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2011年3月14日 (月)

中村のりお人生意気に感ず「最大級の災害に立ち向かう日本人。県は対策をたてよ」

◇津波の恐ろしさを思い知らされた。遥か彼方から押し寄せる横一線の白波は近づくと突如、黒い海面と化し轟音を立て堤防を乗り越え建物を押し倒し車も人も呑み込んでいく。のどかだった山陸の漁村は阿鼻叫喚(あびきょうかん)のちまたと化した。

 津波がさった後は、見渡す限り瓦礫の山である。その惨状は、第二次世界大戦でB29の爆撃を受けた跡のようだ。

 マグニチュード9.0だという。世界最大級のもので、日本国内では400年来の巨大地震である。死者の数はどこまで増えるか分からない。地震による原子力発電所の事故は電力の不足を生じ、その影響は、経済の面、市民生活の面に於いて測り知れないものだ。正に戦後最大の国難の時を迎えた。

 これだけの巨大地震だから、想像を絶する地下岩盤の変化が進行していたに違いない。大地震の発生が確実視された地域である。このあたりでは、2、3日前から前兆ともいえる大きな地震があった。なぜ、予知できなかったか。ある程度予知しながらパニックを恐れて躊躇していたか。だとしたら、今後の大きな反省材料とすべきだ。

◇05年の宮城沖地震では、6弱の震度、10mの津波で、290人の死者が出た。そして、地震調査委員会は、この地域で、今後30年以内に99%の確率でM7.5前後の地震が発生すると公表していた。このような状況に備えて世界1といわれる防波堤を築いたが大波は軽々とこれを乗り越えた。自然の威力は恐ろしい。

◇極限の異常時に国民性が現れる。私たちは戦後、壊滅した廃墟から力強く立ちあがった。今回もそうしなければならない。多くの国々が日本人の冷静さを賞賛している。あの中国でさえ、新聞で「多くの中国人が日本人の秩序を保った行動に感銘を受けた」と表明している。

 被災地の人を見て、家族や人間の絆の大切さを改めて思う。九死に一生を得たある男性は、津波に呑まれた水中でもう駄目かと思った時、家族の姿が頭に浮かび必死で頑張ったと語っている。

◇13日の県政報告会では、急遽、地震の項目を加えた。県内では死者は1人で、比較的被害は少なかったが、今回の巨大地震は、自然の測り知れない未知の力を示している。県は改めて防災対策と危機管理を練り直さねばならない。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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