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2011年3月31日 (木)

中村のりお・人生意気に感ず「いよいよ決戦の時・ブログを休みます」

◇ブログ愛読者の皆様、私のブログは、明日、4月1日から10日迄お休みとなります。私が発信する様々な情報を受け止めていただいたことに感謝いたします。

 いよいよ決戦の時を迎えました。明日は、午前7時から地元鳥取町の大鳥神社で、午前11時からは元総社の総社神社で、それぞれ必勝祈願祭を行い、同日、午後2時からは、私の選挙事務所、小坂子町公民館で、出陣式を行います。

◇私の長い選挙の歴史の上で、経験したことのない異常時の選挙となりました。私は、今回の選挙には特別の意味があると考えます。地方を再建して、日本の再建につなげるために、そのカギとなるしっかりとした政治力を作ることが今回の選挙の目的だと考えるからです。

◇私は、安全安心な地域づくり、災害に強い群馬の実現、いじめのない教育、温かい血の通った福祉の推進、行財政改革、議会改革などを訴えるつもりです。

◇来期、再び県政壇上に上がることが出来たら、必ず取り組みたいと心に誓うことがあります。それは、力強い、主体性のある県議会の実現です。それまで、県議会は改革を進め前進してきましたが、まだ、本来の役割を果たしているとは思えません。

知事を頂点とする行政の執行部と対等の立場に立ってこそ、議会は、その使命を果たすことが出来ます。

 私は、これまでも、条令の制定に関わってきましたが、これからの県議会は、もっと積極的に立法機能を果たしていかねばなりません。

 県会議員がもっと勉強し政策を磨き、それを条例化する動きが本格化するとき、県議会は輝く存在となって、真に県民のための議会になると信じます。

 明朝、9時、県庁舎と市庁舎を前に第一声を上げる予定です。

◇昨日は「NPOぐんま情報バンク」の同志である高島君と平井君が、東北の陸前高田町まで出かけて支援物資を届けました。大変に喜ばれたと語っています。

 助け合いの大切さを痛切に感じます。日本人は、奉仕する心、他人の不幸に手を差し伸べる心を忘れています。日本人の心の再建が今求められています。このことも、私の来期の重要な課題となります。頑張ります。(読者に感謝)

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2011年3月30日 (水)

中村のりお・人生意気に感ず「NPO群馬情報バンクは陸前に向かった。風評に困る農家」

Syuku ◇私が代表をつとめる「NPO群馬情報バンク」で被災地陸前高田町に生活物資を届けることになった。町の役所でなく、ハンド・トウ・ハンドで渡すことになった。情報バンクの会員、高島君と平井君が、昨夜出発した。量は少ないが私たちの心を届ける決意である。

◇ある座談会に出たら、農家の人がいて、風評被害に苦しめられていると訴えた。ホウレン草やカキナが汚染されていると指定されたが、その他の野菜は何十倍もあってみな売れないか、値が下がっている、このままでは農家は立ち行かなくなってしまう、また、そんな不安の中で種まきをしてよいのかどうかとまどっている、というのだ。

 このような時、政治と行政の役割が問われる。県農政は、正確な情報と明確な指針を示すべきだ。4月、県議会に復帰して、農業の再生に尽力するつもりだ。

◇先日、旧宮城村の小学校時代の同級生に、私は次のようなメッセージを送った「宮城村小学校の同級生の皆様、私たちは、今、史上空前の大災害に見舞われ、大変は時に立たされています。正に日本の危機です。力を合わせて、混乱の中に道を開き、安全・安心な社会を再建しなければなりません。そのためには、しっかりした信頼できる政治家と力強い県議会が必要です。

 そして、この危機から脱出して社会を再建するためには、戦後、瓦礫の中から立ち上がったあの体験を活かすことが何よりも重要です。その意味で私たちの年代は貴重な存在です。

今日、日本人の多くは戦後の苦しかった頃の精神を失ってしまいました。社会の再建には日本人の心を再建することも非常に重要です。ハングリーな時代を生きた体験は、私の政治姿勢の原点となっています。

 私は、これをしっかり踏まえて、目前の難関を突破して、県議会で力いっぱい頑張る決意です。ご理解いただければ幸です」

◇私が代表をつとめる「NPO群馬情報バンク」で被災地陸前高田町に生活物資を届けることになった。町の役所でなく、ハンド・トウ・ハンドで渡すことになった。情報バンクの会員、高島君と平井君が、昨夜出発した。量は少ないが私たちの心を届ける決意である。(読者に感謝)

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2011年3月29日 (火)

中村のりお・人生意気に感ず「群馬の災害対策。ドイツの選挙と原発」

◇毎日、大震災の惨状を突きつけられて、私たちは、今、千年に一度といわれる、歴史的瞬間に生きていることを痛切に感じる。私たちは忘却の達人であるが、よく記憶にとどめ後世に伝えなければならない。それが大災害を教訓に活かす第一歩である。

◇群馬は大きな災害がないから幸せだという声をよく聞く。しかし、今回の東北・関東大震災は、こんな「声」が間違っている事を教える。私たちは、大自然の威力を甘く見てはならないのだ。千年に一度という「まさか」の大災害も視野に入れた災害対策と危機管理が必要だ。経済的に豊かになった日本は、そのような政策を立てることが可能である。今回の大震災は、真の豊かさを支えるものは災害対策であることを訴えている。

◇日本の大震災の影響が津波のように全世界に伝わっている。その第一が原発の恐怖である。ドイツの州議会の選挙で原発反対を掲げる野党が勝利した。この州には4基の原子炉があり原発政策が最大の争点だった。選挙期間中に福島の原発事故が発生した。日本の原発事故が遠く離れたドイツの選挙を直撃したことになる。アメリカやフランスの世論にも大きな影響を及ぼしているといわれる。

◇世界の原子力政策が見直される中で、私たちが強い関心を抱くのは中国である。中国は火力発電に大きく依存している。一昨年、中国の内陸部に入ったとき、いたるところで火力発電の巨大な煙突を目にした。

 火力発電には限界がある。COの問題も深刻だ。だから中国は山峡ダムをつくり、更に将来多くの原子力発電所を計画している

 民主主義が未熟な国の原発は危険である。危機管理に対する国民の批判と監視の力が弱いからだ。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故はそれを物語っている。

 日本は、民主主義が進んだ国で、権力を監視し批判する自由が最大限に保障されている国である。従って、原発に対する国民のチェックも最大限に厳しかった筈である。それにもかかわらず今回の事故が起きた。海水汚染の懸念も伝えられる。ならば、中国が原発を乱立させたら大変な事になるのではないか。心配だ。

◇4月1日が迫った。鳥取町の大鳥神社と元総社の総社神社で祈願祭を行い、午後2時から小坂子町公民館で出陣式が行われる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「上州の山河と共に」を連載しています。

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2011年3月28日 (月)

中村のりお・人生意気に感ず「ツイッターによる流言飛語。火山活動も活発化」

◇地元自治会の総会に出た。大地震に県がどう向き合っているか、放射性物質の健康上の問題や風評被害によって困っている農家の実情、被災現地の自衛隊の動きなどを話した。

 私の頭には、情報が錯綜し洪水のように流れている中で、人々が正しい情報をつかんでいないというもどかしさがあった。

 風評被害の原因は不正確な情報である。大災害には、昔から、デマ、つまり、流言飛語がつきものである。1923年(大正12年)の関東大震災の時は、このデマにより多くの朝鮮人が虐殺された。これなどは風評被害の最もたるものだ。

 昔は、メディアが発達していなかったから情報が少なくて、また正確な情報が届かなくて人々はデマに動かされた。今日は、情報伝達の手段が過剰に発達し、情報が過多になっている。人々は、どれを信じていいのか分からない。正しい情報を摑むのは個人の力である。行政や政治はそれをサポートしなければならない。また、民度の問題でもある。

◇事務所に集まる人々が豆腐と納豆が品薄で買えないと嘆いている。わかめ、のり、コンブなどもところによっては品切れだという。

 これらの製品については放射能に効果があるというツィッター情報が飛びかっていて、それが口から口へと伝わっているとのことだ。第一、放射能の害も過度に喧伝されている。

◇ケータイやブログが異常に発達して、面白がって、ニセ情報を流す人がいるらしい。ツイッターによって、次のようなデマが流されている。ほんの一例である。「宮内庁は天皇陛下に京都御所への避難を要望した」、「総務省はほとんど空になっています。東京にいる方、逃げて!!」、「民主党議員は、家族を首都圏から脱出させている」、「原発周辺は、プルトニウム放射線の半減期が2万4千年だからまず住めない」などなど。

◇間もなく始まる県議選でも不確かな情報が流れ有権者はそれに影響を受けるのがいつもの実情だ。「大丈夫」「あぶない」などの情報を積極的に利用する陣営もある。

◇巨大地震直後から富士山など13の活火山の活動が活発になっている。マグマが影響を受けているらしい。これはデマでなく気象庁のデータである。過去には、18世紀、東海・東南海・南海地震が連動して起きた宝永地震の49日後に富士山が大噴火した。このブログも間もなく「休み」になる。情報提供は選挙戦の中で行う。(読者に感謝)

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2011年3月27日 (日)

中村紀雄著「上州の山河と共に」第7回

私は頭の上で回っているヒコーキがどうしても欲しかった。母は、そんな高いものは駄目だという。結局買ってもらえなかった私は、がっかりすると同時に腹を立て、帰り道、石のように口をきかない。そして、とうとう例の坂のところ迄やって来た。時刻は、早くも、夕日が傾く頃になっていた。この坂には、実は、これと平行した、細い道があった。本道は、赤土が深くえぐれた馬も車を引いて通れる道であるが、もう一本は、高い所を人間が一人通る位の細い道である。

母が広い坂道に入ってゆくのを見て、私は上の細い道に入っていった。坂に入ると、時たま、ほほにポツリと、当たるものがあったが、やがて、本降りとなり、そのうち、雷鳴をまじえたすごいどしゃ降りとなった。低い道は、このような時、回りから流れ込む水がいっしょになって、膝にも届くほどになり、水流は子どもを押し流さんばかりになる。私は子どもながらに、とっさに思った。母が心配して探しているに違いないと。その通りであった。母は自分の来た道を私が下から登ってくると思い、濁流の流れる方向を伺うが見えないので、「紀雄!紀雄!」と叫びながら、水の中を、必死で足を踏ん張りながら坂を下ろうとしていた。私は夢中になって、崖の上から水の中へ飛び降り母を捜す。上流に走ったが見えない。下の方で探しているのか、この水流に押し流されてしまったか。後悔の念が、一瞬頭の中を走る。にわかに暗くなった空間を引き裂くように稲妻が走り、流れは、増々激しくなった。私は気狂いのように、「お母ちゃん、お母ちゃん!」と叫びながら下流へ走る。しかし、流れに足を取られそうになり、思うように走れない。ゆるいカーブを曲がると雨の幕を通してぼんやりと人影らしいものが見える。私が流されたかと、必死で捜す母であった。私は、「お母ちゃん、勘弁して」と、夢中で母に抱きついていた。(読者に感謝)

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2011年3月26日 (土)

中村紀雄著「上州の山河と共に」第6回

私は時々、下の部落に味噌や醤油を買いに、行かされた。

「お金を落とさないように。蛇に追われたら真直に走って急に横へ曲がって逃げるんだよ。」などと母親に注意されて出かける。長い道のり、山道を歩いてゆくと、本当に、私の背丈よりずっと長い青大将によく出会った。急傾斜の道は、雨のたびに赤土が流されて、道の両側は私の背よりも高い崖になっている。ここで、夕立にでも会うと、道は、濁流が音を立て滝となって流れる川に一変する。私には、蛇よりも、こちらの方がこわかった。

この坂道については懐かしい思い出がある。ある日、母は、虫歯の治療で前橋まで行くことになった。治療を受けている間、妹の恭子をみておくれと言われ、私はいっしょに出かけた。朝早く家を出て、大胡迄歩き、そこから前橋迄電車に乗る。

私を連れて行くと母は大変便利であった。改札口が開くと、大人たちの間をリスのようにかいくぐって、電車に飛び込み座席を確保するのが私の役目であった。

その日も、私は小さな胸に、秘かに期するところがあって、一生懸命働いた。治療中も妹をよくあやして面倒を見た。帰りに今井の玩具屋に立寄った迄はよかったのである。

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2011年3月25日 (金)

中村のりお・人生意気に感ず「戦争だ、自衛隊の役割。9名の卒業式」

◇巨大地震の惨状は正に戦争である。戦争に的確に対応出来る力は戦争のための組織以外にない。それは自衛隊である。今自衛隊が史上空前の作戦を展開している。前橋市内でも「災害対策」と表示した装甲車の列を見かけるが、東北につながる高速道路は、自衛隊の物々しい動きが連日引きも切らず続いているらしい。戦車まで出動したとメディアは伝える。その全体像からは、国民の生命を守る自衛隊の決意がうかがえる。

 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、それぞれが、輸送と人命救助に必要な総力を結集して事に当たっている。

 いくら非常時でも、民主国家に於いては軍を動かす力は、「民」でなければならない。シビリアンコントロールである。今の民主党にその力があるのか。

 菅政権は政治主導を強調しているが、関係省庁をフルに使わねばならない。今や、政治のパフォーマンスは許されないのだ。

◇嶺小の卒業式に出た(24日)。全校生30数名、卒業生は9名である。名前を呼ばれると1人1人が壇上に進み、在校生と父母に向かってそれぞれの思い出やこれからの抱負を語り、これまで育ててくれた父母に感謝していた。養護学校へ進学するという1人の卒業生を包む雰囲気も温かい。やがて消えゆく運命の、歴史ある小規模校。健在する地域の連帯を象徴する卒業風景だった。東北の大津波はこのような純朴な多くの集落をひとのみにしてしまった。

◇拡大選対会議は、計画停電が午後6時20分からと予定されていたので、5時半から行った。700ヶ所以上の掲示板のポスター貼りの役割分担、8千枚の選挙用のハガキの配布、祈願祭の段取り等誠に慌ただしい。合併によって戦線は途方もなく広がった。

 日本中が大混乱の中の選挙である。投票率は低いのだろうか。ガソリン事情は改善されるのか。今までの選挙にない不安要素が多い。

◇私は決意を述べる挨拶の中で、今回の選挙の大義に触れた。それは、敗戦後瓦礫の中から立ち上がって日本を再建したことを思えば今回も必ず再建できる、そのためには、地方が頑張らねばならない、その中心が県議会である、今回の選挙の目的は力強い本物の県議会をつくることだ、というもの。(読者に感謝)

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2011年3月24日 (木)

中村のりお・人生意気に感ず「非常時の県議団総会と全員協議会。」

◇議会閉会中の県議団総会並びに全員協議会が開かれた。先ず、県議団総会であるが、選挙カーの使い方につき、急遽話し合うためである。これは、選挙戦の先頭に立つ存在で、通常なら朝8時から夜8時迄、「○○でございます」、「お願いします」と選挙区内全域を各陣営の選挙カーが走り回る。「選挙」を軽薄にする要素でもあった。

 あらゆる行事を自粛ムードがつつむ。それは、選挙カーについても例外ではない。全面的廃止の立場と自粛しながら実行するという2つに分かれて多くの議論が出た。

 論点は、被災者の心情、ガソリン不足、選挙の意義などに関するものである。単純に世論に迎合する意見や選挙に勝って安定した社会を作るために選挙カーを有効に使うべきだという考えなどがあった。

 結局、自粛しながら選挙カーを使うという結論に至った。街頭演説を中心にする、流し遊説は午前9時から午後5時迄とする、4日は一斉自粛日として遊説は行わない、等である。私は、こまめに車を止めて辻々で政策を訴えるつもりだ。

◇全員協議は、全議員を前に執行部が震災の状況を説明し、議員の質疑が行われ、多くの要望が出された。

 放射物質に関する風評被害に農家が大変苦しんでいること、節電を徹底して停電を少なくするべきだ、吾妻線が全線動かないこと、草津などの温泉地はキャンセルが続出し経営がピンチにおちいっている等々が指摘され対策が論じられた。

 私は、救援物資の搬送につき発言した。ミスマッチがあって、大量の物資が送られながら欲しい物資が欲しい人の所に届かないという現実がある。被災地とこまかく情報を交換して、この点につき知恵をしぼれというもの。

◇全員協議会では様々な問題点が議論されたが、これらは、みな県議会が真剣に取り組まなければならない課題である。選挙を通過し、しっかりした議会を再現しなければ、それは不可能である。今回の県議選の意義はここにある。

◇全員協議会で発言する議員の姿には危機感が現れていた。県民に密着し、現実に接している議員には、それを県民のために活かして政策を立て実行する大きな役割と使命がある。まさかの時が来た。県会議員と議会の真価が問われている。今日は、大きな選対会議が開かれる。いよいよ決戦にはいる。(読者に感謝)

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2011年3月23日 (水)

中村のりお・人生意気に感ず「汚染野菜を食す。被災地の光景。生命力の逞しさ」

◇選挙事務所に予定された小坂子町公民館に近くの農家から野菜の束が山と持ち込まれた。長さと太さが整えられた束には出荷用のシールが付いている。市場に出したら突っ返されたという。おひたしにしたら実に美味しかった。出荷停止となったぼう大な野菜はどこへ捨てられるのか。かみ締める度に被災地の人々の顔が頭に浮かぶ。

◇テレビは被災地の中学の卒業式の光景を報じた。校歌を歌う女子生徒の頬を大粒の涙が伝っていた。遺影をもって卒業生の列に座る父親の姿は悲しい。遠い海底に沈む多くの遺体を想像すると慄然となる。カメラは、丘の上から夜の港町を映す。やっと戻った電気の輝きは、復興を誓う松明(たいまつ)に見える。生活の営みは一刻も休むことがない。復興の歩みは既に始まっているのだ。

◇気仙沼市では、何隻もの遠洋漁業の大型船が津波に乗って上陸し、市街を漂流した。大型船の突進力は凄い。通常は津波でもびくともしない鉄骨の建物が完全に破壊された。正に信じられない光景である。千年に一度といわれる大災害の歴史的瞬間に立ち会っていることを痛感する。

◇80歳の祖母と16歳の孫が9日目に救出された事実は、人間の生命力の凄さを示す。同時に、これは、瓦礫の下の命の存在を簡単にあきらめてはならないことを突きつける。大災害の度に「奇跡」が報じられるが、それらは、滴るしずくをなめながら瓦礫の下で虫の息で助けを待つ人たちの一列と見なければならない。

 04年の中越地震では2歳の幼児が92時間ぶりに救出された。同じく04年のイラン大地震では97歳の女性が8日ぶりに助けられた。05年のスマトラ沖地震ではインド洋上を漂っていた若者が2週間ぶりに生還した。また、08年の中国四川大地震では山奥に閉じ込められていた建設作業員8人が16日ぶりに救出された。そして、記憶に生々しく残るのは昨年のチリ鉱山の落盤事故だ。全世界が注視する中で33人が69日ぶりに生還を果たした。

 私たちは、絶えず激しく活動する大自然がわずかに呼吸する間のつかの間の平穏を享受している。自然の脅威は地球外からも襲う。かつて巨大隕石の衝突によって恐竜が絶滅した。私たちの存在は誠にはかないが、それにもかかわらず、人類は夢を求めて生きる。未来を信ずるところから限りない力が湧く。(読者に感謝)

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2011年3月22日 (火)

中村のりお・人生意気に感ず「被災地の人間の絆。原発の恐怖。東海地震」

◇夫を探して瓦礫の山をめぐり歩く女性がいる。掲示板を杖の先で辿る老人がいる。被災地の惨状は肉親の情、人間の絆を浮き彫りにしている。巨大地震と大津波の残酷な爪跡は10日を過ぎても語りつくすことは出来ない。

◇80歳の女性と孫の16歳の少年が9日ぶりに救出されたことを全てのメディアが報じている。約217時間ぶりの奇跡の生還である。発見当時少年は頭にタオルを何枚も巻いて震えており、体温が28度まで下がっていたという。生死を分ける要素は精神力だ。極限の状況で、生きる力が発揮された例である。教育界は「生きる力」を教育の目的としている。ならば、今日の惨状下の人々の姿を最大の教材として活かすべきではないか。

◇原発事故の恐怖がじわじわと広がっている。群馬のホウレンソウ、カキナからも放射性物質が検出されたため、出荷できなくなった。農家の被害は甚大だ。どうなるのだと農家から電話が届く。県は国に補償を求めていくと語っている。

 巨大地震の実体が分かってきて、専門家は、千年に一度のものと分析している。ここで生ずる疑問は、原発の設置管理の責任である。不可抗力として責任は問えないのか。千年に一度といえど、想定は可能なのだから、その対応をしていなかった責任を問うべきか。原発事故の怖さと日本の技術力の高さからすれば、後者というべきだろう。

◇ここで、直ぐに懸念されることは、東海地震とこの地域の原発の関係である。東海地震は、駿河湾西から遠州灘東部を震源域として近い将来必ず起こるとされている。専門家はいつ起きてもおかしくないといっている。フィリピン海プレートとユーラシアプレートとの境界型地震である。浅い所で起きるM8程度の巨大地震と想定されている。先日静岡県で大きな地震があった時、東海地震の始まりかと思った。

 この地域には、中部電力が設置する原発がいくつも存在する。迫る巨大地震に対して、今回の事故を教訓として最大限活かさねばならない。

◇23日、県議団総会を開いて、選挙カーの使い方などにつき協議する。従来のような連呼の繰り返しは、今回の選挙の重要性と社会状況からして許されないだろう。巨大地震は選挙のやり方まで変えようとしている。(読者に感謝)

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2011年3月21日 (月)

中村紀雄著「上州の山河と共に」第5回

「宮城村で開墾生活」

昭和20年の秋、私達家族は、勢多郡宮城村柏倉(現:前橋市柏倉町)の最北の地大倉山という所で開墾生活に入った。妹の恭子が生まれたばかりで、一家4人であった。各地からいろいろな人が入植する予定であったらしいが、実際、掘立小屋を建てて済み始めたのは、東京の新小岩からやって来た画家の池田さん、前橋の百軒町から登った小池さん、それと私達の三軒であった。

小川の流れる沢のどん詰まりの低い斜面を削って掘立小屋が建てられた。小川はそこの小石の一つ一つが見え、足を入れると夏でも痛いほど冷たかった。石を動かすと小さな蟹がいくらでもとれ、また、水面を覆って、川菜がいっぱいはえている。ぐみや山栗やあけび、そして、きのこと珍しいものがいっぱいで、私は、さすがお父さん、よい所へ連れてきてくれたと喜んだ。

しかし、それは初めのうちだけで、すぐに開墾生活の厳しさをいやという程味わうことになった。篠を刈って、唐鍬でおこし、土をふるい落として、篠の株を取り除く。父母のそばで、掘り起こした株を運び出したり、妹の世話をするのが、私の仕事であった。

苦労して作った薩摩芋を収穫することは大きな喜びであったが、毎日、御飯のかわりに食べさせられ、しまいには、薩摩芋の上にぽろぽろ涙を流し、薩摩芋を見るのも嫌になった。(読者に感謝)

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2011年3月20日 (日)

中村のりお著「上州の山河と共に」第4回

そして昭和2086日広島に、89日には長崎に、それぞれ原爆が投下され、815日にはポツダム宣言受諾をつげる玉音放送が行われ、遂に終戦となった。

当時4歳であった私も、もうこれからは防空壕へ逃げ込まなくてもよいということは嬉しかったし、父や母のほっとしている気持ちがよくわかった。しかし、同時に、又、これから大変なことになるらしいという父母の不安も伝わってきた。

県庁前通りの、一本北の通りには、皮膚科の松山医院があるが、当時、この医院の玄関先で、ひどい火傷のひとがいつも治療を受けていたのを覚えている。この人は、全身包帯で、車のついた台の上に寝かされ、白衣の看護婦や医者が取り囲むようにしている。こわごわのぞくと、オチンチンをつまみ上げて治療している。あんなところまで火傷をしたのだろうか、痛いだろうな、戦争とは何と怖いものだろう、と私はつくづく思った。

いろいろな情報が乱れ飛んでいたらしい。鬼畜米兵が上陸してくると大変な事になる。また、国民の大半は、食べ物がなくて餓死するだろう。こんなうわさを信じた父は、食料を自給し、家族を飢えさせないことが第一と考え、赤城の山奥で開墾生活に入ることを決意する。(読者に感謝)

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2011年3月19日 (土)

中村のりお「未曾有の災害に対して立ち上がる時」「上州の山河と共に」第3回

史上最大の災害は正に国難となって私たち日本人の前に立ちはだかりました。日本人の心は貧しくなった、伝統の武士道の精神は消え失せたという声がしきりに聞こえますが、基本的には、日本人の精神は健全なのだと信じます。普通、表面に現れない日本人の本質は、まさかの時に発揮されます。

 それは、先ず平成7年の阪神淡路大震災の時に如実に示されました。ボランティアで駆け付けた人々の数は、一年間で、延べ数にして130万人に達し、この事実は、その後の社会の流れを大きく変える契機となりました。ボランティアを法的に支える制度も出来、ボランティアの存在は、社会を支える大きな柱となったのです。平成一二年度の国民生活白書がボランティアの特集を組んだ事も、これを物語っています。

 この度の東北・関東大震災の惨状は、阪神淡路の比ではありません。正に日本人の真価と底力が試されています。小学生に至るまで、助けてやりたいという奉仕の心を現しています。全ての人が同じ心を抱いているに違いありません。問題は、個人が抱く温かい心を有効に被災地につなげることが難しいという事実です。ここに行政や政治の役割があります。

 私たち自民党は、知事に提案して県行政を動かし、独自に対策本部を立ち上げあらゆる可能な方法を模索しております。

 例えば、三月十八日、県議団の第一陣が、米や水などの生活必需品を相馬市長に届けました。また、県民の皆様の善意の品物については、これまで、搬送手段がない等の理由で対応できないでおりましたが、私たちが交渉した結果、自衛隊新町駐屯地へ持ち込むことが可能となりました。

中村のりお後援会では、後援会の皆様だけでなく広く市民の皆様に呼びかけ、皆様の善意を被災地にお届けする決意であります。次の点にご協力下さるようお願いします。

① 自民党の救援募金へのご協力をお願いします。

② 救援物資は、中村事務所(小坂子町公民館)にお届け下さい。

最優先に必要 救援物資 として要請されているもの

水・食糧(特にレトルトや缶詰など、すぐに食べられるもの)・カセットコンロ・電池・電池で携帯電話の充電ができるもの・ラジオ・上着・肌着・衣服・毛布・生理用品・おむつ・介護用パンツ・コンタクト洗浄剤・歯ブラシ・歯磨き粉・マスク・消毒液・割り箸・靴・長靴・トイレ用品・ゴム手袋・軍手・赤ちゃん用ミルク・カイロ・トイレットペーパー

*原則として、全て(新品・新古品)でお願いいたします。

義援金 受付口座

自民党東日本地震救援募金  群馬銀行 県庁支店 普通預金 00577415(振込手数料は無料です

)

中村のりお著「上州の山河と共に」第3

曲輪町で生まれる

私は昭和151030日、前橋市曲輪町103番地で生まれた。世の中は太平洋戦争の方向へ向かって突き進んでいる騒然とした時代であった。既に、昭和13年には国家総動員法が作られ、私が生まれた15年には、日独伊三国軍事同盟、16年には、日ソ中立条約が結ばれ、そして、1612月、遂に、太平洋戦争突入となった。

 私が生まれた曲輪町103番地は、今は大手町の県庁前通り、秋葉写真館がある四つ角で、北側の東の角、今は、安田生命ビルが建っている所であった。父は、ここでせんべい屋をしていた。私の祖父は、福井県で羽二重の工場を大きくやっていたが、大恐慌で事業がうまく行かず、前橋にやって来てせんべい屋を始めたのである。

そこは、当時は萩町といったが、現在は昭和町、3中の北側の道路に面した所で、屋号は東京煎餅であった。当時とすればめずらしいオート三輪を使い、製造、卸をかなり手広くやっていたらしい。父は二男であったので、結婚と共に独立し、前期の場所で商売をすることになったのである。母は、総社町山王の鹿野という百姓の娘であった。これが、私の簡単なルーツである。

私が生まれて間もなく太平洋戦争が始まり、父は徴用で理研で働くことになった。商売が出来なくなったのを機に、私たちは、近くの曲輪町102番地・高島さんの借家に移り住むことになったが、この頃から戦局は次第に悪化しつつあった。当時の私に詳しい事は分かる筈もなかったが、ただならぬ状況が進んでいるらしい事は理解できた。

私は、北曲輪町のマツテヤ幼稚園に通っていたが,空襲警報が鳴ると防空頭巾を被って先生に手を引かれて逃げ帰ったことなどが思い出される。また、夜、眠い目をこすりながら、母親につれられて、県庁裏の、今は幸の池となっているあたりの、小高い桜の丘の下に並んでいる防空壕に逃げ込み、息を殺してB29の音を聞いたことなど、今でもはっきりと思い出される。(読者に感謝)

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2011年3月18日 (金)

中村のりお・人生意気に感ず「異常時の選挙運動の意味。被災者の受入れ」

◇この冬一番の身を切るような寒さである。あかりが消えた集落の上を、寒気を突き刺すような青白い月光が照らしていた。計画停電という妙な用語もすっかり定着した。新たに出現した事態が新しい用語を生み出す例である。この停電の下で、我が陣営は役員会を開いた。被災地を思えば、寒天と計画停電を怨む心も直ちに消える。発電機で起こした電気を使いながら多くのローソクでこれを補った。多くの役員が集まった。我が後援会の意気は軒昂(けんこう)である。異様な雰囲気は正に戦場である。

◇黙とうを捧げてから、会議に入った。選挙運動を自粛すべしという意見が存在する。この選挙の意義をはっきりさせるべきだということになり、大きな紙に「支援者の皆様へ」と題した一文を書いて張り出すと共に、私も挨拶の中で強調した。

 未曽有の大災害で生じた状態は正に困難である。混乱の中で道を開き安全安心な地域社会を築くためには、リーダーシップを発揮する県会議員と力強い県議会が必要であり、今回の選挙の目的はここにある、というもの。

◇各県の被災地救援が大きく報じられる中で、群馬県の動きが見えない、何をしているのかという声が寄せられていた。私たち県会議員は対策本部を設けると共に行動を開始し、大澤知事に県としての対応を要請してきた。

県は、昨日(17日)、池本副知事を福島県災害対策本部に派遣し、被災者の受入れを申し出た。

 緊急対応は次のようなものである。伊勢崎市にある県総合教育センターに「受入れ本部」を開設し、福島県からの要望に応じて、被災者の年齢、人数等に適した避難場所を直ちに調整し割り振っていく。想定している避難所は、県内の公立学校(小、中、高)及び県立、市町村立の教育施設、市町村のペンション・民宿、旅館等である。受入れ人数は1万2千人を想定し、迎えのバスも検討している。このような対応はもっと迅速に行うべきであった。

◇立候補届出に向けた多くの書類の選管における事前審査がやっとパスした。掲示用ポスター、選挙公報の原稿、供託金証明書等々である。審査は厳密だ。各陣営が神経を使ったことだろう。

◇統一地方選延期の特例法が今日(18日)にも成立する。私たちの県議選も延期になると誤解する人がいる。大震災の被災自治体に限り2か月から6か月の範囲内で延期する。町民の大半が消したところの選挙はどうなるのか。(読者に感謝)

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2011年3月17日 (木)

中村のりおの人生意気に感ず「買占めに走る人々。ガソリン不足。ボランティア」

◇買占め、買いだめが横行しているらしい。スーパーからトイレットペーパーを抱えて出てくるおばさんを見かけた。1973年のオイルショックの再現かと思わせる。この時のオイルショックは、イスラエルとエジプト・シリアの間の第4次中東戦争の勃発が原因だった。安いトイレットペーパーのチラシを見た主婦が押し掛けトイレットペーパーめがけて殺到。一週間分の在庫が一時間で姿を消したと当時の週刊誌は記す。

 今回は、史上最大の災害時の騒動である。買占めで品不足が加速し被災者の救済に支障が生ずるとすれば、事態はオイルショックの時より深刻だ。災害時、日本人の秩序ある行動を外国は称賛するが、日本人の美徳も疑わしいものである。

◇ガソリンについては品不足のためパニックに近い状況が生じている。どこのガソリンスタンドも長蛇の列ができ、売り切れの表示を出すスタンドが続出した。「どうなっているのだ、いつまで、これは続くのか、行政は情報を出すべきだ」こんな声が、私のところに多くよせられた。

 こちらは、集会にも障害が出始めている。ガソリンがないから会合に出られない人があちこちで現れている。県の商政課に調べてもらったら、この状態は徐々に緩和する見通しだという。

 県内のガソリンスタンドのガソリンの約70%は高崎のオイルターミナルに入ってから個々のGSに搬送されるが、これまで、そこに入るガソリンがストップしていた。多くの製油所が機能しなかったからだ。それが15日から入荷し始めたという。多くの県民がガソリンの品不足について不安を抱いている。県当局は、あらゆる手段を使って情報提供を行うべきだ。まさかの非常時に行政の果たすべき役割は重大である。県民の目線に立った木目細かな対応が求められる。

◇ある町内でフトンが沢山出て被災地に送りたいがどうしたらよいかという声が寄せられた。県民生活課は、今のところ、そういう個々の申し出を受け入れられないという。搬送の手段がないからだ。被災地は寒さの中、物資の不足に苦しんでいる。何とかならないものかともどかしい。阪神大震災の時は年間で130万人ものボランティアが駆け付けた。人と物の流れを何としても現地につなげたい。(読者に感謝)」

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2011年3月16日 (水)

中村のりお人生意気に感ず「各種の対策本部が出来る。礼大祭。ローソクを灯す」

◇巨大地震被災地の惨状は見るに耐えない。同胞の窮状に対し全国から支援の手が伸びている。本県でもその動きが始まった。県民個々人のボランティア活動は持論重要であるが、先ず、効果的な動きは組織をもつ団体のものである。県として、自民党として、民間団体として私の関わる動きをここに紹介する。

◇自民党は、自民党県連災害対策本部を設置した。役員構成は幹事長を本部長として、副本部長に県連副会長が就き、本部役員には県議会の常任委員長等を務める5人の県議が就任した。私は県連副会長である。

 この対策本部は、まず、大澤知事に次のような申し入れを行った。即ち、被災者に対し、公営住宅や県内宿泊施設への受け入れ、仮設住宅用地を提供、また、県民ボランティアへの呼びかけを行うことなどである。

◇自民党災害対策本部は、3月18日(金)、相馬市役所宛てに、米3t、飲料水2tを搬送する。午前9時30分、館林市役所前を出発する。

 このような動きは今後も続けるので、県民の善意を受け入れて対応しようとしている。そのため、自民県連は、義捐金受け入れ口座を開設した。「群馬銀行県庁支店 普通 口座番号 0577415

◇県は、知事を本部長とする災害対策本部を立ち上げ、人的支援、物的支援、バックアップ支援を迅速に実施する。既に毛布2千枚を送っているが、更に15日、アルファ米1万食、水のペット1万4千本等多くの救援物資を送った。

◇私が属する群馬県中小企業家同友会は義捐金募集に取り組むことになり、義捐金専用口座を設けた。「群馬銀行片貝支店 普通 口座番号 0437979 口座名義 群馬同友会東日本大震災義捐金」

◇総社神社の年間の最大行事、春季礼大祭に出た(15日)。長い境内の石だたみを神社本部からの古式豊かな使節の列が続いた。私は巨大地震被災地の惨状を頭に描きながらのどかな光景を見守った。41日、私は、この神社で必勝祈願祭を行う。

 直会(おならい)の席で私は挨拶した。「多くの犠牲者に心からお悔やみ申し上げます。地域社会を支える、このような伝統行事を行える有り難さを身にしみて感じます」と。

 夜の役員会は、計画停電の中、ローソクを灯して行った。異様な雰囲気が緊張感を高めた。(読者に感謝)

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2011年3月15日 (火)

中村のりお人生意気に感ず「地球の回転速度も変えた巨大地震。節電の意義」

◇今回の地震は地球の自転速度にも影響を及ぼしたといわれる。いかに衝撃度が大きいかを示す事実である。NASAの発表によれば、百万分の1.8秒だけ自転にかかる時間が短くなった。地球内の密度に差が生じた結果だという。あのもの凄い津波は地球が激しく身震いした結果なのだろう。

 いくつもの町や村が壊滅して跡形もなく消えた。世界最高の技術で作られ、安全性の点で信頼されていた原子力発電所さえも強烈な一撃によって危機に陥入った。死者は日を追って増え数万人と報じるメディアも出た。この地震は、歴史に刻まれ、永く語り継がれることだろう。

◇先日、ある短大の学位授与式に出た(12日)。保育学科を中心とするこの大学の卒業生は全員女子である。色とりどりの和服と袴で身を飾り、頭には花を付けている。壇上からみると百花繚乱のお花畑のようだ。東北の被災地と比べると正に別世界。

 私は挨拶の中で地震の事に触れた。「昨夜の巨大地震は、科学万能、物質万能に対する戒めを意味していると思えます。私たちは科学の力で全てが解決出来るとうぬぼれています。また、欲望に走って、人間の絆を軽視するようになりました。その結果、人間の心は貧しくなり、地域社会の連帯も失われてしまいました。これらは、自然に対する畏敬の念を忘れたことにも原因があると思います。巨大地震は、こんな私たちに、日本人よ目を醒ませと教えているように思えてなりません」 

私は、保育の知識と技術を学んで社会に踏み出す若い女性たちに、崇高な仕事に対する使命観と高い志を持つようにと訴えたかったのである。

◇原発施設の爆発事故は、原子力の管理の難しさと放射能の恐ろしさを改めて示した。多くの人々は津波の恐ろしさに目を奪われているが、今、危険な状態を克服できるかどうかの瀬戸際にあるらしい。一歩誤れば津波以上の惨事をひき起こしかねない。スリーマイル島やチェルノブイリの事故を思い出す。今回の事故は、発電所側の過失ではなく、余りにも地震の力が大きかったことが原因だろう。しかし、原子力発電の今後に大きな影響を与えることは間違いない。

◇計画停電とはショッキングなことだ。日常生活と産業に与える打撃は大変なものだ。しかし、これ迄のエネルギーの浪費を改めるには絶好の機会である。CO2が大幅に減るだろう。この動きを一時的なものにしてはならない。(読者に感謝)

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2011年3月14日 (月)

中村のりお人生意気に感ず「最大級の災害に立ち向かう日本人。県は対策をたてよ」

◇津波の恐ろしさを思い知らされた。遥か彼方から押し寄せる横一線の白波は近づくと突如、黒い海面と化し轟音を立て堤防を乗り越え建物を押し倒し車も人も呑み込んでいく。のどかだった山陸の漁村は阿鼻叫喚(あびきょうかん)のちまたと化した。

 津波がさった後は、見渡す限り瓦礫の山である。その惨状は、第二次世界大戦でB29の爆撃を受けた跡のようだ。

 マグニチュード9.0だという。世界最大級のもので、日本国内では400年来の巨大地震である。死者の数はどこまで増えるか分からない。地震による原子力発電所の事故は電力の不足を生じ、その影響は、経済の面、市民生活の面に於いて測り知れないものだ。正に戦後最大の国難の時を迎えた。

 これだけの巨大地震だから、想像を絶する地下岩盤の変化が進行していたに違いない。大地震の発生が確実視された地域である。このあたりでは、2、3日前から前兆ともいえる大きな地震があった。なぜ、予知できなかったか。ある程度予知しながらパニックを恐れて躊躇していたか。だとしたら、今後の大きな反省材料とすべきだ。

◇05年の宮城沖地震では、6弱の震度、10mの津波で、290人の死者が出た。そして、地震調査委員会は、この地域で、今後30年以内に99%の確率でM7.5前後の地震が発生すると公表していた。このような状況に備えて世界1といわれる防波堤を築いたが大波は軽々とこれを乗り越えた。自然の威力は恐ろしい。

◇極限の異常時に国民性が現れる。私たちは戦後、壊滅した廃墟から力強く立ちあがった。今回もそうしなければならない。多くの国々が日本人の冷静さを賞賛している。あの中国でさえ、新聞で「多くの中国人が日本人の秩序を保った行動に感銘を受けた」と表明している。

 被災地の人を見て、家族や人間の絆の大切さを改めて思う。九死に一生を得たある男性は、津波に呑まれた水中でもう駄目かと思った時、家族の姿が頭に浮かび必死で頑張ったと語っている。

◇13日の県政報告会では、急遽、地震の項目を加えた。県内では死者は1人で、比較的被害は少なかったが、今回の巨大地震は、自然の測り知れない未知の力を示している。県は改めて防災対策と危機管理を練り直さねばならない。(読者に感謝)

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2011年3月13日 (日)

中村のりお「上州の山河と共に」連載 -第2回-

 福島浩が、<頑張ってくれ>と言い遺した県議選は、平成34月に行われる。それは、私にとって3度目の選挙であった。というのは、私は、昭和62年に初出馬し、この時は、10,777票を獲得し、270票の差で敗れたが、幸運にも、その1年後、1議席をめぐる補欠選が行われ、35,000票を得て当選した。そして、平成34月は、補選で当選した私の任期が切れ、いよいよ本選が行われることになっていたのである。

 今度の前橋市区の県議選は、選挙突入前から激戦が予想され、また話題が多かった。それは、8議席のところへ、12人の立候補者が予想され,新たな候補予定者には、前橋市議の3人、及び、既に何度か挑戦している元県議がおり、彼らは、いずれも相当の集票能力を持ち当選可能なラインに行けると思われていた。

 その上に世間の関心を集めていたのが、私の当落であった。補欠選で中村に投票した35,000の人々は、それまでは他の人を支持していたのだから、本選挙になって、その人々が立候補すれば、そちらに投票する。だから、中村は当選出来ないだろうという見方が広く流れていた。

 わが陣営は、このうわさに不安を抱きつつ、せっかく苦労の末につかんだ県議の椅子を、わずか3年で失ってなるものかと目の色を変えていたのである。このことを考えれば、過去2回の選挙で、心血を注いで来た福島浩が死の床でなお心にかけていたのも不思議ではない。私は、福島浩の霊に報いる為にもどうしても当選しなければならない、と心に誓っていた。

 すべての支援者が一生懸命に動いてくれたお陰で、結果は、大方の予想を大きく裏切って、12人中、第2位の当選であった。県議選の詳細は、後で触れることにする。

 私は今、2期目の県会議員となって、改めて、県会議員とは何か、その果たすべき役割は何か、そして、自分は何をなすべきかを自らに問うている。

 私は人生の方向を180度転換して全く別の世界に飛び込んだが、その動機は何だったのか。振り返れば、それまでに、時代の流れの中で、体験した様々なこと、そして、その折々に喜び、怒り、悩み、疑問を抱き、あるいは矛盾を感じたこと、更にはこれらすべてのものを基礎にして私の中で芽生えたものが、私を衝き動かしてこの世界に飛び込ませたのである。

また、これらは、現在も、意識するしないに関わらず、私の行動の基礎になっているものと思われる。従って、これ迄の自分の歩みを振り返り見詰め直すことは、自分の現在と将来の行動の指針を探る上で必要不可欠と思われる。

 また、私は、私を支えてくださる県民の皆様と共に歩もうとしているのであるから、皆様により深く私をご理解して頂くためにも、この事は必要なことと思われるのである。そこで、私のこれ迄の歩みをありのまま辿ってみたいと思うのである。(読者に感謝)

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2011年3月12日 (土)

人生意気に感ず「巨大地震、日本を呑む。日本人が試される時」

◇今日は、「特別号」である。ついに巨大地震が日本列島を襲った。近年、地球上各地で巨大地震が続くなかで、日本も近いと肌で感じていた矢先だった。11日午後、小坂子の新事務所は、鉛色の雲の下、肌を刺す寒気に包まれていた。突然の轟音は地震であった。こんなに長いゆれは初めての経験である。やがて、国内史上最大のM8.8巨大地震と分かる。7mを超す津波の襲来は映画のようだ。盛り上がり渦を巻く海面に車や家屋が飲み込まれていく。一波、二波、三波と陸地を目指す津波の波線は白いビルの4階にまで迫る力で、あらゆる人工物を押しまくっていく。

 電気が止まり、テレビ、電話は不通、ケータイもだめ、頼りの情報源はラジオのみだ。夕闇迫る中を県庁に向かう。主要な道路の信号は機能していない。夕方のラッシュ時なのに、交通のパニックは意外にない。お互い、ゆずり合って、交差点をこえて車は流れている。人々の冷静さに感心する。

 災害対策特別室は庁舎7階である。知事を囲んで各部の部長等幹部が防災服に身をかためて集まった。県会議員は私一人であるが、一画に席を占めて、状況を見守った。農政部関係、環境森林、企業局とそれぞれの分野の被害状況が報告されていく。会議の間も、壁面の大画面には、被災地の生々しい光景が映し出される。これは、現実かと目を疑った。

◇家では、真っ暗の中で、妻が不安そうに待っていた。ローソクと石油ランプを使った。電気が回復したのは、翌、午前1時すぎ。ぱっと部屋を照らす電気の明るさは心の中まで明るくする。

 全部のテレビは、地震情報一色である。山陸沖で起きたM8.88エネルギーは、列島を揺り動かし、他の地震源に衝撃を与え、引き金となるに違いない。私は、こう思った。これは素人の考えだが、外れていないと思う。案の定、新潟、長野、茨城など各地で大地震が連続している。この後も、天変地異は続くだろう。

 日本人が試練の時に立たされている。全世界が注目している。阪神淡路の時も略奪は起こらず、この点を世界のメディアは驚いたという。日本人の、真っ当さと根性を示そうではないか。この大地震を、混乱し、腐敗した日本人に対する天の警告と受け止めよう。復旧は、壊れた構造物だけではない。日本人の精神構造の復旧も大きな課題なのだ(読者に感謝)

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2011年3月11日 (金)

人生意気に感ず「2月議会終わり去りゆく人々。事務所開きの妻の笑顔」

◇2月議会最終日は、私たち県議にとって特別の日であった。早朝の自民党県議団の朝食会では、今期限りで議会を去る田島、原、金田、中島、平田の各氏が退任の挨拶をした。残る議員たちも選挙に勝てなければ、同じ運命になる。選挙を目前にした議員たちを不思議な緊張感が包んでいた。

◇産経土木常任委員会の新井委員長は、委員長報告の中で、群馬県尾瀬憲章、ぐんま星空憲章に次ぐ、本県3番目の憲章として「群馬県中小企業憲章」の制定を求める決議が提案され、全会一致で発議したと述べた。私は先日、提案者として委員会で提案説明を行った。中小企業憲章制定に関わったことは、今期の議員活動の主要な成果の1つとなった。

◇議会が終わり、いつものように知事が自民党控室を訪ねて挨拶。自ら退任する議員には労をねぎらい、選挙に出る議員には奮闘して又戻って来て下さいと訴えた。議員たちは、机の上の書類の山を整理して言葉を交わしながら去っていく。アイシャルリターン、ツァィチェン(再見)と私の周りでは英語や中国語も飛び交った。一ヵ月後、この控室の様相も一変するだろう。ガランとした控室の空間が私の緊張感を高める。いよいよ決戦の時がきたと思った。

◇10日の最大の出来事は事務所開きだった。今回の前橋市区の県議選では最北の地になる。戦いを左右する要素は、地の理、人の和、時の運と言われる。時の運はいかんともし難いが、他の二つは人間の努力の及ぶ範囲である。地の理に関して言えば、小坂子公民館は、合併で拡大した前橋北部一帯を結ぶ広い農免道路に面した要衝の地にある。

 午後6時半、広い大ホールは遠来の支援者で溢れた。真冬のような寒さの中、よく来てくれたと胸が熱くなる。10日から頑張ると秘かに宣言していた妻が私の傍に立って笑顔で人々を迎えた。長く頭痛で悩んできた妻のめずらしくきれいな表情だった。選挙には協力出来ないと言っていた妻である。

 来賓として大澤知事、中曽根弘文県連会長、佐田玄一郎さん、山本一太さんが挨拶した。私は厳しく苦しい戦いを勝利して、北関東の時代と言われる状況の中で、歴史に残る良い仕事をしたいと決意を述べた。全域に広がった支援者がこの山の砦を中心にして、心を合わせてくれることが戦いのカギとなる。(読者に感謝)

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2011年3月10日 (木)

人生意気に感ず「選挙の手続きが始まった。私が取り上げた未解決事件」

◇選挙に向けて状況が緊迫してきた。昨日は、立候補に向けた手続等の説明会が県民健康科学大学で行われた。事務長と事務所の職員1人が参加した。掲示板に貼る写真、選挙用ハガキ、選挙公報の原稿等につき長時間にわたって詳しい説明があって、2人は疲れたあといって帰ってきた。私自身が関わる事も多い。説明を聞いて身が引き締まる思いがした。事務所内も張りつめた緊張感が漂っている。私の事務所は一年中忙しいのであるが、このところ、戦場のような観を呈してきた。こんな雰囲気の中で、昨日、ブログを打ち込みながら、その先の操作を進めないというミスをしてしまった。読者から指摘されて気付いた。そのため、昨日は2日分を載せることになった。

◇昨年12月の県議会で、私は重要未解決事件の取り組みについて県警本部長に質問したが、8日、参院予算委で、民主党の議員は国家公安委員長に同様の質問をした(私の質問は12月2日)。

私の質問は、太田市のパチンコ店から失踪した横山ゆかりちゃん事件は、群馬と栃木にまたがる半径20キロ圏内で起きた多くの幼女に関する事件と共通性をもっており、同一犯の疑いがもたれているから、栃木県警と協力すべきではないかというものであった。県警本部長の答弁は歯切れの悪いものだった。

県警は、今月16日付で、ゆかりちゃん失踪事件など長期の未解決事件に専従する重要事件特別捜査係を捜査1課に新設する。この動きは、国家公安委員長が「同一犯による犯行の可能性が否定出来ない」と答えたことに対応するものであろうか。

 再発防止の観点から県民が重大な関心を寄せる事件なのだから、県警は、もっと早く私の質問に積極的に対応すべきではなかったかと思う。「栃木県警と協力すべきだ」という私の要望を、新設の捜査係は活かして欲しい。なぜなら、栃木県との県境で起きた事件の解決は、両県の県警が協力しなければ解決は望めないからだ。

◇なお、県警は、時効を迎えた大沢朋子ちゃん殺人事件についても捜査を続けると述べているが、これは重要な視点である。時効になったとはいえ、真相を突き止めることは、同種の事件の再発防止に役立つ筈だからである。

 又、一連の事件が同一犯とすれば、時効を迎えた事件の捜査は、他の時効未完成の事件の解決にも役立つ筈だ。来期、私はこの問題で頑張りたい。(読者に感謝)

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2011年3月 9日 (水)

人生意気に感ず「走らなければダメ。昔の同志の熱い心」

*昨日は、朝、メンテナンスがあり、その後、入れるのを失念しました。今日は、昨日の分も入れます。

                          

◇背広の重さが苦痛に感じられるほど肩が凝る。長いこと走らないからだ。思いきって芳賀グランドを5周した(8日)。忘れていた壮快な充実感を味わった。時間がないという切迫感ゆえに走らないでいると、かえって時間を無駄にする。体が鈍(なま)り、気力が衰えるからだ。人体という機械は走らないと錆び、指令を出すコンピューターの勢いも悪くなる。県議選スタートまであとわずか。戦いの最大の武器は自分自身の心体だと改めて思った。

◇横浜の友人O君が駆けつけてくれた(8日)。生まれ故郷・富士見の同級生たちの所へ私を案内するためである。友情の温かさと人間の絆の大切さを肌で感じた。

 彼が導く富士見の農村部には、時代の流れから取り残されたような懐かしい日本の風景がいたる所にあった。昔、小鳥気違いと言われながらあの山を走り回っていた、この家には、いつも自分の家のように遊びに来て囲炉裏でおじいさんの話を聞いたと0君は、少年時代に戻ったように嬉しそうである。腰の曲ったお婆さんがくしゃくしゃの顔を笑顔にかえて出迎えるかと思うと、野菜に取り組んでいた男がまっ黒な手を差し出す。0君と人々の絆は長い時を経て今なお健在であった。

 富士見には、選挙に関してよそ者を受け入れないモンロー主義があるとよく言われてきた。私は、O君と人々の対話の様子を見て、これがモンロー主義の実態だと思った。一度築いた人間の絆を大切にし、それが地域社会の連帯感をつくっているのだ。亡くなった金子一郎君の選挙の光景をふと思い出していた。

◇O君は、夜間高校の時の同志である。振り返れば、密度の濃かった少年時代の一コマ一コマが甦る。彼は私に触発されて勉強し、難関といわれた4年生大学に進んだとかねて話していた。夕食をとりながら、彼は、大学卒業後の波乱の歩みを語った。明日は一人で富士見地区を回ってくれるという。遠来の援軍は疲れた私の心に限りない勇気を与えてくれた。

◇いよいよ秒読みの段階になった。10日は午後6時半から小坂子町公民館で事務所開きを行う。回を重ねているのに、慌ただしさは初回と変わらない。むしろ混乱の中からエネルギーが生まれると感じる。戦国時代の武将の心が偲ばれる。自分なりにいろいろな修羅場をくぐってきたが、今回は大変な戦いになる。(読者に感謝)

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人生意気に感ず「観光とは光をみせること。私のマニフェスト」

20113月8日(火)

◇「ググッとぐんま観光推進特別委員会」とは、私が属する特別委員会の名称である。こんな長い名称が良いとは決して思えないが、なぜこのような名称がついたのか考える機会があった(後述)

 7月から始まる群馬ディスティネーションキャンペーンは、群馬県が実施する国内最大規模の大型観光キャンペーンである。これを成功させることが「ググッと特別委」の目的である。そして、狙う成功とは観光に内外の客を呼び寄せることだ。

 今日の日本にとって起死回生の産業は観光産業である。そこで群馬は「観光立県」を目指す。その最大の材料は北関東自動車道の全線開通だ。人を呼びよせる画期的かつ最大の動脈だからである。

◇この日の特別委では、北関東道開通に伴う北関東3県の次のような文化交流が議論された。群馬、栃木、茨城3県の小学生に対するそれぞれの県の県有施設無料招待券の相互交換(群馬・自然史博物館、栃木― 子ども総合科学館、茨城―大洗水族館)、及び、群馬交響楽団の茨城県公演などだ。

◇私は、目前に迫ったこの時点で、変化しつつある観光の基本理念を改めてはっきりと打ち出すべきだと発言した。つまり、「観光」とは光を観(み)ること。訪問者は地域の輝きを観るのであって、単なる物見遊山ではない。招く立場からすれば、地域の文化や伝統に磨きをかけ、心をこめてもてなすことだ。そうすれば訪問者の心に「ググッと」深く入り感動を与えることになる。長い名称には、このような深い意味が込められている。もてなす側にこの事の認識がなければ意味がない。このことを大事業のスタートに際して再認識せよ。これが私の発言の真意であった。

◇県議会の役割と私のマニフェストについて。私が現在考える県議会の重要な役割の1つに、条例による政策提案という事がある。議員の中には、議会の権能はチェック機能と考える人が多いが、私は条例を作る力を発揮しなければ、議会の存在感を高めることが出来ないと最近つくづく思うのだ。過去には孤軍奮闘して、暴力団を県営住宅から排除するための条例改正に取り組んだし最近は中小企業振興条例作りに苦しんだ。この点、議員の力は、まだまだ未熟だ。来期は、私が中心になって議会の権能を高めるための基本条例作りに取り組みたい。議員自らの力で誇り高い議会を作りたい。

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2011年3月 7日 (月)

人生意気に感ず「県議選の出陣式。甲子園初出場の球児。人間の絆」

◇県議選出陣式がロイヤルホテルで華々しく行われた(4日)。公認候補(予定)35名の内訳は、現職25名、元職1名、新人9名である。県連会長にして選対委員長の中曽根弘文さんの挨拶に続き福田元総理が激励した。誰も共通して強調することは、この県議選の重要性であり、勝って政権を奪還するステップにしなければならないと訴えていた。

 私は公認候補(予定者)を代表して次のような謝辞と決意を述べた。「私たちは、一昨年の衆院選の大敗以来、捲土重末を期して努力してきました。今回の県議選は、これ迄の県議選とは意味が違います。群馬の未来と日本の命運がかかっているといっても過言ではありません。私たちは力を合わせ、必勝を期して戦い抜きます」と。

◇育英校野球部の壮行会に出た(4日)。開校以来の悲願成って春の甲子園選抜出場が決まったのである。育英校創設者の中村有三氏は感激を体一杯に現わしていた。文武両道を掲げる私立育英高校が目指してきた一つの頂点に立った瞬間と見えた。前に立った選手たちの表情は日焼けしてひきしまっていた。また、一人一人の姿からは衣服の下の逞しい筋骨が感じられた。

 私は育英の創立者と縁があり長いこと育英の歩みを見てきた。現在、名誉理事である。私は、来賓を代表して挨拶した。「育英の歴史に新たな一頁が出来ました。ここに至る過程が大変だったと思います。野球部全体に、また、選手一人一人に、様々なドラマがあったことでしょう。それが、今、皆さんを支える力になっているに違いありません。育英の歴史と伝統が皆さんを応援しています」

 私は、甲子園に出る選手たちに初めて身近に接した。凄いことなのだなと実感した。現代の若者は、とかく、ひ弱だと批判され、社会全体に若者を厳しく鍛える場がないと言われる。甲子園を目指す少年たちの姿に一つの解答を見つけた思いであった。

◇昨夜は、元総社地区で県政報告会をした。元総社は私の原点であるという話から始めて、上越線の新駅構想、西毛幹広道、元総社塩漬け用地の県営住宅問題などを映像を使って話した。終了後、近くのレストランで同級生たちと会食した。同級生は文句なく有難い。長い時の流れに耐えた温かい人間の絆を感じた。(読者に感謝)

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2011年3月 6日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著より①

1-1「福島浩の死」

「いよいよ最後の時が来た。頑張ってくれ」目は閉じたままである。低いが確かな声で、福島浩の声は私の胸に重くつきささった。

「おい、しっかりしてくれ」これだけ言うのが私には精一杯であった。小高い丘の上に立つ病院の一室である。

 福島浩の死期が確実に迫っていた。それは、東京の癌センターから、ここに運ばれた経緯とその後の病状から明らかであった。しかし、私には、まだそれが信じられなかった。いや、信じたくないというのが正直なところであった。ベッドの向こう側には、奥さんの智恵子さんがじっと下を向いて動かない。重々しい空気が部屋に満ちていた。福島浩は、この期に及んでまだ冷静であった。そして、<頑張ってくれ>と他人(ひと)の事を心配している。このことも、私には信じ難いことであった。彼の苦しそうな、ぜえぜえという咽の音が時を刻んでゆく。気付くと、その音が静かになり、彼の表情もいく分平静になったように見える。奥さんが顔を上げて、小声で囁いた。

「お薬が効いて、眠ったようです」私は、彼の表情を見ながら、一年数か月に及ぶ彼の闘病を振り返っていた。彼は、肺がんと知ってからも、狼狽(うろた)えた様子をついに一度も、私たちには見せなかった。

 この強靭な精神力はどこから来るのか。こう思う私の頭に、彼と過ごした宮城村の少年時代のことが浮かぶ。食べ物も、着る物もない終戦直後のあの時代、私達は、ありったけ手足を伸ばし、宮城村の山野を駆け回った。丈夫な身体と根性も、そのもとは、あの時、作られたに違いない。あの頃と比べ、世の中はすっかり変わった。あらゆる物が有り余る時代に生きる今日の子どもたちは、果たして幸せなのか。この社会はどこへ向かって流れてゆくのか。福島浩とはこのような事をよく話し合うが、私たちの価値基準、物差の原型も、あの少年時代に作られたものだ。

 福島浩は、少年時代の夢を追うような目つきで、ある時、<中村、県議選に出てみないか>と勧めた。その目は、少年時代、無鉄砲な悪戯を誘った時のそれと似ていた。しかし、<お前なら、きっと出来る>という信頼を表す目つきでもあった。思えば、彼のこの言葉が、私の中に燻っていた何かに火をつけることになったのだ。

 「頑張ってくれ」という彼の言葉は、間近に迫った県議選を指している。この期に及んでも心配してくれている。閉じた目の下で、彼は、私の選挙と少年時代の思い出とを重ねているのだろうか。彼の渇いた口元を覗き込みながら、私は涙が流れ落ちるのを押えることができなかった。

 数日後、福島浩は、北橘村の北関東循環器病院の一室で息を引き取った。50歳の生涯であった。平成2111日のことである。

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2011年3月 5日 (土)

第五章 地獄の満州

「私の原稿に刺激されたためじゃないだろうが、木村君は、すごいことを言うね。そこいらの評論家より筋が通っているじゃないか。私も、自民党の県会議員として耳が痛いけれど、君の言う通りだと思うよ」

木村誠は、私の言葉を聞いて、その強張った顔に初めて笑みを浮かべた。また、李沢民は言った。

「私の国、中国の将来も不安です。先生の原稿を読んで、改めて、中国の歴史を今までとは違う角度から考えたよ。中国の国民、5千年も力で抑えつけられた生活してきた。この長い歴史の中で見れば、中国の民衆が目覚めて自由を求め始めたの、つい最近のことね。辛亥革命があり、五四運動があり、共産党が生まれ、中国の国ができた。そして、文化大革命の嵐があり、天安門事件が起きた。これらの大きな流れ、日本と関わっていること改めて考えたよ。中国は、今、経済は、日本と同じ方向を目指してすごい勢いね。しかし、政治は社会主義。この二つの関係心配ね。生活が豊かになれば、人々、心の自由も求めるよ。しかし、その時、天安門を思い出す。中国の若者、これから大変です。物の豊かさだけを求めると失敗する。このことも、日本から学ばなければならない。中国と日本は、昔から関係が深いけれど、先生が書いた満州開拓民の人たちは、日本と中国の新しい絆になるのではないですか」

「一人でも多くの人がそう考えるなら、開拓団の悲劇も無駄でなかったことになりますね。

 戦後50年の節目に、歴史を振り返って、日本と中国がお互いに学ぶことが、両国のこれからの友好と発展のために大切なことなんだね」

私は、2人の話に教えられる思いで、こう言った。(了)

※今回で、この連載も終わります。次は、「上州の山河と共に」を連載します。私の歩みが内容となっています。振り返って感慨深いものがあります。今の思いに立って、加筆しながら進めます。御愛読下さい。

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2011年3月 4日 (金)

人生意気に感ず「大渡新駅構想。土砂災害。出陣式。浪人の逮捕」

◇3日の産経土木常任委員会では、かねて意識していた2、3の質問をした。大渡町新駅構想、元総社用地の活用問題、土砂災害対策等である。

 大渡町新駅(仮称)構想とは、上越線

の新前橋駅

と総社駅

の中間、ちょうど中央大橋を西進して上越線

とぶつかるあたりに新駅

を作ろうという考えである。この東西のラインを更に西へ進めば、今建設中の西毛広域幹線道路につながり、東に進めば、中心市街地に至る。

 私は、上電の中央駅、両毛線

の前橋駅

、そして、この大渡町新駅を有効にネットワーク化させることによって、中心市街地を甦らせることが出来ると考えて質問した。この日の委員会では、公共交通の新しい在り方としてバス、鉄道などの「ベストミックス」、つまり最良の組合せが論じられた。ベストミックスの重要な要素として、この新駅構想を取り上げたのである。

 交通政策課長は、平成20年度の群馬県鉄道網活性化研究会で、この構想が提言された事に触れ、構想の実現は、地域の熱意にかかっていると述べた。実は、私は、6日の元総社地区の県政報告会でこの問題を取り上げるつもりでいる。地域の熱意も、情報提供がなければ広がらないのだ。来期につなげるインパクトをつくりたい。

◇土砂災害危険箇所指定の問題が論じられた。64年前のカスリーン台風の惨状を忘れてはならない。最近の異常気象は日本各地に大災害を起こしている。

 本県にも危険箇所は多い。県は各地で説明会を開いている。周知を徹底して対策を立てねばならない。私は現状をたずねた。

 県はマップを作っている。問題の箇所は7635か所。特に危険が大きいレッドゾーンが737か所あるということだ。土木行政の力で未然に防げる自然災害の部類である。土木予算を有効に使って人命と財産を守らねばならない。

◇今日は正午からロイヤルホテルで県議選の出陣式がある。私たちにとっての入学試験が秒読みの段階に入った。日頃の努力の成果が問われる。無試験の所もあるが県都は難関校である。「狭き門より入れ」という言葉を思い出す。

 不正入試を試みた浪人生が遂に逮捕された。偏差値は高いらしいが、正常な常識に欠ける。知識偏重に走る今日の教育の弊害の現れか。(読者に感謝)

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2011年3月 3日 (木)

人生意気に感ず「中小企業憲章成る。不正入試者の新たな試練」

◇「決議書の発議について提案させて頂きます。案文の配付をお願いします」委員長の指示に従って私がこう発言すると、事務局員が「群馬県中小企業憲章制定に関する決議」(案)を各委員会に配付した。

 続いて新井委員長が発言する「それでは中村委員から提案説明をお願いいたします」と。

 そして、私は、2年余りに亘って、中小企業振興条例を目指して努力してきたが、今回、中小企業憲章を制定することになった経緯を説明した。

 県は、既に「物づくり新産業創出条例」を制定している。この条例には、中小企業という文言が皆無である。県は、中小企業も含まれるというが、中小企業の文言の有無は重大である。私の強く求めるところは、群馬県は、中小企業を大切にする県であることを高らかに示し、中小企業者に勇気を与えることであると提案説明では強調した。

 その事を示すために、憲章(案)では、県内事業所99%は中小は企業であり、働く人の80%がそこに雇用されている、まさに「中小企業の立県」であることをうたっていることを説明した。

 なお、憲章の具体的項目の中で重要なことは、次の2点であり、当初考えた条例案のポイントでもあった。

「中小企業の重要性を子どもたちに伝え、子どもたちが将来、県内で起業することや中小企業で働くことに誇りと夢を持てるようにすること」

「施策立案及び実施にあたっては、中小企業の経営に対する影響について配慮するよう努めること」

 私の提案説明の後、小野里、岡村両委員が賛成意見を述べた。そして、全員一致で、「群馬県中小企業憲章制定に関する決議」について、この委員会から発議することが決められた。本県は、尾瀬憲章、星空憲章に次いで、3番目の憲章を持つことになる。来期は、この憲章を活かすための積極的な行動を起こそうと思う。このことは、私のマニフェストの一つである。

◇ケータイを使った入試不正行為の主は山形の浪人生を特定されたようだ。問題がこんなに大きくなったことに驚愕しているだろう。

 こんな姑息な手段で天下の京大を攻略できると考えていたのか。失敗した時の結末を予想できなかったとすれば哀れだ。潔く名乗り出て調べるべきだ。今では、これが入試以上の試練となった。(読者に感謝)

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2011年3月 2日 (水)

人生意気に感ず「不正入試は社会の危機。中小企業憲章なるか」

◇ケータイは、カンニングの有力な秘密兵器に違いない。今でこそ持ち込み禁止など厳重な規制と監督が行われているが、ここにいたる前には相当あったのではないか。韓国の大学入試では、7年前にケータイを使った組織的不正が発覚し大きな社会問題になった。ここでも、それ以前の不正があったに違いない。

 今回のように、複雑な問題を短時間に掲示板に投稿し解答を求めるという高度な技術を要する不正行為はともかく、簡単な不正行為は外部に協力者がいればできるはずである。

 カンニングなどの不正がないこと、そして、厳正な入試であることは大学の権威を支える不可欠な要素である。難関に挑戦する多くの受験生が困難に耐えられるのは公正さを信頼すればこそだ。

 大学入試の厳正さは、公正な社会を担保する第一歩でもある。今日の腐敗した社会、騙し合いの社会にあって、大学入試よお前もかという感を抱く。私の頭に甦るものは、若き日、大学入試の会場で味わったあの緊張した場面である。厳しさの中に権威が漂っていた。

◇3日の常任委員会に備えて、各部の打ち合わせ会があった(2日)。私の所属は産経部会である。ここで、「中小企業憲章」をつくることを求める決議案につき審議された。私は提案者という立場で説明した。部会の承認が得られたので、憲章が作られる見通しとなった。

この憲章が実現すれば、尾瀬憲章、星空憲章に次ぐものとなる。これまで、中小企業振興条例の成立を目指して同志と共に執念を燃やしてきたが、「憲章」でも十分に目的を果たせると判断した。

 これまで既に存在する「物づくり新産業創出条例」との関係が議論されてきた。中小企業にスポットをあて、中小企業を大切にする県であることを示す中小企業振興条例の意義を確信するものであるが、政治の世界では時に、妥協も必要なのだ。今期は終わりに近づき、県議選が目前に迫ったという事情も考慮した。今日の常任委員会では、提案者という形で、私が改めて説明することになるだろう。

◇獅子身中の虫というが、身中の虫歯で苦しんでいる。疲労が重なると奥の虫歯が疼くのだ。薬では治まらないので先日朝、思い切って神経を抜いてもらった。子どもの頃、麻酔をしないで神経を抜いた時の事が忘れられない。決戦までわずか。大事の前の小事だ。(読者に感謝)

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2011年3月 1日 (火)

人生意気に感ず「後藤氏の質問は知事選の前哨戦か。いかれた独裁者」

◇一般質問の最終日、後藤県議と知事の質疑応答は知事選の前哨戦を感じさせた。質問の相手は全て知事。知事就任後2回連続して群馬のブランド力が全国最下位という結果をどう受け止めるか、日赤移転問題でもっと強いリーダーシップを発揮すべきだったのではないか等に始まり、知事公用車は黒塗り高級車の必要があるのか、あるいは、県会議員の定数を削減する考えはあるのか、に至る大澤県政全般に亘るもの。限られた時間内のことで無理からぬ事とは言え、追及の仕方は今一歩踏み込み不足の感があった。

 県会議員の定数削減問題について後藤氏は専ら財政削減の面から取り上げていた。議員定数削減問題は財政コストの面もさることながら民意を反映するために必要な数はどうあるべきかという面が重要なのである。

 この点を、次に登壇した笹川県議は冒頭の前置き演説の中で鋭く攻撃していた。質問の登壇者が他の質問の内容に触れるのは異例の事であるが、その中味は議員定数問題を民主主義の観点から言及することなので聞いていて面白かった。

◇南波県議が知事のマニフェストの中で最も効果があったと思う施策は何かと問うたのに対し知事は次の項目を挙げた。知事の心中を伺う意味で興味深いことだ。

 中学卒業迄の子ども医療費の無料化、ドクターヘリの運行開始、群馬情報センター(ぐんまちゃん家)の設置、トップセールスによる企業誘致、北関東自動車道の全線開通を促進させたこと、等である。いずれも、明日の群馬を開く上で極めて重要な施策である。

◇あるニュースキャスターは、「いかれた独裁者」と表現していた。リビヤのカダフィ大佐のことだ。人民に銃口を向け容赦なく殺しているのだから犯罪者である。人々は倒された人を乗り越えて前進している。目を疑う映画の中で光景のようだ。このストーリーの結末はどうなるのか。ルーマニアの独裁者チャウシェスクが人民の手によって処刑された写真が思い出される。

 リビヤのこの光景は、中国や北朝鮮に重大な影響を与えているに違いない。これらの国は強権で必死に民衆の動きを圧殺しようとしている。しかし、長い間にたまった人々の不満は限界に近づいている。心の不満をつなぐネットは出来ている。リビヤは点火剤になるだろう。

間もなく、土・日の「炎の山河」の連載も終わります。次は、「上州の山河と共に」を連載します。私の歩みが内容となっています。振り返って感慨深いものがあります。今の思いに立って、加筆しながら進めます。御愛読下さい。

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