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2010年11月30日 (火)

人生フル回転「11月議会始まる。政経セミナーの壇上に立つ」

◇超過密な1日だった(29日)。朝4時に起床して2日の質問項目を練り、7時半・朝食会、9時半・議員団総会、続いて本会議、その終了後・選対会議、そして、午後4時から政経セミナーの準備にかかり6時からセミナー本番が行われた。

 この間も小さな時間を見つけ、私は、質問項目を整理しそれを通告した。達成感は味わえたが疲れた。このようなスケジュールも普段走り込んでいるためにこなすことが出来るのだと思う。

 私の事務所もこの日は、ボランティアの人たちが集まって朝から大変だった。私の質問を知らせる2千枚のハガキを整えて後援会員に発送したのだ。ハガキに文章を印刷し、パソコンから取り出したシールを貼るという一連の作戦を短時間で敢行した。事務所には、県議選が近づいた事による緊張感が早くも流れている。

◇グリーンドームのサブイベントエリアは満員で久し振りに自民党のパワーを感じさせた。中曽根県連会長と山本一太氏は、最近の参院の状況を語った。今や参院が国会の中心であるかのような雰囲気が伝わる。石原伸晃自民党幹事は国政の現状を憂い政権奪還の決意を訴えた。来賓席には久しぶりに、前衆院議員、尾身、笹川、谷津等各氏の姿もあった。

 この会場のメインイベントは33人の公認候補(予定者)の紹介である。最初に呼ばれた私は壇上に走って一礼し手を振った。満堂の人々の視線を一身に受けると緊張感もひとしおだ。来年4月まで走り通すぞと決意を固めた。

 真下誠治県連幹事長は、党改革の現状を語り、南波和憲選対本部長は選挙戦に臨む決意を述べた。真下氏が語る党政革の中には公認候補の公募制や「政治塾」の実現がある。

◇この日の会場には政治塾のメンバーがいて、一人の若者は、先日の話は面白かったとわたしに声をかけた。27日の、政治塾における私の講義のことである。

 政治塾では、政治家を志した動機や選挙の苦労などを語るよう求められていた。私は、大学を卒業後、司法試験にアタックしながら学習塾をやっている中で妻をがんで奪われたが、その後再婚、一大決心をして人生の方向を転換し裸一貫で県議選に飛び込んだ経緯を語った。

 また、ガリ版で訴えをつくり、太平洋に一人で飛び込んだような不安に駆られながら一軒一軒見知らぬ家を訪ねた事などを話した。政治を志す者に、選挙は甘くないこと、そして、私の政治の原点はこれだという事を話したかった。挫折からはい上がったところが若者に受けたようだ。

 私自身がこの原点に立ち返るときが来たことを、政経セミナーの壇上で強く意識した。

(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年11月29日 (月)

人生フル回転「12月2日、午前10時、いじめ問題演説の予告」

11月議会が始まる(29日)。本会議での質問は122日からで、そのトップバッターは私である。午前10時から65分間群テレが生で放映する。いくつかの質問項目を用意するが最初は、いじめの問題である。県議選を間近かに控えた者として、GTVの放映は有難い。写りに自信のない役者は、行きつけの床屋に予約を申し込んだ。

◇登壇して、いじめ問題の初めの部分で行う演説を考えた。早朝、走りながら構成したものをここで記したい。テレビの画面が語るものは、ほぼ同じものとなるだろう。

 「新里東小の上村明子さんの自殺は、全国民の注目を集めた衝撃的な出来事でした。人の命は地球より重いという言葉があります。その命を自ら絶つ人が毎年3万人以上もいる中で、明子さんの自殺がことさら大きな問題となっているのは、教育の世界で起きた、いじめに関する問題だからであります。

 明子さんの死の背景には、一線を超えないまでも、いじめに苦しむ子どもたちが無数にいるに違いありません。これは正に教育の危機であり、教育の危機は日本の危機に外ありません。

 従って、上村明子さんの自殺は、新里東小だけの問題ではなく、群馬県の教育界の問題であり、かつ日本全体の教育に関する問題であります。また、これは、日本の社会が抱える深刻な病理でもあります。

私は、先日、上村明子さん宅を訪ね、ご両親に会うことが出来ました。明子さんの遺影に手を合わせたとき、12歳の少女の死を身近に実感することが出来ました。ご両親の無念さも伝わってきました。

 二度とこのような問題を起してはなりません。繰り返されるこの種の問題を群馬で食い止めることこそ、明子さんの死を活かす唯一の道であります。そのために私たちは何をなすべきか。それを問うことが、私がここに立った目的であります。具体論に入る前に申し上げたいポイントがあります。先ず、明子さんから出されていたシグナルもキャッチで出来なかった事には、根本的な問題があるのではないでしょうか。次に事件発生後の学校や教育界の対応の底には身内をかばうという構造的な問題があるのではないでしょうか。そして、学校、地域社会、教育行政がかみ合わない背景いは、いつも基本問題にまで掘り下げることなく、現象面の対応に終わっているからではないでしょうか。まず、私は、このような基本的観点を指摘した上で本論に入りたいと思います」こんな具合である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年11月28日 (日)

第五章 地獄の満州

次に、大きな動きが始まるのは、1972年(昭和47年)、日中国交回復が実現したときである。この日日中国交回復によって、凍結されていた中国残留者の帰国問題が再び大きく動き出すのである。しかし、それまでの間に、貴重な歳月が流れた。中国残留者たちは、人生における貴重な年月が過ぎてゆくことを恨めしく思いながらも、どうすることもできなかった。

 松井かずは、日本の政府は、なぜ早く中国政府と交渉して自分たちを日本へ帰してくれないのか、いらだたしく、そして不思議に思った。

⑨遂に日中国交回復。一時帰国の道が。

今から見れば、松井かずたち中国帰国者は国の政策の犠牲となり、また、さまざまな国際政治の波に翻弄されてきたのである。

サンフランシスコ対日講和条約が調印されたのは、1951年(昭和26年)9月8日である。これは、日本が戦争で関わった世界の諸国との間で、戦争の後始末をつけ平和と国交を回復するための条約である。ところが、この条例には、ソ連と中国は含まれなかった。だから、これらの国との国交正常化は、ソ連については1956年(昭和31年)鳩山首相が日ソの国交回復を、また、中国に関しては、1972年(昭和47年)田中内閣が日中国交回復を、それぞれ達成させるのを待たねばならなかったのである。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2010年11月27日 (土)

第五章 地獄の満州

この頃、松井かずたち残留婦人に関して日中間に一つの変化が見られた。正式の国交がない中、民間団体の努力の結果、夫や子供に関する事情で日本に引き揚げることができない女たちのために、一時帰国の道が開かれたのだ。いわゆる、1956年(昭和31年)の天津協定に基づくものであった。

 親切な公安局の役人が松井かずに協力してくれた。松井かずは、夫に話せば反対するにきまっていると思った。だから、明日、家を出発するという日になって、夫に切り出した。側に公安局の者が立ち会っていた。

「明日、日本へ帰らせてもらいます。すぐに戻る一時の帰国です」

松井かずは正座して改まった口調で話し出すと大騒ぎになった。夫は、口を結んだまま一言もしゃべらない。近くの親戚も駆けつけてもうこのまま日本に行って中国には戻らないのかとか、子供はどうするのか、子供を置いてゆくのは薄情なことだとか、喧々ごうごう、部屋は興奮に包まれていた。

「どんなことがあっても帰ります」

松井かずは、石のように動かない。その姿からは、何が何でも日本へ帰りたいという一念が伺えるのであった。しかし、どうしたことか、翌日、大連から予定の船が出ないという報が伝わり、彼女の日本行きは実現しなくなってしまった。船が出ないというのは本当なのか。誰かの策謀なのか。彼女は混乱し途方に暮れたが、どうするとこもできなかった。

 実は、この頃岸首相の中国敵視発言があって、中国側は態度を硬化させ、天津協定に基づく残留婦人の一時帰国も進まなくなってしまった。松井かずも、あるいはその影響を受けたのかもしれない。その後、前記のように文化大革命の動乱に巻き込まれ、緊張の中で、彼女は子供たちと共に生きるために精一杯の生活を続けなければならなかった。

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2010年11月26日 (金)

人生フル回転「少年への死刑判決の衝撃。空母ジョージワシントン黄海へ。群馬の危機管理」

◇裁判員裁判で死刑が問われるケースが続く。今回は3例目、19歳の少年に死刑が下された(1125日)。1例目は、耳かき店で働く女性等2人を殺した被告に検察は死刑を求刑。判決は無期懲役だった(1111日)。2例目は、命ごいをする被害者2人を生きたまま電気ノコで殺害。横浜地裁は遂に死刑を言い渡した(1116日)。

 今月の間に、裁判員裁判に於ける死刑に関する地裁判決が立て続けに3件下されたのだ。3例目の今回は犯行当時18歳の少年に対するものなので、私は特に注目していた。

◇少年に対しては、更生ということが特に重視される。そこで、少年法は、犯行時18歳未満であった者に対しては死刑を科さないことにしている。今回の被告は犯行時18歳であったため死刑が求刑されていたのである。

 1例目、2例目、3例目で裁判員の心の重圧度は、それぞれ異なったであろう。3例目の今回は、2例目で死刑判決が出された事が、裁判員にとっては、死刑判決に向けた心を勇気づける要素になっていたかも知れない。この裁判が死刑求刑の最初のものであったなら少年は無期懲役を言い渡されていた可能性がある。私は、順序に関係なく、今回の少年に対する刑は無期懲役にすべきだったと思う。

◇原子力空母・ジョージワシントンが黄海に向かっている。横須賀を出て行く姿は正に海の要塞である。北朝鮮は、空母が軍事演習で黄海に出向く事自体を挑発と見て、容赦ない次の手を打つと息巻いている。テレビに写る女性アナウンサーの姿は、講談師か浪花節語りのように見える。

 この姿は、北朝鮮の多くの国民の心を鼓舞しているに違いない。画面の背景のマインドコントロールされた人々の姿を想像する。

 国会では、菅総理や閣僚たちの危機対応の甘さが鋭く追及されていた。北朝鮮の行動は異常で不可解である。だから、日本に対する攻撃が皆無とはいえない。という事は、政府ばかりでなく、地方の危機管理も問われることになる。

本県では、群馬県危機管理大網を作り、その中で、武力攻撃などに対応して県民の安心安全を守るため危機管理を推進する方針等が定められている。現在、北朝鮮問題に関し、国の危機管理が国会で熱く議論されているが、国の危機管理と地方の危機管理は一体のものであることを私たちは自覚すべきである。

◇27日(土)、午後1時半より、私は「ぐんま政治塾」の「政治への道」コースで講義を行う。県議を目指した動機、選挙の苦労、日常活動等を語る。場所は県政会館。12月2日は午前10時より議会で一般質問に立つ。群馬テレビ放映。(読者に感謝)

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2010年11月25日 (木)

人生フル回転「北朝鮮の暴挙。後援会幹部の朝食会。明子さんのチョー嬉しいこと」

◇各紙が判で押したように一面横断の見出しで北朝鮮の韓国砲撃を報じている(24日)。24日現在、2人の兵士と2人の民間人が死亡し、住民は山も村も火の海だと語る。北朝鮮は恐いと地域の人が言った。北朝鮮軍部は、黄海に於ける韓国の軍事演習に対抗するもので演習が続けば、ちゅうちょなく無慈悲な打撃を加えると警告した。

 大韓航空機爆破、ラングーン爆弾テロ、最近の韓国哨戒艦撃沈など北朝鮮の異常な行動を考えると、本当に何をするか分からないと思う。軍事を全てに優先させる先軍思想を国是とし、民主的コントロールなどは一切ない追い詰められ孤立した独裁国家である。オバマは激怒し、米国防長官は韓国の防衛に全力を挙げると決意を述べた。

 米国のこの対応は、仮に、日本が攻撃された場合も同様なことが考えられるので興味がもたれる。我々は、日米安保条約の実施の例を目の前にしている。

 それにしれも北朝鮮は不思議な国だ。飢えた国民を顧みない軍事独裁の謀略国家の姿は何百年も昔の専制君主国家の亡霊のようだ。

 私たちは自由や民主主義を当たり前のように思っているが隣国北朝鮮の現実は日本の体制の素晴しさを際立たせる。北朝鮮は自由や民主主義を理解するための生きた教材である。

◇早朝7時半から後援会幹部の会議を行った(24日)。ファミリーレストランで行うのは始めての事。コーヒーなどの飲み物は自由で、和定食が約600円なのだから安い。会費制で行った。

 主要議題は、連合後援会長交替の件。長く務めてくれた会長は、健康上の理由で無理が出来なくなった。挨拶に立った福島さんは、ご自身の状況を説明し、近づく来春の戦いには新会長を先頭に結束して欲しいと訴えた。新会長に決まった宮内市議は厳しい県議選に臨む決意を語り協力を求めた。

 私は退任する福島さんに感謝し、自分の決意と抱負を話し、候補予定者等状況を説明した。その中で、自民党県連は、今日25日から来月5日迄の期間内で候補者を公募することに触れた。我が陣営の緊張感も高まっている。

◇福島金夫県教育長と会って新里東小女児のいじめ自死問題について話し合った。私は、県としての役割を果たすべきだと主張した。

 明子さん宅を訪ね母親から聞いた話を紹介した。「アキが、お母さん、今日はチョー嬉しいことがあった、○○ちゃんが一緒に食べてくれたのと大きな声で話しました」私は、これを聞いて、孤独がいかに明子さんの心を傷つけたことかと思った。(読者に感謝)

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2010年11月24日 (水)

人生フル回転「11月議会で私は、いじめを取り上げる。再び新型に備えよ」

◇22日の自民党県議団総会で、11月議会の質問者と質問順序が決まった。私が初日のトップバッターである。12月2日、午前10時、群馬テレビで生中継される。全部の質問項目はまだ決めてないが、新里東小のいじめと自殺問題は最初の質問項目にしようと決めている。

 先日、上村明子さん宅を捜し当て、遺影を見詰めた時、胸を打つものがあった。議員でこの部屋を訪ねたのは市議が1人であると父親は語った。

 いじめ問題の原点に立ち返って、再発防止のための課題につき議論したいと思う。平成18年頃、子供の自殺が相次ぎ深刻な社会問題となった。文科省は、平成19年、それまでのいじめの定義を変更し「精神的苦痛」をその中心的要素に据えた。きっかけとなったのは福岡県中2いじめ自殺事件であった。言葉により受け付けた精神的苦痛が原因であった。

 この時、群馬県教育委員会は「群馬県教育長緊急アピール」を発表し、その中で、先生方に、いじめ問題を最大の課題として取り組むようにと訴え、このアピールを盛り込んだいじめ問題対策マニュアルを作った(平成19年)

 あれから3年余、いじめの問題が忘れられかけた時、今回の事件が起きた。本県の「いじめ問題対策マニュアル」は有効だったのか。改めて、いじめ問題の原点に立たねばならない気がする。明子さんの死を活かす道は、再発防止のための真の対策を立てることしかない。議会では、このことを議論したい。

◇冬を迎え年末が近づく中で新型インフルエンザが懸念される。過去の例では、下火になったり勢いを盛り返したりという状態が繰り返されている。群馬県でも、大正のスペインかぜではこのような繰り返しの中で、1918から3年間で4454人の死者が出た。

 昨年猛威をふるい多くの死者を出した豚インフル由来の「新型」は終息したといわれているが復活の恐れはないのか。また、豚インフル以前から、秒読みとされていた鳥インフルからの「新型」の恐怖は依然続いているのだ。

 最近、毒性の強い鳥インフルエンザの人への感染が香港で確認された。感染した女性は中国本土の旅行から帰ったばかりという。香港では、鳥インフルに対する警戒レベルを「深刻」に引き上げた。WHOによれば、鳥インフルの死者は、ここ7年で300人以上に達した。今は、鳥から人への段階だが、変異して、人から人へ感染するのが「新型」である。既に「人から人へ」が起きているという情報もある。昨年の豚由来の「新型」の教訓を最大に活かさねばならない。危機管理の警鐘を鳴らしたい。(読者に感謝)

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2010年11月23日 (火)

第五章 地獄の満州

手紙を書き終えて、これが果たして父の元へ届くのか心配であった。群馬県吾妻郡原町、この懐かしい地名の故郷は、瞼に焼きついているあの父や母の姿、そして山や川や田畑の情景と共に、果たして存在するのか、不安と期待のなか、手紙は彼女の手を離れて旅立っていった。

手紙は、今ごろどこを。松井かずの心は、仕事をしながらも、手紙を追って日本のどこかへ飛んでいた。それは、日本海の荒波が打ち寄せる佐渡であり、かつて彼女が日本を離れた新潟港であり、前橋の町並みであり、また、吾妻の山や川や村々であった。

恋人の返事を待つ少女のように、松井かずは父の手紙を待った。ゆっくりとした時の流れがうらめしく思えるほどじらされた後に、彼女は一通の手紙を受け取った。それは、日本からの手紙で、紛れもない、懐かしい父の筆跡であった。

「わあー、とうとう来た」

 松井かずは、思わず大きな声で叫び、手紙を抱きしめていた。手紙には、「長いこと心配していたが、無事であることを知って喜んでいる。こちらも、父、母、兄、姉妹たち、元気でやっている。早く日本に帰ってくるように。皆、かずに会いたがっている」旨書かれていた。長いこと飢えていた肉親の温かさが、行間から伝わってくる。松井かずは、ポロポロと手紙の上に涙を落とした。今までの苦しかったことが思い出された。そして、ああ、生きていてよかったと思った。彼女の心は浮き立つ思いで、今すぐ日本に飛んで帰りたい気持ちであった。

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2010年11月22日 (月)

人生フル回転「上村明子さん宅を訪ね両親と会う。高商バレー部訴訟との共通性。」

11月20日、桐生市新里町の小さなアパートを訪ねた。大通りから路地へ入る角には、「いつでも入れる○○ハイツ」とある。学校でも教えてくれない住所は、交番で聞いてすぐに分かった。夕暮時、アポイントなしの訪問を明子さんのご両親は受け入れてくれた。小さな部屋の祭壇の遺影の前に座る。予期せぬ客に注がれる両親の視線を肌で感じながら手を合わせた。12歳の少女の自死を実感する。

 両親と少し話して、ハッタリやパフォーマンスとは無縁な、社会の底辺で生きる貧しく正直な市民という印象を受けた。日本語が十分でないお母さんの容貌は、授業参観の時、クラスの注目を集めたかもしれない。明子さんを傷つけた言葉の一つに「ウェゴリー」があった。上村の上とゴリラのゴリを合わせた造語だろうと話す人がいる。

 間もなく始まる県議会で取り上げるつもりなので真実を知りたいと語りかける私に心を許したらしく両親は遺品を示しながら、明子さんの事、そして、学校の対応などにつき話してくれた。明子さんが日記や手帳に残したものには注目すべきことがいくつかあった。それらは、いじめと死を結ぶ要因の数々と思えた。

 ここでは、私が強く感じた点を記したい。先ず、この人たちは、現在、学校側(その背景には教育界がある)と対立関係にあるが、まともに渡り合うには余りに力が小さいということだ。学校側は形式上腰を低くして頻繁に弔意を示しに来たりしているが、「小さな存在の人」は、ペースに巻き込まれ、大きな仕掛けにからめ取られてしまうかも知れない。私は哀れな人たちの無念さを感じた。

 父親は担任と一対一で話したかった、反対があっても隠れてでも来るべきではないか、校長と2人で訪問した時、一対一で話したいと言うと校長がそれをさえぎる態度を示し実現できなかった等と振り返る。仲間をかばう組織の通例、責任問題に臆病な管理者の姿、事の重大さと本質をどこまで自覚しているのか疑わしくなる学校関係者の態度、父親サイドの情報のみではあるが、私はこのように感じた。担任の女性の苦悩は大変なものだろう。なぜ勇気を出して上村宅に飛び込まないのだろうか。

 県教育委員会は、勇気と見識と決断を示してほしい。事は、新里東小だけの問題ではない。日本の教育が抱える重大問題なのだから。その時、重要なことは、仲間をかばうという身内の論理を排除することだ。高商バレー部のいじめの時も、学校側と県教委の対応にはこの身内の論理が感じられた。この訴訟の公判で、19日、裁判長は、いじめ放置の責任に言及した。高商バレー部問題と明子さんの問題には共通点がある。全国が注目する今回の事件の対応には、県の教育の未来がかかる。(読者に感謝)

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2010年11月21日 (日)

第五章 地獄の満州

これも、米ソの対立に象徴される世界の冷戦構造に本質的な原因があった。つまり、このような世界の緊張関係の中で、中国政府は、日本の首相の短い発言に対しても微妙な反応を示すことが多かったのである。また、日本の内閣が変わることによって中国政府の態度に変化が生ずることが多かったのである。また、日本の内閣が変わることによって中国政府の態度に変化が生ずることもあった。

 ある時、撫順公安局の役人が、松井かずの所に来て、日本と文通が許される旨を伝えた。

「えー、本当ですか」

彼女は思わず叫んでいた。夢かと疑いたくなる気持ちであった。遠い祖国へ通ずるかすかな一本の糸を見つけた思いであった。彼女は、ときめく思いで両親への手紙を書いた。

「お父さん、お母さん、お元気でしょうか。突然のことで驚かれるでしょうが、かずでございます。中国に来てからもう10年以上がたちました。私は、いま、撫順という所で元気に暮らしています。いつも日本のことを思って生きてきました。お父さん、お母さん、お兄さん、姉さん、みな無事でいるでしょうか。私は、皆さんに会いたくてたまらない気持です。つらいことがずい分ありましたが、日本に帰りたくてこれまで頑張ってきました。中国人と結婚し、子供もできました。夫は撫順の炭坑で働いている真面目な人です。私は今は無事な生活を送っていますが、いつか、どうしても日本に帰りたいと思っています。日本はどうなっているのでしょう。皆さんは、どうなっているのでしょう。どうか、この手紙がお父さんに届きますように。私は神様にお願いしております。お父さん、お母さん、どうか体を大切にして下さい」

手紙を書きながら、父や母の懐かしい顔が浮かんで、涙が流れた。

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2010年11月20日 (土)

第五章 地獄の満州

 男女同権ということで、女性も、男性同様、満20歳以上の者は等しく選挙権を獲得。また、徹底した農地改革によって、農地の9割が実際に農地を耕す農民の手に帰することになって、従来の小作人は地主の支配から解放されて農村の民主化が大きく進んだ。

そして、戦後の日本の発展にとって何よりも重要なことは、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本理念とした日本国憲法が成立したことである。

これら一連の民主的改革によって、国民は束縛から解かれて大きな自由を得た。人々は、封建的な足かせをはずされて行動の自由を得ると共に精神の自由を獲得したのである。このように、自由になった国民の間から爆発的なエネルギーが生まれ、それは、国の再建、経済の復興という国民共通の目的に向って奔流のように動き出したのであった。

松井かずが恐れたように、過去における歴史の常識、そして数千年の間繰り返された民族の興亡の歴史の教えるところによれば、戦いに敗れた民族は、殺されたり奴隷のように扱われたり、徹底的に抑圧されるものであった。ところが、戦争に敗れた日本国民は、かつてない自由を得たのであった。

⑧望郷の念やまず。父の手紙来る。

 ところで、松井かずたち中国残留者に大きな影響を与える日本と中国の関係は、複雑な国際政治の中で激しく揺れ動いていた。例えば、中華人民共和国の成立後、1953年(昭和28年)から、民間レベルの努力が中心となって集団引揚げが再開されていたが、これも、ある時期の日本政府の中国敵視政策のため打ち切られ、その後、日中国交回復が成立する一九七二年(昭和四十七年)まで引揚げの問題は明るい日の目を見ることが出来なかった。

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2010年11月19日 (金)

人生フル回転「柳田、仙谷発言に怒りを。明子さんの死を活かせ」

◇柳田法相の軽率ぶりを見て、この軽さで死刑執行にサインされたらたまらない、と直ちに思った。「二つ覚えておけば」発言である。広島市の国政報告会で、国会答弁は、「個別の事案についてはおこたえを差し控えます」と「法と証拠に基づいて適切にやっております」、この二つで乗り切れるから法相はいいですねと語った。この二つを39回連発したという。

 官邸で「大変軽率だ」と厳重注意され、「身内の会合だったので深く考えずに軽口をたたいてしまった」、「思慮がなかったと心から反省している」と釈明し陳謝した。大臣の舌禍事件は多いが、軽率さと資質のなさを暴露した点で過去に例がない。政治家不信に拍車がかかる。

 18日の参院予算委員会は惨めで情けない大臣たちの姿を国民の前に晒した。柳田法相は、二つの文句は使わなかったが、答えにならない答弁を繰り返し嘲笑を買っていた。

更に驚いた事は、内閣の要である仙谷管房長官の発言。自衛隊のことを「暴力装置」と発言した。恐らく彼の思想の底流にあるものが露呈したに違いない。柳田発言とは異質な軽率さの現れであり、より深刻な確信犯的発言というべきだ。官房長官は「自衛隊の皆様に謝罪します」と述べ発言を撤回した。菅総理は自衛隊のプライドを傷つける事になったと発言した。自衛隊員だけでなく国民のプライドを傷つけたのである。

 現在、中国や北朝鮮関連で、国を守るということが最大の課題となっている時に、「暴力装置」の発言は、政府自らが自衛隊の存在を否定するようなものだ。プライドを傷つけるどころではない。仙谷発言をもっと追及すべきである。内閣支持率は、20%台に急落したが、現在調査すれば更に落ちているだろう。民主党内閣は末期的症状に近づいている。

◇小6の明子さんの自殺に関する学校と教育界の動きはもどかしい。いじめはあったが、因果関係が不明で、それを調査するために第三者による調査委員会を設置するという。この種の委員会に多くを期待することは出来ない。形式的なパフォーマンスになる事を恐れる。

 桐生新里小だけの問題ではない。再発防止が最大の課題なのだから、県は再発防止検討委員会をつくって、掘り下げた議論を展開すべきだ。時が経って世論が冷めて、形式的に幕が閉じられるようなら明子さんの死は活かされない。明子さんの死は、群馬の教育界全体の問題であり、かつ日本の教育界全体の問題である。

 県教育長は、自殺につき、「関係したものすべてに何らかの要因があったのではないか」と語るが、因果関係の存在を示唆する発言と見える。具体的に因果関係を認めた上で次のステップに進むべきだ。(読者に感謝)

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2010年11月18日 (木)

人生フル回転「中国高層ビル火災。はやぶさの果てしない夢を教材に」

◇建設業協会役員、県会議員、県土木事務所が一堂に会して懇談会並びに懇親会を行った(17日)。「コンクリートから人へ」という風潮の中で公共事業の量が減り、不況が重なって、倒産に追い込まれる建設会社は多い。懇談により、この業界が抱える深刻な問題と業界の重要な社会的役割を学んだ。 懇親会に移り、建築技術の質と工事の安全性が話題になり、隣席のある社長は、中国の建築現場の大参事に触れ、日本ではあり得ないことだと語った。 15日、上海の28階の高層住宅で火災が発生し53人が死んだ。上海では、中共建国以来最悪の事故という声が聞かれる。無資格の溶接工事人による火災が原因で工事用の足場伝いに火は上層に燃え広がった。ビルを包んで駆け登る赤い炎と逃げ惑う人々。私は米映画タワーリングインフェルノを直ぐ想像した。 中国で目を見張る光景は天を突くような高層ビルの建設現場である。林立する鉄骨には粗末な木や竹の足場が巨木にからまる蔓草のように付いている。建築基準は、そして災害発生時の安全対策はといつも気になっていた。 人権が尊重されない中国社会の危ない一面を象徴するビル火災である。人権、人間の尊重は土木工事の基礎にもなっている。日本の「森ビル」が中国で高層ビル建設を進めていると聞いた。日本の技術と安全性が存在感を高めるに違いない。 ◇IHI富岡事業所が「はやぶさ」の成果に沸いている。来年3月には富岡市に実物のカプセルが来る。開発事業に携わった森田さんは、カプセルを見た小中学生が技術者を目指してくれれば嬉しいと語る。県教育界は、森田さんの投げたボールを真剣に受け止めるべきだ。 太陽系の中を回るイトカワのような小惑星は、40数億年前の地球などを作った物質の名残だといわれる。かつて、無数の小惑星が万有引力で引き合って合体して大惑星・地球などが出来たからだ。 地球では溶けてしまった物質も火山活動がない小惑星では残っているから、太陽系が生まれた当時のことが分かる。小惑星は、宇宙の化石であり、太陽系の成り立ちを解明する手がかりだ。これまでは小惑星の物質を手に入れる手段がなかったが、日本の技術がそれを可能にした。 世界は宇宙時代に突入し、各国は宇宙技術を競っている。はやぶさの快挙は、サッカーワールドカップ優勝の比ではない。「はやぶさ2」の計画も動き始めた。それは、炭素を多く含む別の小惑星からのサンプル採取を狙う。炭素は、全ての生命体の中心となっている元素。宇宙の生命の起源を探ることにもなる。理科離れが深刻の時、こんな宇宙の夢を理解の教材に使うべきだ。またとないチャンスであ。(読者に感謝)

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2010年11月17日 (水)

人生フル回転「裁判員初の死刑判決。はやぶさの快挙。明子さんの死」

◇命ごいをする被害者2人を生きたまま電気ノコで殺害。被告は中学では生徒会長を務めた。2年間暴力団員だった。離婚し毎月10万円の養育費を送っていた。母親の手紙内容に涙する被告。極刑を求める遺族。このような状況の中で、裁判員たちは、裁判員裁判で初めて死刑を選択。横浜地検は死刑判決を言い渡した(16日)。

 一般市民が立てつづけに死刑求刑の裁判に臨んだ。先日の耳かき店員等殺害では無期懲役を選んだが、今回は遂に死刑を。私は、前回は無期を予想し今回は死刑を予想していた。死刑制度には反対であるが、法律上死刑があり、最高裁判例で支持されている以上、ギリギリの極刑として止むを得ない。

 裁判員たちの苦悩は大変なものだったに違いない。3人が黒い服で裁判に望んだのは喪服のつもりだったのかも知れない。

 法律上認められ合憲とされているとはいえ、矛盾や問題を抱えた制度なので今後立法的解決を含め議論を深めなければならない。例えば、強盗殺人の刑は死刑か無期懲役かで、その中間がない。その差はあまりに大きい。終身刑を設けるべきだ。

◇「はやぶさ」が小惑星・イトカワの物質を持ち帰った事が確認された。世界初の快挙に胸が躍る。イトカワは地球から3億キロ離れた長さ535mの物体。日本から南米のハエを狙うようなものといわれる。この事業は、地球と惑星間の宇宙往復技術の確立に大きく貢献した。

 成功を支えたのは、「コンピューターより高度な町工場の職人技」だと言われる。その町工場の一つに、富岡市の「IHIエアロスペース」がある。県立天文台では9月特別展を聞いた。

 全国民に勇気を与え、全国の子どもたちの夢をかき立てたこの快挙は、この度の「物質確認」により世界の評価を一層高める事になった。

 今年は、暗雲の垂れこめるような世相の中、「はやぶさ」の成功(8月)と2人のノーベル化学賞受賞(10月)は日本人のストレスを一挙に吹き飛ばす出来事であった。

 最大の課題は、これを末来につなげることである。そのために、理科教育を推進させねばならない。今日の理科離れは深刻である。また、「はやぶさ」のような企画に十分な予算をつけることだ。民主党政権下では「はやぶさ」の予算が削られようとしている。

◇小6の明子さんが自殺する日の朝、「学校に行くなら死んだ方がまし」と母親に話していたという。ここに至るまでに相当悩んでいたという事だ。新里東小は、命の大切さを考えさせる特別授業を行うといわれる。なぜもっと早くこのような取り組みをしなかったか悔やまれる。本県教育全体の問題である。(読者に感謝)

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2010年11月16日 (火)

人生フル回転「赤城登山・山は恐い。政治塾。映像流出逮捕せず」

◇自民党県連HPの最新情報として赤城山登山視察、ぐんま政治塾関連が載った。赤城山登山は、12日、姫百合駐車場をスタートして鍋割山頂を目指した。10月実施予定が雨で延期となり今回の実施となった。茂原副知事、県議は山本龍君と私、市議6人など総勢16人。目的は登山道の現状や観光資源としての赤城の魅力などを調査することであった。

 下は春のような陽気であったが山頂では一時天気が急変し、寒気に襲われ、ホカロンを付けたり、タオルを首に巻いたりしてしのいだ。山を甘く見ると大変な事になると実感した。

 山での遭難を想像した時、案内標識の重要さを知った。磨耗して文字が読めないものもある。山の案内板は命綱である。登山道も随所が荒れていた。毎年予算を組んで計画的に修理することを副知事と話し合った。クマ、シカ、イノシシなどの山の住人が気になったが出会わなかった。どこかで我々を見ていることだろうと思った。

 政治塾関連とは、今月27日()に行われる講義の事である。私がトップバッターで講師を務める。県議を目指した動機などを語ることが求められている。政治塾は自民党県連の改革の一環として企画されたもので新進の政治家を育て合わせて現職県議の向上を計ろうとするもの。講演は慣れているが、自民県連の面目がかかっているので初心にかえって若者に語りかけようと思う。私のブログへのアクセスの中に、塾生から講演を期待するとのメッセージがあった。

◇車で大相撲を聞いていたらニュースが入り尖閣映像流出の保安官を逮捕しないと報じた。やはりと思った。非常に多くの人が関心を寄せる成り行きである。

 逮捕せずの理由は、逃亡の可能性が低いこと及び映像の秘密性と重要性がそれほど高くないことである。捜査の結果、映像は多くの人が既に見ていたことが明らかになった。多くの人が閲覧可能であったということは、秘密というに値しないことを意味する。

 最高裁は、かつて、外務省職員の情報漏洩に関する国家公務員法違反事件で、「秘密とは実質的に秘密として保護するに値するもの」という見解を示した。形式的に秘密扱いされているだけでは足らないという事である。沖縄返還に伴う日米間の密約に関する文書であり国民の知る権利に関わる情報であった。

 逮捕せずの背景には、世論の動向がある。最近のある調査によれば、88%の人が衝突事件の映像を政府は公開すべきと答えた。映像の流出が国民の知る権利にこたえた事は否定できないのだ。(読者に感謝)

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2010年11月15日 (月)

人生フル回転「今年も10キロを走る。チリ救出の感動。検察の犯罪」

◇第20回県民マラソンのナンバーが届いた。男子10キロの部の2番(30002)。早朝、時々走っているが、10キロを比較的楽に走ることが出来る。走れる事は私の大切な財産である。第2回の初参加以来、ほぼ毎年50分台をマーク。昨年は57分45秒だった。完走後、秋の空を仰いだ時の達成感は何ともいえない。生きる喜びをかみ締める瞬間である。

 継続は力である。走らないと肉体は老化する。老化は心も萎縮させる。2人に1人ががんにかかる時代である。走れる事を神に感謝する。

◇チリの地底から生還した人々の話題はまだまだ冷めない。人々は死と向き会ったが故に生きる喜びをかみ締めているに違いない。

 私は心を緊張させて何度もブログに書いた。8月5日に落盤があった。その予兆が直前にあったという。岩盤がきしむ異様な音があり人々は地上への脱出を訴えたが認められなかったという。8月22日ドリルが届く。この17日間の苦闘は映画に描くとき大きな山となるだろう。

 落盤直後パニックに陥った人々の中である人は闇の中に舞う白い蝶を見た。それを追って避難所に辿りついたという。カトリックの国である。神に救いを求める心の作用かも知れない。極限の状況に追い込まれた時、信仰の力は大きいに違いない。

 救出に世界が力を合わせた事が奇蹟を生んだ。いち早く救いの穴をあけたのはアメリカのドリル会社であった。ペンシルベニア州の小企業、センターロック社だ。事故から1ヶ月後に到着。その作業はプランBと呼ばれた。10月9日午前8時5分、33日の掘削作業の結果縦穴は貫通した。近づく音を待つ人々は狂喜した。

◇新聞の声欄に恐い投稿「夕張炭坑事故でももしや」が載った。29年前の炭坑事故で59人が閉じ込められた。坑内火災に対し、社長は、「生存の可能性はない」といって注水し坑内を水没させた。家族から「人殺し」の声も出た。チリの奇蹟を見て、あの時も生きていた可能性があったのではないか、今回の救出劇から、生命の尊さ、あきらめないことの大切さを認識したというのだ。正にその通りである。チリの事件で、世界を感動させたのはこの点であった。

◇容疑者を法廷に立たせる側の検事(元)が証拠改ざん容疑の刑事被告人として法廷に立たされる。大阪地検特捜部の前部長らだ。前代未聞で全く信じられない。最大の問題点は証拠改ざんの疑惑をしりながら村木元局長の公判を続けたこと。検事によって、意図的に冤罪が作られることがあると国民は信じてしまう。正義を守る構造体が白アリに侵されている。(読者に感謝)

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2010年11月14日 (日)

第五章 地獄の満州

⑦松井かずが思いを馳せる戦後の日本は。-日本の復興―

1945年、昭和20年の敗戦によって、一時は茫然自失、あるいは、虚脱状態に陥った国民は、各地の混乱が比較的すみやかに収拾される中で、やがて落ち着きを取り戻し、解放感を味わえる状況に入っていった。これは、アメリカ軍の占拠政策が順調に国民に受け入れられていったことの結果であった。そこには、新たに再生日本の主役となって立ち上がろうとする人々の姿が見られた。

 新星日本の出発点に当る、1946年(昭和21年)、1947年(昭和22年)の重要な動きを拾ってみると次のようである。

【1946年】(昭和21年)

○マッカーサーは、民主化の基本的方向として、男女同権、労働者の団結権、教育の自由化、専制の廃止、経済の民主化を打ち出し、経済の民主化としては、特に財閥の解体を指令した。

○濾選挙法改正(婦人の参政権を認める)

天皇、神格を否定し、人間宣言

【1947年】(昭和22年)

○農地改革

○日本国憲法の公布

これらを見ただけでも、物凄い変化、そして松井かずが想像していたのとは逆の方向の変革の流れがとうとうと始まっていたことが分かる。

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2010年11月13日 (土)

第五章 地獄の満州

ちなみに、走資派の頂点にいた劉少奇は逮捕され、全ての地位をとり上げられ、獄中で死んだ。また、もう一方の中心人物鄧小平は、その後返り咲き、中国の最高権力者となって現在資本主義と変わらない経済政策を押し進めている。現代の中国の変化を、毛沢東は天国からどのように見ているのか。

 松井かずにとって、子どもの成長を見守ることは唯一の楽しみであり、心の支えであった。しかし、子どもたちのことに打ち込んでいる間も、祖国日本のことを忘れたことは片時もなかった。いつかは日本に帰るのだという一念から、周りの勧めにもかかわらず中国籍を取得せず、日本国籍を大事に守っていた。

松井かずは、いつも祖国にいる肉親のことを心配していた。群馬県の奥地・吾妻の父や母や兄や妹は無事でいるだろうか。日本は、恐ろしい原子爆弾を落とされて国中が焼かれ、無条件降伏をしたという。父や母は殺され、兄や妹は奴隷にされているかもしれない。彼女は、ソ連兵の恐ろしさを忘れることが出来ない。中国では、その恐ろしいソ連兵も自分の国に帰って行った。しかし、日本は、ソ連兵と同じ白い肌のアメリカ軍に支配されている。いつも大勢のアメリカ兵に支配されている日本の女たちのことを考えると身の毛がよだつような恐ろしい光景が、かつてのソ連兵の姿となって想像されるのだった。

 古来、中国大陸では、民族の興亡が繰り返し行われ、戦いに敗れ支配された民族の過酷な運命を、松井かずは何度も聞かされていた。ああ、日本はどうなっているのであろうか。しかし、たとえどんな惨めな日本であろうと祖国日本に帰りたい、年と共に彼女の祖国への思いは募っていった。

 松井かずたち大陸の民衆にとって、中国は閉ざされた世界であったが、外の世界は急速にそして大きく動いていた。特に、日本の変化は、彼女の想像をはるかに超えて大きかった。

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2010年11月12日 (金)

人生フル回転「日本の危機。死を三度決意した岸信介の気慨」

◇「このままでは日本は駄目になる」。こんな声がどこでも聞かれる。昨日(11日)は、ある経営者が激しい口調で言った。「国のために命をかけるという政治家は全くいなくなった」と。その人はこうも言った。「2世、3世の腰抜けばかりだ。竜馬のようなリーダーが現れれば皆んなついていく」と。

 個性的な人間が現れないのは教育のせいだという話になった。その人は、孫の授業の参観にいったら出歩く子どもに先生は注意出来ない、あんなざまではいじめがあっても抑えられないのは当たり前だ、と怒声を上げていた。

◇文芸春秋の最新号に岸信介のことが載っており感銘を受けた。岸信介は総理としての決意を語る。総理は一国の運命を背負って日本のため国民のためにやらなければならないことは死を賭してやる覚悟を持たなければならない、と。これは岸が安保改定を決意した時のことを振り返った発言である。

 岸信介は、安保改定の時を含め三度死を決意したという。最初は第二次世界大戦下戦況悪化の中で東條総理に全面対決した時である。岸は、日本はサイパンで最後の決戦をし不幸にして敗れたら降伏すべしと進言した。本当に死を決しての行動だったと振り返る。

 二番目はA級戦犯として巣鴨の監獄にいた3年3ヶ月である。毎日絞首刑の不安に怯えていたという。東條元首相等7名が絞首刑になったのだ。岸は、振り返って言う。あの3年3ヶ月は、私のその後の人生に非常な何かを持っている。あれを経験したせいで安保の決議をすることが出来た、と。

 そして、三番目が前記の安保改定の時の心境である。岸は、日本が真に独立するために、米国と対等な安保条約を作ろうと決意した。そのためには日本の力で日本を防衛する力を持たねばならない。そのことを目指す安保改定は、多くの国民の目には軍国主義の復活と写った。33万人の群集が国会に押し寄せた。東大生樺美智子がデモの中で圧死したのもこの時の事である。余談だが岸が命がけで頑張っている時、幼い孫の阿倍晋三(後の総理大臣)は、何も分からず屋敷でアンポハンタイと叫んでいたと言われる。ほほえましい光景が目に浮かぶ。

◇信念のない政治家が批判をうける中、岸元総理の生き方は、今日、改めて注目に値する。安保は遠くなったと思われてきたが、尖閣を巡る中国とのトラブルや暴力と謀略の国北朝鮮との緊張関係の中で、国防という事がさし迫った問題となり、安保が眠りから醒めたように眼前に立ち上がってきた。サンフランシスコ平和条約や安全保障条約の意味を学校できちんと教えなくてはならない。(読者に感謝)

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2010年11月11日 (木)

「尖閣映像流出。2例目の死刑と裁判員。早朝の善光寺を走る。」

◇10日の予算委員会で小泉議員が、尖閣映像流出に関する菅氏の管理責任を追及した。その中で、小泉氏は、海保職員が自ら流出させたことを認めていると発言していた。世界が注目する流出情報の発信場所は、意外にも神戸市内の通称漫画喫茶(インターネットカフェ)とか。国家公務員法の守秘義務違反容疑で警視庁などから事情聴取を受けているのは、43歳の海上保安官である。容疑を認めているらしい。

 これまでもネットカフェはハイテク犯罪の温床といわれてきたが、今回は、高度な政治問題に関わる犯罪に利用された点に特色がある。これを機に野放しに近いネットカフェに対する規則が進むに違いない。平成18年版警察白書は、「安全安心なインターネット社会を目指して」という特集を組んでインターネットの悪用の実態と対策を取り上げている。

 今回の事件で注目される点は海上保安官の犯行の動機である。国家公務員法違反という点は動かし難いとしても、動機如何によっては同情論が集まるだろう。一般に映像を公開すべしという世論が強く、結果として国民の知る権利に奉仕した事になるからだ。ジャーナリズムがどこかから入手して発表した場合なら、大スクープとなり、情報源は固く守られることになったであろう。成行きには大いに関心がもたれる。

◇裁判員裁判でまた死刑が問われる。2例目である。1例目は、去る10月、耳かき営業の女性らを殺した犯人に検察官は死刑を求刑したが裁判員は無期懲役を選んだ。今回も、死刑と向き合う裁判員のストレスは大変だろう。裁判員裁判のスタートとともに、当該の裁判員だけでなく私たちも死刑と体面することになった。死刑制度存続の行方にも関わる問題である。死刑がかえって身近になって存続論が更に力を得るのか廃止の世論が高まるのか私は大いに関心を高めている。

 池田被告は命乞いする被害者の首を電動ノコで切るなどして殺した。検察は「人間のやることとは思えない」、「死刑以外の選択はありえない」と強調している。

◇長野の千曲市を視察した(10日)。長野は現在DCを実施中である。語り部タクシーなど官民一体のもてなしの実態は来年の本県DCのために大いに参考になった。観光推進特別委の県外調査は9日、10日の2日間で行われた。

◇早朝6時過ぎ、ホテルJALシティ長野を出て約1時間走った。身を切る冷気に逆らって、門前まちを駆ける。平凡な古い家のたたずまいも歴史を語りかけている。善光寺の堂内には早くも業をする人々の姿があった。私は、戦国の世の信玄と謙信の戦いを頭に描きながら手を合わせ、来年の県議選の勝利を祈った。(読者に感謝)

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2010年11月10日 (水)

人生フル回転「いじめに対して何故無策なのか。農業は生命線」

◇いじめの反響がますます広がっている。各紙が全国版で一斉に進展ぶりを報じている。「学校がいじめを認めた」、「明子さんは一人で給食を食べていることを泣きながら訴えた」、「父親が担任に何とかして下さいといったのにわかりましたと繰り返すだけ」、「学級崩壊で手がつけられなかった」、「学校は自殺との因果関係は不明といった」。このような表現があふれている。

 もどかしさと怒りを感じる。学級崩壊で、学校の指導力不足で、いじめがあって、こういう状況の中で少女が死んだ。これで十分過ぎるのに、まだ、直接の因果関係の有無をめぐって堂々巡りをしている。学校側は必死で責任逃れをしようとしているように見えてしまう。

 「自殺は予測できず直接的な原因は特定できなかった」と校長は発言した。訴訟の場で黒白をつけるのとは違う。校長の発言に対し敢えて反論すれば、「自殺は予測出来なかった」というが、予測可能性は大いにあったというべきだ。いろいろな材料がありながら気づかなかった鈍感と責任感覚の麻痺こそ問題にしなければならない。

 県教育委員会はかつて、いじめの定義は必要ないとした。いじめの定義がなくていじめをどう見極めるのかと私は迫った。暴力をふるうような目に見える明白ないじめでなく、今回のような難しいケースの基準になる定義が必要である。

 いじめの実態を調査する中で、国は定義を進化させてきた。そして、06年度から、「被害者が精神的な苦痛を感じているもの」ととらえるようになった。子どもにとって精神的苦痛こそ本質的である。今回の明子さんにつき校長は、「精神的苦痛を感じていた」と判断した。

 これまでに、小中学生のいじめを巡る自殺はしばしば起きた。その度ごとに大いに関心が高まり、その後急速に冷め、この冷却期に次の自殺が起きる。今回もそうだ。このような悪いながれを群馬は食い止めて最後にしなければならない。

◇貿易の自由化が進めば食料自給率は更に下がり農業は死ぬと私の支援者の農家は叫んでいる。今政府が進めようとしているTPP(環太平洋経済連携協定)の事である。自由化によって安い農産物がどっと入ってくる。

 貿易立国日本が国際競争に勝ち残っていくためには避けられない流れだと思う。菅総理は平成の開国だと国会で答えた。これが不可避とすれば、日本の農業を守る政策が特に求められる。農業は、国民の命を支え、日本の文化を支える生命線である。黒船に対して農業を守るために地方の役割と使命は大きい。(読者に感謝)

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2010年11月 9日 (火)

人生フル回転「腰抜け外交だ。河野一郎を思い出す。いじめを認めた」

◇内閣支持率が32%に急落し危険水域に近づいた。何度もこのような「急落」を見てきたが、今回の要因は外交の不手際である。菅内閣の外交を74%の人が評価しないと答えている。尖閣や北方領土の問題で大半の国民はやり場のない悔しさを抱いている。中国やロシアに対してこれ程国民感情が燃えるのは近年に例がないことだ。

 しかし、この国民感情も岩盤に支えられたものではないことが誠に残念である。民主党政権の弱腰を中国やロシアは、これが日本国民の実態を現すものと見ているに違いない。国民が軟弱だけに政府の毅然とした外交姿勢が求められるのに、現政権からはその決意が伝わってこない。

◇ここで思い出されるのが故鳩山一郎内閣の下でソ連と激しくわたりあった河野一郎の姿である。ソ連に乗り込んだ河野はブルガーニン首相との漁業交渉では火のような信念をぶつけ、ドンとテーブルを叩くと力余って茶碗が倒れ紅茶がクロスの上に広がった。その気迫が通じたのか、ブルガーニンは、ソ連ではお茶がかえることは縁起のよいことで、あなたとの会談は円滑になるだろうと応じた。難航の漁業条約はかくして調印にこぎつけた。

 その後、河野一郎は鳩山一郎に随行して再び日ソ国交回復の交渉に向かう。日ソ国交回復を実現し最後の抑留者を帰国させることは鳩山一郎の悲願だった。河野はこの時も命がけの激論で交渉にあたった。会談の途中興奮した河野は貧血のため顔面蒼白となりイスから滑り落ちて医師の診断を受けるハプニングもあった。最後にフルシチョフは妥協して、「ハボマイ、シコタンは平和条約発効後に引き渡す」と譲歩した。これらを踏まえ日ソの国交回復は成り瀬島龍三ら最後のシベリア抑留者の帰国も実現する。

 私たちは、現在、ソ連によるシベリア強制抑留、そして北方領土の問題を学校教育できちんと教えるべきだ。さもないと、ロシアに対する怒りも底の浅い表面的なものになってしまう。

 私は、県会議員になって以来、歴史教育の上で近現代史の重要性を常に訴えてきたがいまだ十分に実現されていないのが残念である。

◇桐生小6、上村明子さんに対しいじめがあったことを市教委は認めた。しかし、自殺との因果関係は不明だという。その理由の一つとしてほかの児童にもいじめがあった事をあげているのはおかしい。明子さんに対するいじめが問題なのだから。

 事件が、授業中児童が出歩いたりの学級崩壊の中で起きた点は重大だ。その状況では個々の生徒に目が届かず、また、その状況がいじめを生んだのだろう。この点の学校の責任は大だ。(読者に感謝)

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2010年11月 8日 (月)

人生フル回転「公務員はまちで飲め。小6自殺は教育界の責任」

◇酉の市、チンドン祭り、収穫祭、これらが秋の晴天に恵まれて一斉に行われた(7日)。死に体に近いまちが幾分生きかえったような賑わいであった。県、市の職員の参加する姿も見られた。

 チンドン屋は懐かしい光景である。昔は、前橋の名物、山ちゃんチンドンというのがあった。旗振りの背の低いおじさん、マドロス帽でトランペットを吹くお兄さん、派手な服装で真赤な口紅のお姉さん、列の中央には口上を述べる座長がいた。こんな構成でまちを練り歩くと小さな子どもが後をついて歩く姿が見られたものだ。昔の本物のチンドン屋にはどこか物悲しい影があって私の心をひきつけた。一人一人のメンバーがそこに辿り着くまでの人生の歴史を表現したに違いない。前橋の歴史の一コマである。歴史を踏まえて新しいものを築く事がまちづくりの要だ。

◇祭りに参加している県と市の職員の姿を見て思ったことがある。県、市の職員、国の機関の職員、その他公共団体の職員などがまちで飲んだり食べたりすれば、それだけでも中心市街地はかなり活性化するということだ。

 公務員や団体職員は週に一度、二週に一度でもいい、まちで飲み食いをしてはどうか。まちの方も、公務員等を受け入れるシステムを工夫する。そこには、一般市民も参加して交流出来るようにする。県、市もそれを奨励する。

前橋市は政治都市なのだから、その点を活かしたまち興しを計るべきだ。県市の職員は飲み食いするところを市民に見られたくないのか、中心市街地へくり出さない。萎縮しているといわざるを得ない。県と市の職員が飲み食いの場で交流する。そこに市民も加わる。本音の熱いものがぶつかり合い、新しいエネルギーが生まれる。知事、市長、県議、市議は率先して、中心市街地で飲み食いすることを実行してはどうか。私の粗っぽい提案をたたき台にして欲しい。

◇1月議会が今月29日から始まる。県政の課題は多いが、桐生新里東小の上村明子さんの自殺問題が取り上げられるのは必至だ。全国的な問題になっているのは、この問題がいかに重大かを示す。

 毎年、3万人を超える自殺者が出る社会であるが、この小学生の自殺は教育界の問題として特別の意味がある。学校は、いまだに、もたもたしている。県教育界が一人の少女の命を救えなかった事実を謙虚に受け止めるべきだ。県教委は、過去にいじめ問題におおがかりで取り組んだが、その成果がいかされなかったのではないか。給食で仲良しグループに分ければ、仲間に入れない子が出て傷つけてしまうことにも学校は気付かなかったのか。(読者に感謝)

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2010年11月 7日 (日)

第五章 地獄の満州

走資派とは、字の如く、資本主義の道を歩む者という意味である。中国は、長いこと資本主義の力によって支配されてきた、その資本主義の侵略と戦って社会主義の中国を建てたのに、その建国の精神からはずれる人々が広く浸透し始めた。それは、社会主義のあるべき姿からはずれてゆくことになる。真の社会主義を望む大衆を走資派は抑圧している。この力を一掃しなければ真の社会主義は生まれない。毛沢東は、こう考えた。毛沢東は、党の中央から末端の組織に至るまで根強く存在している劉少奇たち走資派の力を排除し、これに代わる力とは、大衆によって民主的に選ばれ、大衆によって支えられる力である。そのためには、大衆を思う存分立ち上がらせることが必要である。この立ち上がった大衆の力によって、過去数千年の歴史の中で搾取階級が残してきた思想や文化や習慣を排除することによって、真に搾取のない平等な社会が生まれるのだ。毛沢東の思想の中心は、こうだった。このようにして、文化大革命の大号令が発せられ、大衆は立ち上った。その中心となったのが紅衛兵であり、それは、松井かずたちのところへも押し寄せたのである。

資本主義日本は、かつて中国の最大の敵であったから、文化大革命の中で、日本人や日本人とつながりのある者は批判の対象となったのである。文化大革命の動乱は、十年にも及び、その間、松井かずは、日本人であるが故に批判されないよう行動を慎まねばならなかったし、日本人の子ということで5人の子供たちが後ろ指さされぬように緊張した日々を送らねばならなかった。やがて嵐は静まっていったが、その間、月日は矢のように過ぎていった。

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走資派とは、字の如く、資本主義の道を歩む者という意味である。中国は、長いこと資本主義の力によって支配されてきた、その資本主義の侵略と戦って社会主義の中国を建てたのに、その建国の精神からはずれる人々が広く浸透し始めた。それは、社会主義のあるべき姿からはずれてゆくことになる。真の社会主義を望む大衆を走資派は抑圧している。この力を一掃しなければ真の社会主義は生まれない。毛沢東は、こう考えた。毛沢東は、党の中央から末端の組織に至るまで根強く存在している劉少奇たち走資派の力を排除し、これに代わる力とは、大衆によって民主的に選ばれ、大衆によって支えられる力である。そのためには、大衆を思う存分立ち上がらせることが必要である。この立ち上がった大衆の力によって、過去数千年の歴史の中で搾取階級が残してきた思想や文化や習慣を排除することによって、真に搾取のない平等な社会が生まれるのだ。毛沢東の思想の中心は、こうだった。このようにして、文化大革命の大号令が発せられ、大衆は立ち上った。その中心となったのが紅衛兵であり、それは、松井かずたちのところへも押し寄せたのである。

資本主義日本は、かつて中国の最大の敵であったから、文化大革命の中で、日本人や日本人とつながりのある者は批判の対象となったのである。文化大革命の動乱は、十年にも及び、その間、松井かずは、日本人であるが故に批判されないよう行動を慎まねばならなかったし、日本人の子ということで5人の子供たちが後ろ指さされぬように緊張した日々を送らねばならなかった。やがて嵐は静まっていったが、その間、月日は矢のように過ぎていった。

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2010年11月 6日 (土)

第五章 地獄の満州

「誰かが密告するのです。すると、大勢で押しかけてきて、攻撃し、みんなの前で反省させられるのです。そうされたら、普通の人は抵抗できません。主人は無学の人でしたが嘘や曲ったことは大嫌いな人で、私や子供がおかしなことを言われると、相手が誰でも、どんな大勢でも、そんなことはないと強く言い返しました。主人は力も強く、気性の激しい人でしたから、怒ったときの剣幕は大変なもので、みんなが恐れたのです。お陰で私たちは助かりました。日本人の中には、資本主義の手先だと言われ、町中引きまわされた上、長いこと牢屋に閉じ込められた人もいました」

 松井かずたちが巻き込まれた文化大革命とは何か。また、それを引き起こした中国の社会はどうなっていたか。

⑥毛沢東の中共、文化大革命

 1937年、昭和12年に日中全面戦争となり、日本は泥沼の中国戦線に引き込まれていったが、当時、中国では、毛沢東が率いる共産党の軍と蒋介石の国民党軍が対立し、争っていた。両者は、日本と戦うために一時力を合わせるが、日本が敗れた後、再び戦うことになり、中国は内乱が続いた。そして共産軍が勝利を治め、中国を統一した毛沢東は、1949年昭和24年、中華人民共和国の成立を宣言。ここに中国の歴史上初めて社会主義統一国家が生まれたのである。この新しい国家を指導する共産党の内部に、やがて権力抗争が生じ、この抗争の中から、毛沢東が指導する文化大革命が始まった。

1960年代の半ばのことである。毛沢東の政敵は、劉少奇(りゅうしょうき)や鄧小平(とうしょうへい)等、走資派と呼ばれる人々であった。

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2010年11月 5日 (金)

人生フル回転「がんの時代。妻のがん死を振り返る」

◇今や、日本人は2人に1人ががんに罹り、3人に1人ががんで亡くなる時代となった。このことは、がんが全ての人にとって自分の身近な問題であること、及び、がんとの関係で死生観を持つことが避けられないことを意味する。

 がんは国と地方が連携して取り組まねばならない最大の今日的課題である。そこで「がん対策基本法」が施行され、都道府県ごとに「がん対策推進計画」がつくられることになった。本県も「群馬県がん対策推進計画」を作った。本県は更に進んで、県議会が中心となって、「県がん対策推進条例」を作ることになった。11月定例会に議員提案される。

◇最近の新聞社の世論調査によれば、自分が治る見込みのない末期がんだと分かったとき、「知らせてほしい」という人は78%、また、それが家族である場合、「知らせたい」は40%、「知らせたくない」は48%だという。

 これらの数字を見て、私は30年程前の私の体験を振り返り、正に、隔世の感を抱く。その頃がんの告知はタブーであった。

 私はある時、医師に呼ばれ妻が進んだ状態のがんであることを知らされ愕然となった。当時、がんの告知は人の死期を早めると信じられ知らせないのが原則であった。私も知らせまいと決意した。しかし、それは不可能な事であった。

 病気を克服するには、病気と闘う本人の意志が最も重要である。自分ががんであることを知らずにがんと闘うことは不可能だ。医師の側も患者に事実を隠したままでベストを尽くす事は出来ない。この点は、患者を救いたいと願う家族にとっても同じだ。私はこの矛盾に悩み遂に一大決心をする。

◇大がかりながん治療の雰囲気の中で患者は、通常、自分ががんであることに気付く。その上で敢えて告知を求めない心理も理解できる。これは、その患者の性格や死生観にもよることだ。

 妻はクリスチャンであった。一人娘のためにも病気と闘いたい。神の意志であるならそれを受け入れる準備をしたい。事実を知らなければ何も出来ないと、妻は執拗に私に迫った。

 私は妻に告げた。助かるがんだから共に闘おうと。これを機に私は行動を開始した。あらゆることをやろうと決意したのである。医師も承知したので妻の治療環境は変化した。

 京都の大学でインターフェロンが開発されたと聞くやただちに交渉して入手し、丸山ワクチンも打った。ルルドの奇跡の水も飲ませた。しかし、病魔には勝てず妻は40歳で昇天した。

 がんの時代である。どこの病院でも様々なドラマが進行している。医療の進歩は目覚しい。それを活かすための政治と行政の役割は限りなく大きい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年11月 4日 (木)

人生フル回転「70歳にして10キロを征す。オバマと茶事件」

◇70歳10キロを征す。文化の日の敷島公園は澄んだ青空の下、肌を刺す利根の川風が流れていた。県民マラソンは、今や、県民の一大行事となった。

 広い敷島総合グラウンドはいつもの県民スポーツ祭とは違って、雑然として賑やか、そして活気に満ちていた。職場の仲間、家族、友人といった様々なグループがとりどりの動きをしている。

 毎年感じることだが、ここに集まる人々は、それぞれの立場で健康への思いを抱いて集まっているに違いない。2人に1人ががんに罹る時代である。糖尿病で苦しむ人も多い。県民マラソンに集う人々は、スポーツを楽しむことと共に、このような生活習慣病を念頭に置いていることだろうと思われた。

 10キロの部は午前9時40分スタートである。国体道路のスタート地点は、号砲を待つ大群衆がひしめいていた。

 私は、去る10月30日、満70歳を迎えた。古希にして10キロを走れることを幸せに思う。私は例年の10キロ走を体力と気力のバロメーターとしている。昨年の記録は57分45秒であった。

 号砲が鳴ると、群集は関を切ったように一斉に北へ向かう。ほとんどの人が私を追い越していく。カラフルな若い女性の動きは清流を泳ぐ魚のようだ。

 私は呼吸を整えて必死で走る。練習の時と比べて苦しさを感じるのは、より速く走るからだ。マイペースでと思いながらも回りの速さに刺激される。久し振りに自分の限界に挑戦していることを意識する。「スッス、ハッハ」、「スッス、ハッハ」。足が重いのは、朝、風呂に入ったせいか。なんのこれしきのことと、「スッスハッハ、スッスハッハ」。大渡橋の下をくぐると、早くも折り返した先頭が走ってくるのが見えた。自然と足に力が入る。県庁を回り、グリーンドームわきを北上すると、あと1キロの表示が見えた。グラウンドに走り込み終点のラインを踏んだ。頭上には忘れていた美しい秋の空が広がっていた。無上の達成感を味わう。記録は59分55秒。昨年より2分10秒遅い。

◇オバマの民主党が歴史的大敗を喫した。2年前の熱狂が夢のようだ。世論の風で選挙の当落が動く様は日本と同様である。

「茶会」という言葉が踊る。世界史の教科書を再現しているようで面白い。この言葉の元である「ボストン茶事件」は米国が植民地であった頃、本国のイギリスに抵抗する人々がインディアンに扮して東インド会社の茶を海に投棄した事件で独立を導くこととなった。

 オバマの「大きな政府」に反対する人々は、権力の方向を大きくチェンジする旗印としてこの歴史的茶事件を利用した。マスコミも飛びついている。選挙戦もアイディア次第である。(読者に感謝)

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2010年11月 3日 (水)

第五章 地獄の満州

 入学しても、他の仲間との遊びの輪に入らず、一人離れて遊んでいる。しかし、学校の成績は良かった。

 秋栄は、中学生になると、仲間と話すようになったし、よく本を読んだ。厚い本を借りてきて、わき目もふらず読んでいると、時のたつのを忘れてしまう。

「また、本を読んでいたな」

 疲れて帰ってきた父親の食事の用意ができていないときなど、このように怒鳴られることもあった。夜は、電気のコードを下げて深夜まで本を読む。次の日、学校から帰ると、近所の子どもがぞろぞろ集まる。秋栄は、集まった仲間に昨夜の本の話をしてやる。みな、それを楽しみにするようになった。この次女だけは、中学校を卒業すると、その上の専門学校へ進んだ。

 松井かずの子どもたちは、よく勉強したが、特に4人の女の子は成績が良かった。

「長女の春冬は、文化大革命に当たったのでかわいそうでした。当時、娘は中学生でしたが、文化大革命のときは、学校でもあまり勉強をしないで、みな農村にやられ、農作業をさせられたのです。このとき、日本人だということでずい分ひどい目に合った人もいます。その点、うちは、主人が強い人で、私や子供たちを守ってくれました。私は、分化大革命というのは何のことかよく分かりませんでしたが、とにかくひどいものでした。」

 松井かずは、当時のことを感慨深そうに振り返る。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2010年11月 2日 (火)

人生フル回転「裁判員初の死刑。北方領土。尖閣ビデオ。県民マラソン」

◇センセーショナルな出来事が重なる日だった。裁判員が初めて死刑と向きあった判決がなされた。ロシア大統領が北方領土を訪問した。そして、尖閣衝突ビデオの視聴である。今日的重大事件のオンパレードである。ロシアと中国の暴挙には胸のうちのナショナリズムが熱く騒いだ。判決には、裁判員の心中を思い、また死刑と無期の落差の大きさを考えさせられた。

◇耳かき店勤務の女性とその祖母を殺したとされる被告に対して検察側は死刑を求刑した。裁判員裁判で初めての事である。従来の裁判なら死刑の判決が下された公算が大きい。ところが裁判員たちの結論は無期懲役であった。

 検察官は、身勝手かつ自己中心的。犯行は執拗かつ残虐で、計画的だったと林貢二被告の責任を厳しく追及し死刑を求めた。死刑は究極の刑である。裁判員は死刑の重さにたじろぎつつもとことん議論したと思われる。それは、裁判員と裁判官の評議を当初は4日間としていたのに5日間に延長したことからもうかがわれる。一般市民の感覚が無期懲役を決めたのだ。被告は、この一般市民の感覚によって命を救われた。死刑と無期の差は余りに大きいのだ。無期懲役は終身刑ではない。一定期間後に社会に出ることが出来るのだ。今後、裁判員制度の下で死刑の是非が一層議論されることになるだろう。

◇ロシア大統領が北方領土を訪ねたことには、島を返さぬ意思を鮮明にする目的がある。日本が怒りを現す理由はそこにある。北方四島は日本固有の領土であり、ソ連が不法に占領して今日に至っている。

 この問題に対する日本国民の意識は低い。ロシア大統領は、日本人の反応をうかがっていることだろう。尖閣に対する民主党政権の弱腰振りを見て、今回の行動に出たに違いない。北方領土や尖閣諸島に関して日本国民の熱が低いことは、愛国心のなさを示すものだ。

◇尖閣のビデオが国会内で示された。その内容が伝わってくる。巡視船「よなくに」と「みずき」に中国漁船が衝突したシーンだ。巡視船は警笛を鳴らしながら中国語で繰り返し停船命令を出す。船上の人々は、日本海海船のような緊迫感を抱いた事だろう。国会議員からは、「故意にぶつけたのがはっきりわかる」と聞かれたと言う。この証拠により民主党政権の弱腰ぶりと中国の理不尽さが鮮明になった。国を守ることの重大さを突きつけた事件だ。

◇いよいよ、明日は、11月3日。県民マラソンで10キロを走る。練習で10、4キロを走ったが快調だった。マラソンは人生の縮図に似る。孤独や苦痛に耐えることは自分との闘いである。この力で来春の県議選まで走り抜ける。(読者に感謝)

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2010年11月 1日 (月)

人生フル回転「ミステリアスな連続不審死。七つの祝いと小1問題」

◇変死体のうち解剖されないものが非常に多く、事件を見逃がしたり、その後の捜査が難航する例が多いといわれる。今、話題の木嶋容疑者に関する連続不審死もそうだ。

 寺田さんの死亡を警視庁は初め自殺と判断した。再逮捕は1年9ヶ月後の事。この間に千葉や埼玉で木嶋容疑者の知人の不審死が発生した。警視庁の幹部は捜査を尽くしていればその後の不審死は防げたかもしれないと漏らしている。

 小説の中の名探偵が登場したらどう解決するかと興味をそそられる事件だ。寺田隆夫さん(当時53歳)は、木嶋佳苗容疑者と結婚すると姉に話していた。合カギは3本。うち1本の所在が不明。それは母がもっていたものを回収し、木嶋容疑者に渡していた可能性が大きい。婚約者ならそう考えるのが自然だ。

 木嶋容疑者は練炭とコンロを自ら宅配便で郵送し、寺田さんのマンションで自ら受領した疑いがもたれている。受領のサインが木嶋容疑者の筆跡に酷似しているという。木嶋容疑者は寺田さんを睡眠導入剤で眠らせ、その後練炭に着火し部屋にカギをかけ近くのホテルに泊まったと見られている。平然と行動する女の姿を想像すると鬼気迫るものがある。

 不審死は4人。立件は2件。他の2つも千葉県警は捜査しているといわれるが、あるのは状況証拠のみ。つまり証拠はないのだ。今の世の中には、見つからなければ犯罪を犯しても構わないという風潮が広がりつつある。木嶋容疑者がこのような風潮におかされていたとすれば恐ろしい。今後、この種の犯罪が広がる恐れがあるからだ。

◇芳賀地区七つの祝いの集いに出る(30日)。この地区だけが実施している伝統の行事で、来春小学校に入学する児童を祝うものだ。台風接近の悪天候の中、79人中70人が出席した。挨拶に立った私が、「皆さん、こんにちはー」と呼びかけると、「こんにちはー」とチビッコたちは一斉にこたえた。「おじさんは、3つのことを、皆さんに質問します。大きな声で返事が出来るかなー」、「はーい」、こんな調子で、挨拶の場面は始まった。「学校で先生のお話をよく聞ける人ー」「はーい」、「お父さんお母さんのお話をよく聞ける人ー」「はーい」、「おじいちゃん、おばあちゃんのお話しをよく聞ける人」「はーい」。チビッコたちは全員が優等生である。この純粋な子どもたちの行く手に何が待ち受けているのかと思った。

◇こうした子どもたちが入学した後の「小1プロブレム」が全国で問題になっている。授業中に動き回る、全体行動の中で勝手に動くなどだ。環境が急に変わるからだろう。地域、幼稚園、保育所と学校との連携が必要だ。芳賀の「七つの祝い」では、小学校の校長が参加して子どもや親たちに親しく語りかけていた。(読者に感謝)

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