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2011年6月29日 (水)

人生意気に感ず「文化団体の集会。松井かずの死。私は脳梗塞か」

◇27日の夕刻、急遽私が関係する団体の人たちに集まってもらった。準備期間は実質2日間。文書も用意出来ず、当日の直前まで電話による呼びかけを続けた。心配したが約百人が参加し、大澤事務所には新鮮な充実感がみなぎっているようであった。それは、私との信頼関係と一体感を示すものかも知れなかった。

 群馬県接骨師会、群馬県柔道連盟、群馬県弓道連盟、群馬書道協会、群馬県中国残留帰国者協会、日本ポーランド親善協会、群馬カラオケ連盟、群馬県動物愛護協会、NPO群馬情報バンク、その他の団体の人たちであった。

 大澤候補は、館林、邑楽の地域を回っていて戻ることが出来なかった。大澤さんのメッセージを山本龍君が読み上げた。そこには、「私は知事に再選させていただいたら、ふるさと群馬の文化の一層の振興を目指します。そのために、中村先生と力を合わせ文化振興基本条例の制定に取り組んでいます」という一節があった。大澤候補は文化関係に弱いという一部の見方がある。この集いの目的は、文化関係の人々に協力を求める点にあった。東日本大震災後の群馬は豊かな心と人間の絆を重視した社会を築かねばならない、それを支える基盤は地方の文化である、大澤知事は、日頃このように私に語っていた。

◇中国帰国者協会との関係は長くそして深い。残留孤児だった人などを中心とした人々で、群馬で約2千人ちかくおられる。先日、その一人松井かずさんが87歳で亡くなり、私は弔辞を読んだ。日中の歴史の狭間でたどった波乱の人生だった。

 私は、著書「炎の山河」の中で彼女のことを詳しく書いた。前橋の製糸工場で働いていたかずさんは22歳の時、勤労奉仕隊に加わって満州に渡った。昭和20年5月のことだった。間もなく敗戦。ソ連が参戦し、彼女は大混乱に巻き込まれ、地獄のような逃避行の末中国人男性と結婚し5人の子供をもうける。家族と共に日本に帰れる日を夢みてかずさんは子どもたちの教育に力をいれた。文化大革命の中を生き、日中国交回復の後、家族と共に悲願の帰国を果たした。帰国者協会の人々は現在、日中の大切な架け橋となっている。

◇この日の私の演説を見て手が震えている、脳梗塞ではと妻の所に電話があった。すぐに断層写真をとって調べた。異常はなく脳は若いと言われた。健康の有難さをかみしめた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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