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2011年6月24日 (金)

人生気に感ず「新島襄・湯浅治郎、楫取素彦、廃娼運動・マリアルス号」

◇2013年に放送するNHK大河ドラマは新島襄の妻の生涯を描く。元同僚県議の岡田安中市長も喜んでいる。新島襄は安中藩士の家に生まれ幼名を七五三太(しめた)と言った。女ばかりが生まれる家に初めて男子が生まれ、祖父が思わず「しめた」と叫んだことが名の由来とか。幕末、アメリカへの密航に成功し、キリスト教徒になって帰朝、安中に帰って近隣の者にアメリカの事情を話した。襄の感化を受けてキリスト教徒になった若者が出たが、その中に湯浅治郎がいた。湯浅は、現在も安中市でしょう油の醸造販売を営む有田屋の人で、その財力でもって同志社大学の創立に尽くし、また、日本で最初の図書館といわれる便覧社を作った事でも知られるが、注目すべき点は県会議員となって廃娼運動で目ざましい実績を挙げたことである。県議会には2代目議長として彼の写真が掲げられている。

◇私は、かつて、ふるさと塾で群馬の廃娼運動の歴史を何回かにわたって話した事がある。明治の初め開国による新しい時代の風は国中にみなぎり、群馬の地でも、社会改革の気運が、特に若者たちを衝き動かしていた。ここで大きな問題として、廊の存在があった。群馬は多くの街道が行き交う交通の要衝で宿場ではいわゆる飯盛り女がおり、各地で廊が発達していた。

 廊の存在は近代化を目指す社会の大きな妨げだった。若者の勤労精神を蝕み子どもは廊ごっこで遊ぶ状態で、廓のあるところでは市が立たないといわれた。時の県令は吉田松陰ゆかりの楫取素彦で新生群馬を教育と近代産業で発展させようとしていた。一方当時の県議会には進歩的な思想を持った者が多く、その中には湯浅のようなキリスト教徒も何名かいた。このような県議会で廃娼の是非が激しく議論された。当時の議事録には天賦人権論に基づいて女郎の人権を論ずる議員もいた。

 また議会の外では廃娼を求めて激しく活動する青年たちの存在があった。彼らはわらじと馬で反対派の議員のところを説得に回った。これは市民運動のはしりといえた。このような状況の中で議員は廃娼を決議し群馬は全国にさきがけて廃娼県の金字塔を打ち建てる。その立て役者が新島襄の弟子湯浅治郎であった。なお、この動きには、ペルー船籍の奴隷船・マリアルス号事件の影響があった。県議会の復権が叫ばれる今、廃娼の偉業を成し遂げた先輩議員のことを学ぶべきだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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