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2011年8月31日 (水)

人生意気に感ず「野田どじょうのスタート。赤城大沼の汚染」

◇野田新総理のスタートは順調に見える。民主党のこれ迄の首相の中で一番映りがいい。自民党の最近の首相は、残念ながら新総理に比べお粗末だ。自らを、どじょうにたとえ、「泥臭さでしゃにむに全力を尽くす」と決意を述べた。どじょうは泥のなかにいる、ヒゲのあるパッとしない魚だ。海外のメディアの中には、海底にすむ醜い動物などと解説しているところがある。笑ってしまう。新総理の心中には、追い詰められて最低の原点に立つ捨て身の決意があるのだろう。死に体の怪獣が息を吹き返した。自民党はよほどしっかりしないと政権を奪還出来ない。

◇しかし、全てはこれからだ。どじょうのままでは何も出来ない。泥臭いはいいとしてどじょうは良い意味で変身しなくてはならない。私の書架に滝田ゆうの漫画・寺島町奇譚がある。そこでは、やな川にされるどじょうが腹を裂かれキュウキュウ鳴く場面が出てくる。野田どじょうが日本のためにこうならないことを祈る。

◇表明している政策で注目されるのは、増税、原発の漸減、マニフェストの見直し等だ。そしてはっきりしないのは外交である。現在の日本の状況を見れば、消費税を上げる等の増税はやむを得ない。しかし、それには前提がある。無駄をはぶくための行政改革を徹底させることだ。 マニフェストを見直すことは当然だ。国民との契約といっても不変ではありえない。ましてや、選挙の戦略上、国民の目先の人気を狙って作ったものもある。八ツ場ダムの中止は適例だし、子ども手当にもその要素がある。

 原発については、放射線の状況の真実を国民にありのまま示して欲しい。これまでは、隠していた事実を小出しにしているように見える。「しやにむに」は猪突猛進ではなく、現実を冷静に見詰めた上の「葉隠」の精神であるべきだ。

◇赤城山大沼のワカザギから規制値を超える放射性セシウムが検出されたことに、ここまでもと驚く。県は赤城大沼漁業組合に対しウグイ、コイ、マス類の捕獲自粛を要請。

 大沼の水が汚染されているとすれば、流れ出る水の汚染も心配だ。大沼の事実は、汚染濃度の高いホットスポットが他にも多数存在することをうかがわせる。膨大な放射線の総量はどこまで広がっているのか無気味である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年8月30日 (火)

人生意気に感ず「野田総理の誕生。放射能対策。八ッ場の動向

◇民主党代表選は野田佳彦氏が制した。海江田氏が小沢氏の支持を得て1位となっても過半数に至らずに決選投票になれば海江田氏は敗れるだろうと思っていた。決戦を控え、海江田氏と野田氏の演説を聞く。野田氏は演説が巧みだ。表情、態度、内容もしっかりしていた。政治家の大切な武器は演説力。そこには人間の中味が現れる。

 野田氏の事はよく知らないが、早大卒、東京ガス検針員、学習塾教師、29歳で県議選当選、衆院当選5回、現在54歳などの略歴が目を引く。自民党にとって管総理より手強わそう。

 代表選では、民主党内の複雑な事情が選挙結果と結びついて表に出た。小沢一郎の影響力は著しく低下するだろう。10月に初公判を迎える「政治とカネ」を巡る刑事裁判の行方如何によっては政治生命も危うくなる。

◇総理大臣は国会の議決で指名する(憲法67条)。国会では民主党が多数を占めるから、民主党の代表となった野田氏が第95代の首相に指名されるのは確実。

 次の政権に対する国民の期待と不安が交差している。最大の課題は震災の復興対策だ。被災地の人々は一刻も早い救済の実現を待っている。復興には莫大な金がかかる。野田氏は増税に意欲を示している。

 復興対策の中には放射線の問題がある。政府は国民に事実を隠してきたと思われる。不安を大きくさせないという考慮と思うが、逆効果だ。政治不信の根源となっている。国会の参考人・東大教授が「満身の怒りを表明する」と発言した事は、その事を物語る。文科省は、福島第一原発百キロ圏内の土壌の汚染状況を発表したが、それはただならぬものだ。児玉東大教授が国会で、放射線の総量は広島原発の30発分と「計算上の数値」を示したが、その事が、国民の前に姿を現した感がある。

新政権は、不退転の決意で、この放射線対策に取り組むべきだ。この点で与党も野党もない。

◇群馬の関わりでは八ッ場ダムが最大の問題。私は本県八ッ場ダム推進議連会長として、新政権の八ッ場対策に注目する。地球が狂い出したと思えるような最近の異常気象は八ッ場の必要性を訴えている。野田氏はマニフェストの見直しにも柔軟な姿勢を示している。自民党は未曾有の国難に対し、国民本意で対応するべきだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年8月29日 (月)

人生意気に感ず「紳助と暴力団排除条例。ボルト失格。海江田の涙」

◇紳助と暴力団の関係で最近マスコミで必ず触れられるのが暴力団排除条例である。群馬県議会もこれを議決し今年4月1日から施行された。紳助の発言からは、自分はアウトとは思わぬが吉本がアウトというから身を引くと聞こえる。これは、影響力の大きいマスコミ人としての認識の欠如を示すもの。マスコミは、各県が条例を作ってまで、暴力団との関わりを断とうとしていることをあげ、マスコミ人の責任を示そうとしている。

 本県条例の中で関係する箇所は、16条「事業者はその行う事業に関し暴力団の威力を利用してはならない」である。テレビの発言にからむトラブルを暴力団幹部に解決してもらったことはこれに当たる可能性がある。他県の条例にも同様の内容が規定されている。紳助の行為は条例と直接関係ないとしても、世の中がこうなっているという事は、社会的責任を考える場合の重要なポイントなのだ。

◇世界陸上から目が離せない。八百長なしのギリギリの真剣勝負が展開されている。黒人の強さは圧倒的だ。黒人女性の肌は彫刻より美しい。表情は輝いている。競技の世界に人種差別はない。黒い肌の活躍を目にするとかつての奴隷制度を思い出す。リンカーンによる奴隷解放から150年。スポーツを通して見る限り人間は人間の平等を目指して進歩している。競技場の興奮状態には人間の素晴しさが凝縮されている。 人類最速といわれるジャマイカのボルトの姿は衝撃的だった。スタートを前に十字を切り天を指さす。緊張感が伝わる。直後に、まさかのアクシデントが生じた。ボルトがフライングで失格したのだ。騒然となる会場。うつろな目で天を仰ぐボルト。同じジャマイカのブレイクが「金」を得た。平和な戦いにも天国と地獄がある。様々なことを示唆する光景だ。

◇国民は一流、政治は三流と外国からも酷評される政治は少しでも前進するのか。注目は、海江田氏。顔をくしゃくしゃにして泣いた大男。あの涙で激流を乗り切れるのか。小沢一郎には、総理を作ることによって自身の逆境を乗り切ろうとする私心が感じられる。小沢の言いなりになる浮草のような議員たち、小沢の傘の下で政治の筋を曲げる海江田。国難は津波、原発事故と共に政治そのものにある。決戦投票になれば、サプライズが生ずる可能性もある。政治力が弱いと中国やロシアに舐められる。センカクも北方領土も消えてしまう。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年8月28日 (日)

「上州の山河と共に」第49回 再び故郷へ

「この政治に無関心な層、そして、政治を批判的に見ていて投票所に行かない人達に訴える方法を考えるべきだよ。それには、今までの方法では駄目だ。金のある奴は、金を使うから駄目。組織を持っている人も、組織に頼って新しい戦術はとれない。金も無い、庶民そのもの、そして、行動力のある君こそ、理想的だと俺は思うんだ。それに、君の少年時代の貧しい生活や夜間高校での苦学の体験、これは貴重だよ。その上にだ、歴史と法律という学問は、これから政治をやる者には、とても必要なんだ、君には、新しい選挙をやるには一番条件がそろっているではないか。あとは、君の勇気と決断だけだ。形だけになりつつある民主主義を立て直すのだ。そして、これは、21世紀の新しい扉を開く仕事だよ、やりがいがあるぜ、どうだい、上州の山河に風雲を起こせよ。これは、ずっと考えていたことなのだ。今日は、これを言うために、北海道から出てきたんだ」

家久君の目は輝いていた。東大の寮で、よく議論をしたあの若い頃のように。

私は、彼の話を素晴らしいと思って聞いていたが、それはまだ、現実的なものとは思えないのであった。家久君は、その後、医大を卒業し、故郷の福井県に帰り、現在、福井大学の助教授となっている。

話はそれるが、ずっと後になって、平成4年のある日、福井県の彼を訪ねた時、彼は、友人達から、市長選に出ろと、しきりに言われていると話していた。それを聞きながら、私は、北海道から私を説得に来た時のあの場面を楽しく思い出していたのだった。

※土日祝日は中村のりお著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年8月27日 (土)

「上州の山河と共に」第48回 再び故郷へ

「俺も悩んでいるのだが、何をしたらよいのか」

頷きながら、私の目を見つめていた彼は、きっぱりと言った。

「政治家になってみてはどうか」

「えっ、そう簡単にいうが、選挙は大変なことだと聞いている。地盤、カバン、看板が必要だというではないか。これらのどれも持っていない俺たち一般市民の入っていける世界ではないよ」

「そこなんだよ、君」

彼はわかっていないな、という表情でニヤッと笑った。

「選挙は、民主主義を実現する為の一番大切な手続きではないか。この大切である筈の選挙が、現実はどうなっているのか。君が言うように、一般市民が入っていけない世界で行われている。一般市民が選挙でも中心になるべきなのに、実際は、選挙のブローカーとか、選挙のプロのような連中が中心となってやっている。一般の市民は入っていけないから、そっぽを向いている。彼らは、選挙は物好きで金のある候補者を中心としたくだらないお祭りだと見ている。だから、政治家を尊敬する若者などいなくなってきているんだ」

彼は、憤慨したように言った。

家久君の言葉には、次第に熱が入ってきた。私は、地域の選挙の時、<地元の○○です。どうか男にして下さい>と絶叫しながら候補者カーが通る度に、塾生がドッと笑う光景を思い出していた。彼の熱弁は続く。

「民主主義は、これで良いのか。駄目になってしまう。一般市民は、そっぽを向いているから、投票率も悪い、地方の選挙だって、大騒ぎをして、50%か60%じゃないか。そこでだ」

彼は一息ついて、ここからが本論とばかりに身を乗り出して話を続ける。 (読者に感謝)

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2011年8月26日 (金)

人生意気に感ず「紳助の涙。公舎管理規則。楫取県令。浅間火山」

◇島田紳助は指定暴力団六代目山口組幹部と親しい関係があり家族ぐるみの関係を続けていたと報じられる。きっかけはトラブルの解決に力を借りたことといわれる。紳助は任俠道の人と付き合ったらなぜいけないのか分からないと語っていたという。推測するに、紳助の性格には激しい男気があって、それが黒い世界との絆になっていたのではないか。テレビの有名タレントとしてそれは許されない。暴力団を間接的に利することになるからだ。また、テレビという公共材を暴力団に利用させることになるからだ。クレバーに見えて、この点の理解に至らなかった事が致命的だった。

◇初代県令楫取素彦のことが山口県萩市で話題になっている。百回忌法要には楫取家5代目当主楫取能彦氏も出席、生誕の地・今魚店町(いまうおのたなちょう)の顕彰説明板には「群馬県議会議員中村紀雄の議員日記より抜粋」として私のブログの一文が使われた。これらは地元のテレビニュースで紹介され、そのDVDが送られてきた。その中で、萩博物館の主任研究員は人づくり、物づくりという地方自治のモデルを実施した人と楫取を評価。また、萩市長は、松陰先生の義兄弟、松下村塾の後見人と語った。今日(26日)の上毛でも紹介されている。

◇昨日(25日)、総務常任委員会が開かれ、午後は浅間の研究所を訪ねた。午前中は、群馬県公舎管理規則について学んだ。知事の事が週刊新潮で報道された事に関する。大沢知事は平成20年2月、公舎に入居、本年7月末日退去。規則第8条は、生計を一にする者以外の者の同居を禁じているが知事の例はこの「同居」に当たらないかと質問がなされ、総務部は、同居とは一緒に生活することだから該当しないと答えた。

 軽井沢の東大地震研究所・浅間山観測所を訪ね、この研究所観測所が巨大活火山を優先端の科学技術で分析している実態を学んだ。宇宙飛来の宇宙線によって火山をレントゲンにかける、マグマの動きで地磁気や重力が変化する、噴煙に含まれる微量の物質を分析する、この様な研究で現在は噴火の予知が可能。当分、大噴火はないという。天明の大噴火から228年たった。大規模なマグマは、プレート変動の際の圧力の熱で岩石が溶けて出来る。昔、この地を訪ねた昭和天皇の一言で電気がつくるようになったというエピソードも聞けた。(読者に感謝)

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2011年8月25日 (木)

人生意気に感ず「八ツ場は熱く燃えた。収穫の秋はセシウムの秋」

◇第2回八ツ場ダム建設推進全体協議会が霞が関の憲政記念館で行われた。講堂は800人の参加者であふれた。1都5県の知事や推進議連の会長・国会議員等が壇上に並んだ。私は群馬県八ツ場ダム推進議員連盟会長。来賓の谷垣自民党総裁は国会議員を代表して挨拶。

 様々な人が挨拶したが聴衆を引きつけたのは、ダムの現場、洪水に見舞われた過去をもつ町、洪水の危険に晒されている地帯等を代表する人たちの生々しい訴えだった。次のような人がいた。長野原町町長、元大利根町町長、江戸川区議会議長などである。

 大利根町は過去、利根川堤防決壊の歴史をもつ、元町長柿沼トミ子氏は、堤防がぶるぶる震えて鳴ると語り、島村和成江戸川区議会議長は区の68万人が0メートル地帯にいると説明した。いずれも八ツ場ダムの必要性を心底訴えているのである。

 栃木県議連会長が大会決議案を読み上げ全会一致で可決された。その内容の要旨は、ダム中止の白紙撤回とダムの早期完成を求めること、中止を撤回しない場合には訴訟を含め国の責任を徹底的に追及する、また国に代わり1都5県が所要の手続きを経てダム事業を完成させる等である。

 私は、ホスト県の推進議連会長としてしめくくりの挨拶をした。私の言いたいことの要点は、次のこと。八ツ場には、下流都県の人々の生命と財産を守るための地元の人々の熱い思いと悲願がこめられた長い歴史とこの間に積み上げられた実績がある、東日本大震災と最近の異常気候は八ツ場の歩が正しかったことを物語る、八ツ場を完成させることは、人々の生命と財産を守ることの他に民主主義を守るという大切な意味がある、多くの人々が力を合わせて進めてきたことが一片のマニフェストで中止させられようとしている、民主主義とはこんな軽いものか、八ツ場の完成は民主主義を守ることを意味するのです。ですからどうしても実現しなければならない。拍手が起きた。

◇セシウムは汚泥に集まり、汚泥は灰にしても放射性セシウムは消えない。焼却灰は増え続けやり場がなくなる。前橋市や高崎市がかかえる深刻な問題。国政に関わることなので県は間に入って協力すべきだ。板倉町では早くも新米の収穫が始まり、県は放射能の検査をする。農家は結果に対して祈る思いだろう。収穫の秋は食の安全を考える秋になる。(読者に感謝)

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2011年8月24日 (水)

人生意気に感ず「島田紳助の引退。9月議会の政調会。県教委に提案。」

◇9月15日から始まる9月議会に備えて自民党の政調会があった。朝9時から11の所管につき、一部門40分で、午後5時迄の強行軍。9月補正予算の主要事業の説明と質疑である。1年生議員8名はさすがに全員出席していた。いい勉強の機会なのだ。9月議会は重要である。放射線関連の質問が多くなされるだろう。

 各部から出される放射線関連に注目した。次のような項目があった。環境放射能モニタリング強化(環境保全課)、廃棄物処理施設放射線監視体制強化(廃棄物・リサイクル課)、放射性物質測定機器整備費補助(農政部・技術支援課、因みに、一台250万~300万円)、水道水における放射性物質の監視体制の強化(企業局、今のところ水道水から無検出)、放射性物質を含んだ浄水発生土の適切な保管と処理(企業局)等々である。どの部・課でも放射線対策が大きな問題になっている。水道水について、もし基準値を超えるセシウムが検出されたらどう対応するのか。「出荷停止」と同様に扱うことは出来ない。農政部は収穫の秋を前にしてコメにつき大きな不安を抱いている。

◇教育委員会に教育長を訪ねたが不在で教育次長が対応(23日)。2つのことを提案。1つは、来年度から始まる武道必修化における柔道対策について。柔道を選ぶ生徒は一番多いだろうが、柔道は事故が多い。授業として行われる中で事故が起きたら大変なことになる。その備えは出来ていない。私は県柔道連盟の顧問として柔道界と教育界をつなげたい。既に柔道の人はボランティアでコーチに参加しているが、本格的なサポート体制づくりに協力したいと提案した。柔道のすそ野を広げ柔道を更に発展させる好機になる。また、柔道に流れる礼議の尊重を子どもたちに教えたい。

 もう一つは、来年度から中学の授業に登場する「放射線」の対策。理科の先生の研修は非常に重要である。放射線が大問題となり今後も続く状況下、「授業」の意味は大。県立県民健康科学大学は県下で唯一放射線学科をもつ。ここと提携して先生の研修を今から進めることを提案した。

島田紳助が芸能界を引退する。中味のある特異なキャラクターだった。暴力団の存在は社会の暗部として健全な社会を脅かす。テレビは社会の表の顔で、社会をリードする存在。社会の表と裏がつながっていることは許されない。引退は、この表裏をつなぐ糸を切断することを意味する。紳助の潔さを買いたい。

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2011年8月23日 (火)

人生意気に感ず「公開の事業仕分け。原発の真実。カダフィ」

◇行制改革の重要な手段である「事業仕分け」は昨年始まったが、今年はそれを進化させて公開で実施することになった。事業仕分けについて、私は昨年2月と11月の定例議会で私の考えを主張し実施を求めてきた。

◇昨年2月26日の本会議で、私は、外部の意見も入れた事業仕分けを行い、行政の見直しを行うべきだと大澤知事に迫った。知事は、外部の専門家や有識者の意見を参考にして事業の見直しを行っていくと答えた。

 そして、昨年10月から11月にかけて、大学教授、弁護士、公認会計士など6人の民間有識者を加えて事業仕分けがスタートした。しかし、非公開という点で不十分なものであった。私は、この年12月2日の本会議の質問でこの点を取り上げた。事業仕分けによる行政改革には、透明性を高めて行政に対する信頼を獲得するという目的があるのだから、公開にすべきだと主張したのである。

 私の質問に対し、総務部長は、行政の執行について透明性を高めることは非常に重要だから、事業仕分けの検討会を公開にすることをその方法も含め検討していきたいと答えた。今年度、事業仕分け検討会は、2日間の公開を予定し、休日と平日を組み合わせることを検討している。

◇政府は、原発から半径3キロ圏内を最低10年間居住禁止区域にするという。放射性物質の深刻度は私たちが考える以上のものらしい。政府は混乱を恐れて、情報を正しくコントロールしているのかと疑いたくなる。「健康に直ちに影響を与えない」などという表現は、国民を欺くものといえよう。外国のメディアがストレートな厳しい情報を伝えている面がある。国政の役割は極めて重要なのにドタバタ劇に終始している。アリ地獄に落ちてもがいているような政情は絶望的に見える。政界にもメルトダウンが起きているのか。民主主義の危機を感じる。

◇あるニュースキャスターがいかれた独裁者といった。リビアのカダフィ大佐の事だ。現代に、こんな暴君の君臨を42年間も許す国民が居たことに驚かされる。そんな独裁君主もいよいよ民衆の前に屈伏させられる最後の時を迎えている。「血の最後の一滴まで」と叫ぶ声も空しく響く。結果は他の独裁国家に大きく影響するだろう。隣国北朝鮮の動向に眼を離せない。中国の一党独裁も揺れている。(読者に感謝)

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2011年8月22日 (月)

人生意気に感ず「コメのセシウムと食の安全。柔道必修と安全性」

◇とうとうコメからセシウムが検出された。茨城県鉾田市の早場米で、収穫前の予備検査で検出された。19日の発表。コメについては全国初。国の斬定基準値は大幅に下回る値。農水省は消費者に冷静な対応を呼びかけ、茨城県知事も安全性に問題ないと言っているが、主食の米だけに影響は大。今後風評被害は広がるだろう。鉾田市は第一原発から南西150キロの距離にある。放たれた膨大なセシウムは風に乗って遠方に飛ぶ。静岡県の茶から既に検出されている。従って今後、微量なセシウムは各地の米から検出されるだろう。一般に、放射線の汚染度は地形によって異なり、意外な所にホットスポットがある。検査地域が広がれば、高濃度の汚染米が現れる恐れがある。

◇米は主食であるだけに、国民の不安は大きい。食の安全の問題である。本県でも、食の安全は最大の課題となりつつある。県及び市長村は連携を密にして事に当たるべきだ。県には放射線に取り組む機関がある。又、食品衛生に関する研究機関もある。これらを最大限活かさねばならない。

 前橋市は先日、県に対する要望事項を提出したがその中に、県が有する放射線研究機関の支援を求めるものがあった。前橋市と県が良好な協力関係を築くことが、今一層求められる。

◇私たちは、次の市長候補に山本龍君を推す。龍君は既に走り出した。訴える政策の1つに放射線対策を掲げるべきだと思う。新たに放射線対策室を設け、県の諸機関と緊密な連携を築き、食の安全・発がんの不安に対して、常時市民の相談に応じ、また情報を提供すべきだ。

◇柔道連盟前橋支部の暑気払いに出た(21日)挨拶で、中学の武道必修化に触れた。柔道、剣道、相撲の中で、柔道を選ぶ生徒が一番多いだろう、柔道は一番事故が多い、健全な柔道の授業を実現するために柔道家のサポートは欠かせない、来年度からは柔道家には新たな使命が出来る、柔道発展の好機でもある、と述べた。

◇道・「どう」には人として行うべきみちという意味がある。柔道につき「礼に始まり礼に終わる」という事が重視されるのは、柔道の本質から出ている。フランスは柔道が非常に盛んな国だが、礼に始まり礼に終わることを徹底しているといわれる。本家の日本で、この点を再認識すべきだ。中学の授業でも技の習得だけでなく、日本の伝統文化に流れる礼を教えるべきだ。(読者に感謝)

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2011年8月21日 (日)

「上州の山河と共に」第47回 再び故郷へ

「今の仕事も飽きた。どこか医学部に入り直して、医者になりたいと思う。」
「君なら入学試験は大丈夫だろうが、なぜまた医者に」
「俺の性格に合っている気がする。それに、自由が得られると思うんだ。でも、医学部の試験は、どこでも東大以上に難しい。運良く入れたら連絡するよ。」
 彼は、学生時代からの自慢の彼女と結婚していたが、この電話から数ヶ月経ったある日、首尾良く北海道旭川の医大に合格し、今、北海道の大自然の中で、また昔の大学時代に戻った気分で勉強していると、うらやましいような電話をよこしていたのであった。 

 その彼が、突然訪ねてきたのであった。 

 大学時代の話、友人の消息などにしばらく花を咲かせた後、家久君は急に真顔になって言った。
「今日は、君に話すことがあって来た。」
 彼の変化に、何事かと私が座り直すと、
「司法試験は、早く切り上げた方がいい。賢いやつは、皆、転換している。人生、一つのことにあまりこだわらない方がいいと思うよ。君の場合、変なところでつっかえているのはもったいないよ。」

 彼の言葉は、痛いように胸に響く。私が一番悩んでいることであり、彼の言うことは、いちいちよく分かるのである。中学生の受験期が近づき、それと重なるように私の試験勉強が激しくなるころ、妻は必ず胃痛を訴える。そんな妻の姿を思い浮かべながら、私は黙って聞いていた

一つのことにこだわらずに自由に生きるということは、誰もが理想とする素晴らしいことだが、その実現は難しい。その生き方を実践している彼の言葉には重みがあるが、蛸壺にはまったような心境の私の耳には複雑に響く。

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2011年8月20日 (土)

「上州の山河と共に」 第46回 再び故郷へ

さて、卒業の翌年司法試験の第一次に合格した事は前に触れたが、その翌年、今年こそは最後まで行くぞと思い詰めた気持ちで受験したが、今度は、一次試験に不合格という苦杯を舐めることになる。
 司法試験の一次は、毎年五月に行なわれる。全国の受験生は、これに照準を合わせて、数ヶ月前から必死の勉強を始める。皮肉なことに、この時期、私は、三月に行なわれる中学生の高校受験にかなりのエネルギーを割かねばならない。これが終わると、塾の新入生の対応に追われるという有り様であった。

 こんな状態であるから、司法試験の勉強も最後の詰めが出来ない。最後の大切な時に全力を集中することが出来ないのである。このまま塾を続けていたのでは、永久に試験は通らないと思いつつも、自分をとりまく環境をどうすることも出来ず、私は、家族と共に、大きな流れに押し流されるような日々を送っていた。その後も、一次は合格したが、二次はもう少しのところで不合格ということが続いた。
 妻は、足手まといになって悪いといって、彼女も小学生を教えるようになったが、こちらも好評となって、小学部も次第に盛況となってゆく。複雑な心境は募るばかりであった。

 このような不本意な気持で二兎を追いながら、数年があっという間に過ぎ去った。

 出口の無い袋小路に追い込まれた気持でいたある日、あの家久勅男君が突然やってきた。彼のことは前に触れたが、彼は、一度は大企業に就職したが、すぐにそこを飛び出し、法学部の恩師の紹介で、ある官庁の外郭団体の仕事をしばらくしていたことがあり、その頃、一度彼から電話があった。(読者に感謝)

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2011年8月19日 (金)

人生意気に感ず「甲状腺被曝45%。楫取素彦の顕彰板に私の文」

◇福島県の子どもの甲状腺内部被曝の状況は重大だ。検査した子どもの45%が被曝。政府は「問題ないレベル」といっている。何を根拠に問題ないといえるのか。検査は3月下旬、説明会は8月17日。この間が長すぎる。この間、個人の被曝線量が知らされなかった。親はこの間何も出来なかった。知っていればああしたこうしたと後悔したり不安に陥るのは当然だ。内部被曝については究明されていないことが多い。低い線量の被曝も長期間続いたらどうなるのか不明な点が多いといわれる。「ヨウ素は甲状腺に集まる。成長期の集積がもっとも特徴的でそれは小児に起ります」、「放射線は幼い子どもにとって非常に危険、政府は子どもを守るために全力を尽くして欲しい」これは、先月の国会参考人の発言。情報の遅れ、放射線への無策はドタバタ国会の責任である。

◇楫取素彦顕彰説明板が完成し除幕式が行われたと連絡をいただいた。楫取、生誕の地萩市・今魚店町(いまうおのたなちょう)の一角。写真の背景に海と島が見える。説明に「日本海と沖の島です」とある。楫取の命日、8月14日の1日前に設置したという。

 説明文に、私のブログの一文が使われた。初代群馬県令楫取素彦は吉田松陰の妹を妻とし、松下村塾と深く関わった人。群馬を教育と新産業で興そうとした。新産業は生糸である。新井領一郎が生糸の販路開拓のため渡米するとき、楫取の妻寿子は、一振りの短刀を渡し、これは兄松陰の形見、兄の魂は太平洋を渡らねば救われませんといって励ました。説明板には、このような文が載せられ、「群馬県議会議員中村紀雄の議員日記より抜粋」とある。私の文は、昨年5月6日のブログ、「群馬の原点、楫取素彦を塾で語る」である。

◇楫取素彦のことは、県議会棟の県民サロンにやや詳しく展示される見通しだ。現在、私が所属する図書広報委員会は、県民に開かれた議会を目指して改革を進めているが、その一端として議会棟2階の県民サロンに展示ホールの機能を持たせようと企画している。ここは広いスペースで県民が自由にくつろぐことが出来る。

 議会を傍聴する人がここで議会の歴史と現在の動きを学ぶ事が出来る。楫取素彦は群馬の原点を作った人物として展示ホールに位置づけるにふさわしい。生誕の地の顕彰事業とわが県議会の動きがほぼ機を同じくして行われることに不思議な縁を感じる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年8月18日 (木)

人生意気に感ず「放射性物質飛散の筋道。柔道、放射線必修対策」

◇放射性物質が原子炉から漏れ出す筋道を多くの人から聞かれ私の考えを説明した。地震のゆれを検知して原子炉は自動的に停止する。つまり、ウラン燃料の核分裂は止まる。しかし、重要な点は、核分裂停止後も「燃料棒」から高温の「熱」の発生が続くことだ。それは、停止前の核分裂で生じた放射性物質が出す熱で崩壊熱という。燃料棒は水中にある。水の役目は燃料棒を冷やすこと。停電で冷却水が補われないと崩壊熱により冷却水は蒸発し、燃料棒が水の上に露出し、数分で燃料棒は2,000度C以上になる。すると、燃料棒を覆う管が溶けて大量の放射性物質(ヨウ素やセシウム)が燃料棒の管を納めた圧力容器内にもれる。圧力容器内には事故後の化学反応により水素が発生する。水素は最も爆発しやすい気体。この水素が漏れて爆発し大量の放射性物質が飛散した。事故のスタートは、停電で冷却水がストップしたこと。非常用のジイゼル電源まで津波で水没。この電源を地下の同じフロアに設置したのが大ミス。皆で原発事故の根本を学ぼう。

◇私は現在、群馬県柔道連盟の顧問。昔、柔道少年だった頃、町道場でおちた経験をもつ。「おちる」とは首を絞められて気絶すること。上の方で人の声がする。何か良い気持ちだった。この我に返る瞬間のことを良く覚えている。「締め」は禁じられていたことだったが、柔道には危険が伴う。あるデータによれば、過去27年間で、学校の柔道中亡くなった生徒は110人という。学校の武道で柔道の事故が最も多い。来年度から中学で武道が必修科目となる。安全対策は大丈夫なのか。先日、ある柔道家と話したときしきりに心配していた。県柔道連盟には人材が豊富である。県教育委員会は連盟と連携すれば有効な対策を立てることが出来る。残された時間は少ない。計画を前進させるべきだ。

◇来年度から始まる教育界の変化の一つは、中学で放射線が授業で取り上げられることだ。文科省のこの方針は福島第一原発の事故を予想せずにたてられたが、図らずも放射線パニックと符節を合わせて実施されることになる。学校の授業の意義は大きい。成否は先生の力量にかかる。先生の研修に県の研究機関を活用すべきだ。県立県民健康科学大学は、県内唯一放射学科を持つ。人材は0Bを含め豊富だろう。その他の大学でも活用出来る人的資源は多いのではないか。研修体制を早く本格化させて欲しい。(読者に感謝)

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2011年8月17日 (水)

人生意気に感ず「子どもたちに被災地を見せよ。テロ対策条例」

◇今年の夏は特に暑い。その中で甲子園の熱闘が続く。球児たちは、例年になく燃えているように思える。大震災への思いが彼らを突き動かしているのかも知れない。グラウンドには、頑張ろう日本の文字が見える。球児たちにとって忘れられない試合になるだろう。

 甲子園が終わると急速に秋が近づく。しかし、東日本大震災との闘いは続く。大震災は限りない教訓を日本人に投げかける。特に子どもたちに。私は、被災地の出来事を学校の教材として活かすべきだと5月議会で訴えた。県教委は市町村教委と連携してその方向で頑張っている。

 教材として活かす方法はいろいろあるが、現地を見ることは効果的である。百聞は一見にしかずだ。現地を実際に見ると災害の凄さに圧倒される。誰もが新聞やテレビで見ていることであるが、被災地の荒涼とした光景は測り知れない説得力を持つ。私は、是非、多くの子どもたちに現地を見てほしいと思う。県教委は市町村教委と連携して、子どもたちに現地を見せる企画を実現させるべきではないか。

◇来年度から実施される新学習指導要領に放射線が登場する。社会全体が、地に足をつけた放射線学習をする機会にすべきだ。正しい知識がないから過剰に反応しパニックにおちいっている。真剣に受け止めることと、軽挙妄動とは別だ。被災地の松の木から微量の放射性セシウムが検出されたことから、京都の伝統行事でこれを燃やすことが中止になった。行き過ぎた反応ではないかと思うが、目に見えぬ未知なるものへの恐怖が人々をあおっている例だ。

◇天災に対する危機管理が目下大問題となっているが、テロに対する備えも重大である。世界中でテロが発生する中、日本はテロが少ないと言われる。しかし、オウムのサリン事件は新しいテロとして忘れることが出来ない。遡れば、血盟団事件や五・一五事件もあった。一人一殺の血盟団事件の首領は本県出身の井上日召だった。平成21年北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射した事実は重大だ。原発が狙われたら津波どころではない。県は、同年国と共同してテロ対策の図上訓練を行った。平和ボケといわれる私たちは事態を深刻に受け止めるべきだ。県議会は平成17年、武力攻撃から県民を守るため、群馬県国民保護協議会条例と緊急事態対策本部条例を議決した。今、この条例の意味をしっかりと認識すべきである。(読者に感謝)

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2011年8月16日 (火)

「原発事故はシュミレーション通りだった。甲子園の感激よ。」

◇14日夜のNHK Eテレ、「アメリカ発・福島原発事故の深層」は衝撃的であった。福島第一原発はアメリカの原発メーカー(GE)が開発した「マーク1」と呼ばれるもの。設計に関わったブライデンボーさんは、「マーク1は欠陥を持つ、重大事故が起きる、廃炉すべきだった」と考えていた。今日の事態をシュミレーションしていた。建設中止を伝えるべきだと考えGE内で主張したが通らなかった。辞表を提出したのである。温和な表情から科学者の良心が伝わる。家のローンが残っており子どもが3人いる。「あなたの決断を支持します」という妻の言葉に押されて辞職を決断した。

 シュミレーションの要点は、次のようなものだ。「大地震や津波で原子炉が停止しても炉内の温度は上がる。水で冷却しないとメルトダウンが起きる。冷却システムを動かすのは電気だが外部電源、非常用電源、共に水没して機能しなかった。そこで炉内では水素が発生しそれが爆発して大量の放射性物質が露出した」マーク1の構造には発生した水素を処理出来ないという欠陥があったのだ。ブライデンボーさんは「日本に申し訳ない気持ち」と振り返っていた。

 この特集はラムッセンの原発安全説を紹介する。膨大な金を使って安全性を検証し、原発事故は隕石より確率が低いと訴え、アメリカの大勢はこれによって動いた。しかし、その後、この安全説を覆すスリーマイル島原発事故が起きた。人為ミスが重なったのだ。隕石落下は稀でも、人のミスは常にあり得る。

◇福島原発には、建設後、改善の提案がなされた。その計画図では、非常用発電機の位置が地下の同じフロアに描かれている。これでは災害によって同時に打撃を受けてしまう。事実、津波で水没した。信じられない人為ミスだ。発電機の位置は多様性そこ重要なので、異なる場所に設置すべきだった。国民の知らぬ事が余りに多い。事実を隠すことは国を誤らせる事だ。

◇智弁学園の横浜との戦いは日本中を沸かせた。スタンドとグランドが一つになって若い力が燃えて輝いた。今年の出来事を明と暗に分ければ、大地震の暗に対して、これは「明」を象徴する。そして、2つは結びついていることを実感する。結びつけるのは日本人の力である。終戦日に甲子園の素晴しいドラマ。それは過去を踏まえて新しい扉を開く私たちの力だ。(読者に感謝)

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2011年8月15日 (月)

人生意気に感ず「玉音放送は反核平和宣言。3つの墓を詣ず」

◇また8月15日がやってきた。天皇のポツダム宣言受諾声明、いわゆる玉音放送によって太平洋戦争が実質的に終結した日である。正式な戦争終結は、戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式が行われた9月2日であるが、国民に与えた戦争終結の決定的な衝撃度は玉音放送に及ぶべくもない。

 当時の国民にとって、天皇の声は神の声であった。当時の多くの証言が、意味はよく分からないが、天皇自ら戦争の終結を述べていることを知ったと語っている。玉音放送の基礎をなした終戦の詔書を読むと原爆に関する次の点が注目される。「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し、その惨害は測り知れない。これ以上戦争を続ければ民族を滅亡させ、人類の文明を滅ぼす。だから耐え難きを耐えて万世のために太平を開きたい(趣旨)」これは、原爆投下直後に出された人類初の反核平和宣言である。その後に、市民団体から原爆反対の平和宣言が繰り返し出されるが玉音放送こそ最初の反核平和宣言だった。しかも、日本民族が滅亡の渕に追い詰められたぎりぎりの所で出された悲痛な叫びだったと受けとれる。

◇お盆の間、3つの墓を詣でた。亀泉霊園の十字を刻んだ墓にはかつての人生の同志が静かに眠る。この人の兄がかつて、「限りなく熱き墓なり妹よ」と詠んだ。30年が過ぎていた。「相変わらず頑張っているわね」という声が聞こえるようであった。

 嶺霊園には2つの墓が並んでいた。福島浩君は、私の旧宮城村小学校の同級生。県議選出馬で最初に相談した男。彼の存在がなかったら、私の県議当選はなかった。傍らの黒い石には、「お蔭様」の積み重ねで私の人生があった、人間は何て素晴しいのだ、という彼の別れの言葉が刻まれている。亡き妻とは私より前からの知り合いで、結婚を勧めてくれた。彼のお蔭様を振り返り感謝して手を合わせた。

 福島の墓と並ぶのは前知事小寺さんの墓。2人は親しい間柄で死後隣りづき合いをと小寺さんは生前、福島浩の死の直後から用意していた。私と小寺さんは親しかったが、県政の複雑な流れの中で袖を分かつ事になった。議会との対立が深刻になったとき議長室に私を訪ね協議した事もあった。墓の構造は福島のそれと似ている。傍の黒い石には「天空海闊」の文字が。大きな度量と包容力を意味する。知事選、参院選の敗北は度量の限界を超えたのか。(読者に感謝)

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2011年8月14日 (日)

 第45回 東大紛争・林健太郎先生との出会い

 

塾で生計を立てる為には、最低60人位の生徒は教えなくてはならない。私は、中学生各学年一クラス二十名ずつの三クラスを教えた。それぞれのクラスは、週二回で、一回の授業時間は、九十分であった。教科は英語と数学を中心として、その進行の度合いを見ながら、理科と社会も重点を絞って教えるというやり方であった。

 ほとんどの生徒は、成績を上げることを目的として塾の門を叩く。どのような教え方、方針でこの期待に応えたらよいか、これは、塾で教える者にとっての共通の課題である。それは、進学塾であるか補習塾であるかによっても異なる。

 当時の中村塾は、良くできる者、中位の者、そして成績の悪い者と、いろいろな程度の生徒が混っており、従って、進学塾と補習塾の両方を兼ねるといった形であったので、教え方にも常に工夫を要し、悩みも多かったのである。

 どうしたら成績が上がるかという問題を、生徒の立場に立って考えるならば、自分の頭の程度と勉強の進み具合、つまり、実力の程度とを考えて、学校の授業と塾の勉強を上手く結びつけ、両方の勉強が合して効果を高めてゆくような学び方が理想である。

 このことを考えて、中村塾では、原理原則を丁寧に教え、これを基礎にして学校の授業をものにするようにと、学校重視の指導に心がけた。

 成績の良い生徒も、暗記に頼って、原理原則の深い理解には到っていない場合が多いので、原理原則をやさしく丁寧に説明することは、できる生徒とできの悪い生徒が同席する教室でも有効な教え方であった。

 このように、基本的なことを大本(おおもと)まで遡って説明した上で、残りの時間は、程度の高い問題と低い問題を同時に出して、生徒の実力に応じてこれらに取り組ませた。このようなやり方で、塾の業績としてもかなりの成果をあげるようになっていた。

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2011年8月13日 (土)

「上州の山河と共に」 第44回 東大紛争・林健太郎先生との出会い

ただ生活の糧を得ることを目的として、みすぼらしい木造アパートの一室で、中学3年生数人と共に、後に中村塾と呼ばれるようになる私の学習塾はスタートした。

 襖一つ隔てた隣の部屋からは、時々ゆりの泣き声と、こちらに気を使って子どもをあやそうとしている妻の気配が伝わってくる。畳の上に寄せ集めの食卓の幾つかを並べただけの教室で、まさに、昔の寺子屋はこんなものかと思わせる光景であった。

 学習塾というのは、なかなか大変な仕事であることがすぐに分かった。それは、物を扱う仕事でなく、人間を対象とした仕事であり、しかも、学習の効果を上げる為には、自分の心を開き、相手の心の中に入り込むといったことまで必要とされる作業だからである

 生徒との対応は、真剣勝負である。こちらが一生懸命に打ち込んで、それに対する反応として緊張した眼差が返ってくる。心と心の触れ合いを感じる時、それは、今までに経験した事のない快感であった。自分の説明する知識が理解され、生徒の脳細胞の中に吸収され、彼らの心の世界を広げていくと考えると、子どもを教えることは、とてもやりがいのある仕事と思われた。

 数人の生徒でスタートした教室は、間もなく生徒の数が増えて入り切れない程になったので、近くの農家の一画に移ることになった。塾で食えるのかという不安が薄らぐ一方で、私は、自分でも気付かぬうちに、塾にのめり込んでいった。別な見方をすれば、いつしか中村塾と呼ばれるようになった我が塾が、一つの塾風といった方向性を持って一人歩きを始めたともいえるのであった。

 塾が軌道に乗る迄の間、司法試験の勉強が思うように果(はか)取らぬことに、時に苛立ちを覚えつつも、自分の勉強と塾の指導に打ち込む私には意気軒昻たるものがあった。定時制高校時代、仕事と勉強を両立させて、これを貫いたということは、私を支える一つの自信であった。

しかし、家庭をもち、塾という難物と取り組むことは、これに予想外のエネルギーを注がせることになり、仕事と勉強の両立といっても、定時制時代とは異質な壁に私は突き当たることになるのである。そして、後に、もともと病気がちであった妻が、深刻な病に冒されるに到り、私自身も絶望の淵に立たされることになるのであった。(読者に感謝)

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2011年8月12日 (金)

人生意気に感ず「県議会も放射線の議論を。川田龍平の質問」

11日の参院予算委で川田龍平氏が、情報の隠ぺいが不安を生み被害を大きくしていると政府の放射線対策を鋭く追及していた。自ら薬害訴訟の被害者として、正確な情報の提供がいかに重要かを体験に基づいて語っているようであった。そういう意味では、今回の原発事故も薬剤事故も共通の問題を抱えているのだ。

 川田氏は、先日の国会参考人・児玉東大教授の指摘を取り上げ、これをどう思うかと菅総理に迫った。

 私は改めて、児玉教授の発言を読み返した。児玉教授は原発事故の放射線の総量は広島原発の20~30コ分との計算を前提として、それが及ぼす影響について情報の提供がなされないことに満身の怒りを表現しているのである。その1例として稲ワラの汚染をあげ農家は全く認識していなかったと指摘する。又放射線が体内に入った場合、つまり内部被曝の重大性に言及して、内部被曝の一番大きな問題は癌であること、そして、体の内部に入った放射線は、例えばヨウ素は甲状腺にセシウムは尿管上皮や膀胱に集まるから、そういう集積点を調べなければ意味がないのだと強調する。

◇私は、今後、放射線の問題は内部被曝こそ最重要な課題になると思う。低線量なら大丈夫という理論は全く説得力がない。来年度からは、中学で「放射線」が正式に教科書に登場する。福島第一原発による放射線が降り注ぐ中での授業となる。これから、日本人は、放射線と共存して生きる時代に突入する。県教委は市町村教委と連携して放射線と闘う姿勢で授業に取り組んで欲しい。

 間もなく、9月15日より、9月議会が始まる。放射線の問題は、その被害を受ける地方社会で、激しく論じられるべきだ。県議会では、国会に劣らない本格的な議論を展開しなければならない。私は大地震対策特別委員会に属するが、ここに放射線の専門家を講師として招いて勉強会をしたらよいと考えている。

◇原発を抱える13道県は電力会社と安全協定を結んでいる。放射性物質の動きは県境を越えるから、原発を持たぬ県も安全対策につき協定を結ぶべきだ。本県も検討する考え。

◇昨日1日で903人が熱中症で搬送。日本列島は焦熱地獄。我が家のナナとトコもダウン、エサを食べない。ナナは先祖の地、秋田が恋しいだろう。トコは氷枕でのどをゴロゴロ。(読者に感謝)

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2011年8月11日 (木)

人生意気に感ず「臨時県議会、知事の謝罪。県令楫取。慰霊碑破壊」

◇今期1日の臨時県議会が開かれた(10日)。73日の知事選後初の議会。本会議前に自民党の常任役員会、県議団総会などがあった。常任役員会で私は、9月議会対応の問題として自民党は大澤知事の女性問題を取り上げ反省を求めるべきだと発言した。

 本会議の主な議事は、知事就任挨拶、公安委員長新任の紹介、副知事の選任等であった。

いつもの知事選後臨時会と違って傍聴者が多い。大澤知事は、2期目の当選に感謝し責任の重さに身が引き締まる思いだと述べた後、自身の問題に触れ「週刊誌に取り上げられ、皆さんにご迷惑をかけました。深く反省し、今後自らを戒めていきます」と発言した。

 知事の挨拶が終わるのを待つように共産党の伊藤議員から発言を求める声。「知事の女性問題の説明は納得できないから詳細な補足説明を求める動議を提案します」賛成者は1人で動議は成立しなかった。

2時から開かれた図書広報委員会では重要な案件が議論された。議会棟2階の広いスーペースに県議会の歩み等の展示コーナーを設ける件。私は、県政の原点として初代県令楫取素彦と第2代議長湯浅治郎の業績を取り上げるべきだと提案した。業績の主たるものは、この2人が力を合わせ日本初の廃娼県達成の道を開いたこと。「廃娼」は女性の人権問題として重要で、当時の議会では格調高い天賦人権論に基づく議論も行われた。

◇中国黒竜江省の旧満豪開拓団の慰霊碑が撤去された。私は旧開拓団の人たちと関わりをもつ。群馬県中国残留帰国者協会の顧問を長く務め、著書「炎の山河」では、敗戦後の混乱の中で野獣のようなソ連兵に脅えながら北満黒竜江省の山野を逃げる人々の姿を詳しく描いた。

 今回の事件は黒竜江省方正県が建てた日本人慰霊碑を反日団体の5人が赤ペンキをかけハンマーで壊したという件。方正県では逃げる日本人数千人が病気や飢えで死んだ。重なる死体が動いた、それは盛り上がる蛆だった、そんな記事を読んだことがある。正に地獄だった。

 中国政府系メディアは「5荘士」とたたえた。今、中国では政府に対する民衆の批判が広がる。反日感情をあおって、批判の目をそらそうとするのか。民度の低い超大国は怖い。日本は粛々と世界に認められる国力を養うべき。東日本大震災は良き試練。頑張らねば。(読者に感謝)

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2011年8月10日 (水)

人生意気に感ず「長崎の平和宣言。原爆神話と原発安全神話」

◇初めは小倉市に投下予定だった。上空が雲で被われていたため長崎市が標的にされた。

午前11時2分、プルトニウム爆弾の原爆ファットマン(太っちょの男)は投下された。(広島はウラン爆弾、リトルボウイ)。今年の原爆の日は、広島、長崎共に福島原発事故との関係で特に注目される。長崎市長の平和宣言には、「ノーモアヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちがどうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか」、「福島の原発事故が起きるまで多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました」、「1ヵ所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている」、「放射性物質は風に乗り遠くへ運ばれ地球は広く汚染されます」等の言葉が見られる。原発事故による放射線被害が拡大するにつれ、今や、日本人は、原発事故と原爆投下を同列に見るようになった。原爆の日の長崎市長の平和宣言に見られる前記の表現はそれを象徴するものだ。

 7月27日、衆院厚生労働委員会で参考人児玉龍彦東大教授は、福島第一原発事故で露出した放射線の総量は広島原爆の29.6個分に値すると計算した。事実とすれば、福島原発の事故による放射性物質は、平和宣言の中の表現通り、風に乗り遠くへ運ばれ地球は広く汚染されることになる。原発は制御不能の力を秘めている。原発の安全神話は崩れた。広島と長崎に原爆を投下されながら原発大国を築いてきた政府の責任は重い。核の平和利用は成り立たないことを、福島第一原発の事故は示した。長崎市の今年の平和宣言は、このことを世界に示した。世界の原発政策が大きく変わる契機になるだろう。

◇広島と長崎の被爆の写真は余りに無惨で正視に耐えない。溶けて垂れ下がった肉を引きずって幽鬼のように歩く人の姿は、アメリカが人類史上最悪の人道に反する罪を犯した事を雄弁に物語る。

 「原爆神話」というのがある。原爆投下によって戦争を早期に終わらせ百万人のアメリカ将兵の命を救ったというもの。この理屈でゆけば、今後大きな争いが起きたときこれを早く終わらせるために原爆を投下することが正当化されることになる。原爆神話は、原発の安全神話と共に否定されねばならない。アメリカは人道に対する罪で日本の戦犯を裁いた。(読者に感謝)

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2011年8月 9日 (火)

人生意気に感ず「極東軍事法廷に立つ。硫黄島の栗林中将。柔道の事故」

◇防衛省の市ヶ谷記念館を訪ねた(8日)。庁舎が並ぶ一帯は、市ヶ谷台と呼ばれ、かつて尾張徳川家の上屋敷があったところ。記念館の大講堂では名状し難い興奮を覚えた。ここで極東軍事裁判(東京裁判)が行われたのである。既に終戦の調印は済んでいたが、太平洋戦争のしめくくりをつける世紀のドラマがここで繰り広げられた。

 案内役の自衛官は軍事法廷の配置を説明した。広い講堂の左右の壁面を背にして裁判官席と被告席が相対して設けられていた。

2階の傍聴席に案内された。そこは、かつて、半分に分けられ、被告席を見下す側には、被告の家族たちの席があった。25人の被告は全員有罪で、そのうち、東条英機以下7人は死刑だった。東條はウエツブ裁判長から「デス・バイ・ハンキング」(絞首刑)と宣言を受けた時、家族にちらっと眼を向けニコリと微笑して法廷のドアから姿を消した。傍聴席に立つと家族の思いが伝わるようであった。

 記念館には心を引く重要な資料があった。その1つは、硫黄島で戦った栗林忠道中将の書や写真である。最近、クリント・イーストウッドが監督として映画化した「硫黄島からの手紙」では渡辺謙が栗林を演じた。名将栗林は焦熱地獄のようなトンネルの陣地で徹底抗戦し、アメリカ軍に自軍を上回る死傷者を出した。

 また、記念館の一画には、戦前、天皇が訪問の折休息した「便殿の間」があった。そこには、昭和9年、群馬県で行われた大演習の時の大集合写真が掲げられ天皇の斜め後ろに立つ鈴木貫太郎の姿が見える。桃井小学校を経て前中(現前高)で学んだ貫太郎は、総理大臣として、天皇の聖断を仰ぎ、ポツダム宣言受諾を実現させた。日本を滅亡から救った群馬出身の総理である。

◇私は群馬県柔道連盟の顧問である。最近、柔連のある役員と学校における柔道授業について話した。その人は、今後、学校で事故が起こることを心配していた。来年度から、中学で武道が男女とも必修となる。柔道、剣道、相撲から学校が選ぶことになるが、柔道が一番多いだろうといわれる。柔道の事故は学校で多発している。群馬県でも事故があった。必修化に備えた対策が必要だ。その第一は柔道を教える教師を研修を通して充実させることである。県柔連は大きな組織で、伝統に培われた研修のための力がある。県教委との連携が必要だ。対策協議会を作るべきだ。私も協力したい。(読者に感謝)

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2011年8月 8日 (月)

中村紀雄の人生意気に感ず「健大高崎の快挙。納涼祭。原爆と原発。中国の原発」

◇健大高崎の勝利は、正に、アンビリバボーである。無名の初陣校が強豪今治西を下したのだ。誠に失礼な話だが、私は健大高崎のことをほとんど知らなかった。野球部創設10年目の快挙。運によって与えられた勝利ではない。見ごたえのある攻守であった。甲子園の一勝という体験により健大高崎の野球部は大きく成長するに違いない。

 開会式後の第一試合という絶好の舞台に恵まれた事は勝者にとって幸運だった。健大高崎の名を天下に知らせることになった。野球部だけでなく、学校自体も勇気づけられ自信を得て変身するかもしれない。郷土の学校の勝敗をめぐる選手の動きには理屈抜きで引き込まれるものだ。この夏の熱い戦いはナデシコも甲子園も例年になく私たちの心を揺り動かす。

◇16日、17日の両日は市内各地で納涼祭のオンパレード。時々激しい雷雨があり、地震の速報があった。天変地異の中の祭りには、平穏を祈る昔の人の思いを想像させる雰囲気があった。私は、大震災後の今年の祭りは特別な意味がある、地域の連帯と人間の絆、助け合いの心が最大の災害対策だと訴えた。ある団地の会場に福島の被災者の方々がいて、私の挨拶に心を打たれたと言ってくれた。

◇原爆投下の日を迎えて、原爆の悲惨さが連日のように新聞、テレビで報じられる。今年の特色は福島の原発事故が重なった点だ。

私は、度々、原発と原爆は同根だと主張してきた。原爆による放射能の恐怖を突きつけられて、今、多くの人が、原発と原爆を結びつけ考えている。これ迄、チェルノブイリに習えという声が多かったが今、私たちは、広島、長崎こそ、放射能の恐怖の身近かな実例だと考える。そして、ここに、原発の今後を議論する場合の出発点があることを知るのだ。

 世界は、原爆を投下された日本がなぜ54基もの原発をもつのかと不思議に思うらしい。改めて考えるなら、私たちも不思議に思う。これからは、広島、長崎、福島を同根の問題として考えねばならない。

◇中国の高速鉄道事故から中国の原発の将来を恐れる。現在13基が運転中で、28基が建設中、将来200基にする計画があるというから驚きだ。国の政策に対する批判を許さない中国が多くの原発を適正に管理することは期待できない。その事故は食品の汚染となって直ちに日本の「食の安全」を脅かすだろう。(読者に感謝)

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2011年8月 7日 (日)

「上州の山河と共に」 第43回 東大紛争・林健太郎先生との出会い

 東大紛争が峠を越し、収束に向かう中446月、私は東大を卒業した。あの騒乱を連日テレビで見て、卒業はできないかもしれないと心配していた父が、涙を流して喜んだ。

 そして、この年の9月、長女ゆりが誕生した。

再び故郷へ

「中村塾の誕生」

 私は、東大卒業後、前橋に帰り、学習塾をやりながら、司法試験を一気に片づけようと考えていた。紛争の最中も、仲間との勉強会は続けていたし、真法会という司法試験の受験を指導する団体に顔を出して模擬試験を受けるなど、かなり厳しい勉強をしていた。従って、田舎へ帰ってこの調子で勉強すれば何とかなるだろうと考えていたのである。

 卒業の翌年、一次試験に合格する。これは、憲法、民法、刑法、各20問ずつ出され、各問には4つから5つの選択肢があって、そこから正解を選ぶ形式のテストである。分厚いノートを何冊も作り、細かい条文を暗記し、何千題もの問題を解くといった苦行の末の合格は実に嬉しかった。

 私が東京で試験問題に取り組んでいる時、前橋の教会でお祈りしていたという妻の目には涙があふれていた。

 しかし、2次の論文試験は見事に失敗であった。

 翌年の合格を期す私の心は重かった。ゆりにお乳をやる妻の姿を見ると、経済的に苦労をかけたくないと思う。そんな思いで、私は、西片貝町の小さなアパートで学習塾を始めたのであった。それは、西片貝町2丁目の大沢アパートの一画であった。現在では、桑畑や木造のアパートはすっかり姿を消し、その辺りは一変しているが、私のアパートの隣りにあった「木戸製本」が当時のまま存在しており、昔を思い出させてくれる。

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2011年8月 6日 (土)

「上州の山河と共に」 第42回 東大紛争・林健太郎先生との出会い

 文学部のストライキの中で、教授との団交がしばしば行なわれた。学生側は革マル派が中心であった。林先生は、ここで学生側の理不尽な要求を頑としてつっぱねたので、他の教授は帰されたが、林先生は長く軟禁状態におかれることになった。林先生は筋の通った明快な論理を主張して一歩も譲らなかった。革マル派の学生も内心もてあまし、かといって自分達の非を認めて軟禁を解くわけにもゆかず、困ったらしい。外にいる私達にも、先生の発言や様子が伝わってくる。学内外の世論は、林先生支援で盛り上っていった。このような騒ぎの中、三島由紀夫、阿川弘之らが、林先生支援にかけつけるといった一幕もあった。とにかく、林先生は、終始自分の主張を明快に、そして、冷静に説き続け、173時間、ついにドクターストップになって東大病院にかつぎ込まれるまで頑張り通した。

 

 先生の態度は、この東大紛争の中にあって、いつも優柔不断で、勇気を持った判断を下せず右往左往していた大方の教授連と比べ、一際光っていた。林先生を軟禁した派の中には私の友人、知人がいたが、彼らも、林先生の態度には脱帽し、敬意を払っていたらしい。後に、機動隊に攻められて、建物を占拠していた学生は全て追い出されたが、文学部の壁に「林健太郎に敬意」という落書が残されていた。林先生は、命をかけ、体を張って、学生に対する教育を実践されたのであった。この間の事情は、文芸春秋6月号(1992年)に、当時の警備責任者佐々淳行氏の「偉大なる教育者、林健太郎」に詳しく書かれている。先生は、その後、東大総長となり、さらに、参議院議員になられたことはあまりにも有名である。

 林健太郎先生は、私にとって、それ迄、その輝かしい業績と共に学者として高く仰ぎ見る存在であったが、東大紛争を通して、私は人間として、教育者として、先生の偉大さを知ることになった。先生は、また、その冷静な風貌の中に大変温かい愛情を秘めておられた。私が全く無名の新人として、県議選に打って出た時、先生は、私のような弟子の為に、ポスターやパンフレットに推薦者として名前を出すことを承諾し、更には、前橋の県民会館に来て心のこもった応援の講演をして下さったのである。この点については、後に、改めて触れることにする。(読者に感謝)

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2011年8月 5日 (金)

人生意気に感ず「市長選は山本龍でスタート。慰霊祭に若者。市長と知事の対面」

◇来年2月の市長選まで約6ヵ月。選挙の準備期間は追われるようにあっという間に過ぎるものだ。山本龍君を推す市議団にはどうしても勝たねばという追い詰められたような思いがある。龍君自身にも、県議選不出馬まで決意して市長選への思いを募らせてきた経緯がある。昨日(4日)早朝、前橋出身の市議県議それに関係国会事務所の秘書団が集まった。私が座長となって、山本龍君を一致して支援していくことを確認した。支援の輪を広げること、政党の推薦を得ること、その他戦略的課題は多いが、中心となる我々が意思を明確にして一歩を踏み出さねばという共通の思いがあった。

◇8月15日が10日後に迫った。慰霊式を形骸化しては、戦没者の魂も浮かばれない。戦没者の魂は戦争の教訓を活かして平和な社会を築くことだ。そのためには、戦争を知らない世代へ戦争の悲惨さを伝えていかねばならない。毎年、男女の高校生が1人ずつ参加する。余りにも形式的だ。出来るだけ多くの高校生の参加を知事と健康福祉部長に要請した。

 2発の原爆で幕を閉じた太平洋戦争である。福島第一原発の事故は原爆投下以上の放射性物質を放出させた。終戦の記念日に原発問題を含めて真の平和と豊かさを考えたい。今年の慰霊祭は若者と共にこの事を考える機会にし、新たな慰霊祭の第一歩になればと思う。

◇高木市長が県庁を訪ね県に対する要望書を大沢知事に渡した。「赤城山の観光振興の推進」をはじめとした8項目。私は同席して、新規要望「放射線関係」について次のような発言をした。「食の安全を中心に、市民の放射線に対する不安が広がっている。放射性物質の測定と正しい知識の提供に、県は協力してやって欲しい。県民健康科学大学や衛生環境研究所を背極的に活用させるべきだ」

 大沢知事は、放射線学科の専門家、同科の0B、それに学生にも協力を求めると答えた。放射線学科の学生が現実の放射線災害に取り組むことは、災害支援の面の大きな成果と実践的体験学習の面の教育効果が期待される。

◇市長と知事の対面の姿を見ると、表面の和やかさの陰の緊張が感じられた。知事選で対立した余韻、長年に亘る政治的対立関係、最近の知事の不祥事などが目に見えぬ放射性物質のように応接の間に漂っているようであった。来年の市長選は負けられぬ戦いになる。(読者に感謝)

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2011年8月 4日 (木)

中村のりおの人生意気に感ず「群馬の林業と放射能。高木仁三郎を読む」

◇林政議連の研修会は有益な勉強会となった。森林の分野でも放射線が問題になることが具体的に分かった。樹木の皮は家畜の敷ワラのかわりに使われるからこれが汚染されれば動物に影響を与える恐れが生じる。動物はこれを食べることもあるというから尚更だ。またシイタケなどキノコ栽培の原木が汚染されればキノコに影響するだろう。更に、建築材とて、セシウムに汚染されていると分かれば人はこれを使った建物に住む気にならないから、建材として使われなくなるのは必至だ。セシウムは半減期が30年と長く、土壌に入れば樹木は根から吸い上げるだろう。

 今や放射線は、海から田畑から森林に至るまで、私たちの生活に関係するあらゆる分野で問題になってきた。国会で参考人として発言した東大教授が、放射線の総量が重要なのであって、福島第一原発の事故によって露出される量は広島原爆の20~30個分に当たると発言したことが、現実的な重みとなって迫ってくるようだ。

◇森林と林業の重要性は、今格段に高まっている。群馬県は県土の3分の2を森林が占め、それは利根川上流域に広がる。これは、木材の生産ばかりでなく国土の保全、首都圏の水源として重要な役割を担うことを意味する。

 本県の森林は、このような役割を現在十分に果たしていない。全国有数な「森林県」ではあるが「林業県」としては栃木県に劣るといわれるゆえんである。今本県林業政策の課題は、「森林県ぐんま」から「林業県ぐんま」への飛躍である。そのための重要な1つの手段として今年5月に完成した「渋川・県産材センター」がある。これは、上質のA材からC材までを全て定額で買取り用途に応じて加工し有利に販売しようという画期的な施設である。とくに山に放置されていたC材も活用する点は注目に値する。

 このような群馬の画期的な森林政策の前途に不安を投げかけるものが原発事故による放射線である。林業県群馬の歩みを放射線の風評被害から守らねばならない。このために産学官の力を結集出来ないものか。

◇「市民科学者として生きる」を読み始めた。反原発を貫いた科学者として、福島原発の事故を予言したとも言える前橋市出身の高木仁三郎の自伝。小学生の時、疎開で私の地元である端気町の近藤家に居たこと、東大の駒場寮は面白くなかったという思いなどが書かれている。駒場寮は私も2年間を過ごし、いろいろな思い出がある。この本につき改めて書きたい。(読者に感謝)

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2011年8月 3日 (水)

人生意気に感ず「大震災の教材化進む。海底の汚染、米の汚染」

◇「生きる力」を目指す教育の現場は社会の現実から離れるべきでない。東北被災地の惨状は生きる力の生きた教材である。現実には教材として活かしていない学校が多い。私は5月議会でこの点を取り上げた。絶好の機会が逃げていく事にもどかしさを感じたのだ。

 県教育委員会は動いた。東日本大震災を教材として活用する授業の推進について依頼する文書を5月末各市町村教育委員会に出した。その中では、道徳の科目では生命の尊重や人々の支え合い等にかかる授業を行う、社会科や理科などの教科では自然現象による災害を教材化して授業を行う等、具体的内容にまで言及している。

 また、県教委は、最近、市町村教委の協力を得て各学校が大震災にどのように取り組んだかを調査し、この調査結果をまとめた。そして、県教育長は、この結果を踏まえて各校が大震災の教訓を生かした授業を実施するよう求めた。そこでは報道された記事や映像を各学校が保管し授業で活用するようにと言及している。各学校は調査結果から他校の取り組みを参考にすることが出来る。私は、今後の動きを注目したい。

◇私は、議会で魚介類の汚染を取り上げた。原発事故により大量の放射性物質が海に入った。当初、太平洋は広いからとたかをくくった声もあった。しかし、魚介類の汚染が次々に検出され、その輪が広がり始め、同時に深刻さが増してきた。 現在放射性物質による汚染は海底に広がっているといわれる。海底で暮らす「底魚」と呼ばれている魚から高濃度の汚染が検出されるようになった。専門家は、海底にもホットスポットがあると指摘。海底のくぼみや流れのよどんだ所にセシウムがたまり易いという。陸上で風に乗った放射性物質が地形によって多く溜まりホットスポットが出来るのと似ている。最近の大雨を見ていると地表の土砂が大量に海に流されていることが分かる。地表の土壌中のセシウムも海に入るのだ。

 海産物の生産地表示は難しいらしい。水揚げした漁港を基準とするからだ。「太平洋産」とか「国産」という表示ではどこの魚か分からない。魚介類に関する「食の安全」は今後ますます食卓を脅かすだろう。

◇収穫期が近づく米の汚染が全国的に懸念され始めた。多くの県が調査を表明し始めた。米は日本人の主食。風評被害は牛肉以上だろう。食の安全に対する国を挙げての対策が求められる。(読者に感謝)

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2011年8月 2日 (火)

人生意気に感ず「8月15日を活かせ。国会証言の衝撃。原爆投下」

◇8月15日の終戦記念日が近づく。戦没者追悼式が行われる日で、知事から案内が来ている。毎年、じり貧になっていく儀式を何とか出来ないのか。戦争を知らない世代に太平洋戦争の事実を伝える機会にすべきだ。私は式典に高校生を出席させるべきだと主張しているが、男女の代表2人が出席するのみだ。今年は特別の年。66年前に瓦礫の中から立ち上がったあの勇気と助け合いの心を見詰め直す時。そして、広島と長崎の原爆投下に匹敵する原発事故に見舞われた年だ。マンネリで形式化した追悼式は戦没者の霊を侮辱することになる。まだ、その気になれば間に合うのだから、今年はまず、高校生100人の出席を実現させて欲しい。

◇放射線の議論は混乱している。政府高官の意見、高名な学者の意見もまちまちなのだから国民は迷うのが当然だ。今月27日の衆議院の委員会で参考人として出席した児玉東大教授は大変な発言をしている。それは、福島第一原発の事故で露出する放射線の総量は広島原発の20~30個分に当たる、一年後の放射能の残存量は原爆の場合千分の1になるが原発の場合十分の1程度にしかならない、内部被曝の一番大きな問題は癌である、内部被曝による放射線が遺伝子を傷つけるからだ、幼い子どもの増殖の盛んな細胞に対して放射線は非常な危険を及ぼす等々である。原発の恐ろしさはかくなるものだと示している。8月は66年前の原爆を考える月だ。原発事故の本質を知り、原爆と共通の問題として議論するべきだと思う。

◇66年前の今頃、原爆投下の態勢は着々と整えられていた。7月16日原爆実験成功、17日ポツダム会談始まる。この会談に臨んだ大統領トルーマンの下へ実験成功が伝えられる、25日、トルーマンは原爆投下命令を下す、そして、7月26日には早くも原爆はテニアン島に陸上げされた。運命の原爆投下まで10日余りであった。

 8月6日午前1時45分、原爆搭載機エノラ・ゲイ号はテニアン基地を離陸、時速343キロで日本へ。7時50分四国上空を通過、間もなく広島上空に至り、8時15分、遂にウラン爆弾の原爆は投下された。

 広島原爆によりこの年の暮までに14万人の人が死んだ。その後の白血病やさまざまながんなどで死んだ人を含めると20万人以上が犠牲になった。3日後の長崎では10万人以上が死んだ。放射能の恐ろしさの原点である。放射能をみんなで考えよう。(読者に感謝)

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2011年8月 1日 (月)

人生意気に感ず「楫取素彦生誕の地に私の文が立つ。テロと原発」

◇時々、意外なメールが届くことがある。先日、私のブログを読んだ山口県萩市の方から興味深いメールをいただいた。この方は萩市今魚店町(いまうおのたなまち)の町内会役員である。この町は群馬の初代県令生誕の地なのだという。私のブログとは、昨年5月6日の「群馬の原点・楫取素彦を塾で語る」で、そこでは、4月の「ふるさと塾」で群馬の原点を探る上で、楫取素彦を取り上げたことを紹介し楫取の業績を記している。

 メールの主は、楫取素彦の功績を顕彰するための説明板を町筋に立てることを計画しているが、そこに私のブログの中の一文を使いたいので許可して欲しいという。大きさは幅1,8m高さ90cmを予定。

 その文には、楫取素彦が群馬の廃娼と近代産業発展に力を注いだこと、楫取の妻が兄吉田松陰形見の短刀を絹の販路開拓のため単身アメリカに渡る新井領一郎に与えて励ましたことなどが書かれている。この説明板には「群馬県議会議員中村紀雄日記より抜粋」と書かれる。私は異論のないことを早速伝えた。文面については、抜粋であるため、私の立場から多少直したいところもあり、交渉するつもりだ。

 楫取素彦は、今魚店町(いまうおのたなまち)の沖の町筋ということろで生まれたという。沖の町筋とは、東西約300mの間を江戸時代につけた名称なのだそうだ。筋とは、例えば御堂筋のように、道路や川に沿った場所のこと。群馬の原点を辿ると遠い町の一本の筋に至る。そこに私の名が記された一文が立つことに不思議な思いを抱く。

「萩市内でもあまり知られていない楫取素彦の功績を多くの市民や町の人に知ってもらい第2・第3の楫取素彦を我が町内から輩出させよう」との計画だとメールにはある。群馬も同じではないか。楫取素彦を知る若者は少ない。変革の嵐の中で、今こそ原点を知る時代だ。

◇私は今年5月9日のブログで、「原発の危機管理に関しては地震だけでなく、テロも想定しなくてはならない」と書いた。北朝鮮がテポドンを原発に打ち込んだら大変だと思った。外務省は27年前に原発が攻撃を受けた場合を研究していた。その場合、福島第一原発で発生した全電源の喪失も想定。反対運動を恐れて公表しなかったという。残念なことだ。情報の提供は危機管理の重要な一歩である事を教える。(読者に感謝)

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