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2011年1月23日 (日)

第五章 地獄の満州

別の場面では、戦車に駆け登った若者たちの姿、炎上する装甲車、北京の街路を進む戦車の列、戦車の前に立ちはだかる若者など、ショッキングな映像が次々に飛び込んでくる。映画の場面なのか、これが現実なのかと、私は身を固くしてテレビを見詰めていた。映像に交じって、戦車にひかれてペチャンコになった市民のこと、ガソリンで焼かれ橋げたから吊るされた兵士のことなど、信じられぬような情報が伝わってくる。戒厳部隊の兵士約10万が、戦車と装甲車を先頭にして天安門広場に突入したのは、1989年、平成元年6月4日未明のことであった。

 ここに至るまでには、かなりの経緯があった。この年4月15日、改革派で学生の民主化運動にも理解があるとされた胡耀邦(こようほう)が死んだ。胡耀邦は学生運動に対する対策が手ぬるいとされ、総書記の地位にあったが失脚し、学生たちの同情を集めていた。胡耀邦の追悼大会で、学生の要求した胡耀邦の名誉回復は認められなかった。これは、学生たちの民主化の要求を政府が否定することを意味した。

 この追悼大会を契機として、民主化を求める学生の運動は大きく燃え上がった。天安門広場には、20万人の学生が結集し、民主化を要求。北京では、16の大学で授業を放棄しストに突入した。党の最高実力者鄧小平は、このような民主化運動を非合法的な「動乱」であると指摘、このことは、学生運動の燃え上がる火に油を注ぐ結果となった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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