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2011年1月31日 (月)

人生意気に感ず「寒気の中の県政報告会。中国のGDP。エジプトの暴動」

◇今年の厳しい寒気は県議選に向けての活動にかなりの影響を与える。夜の集会は出足が悪い。29日の夜、南橘公民館で県政報告会があった。前日の予想は夜小雪ということなので心配した。

 南橘地区は金子泰造氏が亡くなり、山本龍氏が県議選不出馬の状況下で、私にとって戦略上非常に重要なのだ。参加者の多寡が何よりも心にかかることである。

 出来るだけの手立てを尽くし、運を天に任せて当日を待った。当日、気温はやや緩み夜の雪もなかった。6時半の開会時が近づくころ満席になりそれからかなりイスを増やし、遂に満堂人であふれた。

 今年の県政報告は、長年やっている「ふるさと塾」方式である。一コマ一コマの映像を壁のスクリーンに映して語るのである。上武国道、北関東自動車道、鳥インフル、少女の自殺など数多く登場するが、導入部の私の歩みを語る数コマが注目を集めていた。

 その中の一つは、定時制から東大合格を果たした事を報じる新聞の記事で、友人のHが、最近、「使ったら」と提案し郵送してきたものである。報告会は成功だった。このような方式の会を各地で行う予定である。

◇県政報告会では、DCに関して中国富裕層の誘客についても語った。最近、どこでも中国が話題になる。尖閣問題で正体を見せた巨竜に日本が飲み込まれる恐怖を今国民は感じ始めている。

 遂に2010年の中国のGDP(国内総生産)が日本を抜き世界第2位になった。25年には米国を抜き世界1位になると予想されている。中国を怪物視せざるを得ないのは、様々な矛盾を抱える為、安心して付き合える平和的存在でないからだ。

 国民1人当たりのGDPは日本の10分の1で国内の格差は甚だしい。14億ともいわれる人口を抱えて一党独裁の政治体制をどこまで続けられるのか。

 89年の天安門事件では民主化を求める何十万という学生のエネルギーが爆発した。それは軍の力で押さえ込まれたが民主化を求める国民のエネルギーはむしろ広がっている。経済と政治の矛盾はいずれ火を吹くに違いない。

◇ムバラクの強権体制に反対するエジプトの民衆デモは全国に広がっている。無政府状態で現れるのが国民の特質だ。大規模な略奪が起きている。ハイチ、チリの大地震の時もそうだった。阪神大震災の時、外国のメディアは略奪が全くないことを驚きの目で伝えた。日本は世界に誇れる健全な国なのである。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2011年1月30日 (日)

第五章 地獄の満州

果たせるかな、世界中の記者が集まり、彼らはみな、学生たちの民主化要求運動に注目した。このような状況の中十五日の天安門広場は、ハンストの学生数千人、支援の学生と市民を含め二十万人の人波であふれ、それは更に増えていった。

 五月十七日付の朝日新聞夕刊は、次のように報じている。十七日正午すぎ、天安門広場では、学生、市民は空前の五十万人の規模にふくれ上がる。ハンストの学生は日を追って増え、学生は口々に、「人民を恐れる指導者は、人民の代表者とは言えない」「鄧小平は引退しろ」「鄧小平は田舎へ帰れ」などと叫んでいる。そして、ハンストで倒れた学生を運ぶ救急者がサイレンを鳴らしながら群集をかき分けるように走り回っている。また、ハンスト学生の一部は、十六日午前から水を飲まない戦術に入った。この「水断ち」学生を支援するデモが、午後二時から二百万規模で呼びかけられている、と。

 そして、事実、五月十七日の夕、天安門広場の人の波は、労働者や農民などを巻き込んで百万人規模にふくれあがった。

 そして、五月二十日未明、ついに、建国以来初めて北京に戒厳令が公布される。これに対して、学生、労働者は激しく反発、ハンストに加わる学生は二十万人に達した。この頃から天安門近くには、兵士を乗せたトラックが近づき、広場の上空には軍用ヘリが舞って、緊迫した空気が支配するようになっていった。学生たちは興奮していた。しかし、彼らは、軍が発砲するとは思ってもいなかった。学生、労働者、農民、一般市民は興奮し、デモはついに二百万人の規模に達した。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2011年1月29日 (土)

第五章 地獄の満州

そして、5月4日を迎える。5月4日は、五四運動70周年記念である。五四運動は、前にも触れたように、中国の民主化の原点であるから民主化運動が盛り上がる中で迎える五四・70周年記念日は、特別の意味お持つといえた。

 この日、各地で学生の街頭デモが行われ、北京では、10万人の学生が天安門広場に集まった。そして、5月13日、天安門広場では、学生2千人の「絶食団」が民主化を求めて無期限ハンストに突入。学生のこのハンストに対して多くの市民が声援を送り、ハンストに参加する学生はどんどん増えていった。

 民主化運動を世界にアピールしようとする学生にとって、5月13日に始まるハンストには特別な狙いがあったと思われる。なぜなら、彼らにとって絶好のチャンスが近づいていたからである。それは、5月15日のゴルバチョフの中国訪問である。ペレストロイカ(改革)の推進者、ゴルバチョフがやってくる。民主化という改革を求める学生たちにとって、ゴルバチョフは民主化の援軍であり、また、その来訪は、運動を一気に盛り上げ、政府を動かすチャンスと思えたことであろう。さらに、ゴルバチョフの来訪は、長いこと対立してきた中ソという社会主義の両雄が和解することを意味したから、この世紀の出来事を取材するために、世界中のジャーナリストが北京に集まることが予想された。

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2011年1月28日 (金)

人生意気に感ず「一日委員会で中小企業条例を論ず。議会の役割」

◇産経土木常任委員会の議会閉会中の1日委員会が開かれた(27日)。テーマは誰一つ「中小企業振興条例につて」わたしが紹介議員となった条例制定の請願が採択(趣旨)されてから2年余り経つ。ついにここまできたという感慨を抱く。遅れた理由の一つは産業政策執行部の冷やかな態度にあったと信じる。

 執行部の考えは、既に「ものづくり新産業創出基本条例」があるから新たな中小企業振興条例は不要というものだ。私たちは、あらゆる種類の中小(零細)企業こそ全産業の基盤であり、人間が地域で生きる支えであると考える。今それが崩壊しつつある。それをくい止め地域産業と地域社会を活性化させるためには、中小企業を正面からターゲットにして、これを大切にすることを示さねばならない。これが「中小企業立県」を明記した条例作りの目的である。

既存の現条例に、「中小企業」と言う文言が一切存在しないことは、執行部が如何に説明しようとも、中小企業を大切にしていることを示すことは出来ない。説明しなければ伝わらないようでは、中小企業者を勇気づけることは出来ないし、県職員の意識を変えることも出来ない。「ものづくり新産業創出」を掲げる条例と中小企業立県を掲げる条例が、補完し合って群馬の真の活力を生み出すことが出来る。私たちは、この信念に衝き動かされて原案の一語一句を作ってきた。

 私は、この日、長い間、腹に据えかねていた思いを一気に吐いた。直接のきっかけは、担当課長が同友会の研修会に知事代理で出席し、中小企業振興条例不要論(現にそう受け取られた)を訴えたことである。私は、この日、議会軽視だと主張した。事は小さくない。今後の議会改革にも関わることなので2月議会で取り上げるつもりだとも発言した。

◇昨日の出来事を振り返って改めて思うことは議会の新しい役割と使命についてである。鹿児島県阿久根市の竹原前市長は、議会軽視を超えて議会を無視した。背景には全国的な地方議会の存在感の薄さがある。議会が舐められることには議会側にも原因がある。議会の真価が問われる時が来た。議会は、これまで不十分なチェック機能の行使に甘んじてきた。議会が真の使命を果たすためには立法機能を発揮しなければならない。それが条例づくりである。執行部の議会軽視と闘う意味の一つもここにある。知事代理の発言の意味は重い。(読者に感謝)

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2011年1月27日 (木)

人生意気に感ず「自民党は提案をの声。鳥インフル全国に。死刑求刑」

◇数人で食事をする機会があった(25日)。いつもの例にもれず、この日も、現政権に対する非難の声が続出した。農業の危機、経済全体の危機を憂い、このままでは日本が駄目になるというのだ。そして、「しかし」に続く声が私の胸にぐさりと刺さった。

 「しかし」は、自民党も悪いと指摘する。反対ばかりして提案をしないというのだ。野党だから、民主党を攻撃するのは当然だと思うが、このような指摘がどこでもなされるので私は黙ってしまう。これは、「何とかして欲しい」という国民の切なる願いの現れに違いない。現状を打開するために提案しろというのだ。国会の論戦が始まった。来る県議選では、このような有権者の意識を踏まえて演説しなければと思う。

◇昨日のブログで、加藤智大被告は死刑を求刑されるに違いないと書いたが、やはり、そのようになった。25日、東京地裁で、検察側は、犯罪史上まれに見る凶悪事件で悪魔の所業だとして死刑を求めた。

 加藤被告が死刑を免れる道は、犯行時の精神状態が異常だったことを認められる以外にないが、東京地裁は、弁護側の精神鑑定の請求を却下している。第一審の判決は3月24日に言い渡される。殺す相手は誰でもいいといって自爆する犯罪が跡を絶たない。原因はどこにあるのか。教育か。政治か。

◇鳥インフルの感染が広がっている。新たに愛知県でも高病原性ウィルスの感染を確認。専門家は、全国のどこでもいつでも発生する可能性があると指摘する。本県もひとごとではない。桃の木川で泳ぐカモを見る思いも複雑だ。前橋にも全国屈指の養鶏所がある。心配していることだろう。

 今季は、島根県、宮城県、鹿児島県で高病原性ウイルスが確認され、今回愛知県が加わった。いずれも全国有数の畜産県。ここで増殖したウイルスが広がる危険性、また、変異する恐れもある。だから急いで殺処分するのだが通報の遅れもあり理想通りにはいかない。渡り鳥が運ぶウイルスに対し、これ以上防疫対策がないという悲鳴も聞こえる。

 渡り鳥は東南アジアからのものがマークされていたが、シベリアなど北からのものも

ウイルスを運ぶといわれ出した。国境を越えた平和の象徴と見られてきた渡り鳥が危険な運び屋と見られるのは可愛そうな気がする。防護服の人々、建物や道路が石灰で白く覆われる光景は口蹄疫の時のようだ。地方の力が問われる。(読者に感謝)

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2011年1月26日 (水)

人生意気に感ず「怯える養鶏業者。宮崎に学べ。警報が発令された」

◇養鶏業者は戦戦恐恐としている。「鳥が運んでくるのだから口蹄疫より始末が悪い」ある養鶏業者は言った。各地で鳥インフルエンザが流行っていることに恐怖を抱いているのだ。

 県は緊急防疫会議を開き、鳥インフルの対策を協議した。県の担当官は、「全国各地で発生しておりどこで確認されてもおかしくない状況にある」と指摘している。

◇ウィルスなどの微生物はいかにもしぶとい。地球上の生命体の歴史を振り返れば、人類より遥かに古くから存在し、あらゆる環境の変化を乗り越え、姿を変えて生き続け人類にとっての脅威となってきた。新型インフルエンザウィルスも鳥インフルエンザウィルスもその例である。

 宮崎県では鳥インフルエンザの大量発生と大量殺処分に追われ大変らしい。昨年の口蹄疫騒ぎで、この地は大変な目にあった。牛や豚の殺処分の惨状は猖撅(しょうけつ)を極めテレビを通して現場の臭気が伝わってくるようであった。経済活動も市民の日常生活も滅茶苦茶にされた様子は宮崎のその地帯に原爆が投下されたかの感を与えていた。

 宮崎県農政水産部畜産課は、報道機関や生産者消費者に対して次のようなお願いのメッセージを繰り返し発している。

 「高病原性鳥インフルエンザは、現場で取材される際などに、靴底や車両からウィルスが拡散する懸念があります。また、取材ヘリ等に起因する地元住民の皆様からの苦情や防疫作業への影響が懸念されます。このため、発生農場はもとより、その周辺の農場における取材については、厳に慎むようお願いします。今後とも、本病に関する情報提供に努めますので、生産者等の関係者や消費者が根拠のない噂などにより混乱することがないよう、ご協力をお願いします」

 昨年のパニックの経験を教訓として活かそうとしている。本県とて、同じ状態におちいる可能性はあるのだから、宮崎から学ぶように務めるべきである。

◇本県・新型インフルエンザ対策室から、インフルエンザ警報が発令された。多くは「新型」とみられる。警報は、全国的に昨シーズンにかからなかった成人の患者(20歳代から50歳代)が多いから注意するよう呼びかけている。

 昨年の流行では5歳から20代前半の多くが「新型」に感染し抗体ができたとみられる。抗体のない層を「新型」はターゲットにしているから要注意である。(読者に感謝)

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2011年1月25日 (火)

人生意気に感ず「秋葉原の惨劇のあと。鳥インフルの真の恐怖。条例づくり」

◇秋葉原の歩行者天国が約2年半ぶりに再開された(23日)。ここで無差別殺人事件が起きたのは08年6月のことだ。犯人の携帯からおびただしい書込みが見つかる。悲しい狂気は病める現代社会の暗い渕を思わせた。「負け組みは生まれながらにして負け組み」、「私より幸せな人を全て殺せば幸せになれますかね?」、「やりたいこと殺人」、そして、「秋葉原で人を殺します。車で突っ込んで車がつかえなくなったらナイフを使います」と書いて決行した。7人を殺し10人に重軽傷を負わせた。

 私は、惨劇のまち角を訪ねた。献花台に多くの飲み物のカンが置かれていた。今日・25日、東京地裁で論告求刑が行われる。死刑は間違いないだろう。裁かれるのは何か。

◇宮城地区の農家の人が、「又宮崎か、可愛そうだ」と同情の声を出した。相次いで鳥インフルエンザの発生と大量の殺処分が報じられた事が、昨年の口蹄疫問題を想起させたからだ。約29万頭の牛や豚が殺処分される光景はさながら戦場のようであった。

 宮崎県の養鶏場ではこの冬2例目の鳥インフルエンザウィルスの感染が判明し、今回は、41万羽を殺処分することに決め、その支援のため自衛隊の出動を要請するという。この感染がどんどん広がるなら、口蹄疫の時の悪夢の再来ともなり得る。

 もっと恐れる事は、鳥インフルが拡大する状況下でウィルスが変異して人に感染するようになることだ。そして、更に変異して人から人に感染する「新型」に発展すれば大変なことになる。

その時が近づいている事を感じる。

◇県議会は、中小企業振興基本条例を作る。第4回の勉強会は岡田知弘京大教授を招いて行われた(24日)。盛会だった。私は提案者を代表して冒頭、趣旨説明をした。

 岡田教授の話は明快で熱が感じられた。中小企業は地域の主役である。物づくり産業や新産業を育てる産業政策は必要であるが、それと共に、中小企業に正面から向き合う姿勢が自治体に求められる。目指す条例の意義を確信した。

◇私は、長いこと政治の信頼回復を訴えてきた。今、その思いの中心に県議会の役割を高めることがある。議員は真剣に学び政策を研究しないと行政の官僚に軽視される。軽視は勝手だが対抗できなければ議会の役割を果たせない。県議会が一層の力を発揮するためには議会の権限を高める条例が必要だ。その事を来期の目標にしたい。(読者に感謝)

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2011年1月24日 (月)

人生意気に感ず「白根開善学校の原点。新型の恐怖。こうのとり」

◇都内王子駅前のホテル・ホクトピアで、「白根開善学校の原点」を語った(22日)。かつて理想の学園の実現にその全存在をかけた創立者本吉氏は今、深刻な病床にある。昭和50年代前半、教育界は受験戦争という言葉で表現される深刻な問題を抱えていた。「落ちこぼれ集れ」という新聞の記事は大反響を生んだ。しかし、理想にはやった本吉氏の計画は資金難などで頓挫の連続だった。県の認可がなかなか下りない。父母たちの対立は魔女裁判のようだった。入学金返還訴訟も起き、県議会の質問もあった。当時の清水知事は良い学校だから助けたいと語る。高等部設置の認可が下りた時、夜の入学式で人々は歓喜し、本吉氏は理想の教育の潮流を作りたいと抱負を語った。

 私は長男周平を登場させた「遥かなる白根」を書いた。周平が100キロ強歩に挑戦するところを話すとき胸がつまり涙が出そうになった。「白根」の原点を見詰め本吉氏の松明(たいまつ)を受け継がねばならないという思いで語った。

◇新型インフルエンザが再び流行し始めた。16日までの1週間で全国で78万人が受診。そのほとんどは「新型」らしい。一昨年から昨年にかけ世界で大流行した。

 その「新型」発生前に私は議会で度々警鐘を鳴らし、地元でも何回か勉強会を開いた。予想したのは鳥インフルから変異する「新型」であったが、実際は意外にも豚インフル由来のものだった。そして、日本の被害は大きくなかったので人々は、「新型」を軽視している。

 昔、スペインかぜとして「新型」が大流行した時、死者は世界で2千万人、我が国でも39万人に達し、群馬県でも3年間で約4500人の死者が出た。この時は、一度、終息した後復活している。だから今回も油断できないのだ。しかも、宮崎県では鳥インフルが発生した。鳥インフルが変異する「新型」も近づいていると見なければならない。昨日の地元自治会の総会で、私は、「新型」の意味を説明し、警戒するように呼びかけた。

◇大型国産ロケットH2Bが打ち上げられた。重量約16トンの補給船「こうのとり」を載せて。米のスペースシャトルが間もなく退役する。その後は国際宇宙ステーションに大型機器を運べる唯一の手段となる。

 「はやぶさ」の快挙と合わせ考えると、日本の宇宙工学の技術は素晴しいと思う。しかも全て人類に貢献する平和目的である。大空に向かうロケットの姿は技術立国日本を象徴するものだ。(読者に感謝)

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2011年1月23日 (日)

第五章 地獄の満州

別の場面では、戦車に駆け登った若者たちの姿、炎上する装甲車、北京の街路を進む戦車の列、戦車の前に立ちはだかる若者など、ショッキングな映像が次々に飛び込んでくる。映画の場面なのか、これが現実なのかと、私は身を固くしてテレビを見詰めていた。映像に交じって、戦車にひかれてペチャンコになった市民のこと、ガソリンで焼かれ橋げたから吊るされた兵士のことなど、信じられぬような情報が伝わってくる。戒厳部隊の兵士約10万が、戦車と装甲車を先頭にして天安門広場に突入したのは、1989年、平成元年6月4日未明のことであった。

 ここに至るまでには、かなりの経緯があった。この年4月15日、改革派で学生の民主化運動にも理解があるとされた胡耀邦(こようほう)が死んだ。胡耀邦は学生運動に対する対策が手ぬるいとされ、総書記の地位にあったが失脚し、学生たちの同情を集めていた。胡耀邦の追悼大会で、学生の要求した胡耀邦の名誉回復は認められなかった。これは、学生たちの民主化の要求を政府が否定することを意味した。

 この追悼大会を契機として、民主化を求める学生の運動は大きく燃え上がった。天安門広場には、20万人の学生が結集し、民主化を要求。北京では、16の大学で授業を放棄しストに突入した。党の最高実力者鄧小平は、このような民主化運動を非合法的な「動乱」であると指摘、このことは、学生運動の燃え上がる火に油を注ぐ結果となった。

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2011年1月22日 (土)

第五章 地獄の満州

その経済大国の故か、2月24日の大喪の礼には、世界の163ヶ国、28国際機関が弔問のため、代表や使節を日本に送り、史上最大規模の葬儀となった。昭和64年は新しい時代の始まりとなり、時の官房長官小渕恵三は、新元号“平成”を発表。ここに、平成の時代がスタートした。

 松井かずは、この昭和天皇の死に関する日本の動きをテレビの前に座り、目を丸くし、固唾をのんで見ていた。日本の国はすごい、と思う一方で、昔の満州のこと、そこで死んでいった多くの開拓民、そして、今でも日本への帰国を求めている残留婦人など多くの日本人のことを考えると、戦争はまだ終わっていないという思いがするのであった。

 このような騒ぎが治まってしばらくした時、松井かずにとってもっと衝撃的な映像が飛び込んできた。天安門事件である。中国は、松井かずが中国にいた間も内乱の連続であった。日本が破れた後も、共産軍と国民党軍の争いがあったし、近くは、文化大革命の混乱があった。目の前のテレビに映し出される映像は、文化大革命よりひどい内乱の到来に思えるのだった。

⑬日本のテレビに映る中国の悲劇 ―天安門事件、また内乱かー

 北京の広い天安門を埋め尽くした民衆の中に、戦車が突入したのだ。パンパンという乾いた銃声。暗い中にオレンジ色の光が走る。人々の絶叫、黒いかたまりとなってにげまどう群集。テレビは、夜の天安門広場の、まさかと思える場面を写し出していた。

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2011年1月21日 (金)

人生意気に感ず「中小企業振興条例を作る。学級崩壊。白根開善学校」

◇手が凍えるような寒気の中、見上げると澄んだ夜空に美しい月があった。昨夜は満月であった(20日)。夜まで支援者の家を回った。

 ある町工場経営者を訪ね玄関で言葉を交わした。その主人が言った。「県議会は中小企業振興会条例を作るそうですね。我々のような零細企業が次々に消えていく。県議会は、零細企業を勇気づける姿勢を示して下さい」と。私は、おおきくうなずいて主人の手を強く握った。

◇昨日の新聞で県議会が中小企業振興条例作りに取り組むことが報じられた。中小企業を大切にしてほしいという中小企業経営者の請願が県議会に出され趣旨採択されてから2年余りがたつ。請願の紹介議員である私は、条文案の一語一句の検討に関わってきた。

 私の胸にはある思いがあった。それは、県の産業政策にたずさわる人たちは、町の零細企業の現場を訪ねた事があるだろうか、現在行われている「ものづくり新産業創出条例」に「中小企業」という文言が皆無なのは、中小零細企業に対する行政の愛情の薄さを示すものではないか、ということである。私たちの中小企業振興条例が出来れば、県職員と県民の中小企業に対する意識が変わるだろう。そして、そのことが中小企業に勇気を与えるに違いない。

 私たちの目指す理念は、その「前文」に現れている。そこでは、群馬県はまさに中小企業立県であると強調し、多種多様な分野で果敢な挑戦に取り組む中小企業を幅広く生み出す環境づくりをすすめ、中小企業の振興と共に明るく活力あふれるふるさと群馬を築くことを目指すと宣言している。

 中小企業振興条例をつくる意義を深く考える目的で、来る24日、2時から、前橋市福祉会館でセミナーを行う。講師は、京都大学教授岡田知弘氏である。

◇県教育委員会は、県内の公立小中学校を対象に学級崩壊に関して調査する。桐生新里東小の上村明子さんの自殺は学級崩壊の中で起きた。正常な学級運営は、いじめの防止だけでなく学力向上の大前提だ。私は昨年の議会でこの問題を取り上げていた。

◇22日、私は白根開善学校の全国後援会で講演する。上村明子さんの自殺問題も題材の一つに使うつもりだ。私はかつて「遥かなる白根」を書いて注目された。全寮制のこの学校にも深刻ないじめ問題があった。教育の原点を語ろうと思う。(読者に感謝)

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2011年1月20日 (木)

人生意気に感ず「世襲を認める自民党。世襲は民主主義に反する」

◇中央の民主党執行部が「世襲禁止」を事実上撤回する方針を固めた。民主党も駄目だが自民党も同じだという声が大きくなるだろう。今、地域を回ると政治家に対する批判の声は誠に激しい。その一つが世襲非難である。「国会議員は腰抜けばかりだ、命がけで国を守るという気慨がない、それは、世襲が原因だ」先日も、このようなことを激しく論じる自民党員に出会った。基本的には私も同感である。

 自民党は先の衆院選のマニフェストで、現職議員の配偶者や3親等以内の親属による世襲候補の禁止を打ち出していた。これに対して、党のベテラン議員などから条件の緩和を求める強い意見があった。この度、党執行部は、都道府県県連の公募制を経ることを条件に世襲を認める方針を固めた。我々自民党は、民主党のマニフェストに対して、「選挙目当て、実現出来ないことを承知で打ち出した詐欺」と批判してきた。このような攻撃は今後出来なくなる。

◇世襲は民主主義の原理に反する。民主主義は平等原則の上に成り立つ。世襲は生れによって地位を引き継ぐものだから不平等の最もたるものだ。

 国会議員は選挙によるから正確には世襲ではない。親の後援会組織を子どもが引き継いで当選することを指して、「世襲」というのである。選挙の実態を知る者は、後援会を引き継いで当選することは、実質、世襲といわれても仕方ないと思う。外国では、親と同じ選挙区からは出られないといった制限を設けるところもある。政治家の子にも立候補の権利はあるからだ。自民党執行部は、もっと苦しんで、研究を重ねた上で結論を出すべきではなかったか。

県議選に初出馬した頃の苦しかった事を思い出す。新人が最も苦しむことは後援会をつくることである。多くの人に会い、自分の考えを聞いてもらい、会議を重ねてやっと一つの組織を作る。私はこのプロセスこそ、民主主義をつくるものだと思った。世襲候補といわれる人は、この苦労を経験しないで、親の組織を相続財産のように受け継ぐ。この点に批判の根本がある。

 親の後援会組織だけでなく莫大な財産まで受け継いで当選する姿を見ると、一層の矛盾を感じる。選挙は民主主義を実現する過程であるが、その現実には矛盾が多く潜んでいる。(読者に感謝)

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2011年1月19日 (水)

人生意気に感ず「教師が親を訴える。JCの新年会での民主議員の挨拶」

◇遂に教師が親を訴える時代になった。無理もないという意見、世も末かという声、様々な反響が生じているようだ。埼玉県の小学校の女性教諭は親から再三のクレームと受け不眠症になったという。学校側は、この親をモンススターペアレンツと受け止めている。

 子どものケンカを仲裁した教師に、母親は「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と非難した、また両親は教師が女児の背中に触れただけなのに警察に暴力容疑の被害届を出した等が報じられている。

 これまで、親が学校を訴える例は無数にあった。例えば、県内でも高商バレー部の体罰問題、昨年の桐生市新里東小の少女自殺問題などで訴訟が提起されている。

 モンスターペアレントというべき親から教師が訴えられた事件の最高裁判決は、平成21年4月に下された。手に余る小2男児に対して教員はその胸元をつかんで壁に押しあてた。これが体罰に当たるとして、母親が訴えたケースである。訴えに至る迄に母親の異常ともいえる強い抗議行動があった。最高裁は、教員の行為は、目的、態様、継続時間などから判断して教育的指導の範囲を逸脱するものではなく違法性は認められないとした。

 私は、昨年の2月議会で、この判決を取り上げ、そこで示された体罰の基準を参考にして群馬も体罰に関するガイドラインを作るべきだと主張し、その後作られた。私の頭には、モンスターペアレントによって、教師が萎縮させられてはならないという強い思いがあった。しかし、教師が逆に親を訴えることは予想だにしなかった。今回のケースは正に前代未聞である。

◇教師や学校が、時に毅然とした態度をとることは、必要である。しかし、提訴は最後の手段である。他に解決策がないぎりぎりの場合に限られるべきだ。このような場合の解決手段を本県は、予め研究しておくべきではないか。いずれ群馬でも有り得ることだと思う。

◇前橋JC(青年会議所)の新年懇親会があった(18日)。いつものことだが乾杯までの時間が長い。来賓の長い挨拶にはうんざりさせられる。その中で民主等の衆院議員が面白い話をしていた。大正から昭和の初期にかけての歴史を背景に不況脱出作と自分の祖先の話をしていた。

 私は、民主党が現在末期的状態にあるとはいえ、来るべき群馬1区の衆院選は容易でないと思った。窮鼠猫をかむという諺を思い出す。県議選も同じ事が言える。頑張らねばならない。(読者に感謝)

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2011年1月18日 (火)

人生意気に感ず「阪神大震災は時代を変えた。震災の年の県議選」

◇昨日(17日)は、阪神大震災発生から16年目、兵庫県各地で様々な追悼行事が行われた。大地震は1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した。日本中の目はテレビに釘付けになった。日本の観測史上最大の激しい揺れ。建築技術の粋を尽くした筈の高速道路がもろくも横倒しになった光景は衝撃的だった。死者は6434人に達した。この直下型大地震は都市災害のすさまじさを見せつけたが地震の影響はそれだけではない。

 この大地震を振り返るとき、私は、この出来事が、社会を大きく変えるきっかけになったことを改めて痛切に思う。1年間にのべ約140万人の人が救援にかけつけた。そして、ボランティアの社会的意義に誰もが注目した。

 この年閣議で、1月17日を「防災とボランティアの日」とすることが決まった。そして、平成10年にはNPO法が成立する。平成12年度の国民生活白書は、「ボランティアが深める好縁」という題をつけ、内容は全てボランティアとNPOにさき、経済企画庁長官堺屋太一は、ボランティア活動が次の時代の基本的な人間関係を規定する主要な要因となる可能性があると指摘した。その後の社会の流れは、そのようになっていると思われる。なお、世界のメディアは、この大震災の際、略奪が全く起きなかったことを驚きの目で報じた。大震災は、物の豊かさの中で享楽に耽る日本人を目覚めさせる天の戒めだったかもしれない。

◇平成7年は、病める日本を象徴するような出来事としてオーム事件が発生した年でもあるが、私にとっても特筆すべきことがあった。

 この年4月の県議選である。定数8の前橋選挙区は相変わらずの激戦であったが、いくつか特別の事情があった。社会党(当時)はかつて2議席有していたが前回ゼロになり、この年1議席に絞って必勝を期していたし、前回初出馬で次点となった金子泰造氏は、政治生命をかけ必死に頑張っていた。菅野氏と私の選挙事務所が大胡県道沿いに隣接して建ったことも前代未聞として注目を集めていた。

 結果は金子、中村がそれぞれ1位2位を占め、ベテランの萩原弥惣治、町田一三の各氏は苦戦してそれぞれ7位8位で当選。2人の現職、高木(現前橋市長)、菅野の両氏は落選した。

 この頃から無党派層が著しく増え選挙の動向に影響を与えるようになった。今振り返って選挙戦もずい分変わった。前橋市選挙区は今回も激戦である。私は、初陣の時のような心境である。(読者に感謝)

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2011年1月17日 (月)

人生意気に感ず「文藝春秋に県議会の私の質問が。足利事件」

◇私は、昨年の11月議会で、「未解決重要事件」を取り上げその中で、横山ゆかりちゃん事件など一連の事件につき、栃木県警と協力すべきことを訴えた。菅家さんの足利事件が念頭にあり、真犯人を放置すべきではないという強い思いがあった。

 その後、私の議会質問に関心をもって、県議会に会いに来た埼玉県の人がいた。会えなかったが、この人は「狭山事件」の再審請求をしている人で、足利事件の真犯人に強い関心を持つ人であった。

◇文藝春秋の2月号に「群馬県議会でも県警本部長が、足利事件と横山ゆかりちゃん事件との関連を問われている」というセンテンスがある(P429)。私の質問を指していると思われる。

 右の「群馬県議会でも」の部分は、真犯人を捕まえて欲しいという菅家さんの訴えに対して、市長が足利市議会で「未解決事件に対し警察当局の尽力を期待したい」と答弁したという記述に関連して記されている。

 菅家さんは獄中から「真犯人は別にいます」という手紙を多方面に書き続け、それが再審につながった。菅家さんの逮捕後に太田の横山ゆかりちゃんの事件が起きた。これを含め、栃木と群馬の県境20キロ内で5人もの幼女誘拐事件が起きている。これらは同一犯の可能性がある。時効になっているものもあるが、真犯人を放置してよい筈はない。菅家さんの地元の議会で取り上げられたのは当然のことである。

◇連日、いくつもの新年会に出る。近づく県議選を意識して、県政の重要課題を地域の問題と結びつけて話す。注目される話題は、北関東自動車道全線開通、日赤移転、TPPなどである。

 私の地元でも、日赤招致を提案しようという気運が高まってきた。県民健康科学大(旧医療短大)と県衛生環境研究所の東に隣接する広大な田園地帯である。

 大学と研究所は、災害時に日赤と連携出来ると招致を強く望んでいる。桃の木川が流れ、完成間近の上武国道や中心商店街地も近い。近く、地権者会が開かれる状況だ。

◇農事の新年会では必ず奇妙なローマ字、TPPが出る。農家の人々は、外国の安い農産物がどっと流れ込めば、日本の農業は壊滅的打撃を受けるという強い不安を抱く。私は、農産物は、健康と命に直結するから安全安心な日本の農業を守らなければならないと訴える。芳賀の北部で私も参加している農業生産法人がある。遊休農地を集めて有機農法で野菜をつくる事業だがやっと前進がみられるようになった。(読者に感謝)

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2011年1月16日 (日)

第五章 地獄の満州

⑫松井かずが見た日本

― 昭和天皇の崩御・戦争は遠い過去か ―

 日本では、昭和64年1月7日、昭和天皇が世を去った。衝撃は、日本中を走り、人々の反応は大変なものであった。7日、皇居に弔問に訪れ記帳する人は、27万9470人に達した。新聞は、上田馬之助という87才の老人が、“お供をする”という遺書を残して自殺したニュースを伝える。また、テレビは、雨の皇居前広場で石のように土下座する人の姿を映す。私は、この興奮ぶりを見ながら、50年前、敗戦を迎えた人々の皇居前の様子もかくやと思った。一つの時代が終わり、歴史の幕が降ろされたという思いと、50年前の日本が今も続いているという思いが交差して、私の心は複雑だった。

 喪に服す人々の自粛ぶりは、まちの隅々に至るまで徹底していた。競馬、競輪、競艇などの公営ギャンブルは全国でレースを中止、全国大学ラグビー選手権決勝戦や全日本バスケットボール女子決勝戦は延期された。東京浅草のポルノ映画館では、表の成人映画案内の派手な写真を並べたケースの上に、前張りならぬ黒い幕が張られた。また、パチンコ屋からは、音楽とネオンが消えた。テレビ各局は、天皇の特別番組一色となり、民放からはCMが消えた。

 このような国を挙げての反応は、日本国民と天皇制との関係、国民の昭和天皇への思いを示すものであるが、また、一面、日本の国民性の特色を示すものである。何か大事が起きたとき、皆一斉に同じ方向に走り出す。そして、その方向が誤れば、まっしぐらに破局につっこむし、うまくいけば、世界が驚くような成果を生み出す。前者の例が50年前の敗戦であり、後者の例が現在の経済大国の実現といえるのではなか。

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2011年1月15日 (土)

第五章 地獄の満州

「お前も苦労したね」

母は目を閉じたまま、ぽつりと言った。

「早くお前の家族に会いたい」

「できるだけ早く家族を呼ぶから、早く良くなってください」

松井かずは、こう言いながら母の額の汗を拭った。

 ふじは、松井かずの帰国後19日して、この世を去った。84歳であった。わずかな間ではあったが、母の看病ができ、死をみとれたことは、彼女にとってせめてものなぐさめであった。

 松井かずは、前橋に移り、広瀬町の市営住宅に入って、ひとまず自分の生活を安定させながら中国の家族を呼び寄せる準備を進めることにした。彼女は、家族を全部日本へ呼び寄せたいと考えていた。しかし、その準備はなかなか容易ではなかった。迎える日本の側と、送り出す中国の家族の側と、両方にいろいろな条件が整わねばならないからである。数年はあっという間に過ぎた。

 この間、末娘が日本に来て、しばらく母子の生活が続いた。この末娘は、その後中国で結婚式を挙げることになっていたので、そのときは、松井かずは末娘と一緒に中国へ行き、結婚式に出席した。やがて、この末娘の夫婦がまず日本に定住することになり、その後、その姉である三女が日本に住むようになった。これだけでも、松井かずにとって大仕事であった。残りの家族につき、保障人をさがし、男性については職場を確保して、それは並大抵のことではなかった。このような努力を続ける中で昭和63年が終わり、64年を迎えた。この年は、日本、中国両国にとって大変な年、それぞれにとって、歴史の曲り角となるような出来事が起きた年であった。

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2011年1月14日 (金)

人生意気に感ず「参院議長の民主党批判と県議会。菅家氏。道州制」

◇私は文藝春秋を毎月購読しているが、送られてきた今月号の西岡参院議長の「菅・仙谷には国を任せられない」を興味深く読んだ。西岡武夫氏は民主党議員でありながら民主党政権幹部を厳しく批判している点が注目されていたので私の目も、先ずこの一文に向いたのである。

 菅、仙谷両氏の言動を、「国会答弁の名に値しない」、「国家観がない」などと酷評している。「国会答弁」のところでは山本一太さんも登場する。意図的に怒らせて論点をそらしてしまうというのだ。挑発された一太さんは激怒し、予算委員会は中断した。結局仙谷氏は、中国人船長逮捕の事実関係に関する一太さんの質問に答えずに済んだ。西岡議長は、事の本質をまっすぐに議論しろと訴える。

◇西岡氏のこれらの指摘は面白いが、私が特に注目したのは、「お飾りとして祭り上げられるだけの議長のままではいけない」という彼の問題意識である。

 私は地方議会の長、そして、県会議長の姿を直ちに連想した。私は、79代の議長に就いた時、同じ様な問題意識を抱き、何が出来るかと悩んだ。私が実行した一つは、いろいろな所で行う議長挨拶を自分の言葉で語ったことである。習慣に対するささやかな抵抗だった。議会改革の中で手がつけられないでいるのは「議長」問題である。誰でも順番に議長になれるという慣行は、議長の地位を限りなく軽くしている。

 西岡参院議長は、「前代未聞の定例記者会見を行うことにした」と述べるが、このことは、県議会でもやろうと思えば出来ることだ。来期に提案してみたいと思う。

◇足利事件の菅谷さんの再審無罪は既に確定したが、宇都宮地裁は服役期間に対する刑事補償請求の満額を認め8千万円の支払いを決定した。菅谷さんは「私の人生を返して」と叫んだ。彼の受けた打撃は金銭で償うことは出来ない。冤罪に泣く人の悲惨さを思う。そして、足利事件の陰にいる真犯人の事を思う。

◇経済同友会が2018年に道州制を導入することを提案している。自民党の勉強会でも取り上げたし、県議会でも度々議論された。

 北関東自動車道がこの3月全線開通となり、群馬、栃木、茨城の3県の連携と一体化が進む状況の中で、道州制が身近に、そして現実味を帯びてきた。道州制は、日本の再生、地方の再生の道である。来期は声を大にして発言したい。(読者に感謝)

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2011年1月13日 (木)

議員日記・人生意気に感ず「警察の初点検。北朝鮮の実情。タイガーマスク」

◇恒例の初点検式に出た(12日)。年頭にあたり治安を担う決意を新たにし、同時に志気を高めるのが目的だ。警官は隊列を組んで足並みを揃えて進む。端からイチ、ニッ、サンと声をあげる。隊列の終わり近くで寒気をふるわす澄んだ声が響いた。おやと思ったら女性であった。体格がよいので遠くから見て、一見して女性と判断し難いのだ。6人はいるようだ。ぴすとる拳銃、捕縄、笛などをきびきびと点検する彼女たちの姿は、男性警官と比べて遜色はない。彼女たちの姿は民主的警察の雰囲気を作っているようだ。

 点検式の一部としてトラブル処理の実演があった。金属バットを持った男が公園で大声を出していると110番通報があったという想定である。数名の警察が駆けつける。いかにも悪人づらの怪しげな大男が奇声を上げながら、バットで警官になぐりかかる。捕り物は真に迫って面白かった。悪人役の演技も堂に入っていた。

 初点検の日は毎年寒い。今年はホカロンが支給された。例年は、式の行事が終わると来賓の挨拶などは会場を移して中で行われるのだが、今年は引き続き外でなされた。

 私は県会議員を代表して挨拶した。その中で昨年県議会は暴力団排除条例を制定し、今年4月1日から施行されることにも触れた。

◇親しくしている「在日」の実業家Sさんと夕食を共にした。Sさんは北朝鮮と関係が深い。

 私は一番知りたいことをずばり質問した。「北はもつのですか」。Sさんは答えた「もうだめです。ながくはもちません」と。最近の北朝鮮の生々しい事実を聞くことが出来た。

 国民は体制が崩壊することを望んでいるという。経済が破綻しているので戦争など出来ない。国民は韓国のCDをよく見ているそうだ。それがバレると山へ送られる。山とは強制収容所のことだ。徹底した恐怖政治が行われ違反を密告されるとすぐ「山」へ送られ、反体制行為はすぐ死刑になるという。公開処刑がよく行われ、絞首刑は1ヶ月位つるされることもあり、火あぶりの刑もあるとか。信じられない。Sさんは、現代に於いてこういう国が存在すること自体が不思議でおかしいと語った。

◇タイガーマスク現象が広がっている。発端を作った人は、前橋の人かもしれない。本人も予想外の展開に驚いているのではないか。阪神大震災で見たように、日本人の精神文化は案外健全だと思う。その岩盤を信じて守りたい。(読者に感謝)

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2011年1月12日 (水)

人生意気に感ず「この冬一番の寒気。シベリヤの虜囚。広報車を走らせる」

◇11日の朝、この冬一番の寒気は肌に突き刺さるようだ。私たちは寒さに弱い。最近の暖かさに慣れてしまった身体には一層響く。少年の頃は、霜焼けという事が珍しくなかった。歌にも「霜焼けお手手がもう痒い」という文句があったが、今ではこの言葉は死語に近い。これも、温暖化の影響か。

 10年程前中国東北部の都市で零下15度の寒気の中に立ったことがある。頬がひりひりと痛かった。その時、鉛色に垂れ込めた北の空を見てかつてのシベリヤの虜囚を想像した。零下30度から40度の中で食べ物も碌に与えられず強制労働させられ、日本人はばたばたと斃れた。60万人が強制連行され約6万人が死んだのだ。

 昨日の朝の寒気の中で、私は、北の空を見てこの事を思った。菅総理は、ロシアの首相と対談したとき、この事が胸の底にあったのだろうか。笑顔の中にも気迫を示さねばならない。一国の首相たるもの、悲劇の歴史を腹に据えねば舐められてしまう。明治時代の政治家に習う点はこのことではないか。

◇11日、早朝より、自民党の広報車に乗った。自民党の政策の広報である。県議選が目前であるが、選挙運動は出来ない。選挙で宜しくといいたいけれどそれは許されないのだ。私は、上電中央駅、JR前橋駅、そして、群馬会館前で広報車の屋上に立った。

 県市の庁舎を前にした会館前でマイクを握ると感慨が湧く。毎回の県議選のスタート時ここで第一声を上げるからだ。その時は刻々と近づいている。昨日は、日本の危機、群馬の課題、県議会の使命などを訴えた。群馬の課題では行政改革、議会改革教育改革などに触れ、これらを遂行するために、来る4月の統一選には勝利しなければと結んだ。

◇時代の激変の中で、有権者の意識も複雑に変化し実態は掴み難い。そこで選挙に臨むものは誰でも妙案はないかと悩む。

 頭に浮かぶのは、竹中半兵衛、黒田如水などの軍師のこと。中国では三国時代の諸葛孔明が有名だ。しかし、奇想天外な作戦は簡単には見つからないのだとつくづく思う。歴史上の軍師も考え、苦しみ、追い詰められて一手を決断したに違いない。

 4月の県議選では多くの新人が出る。皆、公選法の土俵の上で苦肉の策に挑戦しているに違いない。私の主要な作戦は情報発信である。このブログを通じて、マニフェストを伝えることを工夫していきたい。(読者に感謝)

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2011年1月11日 (火)

人生意気に感ず「災害時の助け合い。タイガーマスク。どんど焼き」

◇災害が起きると眠っていた助け合いの心が甦る。16年前の阪神淡路大震災の時がそうだったが、今年の鳥取県の大雪災害でもそれが見られた。日本人の公徳心の岩盤は深いところで健全だなとほっとする。

 阪神淡路の時は、1年間で延べ120万人ともいわれる人々が手弁当で救援に集まり日本中の注目を集めた。そして、この動きはNPO法案成立につながり、この大震災はボランティア元年といわれるようになった。

 今年元旦の日本海側の大雪は異常だった。鳥取県では、観測史上最高の89センチの積雪があった。国道では千台の車が立往生し大変なことになった。近所の住民は、トイレ、御飯の炊出し、コーヒーの提供などで援助活動にあたった。

 人助けの奉仕活動は、救助された人の心を癒し勇気を与える。またそれは、奉仕する側の心も豊かにする。災害は望まないが、現代人の自己主義を反省させる大切なものを思いださせる機会になる。今年も各地で天変地異が見られだろう。

◇「タイガーマスク」がにわかに脚光を浴びている。全国の児童施設などにランドセルなどを届ける運動が広がっている。送り主はプロレス漫画の主人公タイガーマスクこと伊達直人の名前である。

 発端は前橋の児童相談所に昨年のクリスマスにランドセル10個が届けられた出来事。故梶原一騎原作の根性もののマンガを私はよく読んだ。「巨人の星」、「あしたのジョー」、「空手ばか一代」など。「あしたのジョー」にも施設の子が登場する。これらがヒットした背景には熱い心をもった多くの人が存在すると思うと救われる思いだ。

◇今年は、初市祭り恒例の八幡様のお焚き上げ式に欠席した(9日)。思うところがあって地元の道祖神祭りに出た。子供会も参加して、祝詞(のりと)に子ども達は神妙に耳を傾ける。伝統の行事が理屈ではなくチビッ子に受け継がれていく姿である。

 自治会長に続いて私が挨拶。点火すると真赤な炎がバチバチと音を立て生き物のように立ちのぼる。ワッと興奮の喚声が上がった。火は現代人の心の底に潜む原始のエネルギーを刺激するかのようだ。私は紅蓮の炎の下で、戦国時代の攻防を想像し、4月の県議選を思った。今月29日、山本龍君は自民党公認を正式に辞退する運びだ。事態は大きく動き出すだろう。(読者に感謝)

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2011年1月10日 (月)

第五章 地獄の満州

自分は日本人であるが、娘やこの孫には、自分の血と中国人の血が一つに交じり合って流れている。思えば、敗戦直後の動乱の満州をよく生き抜いてこられた。死んでいった開拓団の人々のことが思い出される。生と死を分けたものは些細なことであり、また、ちょっとした偶然であった。その些細なこと、ちょっとした偶然の故に現在の自分があり、娘があり、そして、この孫がある。人生とは、このようなものか。松井かずは、無心に眠る孫の顔をのぞき込みながらこう思うのであった。

 娘や孫にかかわっている間に、何年かが過ぎた。そして、松井かずがいよいよ帰国することになったのは、昭和56年のことであった。自分が帰国し、生活環境を整えてから家族を日本に呼ぼう。松井かずはそう考えた。もうこの頃は、中国の人々に日本の復興ぶりや生活の様子などが伝わり、日本へ行きたいという人が増えていた。松井かずの家族や親戚も彼女の話を聞いて、みな、豊かな国日本へ行きたいと言い出した。隣近所の中国人、職場で話を交わす中国人も、にこにこと彼女に話しかけ、日本のことをききたがった。彼女は、祖国日本が中国人に見直され、自分までが大切にされていると思え、嬉しかった。

 日本へ帰ってみると、母の病気が進んでいた。母ふじは、沼田のほたか病院へ入院していた。松井かずは、母の枕元で、中国のことを語った。母が眠ったかと思い、話を止めると、母は彼女に手を伸ばし、話の先を聞きたがった。

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2011年1月 9日 (日)

第五章 地獄の満州

このような日本の自由と豊かさを子供たちにも味あわせてやりたいという気持ちと、子供たちはこのような日本にやってきて大丈夫だろうか、きちんとやってゆけるだろうかという不安とが入り混じった複雑な心境であった。

 松井かずは、八か月日本に滞在し、昭和51年、また中国に戻っていった。祖国日本の復興を身体全体で確かめ、肉親にも会えた。そして、日本へ帰国できる確かな道も開けた。日本を後にしながら松井かずは、自分のこれまでの人生が無駄でなかったと思え、嬉しかった。もう慌てることはない。中国で自分のやるべきことをきちんと済ませ、晴れた気持ちで日本に帰国しよう。彼女はこう思った。

 中国でやるべきこと、それは、主に子供のことであった。4人の娘は次々に結婚適齢期に入ってゆき、松井かずには、母親として娘たちを見守って手を差し延べてやることがいろいろあった。彼女が中国に戻ってから、まず、長女と次女が結婚した。そして、娘たちは妊娠し、出産した。長女の子は1500グラムという大変な未熟児で生まれたので、松井かずは必至で世話をし、その育児を手伝った。孫の誕生は、彼女にとって感慨深い出来事であった。自分の出産のときは、生きること、育てることで夢中であったが、娘の出産を助け、孫を手にとってみると、その温もりを通して、中国との関わりの深さ、中国で生きてきたことの重さを改めて感ずるのであった。

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2011年1月 8日 (土)

第五章 地獄の満州

あるとき、一人の同級生が訪ねてきた。

「日本は戦争に負けてよかったのよ」

「あらそう、どうして」

「だって、戦争に負けなければ、戦争をする国が続いていたわけでしょ。男は兵隊にとられるし。こんなに何でも自由で、いい暮らしができる国にはならなかったと思うよ」

 松井かずには、この同級生の言葉がよく分からなかった。確かに日本は良い国らしい。しかし、それは、戦争に負けたこととどのような関係にあるのか。そして、自分たちのようにお国のためということで満州に出かけて行って苦労した人や戦争であ亡くなった多くの人は、みな無駄なことをしたのであろうか。松井かずの頭に浮かぶ疑問に気付くはずもなく、同級生は、カラオケ教室のこと、買い物ツアーのこと、家を建てたこと、自動車を買い替えたことなど、松井かずには信じられないような華やかな日常生活のことを話し続ける。こんなに豊になって、こんなに楽しい生活をしている日本人は、昔の戦争のことなど思い出したくないのだろう。そんな過ぎ去ったことはどうでもよいことなのだろう。松井かずは、同級生の口元を見詰めながらこう思った。そして、このとき、中国にいる子供たちのことが思い出された。

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2011年1月 7日 (金)

人生意気に感ず「企業組合の新年会、地域自治会の新年会で思ったこと」

◇各種新年会が一挙にスタートした。このような行事で忙殺されて時が過ぎ4月が近づくと思うと恐ろしい。昨日の主な行事は、午前の金属団地協同組合の新年会、夜は地元自治会の新年会だ。それぞれの会は、今年の地域や県政の課題とそれらについての私の考えを語る重要な機会であった。

 金属団地の例会は、経営者の集会である。会長は、不況に耐えるには自助努力と工夫が必要だと決意を語った。私は、北関東自動車道の3月の全面開通と上武国道完成の効果、及びDC(ディスティネーションキャンペーン)について話した。

 特に北関東自動車道は、中小企業の経済活動について測り知れないチャンスをもたらす。それを活かすのは自助努力の勇気である。そのための環境整備と情報提供こそ、行政の役割であり使命である。骨子としてこのようなことを話した。

 日本列島をたてに走る高速道としては既に、関越道、東北道、常磐道があるが、これだけではこれらの高速道も十分に活かせない。3つの国道の連携を図り北関東3県の一体化を生むのが3国道を横断する北関東自動車道の役割である。

 群馬県はその重要な結接点となる。群馬はこれにより、日本海、太平洋に通じる。県内の産学官の連携が進んでいるが、他県の産学官連携の成果を享受する可能もぐっと増える。例えば、栃木には、宇都宮大学の農学部がある。その農業面における技術と成果は素晴らしい。茨城には筑波大学と筑波学園都市がある。これらの研究機関は、群馬の中小企業が求めるヒントの宝庫である。とはいっても個々の中小企業がそれを求めることは容易ではない。ここに、県産業政策の役割と使命がある。

 経済活動は、グローバル化している。特に中国や韓国の動きは目覚しい。中国に進出する企業が相次いでいるが、多くの中小企業はそれが出来ない。その点、茨城空港の存在は中小企業にとって大きな可能性を示すものだ。私は、群馬、栃木、茨城3県の県議会が連携することによって大きな突破口をつくることが出来るに違いないと思う。来期は行動に移したい。

◇自治会の新年会に出て、地域力の大切さを痛感した。孤独死や高齢者の虐待が問題となっているが、背景には地域社会の崩壊がある。自治会組織は地域社会を支え地域力を生み出す基盤である。その健全さは大きな救いである。(読者に感謝)

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2011年1月 6日 (木)

人生意気に感ず「新春の初顔合わせ。新年がスタートした」

◇県議団総会は、議員の新年初顔合わせであった(5日)。心中それぞれ例年とは違った思いがあるに違いない。無風区あれば激戦区もある。今期限りで議会を去る人もいる。高崎選挙区で新たに公認となった桂川たかこさんが自民党控室に挨拶に来ていた。松下政経塾第10期生とか。

 10時から行政棟最上階で恒例の新春議員懇親会があった。太田市長の清水さんが私を見て若くなったではないかと言った。県議会では一期先輩だった。決戦を前にした私の心中の高まりが若さを感じさせたのか。かつて同期だった星野沼田市長や、みどり市の石原市長、上村明子さんの自殺問題を抱える桐生の亀山市長の姿もあった。この2人は、かつて後輩の県議であった。

 県内ほとんどの市長が県会議員出身である現実を改めて思う。現前橋市長もそうであるが、県議出身でない現高崎市長も来期は県議出身者に代わる可能性がある。現県議の中嶋篤氏が立候補の決意を表明し県議選公認を辞退したからだ。前記の桂川さんの公認は、この変化に対応するものだ。

 県議会が通過点のように考えられるのはよくない。関根議長はこの会の挨拶の中でニ元代表制のことを口にした。知事と議会は共に県民から選ばれた車の両輪という意味だ。現状は議会の輪が小さくて軽い。議会の権威を高めなければ、群馬県はこの混乱の時代を疾駆することは出来ない。◇12時半から上毛新聞主催の新春の集いがあった。高橋社長が主催者の挨拶を、知事は来賓として挨拶、乾杯は関根議長というパターンである。

 高橋さんは、文科省の指導要領によって小学生の国語力の充実が進められることになり、新聞が教材に使われることになるから、それに対応した紙面づくりを図ると話していた。地方紙は、独自の存在意義を発展して欲しい。

 大澤知事は、ヘリに乗って、上空から北関東自動車道の全容を見た時の感動を語った。日本列島を南北と東西に走る大動脈が完成する。群馬はその結接点たる要衝を占める。関東平野の北部にあって、群馬は太平洋にも日本海にも通じることになる。かつてない壮大なドラマが間もなくスタートする。それを活かすことが、県政の最大の課題だ。知事の表情には、その決意が現われていた。

◇親交を重ねる大連師範大副学長の曲維(きょくい)さんから年賀状が届いた。中国との関係は複雑であるが民間の交流は進む。今年は、観光の面でも曲さんとの連携を深めたいと思う。(読者に感謝)

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2011年1月 5日 (水)

人生意気に感ず「私の原点、釣り堀の里を訪ねて」

◇「まあ、せっかく来たんだからひとっぱなししていかねえかね」急ぐからという私を腰の曲った主人はひき止める。年始の挨拶回りは時間との競争であるが、ここでは時がゆっくりと流れているのだ。この老人は福二さんといい、この人については私が小学校へ入る前からの幼少時のとても楽しい思い出がある。

 嫁さんは隣村富士見の人。馬に引かれた荷車に嫁入道具と共に迎えられた。その時の美しい姿に子ども心をときめかした事が遥かな記憶の中にある。

 福二さんは、私が留まることを確認すると、ポケットから笛を取り出して、曲った腰を伸ばすようにして、顔を天に向け、ピィーピィーと吹き出した。笛の音はまわりの木々を伝い眼下の鱒釣り池の辺りまで届いたようだ。間もなく、お婆さんと息子が現れた。この小さくなったお婆さんこそ、あの荷車で引かれて来た美しい花嫁であった。笑った時のシワ顔の奥に昔の面影がのぞいて見えた。

 靴のまま入れる応接間には衝撃的なものがあった。何と、壁にあるのは、20年以上前の初出馬の時の私のポスターではないか。昔の私に再会したような驚きもさることながら、このポスターを応援間に掲げ続けてくれた福二さんの心に感激した。私は大いに勇気づけられたのであった。

 私は、この落合という部落で少年期を過ごした。夏は、今は鱒池となっている近くを流れる川をとまえて泳いだ。ランプの下で母と代わる代わる声を出して本を読んだ。鼻毛石の小学校まで裸足で通った。長い通学路では青大将に出会ったりヒバリの巣を発見したりした。「宮城村は私の原点」という一文を書いたが、原点の中の原点がこの落合なのであった。

 このあたりは、釣り堀が四件ある。一番規模が大きくて有名なのが、福二さんの釣り堀から数百メートルの距離にある「大崎つりぼり」である。これらの事業は、赤城の懐から流れ出した清流を活かしたもので、名山赤城の恵でもある。

 この地域の釣り堀は、今年の県の一大事業であるDCの一つのポイントに期待されている。「釣り堀銀座」と呼ぼうとしているが、「銀座」という表現は緑と純朴の環境にはふさわしくない。「釣り堀の里」がいいのではないか。

 大崎つりぼりの若い後継者大崎浩樹君が新春群馬の50人の一人に選ばれ、上毛新聞紙上で抱負を語っている。表情はフレッシュで逞しい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2011年1月 4日 (火)

人生意気に感ず「忙しい三が日を走る。今年も異常気象か」

◇年賀の束を落ち着いて見る間もない程の三が日が過ぎた。大みそか、ドドン、ドドンと花火が上がる。小坂子神社の初詣を促す音である。暗い木立の奥で焚火の赤い炎が勢いよく昇っている。炎に引きつけられるように私は境内に足を進める。火は人々の心を刺激するものだ。甘酒を振舞う村人の声が明るく響く。0時を待つ人々の黒い列が次第に長くなる。若者が多いのに驚く。宗教心がないといわれる日本人であるが、不安な時代にあって、就職、家内安全、受験、交通安全など、身近な実利を神に願っているのだろう。 私も家内安全と4月の県議選の勝利を祈った。村人に顔を合わせることも私にとって大切な目的である。地元3ヵ所の神社に参詣すると午前1時が近かった。テレビは、各地の神社の様子を伝え、また、新年早々の事故や異常気象などを報じている。新年が始まったことを実感しつつ床についた。 ◇元旦の朝の、元総社の3ヵ所の新年会と片貝神社の神事は私にとって恒例である。私は、7時、芳賀グランドを5周して、8時に始まる鳥羽町東部の新年会に駆けつけた。 この会には、かつてはアカネさんが顔を出していたし、最近までは、故金子泰造さんも常連だった。この町内の元旦の行事は他の町と変わっている。公民館の庭に集まった人々は、先ず、東に向かって、昇る太陽に手を合わせ、それから、庭の一角にある社に手を合わせる。自治会長の挨拶が終わると、建物に移って直会(なおらい)となる。 ここで私は、挨拶をして、直ちに飛び出すのだ。私の挨拶のポイントは、次のようなもので、それは、その後の新年会でもほぼ同じだった。「日本の危機が叫ばれていますが、その根本には地域社会の崩壊があります。昨年は自分の親の所在が分からないといった事件が多発しました。孤独死が増えています。振り込め詐欺も減りません。安全、安心な地域社会を支えるものは、自治会を中心とした人々の絆であり、伝統の行事です」と。そして明るいニュースとして、3月の北関東自動車道の全面開通による群馬の新しい夜明けにも触れた。 ◇今年も異常気象が始まった。南国鹿児島県で大雪が降り、山陰地方は記録的な大雪で車千台が立往生し自衛隊が出動する騒ぎ。昨年の猛暑を思い出す。今年はどんな異常が襲うのか。異常が常態となる時代の幕開けか。(読者に感謝)

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2011年1月 3日 (月)

第五章 地獄の満州

松井かずにとって、とても悲しいことがひとつあった。それは、松井かずとの再会を何よりの楽しみにしていた父が、彼女の帰国を待たずに世を去ったことである。彼は、松井かずの写真をいつも身につけ、病床にあっても離さず、いつも写真を見ては、帰りを待っていたという。松井かずは、母と共に父の墓をもうで、30年を振り返りつつ花を供した。

日本での生活は、見るもの、聞くこと、みな彼女にとって驚きであった。姉は、松井かずのために一着のブラウスを用意してくれたが、彼女はどうしてもそれを着ることができなかった。それは色鮮やかな柄のものであった。中国では、女は、冬は黒、夏は白地の無地の服装をするのが常であったから、柄ものを着るには大きな抵抗感があったのである。同級生はみな、色鮮やかな柄ものを身につけている。それは、彼女の目には奇異に映った。

 松井かずは、兄弟たちと買い物に行くが、そこでも、日本人の行動は彼女にとって目を見張るものであった。中国では、お金を盗られないようにと、あっちこっちのポケットに隠して入れる。日本人は、財布を手に持ったり、お金を外から見えるポケットに入れて平気で歩き回っている。それでも事件が起きないということが不思議であった。買った物を自転車につけて外に置いても盗られることがない。日本は本当に平和で豊かな国なのだなと彼女は思った。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2011年1月 2日 (日)

第五章 地獄の満州

一筋に祖国を求め続け、日本人だと注目される中で、日本人としての誇りをもって子どもを育て、自らも行動してきた。松井かずは、勝利の快感に似た気分に浸りながら、中国に残してきた5人の子供たちの顔を一人一人思い出していた。<全然苦労していないじゃない>という同級生の言葉は、むしろ彼女の幸福感をくすぐった。苦労を他人に分かってもらえなくても、自分は十分に幸せだと思った。また、<全然苦労していない>と言われたことは、中国大陸の血生臭い海を泳ぎ抜いて、今、子ども達と共に明るい日差しの中にいることを評価されたように思えて、彼女はむしろ嬉しかった。

 姉の家で一泊した後、松井かずは、母の待つ生家へと向かった。生家は姉の家から、車でさほどかからぬ所にあった。懐かしい生家も昔のおもかげはとどめていなかった。

「かず、よくかえったね。ずい分苦労したろうね」

年老いた母は、しきりと涙をぬぐっている。握り合う母に手の上に、松井かずの涙が落ちた。中国でいつも頭に描いていた母も、すっかり年をとっていた。体が小さくなり、白髪としわが目立つ母の姿を彼女は痛々しく思った。松井かずは、母の姿のよって戦後豊かな日本が作られるまでに、日本人は大変な苦労をしたのだということを知らされた思いであった。

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2011年1月 1日 (土)

人生意気に感ず「元旦」

◇読者の皆様、明けましておめでとうございます。変転窮まりない時代の流れの中で、新年を迎えました。日々の動きを歴史の流れの中で過去と比較すると、私たちは不思議な時代に生きていることを感じます。

 かつては、時がゆっくりと流れ、私たちの行動範囲も極く限られていました。人生も短く、一生の大半を県内で過ごす人が多かった時代は、それ程、遠い過去のことではありません。

 人間が生きられる時間が100年に近づき、交通手段が飛躍的に発達し、その上、インターネットの時代になりました。過去の時代を生きた人々と比べると、私たちは、何十倍、いや何百倍もの可能性の中で生きていることになります。

 また、宇宙時代に突入し宇宙との関わりが日々多くなっている状況の中で、私たちは、宇宙船地球号に乗って、果てしない宇宙空間を走っていることを感じます。

 しかし、このような壮大な変化に人間の心が対応できないという現実があります。私のブログは、そのことに対するささやかな挑戦です。私の視点からの情報を提供し、それを共有したいという秘かな願いがあります。

 私は、NPO群馬情報バンクの代表として情報提供に関わっており、ブログ活動はその一環でもあります。今年も情報共有の広場を大切にしていきたいと思いますので、皆さん宜しくお願い申し上げます。

 今年の明るい大きな出来事としては、先ず、3月19日の北関東自動車道の全面開通があります。群馬、栃木、茨城の北関東3県の一体化が進み、群馬はその中心となり群馬が太平洋と結ばれることになります。

 勇気をもって、力を合わせ、北関東の時代の群馬の新しい扉を開いてまいりたいと思います。4月には、統一地方選の一環として県議選が行われます。私にとって、前方にそびえる大きな山ですが全力でチャレンジする決意です。皆様にとって良き年であることをお祈りします。

                   群馬県議会議員 中村のりお

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