« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月31日 (日)

第五章 地獄の満州

敢えて帰ろうとする者は、仲間に殴られたり、いやみを言われたりして、いろいろなトラブルに巻き込まれ、結局、帰国の船に乗れなかった。松井かずは、望郷の思いに身を焦がしながら子育てと仕事に打ち込むより他になかった。

 松井かずは、昭和22年の男子出産に続いて4人の女の子を産んだ。子供たちは、やがて順番に小学校に入り、中学校へと進んでゆく。彼女は、日本人の女性らしく教育には熱心であった。また、日本人の子供が“日本鬼子(日本人鬼の子)”といっていじめられるのを見ていたので、母親が日本人である我が子がいじめられないように、勉強はしっかりとさせようと思った。そして、自分はいつかきっと祖国日本に帰る、その時は子供たちも連れてゆきたい。日本人は教育熱心で読み書きの出来ない人はいない。言葉は違うが、日本も中国も漢字の国である。だから、中国の教育をしっかりつけておくことが子供たちのためだ。彼女はこう思って、子供の教育に力を入れた。夫の張登光は、自分の名も書けない無学の人であったが、彼女の子育てに反対はしなかった。

 小学校に入るには、簡単なテストがあった。松井かずが大変心配したのは、次女の秋栄の時であった。この子は、目がくりくりとした可愛い子であるが、変わっていた。学校へ入る時期になっても「マー」(お母さん)とか、「パー」(お父さん)とか言うだけで、ほとんど口をきかない。心配して町の医者に診てもらったが、別段身体に悪いところはないという。

 小学校の入学テストの時、小さな子が順に並んで列を作っている。松井かずが心配してじっと見ていると、秋栄は自分の番になったとき、小さな手と口を試験官の耳に近づけて何かを言っている。試験官がほほえみながらうなづいているのが見えた。合格だった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月30日 (土)

第五章 地獄の満州

当時、日本でも男尊女卑の傾向は強かったが、中国の女性蔑視は日本の比ではなく、女性を物のように扱い、金銭で取り引きすることを当然と考えるような社会の習慣があった。

 残留婦人については、その悲惨な生活ぶりをよく聞くが、それも相手の人柄によってずい分異なったであろう。そういう点では、相手が真面目な男であり、親族もきちんとしている家なので、幸せな方であった。

昭和22年7月、松井かずは長男保平を出産。この頃、撫順炭坑に避難していた人々も、どんどん日本へ帰国して行った。中国人と結婚し、子供ができても、彼女の祖国日本への思いは少しも変わらなかった。

彼女は、この頃、夫と共に撫順炭坑で働いていた。炭坑には、石炭の選別、運搬から雑役にいたるいろいろな仕事があった。彼女の仕事は地上のものが多かったが、時には、深い地下の坑道にもぐることもあった。彼女の周りの日本人で、日本へ帰る日が近い人たちの表情は明るかった。長い苦難に耐えたかいがあって、いつも夢にまで見た祖国日本に帰れると思うと、打ち下ろすツルハシも軽く感じられ、自然と笑顔も出るのだった。松井かずは、そういう人たちの様子を見て、自分も何としても日本に帰りたいと思った。

 しかし、松井かずは、撫順炭坑からの帰国組には加えてもらえなかったのだ。それは、炭坑の避難所には避難事務所があって、避難民の名前を管理していたが、彼女は中国人と結婚したために名簿から消されていたからであった。このような者は、彼女の他にもいた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月29日 (金)

人生フル回転「暴力団排除条例遂に公布。三俣事件暴力団員3人の死刑」

◇群馬県暴力団排除条例は、この9月議会で成立し、昨日(28日)公布され、来年4月1日から施行される。この条例の手本となった福岡県の条例に、私がはじめて接したのは、昨年10月、文教警察常任委員会の視察で福岡県警を訪れた時の事であった。福岡県警は、市民に銃口を向ける暴力団・工藤会の撲滅を最大の使命としていた。

 工藤会の実態は衝撃的なものであった。スナックに手榴弾を投げ込む、警察官署に爆弾をしかける、学校で暴力団を非難すると、暴力団の子どもがいて、親が学校に怒鳴り込む等、工藤会は、正に、市民の生活を脅かす存在であった。苦肉の策として福岡県議会は、昨年10月13日、全国初の暴力団排除条例を全会一致で可決させた。私たちの調査は、タイムリーなことに、この直後、10月23日であった。

 暴力団に対する利益供与の禁止等を定めるこの条例は暴力団対策として極めて有効と思われた。私は、視察直後から、議会で、本県もこの条例を作るべきだと主張し県警は調査し本県の実態に促した暴力団排除条例を作りたいと答えた。

 今年2月の定例会における私の再度の質問に対し、県警は、条例制定の方向で作業を進めているとして、アンケート調査の結果、5550人中、75.9%が条例制定に賛成したことを明らかにした。その後、パブリックコメントを実施(私も意見を出した)し、この9月定例会で成立の運びとなった。

交付された県条例の主な内容をあげる。①基本理念として、暴力団排除は、社会全体として暴力団を恐れない、資金提供しない、利用しないことを基本として推進されなければならないと定める。②公の施設を暴力団に利用させない、ホテル、ゴルフ場などの利用契約の禁止(活動を助長する場合である。)③暴力団員に対する金品の供与(用心棒代等)、の禁止、暴力団員が金品を受ける事の禁止。④学校等周辺の団事務所の開設の禁止。この点については、この条例で唯一罰則が定められている。1年以下の懲役又は50万円以下の罰金である。私はパブリックコメントで、罰則の範囲を広げるよう主張した。⑤暴力団事務所に使用される事を知って不動産契約をする事の禁止。

 罰則のない場合も、義務違反に対して、調査、勧告を行い、それに従わない場合に公表する事が出来る等定められている。

◇本県では、暴力団に対する危機意識が薄い。しかし、三俣事件を忘れてはならない。平成15年スナックで暴力団員により民間人を含め4人が殺され、3人が死刑判決を受けている。福岡のようになっては遅いのだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月28日 (木)

人生フル回転「再び明子さんの死を問う。県教委の対応は」

◇桐生市小6の上村明子さんの自殺行為は全国に衝撃を与えている。いじめの事実を認めないのは明子さんの学校で他は全ていじめを前提にして動いている。奇妙な事だ。

 文科相は、いじめはあってはならないと述べ、教育委員会が事実関係を把握し必要な対応をとるよう求めた。県内の市町村教委は、いじめの緊急調査に乗り出す等の対策に乗り出した。

 上村明子さんの告別式が、みどり市の葬儀場で行われた(26日)。校長は「二度とこのようなことを起こさないことを明子さんの前に誓い、全力で取り組みます。天国で見守っていてください」と弔辞を読んだ。

 桐生市教育委員会は緊急の校長会を開き学級ごとのいじめの実態を確認するよう指示した。最も注目されるのは、明子さんがいた桐生新里東小の実態調査であるが、そこには難しい問題が横たわる。心を痛めている児童がいるに違いないからだ。犯人探しになるような調査は避けねばならない。

 告別式の後で、明子さんの父親は「学校側は一日も早くいじめの事実を認め全校児童にしっかり説明してほしい」と述べた。両親の無念さが伝わってくる。いじめの問題に的確に対応するためには、県教委が市町村教委と連携しなければならない。県教育委員会は、迅速に行動すべきではないか。

◇明子さんの死を無駄にしないためには、いじめの実態調査が必要で、その際いじめとは何かが問題となる。

 06年(平成18年)全国でいじめの深刻な問題が起き文科省は、いじめの定義を定めて、実態調査を全国の教委に求めた。本県教委も調査を行ったが、当時の教育長は、いじめの定義は不要だと主張した。私は、いじめの定義がなくていじめを調査できるのかと迫った。現在の県教委は、この点どのように対応するのか。

◇06年に起きた衝撃の事件は先生のいじめによる生徒の自殺だった。福岡県の中2男子の自殺の場合、問題の教諭は、成績優秀な生徒を「あまおう」、悪い生徒を「ジャムにもならず出荷できない」などとイチゴの質でランク付けし、劣荷とされた生徒の心を傷つけていた。文科省は、小渕優子さんをこの事件の調査に派遣した。県教委の調査は、このような動きの中で行われた。それは効果があったのか。県教委は、06年10月の動きを振り返って欲しい。いじめの調査の主目的は、子どもたちのシグナルをいかに的確につかむかにある。県教育界の油断を突いて今回の事件は起きた。県教委がしっかりとした決断と対応をしなければ明子さんの霊に報いることは出来ない。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月27日 (水)

人生フル回転「小6少女自殺が問うもの。元死刑囚教壇に立つ」

◇小6女児が自殺した。伝えられるところからすれば、校長の説明は歯切れが悪い。現場を預かる者としての責任感が伝わってこない。救う事が出来たのではないか。後になって説明会を開いたりして大騒ぎするのは責任逃れのパフォーマンスのように思える。限りなく重い子どもの命を預かるという自覚が校長にあったのか問いたい。私は、この件につき県教育長と意見を交わした。

 自殺したのは、新里東小6年の村上明子さん(12)。父親は、娘が学校でいじめにあっていたと主張している。また、学校に何度も相談した、適切な対応をとってくれればこんなことにならなかった娘を返してほしいと話しているといわれる。

 校長は、父親から相談を受けていたことを認めている。そして、「本人からの相談がなかった」こと、「女児が孤立するような状況で問題と考えていた」ことを認めつつ、「いじめと認識していなかった」と説明した。これらが事実とすればこんな鈍感なことはない。

 学校は、明子さんの異変に気付いてクラスを指導していた。重要なシグナルが出ていたのをなぜ見逃したのか。「本人からの相談がなかった」ことをいじめを認識しない理由としてあげているのも不思議なことだ。

◇明子さんの自殺は、明子さん一個人の問題ではない。現在の学校教育全体に関わる問題としてとらえなければ同様なことがまた起きるだろう。

 明子さんは愛知県からの転校生である。転校生は異分子としてクラスに参加する。そこに多少の摩擦はつきものである。受け入れ側に寛容性がないと子どもは辛い思いをする。変化の激しい社会だから転校生の例は昔より多い筈だ。学校側は普段から異分子を寛容に受け入れることを教えねばならない。これが個を大切にする教育ではないか。

 この事件が投げかけるもう一つの重要なことは、子ども、あるいはその周辺から発するシグナルを学校は敏感に気付いて受け止めねばならないということだ。異変に気付いて指導していながら事実を見抜けなかった点が問題なのだ。「本人からの相談がなかった」などといっているようでは、親から娘を返せと言われても仕方がない。県教委は、この事件を正しく受け止めて、今後の教訓を引き出して欲しい。

◇凄い人がいる。思わずうなった。元死刑囚の大学教師康宗憲さん。韓国の民主化運動に加わり国家転覆の罪で死刑判決。その後釈放され日本に帰国、教壇に立つ。13年の獄中生活が支えという。高い志が胸を打つ。私たちに生きる勇気を与えてくれる。日本の大学では怒れる若者が姿を消した。淋しい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月26日 (火)

人生フル回転「石原知事の憤り。裁判員裁判で死刑求刑。川原湯を見る」

◇久しぶりに吾妻渓谷に入る。酷暑の影響か、11月が近いというのに渓谷の木々は未だ色づいていない。天空に架かる二本の橋・一号橋と二号橋は完成していた。長野原町山村開発センターには多くの報道陣が詰めかけていた。石原都知事以下1都5県の知事等が参加し地元住民との意見交換会が行われた(25日)。私は県議会八ッ場ダム推進議連会長として参加。

 石原都知事は、「間違った政治は恐ろしい。中止とは狂気の沙汰だ、検証しないで中止をきめるとは非常識だ」と憤りを現していた。

 私は次のように発言した。「上田知事は世論が変わったといわれますが、大きな事件で世論はパッと燃え上がってすぐに冷める、八ッ場も同じだと思います、世論を見方につけられるかがカギで今は正念場です。正しい世論を喚起するため八ッ場の必要性を訴える運動を展開するべきです。又、国会議員が国会で真剣に論戦しているようには見えません、この点も問題にすべきです」。拍手が起きた。

◇裁判員裁判が遂に厳しい試練に立ち向かうことになった。検事が死刑を求刑し、裁判員たちはそれを受けて人の生死を決めるという役割を担う事になった。真面目な裁判員なら震える程の心の負担を感じる筈だ。私はしばしこの欄で裁判員制度と死刑の関係を論じてきた。

 林被告は、耳かき店で働く女性とその祖母を殺害した容疑に問われている。検察の弁である・「犯行は自己中心的で、執拗残虐で計画的。死刑は究極の刑であり慎重に検討すべきだが、最大限に考慮しても極刑をもって挑むしかない」。1人の女性裁判員は目に涙をためて、これを聞いた。裁判員制度開始から1年3カ月。初の死刑求刑である。判決は11月11日午前11時である。

◇日本は先進国の中では数少ない死刑大国で国民の80%以上は死刑に賛成している。最大の問題点は誤審の可能性である。過去には、確定した死刑判決が再審でくつがえった例がいくつもある。今回のケースは、殺害の事実を被告は全面的に認めているから、裁判員の仕事は量刑にしぼられる。それにしても大変な心の負担になる。裁判員裁判と死刑が遭遇して、死刑か否かが一般市民の判断に委ねられる。これを機に死刑の是非が大きな議論になるだろう。

◇八ッ場の意見交換会の帰り川原湯温泉街を見た。唯一となったおみやげ店、お福の店に寄ると店主のお婆さんが八ッ場を頼みますと訴えていた。かつては賑やかだった通りも鳴りを潜めて淋しい。営業する旅館は4館のみ。公衆浴場の露天風呂に入ると、隣の若者がこの湯もなくなるのですか淋しいですねと呟いた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

人生フル回転「毒婦の犯罪。元シベリア抑留者の死。デモの変化」

◇昨年の10月から11月にかけ各週刊誌は、「女詐欺師・魔性の婚カツ」、「魔性の女、男性6人死の連鎖」、「毒婦のグロテクス人生」、「木嶋佳苗34歳の正体」などの見出しで、連続不審死事件を競うように書き立て、世の中は大騒ぎだった。最近はすっかり静になったと思っていたら、警視庁は、寺田隆夫さん殺人容疑で近く逮捕の方針を固めたといわれる。既に大出さんの殺人容疑では起訴されている。

 警視庁によると、寺田さんに睡眠薬を飲ませて眠らせ、練炭を燃やして殺害した疑いだという。

◇一連の事件が注目を集めたのは、不美人の女にそんなに簡単に男はだまされるのかという点であった。結婚サイトでは顔のよさより家庭っぽい女性がもてるといわれる。世の中、温かい女性の愛情に飢えている男がいかに多いかということであろうか。

 この35歳の木嶋佳苗という女の周辺では、信じられない程の詐欺と不審死が起き、その中で殺人容疑の逮捕や起訴が2件となった。行く手には死刑判決もあるかも知れない。

 女性の死刑判決といえば、09年4月、あの毒カレー事件の林真須美の死刑が確定した。最高裁は、「無差別大量殺人で、全く落ち度のない4人の命を奪った、反省の態度は見られず責任は極めて重い」として死刑を言い渡した。

 現在の社会の底流にはどろどろとした腐ったものが流れている。それが時々、凶悪事件として地表に流れ出る。林真須美や木嶋佳苗の事件もその例だ。日本の病める状態は深刻である。

◇私の後援会の幹部の鹿沼次男さんが87歳で亡くなり私は弔辞を述べた(24日)。その中で、鹿沼さんが3年間シベリアに強制抑留された事実に触れた。

 鹿沼さんの死が示すように、シベリア抑留の体験者は、その多くが80歳台を迎えこの世から去ろうとしている。60万人が不法に強制抑留され、約6万人が死んだ過酷な事実は、後世に伝えていかなければならない。

 私は弔辞の中で、数年前シベリアのハバロフスクの強制収容所の跡地を訪ねたとき、夏草の中に「友よ静かに眠れ」と書かれた墓標が静かに立っており、祖国に帰れなかった日本人の無念さが伝わってくるようだったと述べた。

◇中国のデモの中に、一党独裁を批判するスローガンが現れたことが報じられた。政府を批判する横断幕には、「多党制を導入せよ」などと書かれている。中国政府が最も恐れている動きだ。反日とは比べものにならない真の愛国のためのスローガンに中国の若者が気付かない筈がないと思っていた。注目したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月24日 (日)

第五章 地獄の満州

自分の運命を左右する重大なことは、正常な状況の下で冷静に判断を下すべきだが、当時の松井かずにそれを期待するのは無理なことであった。

 このようにして、松井かずの新しい生活が始まった。男の一族は山東省の出身だった。山東省の人は気が短いと言われるが、彼女の夫張登光もその例外ではなかった。真面目でまっすぐな男であるが、彼女に手を上げることもあった。言葉がよく通じないこと、価値観など、夫婦の間には幾つもの障碍があったが、なかでも彼女を苦しめたのは、当時の中国の男尊女卑の因襲であったと思われる。

 終戦直後の満州では、混乱の中で、無数のいわゆる残留婦人が生まれた。松井かずもその一人であった。彼女たちが中国人の妻となるきっかけや理由は様々であったが、その背景には、当時の中国の特別な事情があった。

 当時の中国では、嫁をもらう場合には、対価として財貨を提供するという因襲があって、財産のない者は妻を持つことができなかった。だから満州には、貧しくて、一生妻を持てない男が多数存在したのである。彼らが、生死の境をさまよいながら非難してゆく日本の若い女を求めるのは、自然のことであったろう。

 日本人の中には、このような状況を利用して、非難途中の哀れな女を勝手に中国人に売り渡す者も少なくなかったという。自分の知らないうちに、見知らぬ中国人の男に売られていて、無理矢理連れて行かれる女があちらこちらにもいた。撫順炭坑の寮で、松井かずの周辺から消えた女たちも、そのようにして売られていったのかもしれない。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月23日 (土)

第五章 地獄の満州

親戚らしい人が10人ほど待ち受けていた。その中に、松井かずをじっと見ている体の大きな男がいた。部屋のテーブルには、食べ物を盛った皿が幾つも並んでいる。彼女は、この大きな男と並んでテーブルの中央に座らされた。もう、何が行われようとしているか明らかであった。庭に出て結婚の儀式が始まった。庭の隅に置かれた石の所にローソクが2本立てられ、その前で、松井かずは男と並んで立った。親戚の人たちが見守る中、二人は赤い布を頭から掛けられ、石の前にひざまづいて、三回おじぎをした。先輩の中国人が先祖に対する言葉であろう、何かを声高に言った。これで二人は夫婦になったのである。男は、張登光(ちょうとうこう)といった。彼女より六つ年上で、撫順炭坑の坑夫であった。

 家の人は、彼女の手に薬を塗り、また、何やら薬湯を飲ませてくれた。

「死んだら、棺おけくらい買ってやろう」

誰かの声が聞こえた。

 松井かずは、日本が遠ざかってゆく、そして、自分の運命の方向が大きく変わってゆくことを無気力な意識の中で思った。彼女は、無口な男の横顔をちらっと見上げながら、〈今は、売られなければよい。生き延びられればよい。いつかはきっと、この男を裏切って日本に帰るのだ〉と自分に言い聞かせた。

 

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月22日 (金)

人生フル回転「今年も10キロを走る。チリ救出の感動。検察の犯罪」

◇第20回県民マラソンのナンバーが届いた。男子10キロの部の2番(30002)。早朝、時々走っているが、10キロを比較的楽に走ることが出来る。走れる事は私の大切な財産である。第2回の初参加以来、ほぼ毎年50分台をマーク。昨年は57分45秒だった。完走後、秋の空を仰いだ時の達成感は何ともいえない。生きる喜びをかみ締める瞬間である。

 継続は力である。走らないと肉体は老化する。老化は心も萎縮させる。2人に1人ががんにかかる時代である。走れる事を神に感謝する。

◇チリの地底から生還した人々の話題はまだまだ冷めない。人々は死と向き会ったが故に生きる喜びをかみ締めているに違いない。

 私は心を緊張させて何度もブログに書いた。8月5日に落盤があった。その予兆が直前にあったという。岩盤がきしむ異様な音があり人々は地上への脱出を訴えたが認められなかったという。8月22日ドリルが届く。この17日間の苦闘は映画に描くとき大きな山となるだろう。

 落盤直後パニックに陥った人々の中である人は闇の中に舞う白い蝶を見た。それを追って避難所に辿りついたという。カトリックの国である。神に救いを求める心の作用かも知れない。極限の状況に追い込まれた時、信仰の力は大きいに違いない。

 救出に世界が力を合わせた事が奇蹟を生んだ。いち早く救いの穴をあけたのはアメリカのドリル会社であった。ペンシルベニア州の小企業、センターロック社だ。事故から1ヶ月後に到着。その作業はプランBと呼ばれた。10月9日午前8時5分、33日の掘削作業の結果縦穴は貫通した。近づく音を待つ人々は狂喜した。

◇新聞の声欄に恐い投稿「夕張炭坑事故でももしや」が載った。29年前の炭坑事故で59人が閉じ込められた。坑内火災に対し、社長は、「生存の可能性はない」といって注水し坑内を水没させた。家族から「人殺し」の声も出た。チリの奇蹟を見て、あの時も生きていた可能性があったのではないか、今回の救出劇から、生命の尊さ、あきらめないことの大切さを認識したというのだ。正にその通りである。チリの事件で、世界を感動させたのはこの点であった。

◇容疑者を法廷に立たせる側の検事(元)が証拠改ざん容疑の刑事被告人として法廷に立たされる。大阪地検特捜部の前部長らだ。前代未聞で全く信じられない。最大の問題点は証拠改ざんの疑惑をしりながら村木元局長の公判を続けたこと。検事によって、意図的に冤罪が作られることがあると国民は信じてしまう。正義を守る構造体が白アリに侵されている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月21日 (木)

人生フル回転「動物との戦い。窮鳥懐に入れば。モンキードッグ

◇9月議会が幕を閉じた(20日)。この議会では獣害対策がしばしば取り上げられた。山の動物が人里に現われる例が異常に多い。里山の変化、狩師の減少、人間の恐さを知らぬ世代の増加等、原因はいろいろ言われるが、どんぐりなどの木の実が不足して餌に困って下りてくるというのも事実だろう。親子の熊が柿の木に長時間登っている例が報じられたが、彼らの心情を考えると哀れだ。親子は山に帰っていったというが、諺に「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」とある。

◇作物の害、人に対する危害など深刻である。クマに襲われてけがをした例が連日報じられ、農作物の被害は農家がやる気を失う程だ。自衛隊に救いを求めることやオオカミを放つことを検討する自治体もある程、事は深刻なのだ。

サルやクマ対策にモンキードッグやベアドッグを導入している県がある。群馬県も平成18年度から、サルを追い払う犬・モンキードッグを沼田市利根地区や中之条町で導入した。ファミリードッグスクール訓練所で訓練を受けた犬たちである。犬猿の仲という。サルは犬が苦手なのだ。

 ある同僚の県議が昔は犬が放し飼いされていたので動物が近づかなかった、何とか特例は出来ないかと提案していた。この点、県条例は次のようになっている。

「群馬県動物の愛護及び管理に関する条例」の9条は、飼主は、飼い犬を常時係留しておかなければならないとした上で例外を規定する。その一つとして、警察犬、狩猟犬、牧畜犬、及び盲導犬をその目的のために使用する場合はこの限りではないと定める。モンキードッグは「狩猟犬」として扱うのである。

◇年々猟師が減っている事も悩みの種だ。群馬県の平成21年度における狩猟者登録数は4368人である。そして、本県の獣の推定生息数は、イノシシは1万頭超、シカ7600頭、クマは600頭とされている。また、これら動物の捕獲数は、イノシシ5197、シカ2823、クマ136と報告されている。

 山の動物と人間がこのように接触することはかつてない事だ。山の動物たちは、時代の大きな変化に巻き込まれ人間との戦いを余儀なくされている。

◇八ッ場ダムが重大な局面を迎えている。民主党政権が突然中止を表明して1年が経過した。集中豪雨のようなマスコミの報道も静かになったが依然として渦中に放りこまれているのが地元住民である。25日、6都県知事が現地を視察することになった。私は、八ツ場ダム推進議連会長として参加する。私たちの立場はあくまでダム建設を押し進める立場である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月20日 (水)

人生フル回転「中国のデモ、その矛先はやがて政府に」

◇中国内陸部で反日デモが異常な勢いを増している。四川省の成都、綿陽、西省の西安などで発生したデモは、湖北省武漢にも飛び火した。四川省は、三国時代蜀の国があったところ。成都は蜀の都だった。また、08年、北京五輪の直前四川大地震で世界の注目を集めた。西安は、かつての唐の都長安である。20世紀最大の考古学的発見といわれる始皇帝の兵馬傭で名高い。このような地で若者の偏狭なナショナリズムが燃え上がっている。愛国教育の影響だとすれば教育の偉力は凄い。戦前の日本の教育を思わせる。教育は人間の目を開かせるが盲目にもする。「沖縄を開放せよ」、「釣魚島は中国のものだ」などと叫ぶ若者たちは、正に教育によってマインドコントロールされている盲目の姿と見える。

◇デモは、表現の自由を行使する有力な手段である。日本は表現の自由が強く認められている。ただデモは交通秩序と関係するから届出制がとられている。原則は自由なのだ。中国はたてまえと実際が違う国で、憲法では表現の自由を一応認めながら、デモは原則禁止で許可制となっている。政府を批判するデモは絶対に許可しない。今回の若者の反日デモは、政府が黙認しているといわれる。愛国をあおっているから、愛国を叫ぶデモを厳しく抑えられないのだ。

◇中国政府が最も恐れているのは、この若者たちが真に目覚めてその批判のエネルギーが政府に向けられることだ。かつての天安門事件がその典型である。

 真に目覚めるとは、中国が真の大国となるためには国民の政治的自由が認められることと国民が気付くことだ。その時、国民の批判のエネルギーは政府に向けられる。それを天安門事件のように武力で抑えつけることはもはや出来なくなる。

 ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、政府に対して政治的自由を求めて闘った天安門事件のリーダーの一人である。以来、人権活動を続けその結果現在投獄されている。中国の若者たちが真に怒るべき対象は、この事実ではないか。実に下らない、誤った対象にエネルギーを爆発させ世界の笑いの種となっている。中国政府が、反日デモを黙認する背景には、彼らの矛盾をかわす意図があるに違いない。しかし、このようなデモを許すことは、やがて政府に対するデモの土壌をつくるに違いない。

◇今月の「ふるさと塾」(24日土曜日午後7時、市の福祉会館)は「ノーベル賞の歴史」がテーマである。物理学賞には目を見張る興味ある発見が尽きないが、「平和賞」には、人類の社会的進歩の闘士が登場する。マザーテレサ、ダライラマ、アウンサンスーチー、今回の劉暁波など。ブログの読者にも参加して欲しい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月19日 (火)

人生フル回転「聾教育の大きな意義。決算特別委。八ッ場の勉強会

◇県立聾学校創立80周年記念式典で県会議員を代表して挨拶した(17日)。この際、聾、唖、聾教育について認識を深められた事は大きな収穫であった。聾(ろう)は、聴力障害で耳が聞こえないこと。唖(あ)は、言葉を話せないこと。聾が原因で唖になる。唖は辞書では「おし」とある。

 昔、私が子どもの頃、同じ村に唖の人がいた。私をはじめ村の人は「おっち」と呼んでいた。この人は、アー、ウーと声と手まねで真剣に表現しようとし、身をかがめて地面に字を書いて何事かを懸命に伝えようとしていた。幼かった私は真似をして面白がったりしたが今思えば、この人は言葉が不自由なために大変苦労していたのだ。人間にとって言語がいかに重要かが聾学校を訪ねて分かった気がする。

◇私は、昔の体験を思い出しながら次のような挨拶をした。「人間は社会的存在であります。一人で生きることは出来ません。社会生活をおくる上で不可欠な手段が言語であり、言語は人間にとって命の綱ともいうべきものであります。聴力障害者に言語能力を与えることが聾教育の目的であります。従って、聾教育の意義は広い教育分野の中で極めて重要であります。生きる力を育む教育の真価が問われる分野であります」。そして、教育行政がここにもっと光をあて力を入れるべきだと説いた。この広い校舎に、今まで一度も足を運ばなかったことを反省した。

◇決算特別委員会の総括質疑が本会議場で行われた(18日)。注目される質問項目として、収入未済額の対応、社会参加費の有効利用、事業評価、農業技術の振興、認定介護福祉士の処遇等があった。

 「収入未済」の問題は巨額の税の未収に対し、「払えない」と「払わない」を区別してしっかり徴収しないと不公平になるというもの。税に関しては公平という事が重要である。正直者が馬鹿を見るであってはならないのだ。「社会参加費」の制度は平成7年の巨額不適切支出事件に際して創設された。予算の項目がないために旅費などの名目で予算が使われ大問題になった。せっかくの社会参加費が使われていない。県民の意見を聞くために社会参加を積極的に進めようと質問者は主張。「農業」を囲む環境は深刻だ。打開するためには技術力が不可欠なのに技術者が少なくなっている。将来を見据えた基礎研究が必要であるというもの。

◇八ッ場ダム推進議連の勉強会があった(18日)。私は会長である。改めて必要性を検証するといって進まない。現状の説明がなされ、今後の方針として国会議員による推進議連結成を要請することになった。国会議員が本気になっていないと思われる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月18日 (月)

「前女の100周年記念で挨拶・中山恭子氏同席」

◇県民マラソンが近づいた。今年も10キロコースを50分台で走るつもりだ。16日の早朝、芳賀グランドの外周・520mを20周した。走ることは体力ばかりでなく人生の覇気を生む源泉である。

いつも何かを口ずさみながら走る。その中にはケネディ就任演説の英文もある。この朝は、頭の原稿用紙に一文を埋めながら走った。午後、前橋女子高の式典で挨拶する事になっていた。前女の問題をこえる内容なのでここで紹介したいと思う。

 「県立前橋女子高等学校が創立百周年という偉業を達成されました。心からお慶び申し上げます。この百年は、日本の長い歴史の中で、かつてないダイナミックな変化と出来事があった時期です。前女は、時代の試練を乗り越え、時々の社会的使命をよく果しつつ、立派な伝統を築いてまいりました。

 この間における最大の試練は、第二次世界大戦に遭遇したことであります。前橋の大半は焼かれて廃墟になりました。当時の写真を見ると、カトリック教会と桃井小あたりを残して荒涼とした瓦礫の山が広がっています。前女も校舎が焼失し、当時の生徒や関係者が涙ぐましい努力をして新校舎再建を果したといわれます。

 しかし、私が強調したいことは、真の試練は校舎焼失ではないということ事であります。校舎は金を集めれば出来るが、失われた文化や精神的な価値観など目に見えないものは、容易に取り戻すことが出来ません。この変化に立ち向かうことこそ最大の試練でありました。

 敗戦を契機として、大日本帝国憲法にかわり日本国憲法がつくられました。天皇主権にかわり国民主権の誕生であります。新憲法は、人間の尊厳・基本的人権の尊重という人類普遍の理念を高く掲げた素晴しいものでありますが、突然の変化は社会に戸惑いと混乱を生みました。この混乱は今日まで尾を引いていると私は考えています。

 この変化の大波は、わが古里にも押し寄せ、特に教育界を直撃いしました。このような時、大きな役割を果すのが伝統校の存在であります。磐石の伝統は嵐にも耐える力をもっております。前女は、しなやかに、力強くこの変化に対応し乗り越えました。社会の混乱期を支える、優秀な頭脳とハートを備えた女性を伝統の校風によって育てたのであります。以来、前女は、社会の各分野を支える有為な人材を多く輩出させてきました。

 今日、日本は大きな危機を迎えております。その根本は、物は豊になったが、日本人の心は貧しくなったといわれる点にあります。

 このような時に当り、前女が創立百周年記念という事業を行うことには格別な意義があります。前女が、その真価を再び発揮すべき時がきております。この記念事業は、このことを確認し、次の飛躍を期すステップであると思います。

 「賢く、明るく、強く、気高く」という校訓は、時代の変化を貫いて進む前女の永遠の理想を示しております。前女の更なる大きな発展を願い、また、21世紀の「かかあ殿下」を前女の力で実現することを、合わせて願い、私の御挨拶と致します。」

 挨拶を終えると隣りの席にいた中山恭子参議院議員が、良い挨拶をありがとうと小声でいった。彼女は前女の同窓生なのだ。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月17日 (日)

第五章 地獄の満州

 ある時、松井かずは、煮え立った湯を運んでいてつまづき、それを腕にかけてしまった。ひどい火傷であるが薬はない。ミソを塗って、激痛に耐えながら部屋の隅でじっと横になっていた。心細い思いでいると、彼女の弱った様子を見て、誰かが言った。

「あんたも売られるよ。ここにいると」

こう言われて、松井かずは、恐れていたことが近づいてきたと思った。売られた女たちのことは、今までもよく聞かされていた。転々と売られ、奴隷のように、動物のように扱われた日本の女のことを、逃避行の中でいくつも聞いた。そして、その旅に、売られるよりは死んだ方がいいと思っていた。やっと撫順まで来た、そのことは忘れていたのに、今また現実の問題となって自分の身に迫っていると思うと空恐ろしかった。火傷の痛さが彼女の心の中にまでくい込んで、不安を一層大きくした。

「松井さん、ここにいると死んでしまう。手も治さなければ、日本に帰れない。満人に一時助けてもらってそれから日本に帰ろうじゃないか」

 前橋出身のある人が言った。松井かずは、売られるのでなければ、どうなってもいい、という気持ちになっていた。このままここにいれば、手足がもっと細くなってやがて死ぬだろう。いやその前に担がれてどこかに売られるだろう。どうしたらそれを避けられるだろうか。満人に助けてもらうとはどういうことなのだろうか。松井かずが真剣に考えていると、先程の人が、独身の男を紹介すると言ってきた。はっきりと承諾をしたわけではないのに、どこでどう話が進んでいたのか、男の親戚の者という中国人が彼女を見に来た。

「弱っているが、目がしっかりしているから死なないだろう。家においで、今日から米の飯だよ」

 中国人は彼女の顔をのぞき込んで言った。話が勝手に決められているらしいことへの怒りも起きなかった。その晩、松井かずは手を引かれて、近くの家に連れて行かれた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月16日 (土)

第五章 地獄の満州

死体は裏山に掘った大きな穴にリヤカーで運んで入れた。日を追って死者は増え、リヤカーに山積みにして運ぶ死体は、ついに穴に入れられなくなった。この頃、土は固く凍って掘れないので、コチコチに凍った死体は野積みにされ、その山は次第に大きくなっていった。死体からは全ての衣類を脱がせた。これは中国人に売って食料を手に入れる足しにするのであった。

 寮では、5人に一枚、あるいは6人に一枚という具合に蒲団が支給された。蒲団は垢でてかてかに光り、縫い目や綿のはみ出した所から虱が溢れ出ていた。松井かずは、垢と虱だらけの蒲団にもぐり込むことができず、体をえびのように曲げて、膝を抱え、毛布をかぶり、じっと耐えていた。

⑤中国人と結婚、5人の子どもを育てる。

 松井かずは、ある時、彼女と同じように、いつも部屋の隅でうずくまっていた若い女の姿がないのに気付いた。近ごろ体の具合が悪いらしく、血の気の失せたろうのような顔で力のない視線を壁に投げかけている姿を見て、心配していたところであった。

 物売りに来ていた中国人の話によると、奉天に売られていったらしい。若い女は、抵抗することもできず、助けを求めて叫ぶこともできないまま連れ去られていったのであろうか。そういえば、他にも姿が見えなくなった若い女が何人かいる。昨日まで病気で寝ていた人が今日は死体となってリヤカーで裏山に運ばれるのが日常の寮内であるから、さして気に止めなかったが、中国人の話を聞かされてみると、彼女たちも、あるいはどこかへ売られていったのかもしれない。松井かずはぞっとなった。いつ我が身に同じことが起こるか分からない。彼女は日ごとに細くなってゆく手足を見詰めながら、売られることだけは嫌だと思うのだった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月15日 (金)

人生フル回転「チリ、全員救出の感激、人類の快挙だ」

◇特別委員会の日、自民控室のテレビはチリの救出劇を映していた(14日)。委員会開始の直前、9時55分、33人の救出は完了した。最後の生還者は地底の指導者ウルスアさんだった。自らしんがりを強く望んだのだ。乗員の離船を見届けて難船を脱出する船長の姿を思わせる。全世界の人々に勇気と感動を与える光景だった。

◇ピニエラ大統領は、「私たちに高潔さの見本を示してくれた」と33人をほめたたえた。オバマ大統領は、「チリ国民の団結と決意のたまものだ。世界は元気づけられた」と語った。

 落盤事故により33人が地底に閉じ込められたことが報じられて以来、私は彼らの行動と救出活動に引きつけられ、このブログにも度々書いてきた。高温、多湿の地下700mの狭い空間に閉じ込められた33人の男たち。自分をその中において想像してみると耐えられないと思った。

 生存確認まで17日間かかった。この間は地底の人々にとって最悪の地獄であった。組織的な団結力がなければパニックに陥ってしまう。ウルスアさんはわずかな食料を20日間を想定して、1人分を極小量に分けた。チリはカトリックの国である。地底の人々は神に祈った。

 人々の中に詩をつづる人がいた。掘削の音が聞こえ始めた時のことをうたう。「仲間たちよ、士気を高めよう、まず組織をまとめ団結しなければ、祈らなければ、掘削ドリルが間に合うよう神に頼もう、3週が過ぎ音はやまない」。ドリルの音は近づく神の足音であった。

 地底の映像が伝えられるようになり、国歌を歌う場面があった。昔観た映画・「眼下の敵」を思い出した。海底に沈められたナチスのUボートの中で、船長の指揮の下国歌を歌うのである。怯えていた若い兵士の表情が活きかえる。歌声は頭上のアメリカ軍にも伝わる。船長は全員の動きを見届け最後に脱出する。洋上の艦長は挙手の礼で迎えた。ロバートミッチャムとクルトユルゲンス共演の感動の場面であった。

◇チリ国民の熱狂ぶりは凄い。サッカーで勝利した時の南米の人々の興奮ぶり以上だ。走る車から身を乗り出して、「鉱山の男、最高よ」と叫ぶ若い女性の姿があった。国民一人一人が燃えて輝いている。力を合わせて33人の同胞の命を救った喜びに酔いしれている姿だ。

 東京のチリ大使館で、パトリシオ・トーレス大使は、「感激で胸がいっぱいだ、チリ人であることを誇りに思う。今日のワインは、これまで味わった中で最も甘い」と語った。チリの人々の純粋な愛国心を見た。人類は一体、生命は尊いということを世界に示した出来事だった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月14日 (木)

人生フル回転「次々に奇跡の救出。連続幼女誘拐の真犯人」

◇ひしとお互いが食い込むかのように抱き合う2人。遙かな地底から奇跡の生還を果した男はいっしょに出迎えた娘よりも先に妻を抱きしめた。うーんと私は感動の場面にみとれた。生をかみ締め確かめ合う姿であった。命とはこんなに価値あるものかと教えられる。

 1500人を超える世界のメディアが押しかけて救出劇を取材している。映画化も決まっているといわれるがめったにない奇跡のストーリーだ。映画の主要な人物として地底のリーダー、ウルスアさんが登場するのは間違いない。

 生存が発見されるまでの17日間の恐怖と絶望感は想像を絶するものだったろう。人々がパニックに陥らなかったのは冷静沈着な彼の指導力によるといわれる。チリの新たな国民的英雄は最後のカプセルで地上に現れるらしい。

◇文藝春秋の「私は真犯人を知っている」、「真犯人は幼女5人連続誘拐犯」を読んだ。それぞれ、10月号、11月号に載った特集で緻密な取材に基づく手ごたえのある読み物になっている。

 栃木と群馬の県境20キロ県内で5人もの幼女誘拐事件が起きた。筆者は、真犯人は同一犯だと力説する。その中には、群馬県内で起きた大沢朋子ちゃん、横山ゆかりちゃんの2事件、また、菅家さんが犯人とされた松田真実ちゃんの事件も含まれている。

 足利事件の菅家利和さんは無期懲役の判決を受けたが再審で無罪が確定した。冤罪だったのだ。誤った捜査のため、真犯人を見逃す結果となった。

 5件のうち4件目の足利事件までは時効が完成している。しかし、太田市のパチンコ店から失踪した横山ゆかりちゃんの事件は時効が完成していない。

 最高検察庁も、同一犯の可能性を認めるようになった。だとすれば、栃木と群馬の警察は連携して捜査にあたるべきだと「記事」の筆者は訴える。時効になった事件についても真犯人を突きとめる意義は大きい。

 菅家さんの無罪のきめ手となったのは、超高度なDNA鑑定の結果である。真犯人の体液が付いた半袖シャツを真犯人特定の目的の為に使うべきだとこの筆者は主張している。筆者も警察も真犯人ではないかとマークしている人物がおり、この人物から資料を得て鑑定すれば事実が分かるというのだ。警察はなぜそれをしないのか、それは、もし当時の鑑定の間違いが証明されてしまった場合、その影響は足利事件に留まらず、他の裁判をやり直す必要が出てくるからではないかと不気味な事を指摘している。最近の検察の大敗北。それと連動するような連続幼女誘拐事件は、今後大きく動く可能性があるような気がする。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月13日 (水)

人生フル回転「遂に地底から救出。商工連との懇談。連続幼女誘拐」

◇いよいよ全世界注視の地底からの救出劇が始まる。チリの鉱山の落盤事故で地底に閉じ込められてから66日目の今月9日、救出用の穴が貫通した。救出作業の開始は、13日正午となる。

 700mの地底に閉じ込められた人々の最大の課題は人間の心理であった。救出が確実だという確信と仲間との連帯が人々の心を支えた。

 食料や水を届ける細い穴は地底の人々の命の綱であった。現地では、9日、人々を母の胎内の胎児にたとえて出産間近と湧き立った。暗黒の大地は今や母なる大地であった。

 現場の丘には地底の人々の名前を記した33本の国旗が翻り、ピアノをひいて家族をはげます人もいた。救出用の穴が貫通した時、家族は国旗を振りながら抱き合い、人々はチリ万歳と叫び歌をうたった。

 大統領は、外遊の日程を延期し、救出を見届けてから出発する。救出作戦は正に国家的事業なのだ。今年2月のチリ大地震でズタズタになったチリ国民の道徳的絆を、この救出事業は取り戻す意味もあるようだ。

◇直径50cmのカプセルに入れて1人の作業員を地底に救出するのに約15分、全員救出には48時間かかる。救出の順序も決まっている。初めは、不測の事態に対応出来るベテラン作業員4人、次に健康不安を抱える人、最後に健康状態が良好な人。テレビでは、監督といわれる最後の人を映していた。

 日本でも、かつて、多くの落盤事故を経験した。救出に取り組む国と社会の姿は、その国の人権状況と文化をあらわす。災害に対する危機管理の問題でもある。日本とは、巨大地震による大津波で結ばれるチリのこの救出劇に注目したい。

◇商工会連合会と私たち商工議員連盟との懇談会が行われた(12日)。高橋太郎会長は、小寺前知事の政策、及び、それと連携した近藤英一郎前会長を鋭く批判し、また小泉改革の失敗を強調していた。

 小泉元首相の規制緩和政策による大型店進出により零細の商店はまちから姿を消していく、そして、商工会員の数が急激に減少していくというのだ。高橋会長の強烈な個性とリーダーシップの下で、商工連の改革がどのように進むか注目を続けたい。

文藝春秋の「真犯人は幼女5人連続誘拐犯」を読んだ。菅家さんは松田真美ちゃん殺害容疑で逮捕されたが冤罪だった。菅谷さんは他の2つの幼女殺人も自供させられた。この3件を含め、5件の幼女誘拐事件は同一犯によるというもの。その中には太田の大沢朋子ちゃんも含まれる。県警の見解を知りたい。(明日に続ける。読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月12日 (火)

人生フル回転「ノーベル平和賞と中国。天安門事件を振り返る」

◇中国は遅れた国だという事を世界に示す事になった。獄中の人権活動家劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞したことに激しく反発している点である。国民の人権を踏みにじって辛うじて国家を存続させている北朝鮮と同根だと思わざるを得ない。

 世界が中国に対して厳しい批判の目を向けている。オバマは、中国政府に劉氏の釈放を求めた。平和賞受賞に反対する中国はなぜ世界の批判を受けるのか。それは、表現の自由という人間の普遍的価値を侵害しているからだ。

 中国は共産党独裁体制をとり、政府に対する批判を認めない。これは、表現の自由という基本的人権、そして、人間の尊厳を否定することだ。小林多喜二を拷問で虐殺したかつての日本がそうだった。

 私たちは、表現の自由を日常生活の中で空気のように享受してその有り難さを感じないが、中国の人権抑圧は、その貴重さを改めて私たちに突きつけている。

 権力による幾度もの投獄に屈しない劉暁波氏の表情をメディアは伝える。それは、僧のように静で穏やかだ。信念に支えられた本当の強さとはこのようなものに違いない。

 世界の大きな潮流は、表現の自由を基盤にした民主主義を押し進めるものだ。そして真の平和は人間の尊厳を認める民主主義でなければ実現しない。13億の国民を抱え経済の面で怒涛の勢いを示す中国にそれがない。ノーベル賞委員会は中国での基本的人権を求める劉氏の非暴力の戦いを評価した。中国は激しく反発し圧力をかけたがノーベル賞委員会は決断を貫いた。

◇私は拙著「炎の山河」の中で、天安門事件について書いた。主要な登場人物松井かずが数奇な運命を辿って満州からふるさと群馬に帰国した直後天安門事件は起きた。文化大革命を体験した彼女は、更に大きな衝撃で日本のテレビに釘づけになった。

 1989年(平成元年)、天安門広場には民主化を求める20万人の人々であふれた。ついに広場に戦車が突入する。暗闇の中に銃声が響きオレンジ色の光が走る。人々の絶叫、黒いかたまりとなって逃げまどう群集。テレビはまさかと思える場面を写し出していた。死者5千人以上と報じる新聞もあった。

 リーダーの1人劉暁波氏は、逮捕され投獄されるが信念を曲げなかった。彼を支えているものは、天安門で命を落とした多くの同志の姿ではなかろうか。

◇10日、中国帰国者協会のマス釣り大会が敷島公園で行われた。日中の歴史の狭間で生きる人々は明るく元気であった。松井かずさんの娘さんも嬉しそうな笑顔を私に向けていた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月11日 (月)

第五章 地獄の満州

④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

 数時間も歩いたろうか。松井かずの疲れた足には大変長い距離に感じられた。炭坑に着くと、坑夫が寝泊まりする寮が数多く一つの町並のように並び、また、大きな倉庫もたくさんあった。人々は疲れきっていた。松井かずは、どんなところでもよいから屋根の下で休みたかった。炭坑事務所との交渉が成立し、人々は空いている部屋に分かれて入った。

 構内は途方もなく広いことが次第に分かってきた。寮がたち並ぶ一角に食堂と炊事場があって、炊事場の隅の鍋や釜を、空いている時に使うことが暗黙のうちに許されるようになった。

 真っ赤なコォリャンが各人に少しずつ配給になった。それを集めて釜で食べるわけであるが、調味料はもちろんない。茶碗や箸もなかった。

 この炭坑の一画には、ソ連兵や八路軍が駐屯していた。お互いがけん制しあっているせいか、ここではソ連兵の暴行もないといわれた。兵士たちの近くにカンヅメの空カンが山のように捨ててあるという情報が入った。松井かずは、恐る恐る空カンの山に近付き、大小のカンをひとかかえ拾ってきた。空カンには食べ残しのスープが僅かだが残っている。これは貴重な調味料だった。松井かずは、大鍋で煮たコォリャンを大きめの空カンで再び煮て食べた。これに空カンから集めたスープをたらし込み、食堂のごみ捨て場で拾った野菜くずを入れて、ぐつぐつと煮て食べた。何ケ月ぶりかで味わう温かい手製の料理であった。

 人々は、炭坑で働いて少しでも金を得ようと考えていたが、実際は、ほとんど働くことは不可能だった。栄養失調や病気でバタバタと倒れ、11月ごろになると、寒さも加わって、毎日多くの人が死んでいった。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月10日 (日)

第五章 地獄の満州

④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

駅は、避難してきた人たちでごった返していた。固い石畳の上は、筵や毛布をかぶった人たちが延々と横たわっている。その一人一人の顔をのぞき込むようにしながら、うつろな目をした裸足の少女が歩いている。また、子供を背負い、もう一人の小さな男の子の手を握った女が、中国人らしい男に向かって泣きながら何かを叫んでいる。駅は、建物の内も外も様々な人間模様であふれていた。ここまでまどり着いたが病を得て動けぬ人、肉親とははぐれてさまよう子供、中国人に子供を託す母親など。日本が無条件降伏を受け入れてからかなり経過しているのに、満州に取り残された人々の戦いはまだまだ続くのだった。

 松井かずたちの一団は駅を出て町を通り、撫順炭坑に向かった。既に10月も末で、小雪がちらちら降っていた。人々は、幹部が苦労して手に入れたカマスや筵を身にまとっていた。カマスは袋になっているから、首と腕を出す穴をあければそれで外とう代わりになったし、筵は二つに折って、折り目の所に首を通す穴をあけ、両サイドはひもでしばって外とうにした。身に藁をまとい、中には足にぼろを巻きつけ、その上、様々な荷物を背負ったり引きずったりの異様な集団が、下を向いて黙々と歩いてゆく。まちの人々は、立ち止まって、あるいは窓から身をのり出して、じっと見ていた。これが、今まで権勢を誇り、満州を支配していた日本人の姿か、敗戦国の国民とはこのようなものかと、感慨深くながめた中国人も多かったであろう。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 9日 (土)

第五章 地獄の満州

④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

貨車が走っているときは、戸を少し開け、そこから尻を出して用を足す。両手でしっかりと両方の戸につかまり、まわりの人も腕をつかんでこれを助ける。走る列車からの放尿は大変なことであった。列車は走っては止まり、止まっては走る。何日かが過ぎたとき、人々は、重苦しい空間に耐える苦痛を訴え出した。貨車にこびりついた家畜の臭には耐えられる人々も、ぶつかり合う不満や感情、そして、それらを乗せて漂う体臭に次第に耐えられぬほどの苦痛を感じだした。板の隙間から差し込むわずかな光が苦痛でゆがんだ人々の顔をぼんやりと照らしている。

「撫順はまだなの。ああ、外へ出たい」

誰かがつぶやいた。松井かずも、口には出さないが同じ思いだった。今では、不思議なことに、命がけで川を渡り、血まめの足を引きずって緑の草原を強行軍していたことが懐かしく思い出される。ああ、思いっきり外の空気が吸いたい。青い空を見たい。広い草原を思い切り走りたい。そう思うと、松井かずは、その狭い空間に押し込められた自分たちが、貨車でとさつ場に運ばれる家畜のように思えるのだった。そして家畜でもそれ以下でもいい、早く撫順に着きたいと思った。人々のいらいらした気持ちがため息にのって、視線に表れて、狭い空間でぶつかり合う。

 小さな子供が、腹が減ったといって泣き出した。

「うるさい、泣かせるな」

「すみません、すぐ黙らせますから」

「子供が泣くのはしょうがないでしょ」

いろいろな声が飛びかい、貨車の中の空気は、どろどろしたものがますます濃くなっていった。そして一週間ほどの後、極限状態の中で、やっと撫順に着いた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 8日 (金)

人生フル回転「ノーベル賞と日本の教育。地底からの救出は近い」

◇日本中がノーベル賞に湧いている。私も純粋にうれしい。科学という知的な面で世界に存在感を示せたことが嬉しい。中国に対して、これが日本の実力だと胸を張れたことが嬉しい。根岸英一さん、鈴木章さんに心から祝意を送りたい。しかし、心配は、このノーベル賞のラッシュが今後続くのかということ。子どもたちの理科離れが深刻である。外国へ留学する若者が急激に減っている。08年にノーベル物理学賞を受けた益川さんは、今の若者のことを、「良い子ちゃんたちなんですね。我々のような、はちゃめちゃなエネルギーを感じない」と感想を述べている。

 ノーベル賞を受ける人は皆個性的な人だ。だから、ユニークな発想が出来、それをどこまでも追求するパワーを貫くことが出来る。今の教育には、個性的な知力を育てる余裕がない。ノーベル賞の受賞は、今日の教育界にこれで良いのかという課題を投げかけている。

◇日本のノーベル賞受賞は計18人。その中で、物理、化学などの理科系が15人にのぼる。科学技術立国を支え、けん引する力の象徴である。

科学技術立国を発展させるために重要なことは、理科教育に力を入れることと科学技術の振興に十分な予算をつけることだ。目先の利益を追うことだけに予算をつけるようでは科学の底力は育たない。

ニュートリノをとらえるためのカミオカンデの装置、小惑星イトカワに到達し帰還したハヤブサの快挙、これらは実利とかけ離れた夢の追求であった。これらに大きな予算をつけた国の政策は素晴らしい。このような事業が国民に勇気を与え、高度な理論と技術を育むことになる。「一番でなくてもいいでしょう」などと軽薄な考えで科学の予算が仕分けされたのではたまらない。

◇毎日、騒然とした刺激の中にいて、ふと思い出すのは、南米チリの地底の人々の事。落盤事故は8月5日だから地底に閉じ込められて2ヶ月以上が経つ。普通の神経ならもたない。

 救出劇にチリ中が熱狂しており、大統領は、「あなたたちは国の希望です」と地底の人々に呼びかけた。

 チリでは今年2月、巨大地震に見舞われた。その時、普通の夫婦や市民も略奪に加わり、兵士は商品を奪う人々に銃を向けたという。大地震は人々の心までも破壊したのだ。

 33人の救出はチリの人々にとって傷ついた心を建て直す意味があるのだろう。大統領の言葉にはこの意味が込められている。今月17日、大統領は救出を見届けて外遊に立つと報じられた。世界が注目するこの救出劇は、人類の歴史に刻まれることになるだろう。(読者に感謝)

☆土、日、祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 7日 (木)

「検事が検事を調べる場面。ノーベル賞のビッグニュース」

◇地域の床屋さんに散髪に行った(6日)。床屋が地域社会で情報交換の役割を果たしていることは今も変わらない。「世の中何を信じたらよいか分からない」主人は憤慨して言った。検察官による証拠改ざん事件のことである。床屋の主人の憤慨は普通の市民の姿である。つまり、普通の市民はみな腹を立てているのだ。

 証拠改ざんの前田検事は、既に逮捕され、この検事をかばって事件を隠そうとした元上司の佐賀検事も犯人隠避の疑いで逮捕された。

 この場合の「犯人」とは前田検事のこと。これまで厳しく取調べる立場にいた佐賀検事は逆に取り調べを受け容疑を否認しているという。面白いのは、佐賀容疑者の弁護人が取り調べの全過程の可視化を求め、最高検が拒否したことだ。

 「可視化」とは、取調べの様子を録音・録画することで、自白の強要を防ぐ目的がある。これまで自白を強要されて有罪とされた事件は非常に多い。

 記憶に新しい主なものだけでも02年の富山県の強姦事件(再審で無罪に)、03年の鹿児島県の選挙に関する買収事件(一審で無罪に)、そして、無期懲役とされ再審で無罪となった足利事件の菅家さんの例などがある。

 一部の可視化は既に実現されているが全過程の可視化は、取調べがやりづらくなり現実的でないとして、検事などは反対してきた。ところが、容疑者となった検事の側が全面可視化を求めたのである。

 これを拒否した最高検の言い分は、「検事なら、容疑者が自身を守るすべを知っているはず。必要性は全くない」というもの。その通りだと納得してしまうのだ。

◇泣きっ面に蜂か。証拠を改ざんした容疑で逮捕されている前田検事が、今度は偽証罪の容疑で最高裁に告発されたというのだ。

 前田検事の告発容疑は、前田検事が取調べをした詐欺事件の公判に前田検事が証人として出廷し虚偽の陳述をしたというもの。前田検事は、「こんなこと(否認)をしていると実刑になるぞ」などと自白を迫ったが、それを否定した点が虚偽の陳述に当たるという理由。通常なら、このようなことで検事が告発されることはない。

◇鉛色の重苦しい雲の間から明るい陽光がさすようなビッグニュースだ。2人の日本人がノーベル化学賞を得た。化学技術立国日本の面目躍如である。子どもたちの理科教育へのインパクトを直ちに思った。

 根岸英一、鈴木章両教授の研究は、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法をつくりだした。このような基礎研究が新しい製品や産業を生み出す基礎になる。このニュースを教室の子どもたちに伝えなければならない。(読者に感謝)

◇地域の床屋さんに散髪に行った(6日)。床屋が地域社会で情報交換の役割を果たしていることは今も変わらない。「世の中何を信じたらよいか分からない」主人は憤慨して言った。検察官による証拠改ざん事件のことである。床屋の主人の憤慨は普通の市民の姿である。つまり、普通の市民はみな腹を立てているのだ。

 証拠改ざんの前田検事は、既に逮捕され、この検事をかばって事件を隠そうとした元上司の佐賀検事も犯人隠避の疑いで逮捕された。

 この場合の「犯人」とは前田検事のこと。これまで厳しく取調べる立場にいた佐賀検事は逆に取り調べを受け容疑を否認しているという。面白いのは、佐賀容疑者の弁護人が取り調べの全過程の可視化を求め、最高検が拒否したことだ。

 「可視化」とは、取調べの様子を録音・録画することで、自白の強要を防ぐ目的がある。これまで自白を強要されて有罪とされた事件は非常に多い。

 記憶に新しい主なものだけでも02年の富山県の強姦事件(再審で無罪に)、03年の鹿児島県の選挙に関する買収事件(一審で無罪に)、そして、無期懲役とされ再審で無罪となった足利事件の菅家さんの例などがある。

 一部の可視化は既に実現されているが全過程の可視化は、取調べがやりづらくなり現実的でないとして、検事などは反対してきた。ところが、容疑者となった検事の側が全面可視化を求めたのである。

 これを拒否した最高検の言い分は、「検事なら、容疑者が自身を守るすべを知っているはず。必要性は全くない」というもの。その通りだと納得してしまうのだ。

◇泣きっ面に蜂か。証拠を改ざんした容疑で逮捕されている前田検事が、今度は偽証罪の容疑で最高裁に告発されたというのだ。

 前田検事の告発容疑は、前田検事が取調べをした詐欺事件の公判に前田検事が証人として出廷し虚偽の陳述をしたというもの。前田検事は、「こんなこと(否認)をしていると実刑になるぞ」などと自白を迫ったが、それを否定した点が虚偽の陳述に当たるという理由。通常なら、このようなことで検事が告発されることはない。

◇鉛色の重苦しい雲の間から明るい陽光がさすようなビッグニュースだ。2人の日本人がノーベル化学賞を得た。化学技術立国日本の面目躍如である。子どもたちの理科教育へのインパクトを直ちに思った。

 根岸英一、鈴木章両教授の研究は、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法をつくりだした。このような基礎研究が新しい製品や産業を生み出す基礎になる。このニュースを教室の子どもたちに伝えなければならない。(読者に感謝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 6日 (水)

人生フル回転「検察審査会の衝撃。元総社の県住。高齢者の万引き

◇大変な時代になったと思う。裁判員制度と検察審査会の事だ。検察審査会は制度改正により一変して実効性のある存在になった。どちらも普通の市民が司法の重要な舞台に登場することになった。裁判員制度は、課題を抱えながらも順調にスタートし定着しつつある。

 新たな検察審査会の制度は検察のどてっ腹に突きつけたあいくちのように見られている。これには、検察の改革を進める目的があるが、証拠改ざんに関する検察の前代未聞の不祥事と重なってその力を一気に増大させることになった。

◇くじで選ばれた検察審査会のメンバー11人の平均年齢は30.9歳。11人中8人が起訴に賛成した。検察官の小沢不起訴に対して1度目の審査会は、起訴すべきだ(起訴相当)と議決。これに対し検察は、2度目の不起訴処分を行った。

 制度が変わった点は、ここで、更に起訴するべきとの議決を行った場合の効果である。2度目の審査会の起訴すべきとの議決がなされると、強制的に起訴される効果が結びつくことになった。

 市民の判断によって小沢一郎は強制起訴される始めてのケースである。検察官だけが起訴を決めた時代は終わった。これからの検察官は、今まで以上に世論を意識することになるだろう。世論を無視して不起訴にすれば、審査会の議決によって今回のようなことが起こり得るからである。

◇土木関係の常任委員会で元総社の県営住宅建設について質問した(5日)。この用地は疑惑追求の特別委員会がとりあげた問題の土地である。

 小寺前知事の下でこの土地に関する大変な疑惑が発生した。前知事は個別問題には関知しないから自分に責任はないと主張した。本会議における私の質問に対して大沢知事は、小寺前知事の責任は重大であると明言し注目された。

 この日の私の質問は、このような経過に触れながら、県営住宅建設は県民が注目しているから良い住居環境を作らねばならない、特に周辺住民に配慮すべきだというもの。その中で、この一画に通ずる唯一の細い道路を改修しないと大変な交通渋滞になることを指摘した。8日に住民への説明会、12日の朝、交通の現状調査が、行われることになった。

◇文教警察常任委員会で高齢者の万引問題が取り上げられた。昨年万引で摘発された者のうち高齢者が24.4%を占める。スーパーマーケットの万引はほとんどが高齢者という見方もある。多くの場合、金に困ってではなく孤独や生きがいのなさが理由というが、理解が難しい。子どもたちの万引に悪い影響を与えそうだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 5日 (火)

人生フル回転「がん対策法に示した国会議員の真実。小沢氏刑事被告人に」

◇産業経済の常任委員会で県が出資する法人等の経営状況について質問した(4日)。県出資法人は無数に存在する。問題点は、県直営事業は議会のチェックが可能であるのに対し、県が出資する法人に対しては、十分なチェックが出来ない点である。出資する金は血税だからおろそかに出来ない。チェックが甘ければ税が無駄になる。この問題は行財政改革の問題でもある。

◇今や、2人に1人ががんに罹る時代である。がん対策は、正に国家的大事業であり、そのベースとなるのががん対策基本法だ。

 この法律を作るために末期がんの最期の命を燃焼させた国会議員の写真を改めて見る機会があった。赤じゅうたんを踏む山本孝史参院議員の姿は骸骨がわらっているようで鬼気迫る感ものがある。

 民主党の山本氏は、先送りが予想されていたがん対策基本法を成立させるために、議場で、進行した胸腺がんであることを公表した。

 彼は、「がん患者の意向を尊重したがん医療の提供体制の整備」に尽力した。この対策法が命の通ったものになった事には、山本氏の努力が大きく作用した。酸素ボンベを引いて赤じゅうたんを堂々と歩いたこの男は、06年に法律を成立させ、07年夏の参院選で当選を果たし、その年の暮れ、58歳で死んだ。今日、自分の生命を賭して国事にあたる国会議員は稀だと思う。山本氏は、その稀な一例である。

 キリストが十字架にかけられた事により、その教えは世界宗教の命を得た。山本孝史氏ががん患者として命をかけたことにより、がん対策基本法は命の宿るものとなった。両者には、共通するものがあるのだ。

 この事を踏まえてがん対策基本法の精神を活かさねばならない。この法律は、各都道府県にがん対策推進計画の策定を義務づけている。そして、群馬県がん対策推進計画がつくられた。その中には、がんによる死亡者数を10年間で20%減少させることや、がん検診受信率を50%以上にすることなどがあげられている。また、すべての患者及びその家族の不安や苦痛の軽減並びに療養生活の質の維持向上が盛られている。この点の具体策が、この議会で取り上げられた緩和ケアである。

◇小沢一郎氏が検察審査会の起訴議決により強制起訴されることになり、刑事被告人となる。政治家としての最大の危機にどのように対応していくのか大いに関心がもたれる。

 現在、証拠改ざん問題で検察不信の嵐が吹き荒れているが、検察の不起訴を否定する今回の「議決」は、これまた、検察に対する国民の不信を示すものだ、正義の砦であるべき検察の改革が迫られている。裁判員制度の動きと共に歴史的な出来事である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 4日 (月)

人生フル回転「53歳の死、葬儀を考える。小水力発電でEVを」

◇53歳でこの世を去ったK君の葬儀は心に刺さるものだった。家内の教え子で、私たちが仲人を務めたK君は爽やかな笑顔の優しい性格の男だった。弟が兄の生き様を語った。もう生きられないと知ったとき、K君は、9月28日の結婚記念日まで意識を持たせて欲しいと医師に頼んだ。28日、妻や肉親に感謝を述べて別れを告げ、もう痛さに耐えられないから痛みを緩らげる薬をと訴え、翌日、息を引き取った。弟さんは、これから出会う困難は兄の死を思って乗り超えていくと語った。涙を拭くK君の妻の姿が哀れだった。

 職業柄、多くの葬儀に立会い様々な死と出会うが、まだ生きたいと切望しながら追い詰められる死は忍びない。

 死と向き合う姿は、究極の生きざまである。K君の死に至る過程を聞いてそう思った。また、葬式とはかくあるべきものと思った。

 葬式は、人の人生で最も重要なものである筈なのに、現在、業者主導による形式的なものになってしまった。

 天井からスクリーンが下り、故人の写真にナレーションが入る。営利業者の型にはまったワンパターンの葬儀は、人間の死を軽くしていると思う。この流れが進む先にどのような状況が生まれるのか不気味だ。葬式産業によって死に関する日本の文化が変えられようとしている。 

最近、家族葬が増えているが、そこには、金のかかる業者主導のワンパターンに対する反発の意が感じられる。

◇ある市内バスに「直葬15万円」という広告があったと聞いた。直葬(ちょくそう)とは、葬式をしないで、遺体を直接火葬場に運び火葬にすることだ。関東では東京中心に2~3割に達し全国に波及しているという。費用がかからないという理由で選ぶ人が多いのだろう。

 更に問題なのか遺骨の扱いである。JRなどの車内に置き去られる遺骨は年に2万体に達するといわれる。また、施設や自治体では、身寄りがないなどの理由で埋葬されてない遺骨が200万体もあるというから驚きだ。これらの事実は、最近の、親の所在が何十年も分からないとか、白骨を押し入れに隠しておいたなどという出来事と通じるものがあるといえよう。死を軽視する風潮は人の生命を軽視することと同根ではなかろうか。

◇小水力発電を活かした充電ステーションに注目。小さな流れの落差による発電はCO2を出さない。この電力を電気自動車(EV)等に利用する。2つを結びつけて活かす試みは画期的だ。EVの時代が来る。小水力発電の資源は豊かだ。この試は、今後波及するだろう。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 3日 (日)

第五章 地獄の満州

④松井かず、ハルビンから撫順へ逃れる。

 松井かずたち一行は、ハルビンで2、3日を過ごした。この間、幹部たちは、これから列車に乗ってどこへ行くべきか、いろいろな所と連絡をとり、あるいは交渉したが、どこも難民でいっぱいで行けると所がない。あっちこっちと捜しているうちに、撫順行きが決まった。

 撫順はハルビンより大分温かいこと、日本に帰るために海に近いこと、それに撫順には大きな炭坑があるから、日本に帰る日までそこで働くことができるだろう、これが幹部たちが撫順ゆきを決めた理由であった。

 黒龍江省のハルビンから遼寧省の撫順までの長い旅が始まった。松井かずたちが乗ったのは家畜用の貨車で、貨車の中は、床にも、周りの壁にも、至る所、家畜の糞や毛や臭いがこびりついていた。しかし、そのようなことは、彼女たちにとって全くの問題外であった。足から血を流して暴徒に追われていたときのことを思えば、汚くても、不自由であっても、貨車に乗れたことが彼女たちにとっては大きな幸いであった。

 暗くて狭いか貨車の中には、一つの空間に50人も60人もの人がすし詰めのように身を寄せあっていた。立錐(りっすい)の余地がないとは、まさにこのことと思われた。不自由といえば、トイレのないことであった。貨車の隅に一個のバケツが置いてあって、貨車が止まっているときはこのバケツで用を足した。というのは、貨車の戸を開けるとソ連兵が不意に入ってくるので、止まっているときは中から鍵をかけて、戸を開けることは決してしなかったからである。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 2日 (土)

第五章 地獄の満州

③各地の惨状。ー井戸は女の死体で埋まったー

 家には、枯木のような老婆と初老の男がいた。老婆は、コウリャンのかゆを親子に食べさせてくれた。親子は、久し振りに屋根の下で暖かいものを食べ、感激して涙を流した。温かい食物も嬉しかったが、それよりも、忘れていた温かい人の心に接したことが嬉しかった。老婆は、子供の傷だらけの足を布で拭きながら

「かわいそうに」

とつぶやいた。しばらく親子が休んでいると、老婆と男がやって来て、女に話かけた。

「是非、息子の嫁になって欲しい。子供も育ててやる」

突然のことで、呆気にとられていると、

「日本に帰れるようになったらいつでも帰ってよいから、息子の嫁になっておくれ」

老婆は枯れた木の肌のようなしわだらけの顔に似ない熱い口調で言った。

「日本人、可哀そう。俺、大事にするから、嫁になってくれ」

男は、老婆以上に真剣な表情で言った。

 女は、これから又、子供をつれて廣野を越えて幾日も歩き続ける自信はなかった。女は半分あきらめの気持ちもあって、2人から強く求められるままに、この家で暮らすことになった。男は55才、女は29才だったという。避難民の中で中国人の妻となった例は多いが、そのことはまた、松井かずが中国人と結婚するときに触れることにし、再び、話を松井かずの逃避行に戻す。

土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月 1日 (金)

人生フル回転「教育委員長退任の弁。イノシシ。阿久根市長の議会無視」

◇本会議一般質問は30日で終わり、これから委員会審議に入る。一般質問の中で、退任する三宅教育委員会委員長の教育観を問う場面があり、その発言の次の部分に注目した。

 曰く「子どもは自分のことだけでなく他のためになることにも夢を抱くべきだ」、「生きる力も自分のためだけでなく他のためにも生きる力を養うべきだ」発言の大意である。

 これには重要な中味が込められている。戦後教育の欠点の一つとして、社会公共のために尽くすという事を子どもたちに教えてこなかったことが指摘できる。今、そのつけが社会全体の上に重くのしかかっているのだ。

 文科省は、教育の目的を生きる力を養うこととしているが、人間は1人では生きられない。社会の中で生きなければならないのだからいきる力を社会で有意義に生きる力ととらえ、社会貢献とか社会性を身につけさせることにも重点を置くべきだ。委員長は、このようなことを言いたかったのではないか。

◇一般質問の中で、その他に興味を持った事に、この日も、有害獣対策があった。そして話題の中心はイノシシである。農作物に対する被害は大変なもので、被害は年1億円を超える。個体数を調査しているが把握は容易でない。1万頭を超えるらしい。狩猟期間を延長、ワナの工夫、防御策設置の補助、隣接県との連携などが語られた。「行政は遅い」、「保護という言葉はやめよ」、など、批判の声も飛んだ。

 エサを求めて下りてくる子連れの集団を想像すると哀れにも思うが事態は深刻なのだ。彼らと人間の間の緩衝帯たる里山が荒れたりなくなった事も一因らしい。動物たちとの共存と住み分けが難しくなっている。

◇阿久根市における議会と市長の対立に注目している。地方議会の役割と権限に関わる問題であるからだ。29日、市長が「専決処分」で行った副市長選任の取り消しと退席を求める決議が可決された。本県でも小寺さんの時、後藤新氏の副知事選任を巡って知事と議会が対立した事が思い出される。

 鹿児島県阿久根市の問題点は、市長が議会を無視したことだ。市長は議会を開かないで、専決処分を19件も行った。専決は、議会が開けない場合に例外的に厳格な要件の下で行われる。竹原市長が議会を開かなかったからこういう問題が起きた。議会の招集権が議長にないことは、議会軽視の長い伝統である。議会改革の最大の課題は議長に招集権を認めることだ。片山法相は、この点に関する地方自治体の改正を表明している。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »