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2011年5月 8日 (日)

「上州の山河と共に」第16回 元総社時代

 仕事そのものは、少しも辛くない。私が辛いと思うのは、町で仕事をしているとき、中学時代の仲間に出会うことであった。古びた自転車に煎餅のカンを積んでペダルを踏んでいると、かつて、一緒に学んでいた者達が、高校生となって、颯爽と歩いている。女子学生の制服が、又男子学生の制帽が、私には、きらきらと輝いて見え、また大変羨ましかった。向こうからかつての同級生が来るのが見えると、私は、ほとんど無意識にハンドルを切って横道へ入ったりする。そして、そんな自分が惨めで嫌だった。
 昭和31年といえば、敗戦から10年を経て、戦後という状態から抜け出しつつある時代であった。時代の潮流は混乱から秩序へ向いつつも、古いものにかわって新しいものがどんどん生まれ、社会は、なお激しく揺れ動いている感じであった。当時は鳩山内閣で、この年、日ソの国交が回復し、日本の国際連合加盟が実現する。
 社会風俗の面で印象的なのは、この年、売春防止法が成立し公布されたことである。前橋市の馬場川の近くに亀屋という菓子屋があり、中学生時代から、煎餅を卸しに行っていたが、夕方になると、そのあたりのあちこちで、お白いを厚く塗った女の人が道行く男に声をかけている風景をよく見た。私は煎餅を数えながら、好奇の目で、女たちの仕草、男たちの反応を眺めたことが思い出される。そして、この年、昭和31年から、この光景はぴったり見られなくなった。
 また、石原慎太郎の小説「太陽の季節」が映画化されたのもこの年である。私は、この映画、次いで、やはり石原慎太郎原作の「狂った果実」を見てショックを受けたことを覚えている。
 激しい社会の動き、そこで起きる毎日の様々な出来事は、私を刺激した。私はやり場のないエネルギーを持て余し、あせり、苦しんだ。俺は煎餅を焼いて一生を終るのだろうか。宮城村の少年時代、いろいろな歴史小説を読んで、自分も将来は頑張って偉い人になろうと夢に描いたことは現実の壁にぶつかってシャボン玉のように消えてしまうのだろうか。
人間は、こんなにも現実に縛られてしまう弱い存在なのか、こんな悩みがいつも私の上に重くのしかかっていた。

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