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2011年3月20日 (日)

中村のりお著「上州の山河と共に」第4回

そして昭和2086日広島に、89日には長崎に、それぞれ原爆が投下され、815日にはポツダム宣言受諾をつげる玉音放送が行われ、遂に終戦となった。

当時4歳であった私も、もうこれからは防空壕へ逃げ込まなくてもよいということは嬉しかったし、父や母のほっとしている気持ちがよくわかった。しかし、同時に、又、これから大変なことになるらしいという父母の不安も伝わってきた。

県庁前通りの、一本北の通りには、皮膚科の松山医院があるが、当時、この医院の玄関先で、ひどい火傷のひとがいつも治療を受けていたのを覚えている。この人は、全身包帯で、車のついた台の上に寝かされ、白衣の看護婦や医者が取り囲むようにしている。こわごわのぞくと、オチンチンをつまみ上げて治療している。あんなところまで火傷をしたのだろうか、痛いだろうな、戦争とは何と怖いものだろう、と私はつくづく思った。

いろいろな情報が乱れ飛んでいたらしい。鬼畜米兵が上陸してくると大変な事になる。また、国民の大半は、食べ物がなくて餓死するだろう。こんなうわさを信じた父は、食料を自給し、家族を飢えさせないことが第一と考え、赤城の山奥で開墾生活に入ることを決意する。(読者に感謝)

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