいたが、比べて高齢者は強い。

 100歳以上の高齢者は、厚労省の調査によると過去最多の4万7756人。昨年は、実の子どもが高齢の親の所在を知らぬという事件が続発して大きな社会問題となったが、今回の厚労省の発表は信用できそうだ。

 国内最高齢は佐賀県の長谷川チヨノさん。1896年(明治29年)生れの114歳。男性の長寿日本1は、京都府の木村次郎石衛門さん。1897年(明治30年)生れの114歳。同じ114歳だがチヨノさんが約5ヶ月上。

 日清戦争の直後に生まれ、激動の近・現代史を1世紀を超えて生きるこの人たちは、今日の社会をどのような思いで受け止めているか。

 私は挨拶の中で、長寿を支えるものは温かい社会の連帯である、東日本大震災は、この事の重要性を訴えていると述べた。津波に呑まれた高齢者の姿を想像すると、激動の社会の波を乗り切ってきたのにと悲しい。

(読者に感謝)

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2011年9月19日 (月)

「上州の山河と共に」 第56回 入院生活

そのようなこともなく最初の一時間は過ぎた。時計の針は刻一刻と妻の生還の時を刻んでいくように思えた。妻が手術室へ入っておよそ二時間が過ぎた頃、鉄の扉の向こうから、医師が銀色の盆を持って現れた。

「これが奥さんの胃を切除したものです。この部分が患部です」

医師は、肉片のどす黒く盛り上がった部分を指差すして言った。

医師の話では、癌は胃の幽門部を破り、膵臓や腸の一部に転移しており、患部を全部切除することは技術的に不可能とのことであった。私は、頭の芯に強い衝撃を受けたように感じた。

日も暮れようとする頃、妻は病室へ戻って来た。土気色をした妻の顔には、蝙蝠が覆い被さるように酸素マスクが付けられている。そして、酸素を送る機械の乾いた音が室内に響いている。

妻の苦しい闘病生活が始まった。癌は全部とれたと信じている妻は、神に感謝しつつ、懸命に頑張る。私も、ワクチンを取りに東京へ走ったり、妻が沈んでいる時は教会へ神父を呼びに行ったり、少しでも妻の病状が良くなるように願って飛び回っていた。しかし、そうしながらも、耳の底に焼きついている手術後の医師の言葉が気にかかるのであった。

「退院」

それでも、ようやく、待ちに待った退院の時が来た。その日、久しぶりに聞くゆりの甲高い喚声が部屋に響き、妻は懐かしい畳の匂いに酔っている風であった。トントンと俎板で野菜を刻む妻の腕にも喜びがあふれている。親子揃っての楽しい夕食は、昨日までのことを思うと夢のようだ。

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2011年9月18日 (日)

「上州の山河と共に」 第55回 妻の発病

やがて、祈りを終えて振り向く妻に、

「お前の病気は癌なのだよ」

言葉が自分の意志ではないように、私の口をついて出た。

妻は、冷静であった。その顔には、私の恐れた狼狽の色はなかった。澄んだ目を私に据えて、私の話を一つ一つ受けとめている。

「そうだったの。やはり」

そう言って、しばらく私の顔を見詰めていたが、やがて、真剣な表情に戻って言った。

「ゆりには絶対に知られないようにしなければ。ゆりの小さな心を苦しめたくないわ。ゆりには、とても耐えられない苦痛よ」

「それよりも、お前の方が心配だ」

「それは、大丈夫です。安心して。自分でも不思議な位平静よ。私、これで、神様に本当のお祈りが出来ます。それから、あなたと心を一つにすることが出来たのですもの」

妻の表情には、微笑が戻っていた。彼女が強がりを言っているのでないことがうかがえて私は安心した。

「入院生活」

間もなく、妻は、日赤病院に入院して、手術を受けた。

手術の当日のことである。私は、手術室に通じる重い扉の前に立っていた。最初の一時間は、息を殺して扉を見詰めていた。扉が開く度に、自分の名が呼ばれるかと緊張する。それは、手術が不可能な時は、一時間位で手術室から出されるという話を聞いていたからである。

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月17日 (土)

「上州の山河と共に」 第54回 妻の発病

事実を知ることによって、妻は信仰心をかき立てるに違いない。癌と知って死期を早める例が多いということは、病気と闘うには、強い精神力がいかに必要かを示している。とすれば、宗教に支えられた病気に対する闘争心を燃え立たせるなら、それは、必ずや、大きな力を発揮するに違いない。

また、私がこれから捜そうと考えているいろいろな薬や治療法、それらも、受け入れる本人が何のための薬や治療なのかを知らずして、本来の効果を上げ得るとは思えない。そして、事実を告げることによって、病気に対して、夫婦が真に協力し合うことが出来ること、これが何よりも大切な事に思えた。

だが、ここで注意すべき事が一つあると私は思った。それは、事実を告げるのは、天国へ行く心の準備をさせるためではない。それは、病気を克服する事が目的なのだ。だから、妻の癌は治る癌だと信じさせえる事が大切だと言う事である。

入院も迫ったある日、私は妻を連れて教会へ行った。

前橋カトリック教会の礼拝堂の中は静かだった。天井のステンドグラスから漏れる光が堂内をぼんやりと照らしている。正面の薄暗い中にキリストの像が置かれていた。板敷の床はよく磨かれて、わずかな光を反射して鈍く光っている。

妻は、キリストの像の前に躓いて祈りを始めた。教会へは、妻と共に時々来ていたが、この日は、特別な静寂が堂内を支配しているように感じられた。

妻は一心に祈っている。静かに見下ろすキリストとその足元に額突いて祈りを捧げる一人の女、そこには、私の入り込む余地のない厳とした空気が漂っていた。私は、これから自分がやろうとしていることについて、不安になってきた。

外では太陽が高くなったのであろう。天井の色ガラスを通過する光が移動して二人の上に落ちていた。淡い赤い陽のかけらが白くこけた妻の頬をほんのりと染めている。私には、祈りを捧げる妻の姿が気高く見え、私の心も洗われる思いであった(読者に感謝)

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2011年9月16日 (金)

人生意気に感ず「9月議会、興味ある議案。職員との訴訟」

9月議会が始まった(15日)。恒例の朝食会ではいつも重要事項が議論されるが、2人の一期生が大きく遅刻した。お詫びの言葉を述べた。その他の場面でも厳しい状況下にあって自覚の不足を感じさせる一期生がいる。

 大沢知事に質問する人に注文があればという場面で、私は、反省を求め県民に謝罪してもらうことが必要だと発言。2、3人の議員が賛成の弁を述べた。

◇この議会で審議される2、3の興味ある議案を紹介する。3つの条例案と1つの訴訟。条例の制定改廃・訴えの提起には議会の議決が必要なのだ。条例案のうち2つは東日本大震災の被災者保護のため手数料を免除する条例の制定である。

 1つは、大震災で免状等を紛失した者に再交付する時の手数料を免除するもの。それは、危険物取扱者免許状、准看護師免許証、調理師免許証など54種類。2つ目は、震災で紛失したパスポートを無料で発給。(これは議決を持てない急ぎの案件なので専決処分された。それをこの議会で承認してくれというもの)

3つ目の条例とは、パスポートの申請受理及び交付の権限を知事から市町村に移譲するもの。既に17市町村に移譲しているが、今回の条例では、みどり市、川場村、昭和村、玉村町が権限を持つことに。

◇地方自治法では、県が訴を起こすには議会の議決が必要。今回の事件は、県の職員に7万108円、報酬を過払いし、返還を求めたが返さないので訴えを起こすというもの。議案には督促状を送っても自宅訪問しても納入しない、こう着状態を打解するためには法的手段が必要と判断したと議決を求める理由が書かれている。また、議案書には高崎市豊岡町何番地の山元某と実名もあげられている。議案説明をする財政課長に7万円のために訴訟を起こすのかと私が訪ねると、課長は弁護士は頼まず職員が訴訟手続きをすると答えた。県は毅然とした意志を示すことが必要なのである。

◇最近は妙な事で頑張る職員がいる。次の例はどう理解すべきか。3か月で49回の遅刻を繰り返したとして、減給の懲戒処分を受けた県職員は、処分の取り消しと慰謝料等を求めて前橋地裁に訴を提起したというのだ。県東部農業事務所の男性職員である。県から訴えられる職員と県を訴える職員。県職員の間に何か変化が起きている現れか。調べてみたい。(読者に感謝)

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2011年9月15日 (木)

議員日記・人生意気に感ず「森林・海洋汚染の実態。100歳を超える人々」

◇森林汚染の実態は深刻だといわれる。福島県では高濃度の放射性セシウムが森林から検出されている。森林のセシウムは除染が難しく、また、それは生活圏に影響を及ぼす。

 福島県の人々にとって、森林汚染は、これから古里に戻れるかどうか、また、現在のところに住み続けられるかどうかに関わる重大問題だが、私たちにとっても他人事ではない。群馬の森林汚染は大丈夫なのか、実態を調査すべきだ。

◇夜、外に出ると満月の下で赤城山の輪郭がうっすらと浮かんでいる。名山赤城山が放射線で汚染されたら国定忠治も浮かばれないだろう。

 赤城大沼のワカサギから2度目の検査でも高濃度のセシウムが検出された。これは何を意味するのか。大沼地域がホットスポットであるということか。それとも周辺の森林汚染の影響なのか。県は周辺の放射性物質が雨で沼に流れ込んだことが原因と分析している。

 本県は森林県であり、今後の方針として林業県を目指す。県産材は大丈夫か。イメージが悪くなるのを恐れる。森林汚染は、山の動物やシイタケなどの山の産物に影響を与え、水源の汚染につながる。風評被害をつくらないためには、森林の状況をきちんと検査して正しい情報を公表することだ。

◇海にも汚染が広がっている。福島第一原発から、30キロと60キロの海水から、事故前と比べて数百倍の濃度の放射性セシウムが検出された。太平洋は広いから海水の汚染は限りなく薄められると考えていたが事態は深刻だ。

 常識を覆すこの事実は放射線量がいかに凄まじいかを物語る。東大教授が衆議院で、露出した放射線の総量は広島型原爆の20個分と発言したことの重みが不気味に迫る。既に海底にすむ魚から高濃度の放射性物質が検出されているが、今後魚介類一般の汚染が問題となるだろう。海の産物は日本人の食文化を支える柱。陸の農産物と共に海産物についての食の安全が重大事になりつつある。海産物についてはトレイサビリティも出来ていない。

◇敬老会のシーズンが始まった。「3・11」後の日本再建のためには高齢者の知恵、経験、価値観が重要。100歳以上は今年4万7756人。昨年より3307人増加。最高齢者は男女とも114歳。両者も頭もしっかりしているらしい。明治29年(女性)、同30年(男性)の生まれ。世の中の大きな変化を見てきたお二人は、今日の目を見張る変化をどう見ているか。(読者に感謝)

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2011年9月14日 (水)

人生意気に感ず「八ッ場の前進は民主主義。武道必修化。柔道の訴訟」

◇八ッ場ダムの実現が近づいた。国交省の検証結果が発表された(13日)。あと一歩の所まで来たダムを完成させた方が、スーパー堤防の建設などの代替案より効果的だというもの。そもそも、ダム中止の宣言は、一片のマニフェストの記載に始まった。法律無視、民主主義の原理に反する等轟々とした非難の動きが起きた。私を会長とする八ッ場ダム推進議員連盟も出来た。

 ダム建設には1都5県が膨大な負担金を出す仕組み。作らないなら出さないとなった。石原都知事などは注文の品が来ないのに代金を払う馬鹿はないと大変な剣幕を示した。知事や世論に押されて民主党政権に変化の兆しが起きていた。大沢知事は、今年の2月議会で、私の質問に答えて負担金を払うことになった、万が一にもダムをつくらない場合訴訟も辞さないと決意を語った。

 前田国交相は、13日の閣議後の会見で、早期のダム建設を求める1都5県の知事たちの意見は重いと述べた。私は、ダム建設を促す大きな力は「3・11」に始まる天変地異であると思う。私たちは人間の想定をはるかに超えた自然の力を知った。最近の異常降雨はただ事でない。それは利根下流域の治水のために八ッ場ダムが必要であることを雄弁に訴えている。

◇ブログの読者から埼玉県の柔道事故を調べて参考にするようにとメールを頂いた。私は来年度からの武道必修化に備えて柔道の対策を急ぐべきことをブログで何度か取り上げた。学校における武道の事故では柔道に関するものが最も多い。私は県柔連の顧問なので柔道連盟がこの問題で協力出来るよう努力したいと県教育長に話した(13日)。福島教育長は、教育委員会と柔連との協議の場を設ける旨答えた。子どもの命を守るための緊急な課題なのだ。

◇柔道のトラブルは非常に多い。埼玉県の例は、高1の女子生徒が練習中に投げられて意識不明となり訴訟になったもの。明らかになった事実からは武道必修を前に学校関係者が学ぶべき点が多い。

当時高1の女子生徒は、練習中頭から落ち軽度の急性硬膜下血腫を起こしていた。その3日後、顧問の女性教諭に投げられ重い急性硬膜下血腫が発症し植物人間の状態に。教論の過失責任が問題となった。地裁は教師側の注意義務違反を否定したが、東京高裁はこれを認めて逆転勝訴判決を下した。上告はなされず確定。生徒のサインを見逃した責任は大きい。群馬でこのような事が起きぬよう万全を期したい。(読者に感謝)

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2011年9月13日 (火)

人生意気に感ず「ナデシコの光。9.11と3.11」

◇それ程サッカーマニアでなかった私がいつしかナデシコファンになっていた。「3.11」後の社会でナデシコ効果は大きい。澤、川澄、木村3選手がテレビに出ていた。その中で、川澄奈穂美さんが被災地の事を語っていた。試合前にビデオを見て、自分たちよりも、もっと大きなものと闘っている人たちがいる、頑張らねばと思ったというもの。彼女らの表情や発言を見て、皆、試合の中で成長していることを感じた。サッカーは、集団プレー。心が通じ合っていなければ連携プレーも活きない。彼女たちの助け合う姿が日本人に、そして、とくに、被災地の人たちに勇気を与えている。

◇世界と日本で起きた大事件が節目を迎えている。「9.11」と「3.11」。いずれも、私の脳裏に焼きついて、生ある限り離れることのない出来事だ。3.11は、激しく進行中で、渦中にいることを肌で感じる。

 ニューヨークの同時多発テロから10年が経つ。01年9月11日。2つの超高層ビルに飛行機が突っ込むのを見た。ケーキにナイフを突き刺すような光景は、一瞬現実のものと思えなかった。全米の国民は星条旗を掲げ、大統領ブッシュはテロへの復讐を誓った。間もなく、フランスなどの強い反対を押し切ってイラクへの攻撃が始まった。同盟国日本は賛成しアメリカに従った。反対出来ない世論が世界を覆い、それは県議会の中も同様だった。

 テロは許せない。しかし、アメリカのイラク攻撃は間違いだった。超大国が感情に負けて押し流される姿を見た。

 アメリカは民主主義の王者と思っている。民主主義は人類普遍の原理であるが、それぞれの国には歴史がある。民主主義の進歩にも違いがある。アメリカはこの10年を振り返って大きな教訓を得たことだろう。

 私は、アメリカの民主主義には、他国に押しつけてはならない特質があると思う。宗教だ。人類普遍といいながら、明らかにキリスト教に立脚している。だから、アメリカの民主主義をイスラムの世界に強制すれば宗教戦争の様相をおびるのだ。

◇「3.11」は、日本を変え、日本の変化を通して世界を変えることになる。人類は火を手に入れ、新たな火と共に発展してきた。石油、原子力というように。今、第3の火、原子力の扱いで人類は大きな壁に突き当たった。大きく方向転換していくポイントに日本が立つ。(読者に感謝)

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2011年9月12日 (月)

人生意気に感ず「死のまち発言の問題点。放射能講演会。除染せよ」

◇またおかしな事で大臣が辞任した。日本の政治の質を象徴する出来事。問題点を整理する必要がある。まず、「死のまち」と「放射能をつけちゃうぞ」では、質的な違いがある。後者は、福島の原発事故の解決に政治生命を賭ける内閣の経産相として言うべき言葉ではない。やる気があるのかと思わせ、苦しむ人々を思う心がないと受取られる軽率な発言だ。辞任に値するかはともかく政治家の資質に欠ける。閣僚に登用した総理の責任がとわれるべきだ。

 「死のまち」の表現については見方が分かれると思う。住む人もなく、野性化した犬がさまよい、牧場から出た牛の群れが家並みの間を走る様は誰が見ても「死のまち」だ。しかし、担当大臣が発言することには、被災住民の心を傷つけ復興の勇気を妨げるという見方と、事態の厳しさを直視したもので、むしろ、ゼロから出発するという覚悟と決意の現れと受取るという見方がある。マスコミがマイナス評価をいち早く打ち上げたためその方向で流れが出来てしまった。被災住民の心をかえりみない発言だと表明されれば、これに対抗することは難しい。住民とて、「そうですね」と答えてしまうだろう。住民の多くは、「死のまち」を甦らせる大臣の手腕に期待した筈だ。こんな事態で大臣を辞任させる日本の政治構造こそ問題である。このような状況を作り出すマスコミの見識も問題だ。復興がますます遠のく。政治は三流、マスコミも三流という世界の声が聞こえるようだ。未曾有の国難に当たり、最優先は政策である。

◇地元の芳賀公民館で、県立健康科学大学の准教授を招いて放射線の講演会を開いた(10日)。原発事故から半年になる。事態の深刻さは変わらないのに人々の関心は薄らいでいく。事実をしっかり見つめねばという危機感から私が呼びかけた。講師は、物理学者、寺田寅彦の言葉・「正当に恐がることが重要」で諦めくくった。私は、正しく恐がるためには正しい事実を知ることが第一歩と最後に挨拶した。

◇東大教授児玉龍彦氏の論文「除染せよ、一刻も早く」を読んだ。この人は去る7月27日、国会で国の放射線対策に激しい怒りを現した。その時、福島第一原発の事故による放射線量は広島原発の20個分だと指摘。論文は、大量の放射性物質を取り除き安心に暮らせる国土にすることが、子どもたちやこれから生まれる未来の国民に対する私たちの義務だと訴える。(読者に感謝)

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2011年9月11日 (日)

「上州の山河と共に」 第53回 妻の発病

ある日、妻は、思い詰めた表情で言った。

「あなた、私はやはり癌ではないかしら。もしそうなら、教えてください。

私はクリスチャンです。神様にはいつもお祈りしてきました。しかし、今までの私の信仰はいい加減なものだったと思います。私がもし癌に罹っているとすれば、今ほど、私にとって神様が必要な時はありません。私は本当に裸になって神様に助けを求めなければなりません。そして、今まで得られなかった神様との本当の出会いが出来るかもしれないのです。しかし、私が事実を知ることが出来なければ、それも不可能です。

それに、私達、今まで何でも一緒にやってきたわね。ゆりを育てることも、司法試験も、そして、塾のことも、いつも心を一つにしてやってきたわ。辛いこともあったけど、お互いの信頼があったから平気だったわ。もし仮に私が癌だとして、それをあなただけが知っていて、私は疑いを持ちながら一人淋しく死んでいくなんて、そんなの、私、いやです」

妻の言うことは、いちいちもっともなことであった。もはや、口先だけで彼女を騙せないことは明らかであった。

事実を告げるべきか、私は途方に暮れた。妻は、事実を知って、その重みに耐えられるだろうか。確かに、妻は、クリスチャンである。しかし、死に直面した人間の姿は、風に吹かれる木の葉のようなものではなかろうか。宗教に、人間のこの弱さを救う力があるのだろうか。宗教を持たぬ私には、それが分からない。

妻の言う通り、今まで、どんな事でも協力してやってきたのに、彼女にとって、一番助けが要る時に、私は、真の協力が出来ないでいる。妻が求める救いの手を、私ははぐらかそうとしているのだ。

私は、幾日も考え、悩んだ末に、一つの結論に近づいていった。それは、事実を告げるべきだということであった。(読者に感謝)

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月10日 (土)

「上州の山河と共に」 第52回 妻の発病

妻は、前から下腹に何かしこりがあることを知っていた。しかし、医者から、それは十二指腸潰瘍の変形したものだから心配ないと言われていたのである。そして、十二指腸潰瘍にかかった者は胃癌にはかからないということを何かで読み、安心していたのであった。

十二指腸潰瘍の変形ではないことが分かると、妻は、今まで自分を支えてきた癌ではないという根拠を失って、にわかに悩むようになった。

「わたし、癌ではないかしら」

妻は青ざめた顔で私を見すえて言った。

「何を言うんだ、馬鹿、医者が胃潰瘍だと言っているではないか」

わたしは、すごい見幕で怒鳴っていた。

この頃、妻は、頻繁に腰の痛みを訴えるようになった。時には、夜、痛みで眠れないようなこともあり、このことが彼女の不安を一層かき立てた。

妻は、腰の痛みは、癌がここまで転移している為ではないかと疑った。そして、時々、怯えたような目で私を見る。私は、妻の視線をまともに受けることが出来ず、心の動揺をさとられまいと苦しんだ。

「私は、神様に何を祈ったらよいのか。今、それさえも分からない」

妻は聖書を前にしてこう呟いた。このような妻を見ていることは、私にとって耐え難いことであった。(読者に感謝)

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2011年9月 9日 (金)

人生意気に感ず「福岡水素エネルギー戦略。福岡の暴力団。ナデシコ、ロンドンへ」

◇視察の3日目は九州最大の都市福岡市に入り県庁を訪ねた(8日)。目的は「福岡水素エネルギー戦略会議」についての調査。この地では世界にさきがけて水素エネルギー社会の実現を目指して研究開発、社会実証などに取り組んでいる。水素は、ほぼ無限に存在する。これから電気をつくる、また、燃料電池をつくる。二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーだ。これを家庭用に利用する世界最大のモデル都市「福岡水素タウン」や水素ステーションによる燃料電池自動車の実証と推進を目指す。

 九州大学、多くの企業群、そして行政の産学官連携により研究が進められている。福岡県庁の説明では、身近な水素の供給源として製鉄所をあげた。新日鉄の八幡製鉄所では、年間5億立方メートルの水素が出される。この水素は、製鉄に不可欠なコークスを作る際、副生物として発生する。これをパイプラインで目的地に供給する。その他の水素の供給源はと私が質問すると、担当者は1例として水の電気分解をあげた。水は水素と酸素から成るから分解すれば水素を得られることは中学生でも知っていること。

◇水素を利用するこの構想は東日本大震災、福島第一原発の事故を経て、その意義が質的に大きくなった。原子力にかわる電気を求める時代に大転換しつつあるからだ。福岡県には玄海原発があり、その耐用年数、老朽化が問題になっている。

◇夜、福岡市の中州に出ると、川に沿って屋台が並び活気にあふれていた。今でもこの賑わいの裏に暴力団の関与があるのか気になった。福岡市は広島市と共に「暴力の町」と呼ばれた。平成21年に福岡県は全国にさきがけて暴力団排除条例を作った。その直後に視察で訪れた私たちに、県警は、市民に銃口を向ける工藤会の撲滅が警察の最大の目標だと語った。私は、群馬県もこの条例を作るべきだと主張し、昨年の9月議会で成立、今年4月1日施行された。

 福岡県で暴力団がらみと見られる銃撃事件が続いている。私たちが訪れた前日(7日)にも2件起き、今年は14件目。異常事態とマスコミは報じる。7日の事件は、建設会社の事務所や企業の社長の車に弾丸が撃ち込まれた。利益供与拒否にまつわるトラブルだろうか。暴力団撲滅の最大の武器は市民の勇気。本県の暴力団排除条例も県民の勇気に支えられて効果を発揮する。

◇ナデシコが北朝鮮に勝てなかったのは残念。しかし、北朝鮮のハングリー精神に拍手。ロンドンが決まった。充電して臨んで欲しい。(読者に感謝)

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2011年9月 8日 (木)

人生意気に感ず「護衛艦こんごうに入る。国の守りとは何か」

◇長崎の朝を走る(7日)。長いこと激しい雨の中にいたので晴天下の空気が心地いい。眼下に入り江の青い海面がしずかに広がる。緑に包まれたのどかな光景からは長崎の熱く激しい歴史を想像することは難しい。走りながら昨夜の事を思い出す。地元の有志が、幕末に全国の若者がここに集まったと語った。若者の代表が坂本龍馬だ。龍馬は海舟の従者として長崎に現れここに渦巻く世界の情勢を学んだ。昨日の出島資科館には、高杉晋作から上海のみやげとして贈られた龍馬の短銃の原寸大の絵があった。

◇軍港佐世保で護衛艦「こんごう」を視察した。7250t、161m、鉄の塊の偉容は一歩踏み入れた私たちを圧倒した。潜水艦対策・弾道弾対応のロケット(SM・3)など最先端の装備の数々は、テロや侵略の脅威の深刻さが現実的であることを訴える。

 96年に北朝鮮が日本上空を侵して弾道弾を放った時、日本にはなす術がなかった。SM・3は、北朝鮮のこの侵略行為に対応すべく「こんごう」に新たに装備された。こんごうはもう一つの国難を日本人に示す。

 我が委員会の課題として危機管理があるが、危機とは自然災害だけではない。東日本大震災を経験した私たちは信じられないような大災害が現実に起こることを知った。それは、外国の不当な侵略が有り得ないとたかを括ることの愚かさを厳しく戒める。特に福島第一原発の事故の恐怖を知らされた今、日本各地の原発がロケット攻撃を受けた時の惨状を容易に想像することが出来る。私たちは、今や巨大地震や巨大津波と外国の武力侵略を同レベルの問題として捉えねばならない。「こんごう」の中の迷路のような通路の中で、私は、このことを痛感した。

 原発事故は一度起きれば、放射性物質は県境を越えて全国に飛散する。だから、遠くの他県にある原発へのテロ攻撃は群馬の問題でもある。平和ぼけといわれる日本人は、東日本大震災によって国を守ることの意味を突きつけられた。私たちは、その意味の深さと広がりを認識しなければならない。

◇「こんごう」の中で、海上自衛隊が東日本大震災で活躍した事実の説明を受けた。巨大津波はあらゆる物を海に引き込んだ。海中の捜索、物資の海上輸送など海自の持てる力が総動員された。潜りの専門家の活躍、離島救援、艦内に保護された人々の安堵の笑顔等がスクリーンに。国の守りを考える貴重な機会だった。(読者に感謝)

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2011年9月 7日 (水)

人生意気に感ず「長崎の壮大なプロジェクト。島原噴火と嬬恋キャベツ」

◇総務企画常任委員会の県外視察は長崎県と福岡県。第一日目(6日)のメインの調査は、長崎県が新たな飛躍のために取り組む、電気自動車と高度道路交通システムを結びつけた壮大なプロジェクト。クリーンエネルギーを取り入れた電気自動車の普及促進は東日本大震災後の社会の新しい方向として大変勉強になった。離島が多いが、そこで走るレンタカーは皆電気自動車。それにつけられているナビでどこの観光地にも行ける、しかも、中国語や韓国語でもナビが対応できる、このシステムによって観光の振興を図ると、長崎県の担当者は語っていた。 ◇実は、長崎県がこのプロジェクトに力を入れる事には、もう一つ理由がある。それは、この県が目指すキリスト教関連遺産の世界遺産登録を有利にするためだ。世界遺産登録のためには環境保全が重視されるのだ。電気自動車は環境保全の有力な手段である。 ◇長崎は悲劇の歴史を多く持つ、まず、キリスト教徒の殉教と原爆投下だ。私たちのバスが県庁に近づくと、秀吉のキリスト教弾圧により28人のキリスト教徒が処刑された丘が目についた。多くのキリスト教徒は弾圧を逃れて離島に渡り隠れキリシタンになった。五島列島には隠れキリシタンの多くの遺跡が残る。世界遺産登録対象遺跡にはこれらも重要な一部となる。 ◇長崎の県会議員と意見を交わした。その1人は、かつて嬬恋村でキャベツの農業体験をしたと話した。離島出身のクリスチャンである。私は嬬恋のキャベツが長崎と群馬を結ぶ縁について挨拶の中で話した。  それは、雲仙普賢岳噴火の大災害の時、嬬恋村が新鮮なキャベツと見舞金を長崎県島原に届けた事。当時の森田村長は、その時、私たちも昔、天命の浅間大噴火の際、この地から大変な見舞金をもらって助けられた、その恩返ですと語った。  平成3年の長崎県島原の雲仙普賢岳の噴火は、その火砕流がマスコミ関係者43人の犠牲者を出す等大災害を起こした。  私は長崎に来て、「歴史は繰り返す」という教訓を改めて痛感した。およそ200年前、普賢岳噴火による山崩れで大量の土砂が有明海に落ち大津波を発生させた。人々は「島原大変」と表現。犠牲は約1万5千人。これは、火山活動にかかわる災害として日本最大の死者。被災地間の助け合いの大切さを3.11と重ねた。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月 6日 (火)

人生意気に感ず「環境大臣の処分場発言。森林汚染。ナデシコ勝利

◇細野環境大臣は、4日の就任記者会見で汚染物質の最終処分場は福島県以外の地に設けたいと述べた。この結論には前段ある。「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」というもの。これからストレートに結論を導き直ちに記者会見で公表するのは、環境大臣として軽率ではないか。私のまわりの多くの人はこの発言に憤慨している。

 痛みを分かち合うという事は、人の道に合致した正しい理想。この事自体に反対する人はいない。しかし、放射性物質の痛み、つまり発がんの危険性を分かち合うという事は容易なことではない。国の配慮で決められる問題ではない。

 放射性物質の中には、ストロンチウムやプルトニウムがあるかも知れない。他県に移すことには、これらを拡散させる危険を伴う。単純な同情論や道徳論で片付けることは出来ない。政治的には極めて慎重に扱うべき問題。

◇インターネットには、ごうごうとした非難の声が炎上している。ほんの一部を紹介する。「拡散させてどうすんだ」、「分かち合い方が間違っている」、「外に汚染物質を出すな、まともに処理できねーんだから」、「痛みって、増税とかなら仕方ないと思うけど」、「汚染を拡げてどうする、キレイ事で政治すんなよ」、「痛みを分かち合うって何?国民みんなで被曝しようってか」、「汚染拡大を防ぐ事が最優先だ」、「環境破壊拡げてどうすんだ」等々、膨大な数の避難の中で、他県に処理場を移すことは放射能の拡散になると心配する声が多い。

◇放射能による森林の汚染は重大な問題である。私は、先日、台風の大雨による利根の濁流を見詰めながら山の放射性物質が多くこの水で流されていくだろうと思った。

 過日、赤城山の大沼でワカサギからセシウムが検出されたが、これは周囲の森林に降ったセシウムかも知れない。放射線の線量は、一般に山間部が高いといわれる。本県は県土の3分の2を森林が占める森林県。森林の汚染は県産木材の汚染につながる。県当局は深刻に受け止めている。

◇ナデシコがオーストラリアに勝った。胸を躍らせて見た。国民栄誉賞を得てマスコミの寵児になった。練習以外の事に煩わされる。心におごりやゆるみが生じることが心配だった。彼女たちの戦いは世界が注目している。真価が問われる時。戦いの中で成長して欲しい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月 5日 (月)

人生意気に感ず「母の法要と吉田松陰。細野大臣の汚染物県外発言。洪水は津波の再来」

◇母の7回忌の法要が我が家の菩提寺・浄土真宗の清光寺で行われた(4日)。県庁のすぐ南に位置するこの寺は吉田松陰や初代群馬県令(知事)楫取素彦とゆかりが深い。松陰の妹で楫取の妻寿子は浄土真宗の熱心な信者だった。夫を助けるため門主に頼んで群馬で初めての浄土真宗の説教所を開いてもらった。これが清光寺の起源となった。前橋市と萩市が友好都市の関係を結んだときは、萩の市長や議長等がこの寺を訪れた。先月、萩市の楫取誕生の地で楫取素彦顕彰の説明板が作られ、私の一文が使用されたことを高橋住職は知っておられた。

◇法要の後、弟妹たちと母を偲んだ。平成17年のドラマチックな出来事の連鎖が甦る。議長として南米各国の県人会を訪問。その帰国を待っていたのかのように母は90歳を目前に他界した。9月17日議長就任祝賀式が、そして、翌18日告別式が行われた。「どんな時にも前向きに真剣に生きた明るい母でした。私たち4人の兄弟が貧乏だったことを恥じと思わないで懐かしく語り合えるのは母の影響でした。私は母の期待に支えられて頑張ることが出来ました」このように挨拶した事が今懐かしく思い出される。

◇台風の中の利根川を見た(3日)。県庁裏の低い位置から見るとはるか彼方から荒れ狂う巨獣が咆哮を上げながら目の前を過ぎていくようだ。水は盛り上がって山となり崩れ落ちていく。その変化は尽きることがない。水の恐さと最近の気象の異常さを肌で感じた。

 紀伊半島各地の氾濫状況がテレビで報じられる。降り出してからの総雨量は1800ミリを超える。水にのみ込まれた町と瓦礫の山は東北の津波の再来を思わせる。老人たちは口々にこんな事は初めてだと言っている。この台風の異変も、これから始まる更なる天変地異の序曲かもしれない。

◇大澤知事と会った(2日)。9月補正予算重点要望施策の申し入れである。その中には、放射能監視体制に万全を期すこと、日赤の移転先の早期決定などがある。日赤の移転先については県有地にこだわらないと知事は発言した。また、その他の話題の中で、中曽根康弘元首相が名誉県民になることが決まった等があった。

◇野田内閣支持率が66%という。閣僚の顔ぶれを見るとこの数字いつまでかと心配だ。早くも細野大臣の「汚染物の最終処分場は県外に」は反響を呼んでいる。明日のブログで書くつもり。(読者に感謝)

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2011年9月 4日 (日)

「上州の山河と共に」第51回 妻の発病

「他に悪いところがあるのではないか。どうも、いつもの風邪とは違うような気がする」

「そんなことはないと思うわ。胃についてはレントゲンを撮って調べたし」

妻はこう言うが、その言葉には力がない。私と話しているうちに、妻は次第に不安にかられていくようであった。とにかく、私はすぐに別の病院で診察させることにした。

結果は、胃癌ということであった。胃の幽門部に握り拳ほどの癌が出来ており、切除出来るかどうかは、切ってみなくては分からないと言う。

これを聞いた時、私は足元の大地が崩れ落ちるように感じた。妻と過ごしてきた過去の日のことが次々と頭に浮かぶ。

<まだ、絶望と決まったわけではない。今は、事実を直視して、妻を助ける為に最善を尽くす他はない>私は自分に言い聞かせた。

妻は、医師から、かなり進んだ胃潰瘍で、早く切らなければならないと説明されていた。

私は、自分が癌であると知って死期を早めてしまう例が多いことを聞いていたので、妻には、絶対に事実を知らせてはならない、と考えていた。

今日、癌についての治療法や考え方はずいぶんと変わった。しかし、当時は、癌と言われれば、死を宣告されたような受け止め方をするのが一般であった。私の悩みは、本人に事実を知らせないで、有効な治療が出来るのだろうかということであった。

日赤病院で手術を受けることになったが、ベッドの都合で入院まで十日位待たねばならなかった。私は、この間、なすすべもなく過ごすのが辛かった。妻と話をしている間にもその肌の下で癌細胞がじわじわと増殖しているのかと思うと、妻を直視することが出来ないのであった。(読者に感謝)

※土日祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月 3日 (土)

「上州の山河と共に」 第50回 妻の発病

家久君に言われるまでもなく、私自身人生の一つの転機に来たことを感じ、新しい方向を探ることに真剣になっていた。

 自分の特性を生かし、自由に飛び回りながら社会的に意義のある仕事をと考えて弁護士を目指したのであったが、家庭をいつまでも犠牲にすることは忍び難いことであった。

 妻千鶴子は、小学生の勉強を見ることにすっかり慣れ、自信をつけている様子であった。そして、子供達に囲まれている時の生き生きとした彼女の笑顔を見ると、子供達と交わり、彼らに慕われることに大きな喜びを見出していることが良く分かるのであった。

そんな彼女が、ある意味では、私以上に心の重荷として引きずっているのが司法試験であった。いつまでも二兎を追うことは出来ない。子供達に囲まれた彼女の少女の様な屈託のない笑顔を見て、私はそう思った。

こんなことを考えながら高校受験の指導に当たっていたある年の秋のことであった。

妻は体調をくずし、苦痛を訴えるようになった。食欲がなく、下痢がいつまでも続くのである。初めは、またいつものことかと思った。彼女は、もともと丈夫な方ではない。女学校時代は、体操の授業は満足に出られなかったらしく、自分は三十歳まで生きられれば、と悲観的に考えていた時期もあったと聞く。そんな風であるから、生と死について考え悩むことも多かったのであろう。彼女の娘時代の話を聞いて、私は彼女がクリスチャンになった背景が少し理解できたように思えたのであった。

 しかし、今度の下痢は、いつもと違っていた。しきりに疲労を訴えるし、衰弱もひどい。かかりつけの医師は風邪と診断しているというが、本当だろうか。私は次第に不安になって、ある日、妻に尋ねた。(読者に感謝)

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2011年9月 2日 (金)

人生意気に感ず「野田総理の安定感・信頼感。防災の日。再生エネルギー」

◇山本龍君を自民党前橋支部で公認推薦することが決まった(1日)。結論に至る過程で厳しい意見が出た。主なものは、野田氏が多数の支持を得て民主党代表に選出されたのは、その演説が多くの人の心を掴んだからだ、前橋支部でも、心を合わせて勝利を得るためには、龍君の信念や政策の基本を聞くべきだというもの、至極もっともな意見であった。

 改めて思ったことは、最近の自民・民主両党から出た総理の中で、野田氏は最も安定感と信頼感をもてる人物だということ。霞が関の官僚は、今までのストレスをぶちまけるように総力を挙げて野田内閣を支えるに違いない。私は、自民党だが、最大の国難に当たって、自民党も民主党も無い。日本人は、今こそ力を合わせるべきだ。

◇昨日(9月1日)は防災の日。例年とは異なった防災の日であることを自覚すべきだ。太平の夢を貧っていた日本人は千年に1度の地震と津波に度肝を抜かれ、原発事故の全貌が姿を現すにつれ、日本の存亡に関わる重大事だと思い知らされている。また、最近の集中豪雨はただ事でない。異常気象は地球が狂いだしたことを物語るようだ。さらに、これは、これから始まろうとする東海、東南海、南海の各巨大地震の序曲であるような無気味さを感じさせる。

 だから、今回の防災の日は、従来とは全く違った発想で防災に備えるスタートとしなければならない。その防災とは、国や自治体の課題であると同時に私たち一人一人の心に防災の砦を築く問題でもある。

◇菅政権の最後の仕事、再生エネルギー特別措置法成立の意義は大きい。先月26日に成立。太陽光、風力、水力、地熱などから生産する電力を電力会社が買い取る仕組みを定める。減原発、脱原発への一歩。私たちが注目しなければならない社会の大きな変化だ。企業や自治体が動き出した。企業にとっては大きなビジネスチャンス。ソフトバンクの孫社長は休耕田に太陽光パネルを敷く「電田プロジェクト」を打ち出した。シャープは太陽光パネルの最大手で、パネルの低価格化に取り組む。風力発電用風車の大手三菱重工業は世界に手を広げようとする。太田市は、自治体単独では全国初の大規模太陽光発電施設「メガソーラー」設置に向け動き出した。これらの動きは「3・11」の年に始まった事を銘記したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年9月 1日 (木)

人生意気に感ず「死後に名をあげる高木仁三郎。セシウムの不安」

◇今、高木仁三郎が脚光を浴びている。死後に注目される珍しい例だ。私も何回かブログで書いた。県議会図書室の新着書の棚にも何冊か並ぶ。久しぶりに前橋市立図書館を訪ねたら、「東日本大震災と原発を考えるコーナー」が設けられ、反原発の市民科学者・高木仁三郎氏をご存知ですかと書かれ、その下に経歴が表示され著書が並ぶ。高木仁三郎コーナーなのだ。

 市立図書館が注目する理由には、高木氏が前橋出身という事もあるのだろう。群大付属中から前橋高校を経て東大へ。そして反原発の科学者を貫いた。脚光を浴びる第一の理由は、反原発の論理が指摘したことが福島第一原発事故というかたちで的中したことだ。

 大腸がんに罹り、死の床で、最後に自分を偲んでくれる人にと残したメッセージには彼の思想が凝縮されている。「残念ながら、原子力最後の日は見ることが出来ず私の方が先に逝かねばならなくなりました」「すでにあらゆる事実が私たちの主張が正しかったことを示しています」「原子力時代の末期症状による大事故の危険と、結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」2000年10月死亡、62歳だった。私の友人でうどん店を営む男が、ある客に高木仁三郎を知っているかと聞かれ、知らないとすれば前高卒業生ではないと言われたとか。高木仁三郎氏は昭和32年の前高卒業生である。

◇赤城山の大沼のワカサギに規制値を越えるセシウムが検出された事は、山麓に心配の波紋を広げている。沼から流れ出て用水に流れ込む水は大丈夫か、沼を囲む山々に降ったセシウムは、麓の沢の水を汚染させないか等。沢水で鱒を飼う業者から「大丈夫だった」といううれしそうな声が届いた。わずかでも検出されれば鱒のイメージを悪くし、風評被害につながる。放射性セシウムの黒い影はどこまで広がるのか。

◇板倉のコメから放射性セシウムが検出されなかった(31日)。県内では初の検査結果。生産者の喜ぶ顔が目に浮かぶ。以後各地の検査が心配だ。一ヶ所でも出れば全体のイメージを壊す。セシウムは水に溶けやすく動きやすい。また体にとり込まれやすい性質をもつ。ウランが核分裂した時に大量にできる放射性物質である。(読者に感謝)

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