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2011年6月26日 (日)

「上州の山河と共に」 第30回 東大受験を決意

 事態は少しずつ、好転しつつあった。引っ越して、環境が変わったせいか父の心臓ぜん息もピタッと起きなくなり、父も多少働けるようになった。末弟の秀雄もよく家業を手伝うようになった。私がもっと仕事に専念すれば、家族はもっと楽になるのに申し訳ないと思ったが、今はただ、前に進むのみと自分に言い聞かせ、私は悲壮な決意で、予備校、英数学館の門を叩いた。

 英数学館の一年間は、密度の濃い、思い出に残る毎日であった。毎月の模擬テストは、何としても上位の成績をとろうと工夫を重ねた。ある時、勉強の方法に迷いが出て、東大の駒場寮まで出向いて、東大生に勉強の体験を聞く、ということまでした。

 このような努力のかいあって、翌年、念願の合格を果たすことができ、私は、東京大学文科三類に入学した。このことは、勤労学徒の模範だとされ、朝日新聞に、家族との写真入りで大きく報道されたりした。こうして、私は、長く暗いトンネルを抜けて、全く未知の世界に踏み込むことになった。

 「私の東大時代」

 東京大学の概観

私の東大生活を書くことに先だって、東京大学の姿を概観してみたい。

東京大学の起源は、徳川幕府の学問所である昌平黌、そして、同じく幕府の研究所である洋学所まで遡るといわれるが、明治十年、東京開成学校と東京医学校が合併して、加賀百万石前田家の江戸屋敷跡に、我が国最初の大学として東京大学が誕生したのである。

東京大学のことを赤門と呼ぶのは、前田斉泰が将軍家斉の娘と結婚するに当たり、朱塗りの門を作って迎えたが、この門がその後、東京大学の一つの門として使われ、その歴史的由来と国宝とされる程の立派さから有名となり、東京大学の象徴の一つと見られてきたからである。

 本郷三丁目で地下鉄を降りて本郷通りを進むと、まず赤門に、そして少しの間隔を置いて正門に出合う。赤門は、その周囲のアカデミックな雰囲気とマッチしながら、大学の歴史を今日に伝える役割を果たしている。

※土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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