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2011年5月 7日 (土)

「上州の山河と共に」第15回 元総社時代

 正月には、もう一つ楽しみがあった。それは、福島浩と芝基紘が必ず遊びに来てくれたことである。惨めな生活ぶりを知られることは嫌であったが、彼らに会うのは涙が出る程嬉しかった。しかし、彼らも、3年の正月には来なかった。その頃、彼らは、私が諦めていた高校受験に、山間僻地の不利な条件と闘いながら、真剣に取り組んでいたのである。
 中学時代の先生では、大館光子先生のことが今でも心に残っている。先生方に対し心を閉ざし、あるいは避けていた私であったが、国語の先生である大舘先生とは、読書や作文という接点を通して心を通わせて頂いたと感謝している。助動詞の接続関係など、細かいことを覚えることができ、大学受験の時大変役に立ったのである。

何の感慨もなく、ただ一つの重苦しいトンネルを通過するような気持で、私は中学を卒業した。今から思えば、進路については、いろいろ選択が可能であったと思うが、当時の私は、病弱の父の後を継いで家業に専念することを当然のことと考えていた。
 私は、煎餅をつくる仕事に専念することになった。近くの農家にコメを買いに行き、それを製粉し、煎餅を焼いて街に卸しに行く。一つ一つの仕事は辛くはないが、私には夢も希望もないつまらないことに思えた。しかし、食べるための仕事とはそうゆうものだから、仕方がないのだと自分に言い聞かせることにした。
 中学を卒業してからは、父にかわって、近くの農家によく煎餅の原料である米を買いに行った。当時、1升(約1.4キロ)が確か、108円位だったと記憶している。手焼きせんべいは、小売価格が410円で、卸し値は1枚180銭であった。煎餅というのは、作るのに長い工程がかかるわりに利益が薄く、その上、売れゆきもよくなかった。なんでこんな割の悪い仕事をしているのだろう、と私はいつも疑問に思っていた。

☆土日祝日は中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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