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2011年3月23日 (水)

中村のりお・人生意気に感ず「汚染野菜を食す。被災地の光景。生命力の逞しさ」

◇選挙事務所に予定された小坂子町公民館に近くの農家から野菜の束が山と持ち込まれた。長さと太さが整えられた束には出荷用のシールが付いている。市場に出したら突っ返されたという。おひたしにしたら実に美味しかった。出荷停止となったぼう大な野菜はどこへ捨てられるのか。かみ締める度に被災地の人々の顔が頭に浮かぶ。

◇テレビは被災地の中学の卒業式の光景を報じた。校歌を歌う女子生徒の頬を大粒の涙が伝っていた。遺影をもって卒業生の列に座る父親の姿は悲しい。遠い海底に沈む多くの遺体を想像すると慄然となる。カメラは、丘の上から夜の港町を映す。やっと戻った電気の輝きは、復興を誓う松明(たいまつ)に見える。生活の営みは一刻も休むことがない。復興の歩みは既に始まっているのだ。

◇気仙沼市では、何隻もの遠洋漁業の大型船が津波に乗って上陸し、市街を漂流した。大型船の突進力は凄い。通常は津波でもびくともしない鉄骨の建物が完全に破壊された。正に信じられない光景である。千年に一度といわれる大災害の歴史的瞬間に立ち会っていることを痛感する。

◇80歳の祖母と16歳の孫が9日目に救出された事実は、人間の生命力の凄さを示す。同時に、これは、瓦礫の下の命の存在を簡単にあきらめてはならないことを突きつける。大災害の度に「奇跡」が報じられるが、それらは、滴るしずくをなめながら瓦礫の下で虫の息で助けを待つ人たちの一列と見なければならない。

 04年の中越地震では2歳の幼児が92時間ぶりに救出された。同じく04年のイラン大地震では97歳の女性が8日ぶりに助けられた。05年のスマトラ沖地震ではインド洋上を漂っていた若者が2週間ぶりに生還した。また、08年の中国四川大地震では山奥に閉じ込められていた建設作業員8人が16日ぶりに救出された。そして、記憶に生々しく残るのは昨年のチリ鉱山の落盤事故だ。全世界が注視する中で33人が69日ぶりに生還を果たした。

 私たちは、絶えず激しく活動する大自然がわずかに呼吸する間のつかの間の平穏を享受している。自然の脅威は地球外からも襲う。かつて巨大隕石の衝突によって恐竜が絶滅した。私たちの存在は誠にはかないが、それにもかかわらず、人類は夢を求めて生きる。未来を信ずるところから限りない力が湧く。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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