« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月31日 (金)

人生フル回転・人生意気に感ず「今年最後の日の同級生の葬式」

◇遂に今年最後の日となった。振り返ると、国の内外で実に様々なことがあった。その中で多くの人が亡くなった事がある。昨日は、旧宮城村の小学生時代の同級生の葬式があった。元気で愉快な男であったが、朝娘さんが呼びに行くと脳梗塞で意識がない状態であった。私は同級生を代表して弔辞を読んだ。弔辞には、その人の人生の物語が入る。彼の生涯は戦後の混乱と回復期に重なった。次は、弔辞の一節である。

「磯田君、君は、生まれ故郷の宮城と大前田が好きで、よく宮城、大前田と口にしていたそうです。あの頃を振り返ると数々の事が懐かしい思い出となって甦ります。私たちは昭和22年、鼻毛石の宮城村立小学校に入学しました。終戦直後の何もない時代でしたが、活気にあふれ、私たちの瞳は輝いていたと思います。私たちは裸足で通い、校舎の入口の足洗い場の水槽に飛び込んで、ぬれた足で教室に走り込みました。いたずらやケンカも日常の事で、先生の鉄拳も珍しい事ではありませんでした。私たちは、そんなスリルと刺激のある生活を自然に受け入れていたのです。

 私は最近、県議会で、いじめによる自殺問題を取り上げましたが、このような問題が起こる度に少年時代を思い出します。いじめとか体罰という言葉すら聞かなかったあの時代が何と懐かしいことでしょう。戦後の民主主義の歩みは、きれい事と理想を追求する余り、大切なものを捨て去ってきたように思えてなりません。その結果として、物は豊かになったが人間の心は逆に貧しくなったという今日の混乱を招いてしまいました。欲望のために簡単に人を殺し、親が子を虐待するといった事件が連日のように起きています。正に日本の危機です」

 磯田君は、虐待を報じるテレビの画面に向かって怒鳴ったという。正義感の強い男であった。私の弔辞は、「君の正義感を受け継ぎ県政の場でそれを実現することをもって君へのはなむけにしたいと思います」と続いた。

 来年から、ブログのタイトルを「人生意気に感ず」に変更します。日々生起する出来事を、自分の思いと結びつけながら綴りたいと考えています。引き続きご愛読の程お願いします。良いお年をお迎え下さい。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

人生フル回転「日本の危機にはやぶさを振り返る。友の死に弔辞」

◇いよいよ今年も残すところ2日足らずとなった。逆巻く濁流が新年の大門に流れ込む。その先には、黒雲の下に巨大なうねりが見える。この流れはどこに向かうのか、自分はどこの岸に辿り着くのか。不安と緊張で立ちすくむ思いである。間もなく戦後生まれの団塊世代が後期高齢者となり、日本は、どの国も経験したことのない高齢社会を迎える。その時、社会の活力の低下など、その社会的影響は想像を絶するものだろう。

 資源がほとんどない日本が、このような状況で生き残る唯一の道は、科学技術の振興である。現実は、理科離れの深刻さなど容易ではないが、「はやぶさ」の快挙と2人の日本人のノーベル化学賞受賞は、この閉塞感あふれる社会に於いて、測り知れないインパクトである。それを生かして今後につなげる事が日本再生の道である。

◇私は、8月19日のブログに次のように書いた。「はやぶさの偉業は、落ち目の日本、そして自信喪失の日本人に勇気と夢を与えてくれた。私たちはこの夢を更に発展させなければならない。夢を夢で終わらせてはならないのだ。そのためには、はやぶさの事を理科教育の教材として子どもたちにもっともっと教えるべきだし、国はこの事業に十分な予算をつけるべきである」

 「はやぶさ」については、驚くべき事やわくわくする事実が次々に報じられた。3億キロ離れた長さ535mの小惑星に到達させる難しさは日本から南米のハエを狙うようなものであるとか、60億キロの宇宙を7年間旅して帰還したこと、あるいははやぶさの快挙を支えたのは富岡市の町工場であり、そこには、コンピューターより高度な職人技が働いた等である。

 そして、私が更に胸を打たれたのは、はやぶさ管制室の人々の執念である。科学の先端に立つ人々があらゆる神仏に成功を祈ったというのだ。飛不動、飛行神社、電波神社、中和神社などに参拝した。中和神社では、イオンエンジンがうまく中和するように祈ったといわれる。

 世の中にはおかしな神社があるものだという驚き以上に、一流の科学者の心も、合格を神社に祈願する受験生の心と変わらないという驚きを抱く。

◇普段頑健だった宮城村時代の同級生が急死した。朝家族が気付いた時は意識がなかった。人生はかくの如きか友は往く。今日弔辞を読む。69歳だった。戦後の混乱期、裸足で小学校に通った頃が懐かしい。いたずら、ケンカ、先生の鉄拳、そんな思い出を語ろうと思う。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月29日 (水)

人生フル回転「重大ニュース・チリの地底からの生還を振り返る」

◇ノロウィルスから開放されて久しぶりに早朝のグラウンドを走った(28日)。ツンと鼻を突く寒気が心地よい。ヒタヒタと進める足に朝の大地の力が伝わる。生きる喜びを感じる瞬間だ。走りながら、今年一年の多くの生と死を思った。そして、チリの地底からの生還に改めて思いを致した。私は、9月から10月にかけてのブログでこのことを10回も書いている。それ程気にかかった出来事だった。

◇事件は8月5日に起きた。全員が生きていることが判明したが、当初救出には4ヶ月かかるといわれた。暗黒の発狂空間を想像して私は戦慄した。時が経つにつれ、世界の人と技術が動き出し、様々なエピソードが伝わる。

 9月16日、私はブログに次のように書く。

「地上の妻が女児を出産し、その名はエスペランサ(希望)だという。08年5月の中国四川大地震の時、地震の中で生まれた赤ちゃんに“震生”と名付けられたことが思い出された」と。チリは地震大国で今年2月に巨大地震で大参事が起きた。私は救出までの間、地震がないことを祈った。

 やがて、地底では優れたリーダーの下でしっかりとした規律ある生活が行われていることが分かる。私は、ブログで米映画「眼下の敵」と重ねて書いた。ナチスの潜水艦は米軍の爆雷攻撃により海底に閉じ込められた。狭い空間を極度の緊張感が支配する。艦長は、全員で国歌を歌って人々の心を奮い立たせる。最後にUボートから救出されるクルトユルゲンスを海上のロバートミッチャムは挙手の礼で迎えた。

 カトリックの国の人々は、信仰を頼りにどこまで耐えられるのかと、ナチスの強制収容所で餓死刑に耐えたマキシミリアノ・

コルベ神父のことも書いた。

 遂に救出の日が近づくとチリ中は熱狂し、大統領は、「あなたたちは国の希望です」と地底の人々に呼びかけた。2月の巨大地震の時普通の夫婦や市民まで略奪に加わり兵士は商品を奪う人々に銃を向けた。「大地震は人々の心まで破壊した。33人の救出はチリの人々にとって傷ついた心を建て直す意味があるのだろう」と私は書いた。     

 69日ぶりの奇蹟の全員救出に世界は沸いた。人間の偉大さ、世界が力を合わせた時の成果の大きさを示した瞬間であった。今、対比して、政治的暗黒の地底にいる北朝鮮国民の悲惨さを思う。寒さと飢えにどこまで耐えられるのか。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月28日 (火)

人生フル回転「やや体調を崩す。参院選を振り返る。政局の混迷」

◇かかりつけの医師にノロウィルスと言われた。数日前、水のような下痢だった。そのまま行動を続けてきたが、朝、走る意欲が低下していた。敢えて走らなかったのだ。体調が悪いと気力も落ちることを実感した。健康とは本当の有難い。走りの仲間が言った。「普段、鍛えているからそれ位で済んだのだ」と。寒風をついて走ったあとの達成感が懐かしくなった。

 今年も走り通してゴールが目前に迫った。難コースで、山あり谷ありの悪路であった。メディアが10大ニュースとして挙げているものの中には、私がコース上で出あった出来事もあった。小寺前知事の死ともからんで思い出されるのは夏の参院選である。

◇今年7月、私は、参院選に見る天国と地獄として、自民の大勝と民主の大敗をブログに書いた。主な点を振り返る。7月11日午後8時1分、全国で一番早い中曽根弘文の当確が出る。結果的に55万8千余票で富岡由紀夫氏に27万票余の大差をつけた。

 他の状況も続々と明らかになった。比例区で注目していた小寺さんは及ばなかった。「落選のダメージは大きいだろう」と私はブログで書く。小寺さんがその後倒れ、心臓手術がうまくいかずドクターヘリで東大病院に入院したことを耳にする。それが先日の死につながったことを思うと、誠にお気の毒である。

 民主党は予想を大きく下回って44議席、自民は予想外に伸びて51議席を得た。舛添の「新党改革」と平沼・与謝野の「たちあがれ日本」は、いずれも1議席のみだった。驚いたのは、「みんなの党」の躍進ぶりである。私は、ブログで、「10議席の獲得はただ事ではない」と書いた。

 このような政界マップは、今後どうなるのだろう。内閣不支持率は67%におち、民主党の支持率は、危険水域の20%台に近づいている。政治の混乱が市民の生活と心をこんなに激しく揺さ振る時代はかつてなかったのではないか。外交面では、日本の弱体化につけ込むような中国やロシアの行動が連日報じられる。日本は正に国難の時だ。

◇大雪の福島県国道で車300台が立往生とは、また異常事態の到来である。夏の記録的な酷暑に続く、冬の異常の前兆か。菅総理が野党との連携を求めるが次々と断られている。何も決められない党になりつつある。日本丸は、船長不在の如き状態で新年を迎える。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月27日 (月)

人生フル回転「草食系の若者たち。日本が沈んでいく」

◇ある地域で、後援会の青年部を結成することになって若い男性が集まった。若いといっても大半は40代で、独身が多いのに驚いた。草食系、肉食系という言葉が流行っているが、男性たちは、どちらかといえば草食系があてはまる。かつての私たちの若かりし頃のようなギラギラとしたものが感じられない。活力を失っていく日本を象徴する若者の姿かと思われた。

 独身男性の中に、女が欲しいとは思わないし、家族がないのも苦痛ではないが、年をとって誰にも知られず孤独死する自分を考えると恐ろしいと小声で話す人がいた。

 最近孤独死が増えている。老人に多いが、40代後半から増え始めるという研究結果がある。県は少子化対策に力を入れているが、非婚化対策にももっと力を入れなければならない。

◇人間が活力を失うことによって日本の社会が底無しの沼に沈没していく恐怖を感じる。若者の非婚現象もそれを暗示するが、今年大騒ぎになった百歳を越える多くの高齢者の所在不明も無気味な暗示に思えてならない。

◇先日、県立女子大の評議委員会でこんなことが話題になった。大学の偏差値が高くなると応募者が減る、留学希望者が最近少なくなった理由の一つに外国にはウォシュレットがないことが挙げられると言うのだ。ここにも、志をもって難関に挑むという若者像が過去のものになった事を伺わせる事実がある。

 高齢化対策、少子化対策、非婚化対策などに力を入れることは当然だが、社会を建て直す根底には教育問題があることを忘れてはならない。

 教育は、様々な深刻な問題を抱えて危機的状況にある。あまりに激しい社会の変化に対応出来ないでいる。現場の先生が勇気と自信を持って教えることが出来る環境を作らねばならない。うちの子どもには家で掃除をさせたことがないのだから学校でさせないでくれと言って来る親がいるともいわれる時代である。先生が萎縮すれば、生徒も萎縮するしいじめも起る。

◇社会が混乱し、人々が右往左往しているとき、社会を立て直すために大きな役割を果たさなければならないのは公的組織である。「公務員は全体の奉仕者」という憲法の意味をかみ締める時代である。沈んでいく社会を支えるのは自分だという志を持つことからスタートしなければならない。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月26日 (日)

第五章 地獄の満州

朝の8時、松井かずを歓迎するため、町の人たちが大勢集まっていた。同級生も集まっていた。

「かずちゃん」

同級生の片山ちょうが声をかけた。

「私のこと、分かる。」

顔は忘れていない。昔懐かしい同級生だということはよく分かるのだが、片山ちょうという名が思い出せないのだ。松井かずがきょとんとしていると、片山ちょうは面白そうに笑って言った。

「かずちゃん、本当に、浦島太郎になってしまったのね」

言われて、松井かずは、自分は本当に浦島太郎だと思った。

「かずちゃん、ずいぶん、若いんね、全然苦労してないじゃない」

別の同級生が言った。

「ああ、そうなの。苦労してないんだよね。鈍感だから何も考えないの」

松井かずはこう答えながら、自分がなぜ若いと言われるのか不思議であった。憧れの祖国にたどりついて、念願がかなった彼女は、夢の世界にいるようであった。町中の人が自分を歓迎している。こんなことは、今までの人生で一度もないことであった。彼女は幸せだった。ふわふわと夢の中を漂うような気分の中にも充実感があった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

第五章 地獄の満州

一体、どうなっているのだろう。この30年の間に、祖国日本では何があったのだろうか。彼女の驚きは尽きることがなかった。彼女は、緊張と興奮に包まれ、旅の疲れも忘れ、また、時の経つのも分からなかった。

 午前3時、彼女の車は、吾妻郡原町に着いた。駅前の山田洋品店、そこが姉の家であった。日本の第一夜は、姉の家である。姉は、中国のことを聞きたがった。松井かずは、日本のことを姉に聞きたがった。それは、お互いに、いくら話しても、またいくら聞いても尽きることがなかった。午前5時ごろ寝て、うとうとする間もなく、7時少し過ぎ、松井かずは早くも揺り起こされた。朝8時に、町の人々が歓迎のために集まることになっていたのである。

 松井かずは、朝日に照らされる町並を見た。太陽の下で、日本で初めて見る光景であった。松井かずは、中国にあって、いつも、頭の中のカンバスに古里のまちを描いていた。一軒一軒の家、小川の流れ、流れに沿ってたつ柿の木や杉の木、町の間をぬう何本かの道、そして、辻の地蔵。今、朝日に照らされて、前の前に広がる景色は、彼女が何度となく頭に描いた光景とは違っていた。彼女がいつも描いていたワラ屋根は一軒もなく、土の道は舗装され、小川の流れもコンクリートの中に埋め込まれていた。ああ、この町もすっかり変わった。彼女は、昔の景色を求めて辺りを見回した。30年の歳月は、この山奥の町まで変えていたのだった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月24日 (金)

人生フル回転「明子さん事件訴訟に。劇団員のがん。また通り魔」

◇上村明子さんの自殺問題は、予想通り訴訟の場に移されることになった。両親は、損害賠償を求めて月内の民事訴訟提起を決めた。賠償が認められるかは、自殺といじめの因果関係の有無にかかる。被告は、市と県になるらしい。やはり、またかという感じを抱く。高商バレー部のいじめ問題が既に訴訟の場で争われているのだ。

 明子さんの自殺といじめの因果関係については、今月9日から第三者委員会の調査が行われている。この委員会がどれだけの調査能力があるか不明だ。調査権限も調査能力もないこのような機関に最も重要なことをあずけること自体が問題ではないか。体のいい責任逃れではないか。

 今回の事件は、発生後の経緯からして必然的に訴訟になった。しかし、訴訟は最後の手段である。訴訟によらずに解決することが教育行政の責任である。

 訴訟は恐らく原告・両親が勝ち賠償金が支払われることになるだろう。それで、世の中は一件落着のように受け止める。本質的な問題は何ら追及されず、時は経ち同じ問題が繰り返される。これがこれ迄の全国のパターンである。

 私は、10月2日の県議会で、この種の事件の繰り返しを群馬で食い止めることが、明子さんの死を生かす唯一の道だと訴えた。県教委に対しては、桐生市の第三者委員会の動き、及び、訴訟継続とは別に再発防止のための努力に力を注いで欲しい。

◇私は、ある劇団の顧問をしている。その納会に出た(22日)。顔を合わせた時、劇団員の表情が生き生きしているのが印象的であった。笑いと笑顔の中から意外な事実が現われた。一際元気のいい31歳の劇団員は最近がんで大手術し死の渕から生還したというのだ。現実と虚構の世界をゆき来している人々とはいえ、その元気さと明るさは虚勢とは思えない。

 2人に1人ががんに罹る時代の現象か、がん治療に対する信頼の現れか、あるいは現代の若者の生死観の由か、私は、複雑な思いで若者の姿に見入っていた。

◇7人を殺した秋葉原通り魔の事件が来年は結審する。恐らく死刑だろう。犯人は高校生時代は優等生だった。あれから2年余、また普通の若者が通り魔事件を起した。人生を終わりにしたかったと述べる。若者の生死観はどうなっているのか。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

第五章 地獄の満州

「かず、よく帰ったな」

長男の宣男がかけ寄ってきた。

「かずちゃん、よく・・・」

姉のいくは、目に涙を浮かべ、声をつまらせている。

「かずです。とうとう帰ってきました」

松井かずは、震える声でそう言って、兄と姉の手を握りしめた。空港には、兄、姉、妹、その家族たち9人が出迎えていた。松井かずは、夢を見ているような気持ちで人々の顔を見た。兄と姉の他は、顔を見てもよく分からない。末の妹は、彼女が日本を離れるときは、母の背にあった。あの赤ん坊は、目の前のどの人だろう。彼女は、紹介される一人一人の顔を見ながら、30年の歳月を必死で遡り、その空白を埋めようとしていた。

 松井かずを乗せて、車は空港を離れ、夜の東京を走り出した。窓の外に展開される光景は、彼女の想像をはるかに超えていた。近代的な高層ビルが立ち並び、ビルの窓はどこも明かりがつき、屋上のネオンと共に街は昼のように輝いている。中国では、滅多に見られないような高級車が、引きも切らず行き交っている。ネオンとビルの明かりと車のライトで、街はまさに火の海のように見えた。松井かずは、言葉を忘れ、ただ見とれるばかりであった。これが、原爆を落とされ、無条件降伏をさせられた日本なのであろうか。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月22日 (水)

人生フル回転「小寺前知事死す。私との関わりと思い出」

◇小寺前知事が亡くなった。21日午前2時45分。70歳と2ヶ月余であった。参院選落選後の心臓手術がうまくいかずドクターヘリで東大病院に運ばれ、その後深刻な状態が続いていたらしい。私とは様々な関わりがあった。知事としての絶頂期とその後の悲運を比べると、人の一生はかくの如きかという思いを抱く。ジェットコースターのような変化に小寺さんの心臓は想像以上の負担を感じていたのではなかろうか。心からお悔やみを申し上げる。以下いくつかの思い出を辿る。

◇平成13年10月、パプアニューギニア慰霊巡拝に小寺さんと出かけた。私は当時副議長であった。その直前9月21日には、ニューヨークであの同時多発テロが起きていた。ニューギニアは12万人の犠牲が出て、そのうち9230名が本県出身者だった。言葉に尽くせぬ戦争の悲惨さを小寺さんと話しあった事が懐かしく思い出される。まだ、県議会との関係が良好の頃で炎暑の下での小寺さんははつらつとしていた。

◇平成17年私が議長となった頃から自民党を中心とした議会と小寺さんは対立するようになった。対立点の一つに議員定数削減問題があった。議会の大筋は6減らして50とする方向であったが、知事は45を提案。議会の自立性を軽視するものとして、私たちは強く反発。膠着状態の中、知事が議長室を訪ね対談。その中には、テレビで私と公開討論をという提案もあったが実現しなかった。知事は世論の支持を信じていたのだろう。

◇平成18年には、ぐんま国際アカデミー問題で激しく対立した。知事は、実質的に「市立」だから助成は出来ないとして譲らない。そこで私は全員協議会を開くことを提案。知事室を訪ねて長く話し合った。その後、伊香保の会合にいた私の携帯に事務局から知事が明朝会いたい旨の電話があった。そんな経緯があって全員協議会が開かれた。ここでは、太田市長と知事がそれぞれ考えを語り食い違う点と打開策の存在が明らかになった。

◇小寺さんは知事5選目に挑戦し敗れた。平成19年7月22日午後10時半過ぎ大澤当確が報じられると、大澤事務所は歓喜に沸いた。翌日の新聞には悄然とした小寺さんの姿があった。

 今年7月には参院選に民主党から出て、落選した。小寺さんのポスターの表情は生気が感じられず心配していた。悲運の人であるが、その評価は歴史が下すだろう。ご冥福を祈る。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月21日 (火)

人生フル回転「新春発表会・夏子の酒。明子さんの自殺は差別だ」

◇新酒発表会に出た(20日)。富士見商工会主催で、酒は「名峰赤城」。富士見のふれあい館は、知事(代理)、県議、市議、伝次平倶楽部の人々などで盛会だった。6名の県議を代表して挨拶ということになった。

 「酒は世界中に存在し、それぞれの国の歴史と伝統に支えられた文化であります。私が日本酒に関心を持つに至ったきっかけは、長編漫画、夏子の酒であります」と、私の話は尾瀬あきらの漫画から始まった。

 今の漫画界は、セックスと暴力が常態となっている観があるが、「夏子の酒」は、物語の筋で読ませる良い作品である。酒造りに青春の情熱を燃やす夏子の姿が、ほのぼのと胸を打つ。この物語を読んで、私は初めて、酒造りを仕切る職人・杜氏(とうじ)のこと、蔵人、酒造りの伝統と歴史などを知ることが出来た。

 私のあいさつは、次のように続く。「機械による大量生産の時代ですが。優れた日本酒は、伝統の技術と人間の心の絆でつくられるものであります。今日の社会にあって、名峰赤城のような地域の伝統の文化を守る意義は誠に大であります。時、あたかも、来年は、名山赤城を観光で売り出すDCの年であります。名峰赤城にも是非一役買っていただきたいと思います」と。

 酒宴を途中で抜け出して、一画にある浴場の湯につかった。裸で共同で湯を楽しむことも日本の伝統文化である。久しぶりに心の洗濯にもなった。

◇上村明子さんの自殺を議会で取り上げてから、地域で時々、意見を聞かれたりする。最近、「差別の問題ではないですか」と鋭く迫る人に会った。その人は、明子さんの住むあたりは昔、被差別の部落があったところだからだという。

 この点、私は考えを異にするが、別の意味で差別がいじめの一因であったに違いないと思うのだ。明子さんの母親はフィリピンだと言われる。私は直接会ったがその容貌は日本人のそれと著しく異なる。この人が授業参観に参加してから明子さんの心を傷つける言葉も多くなったらしい。ウエゴリもその一つだろう。教委は、国際理解教育を高く掲げながら、その実をあげていないことを物語る事実だ。国際理解の基本には、外国語だけでなく外国の異質なものを受け入れることが重要である。途上国を温かく見る視点を教えるべきだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

人生フル回転「八ッ場の会、政権交替を待てない。富士見の県政報告会。明子さんの自殺」

◇「八ッ場ダム推進議連1都5県の会」がダム建設現場に近い「やんば館」で行われた(19日)。やんば館には、来訪者の累計が表示されており、47万3千70人とあった。

 この日の特色は、12日の衆参の国会議員が参加したことであった。2台のバスで現地を視察した後、やんば館で意見交換を行った。私は議事進行役を務めた。何人かの国会議員は政権を奪還してダムを実現すると発言したので、私は政権奪還前に最善を尽して欲しいと訴えた。

◇肌を刺すような寒風の中、富士見地区で初の県政報告会を行った(18日)。夜の公民館ホールはほぼ満員であった。飲食なしの私の話だけの会合に、古い習慣も残るといわれる地区で、果たして人が集まるか大変心配であった。

 長年こういう事をやっているが、人の集まり具合はいつも不安なのである。まして、政治離れが進む昨今である。過日の茨城県の県議選で、ある候補者の会場がガラガラだった光景が頭をよぎった。不安に追われるように要所に電話をかけ準備をした。

ふるさと未来塾の方式が新しい地区では受けているようであった。私の生い立ち、初出馬と初当選の感激に続けて、県政の課題を取り上げた。全部で約40コマ。

 県政の課題では、北関東自動車道の開通、赤城山とその山麓の観光開発、いじめ問題、八ッ場ダムなど、私が11月議会で取り上げたことを中心に話した。熱が入って、私の話し振りはいつしかふるさと塾になっているようであった。

 情報化の時代といわれるが、有権者は、案外、身近な県政の情報に疎(うと)いのである。題材と資料をいかに選び、それをいかに料理して語るかが、ふるさと塾のカギである。

◇今月の「ふるさと未来塾」は、25日(土)の午後7時、いつもの通り市の前橋市総合福祉会館で行われる。今年最後の塾で、来年4月の県議選が終わるまで休みとなる。内容は「今年の重要問題を振り返る」。県政の重要課題、チリ地底からの脱出、はやぶさの快挙なども取り上げる予定だ。

◇桐生の小6の明子さんの自殺は大きな衝撃を与えたが急速に遠ざかりつつある。学級崩壊の中で起きたことだ。学校管理者の管理能力の欠如が死を招いたに違いない。対応のまずさから訴訟になるだろう。同じパターンが繰り返されるのは残念だ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

第五章 地獄の満州

飛行機は、日本の夜の上空にかかった。時々、窓から光が見える。あれが日本の光だ。とうとう日本に来たのだ。松井かずの胸に、過ぎた日のことが浮かぶ。逃避行の中で手をつなぎあって必死で川を渡ったこと、避難所の生活、ロシア兵の姿、撫順炭坑のこと、一つ一つが瞼に焼きついている光景であった。松井かずは、自分が生きていて、今、日本の上空にいることが不思議に思えた。

飛行機は、東京の上空にかかった。窓の外は、光の海に色とりどりのネオンが輝いていた。これが日本なのだろうか。松井かずにとって、それは何とも言えない世界に見えた。飛行機は降下を続け、やがて、ズンと身体に直接伝わる重い震動があって、飛行機は着陸した。<ああ、日本に着いた>車輪が大地をすべる音を聞きながら、松井かずは心の中で叫んだ。

 バスに乗って飛行場の建物に着くと、そこには昼よりも明るい照明の下、広い広い近代的な設備が広がっている。これが、本当に日本なのだろうか。空から見たネオンの光景を思い浮かべながら、松井かずは何度もそう思った。

手続きを済ませて、前方へ進むと、出迎えの人々が集まっている。松井かずは、手に持つ荷物の重さも忘れ、浮き立つ思いで人々の所へ走った。彼女の目に“松井かず様歓迎”という横断幕が飛び込んだ。彼女がそちらに向けて走り出すと、一団の人々が手を振っている。

「かずちゃーん」

「かずー」

「ねーちゃん」

それはまぎれもない、30年間夢にまで見て待った肉親の声であった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

第五章 地獄の満州

 昭和48年。この年、秋、石油危機が起こり、日本の高度成長に急ブレーキが掛けられる。この年、中東戦争が始まり、アラブ諸国は、石油を有力な武器に使った。つまり、石油の生産を削減したため、世界の原油価格は暴騰した。日本は、この石油ショックにより折からのインフレに拍車がかかり、経済は深刻な危機に直面した。町からはネオンが消え、NHKは午後11時で放送を終え、ガソリンスタンドでは休日は休業する有様であった。また、石油製品の品不足が起き、人々は、トイレットペーパーや洗剤を求めてスーパーの前に早朝から列をつくった。

 昭和51年、ロッキード事件が問題化し、田中角栄が逮捕される。この年、日本の自動車保有台数は三千万台を突破した。

⑪北京を離れるー翼よ、あれが祖国日本の灯だ。再会―

 これが、松井かずが一時帰国するころの日本の姿であった。松井かずたち里帰りの大勢の人々を乗せて、飛行機は北京空港を離陸した。この日をどんなに待ち望んだことか。この日のことを何度夢に見たことであろうか。彼女は、眼下に次第に遠ざかる中国大陸を万感の思いで見つめていた。

 日本から中国に渡るときは船で丸2日もかかった日本海を、今は、飛行機で3時間かそこらで飛び越してしまう。ここにも、彼女は、30年の時のへだたりと時代の変化を感じた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

人生フル回転「議会最終日。がん対策条例成る。議会の地位向上及びTPPの意見書。」

11月議会が終了した。最終日は盛り沢山のことが議決された。その中で最も重要なことは、群馬県がん対策推進条例の成立である。

 2人に1人ががんに罹り3人に1人ががんで命を落とす時代である。本県でも昨年は5500人ががんで死んだ。従って、がん対策は本県の最大の課題であり、がん条例への取り組みには県議会の強い意志がこめられていた。この条例をつくるために県議会は特別委員会を設けて検討してきた。

 前文は、県民ががんに対して正面から向き合い、互いに支えあいながら、がんに負けないという強い信念を持って、安心して暮らすことが出来る群馬を目指すと高らかに訴える。

 そして、本文各条では、がんの早期発見及びがん医療、緩和ケア、在宅医療の充実、並びにがん登録の推進などを求める。この条例によって群馬のがん対策は大きな成果を上げると信じる。

 大澤知事は、本会議終了後、自民党控室を訪ね、がん条例については、背中を押されたと表現したが、この条例作成は、議会の面目を施すものであった。

◇この議会に於ける注目すべき動きとして、地方議会の力を強め、地方議員の法的位置づけの明確化を求めるための重要な意見書が国に出された。

 地方分権が進む中で地方議会はますます重要になっているが、議会と議員には、それにふさわしい法的地位を与えるべきだというもの。

 主な点は、議会軽視につながる首長の専決処分の見直しや、議長に議会収集権を付与することなどを挙げている。専決処分は、本来議会の議決を得るべきものを緊急性を考慮する等のため例外的に認められるものだ。鹿児島県の阿久根市長は、議会を開かず、専決処分を濫用して大問題となった。招集権については、地方議会は、自らの議会を招集する権限が現在法律上与えられていないのだ。

◇その他の国に対する意見書としては、「子ども手当財源の地方負担に反対する意見書」や「環太平洋経済連携協定(TPP)への対応に関する意見書」などが出された。

 TPPいついては、壊滅的打撃を受けると思われる農業分野において、農業振興、自給率向上に最大限の努力を行うこと及びTPP優先のため、日本の豊かな農村社会の絆や環境を犠牲にしてはならず、悠久なる国土の環境・景観保全に努めることを訴える。国は意見書を真摯に受け止めるべきである。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月16日 (木)

「高齢者虐待の急増。中国への企業進出。自殺対策」

◇県内で高齢者に対する虐待が増えている。昨年度は、過去最多であった。被害者の約9割は加害者と同居。家庭内虐待である。そして、加害者の最多は息子だという。虐待の内訳は「身体的虐待」が最多で「心理的虐待」がそれに続く。県担当課は介護高齢課である。

 同課によれば、施設に於ける職員による虐待も2件確認された。この点は把握できない隠された虐待もあるのではないか。ここで思い出されるのが、東京都特養老人ホーム・さくら苑の職員の性的暴言事件である。職員が聞くに耐えない汚い言葉を浴びせている事実が家族が仕掛けたテープによって明らかにされた。

◇高齢者虐待は深刻な社会問題である。最近の虐待急増は、モラルの低下もさることながら、施設で対応できず、家庭内介護が増え、それが限界に近づいていることを物語る。従って、これは福祉行政の問題でもあるのだ。

◇ある銀行幹部と県内企業の中国進出問題を話した(15日)。企業の海外進出は、県内企業の空洞化と共に、雇用、消費、県税収入の減少を招く。

進出企業自体にとってもリスクを伴う。最近の中国では日本企業に対するストライキや賃上げ闘争が多くなっていることが報じられている。県行政は中国の的確な情報を企業に提供するなどの助力やアドバイスをなすべきだ。

 私の地元の豆腐メーカーの相模屋も瀋陽に豆腐工場を建設中である。その他県内企業の瀋陽進出が続く。眼鏡チェーンのジェイアイエヌ、ヤマダ電機、上越印刷などだ。

 瀋陽は遼寧省の省都で中国東北地区最大の都市である。かつて、日本は中国東北部に侵進し満州国をつくり多くの国民が移住した。日本は国際的な非難を浴び転落の軌跡をたどった。今、中国経済が怒涛の如く発展し東北部の躍進も目覚しい。かつての満州の大草原は一大消費地に変わりつつある。日本の中小企業が続々とそこへ進出する姿に歴史の面白さと共に無気味さを感じる。

◇12歳の少女上村明子さんの自殺は特別の意味を持つが、毎年3万人以上の自殺が長く続くこと自体異状という他はない。地方自治体は対策をその責務として受け止めねばならない。

 神奈川県平塚市は、平成20年平塚市民のこころと命を守る条例をつくり、東京都日野市は今度、自殺対策推進条例を成立させた。これらは、市民がともに支えあうまちづくりと一体となって自殺対策を進めるべきことを訴えている。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

人生フル回転「県議選で殺人。林健太郎の弔辞。」

◇茨城の県議選で殺人事件が起きた。真相は不明だが報道によれば、計画的に選挙事務所にトラックで突っ込んだもので極めて悪質だ。突入後逃げる際に当選者のおじが立ちはだかったのを認識しながらはねた事で、警察は殺人容疑で捜査している。

 日本は成熟社会に入って市民は選挙に慣れたと思われているが、このような事件が起きると、発展途上にある民主主義が未発達な国の選挙を笑えなくなる。犯人は人を殺すことまでは考えていなかったと主張するだろうがそれは通らないだろう。選挙の怨みを暴力で返そうと考える事自体が根本的な誤りである。犯人は、案外、身近で意外な人かも知れない。

◇文芸春秋の最新号は弔辞の特集を載せる。読み手は司馬遼太郎から始まる各界の45人で多彩な顔ぶれだ。芸能人のものでは、タモリが赤塚不二夫へ奉げた「私もあなたの作品の一つです」などがある。

 先ず気づいて読んだのは恩師林健太郎の弔辞である。懐かしさもあって引き込まれるように読んだ。福田恆存への別れの言葉は、歴史学者として的確で、また、広い教養に基づいた深さを感じさせる。林先生は文章の達人なのである。

 久しぶりに林先生の文に接すると在りし日の事が次々に思い出される。私は東大の西洋史で林先生のゼミにいたことが縁でその後の人生で様々なそして不思議なお付き合いをすることになった。私の書斎には、先生の死後、奥様から頂いた先生の多くの書物が並ぶ。

 東大紛争の渦中で活躍された先生はその後東大総長を務めたが、私の県議選出馬に当っては手弁当で県民会館の集会に駆けつけて激励の演説をしてくれた。人柄は地味で講義や演説には際立ったところはないが文章は素晴らしい。私は、2冊の著作で先生に序文を書いて頂いた。今回の弔辞には先生の文章の特質がよく現われている。

◇職業柄というべきか、私はしばしば弔辞を読む。また、人の弔辞に接する。心を打つものもあるし、儀礼的なものもある。弔辞は死者への語りかけであり、最後の対話ともいうべきものだ。稀に心を打つ弔辞に出会う事があると忘れられない。よい弔辞は良い供養である。

 かつて、選挙運動の手段として片はしからワンパターンの弔辞をやっている政治家がいた。美辞麗句を並べ、固有名詞のところを入れ替えるだけの弔辞に棺おけの中の死者は怒っているのではないかと思った事がある。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

人生フル回転「特別委でトイレ問題。前高OB会。茨城県議選」

◇議会も終わりに近づき、13日は特別委員会の日であった。私の所属は、「ググッとぐんま観光推進特別委員会」。この委員会の課題は、唯一、来年のDC(観光キャンペーン)である。名称が長い。既に宣伝費等に1億円以上を投じた。失敗は許されない。私は、交通問題や観光ボランティア等につき質(ただ)した。

 DCに向けた交通問題とは、北関東自動車道の完成によってもの凄い車の流れが新たに出来るが、その一部は赤城の観光に向かうだろう、その時、赤城山頂の駐車場は対応できるのか、また、観光ボランティアとは、高校生や大学生に観光ボランティアとして協力してもらうことが重要で、そのネットワークを作るべきではないか、等であった。

◇この委員会でトイレ問題が議論された。面白いと思ったことは、「訪問者にとって一番初めの観光地はトイレ」という指摘。きれいで、安心安全なトイレの整備は観光客もてなしの基本であることを認識した。

 観光の語源は、「光を観(み)る」で、地域の輝きを見せることだ、そして、その中心はもてなしの心である。県は全国に先がけて「ビジタートイレ」を進めている。きれいなトイレを認証し公表するのである。

◇「前高前中OBの懇親会」がロイヤルホテルで行われた(13)。前橋高校出身の県職、県議の集いである。タイトルには前中の名があるが、参加者はいなくなった。

 一堂に会するとこの課長も前橋高校だったのかと気付いたりして楽しい。県職で前高出身者は500名を超えるというから一大勢力である。

 かつての名物県議菅野さんの姿もあった。私とは選挙事務所を隣接させて激しく争った仲である。世間では当時、桃の木川の対決とか東大対京大の争いなどと言われたものである。挨拶でこの事に触れると笑いが起き菅野さんは頷いていた。

◇内閣支持率が遂に21%となった。このような状況下で行われた茨城県の県議選は衝撃的だった。民主党に対する逆風である。ある新人候補の集会は広い会場がガラガラだった。選挙をやる者として候補者の気持ちがよく分かる。泣きたい心境であったろう。この人は大差で落選した。選挙の恐さを実感する。

 私たちの県議選は来年4月である。その時どんな風が吹いているか。風の流れで容易に動く票も民主主義を支える一票である。一票の価値の格差が訴訟で争われている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

人生フル回転「死刑か無罪か。中国全体が監獄。自殺と第三者委」

◇「そんなことってあるんですか」私の事務所の香織さんが言った。死刑が求刑されていたのに無罪が言い渡された事に対する驚きの声なのだ。このように思う人は多かったに違いない。

 老夫婦を殺した強盗殺人容疑に対して検察は71歳の被告に死刑を求め、鹿児島地裁は無罪の判決を下した、死刑求刑の裁判員裁判では初めてという事で注目を集めている。

 被告は否認し直接の証拠はなかった。網戸に付いた細胞片のDNA型とタンスの指紋は被告のものと一致しても、それでは証拠として不十分というのだ。「疑わしきは被告人に有利に」という刑事訴訟の大原則からこういう判決になった。

 裁判員選任から40日目の判決。異例の長さだ。裁判員の心の負担は大変だったであろう。裁判員裁判で死刑が求刑されたのは今回を含め5件。うち3件は死刑で1件は無期懲役だった。地裁前は傍聴券を求めて1278人が並んだ。しかし、90の傍聴席は報道陣で埋まった。不思議な現象である。

◇「広い中国をまとめるには、皇帝が必要なのです」私の友人の中国人のKさんは言った。一党独裁は必要だというのだ。ノーベル平和賞に出席させないために国内で隔離されたり、行動を制限されたりしている活動家は数百人に上り、在米の活動家楊氏は、「中国自体が大きな監獄になった」と表現し、「劉氏の受賞で中国の民主化運動は国際的な承認を受けた」と語った。天安門以来の民主化運動にとって、ノーベル平和賞は絶大なる援軍に違いない。中国政府の強硬姿勢はそれを雄弁に物語っている。

◇上村明子さんの自殺は、今年の本県の重大ニュースの一つである。今開催中の議会でも大きく取り上げられ、私も質問した。行政の対応は遅い。明子さんの死は10月23日だから早くも50日が経過する。この間、いじめの存在を認めるのも時間がかかったが、いじめと死との因果関係に至っては、まだ不明の状態が続いている。明子さんの両親にとって耐え難い毎日であろう。

 このような中、桐生市は8日、「因果関係」を調査する第一回の第三者委員会を開いた。

新井博弁護士が委員長となった事以外は非公開である。この問題は訴訟に発展する可能性がある。世論は急速に冷めているが、再発防止の真の議論はこれからである。「第三者委員会」をガス抜きの装置としてはならない。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

第五章 地獄の満州

このオリンピックを機に、カラーテレビが急速に普及する。また、東海道新幹線の開通は、高速交通時代の幕開けを告げるものであった。高度成長が続くなか、人々は、カラーテレビ、カー、クーラーのいわゆる3Cを求め、これらは新三種の神器とされた。

 昭和43年は、全国の大学で学園闘争が吹き荒れた。私も、東大紛争の渦中にあった年である。この年、日本の国民総生産は、資本主義国の中で世界第二位となる。経済の繁栄と平和の中で人々は消費生活を楽しみ、昭和元禄といわれる世相が出現していた。

 昭和45年には、大阪で日本万国博覧会が開かれた。この万博は、東京オリンピックに続いて、日本経済の繁栄を内外に示すものであった。万博は、世界の77カ国が参加して開かれた。そして、開催期間に入場者数が6千万人を超え、1日平均35万人が詰めかけた。実に、日本の人口の6割強の人が入場したのであった。この万博の盛況ぶりは、日本が戦後の復興を果たし、経済大国となったことを世界に示すものでもあった。

 昭和47年。この年は、戦後の後始末という点で重要な出来ごとがあった。それは、沖縄の返還と日中国交回復である。佐藤内閣の下で念願の沖縄復帰が実現し、続いて、佐藤内閣に代わって、「日本列島改造」をかかげた田中内閣が登場する。この年、田中内閣によって日中国交正常化が実現した。列島改造ブームが起こり、田中角栄の「日本列島改造論」は、発行部数88万部に達した。この動きは地価の暴騰を起こし、当時進んでいたインフレを加速することになった。このようなときに、石油危機・オイルショックが襲う。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

第五章 地獄の満州

私は、帰国を目前にした松井かずの話を聞きながら、終戦直後、赤城山で開墾生活をしていた頃の母の姿を思い出していた。勢多郡宮城村の奥地の人里離れた開拓地で生活していた私たちは、たまに町へ出ることが何よりも嬉しかった。明日は一年ぶりに総社町山王の実家へ帰るという日、母は、農作業をしながら“明日は山王、うれしい”と節をつけて歌っていた。母のはずむ心が、そばにいる私にも伝わってくるのだった。群馬県の奥地から近くの実家へ一年ぶりに帰る母の喜びさえこのように大きい。これと比べたら、松井かずの喜びがどのようなものか、おそらく、それは、私たちの想像を超えるものであったろう。

⑩その頃、日本はー東京オリンピック、オイルショックー

 

 松井かずたちを待つ日本は、その頃、どういう状況にあったであろうか。ごく大ざっぱに、いくつかのポイントを拾ってみる。

 松井かずが祖国日本への一時帰国を果すのは、昭和50年であるが、この年から遡る10年の間に、日本では様々な動きがあった。昭和39年は、私が東大に入った年であるが、私は駒場の構内を歩きながら、かつて日本を支配した最高司令官マッカーサーが、84歳で死去したニュースを読んだ。この年は、東京オリンピックが開かれた年である。そして、秋のオリンピック開催に合わせるように東海道新幹線が完成する。

 東京オリンピックは、アジアで開かれた最初の大会であり、日本が戦後の復興を果たしさらに大きく飛躍している姿を世界にアピールする場面でもあった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月10日 (金)

人生フル回転「ウィキリークスの威力。運転中のケータイ。学校のケータイ制限」

◇内部告発のウェブサイト・ウィキリークスが魔法の怪獣のように荒れ狂っている。組織の代表が逮捕されても、その威力を抑えることは出来ない。公表されて先ず激怒したのは米国だが、つかんでいる米外公文書は25万件で、公表はまだわずか千件とのことだ。

 アメリカが超巨大な権力と超巨大な科学力で集めた情報には何があるのか興味をそそられる。逮捕されたアサンジ代表の「国家の力が強くなり過ぎている」という発言もうなずける。支援者の次の言葉は説得力をもつ。曰く、「われわれは支配者の裏取引を知る権利がある」、「国家が独占している情報を社会に取り戻す運動だ」など。

◇ウィキリークスは、世界各国の秘密情報をつかんでいるから各国は戦々恐々としている。日本関係のものも5千件以上あるといわれる。公表を一番恐れているのは、国民に情報公開しない事を立て前とする中国など一党独裁の非民主主義国だろう。インターネットという超科学の登場によって秘密を保てない時代になってきた。もち論、野放しでよい筈はない。新たな哲学とルール作りが必要なのだ。魔獣を従わせる武器が見出せないのが現状である。

◇運転中、ケータイに手を伸ばしハッとして引っこめる。人間、便利さの誘惑には誠に弱い。習慣を断つには勇気が要る。違反して白バイにつかまった事がある。反則金6千円と1点の減点だった。より恐いのは事故だ。想像するとぞっとする。

 県警によれば、使用中の事故が急増している。09年には2万7千件を越える摘発があった。この違反者の増加が事故の増加の原因になっている。県警は、取締りを強化すると言っている。年末の事故を防ぐためにケータイに伸びる手に警戒しよう。

◇ケータイは文明の利器だが子どもたちへの影響は大きい。四六時中逃れられないと相談に来た母親がいた。ケータイによるいじめも深刻で自殺者も出ている。また、日本のケータイの大きな問題点はインターネットにつながることだ。子どもたちは、有害情報に容易に接続出来る。

◇神戸市の市立校は画期的なルールを始めた。新入生に利用制限のある学校指定のケータイを持たせる。学校が入学時に会社と契約する。有害有料サイトにはフィルタリングがかけられる。大きな制約を生徒は受け入れている。県教委は、参考にして群馬方式を工夫すべきだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

人生フル回転「日米開戦の日。あかつきの失敗。学力向上。ノーベル賞欠席の国々」

◇69年前の12月8日、日本は真珠湾を奇襲攻撃するとともに米英に宣戦を布告し太平洋戦争が始まった。直前の御前会議で軍令部総長は、海軍作戦に関する限り2ヵ年の成算はあるがその後は分からないと述べた。

このような事実、圧倒的な工業力の差など、全て国民には知らされなかった。民主主義とは、情報が開示され政治の透明性が確保される制度である。民主主義の下では起り得ない無謀な戦いであった。

 日本民族は、有史以来最大の犠牲を払って最大の教訓を得た。朝ラジオを入れると、「今日は何の日」をやっている。小学校や中学校は、12月8日は何の日かを教えているか。今の教育は歴史の教訓を活かそうとしていない。県議会でいくら発言しても現場に届いているか疑問だ。

◇あかつきが金星を回る軌道に入ることに失敗した。8日、昼頃、県議会のテレビで知った。宇宙が話題になることは少ない議会であるが、何人かの県議が注目していた。昨夜から気にかけていた。誠に残念。250億円かけた計画が数分のエンジン作動ミスでふいになった。

 あかつきは太陽を回る軌道に乗り6年後に金星に再接近するので、この時、軌道投入に挑戦するという。はやぶさは7年を経て奇跡の帰還を果し目的を遂げた。奇蹟は再び起きるか。失敗は成功の元。失敗を活かすために文科省は予算をつけるべきだ。

◇国際学力調査で日本の学力低下に、歯止めがかかったといわれる。読解力は前回の15位から8位に、科学的応用力は6位から5位に上がった。ゆとり教育はゆるみ教育だったと失敗が指摘されたが、その回復が見られたというのだ。

 しかし、問題点も明らかになった。得点分布で下位層が多いことや経験に結びつけた思考力が弱い点などだ。経済力による教育格差の広がりがかねてから言われている。これは政治の問題でもある。学力向上を定着させるためには学ぶ意欲を養うことが必須である。地方の教育力が問われる。

◇ノーベル平和賞受賞式欠席国は、中国の他19カ国だそうだ。その国名を見るとロシアの他はアジア、中東、北アフリカ、中南米など途上国であり、総じて民主主義が未発達の国々だ。人権と平和に対する国民の関心度の低さを示すものとして興味深い。こういう国々こそ出席して欲しいものだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

人生フル回転「鈴木宗男の涙。ウィキリークス逮捕。あかつきの快挙を」

◇鈴木宗男氏の涙を見た。絶頂期の姿と比較すると天国と地獄。新党大地の旗を掲げて、失地回復を果したかに見えたが、収賄罪などの有罪が確定し議員資格を失った。有罪確定後食道がんが見つかり10月に手術を受けた。本人とすれば泣き面に蜂の思いだろう。

 司法の鉄槌は冷厳で権力者にも容赦しない。これ迄も多くの議員が法網にからめ取られ屈辱の闇に消えた。収監の際は裸にされ、四つばいにされ肛門まで調べられるという。服役期間は約1年5ヵ月。

 人生を振り返る時間は十分過ぎる程有る。鈴木氏はどのように過ごすのか。考えようによっては、有益な時になり得る。仮に私だったら、書を読み物を書く事に使うだろう。62歳で術後であることを考えれば、体力と気力を保持するのは容易ではない。どん底に落ちた人間鈴木宗男の真価が問われる。社会に復帰する時、どのような姿になっているだろうか。

◇国家の重要公文書を公開して世界の政府機関から批判されているウィキリークスの代表が逮捕された。国家という強大な権力に立ち向かい人々の知る権利に奉仕する姿勢には共感も集まっている。しかし、国家の利益を害することも事実だ。そこには、国家と個人という対立構造がある。

 アサンジ代表は、「国家の力が強くなりすぎている。それを弱めたい」と語っていた。この点は民主主義の国と非民主主義の国で大きな差がある。一党独裁の社会主義国などは正に国家の力が強大すぎる。ウィキリークスが人間の自由を求めるのなら、このような政治体制の違いをどう考えるのだろうか。テレビで見る限りこの代表には魅力的要素が感じられる。

◇ノーベル平和賞受賞に対する中国政府の弾圧は、正に強大な国家権力による人権抑圧の典型である。受賞者の劉暁波氏はもとよりその親族も式典に出られない。ナチスドイツに言論の自由を訴えた獄中の平和運動家以来75年ぶりの「受取人のいない式典」になる。中国政府の態度は、人権抑圧の実態を自ら全世界に示すことになり、国内的絞めつけの点でも逆効果を生むに違いない。

◇「暁波」。あかつきの波とは、中国の夜明けを象徴するような名である。日本の「あかつき」は宇宙の夜明けを目指して金星に近づき逆噴射して謎の惑星の周回軌道を探りつつある。「はやぶさ」に次ぐ快挙となることを祈りたい。その成果は測り知れない。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

人生フル回転「卒寿の祝い。議会質問のポイント。宇宙への夢」

◇義母の卒寿の祝いがあった。満90歳を迎えた妻の母は足が弱った他は驚く程若い。ひざ下でひ孫たちがきゃあきゃあと戯れるのを目を細めて嬉しそうに眺める姿がいい。この人が投稿する最近の歌に土に変える日という言葉があった。ひ孫たちは人生の老樹に触れながら生きる力を全身で吸収しているようであった。

◇一般質問の2日目である(6日)。注目された質問項目には、携帯電話のフィルタリング問題、自動車運転代行業の実態と交通事故対策、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に係る本県の農業対策についてなどがあった。

「フィルタリング」は、有害情報から子どもを守ろうとするもの。携帯は単なる電話ではない。インターネットに直結し、子どもは自由に有害度の高い性的情報に接することが出来る。業者の説明不足、親の自覚のなさと勉強不足、対策として条例の改正などが論じられた。議会には、この問題を研究する「ケータイ議連」が出来ている。

 「代行」は安いが危険という実態がある。運転手のマナーの悪さが話題になることもある。県警本部長は取締りや研修をしっかり実行させると対策の決意を示した。

 TPPは第二の開国といわれ、貿易立国日本としては不可避の方向だが、安価な農産物が今以上にどっと入るから農業は壊滅的打撃を受けると心配される。国の農業政策と連動した本県の農業政策の真価が問われる。口に入る農産物の問題は日本人の健康と命にかかわることである。

◇宇宙への夢が急速に広がっている。夢を活かすために理科教育に結びつけるべきだ。「はやぶさ」が持ち帰った微粒子は小惑星「イトカワ」の物と確認された。探査機・はやぶさの製作には群馬の町工場が関わっている。夢は身近な現実と結びついている。そこに目を向ければ夢は勇気を生み次の夢が広がる。

◇八ッ場ダムに関して猛毒のヒ素が問題になったが、このヒ素を食べ、体をつくる生命の存在が明らかになった。科学の常識を覆し生命の定義を変えるかも知れない出来事だ。この事は宇宙の生命の存在の可能性を広げることになる。最近太陽系外の大気や水を持つらしい惑星が相次いで発見されている。生きているうちに、地球外生命の存在が確認される日が来るだろう。そして、その先には知的生命との遭遇の夢がある。こうしている間にも、知的生命へのメッセージを積んだアメリカのロケットが果てしない宇宙空間を飛んでいる。地上の争いが馬鹿らしく見えるこの頃だ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

「師走・県議選・忘年会・中曽根の集い・難民」

◇12月は師走といって、昔から忙しい月とされてきた。一年のしめくくりをし新年の準備をするということは昔から変わらぬ社会の習慣であった。複雑な現代社会では尚更忙しいのは当然だ。更に、今年の師走は選挙が間近という事情が重なって激流に身を置くような感じである。この文を作る時間がよくあるねと言われることがあるが、この短い時間は、私にとって濁流から岸に這い上がって一息つく憩いの時間でもある。

 一晩に忘年会が3つもあることが珍しくない。5日も、はしごで挨拶をして、夕刻6時から始まっている中曽根さんの国政報告会に飛び込んだ。これは、夏の参院選大勝利の祝勝会も兼ねる。商工会議所の大広間は、立食形式に集う人々で満員であった。

 挨拶は短くという司会者の声を耳にしながら私はマイクを握って訴えた。「夏の大勝利を自民党反転攻撃のチャンスにしなければなりません。このチャンスを活かして発展させるために来春の県議選には必ず勝利しなければなりません。皆さん力を貸してください」と。

◇最近、各地で異常な突風が吹き荒れて被害が出た。その後の春のような温かさにも異様な無気味さを感じる。全世界に目を向ければ、地球的規模で気候が狂い出している事を感じる。

 ヨーロッパの異常気象は深刻らしい。北部のポーランドなどでは、記録的な寒波により多くのホームレスが凍死しているといわれる。そして南欧では洪水で数千人が非難している。洪水はインドでも起きている。

◇難民キャンプの報道を見た。その悲惨さに驚き、同じ人間なのにと思ってしまう。異常気象はこの人たちにも容赦なく襲いかかる。難民の人たちはこの冬をどう凌ぐのだろうか。

◇難民をつくる要因は政治である。難民を生む国では国民は政治に参加したくても許されない。日本では若者の政治離れが問題となっているが実にもったいない。命のもとである食べ物を捨てているのと似た現象である。

 政治の貧困によって、大量の難民が正に発生寸前というべき状況が北朝鮮の今日である。経済は既に崩壊している。国民を飢えさせながら核兵器まで持つ狂気の金王朝も崩壊に近づいているのが実態らしい。空母ジョージワシントンを突きつけられて追い詰められている。

 息を呑む瞬間が近づく。その時大量の難民が発生し日本にも押し寄せるだろう。破れかぶれの指導部は日本にテポドンを発射しないとも限らない。日本の政治と国民は対応できるのか。日本の政治の真価が問われる時が来る。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

第五章 地獄の満州

「まるで、手のひらを返すように、周りの人たちの、私たちに対する態度が変わりました。でも、それが本当に嬉しかったです」

松井かずが言うように、地域社会における日本人に対する見方が大きく違ってきた。隣近所や職場で交す中国人の言葉や目つきも、前とは違った温かさが感じられるようになった。彼女は、日陰から日のあたる所に出されたようで嬉しかった。しばらくすると、日本に里帰りする人々の話が、松井かずの村へもニュースとなり噂となって伝わってきた。夫も親戚も、彼女の固い意志を知っていたので、いつかは、彼女がそのことを言い出すであろうと思っていた。

 昭和50年、日中国交正常化より約2年後、待ちに待った日本への里帰りの機会が松井かずに訪れた。彼女の行く手には、中国と日本の双方の政府の協力で、帰国への道が開かれつつあった。もはや、無理をして、夫やその親戚と大喧嘩までして飛び出す必要はなかった。他の中国残留者と共に、一時日本に里帰りして日本の様子を見てきて、夫や子どもたちにそれを説明した上で日本への帰国を果たそう、松井かずは、そう考えて日本へ旅立つ準備にとりかかった。

 松井かずの心は羽が生えたようで、黙っていても笑顔がこぼれた。もう、心は日本へ飛んでいた。松井かずが日本を出てから30年が過ぎようとしている。彼女は、鏡に写る自分の顔を見て、改めて、30年の歳月の長さを思った。この間、日本はどうなっているだろうか。早く日本が見たいという気持と共に、日本がどうなっているか不安でもあった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 4日 (土)

第五章 地獄の満州

 サンフランシスコ対日講話条約締結に際しては、ソ連、中国を含めた全面講和を結ぶべきだと強く主張する国内の意見もあった。その意見を採用せず、アメリカ及びその友好国との間の講和条約に政府が踏み切ったのは、冷戦構造、つまり、米ソの激しい対立があったからである。アメリカは、この講和条約後もソ連、中国から日本やアジアを防衛するために、引き続き日本に軍事基地を設け、強大なアメリカ軍を駐留させた。

 こういう冷戦構造の中で、アメリカと手を結ぶ日本が中国と正常な国交を開くことは困難なことであった。日本は、冷戦構造の中で繰り広げられる米ソの駆け引きに振り回されていたのである。あるとき、日本の対中国外交に影響を与えるできごとが、米中間で起きた。それは、1972年(昭和47年)2月の、ニクソン大統領の北京訪問である。これを機にアメリカと中国の関係が変わり始めたのである。このことは、必然的に日本と中国の関係にも影響することになる。

 日本は、この年7月、佐藤内閣に代わって、田中内閣が誕生した。佐藤内閣も、中国との接触を試みたが、中国は応じなかった。それが、田中内閣が生まれた頃から、米中の関係の変化を反映して中国の態度が変わってきた。田中首相は、北京を訪問。交渉は難航を続けたが、ついに、1972年(昭和47年)9月29日、日中国交樹立の調印が行われた。

 終戦から、実に27年の歳月がたっていた。日中正常化の影響は、直ちに、松井かずたちの身に及んだ。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

人生フル回転「八ッ場ダムが作られる。いじめに対する教育長答弁」

◇本会議一般質問の初日トップの役割を果した。一番力を入れたのは、明子さんの自殺問題であるが、大きな成果を引き出した質問は八ッ場ダムに関するものだった。大澤知事の答弁が終わると議場からは「ダムが作られる」という議員の声が聞かれた。2階の記者席の記者の走る姿が視野の隅にチラッとかかった。この日の全国紙夕刊には早くも記事が載った。私は、県議会八ッ場ダム推進議連の会長として最近のダムをめぐる状況をにらみながら質問に及んだのである。

◇これまで、国交相は、八ッ場の中止を宣言したかと思うと、事実上それを撤回し、その後また中止の方向は変わらないなどと揺れ動いてきた。そして、1都5県知事はダム建設の負担金の支払いを拒んできた。私の質問に対する知事の答弁はこうした状況に対する決定的変化を示すものである。

 「昨晩、1都5県知事と国交大臣との会談が行われ、その場で負担金に応じることが1都5県知事で合意されました」大澤知事は先ず、このよう答弁した。

 地元負担金はダム本体を作ることが目的だからダム中止なら支払えないというのが6知事の言い分だった。大澤知事は、私の質問に更に答えて、「絶対にあってはならないが、万が一ダム建設に至らない場合は、訴訟を含め国の責任を徹底的に追及することを申し入れました」と発言した。国交省は、先ずは、中止に向けた検証ではなく、一切の予断を持たない再検証を早期に実施することを約束した。

◇いじめ問題に関する私の質問に対して知事は、いじめも自殺の要因との見解を示した。また、教育長は、いじめ対策として県としても第三者機関を設置すること、問題発生後の対応や予防のためのサポートチームを作ること、生活指導を専門とする先生の配置計画があることなどを明らかにした。

◇この日の質問では暴力団排除条例についても県警本部長に質問した。6項目の質問の中で3番目に取り上げた。昨年来、この条例作りを主張し、「パブリックコメント」に私の意見を述べて来た経緯があるからだ。

 この条例の眼目は、警察と民間が協力して暴力団に対する利益の供与を絶つ点にある。その効果を上げるためには民間への周知を徹底させる必要がある。県警本部長は、この事について努力すると答えた。利益供与の中には、旅館、ホテル、ゴルフ場などを利用させないことも含まれる。事業者は事情を知った上での利用契約をしてはならないことになった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

人生フル回転「初の死刑判決に控訴。生きる力は自殺を乗りこえる力」

◇裁判員裁判の初の死刑判決に対して弁護団は控訴した(29日付)。池田被告は控訴に反対していたのでどうなるのか注目していた。死刑を言い渡した裁判長自ら控訴を勧めていた点でも特色があった。

 池田被告は、命ごいをする2人を生きたまま電動ノコで切って殺した。裁判長は「余りに残虐で非人道的」と述べた。死刑を下した裁判長が控訴を勧めるのは理解出来ないという意見も私の周辺にはあった。

 池田被告が控訴で見せた態度には人間性を示す部分もあった。判決でも「更生の余地があるとも見られるが、内面の変化は失った人間性をようやく回復したに過ぎず遺族の気持ちは和らがない」とその部分を認めている。しかし、ここで、遺族の処罰感情を重視している点がひっかかる。極刑は、更生の余地がない場合に下されるべきである。遺族の感情を重視し過ぎると、この点を貫けなくなる。裁判長が控訴を勧めたのは、遺族感情を重視し過ぎたことを自ら認めたからではなかろうか。

 控訴を望まない死刑囚が時々いるが、その心情は理解し難い。死に対して、また生に対して淡白なのであろうか。

◇今日は、本会議で上村明子さんの自殺を取り上げるが、少女の心情を思うと胸が痛む。教育の目的は生きる力を身につけさせることと言っているが、生きる力は、自殺を乗り越える力でもある。明子さんの自殺は、学校教育が無力であった事を物語る。

 質問では、その点に触れる事は出来ないが、学校は効果のある道徳教育を実践すべきだ。

◇私の議会の質問を前に友人の元教師が、今回のいじめ問題に関する問題点と感想を書いてきた。学校現場の実態を知る上で重要なことだと思った。いくつかをここで紹介したい。

1、必ず学校で成作しておくべき生徒指導の年間全体計画や年間指導は、キチンと作られ実行されていたのか。

2、校内では教員の資質向上のため如何なる研修や討論や指導がなされていたか。

3、形式だけの児童生徒の観察ではなかったか。

 友人は、このようなポイントを列挙して、次の句を示す。「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」これが子どもを見るときの要諦であると彼は現職校長の時口癖のように言っていたという。今日は、このような事も胸において頑張ろうと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

人生フル回転「議会質問が迫る。連続幼女殺人や事業仕分けも」

◇遂に12月に入った。1年は1年であり、1と月は1と月の筈なのに、歳月が加速して過ぎるように感じられる。世の中が目まぐるしく変化する中で奔流に流されるような生活を送っているせいか。心に焦りを覚え不安にかられることがある。来春の県議選は私にとって一世一代の勝負である。やるべき事、打つべき手は余りに多い。人間的なトラブルが一番胸にこたえる。今日も些細なことで人と争ってしまった。自分の未熟さを痛感する。選挙が初体験であった頃の自分の心を思い出す。絶望感と対峙した時勇気が湧いた。今、小さな勇気が不足している自分を発見する。明日は県政壇上で上村明子さんの死と対面する。面前の課題に全力を尽くそう。

◇2日から始まる一般質問のトップバッターで、私は「いじめ」の外、主に、次のような項目を取り上げる。警察関係では、4月に施行される暴力団排除条例及び、未解決重要事件の捜査について取り上げる。

未解決事件の中には太田市のパチンコ店から失踪した横山ゆかりちゃん事件がある。この事件は、群馬と栃木にまたがる20キロ圏内でおきた多くの幼女に関する事件と共通性をもっており、同一の犯人ではないかという疑いも持たれている。そこで、ゆかりちゃん事件については、栃木県警と協力すべきではないかと質問するつもりである。

◇行政改革では事業仕分けを取り上げる。今年の2月議会で私は本県も事業仕分けを実施すべきだと提案した。県は、今年、その一歩を踏み出したが、今後の課題として、公開にすべきこと、議員も検討メンバーに加えるべきこと等を主張するつもりだ。

◇新型インフルエンザを取り上げる。今年3月頃、ぶた由来の「新型」は終息したとされるが過去の例を見ると復活の危険もある。また、従来恐れられてきた鳥インフルエンザ由来の「新型」発生の危険は高まっているにもかかわらず関心は低い。これらの対策を問うつもりだ。

 その他、正念場を迎えた八ツ場問題、DCを成功させるための課題などを質問する。

 一問一答形式になってから時間配分が難しくなった。メリハリをつけるなど工夫しなければならない。

◇強毒性の鳥インフルが島根県で発生し、ニワトリの殺処分、移動制限が始まり、政府は対策本部を設置した。ホンコンでは、先日、鳥インフルが人に感染したと報じられた。変異して人から人へとなれば「新型」である。今回の鳥インフルは「新型」の前兆なのか。私は議会で警鐘を鳴らしたい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »