« 人生気に感ず「新島襄・湯浅治郎、楫取素彦、廃娼運動・マリアルス号」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第30回 東大受験を決意 »

2011年6月25日 (土)

「上州の山河と共に」 第29回 東大受験を決意

 二次試験の数学は、五題出て、二題解くのがせいぜいであった。英語の問題も私の実力を超えていた。予想通り、二次試験の結果は不合格であった。しかし、手応えは十分に握ることができたと思えた。理科ニ科目、社会二科目も、時間をかければ必ず征服できると思えた。

 定時制も終了となり、夜の時間は以前よりも有効に使える。私は勇気百倍の思いで勉強に打ち込んだ。仕事のほうも一生懸命やった。お得意先でも、お兄さん頑張れよ、と励まされるようになった。ようし、俺は見事仕事と勉強を両立させてみせる、と私はなお極めて強気であった。しかし、その次の年も、一次合格、二次不合格であった。

 私は大きな壁に突き当たって悩んだ。体にも疲れを感じるようになった。お得意先でダンゴを並べている時も、立っているのが苦しい程、背中が痛む。家に帰り、畳の上にうつ伏せになって母に背中を踏んでもらうと心地良い。しかし、やがて踏んでもらわないとがまん出来ないようになり、毎日こんなことを繰り返すようになった。

 強気の私も、不安と焦りを感じるようになった。東大に入れれば良いが、という心境から、何としても入らねばならぬ、もう後がないという心境へ。そして、身体もおかしくなってゆくことによる恐怖にも似た心境へと追い込まれていった。しかし幸いなことに、こんな追い詰められた私にとって救いの神が現われたのである。

 私の弟、賢三は中学生であったが、身体も大きく、中学一年の頃から仕事を手伝っていたから、中学三年の頃はもうダンゴ屋も一人前であった。この頃、私の家は、また総社町山王から西片貝一丁目に引っ越して、賢三は桂萱中学の三年生であった。賢三は、私の片腕となって実に良く働いた。

 ダンゴ屋というのは、朝早くから働く仕事である。毎朝四時ごろから仕事をして学校へ行くから、賢三は学校でいつも居眠りをしていたらしい。しかし、成績はかなり上位であったから、周囲も、高校へ進むと見ていたであろうし、本人もそう考えていた。この賢三が、「兄ちゃん、俺は定時制に行くから勉強に専念しろよ」と言ってくれたのである。

|

« 人生気に感ず「新島襄・湯浅治郎、楫取素彦、廃娼運動・マリアルス号」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第30回 東大受験を決意 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「上州の山河と共に」 第29回 東大受験を決意:

« 人生気に感ず「新島襄・湯浅治郎、楫取素彦、廃娼運動・マリアルス号」 | トップページ | 「上州の山河と共に」 第30回 東大受験を決意 »