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2011年1月16日 (日)

第五章 地獄の満州

⑫松井かずが見た日本

― 昭和天皇の崩御・戦争は遠い過去か ―

 日本では、昭和64年1月7日、昭和天皇が世を去った。衝撃は、日本中を走り、人々の反応は大変なものであった。7日、皇居に弔問に訪れ記帳する人は、27万9470人に達した。新聞は、上田馬之助という87才の老人が、“お供をする”という遺書を残して自殺したニュースを伝える。また、テレビは、雨の皇居前広場で石のように土下座する人の姿を映す。私は、この興奮ぶりを見ながら、50年前、敗戦を迎えた人々の皇居前の様子もかくやと思った。一つの時代が終わり、歴史の幕が降ろされたという思いと、50年前の日本が今も続いているという思いが交差して、私の心は複雑だった。

 喪に服す人々の自粛ぶりは、まちの隅々に至るまで徹底していた。競馬、競輪、競艇などの公営ギャンブルは全国でレースを中止、全国大学ラグビー選手権決勝戦や全日本バスケットボール女子決勝戦は延期された。東京浅草のポルノ映画館では、表の成人映画案内の派手な写真を並べたケースの上に、前張りならぬ黒い幕が張られた。また、パチンコ屋からは、音楽とネオンが消えた。テレビ各局は、天皇の特別番組一色となり、民放からはCMが消えた。

 このような国を挙げての反応は、日本国民と天皇制との関係、国民の昭和天皇への思いを示すものであるが、また、一面、日本の国民性の特色を示すものである。何か大事が起きたとき、皆一斉に同じ方向に走り出す。そして、その方向が誤れば、まっしぐらに破局につっこむし、うまくいけば、世界が驚くような成果を生み出す。前者の例が50年前の敗戦であり、後者の例が現在の経済大国の実現といえるのではなか。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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