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2010年8月31日 (火)

人生フル回転「日赤建て替え問題大詰め。200歳の高齢者。年金不正受給」

◇前橋日赤の建て替え問題が大詰めを迎えている。現在地か移転かをめぐって長いこと議論されてきた。私は日赤の経営審議委員であるが、この問題は、この委員会でも議論されてきた。30日夜の会議は、第9回・現在地建替え推進協議会の役員総会であった。

 これ迄の検討の結果、現敷地内の建て替えは実現不可能で、可能性があるのは、50号以南迄敷地を広げた上で建て替える案である。しかしこれにもいくつかの難しい問題が伴う。早期に用地を取得出来るか。ドクターヘリの24時間運航は、今後、必至であるが、夜間運航の騒音問題、住宅密集地への墜落の危険性などは重要な課題である。9月1日、知事に対して答申が出される。知事は、是を踏まえて結論を出す。見通しに関していえば、現地建て替えについては楽観を許さない厳しい状況である。

◇県内の戸籍上生存者の長命番付記録が次々に更新されている。先日、前橋の「134歳」の男性が報じられて驚いたが、今度は、やはり、前橋に「193歳」の男性が現れた(29日)。

 全国レベルでいえば、長崎県壱岐市で「200歳」(男性)、愛媛県宇和島市で「189歳」(男性)、青森市で「184歳」(女性)となっている。

 このような古い例は、「へぇー」といったんは軽く驚くものの、すぐに戸籍上の扱いのミスと分かり同時に興味も薄れる。「200歳」の人が戸籍上いて、それに特別の効果が結びついているといった事はないからである。

 ところが、今日の社会に「高齢者」がタイムスリップして現れると、逮捕者が出たりする。こちらは深刻な生々しい社会問題なのだ。

 この問題でマスコミがいち早く取り上げた東京都の「111歳」の加藤宗現さんの場合、遺族が詐欺罪で逮捕された。死せる宗現さんはその妻が死んだとき遺族共済年金を申請した事になっていた。宗現さんになりかわって実際に書類を書いたのは、遺族共済年金を狙った81歳の長女・真子容疑者であった。

 生きていれば102歳になる母親への祝い金30万円を不正に受け取ったとして詐欺で逮捕された福島県の事件も報じられた。警察は年金についても不正受給がなかったか調べるという。

 死を隠して遺族が年金などを不正に得る事件は非常に多いのではないか。この度、マスコミの報道によってにわかに光があてられたが、これまでに闇に葬られた事件もあったに違いない。

 不正受給が悪いのは当然であるが、行政の怠慢も強く指摘されるべきだ。現在、戸籍を調査して次々に発覚しているが、これは、過去に於いても調査すれば簡単に分かった筈だということを示しているからだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年8月30日 (月)

人生フル回転「県子大学長選の紛糾。刑場公開。死刑囚の手紙」

◇県立女子大の学長選出は紛糾した。学長選挙は14名の評議員の投票によりその過半数を得たものが当選する。候補者はA氏、B氏の両教授。提案があって、投票の前に候補者の抱負を聞く事になった。その中で大学改革の理念が語られ、従来の学長に対する厳しい批判も出た。投票の結果は6対7、白票1であった。過半数の8を得た者がないので、再度投票したが、結果は同じだった。

 このまま何回しても結論は得られないだろうということで、評議員の提案により、候補者は、どのような女子大をつくるかについての抱負を文書にまとめ、評議員に郵送し、それに基づき改めて選挙を実施する事になった。

 背後には、教授会の自治と大学改革に関する難しい問題があると思われる。

◇死刑を執行する「刑場」が公開され大きな反響を呼んでいる。死刑に関する情報公開である。裁判員裁判の下で普通の市民が死刑判決に関わる事になった以上、市民が死刑を考える材料の一つとして「刑場」の公開は必要である。

 また、刑場の公開には、憲法判断に関する次のような問題がある。憲法は人権尊重の観点から残虐な刑を禁じているが最高裁はかつて、現行の絞首刑は残虐に当たらないと判断した。大法廷判決には反対意見があった。今、死刑を国民的レベルで考えるに当り、「残虐」が改めて問われる。それには、単に「絞首」を火刑や車ざきと比較するのでなく、絞首の実態を知る必要がある。刑場の「公開」はその材料である。

◇東京拘置所の執行室の中央には赤い正方形の踏み板がある。首にロープをかけられた死刑囚がこの上に立つと板が開き受刑者は落下して死ぬ。踏み板の真下には排水溝がある。血液や体液や排泄物が流れる所だ。目隠しをされ、手足を縛られ、ここに引き立てられる受刑者の姿を想像する。ほとんどの受刑者は腰が立たなくなるという。

◇ある死刑囚の最期の手紙を読んだ。明朝の執行を告げられた受刑者が恋人と母に同時に書いている。次はその部分である。「おきて、今、母へ三枚書いたところ。うっすら明るくなりはじめました。もうすぐ7時。8時にここを出るということなので今しがた洗面し身なりを整えました。いよいよお別れです。ほんとうに悲しいけれどみなぼくの責任です。8時まであと10分。もういちどさようさら、今、母への文に髪と爪を切って入れました。」

「お母さん。7時です。あと一時間で出立する由なのでそろそろペンをおかねばなりません。ぼくの大好きなお母さん、いいお母さん、愛に満ちた、ほんとにほんとにすばらしいお母さん、世界一のおかあさん、さよなら!」キリスト教に帰依した死刑囚だった。

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2010年8月29日 (日)

第五章 地獄の満州

 松井かずたちは、動きがとれず、ここの20日間とどまっていたが、いよいよ出発の時が来た。ここでは、馬を殺し、肉をいくつも樽につめて塩漬けにしたものが用意されていたが、出発に当たり、人々はこの肉を大きな釜で煮て肉の塊を分配した。また、米を焙って、それを、手拭を縫って作った袋に詰めた。

 栃木開拓団の人々も加わって、大勢が通北を目指して出発した。既に辺りは暗かった。途中、中国人の部落を幾つか通過する。部落から出て来た人々が暗い所から闇をすかすようにしてじっと集団の通過を見ている。異様な集団に興奮した犬がしきりに吠える。

 やがて、一行は、大きな川にさしかかった。橋はなかった。浅い所を見つけて、人々は黙々と渡り始めた。松井かずは、ここで初めて、出発の時幹部が細い棒を手渡した意味が分かった。彼女が持っていたのは、隠元豆の手にするような細い木の枝であった。これを水に刺して深さを探りながら渡るのだった。

 何百人という人々が、列をつくって静かに水の中を進む。空には半月が掛かり、さざ波がかすかに光り揺れている。ある人は大きな荷物を担ぎ、ある人は子供の手を握り、またある人は子供を背負いながら老人の手を引いて、滑らぬよう、深みにはまらぬよう気を配りながら水の中を進む。母親に手を引かれ、首までつかって半ば眠りながら渡っている子供もいる。川幅は予想以上に広い。

 先頭が向こう岸に着こうとする頃、川の中ほどで騒ぎが起こった。1人の老婆が水の中に座り込んで動かない。そばに居る息子は、大きな荷物を背負い、両手には2人の子供を連れていた。

「もう私は歩けない。私は、年だから、もういい。足でまといになりたくない。私を置いて行っておくれ。お前たちは、どうしても日本へ帰るんだよ」

 老婆は、川の中の石になってしまったように、どうしても動こうとしなかった。誰一人老婆を背負ってやる余裕もなかった。

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2010年8月28日 (土)

第五章 地獄の満州

① ソ連の惨敗。-野獣のソ連兵―

 松井かずは、あまりの恐ろしさに、夢を見ているのではないかと思った。しかし、目の前の惨劇は紛れもない現実であった。これによって、彼女は、行先の容易ならざることを思い知らされたのであった。

 人々は、宮崎老人の死体に草をのせ、油をかけて焼いた。そして、奉国農場の人々は、開拓団の人たちと一緒になって出発した。

 ところで、中国人がみな暴徒になったわけではない。松井かずたちが親しく付き合っていた部落の長は、彼女たちに同情し、馬で遠くまで見送りに出てくれた。

「気をつけて、無事に日本に帰っておくれ」

部落長は名残惜しげに言って、また馬で帰って行った。

 人々は、克東県まで歩き、そこからさらに2日歩いて、栃木県の人々の開拓団がある張本堡という村に着き、そこの小学校を一時の避難所とした。栃木の開拓団は、前橋の開拓団と比べ大変恵まれていた。ここでは、水田耕作が行われており、松井かずたちは、貴重な米を分けてもらうことができた。

 しかし、この避難所は、中国農民の襲撃を毎日のように受けた。襲撃は、決まって明け方に行われた。昼間、よく中国人がまんじゅうや飴を売りに来るが、彼らは避難所の様子を窺って仲間に教え、それによって襲撃が行われるらしい。長いひもの先に鎌を結んでぶんぶん振り回す者、棒や鍬を振りかざして戸や壁を叩く者、また、大声で何やら怒鳴る者など、興奮した群集は日毎に数を増やしてゆくようであった。避難所の人々は、鉄条網を巡らし、また、使える物は何でも使ってバリケードを築いて暴徒に備えた。

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2010年8月27日 (金)

人生フル回転「重要な会議に遅刻。小沢氏の出馬。地底の人々」

◇時計が遅れる事があるのだ。電池の寿命が終わりに近づいたらしい。大切な2つの会議に遅刻した。現代人は分刻みで重く。時計の小さな針に乗って動いている現実を改めて思い知らされた。2つの会議とは県議団総会と関越道IC等促進期成同盟会総会である。

 県議団総会に続いて一日限りの臨時議会が開かれた。議題は稲山副知事退任に伴う新副知事承認の件。

 後任人事は満場一致で同意され、池本副知事の就任が決まった。退任する稲山氏は群馬への熱い思いを、「今後も心の県民」と表現した。去る7月16日、赤城山の観光資源調査のため、稲山さんと赤城の林道を歩いたことは永く記憶に残るだろう。議会終了後自民控室に挨拶に来られ、懸案の件は良く引継ぎを行っていきますと私の手を固く握って言った。

期成同盟会総会の会場は前橋テルサだった。私は来賓の3番目に挨拶することになっていた。上野宏史新参議に続いて立った知事代理の挨拶が正に終わろうとしていた。「以上をもって祝辞とします」という言葉を聞きながら私は着席。同時に、司会者は、「県議を代表して」と私の挨拶を告げた。危機一髪であった。

 挨拶の中で、私は駒寄スマートICの改修の促進を訴えた。このIC実現には、上野宏史氏の義父、上野公成さんの大きな尽力を得て県議会が頑張ったという歴史がある。

 現在、利用する車の台数は全国2位であるが大型車が入れない。道路は人体にたとえれば動脈であり、産業、文化、地域の活性化に欠かせないことも語った。司会の前橋市・根岸課長はひやひやしたことだろう。おわびしたい。

◇小沢一郎が民主党の代表選に出馬する。当選すれば総理大臣になる。かつての自民党の暗いイメージを引きずる総理をつくることは、民主党の大義に反するのではないか。

 小沢一郎は、政治とカネの問題で厳しく責を問われている人である。検察審査会で起訴相当の議決を受ける2度目の議決を持つ身である。

 憲法75条には、国務大臣は在任中内閣総理大臣の同意がなければ訴迫されないと定める。だから起訴を逃れるための立候補との見方もあるのだ。

◇チリの地底の33人の事が詳しく報道され始めた。極限の状況でパニックに陥らないのは優れたリーダーの力によるとも言われる。しかし、救出までの4ヶ月を耐えられるのか。海底の潜水艦に閉じ込められた恐怖を描く映画のシーンを思い出す。太陽のない生活は体内時計を壊し睡眠障害を起こす、また、閉鎖環境下ではうつ病にもなりやすい等が言われる。自分がその場に置かれたらとても耐えられないと思う。(読者に感謝)

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2010年8月26日 (木)

「死刑と裁判員裁判。チリ、地底の人々」

◇死刑が求刑される可能性がある裁判員裁判が遂に鹿児島地裁で行われる。裁判員裁判にとって最大の課題は裁判員が死刑判決と向き合う事だ。一般の市民が死刑の重みに果たして耐えられるか。これは、この制度がスタートしたときからの最大関心事だった。

 白浜政広被告は、昨年6月高齢者夫婦を殺し強盗殺人罪に問われている。従来の判例によれば、殺された被害者が複数の場合極刑が言い渡される可能性がある。

 この事件では、殺害現場の寝室に残された指紋が被告のものと一致したことなどが決め手とされているが、被告は逮捕当初から一貫して無罪を主張している。

 評議の期間が20数日と異例に長いのは、死刑が問われる事になれば、裁判員は長時間かけてとことん論議しなければならないからだ。

 裁判員裁判では、量刑の結論は多数決で決めることになっているが、死刑という極刑を司法制度に素人である一般市民が参加する裁判に於いて多数決で決めてよいものであろうか。そのような事になれば、裁判員裁判は、死刑制度の下では存続できないという批判が巻き起こるに違いない。鹿児島地裁が長い評議期間を設けたのは、簡単に多数決に至ることを避ける狙いがあると思われる。

◇全国初の裁判員裁判の開廷は昨年の8月3日東京地裁で行われた。58枚の傍聴券を求めて2382人が列を作った。これは、この制度に対する人々の関心の高さを示すものであった。

 本県初の裁判員裁判は、昨年12月8日に前橋地裁で始まった。事件は民家に押し入って金を奪い人を傷つけた強盗致傷事件で、やはり関心は高く266人が傍聴券を求めて長い列をつくった。

 私たちは、新しく珍しい事に対し高い関心を示すが、熱はすぐに冷める。裁判員裁判も同じだ。しかし、鹿児島地裁の例は、死刑制度との関係で再び注目されるだろう。この裁判の裁判員は死刑という刑につきぎりぎり考えさせられるに違いない。私たちも、この際死刑を深く真剣に考えるべきだ。

◇南米チリの地底に閉じ込められた33人の事が気がかりだ。700mの地底、広さ40㎡の空間、気温は30度以上、換気は不十分、救出には4ヶ月かかる。こんな状況が報じられる。

 地底の人々は国歌を合唱し、士気は高いというが、いつまで続けられるか。4ヶ月もかかると知れば落胆し絶望するだろう。だからその事は知らせない方針だという。しかし、救済の見通しが分からなければ、人々は一層混乱するだろう。世界の最新の技術によって救出を早められないのか。今後の動きが注目される。(読者に感謝)

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2010年8月25日 (水)

人生フル回転「子宮頸がん対策。検診手帳の活用を」

◇今月の「ふるさと塾」では群馬の医療制度を紹介したが、その中で、「がん対策」も取り上げ皆で考えた(21日)。

 がんは、今日、極めて日常的な病となった。生涯でがんに罹る可能性は男性で2人に1人、女性では3人に1人とされ、がんで亡くなる人は、全死亡者中約3人に1人の割合になっている。驚くべき数字だ。回りを見れば、いたる所にがんで苦しむ人がいるのが実態である。

 がんは、本県に於いても、死因の第一位であり、年間5千人以上ががんで亡くなっている。

 最先端技術である重粒子線治療を始める本県は、がん治療のメッカを目指すべきである。

◇がんは、自治体行政が第一に取り組むべき課題である。平成19年にがん対策基本法が施行され、それに基づき、都道府県はがん対策推進計画の策定を義務づけられた。

 本県は、この推進計画の中で、がんによる死者を20%減少させる目標を掲げ、そのために、がん検診受診率を50%以上にすることを目指す。また、子宮頸がんについては、ウィルスとの因果関係が明らかなことから、若年層を中心に啓発活動を行っていくことを、強調している。子宮頸がんは唯一予防可能ながんである。

◇本県市町村の多くが子宮頸がんに取り組もうとしている。県内の12市町村が本年度からワクチン接種費用補助を実施する。県は、市町村への補助制度創設を求められている。県内市町村がワクチン接種の対象とするのは、中学生が中心である。子宮頸がんは、性交によるウィルス感染が原因なので、性交経験前の11歳から14歳での接種が奨励されている。川場村などは小6からの接種を実施する。

◇昨年6月の国会討論で印象に残る場面があった。ある女性議員が次のように訴えた。「若い女性に子宮頸がんが爆発的に増えている。それは性交によるウィルス感染が原因である。薬を早く認可すべきだ。検診手帳を学校教育の場で活用すべきだ。」と。

 この女性議員の発言通り子宮頸がんは増えている。08年国内の死者は2486人、県内では41人に達した。

 ワクチンは昨年10月に認可された。検診手帳は、「がん検診無料クーポン券」が同封されて県下の対象者に配布されることになった。

◇検診手帳には、子宮頸がんが簡単に分かりやすく説明されている。私は、これを学校で大いに活用すべきだと思う。かつて、人形を使った露骨な性教育が批判されたが、検診手帳による子宮頸がんの説明は自然に行うことが出来、効果的だと思う。ワクチンの無料接種だけでは不十分である。女子生徒の自覚を高めるために「手帳」による性教育は重要である。(読者に感謝)

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2010年8月24日 (火)

人生フル回転「はやぶさと群馬の企業。天文台の上映。落盤の恐怖」

◇先日も、このブログで書いたが日本人に夢と勇気を与えてくれた最近の出来事に、長い宇宙の旅から帰還した「はやぶさ」の快挙がある。そして、群馬の企業がこれに大きく貢献したことを知ればなおさらわくわくする。

 宇宙科学研究所の教授で、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー・川口淳一郎氏は次のように語る。今回の成功を実現させた力の中には、宇宙航空産業を支える町工場のコンピュータより高度な職人技がある、と。

 この町工場の一つは、富岡市の「IHIエアロスペース」のことであり、森田真弥さんと益田克之さんは、この企業に属し高度な技をもつ技術者である。2人は、オーストラリアの砂漠に落下したカプセルの回収作業にも同行した。カプセル組み立ての中心者の1人益田さんはカプセル製造の苦心を語る。「直径40センチの中に様々な部品を積み込むため、少しでも入れる角度を間違えるとカプセルが閉まらなくなります」、また、「内側から閉じるにはどうしたらよいか千恵を絞りました」と。

 内側から閉じる理由は、外側にボトルを使うと、それは大気圏突入時の3千度の摩擦熱で溶けてしまうからだ。

 小学生の時、アポロ11号の快挙を知って宇宙開発の志を立てた森田さんは、はやぶさの映像を見た子どもたちの中から、宇宙の技術者を夢みる子どもが現れることを望んでいる。

 深刻な小学校の理科離れに対して教育行政は無策に近い。はやぶさの快挙ほど刺激的な教材はない。

◇高山村の県立天文台では、9月4日と5日、特別展、「はやぶさの瞳がやってくる」を開く。「瞳」とははやぶさに搭載された2つのカメラのこと。合わせて、はやぶさの活躍を紹介した映画を午前10から上映する。私も見たいと思う。

◇逮捕、送検される万引き高齢者が急増し、20年前の約10倍に達した。これらの人にアンケートしたら、万引きの心理的背景として、「孤独」が最多の24%だった(警察庁)。高齢社会の病巣が口を開けている感じだ。百歳を超える高齢者の所在不明問題と通じるところがあるだろう。

 警視庁は、初犯の高齢者に地域社会でのボランティアやレクリエーションに参加させる初の取り組みを9月から始める。群馬の動向を見守りたい。

◇チリの落盤事故は、ショッキングな事件だ。17日目に、33名がシェルターで生存していることが分かった。チリ全土が喜びに湧いている。しかし、救出には4ヶ月かかるという。700mの地底の狭い空間で、この間、 人々は心理的に耐えられるのか、なぜ長くかかるのか。(読者に感謝)

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2010年8月23日 (月)

人生フル回転「興南の快挙は沖縄の力。道路が発電所。臓器移植」

◇「高邁自主の鐘が鳴る」。興南高校の校歌の一節である。歌う球児たちの黒く日焼けした表情には歴戦を克服して目的を達した若者の誇りと自信が現われていた。「あちらの方角が沖縄ですが、沖縄の人たちに一言」とインタビューの記者が球場の一角を指しながら感想を求めると、我如古(がねこ)キャプテンは、「沖縄県民が勝ち取った勝利です。ありがとう」と直ちに応じた。スタンドの大応援団のどよめきがその声にこたえた。沖縄勢が春夏連覇を達成した歴史的瞬間の光景であった。

◇沖縄の興南が全国制覇を達成し参加した4028校の頂点に立った事には特別の意味がある。

 先の太平洋戦争で沖縄は民間人を巻き込んだ戦場となり多くの犠牲者を出した。戦後も長くアメリカの支配下におかれ、やっと日本に復帰した現在も基地問題に悩んでいる。まだ、戦争は終わっていないと考える沖縄県民は多い。

 同じ日本なのに沖縄だけが差別されていると多くの沖縄県民は感じている。そんな沖縄県民の感情が球児たちを後押しした。炎暑で苦しむ夏だが、興南の快挙はこの酷暑を吹き飛ばす炎だった。

 我喜屋(がきや)監督は、約束事を守れ、小さなことでも全力でやれと教え続けてきた。そして、「小さなことを積み重ねたちびっ子が大きなことをやってくれた」と振り返っていた。

 現代の青少年の軟弱さや無軌道ぶりが言われているが、今年の高校野球を見る限り、日本の青少年は健全な力をもっていると感じた。

◇朝のテレビが、道路にソーラーパネルを敷き詰めるというアメリカ市民のアイディアを報じていた(23日)。凄い発想法だと感心し驚いた。言われて見れば誰でも思いつきそうな簡単なアイディアである。

 アスファルトのかわりに発電の部品を道路に敷く。電柱などは不要で、近くの家に電気を供給できる。材料となっているガラスの耐久性を高めることが一つの課題らしい。

 今、地球上のどこでも異常気象の恐怖に怯えている。CO2との関連が指摘され、CO2の削減とクリーンエネルギーの開発が地球的課題となっている。太陽光は、クリーンエネルギー源の代表格だが、それを道路で受け止めるというアイディアが面白い。今後、アメリカ国内で実用化されれば世界に広がるだろう。

◇家族の承諾で臓器を提供する3例目が報じられた。私が注目したのは、家族の動機である。「体の一部がどこかで生きていてくれたらうれしい」と語っている。こういう発想は今後広がるかも知れない。家族のうち誰が承諾するかという問題は歯止めとして重要である。(読者に感謝)

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2010年8月22日 (日)

第五章 地獄の満州

第五章 地獄の満州

① ソ連の惨敗。-野獣のソ連兵―

不安は、ソ連の日本に対する宣戦布告、ソ連軍の満州侵攻という形で現実のものとなった。八月九日のソ連軍の侵攻を機に、青少年義勇軍によって始められた開拓村も、その他の開拓村も、この予期せぬ出来ごとに大混乱に陥った。

 そして、混乱の中で、北満の果てに取り残された人々の逃避行が始まった。事態は、時を追って深刻となっていった。松井かずのもとへも、天皇の敗戦を認めるお言葉が正式に発表されたというニュースは届いた。日本の勝利を信じ、それだけを頼りに頑張ってきた開拓村の人々は、彼らの心を支えていた心棒が引き抜かれたように呆然として天を仰いだ。しかし、過酷な状況は、人々に一刻の猶予も許さない。ソ連軍が迫る。そして、日本の敗戦を知った中国人の暴徒が迫る。これらに追われて、松井かずたちの地獄の逃避行が始まった。

 前橋郷の人たちは、団体部に集まって直ちに避難することになった。しかし、わずかの食料と衣類を持って出発しようとした矢先、奉国農場は、馬に乗った賊に襲われた。彼らの目的は物盗りであった。抵抗する者は酷く打ちのめされた。松井かずは、一人の老人が賊に殺された場面を語る。

「前橋出身の宮崎という農場長は、体の小さな老人でしたが農場の責任者ということで必死で抗議したため殺されました。殺され方酷かったのです。賊の一人は、見上げるような大男で、宮崎さんを殴り倒し、その両足を持って振り上げ、宮崎さんを何度も頭から地面にたたきつけたのです。ちょうど、群馬の田舎で、昔、ワラを巻いたもので、とうかんやとうかんやって、子どもが地面を叩いたでしょ、あのように。宮崎さんの頭は割れて、脳が味噌のように飛び散ったのです。でも、私たちは、ただ見ているだけで何もできないのです。」

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2010年8月21日 (土)

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

 川の両岸はかなり高い崖になっていた。松井かずは水から頭を上げ、ふと崖の上を見上げて驚いた。そこには、中国人が鈴なりになって娘たちの戯れを見物しているではないか。視線が合うと、見物人の表情は、一瞬戸惑い、そしてすぐ笑顔に変わった。手を振る人、声をかける人もいる。娘たちは、下から力いっぱい手を振った。

 松井かずは、中国人たちが初めて自分たちに向けた自然の笑顔を見て、とても嬉しかった。満州の農村では、人々は、一般に風呂に入らない。そして、女は人前で手足の他は体を見せないのである。だから、日本のクーニャン(娘)が下着一枚で水に入っていることが、彼ら中国人にとっては驚きだったに違いない。

 川は、上と下で呼びかわす声でにぎやかであった。松井かずは、日本人が負けるというあの中国人教師の言葉もすっかり忘れていた。

 現地の習慣がいくらか分かりかけ、現地の人の中に入り知り合いが増え始めたころ、ある不穏な噂が始めていた。それは、いつか、松井かずが中国人教師から聞いたのと同じで、日本が負ける日が近いというものであった。まさかと思っていたことは、本当だったのか。松井かずの胸に不安は黒い雲のように広がっていった。前橋のこと、吾妻の両親や兄妹のことが、次々に頭に浮かぶ。そして、肉親から離れ、この異国の果てに取り残されるという不安が、松井かずを押しつぶすように重くのしかかった。

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2010年8月20日 (金)

人生フル回転「日常生活を脅かすサイバー犯罪。生活保護なく熱中症死」

◇社会状況の変化の中で犯罪の形態が変化するのは当然だ。犯罪者は常に新たな手口を考える。しかし、それに対する法規制は常に後迫いである。新たな犯罪は、市民の日常生活をターゲットにすることが多い。平成21年版警察白書は、「日常生活を脅かす犯罪への取り組み」と題する特集を組み、その中心として振り込め詐欺を取りあげた。

 振り込め詐欺は、正に、日常生活を脅かす犯罪の典型である。しかし、インターネットが市民の日常生活に深く浸透した今日、インターネットを利用した犯罪も振り込め詐欺に劣らず、日常生活を脅かす犯罪となっている。

◇私が「日常生活を脅かす犯罪」に注目する理由は、日常生活を営む市民が自覚して警察等と力を合わせなければ、この種の犯罪に対抗できないと考えるからである。

 インターネットなどIT技術を悪用した犯罪の総称として「サイバー犯罪」と言う用語が広く使われるようになった。

 同じく平成21年版警察白書は、サイバー犯罪は年々増加し、検挙件数は増加の一途をたどっており、その手口は高度化、多様化していると指摘する。

◇本県に於いても、サイバー犯罪は急増している。県警が、今年上半期(1~6月)に摘発したインターネット悪用のサイバー犯罪は、昨年同期比28%増の過去最多となった。ネットオークションで他人に成り済まして商品や現金をだましとる詐欺が非常に多い。インターネットの普及は、ますます進むから、サイバー犯罪は今後、更に増加するに違いない。日常生活を脅かす犯罪に対しては、私たち一人一人が日常生活の中で自衛することが最も重要だ。

◇異常に暑い夏の熱中症被害が深刻だ。東京ではこの夏、111人の死者が出た。館林、前橋、伊勢崎は、全国的に高温で有名になった。16日、県内で31人が熱中症で搬送された。館林市では市立の全小中養護学校、保育園、幼稚園などで、冷水機を設置するなどの熱中症対策がとられた。熱中症被害は、これから毎年続くのではなかろうか。

◇異常な酷暑の中、さいたま市では生活困窮者の熱中症死が生じた。これは、およそ10年間、電気やガスのない生活を続ける中で生じたという点で特異である。亡くなったのは76歳無職の男性で、同居の長男(48)も長年腰痛で働けない状態だった。電気代を払えないのでエアコンも使えなかった。生活保護を申請したが認められなかった。行政はこのような貧困者をなぜ救えなかったのか。地域社会は、気付かなかったのか。一番のセーフティネットは、地域社会の人のつながりだと思う。昔は、声をかけ合う隣り近所の連帯があった。(読者に感謝)

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2010年8月19日 (木)

人生フル回転「はやぶさの快挙・日本人の執念と根性」

◇「日本から南米にいるハエを狙い撃ちするようなもの」小惑星探査機・はやぶさが地球から3億キロ離れた長さわずか535mの小惑星に到達する難しさは、このようにたとえられるのだという。これをやってのけた日本の快挙に胸がすく。これを最大限活かさねばと思う。

 この驚異的出来事を多少とも理解する人は誰もが私と同じように感動したに違いない。昨日、たまたま、2、3人の若者と話した時、最近うっとおしい事ばかりだが、すかっと感じることは何と聞いたら、彼らはすかさず、「イトカワ」、「はやぶさ」と答えたのだ。

◇イトカワは言うまでもなく小惑星の名前であり、はやぶさは困難を克服して無限の宇宙から帰還した惑星探査機のことである。

 はやぶさの偉業は、落ち目の日本、そして自信喪失の日本人に勇気と夢を与えてくれた。私たちは、この夢を更に発展させなければならない。夢を夢で終わらせてはならないのだ。

 そのためには、はやぶさの事を理科教育の材料として子どもたちにもっともっと教えるべきだし、国はこの事業に十分な予算をつけるべきである。

 はやぶさの開発には125億円かけたといわれる。「はやぶさ2」は14年に打ち上げ予定だが、民主党政権は仕分けによってケチったことをしようとしている。文部科学省が開発費用として17億円要求したのに対して現政権は3千万にまでカットした。

 「一番でなくてもいいでしょう」などと仕分け人が発言したことが問題になった。こんな発言は国民の「やる気」に水をかけるものである。何でも一番という必要はないが、意義ある一番には、大いにこだわることが大切なのだ。

◇はやぶさがどれだけ凄い一位を達成したかを確認しておくことが重要だ。それは、月以外の惑星から初めて「サンプル(資料)リターン(持ち帰り)」を試みたことである。アメリカ、ソ連は既に達成しているが、いずれも月を対象としたもの。

今回のはやぶさの最大の目的は、地球と惑星間の宇宙往復技術の確立であるという。はやぶさは、60億キロの宇宙を7年間たびして地球に帰還した。将来人類がこのような宇宙の旅をすることが可能になるに違いない。

主エンジンにイオンエンジンを採用するなど世界初の技術が数多く使われた。驚く事は、はやぶさの管制室の人々が成功を祈って、飛不動、飛行神社、電波神社、中和神社などを参拝したことだ。中和神社はイオンエンジンがうまく中和するように祈った。科学の先端に立つ人がここまでするかと、その執念と根性に脱帽する。日本人の精神力は健在である。(読者に感謝)

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2010年8月18日 (水)

人生フル回転「ロシアで広がる異常気象は、人類の危機だ」

◇酷暑の中、甲子園が燃えている。熱中症で多くの人が倒れる程の暑さの中、球児達の体力と気力には驚く。興南と仙台育英の熱闘を見た。甲子園もいよいよ大詰めを迎えようとしている。通常なら甲子園が終了すれば、秋が一気に近づくが、今年は、まだ当分酷暑が続くらしい。これも異常気象の一環であろう。

◇地球規模の異常気象が続く。中国、インド、パキスタンなどの洪水はすさまじい。しかし、規模の点に於いてそれ以上の衝撃的な異常さを示しているのはロシアの状況である。

 ロシア気象庁長官は「今年の猛暑はこの1千年で初めて」と発言した。干ばつ、森林火災、スモッグなどの被害はとどまるところを知らず拡大している。中央政権は非常事態宣言を出した。

 モスクワ郊外の泥炭層が猛暑で発火、また、森林火災の猛煙は国中に広がっている。モスクワでは、煙対策のマスクも携帯酸素ボンベも売り切れで、首都脱出のため海外旅行の予約券も完売だという。

 森林火災は、核関連施設を脅かしている。閉鎖都市サロフ、チェルノブイリ原発事故のあった汚染の森林等に炎が迫っているらしい。

 ロシアは、大国の体面を捨てて外国の支援を受け入れている。オバマが協力の申し入れを行ったことが報じられたが、既に、イタリア、フランス、ポーランドなど10カ国に及ぶ外国の支援を受け入れている。かつての冷戦時代には想像も出来なかったことだ。

 森林火災の煙は成層圏に達したといわれるから、地球を回り世界に影響を及ぼすのは必至だ。干ばつの拡大はロシアの農業に深刻な被害を生じている。その影響は世界に及ぶだろう。

◇北の異変はロシアだけではない。グリーンランドでは巨大な氷山が分離して漂流を始めた。その大きさは、ニューヨークのマンハッタン島の4倍だといわれる。南下し船や施設に衝突することによって大参事を起こすことが懸念されている。

◇地球的規模の異常気象は地球の危機であり、人類の危機である。国境を越えて、民族を越えて力を合わせねば、事態は増々深刻化するばかりだ。もう手遅れなのかという不安を覚える。

 地球上の大異変は過去に何度もあったし、人類も幾多の危機を乗り越えてきた。しかし、現在の自然環境の狂態は人類が作り出したものだ。それは、便利な生活を追求する工業化の副産物として出現したものだ。人類の悲しい性として便利な生活を止めることは出来ない。とすれば、宇宙船地球号は、破局に向かって行き着くとこまで行ってしまうのか。地球の運命と人類の運命を真剣に考える時が来た。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年8月17日 (火)

人生フル回転「大陸に於けるソ連兵の強姦。増える幼児への虐待」

◇14日の朝日に、終戦直後の福岡県にあった堕胎施設の事が載っている。大陸でロシア兵に強姦された多くの女性が手術を受けた。元看護師の84歳の女性は腹から出てきた胎児の首を絞めたと語っている。医師はいつもメスを頭に突き刺したという。出てきた胎児の髪の毛は赤く鼻は高かったという記述も。堕胎施設の光景は、想像するに、最前線の戦場さながらであったろう。医師も看護師も野獣のようなソ連兵と闘う決意で手術にたずさわったに違いない。

 この堕胎施設に運ばれる女性たちの背景には、日本女性が遭遇した地獄のような現実があった。あっちでもこっちでもいたる所で、日本の女性が犯されているのを見た、と私は混乱の満州を体験した老人から聞いたことがある。

 私は、拙著・「炎の山河」の中で、引き揚げ者の証言をもとにして、終戦直後の満州の悲劇を書いた。そこでは、女を求めるソ連兵のことや女を見つけることが出来ない酔ったソ連兵が産み月近い大きな腹をした日本女性を犯す場面が描かれている。他の女は、みな姿を隠したが、このような女がソ連兵の目に止まるとは夫も本人も思っていなかったのである。

 戦後の日本国は進駐軍の支配下におかれたが、米軍は兵士に規律を守らせたから、目に余る女性の被害はなかった。この点は幸のことであった。ところが大陸におけるソ連兵は規律を守らない野獣の群であった。

 敗戦による民間人の悲劇はむしろ大陸に於いて実現された。私は、残留孤児を中心とした中国からの帰国者とかかわりを持っているが、この人たちを通して、この事を痛切に感じた。戦後65年の節目の時に、大陸の悲劇は、特に後世に伝えていかねばならない。なお、「地獄の戦場」は、私のブログで、土・日・に連載している。

◇幼児に対する虐待は、過去最高の件数になっている。これは、通常の刑事事件とは異質のものである。親子の倫理感が崩れ、家庭や地域社会がバラバラになっていることが背景にある。

 元風俗店従業員の23歳の女性が2人の幼児を部屋に閉じ込め死に到らせた事件は、どうしても理解できない。やがて始まる裁判の過程を注目したい。

 3歳の女児虐待死に対して福岡地裁は男性に懲役7年の判決を言い渡した。女児は、男性の妻の長女(連れ子)である。男性は、育児を任されていた。失禁を繰り返す女児に暴行、体中に80ヵ所を超えるあざ、日常的虐待行為、などが指摘されている。被告が幼少期に父親から虐待を受けた経験が犯行に影響したことも認定された。裁判員裁判である。難しく複雑な社会的背景を持つ裁判員裁判が増えている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年8月16日 (月)

人生フル回転「戦没者慰霊式、玉音放送、新たな振り込め詐欺」

◇15日正午から、ぐんまアリーナで、戦没者追悼式が行われた。正面の巨大画面に追悼の言葉を述べる天皇の姿が映される。我が会場では、続いて大沢知事と関根県会議長が追悼文を読み、私たちは名を呼ばれて献花した。

 年々、この慰霊式の規模が小さくなり、型どおりになっていくのは淋しいことだ。

 私の前の席に2人の男女の高校生が居る。聞いてみたら、伊勢崎工業(男)と伊勢崎商業(女)だという。若い2人を参加させた目的は、戦争を風化させないため、戦争の悲惨さを若い世代に伝えるためだろう。だとすれば、2人の高校生を参列させることはほとんど無意味というべきだ。他の高校生には伝わらないからだ。毎年同じことをやっている事にむなしさを感じる。

◇65年前の混乱と悲惨を知ると否とでは慰霊式の受け止め方はまるで違う。昭和20年8月15日正午の天皇のメッセージの衝撃度は、比較するのはおかしいが、原爆の比ではない。ほとんどの国民は、この言葉によって心の心棒を失った。そして、全く異なった戦後の価値観を生む契機となったのもこの、いわゆる「玉音放送」であった。

◇14日の夜、前高柔道部OBの総会並びに懇親会が市内のホテルで行われた。私は中学から高校にかけて柔道少年だったことがあり、前高柔道部OBのメンバーなのである。背が小さい私は、専ら背負い投げに打ち込んだ。

 挨拶の中で、そんな少年時代の事に触れながら、私の話は鈴木貫太郎の方に向かった。貫太郎は、先輩であること、及び8月14日であることが私をその気にさせたのである。

 鈴木貫太郎は戦争を終結させることによって日本を救った総理であること、鈴木の機転によってポツダム宣言受諾が決まったのは14日正午近くであり、翌日正午に玉音放送になったこと、その他鈴木貫太郎のエピソードなどを話した。タイムリーな話題なので、アルコールの影響で脱線しがちな私の話に皆が関心を示してくれた。

◇私のケータイに県警から振り込め詐欺被害の情報が入った。9日から12日までの間に前橋市内で2件発生。手口がふるっている。役割分担の劇場型詐欺なのだ。

 息子を名乗る男からケータイを落とし番号がかわったと電話が入る。次に弁護士を名乗る男から、この家に、息子と連絡がつかないと電話が入る。家の者は何事かと、先に教えられたケータイに電話すると、「息子」は、不倫の後始末で金が要ると泣く。家の者は、弁護士の指示に従って多額の金を振り込んだという。ぼろいもうけになるから、新しい手口を次々に研究しているのだろう。(読者に感謝)

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2010年8月15日 (日)

第五章 地獄の満州

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

 松井かずたち勤労奉仕隊の若い女は、現地の人を見ると、遠くから手を振り会釈した。その後しばらくすると、片言で言葉を交わすようになった。中国人は、彼女たちに会うと丁寧に頭を下げて挨拶した。松井かずは、中国人は本当に日本人を尊敬しているのだと思った。

 松井かずは、日本にいたとき、青年学校で五族協和とか理想の国満州ということを繰り返し聞かされ、教えられていたので、中国人と親しくなれることはとても嬉しかった。

 ある時、松井かずが畑仕事をしていると、一人の中国人の若い男が近づいてきて、にこにこしながら語りかけた。男は、中学校の教師であるという。天気のことや作物の出来不出来のことなど、二人は楽しく話していた。そのうち、男は、ふと、厳しい表情になり、土塀の方向を指しながら言った。

「私は、あそこに住んでいた。あの塀も、この畑も、中国人、苦労して作ったよ。それ、みな日本人にとられたよ。しかし、日本、もうすぐ戦争に負ける」

 男はこれだけ言うと、まわりを見ながら逃げるようにその場を去って行った。松井かずは、鍬を握るのも忘れてその場に立ち尽くしていた。男の言葉が彼女の心に重くのしかかっていた。

 中国農民の日本人にたいする態度に変化が見られ、また、日本人を見る目がなんとなく険しくなったと感じられるようになったのは、これからそう遠くない日のできごとであった。

 6月のある暑い日、松井かずたちは、下着一枚になって近くの川に入り、水と戯れていた。どこまでも突き抜けるように青く澄んだ空の下、降り注ぐ夏の日差しを浴びて、川の水は実に心地よい。松井かずは、子どものように仲間と水を掛け合ってはしゃいでいた。

※土・日・祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2010年8月14日 (土)

第五章 地獄の満州

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

 その恐ろしいソ連にこんなに近い所まで来てしまったと、彼女は、この教師の言葉を思い出して身震いした。そして、遥か彼方の山の光が、開拓民の様子をじっと伺う大蛇の目に思えてならなかった。松井かずの恐れる大蛇は、意外に早く現実の姿となって現れることになる。

 落ち着く間もなく、農作業に取りかかった。作物は、主に、トウモロコシ、大豆、ジャガイモ、小麦、コォリャンなどであった。日本の畑と比べて桁違いに大きな畑であるから、さくも長い。鍬でさくを切ってゆき、途中で汗を拭きながら、背の低い柳の下へもぐり込んで休む、そしてまた、鍬をふるう。一本のさくを切って向うまでゆき、また、さくを切って戻ってくるとお昼になる。

 勤労奉仕隊は、みなよく働いた。20代の数人の娘たちに混じって、尋常高等小学校を終えたばかりの少女もいた。日本から来た彼女たちにとって労働は辛かったが、これもお国のため、これが私たちの戦争だ、皆こう思って頑張った。

 松井かずたちを慰めるもの、それは、満州の自然であった。満州の自然はダイナミックに移り変わる。雪が溶けて厳しい冬が去ると、一気に夏が近づいてくる。5月が半ばを過ぎる頃には、初夏のような日射しが降り注ぐようになり、6月になると、いろいろな花が満州の野に一斉に競うように咲き出す。

 小さな紫色のスミレが、広い広いじゅうたんを敷いたように咲いている。集落のまわりには、あんずの花や大きな花房のサクラソウの花が咲き、また、むせかえるようないい匂いを放って白いアカシアの花が至る所で咲き出す。北満の平原は、春を飛び越えて一気に夏に向かうようであった。花の楽園の中で、若い女たちは、しばし血生臭い争いごとを忘れることができた。

※土日祝日は中村著「炎の山河」を連載しています。

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2010年8月13日 (金)

人生フル回転「地獄の戦場ニューギニア。慰霊巡拝の思い出」

◇終戦記念日が近づいて、例年のように、テレビも新聞も、かつての戦争を盛んに振り返っている。12日の夜、たまたまテレビをつけるとニューギニア戦線のことをやっていた。私がこの番組に注目したのは、県議会副議長として慰霊巡拝のためこの地を訪れた時の事を思い出したからである。01年(平成13年)10月のことであった。

 ニューギニアは、地獄の戦場といわれ約12万人の犠牲者が出たが、そのうち、9230名が群馬県出身者であった。パプアニューギニアを目指す私を緊張させたものは、この数字の他にも1つあった。

 それは出発の直前(9月15日)ニューヨークで、あの同時多発テロが発生したことである。この事件は、世界中をテロの恐怖に陥れたばかりでなく、その後の世界情勢を一変させた。

 私は、首都ポートモレスビーの宿舎の近くの路上で奇妙な絵を買った。裸の男がしきりにすすめる絵は、ビル群の中央に抜きん出た一際高いビルにヒコーキが突き刺さり真っ赤な炎を上げているもの。粗末な布に描かれた絵は迫力があった。それは、明らかにニューヨークテロ事件の現場だ。事件の直後に、このような未開の地でこのような絵が売られていることに、事件の衝撃の大きさを感じた。この絵は、現在、私の書斎に置かれている。

◇ニューギニアの北岸の都市ウエワクへ行き、ミッションヒルと呼ばれる激戦の跡を訪れたときの光景が忘れられない。この丘のふもとには日本軍の高射砲陣地があった。ジャングルの中の赤く錆びた高射砲は天の一角を鋭く指している。この砲にしがみついて頭上の敵機と闘った兵士の姿が目に浮かぶようであった。

 その時、裸の少年が近づき手にした大きなシャコ貝の貝殻を差し出した。少年はニコッと笑いながら貝殻をそっと私の手の平に置いた。貴重な宝物を手離すことを惜しむように。そして少年はかも鹿のように走り去った。

 この貝殻は、今でも常に私の書斎の机に置かれている。貝殻の白い面には、赤い字で「素敵なプレゼント、ミッションヒルの少年からもらう、ニューギニア、10月24日」と書かれている。あの少年は、今ごろ、どうしているだろうか。

◇ラエとラバウルの慰霊式が記憶に焼きついている。ラエはダンピール海峡に臨む市。この海峡で日本軍は3千数百名を失った。ラバウルでは旧日本軍のラバウル飛行場跡を見た。そこには日本軍の戦闘機の残骸もあった。海を見下ろす山腹に立つ戦没者の碑の前で、私は万感の思いで追悼文を読んだ。(読者に感謝)

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2010年8月12日 (木)

人生フル回転「御巣鷹の悲劇。520人の死者。ウジと死臭」

◇25年前の8月12日、航空史上最悪の事故が群馬の御巣鷹山で発生。520人の犠牲者が出た。改めて資料を読むと、行間から人々の叫び声が聞こえ、死臭がもれ、ウジが這い出すような錯覚を覚える。

 世界の航空業界は、この参事を教訓として活かしているのだろうか。25年の歳月は全てを忘却の彼方に追いやって、何百トンという鉄の塊は、毎日、日常茶飯事のように大空を飛んでいる。

 最近、気になることは、航空業界の経営難が続く中で、経営の合理化と値引き競争が行われていることである。御巣鷹の悲劇を思い出すなら、絶対におろそかにしてはならない事は安全性の確保である。格安運賃によって人の命までも安く扱われてはたまったものではない。

◇当時の藤岡市民体育館は正に地獄であった。土下座して謝る日航職員に対して、遺族は、怒り狂って、ののしり、物を投げつけたり、胸元をつかんで壁に押しつけたりした。炭化して人間としての原形すら残されていない父と対面して失神する娘たち、夫の棺にすがりついて離れようとしない妻。

 死体にはウジが湧き、かたまりとなってうごめき、20ミリにも成長する。検屍官の話では、変死体の死後日数はウジの成長を計って推定するという。日航機事故の場合、猛暑の中なので腐乱した肉の中のウジは丸々と太り通常より大きくなった。

 死体にたずさわる人は、異常な死臭には特に悩まされたらしい。死体からにじみ出る臭いほど凄いものはないという。これらの人々はレストランや電車にも乗れなかったと振り返る。自分では気づかないしみついた臭いに周囲の人が騒ぐのだ。

 ジャンボ機墜落の衝撃の大きさを物語る例として、挫滅した顔面に3つの眼球がついていたという話がある。専門家が綿密に調べた結果、信じられない程の力によって、一つの頭部に他の頭部が打ち込まれ眼球が3つ並んだ形になったことが判明した。

◇こんな地獄絵の状況下で4人の生存者があった事は、唯一最大の救いだった。奇跡の人たちは川上慶子さんを初めとした全員が女性であった。川上さんはその後看護士となり、平成7年の阪神淡路大震災では被災者の看護のため活躍した。この時彼女の頭には、御巣鷹のことが甦っていた事だろう。

◇こんな血生臭い悲劇の尾根を空の安全を守るための祈りの山に変えることが、命を落とした人々に報いる道である。来年は、群馬が県をあげて取り組む「DC」の年だ。御巣鷹を空の安全を祈る新しい観光地にしたらと思う。(読者に感謝)

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2010年8月11日 (水)

人生フル回転「臓器移植は今後の社会を変える。昭和17年の甲子園」

◇脳死を人の死と認定し、摘出された心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓がそれぞれ移植手術された。腎移植手術は群大病院で行われた。医学の大きな進歩である。利己主義が目に余る今日の社会で臓器提供は利他主義の象徴的行為である。黒い雲で覆われた空の一角にぽっかりと晴天が広がるのを見る思いである。臓器移植の普及は、今後、社会を大きく変える力になるだろう。

◇臓器移植法が施行されたのは平成9年であるが要件が厳し過ぎた。群馬県議会は、平成19年の2月議会に於いて臓器移植法の改正を求める意見書を国会に提出した。改正法が施行されたのは今年の7月17日である。この法律に基づく臓器摘出手術が始まったのは8月10日午前3時頃。すごいはやさで事態が推移したことに驚く。

◇ここに至る迄には、臓器移植に関する「事件」及び激しい議論の積み重ねがあった。生きている人から臓器、例えば心臓を摘出して死に至らしめれば殺人罪になる。だから何を基準にして死を判定するかという根本的な議論があった。臓器移植を成功させるためには死の認定ははやい時期がいい。今の法律は、心臓がドッキンドッキンと動いていても脳死をもって人の死と判定できる。

 今からおよそ42年前、札幌医大の和田教授(当時)は日本で最初の心臓移植手術を行った。和田教授は海で溺れて意識不明となった当時18歳の青年を脳死と判定しその心臓を摘出した。移植手術を受けた若者は83日後に死亡した。和田教授は殺人罪で告発された。人の死の基準を脳死に求めるかどうか十分議論されていなかった時のことである。

 この事件のために日本の臓器移植は大変遅れたといわれるが、臓器移植の必要性に支えられて議論が熟し今日の改正法に至った。

 改正された主な点は、提供者の意思が書面で示されていなくても家族が認めればよい、15歳未満の子どもも対象に含まれるなどである。

◇甲子園で見せる若者のエネルギーは凄い。ガッツがないといわれる今の子どもたちにも昔と変わらぬ可能性が秘められていることを教えてくれる。

 太平洋戦争中は野球どころではなかったが、昭和17年に唯一度甲子園大会が復活したことがあった。国民の意識を戦争に集中させるための手段としてスポーツまでも総動員されたのだ。

 試合開始の音楽は進軍ラッパ。体調が悪くても投手の交替は退却だからと認めない。そんな熱戦の記録を見る機会があった。彼らの行く手には、学徒出陣や少年特別攻撃隊などが待ち受けていた。甲子園の若者たちに65年前の暑い夏を知って欲しい。15日の敗戦の日が近づく。(読者に感謝)

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2010年8月10日 (火)

人生フル回転「狂い出した人間界と自然界。群馬も不明高齢者」

◇この夏祭りの挨拶でよく使った表現がある。それは、「皆さん、最近は、人間の世界も自然界もどこか狂っているようです」というもの。そして、祭りを通して地域の力と人間の絆を回復することの重要性を語った。

 人間界の異常は、子どもの虐待、高齢者の行方不明の急増などにも現れている。児童虐待は、その多くが親子の間で生ずるものだけに、やりきれなさと共に社会の病巣の深刻さを感じる。

 児童虐待事件は増え続けている。昨年は過去最高の335件であったが、今年は、それを上回るペースである。

 大阪市で起きた幼い姉弟の死亡事件はあわれだ。冷蔵庫はカラだったといわれる。密閉された部屋で冷蔵庫の物を食べ尽くし飢えにもがく2人の幼児の姿は鬼気迫るものがある。

 現場マンション前には連日100人以上の人が訪れている。ジュース、お菓子、おにぎりなどがマンション前の献花台に置かれている。世の中の関心は極めて高いのだ。

◇遂に群馬でも所在不明の高齢者の件が発表された。太田に住民登録のある103歳の男性である。男性の家族は市から長寿祝金など少なくも61万8千円を受け取っていた。県は、各市町村に100歳以上の高齢者の所在を直接の面接によって確認するよう要請した。このような例を生み出す共通の社会的要因があるのだから、本県で更に発生するのではないか。

◇自然界の狂態もただごとではない。日本各地を、過去に例がないゲリラ豪雨が襲い大きな被害が発生した。

 世界の異常気象と自然災害はスケールが違いその凄さには言語を絶する。中国内陸部、甘粛省のチベット族自治州では、1時間に70ミリ以上の雨が降り、発生した土石流にまちは呑み込まれた。死者127人、行方不明1294人と報じられている。現場は標高2千mの山岳地帯である。人々は、天の怒りと受け止めているかも知れない。

 パキスタンの洪水被害は史上最大規模で死者は1600人を超え被災者は400万人以上といわれる。80年ぶりの大洪水の被害に対して救援活動は進んでいない。こうした中、ヨーロッパを外遊している大統領に国民の批判が高まっている。国の役割は何かが最も問われる場面だから、大統領の政治生命に関わる事態に発展するのではないか。

 ロシヤは、酷暑のため大規模な森林火災が発生している。飛行機の運航に障害が生じ、農作物の被害は甚大らしい。人々がマスクをして動く姿に緊迫感がある。寒い北の国が炎熱に包まれるというのも前代未聞で地球の危機を表現している。(読者に感謝)

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2010年8月 9日 (月)

「原爆投下を学校で教えよ。高齢者不在と人間失格」

◇65年前の8月に、2個の原爆が日本に落とされ、およそ人智が描き得る残虐さを遥かに超えた惨状が生じた事を、学校は子ども達にどの程度教えているのであろうか。

 悲惨さをことさら強調する必要はないが、現代史を理解する上で極めて重要な客観的事実を中学の教育現場は正面からきちんと教えるべきだ。

 最近の代表的な教科書(東京書籍、新編新しい社会・歴史・平成20年発行)では、ごく簡単に、「アメリカは、原子爆弾を8月6日広島に、9日長崎に投下しました」と記述している。人類史に永遠に特筆されるに違いない出来事を正しく詳しく学校で教えることは、義務教育の責任だし、歴史教育の本道である。

 私は、県議会に入って以来、学校は近現代史の教育に力を入れるべき事を主張してきた。それは、歴史の授業が暗記中心となり、近現代史が特に疎かになっていることを心配してきたからである。

 国際理解教育の重要性が叫ばれているが、この面で重要なことは、自国の文化や歴史を語れることである。日本の青少年は、外国人に対して、広島や長崎のことをどの程度語れるか疑問である。

◇今年の広島の平和記念式は特筆すべきものとなった。原爆を投下したアメリカの大使が初めて出席した。英仏の大使も初めて出席した。背景にオバマが掲げる「核なき世界」の決意がある。米国内には、大使の出席を批判する声がある。原爆投下は正しかった、謝罪はしないという歴史観がある。勝者の論理だと私は思う。

◇7日、8日で、納涼祭は山を越した。多くの町が自治会中心で夏祭りを実施した。私は、この夏程、祭りの意義を感じたことはない。それは、100歳を超える高齢者の行方不明が急増している背景に地域社会の崩壊や人間の絆の希薄化があると思うからである。

 町内の人々が夏祭りに力を合わせて取り組む姿は、流砂の中に沈んでゆく社会を食い止める人々の努力のように思えた。自分の親が30年も不明で、調べようともしなかったなどということは、人間失格以外の何ものでもない。

 夏祭りの挨拶で私がこのような事を話すと、これは戦後教育の責任だと怒りを現す老人がいた。

◇8日、前橋商業が宇和島東に快勝したことは、どの夏祭り会場でも大きな話題になっていた。前商と関係ない人も我がことのように喜んでいた。かくいう私もその一人。甲子園効果の大きさを感じた。(読者に感謝)

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2010年8月 8日 (日)

第五章 地獄の満州

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

2、3時間歩いて、前橋開拓団の拠点、前橋郷に着く。ここで、松井たちは、更に驚いてしまう。土を重ねて作ったような家は、日本から来て初めて見る者にとっては、人が住む家というにはあまりにも異様なものに映った。

「なんだろう、この家は」

松井かずは思わず叫んでしまった。そして、〈私たちは、恐ろしい所へ来てしまった〉という後悔と不安が胸の中で黒い雲のように広がってゆくのだった。

松井かずたち勤労奉仕隊の者は、前橋郷の一画にある奉国農場に案内された。大きな土塀に囲まれた広い土地に粗末な家が散在している。何もないところであった。トイレもなかった。用を足すのは、外の野っ原の適当な所でという具合だった。いかに異常な戦時とはいえ、それは若い女性に耐えられることではない。そこで、掘立小屋をつくり、穴を掘ってトイレにした。

この奉国農場には、既に先着の十数名がおり、これに松井かず等21名が加わって、共同作業、共同生活をすることになった。昭和20年6月上旬のことであった。周りの平原は、視野の限り一本の木もなくどこまでも続いている。ところが、夜、暗闇に目を凝らすと、遥かかなたの高い所にかすかな光が見える。初めは星かと思ったが、そうではない。星は、そのまた上の空に小さく光っている。「あれは、山の人家の火なの。あの山の向こうは、ソ連なの」

先輩の勤労奉仕隊員が言った。

松井かずは、ここで初めてソ連を身近に感じた。ついに、こんな所まで来てしまったのだと思った。この時、彼女の頭に、前橋の製糸工場にいたとき、青年学校の先生がよく言っていたことが浮かんだ。

「ソ連は恐ろしい国で、この戦争、どちらが勝つか、大蛇の目でじっと見ている。そして、勝つ方について、負ける方を呑んでしまう」

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2010年8月 7日 (土)

① 敗戦間近のとき、群馬の女性、松井かず、前橋をたって満州へ

松井かずは、釜山に上陸して、沢山の物乞いの群に驚く。これから先の大陸には、何が待ち受けているのだろうか。不吉な予感におののくが、もう後に戻ることはできない。覚悟を決めようと自分に言い聞かせる。

物乞いに腐ったむすびを与えている仲間の姿が目に入る。物乞いは、それを水で洗って食べている。ああいう利用の仕方があるのか、彼女はむすびを捨てた自分の浅はかな行為を悔いた。このことは、彼女の頭にいつまでも焼きついていた。後に、逃避行で食べる物もなく、一つぶ一つぶのコォリャンを数えるようにして口に運んだ時も、あの海に漂う白いむすびの光景は鮮明に蘇えって彼女に迫るのだった。

松井かずたちを乗せた列車は、朝鮮から満州に入り、一路黒龍江省の克東(こくとう)県に向った。満州の平原は広い。行けども行けども、同じような広大な平野が続き、尽きることがない。地平線の上の真っ赤な太陽が、いましも沈もうとしている。日本で見る夕日の十倍も、あるいはそれ以上もあろうかと思われる夕日が落ちてゆく。松井かずは、落ちる夕日を前にして今まで味わったことのない不安にとらわれた。この列車も、平原も、あの地平線の所で太陽と共に底無しの暗い淵に落ち込んでゆくのではないかと。列車は、松井かずの不安を増幅させるように、汽笛を鳴らし、鈍い車輪の音を引きずりながら、曠野の闇をひたすらに突き進んだ。

新京、ハルビンと列車は進み、やがて目指す北安(ペイアン)の克東県に着いた。群馬の片田舎のよりもっと侘しい駅である。彼女たちが心細い気持で駅に降りると、開拓団の人々が出迎えに来ていた。彼らは、バケツにいっぱいのむすびを作ってきて遠来の同志に配った。

松井かずは、配られたむすびを手にして、〈ああ、とんでもない所へ来てしまった〉、と思った。むすびの米は、今まで見たこともない黒っぽいもの。それに岩塩をつけて食べるのだ。〈どんな生活をしているのだろう〉、むすびから想像されるこれからの生活が一段と不安になるのだった。(読者に感謝)

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2010年8月 6日 (金)

人生フル回転「犯罪の国際化。振り込め詐欺は21世紀の犯罪だ」

◇今月2日の玉村町役場に於ける行政懇談会には、県警本部長も出席しており、県内の治安状況が話題になった。そこでは、振り込め詐欺の最近の特色が説明された。

 それによると振り込め詐欺の認知件数、被害金額ともに前年比減少しているが、一方で新たな手口が急増しているという。それは、警察官や銀行員をかたってキャッシュカードをだましとる手口である。

 被害者を年齢別に見ると、オレオレ詐欺は比較的高齢者に多く、架空請求詐欺の被害者は若年層が多いといわれる。

◇振り込め詐欺は、21世紀型の犯罪の典型だと思う。極度に発達した機械文明と昔から変わらぬ人間の心理。このギャップを巧みに利用した犯罪である。そして、これを支える社会的背景として、倫理感や規範意識とは無縁な欲望のためには手段を選ばない若者たちの存在がある。

 これは日本だけでなく、世界に共通した事情といえるだろう。だから、あっという間に世界に広まった。振り込め詐欺の元祖は台湾といわれる。02年ごろ台湾で始まり、04年には早くも日本で蔓延した。

 流行の経路は不明だが、05年にはブラジル・サンパウロで、この振り込め詐欺が蔓延していた事実がある。05年8月、私は県議会議長としてブラジル・サンパウロ州を訪れた時、ホテルで「ニッケイ新聞」を入手した。ニッケイとは「日系」を意味し、日本語で書かれた新聞である。

 それには、「聖州で振り込め詐欺急増、一日100件を超える。誘拐に見せかけ心理かく乱」と大きな見出しがあった。聖州とはサンパウロ州のこと。記事の内容は次のようなものだった。「刑務所の服役者が所内から携帯電話で脅迫をし口座に振り込ませている。刑務所内の携帯電話の取り締りを厳しくしたがイタチゴッコで囚人は依然携帯電話を所持し外部と連絡を取り合っている」

 新聞は、日本のことにも触れ、日本ではオレオレ詐欺と呼ばれ巨額の被害が出ているとし、「オレオレと言ったら女房電話切り」という川柳まで紹介していた。

◇警察庁は2010年版の白書で「犯罪のグローバル化」を特集し、その中で振り込め詐欺の国際化対策を述べている。それによると、犯罪グループは、例えば中国から国際電話を使い、日本語でだまして、現金を振り込ませているという。振り込め詐欺は、手軽な犯罪という特色を持つ。あまり罪の意識を持たず、ビジネス感覚で実行しているに違いない。だから今後も、新たな手口がどんどん現われるだろう。(読者に感謝)

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2010年8月 5日 (木)

人生フル回転「高齢者行方不明の衝撃。戦没者追悼式の形式化」

◇100歳を超えるお年寄りの行方不明問題は不気味な広がりを見せている。杉並区の2例がきっかけとなって現代社会の新たな闇が姿を現しつつある。全国では57人が不明であるという。群馬県の実態はどうなのか気になるところだ。

 多くの例で肉親が所在を知らないと言っている。長野県の例では、息子が「30年以上前に伊豆に行った。何かあれば先方から連絡がくるはずだ」と語ったという。これは親子の絆が完全に切れていることを物語る。親子の道徳や倫理を語る前提がなくなっていることを示す。行政や地域社会が抱える深刻な問題だ。日本の社会の危機がここまで来たかと衝撃を受けた。家族のつながりや地域社会の連帯の崩壊を導く原因は何か。一人一人が考えなければならない時に来た。

◇昨日(4日)前橋市千代田町商店街の夏祭りに出たら、自治会長が挨拶の中で、65年前の8月5日、このあたりは空襲で灰になりましたと話していた。その後、目覚しい復興を遂げたが現在の中心市街地は再び廃墟のようになってしまった。65年前より悪いのは、人々の心にかつてのような活力がないことだ。

 このことは、前橋市の中心商店街だけでなく日本全体についていえることだ。今、必要なことは、私たちが65年前の原点に立ち返ることである。

 群馬県史7巻によれば、昭和20年8月5日22時30分頃、B29・92機が前橋市及びその周辺を約2時間にわたり猛爆撃し、前橋市街地の80%を焼き払い、前橋市の死者は535人に達した。

◇今月15日から行われる戦没者追悼式の事で強調したいことがある。この追悼式を本来の意義あるものにしなければならないという事だ。会場の熱気は年々冷めていく。このままでは全く形式的な儀式になってしまう。

 戦争に参加して20代前半で終戦を迎えた人も90歳近くになる。戦争の体験者は間もなく全てがこの世を去る。戦争の生々しい実態を戦争体験者が伝える最後の時が近づいている。それなのに、例年通りの形式的な追悼式を今年も行うとすれば行政は無策無能と言われても仕方ない。

 私のまわりには、南太平洋・ビルマ・シベリヤなどで死線をさまよって生還した人たちがいる。この人たちは貴重な体験を若者にしっかり手渡してからこの世を去りたいと考えている。追悼式はそのバトンタッチの場にすべきだ。例年2人の高校生が参加するが、今年は規模を拡大し100人位出席させて欲しい。これは、その気になれば、予算もかからぬ事だから実行は可能だろう。(読者に感謝)

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2010年8月 4日 (水)

人生フル回転「現代のミステリー、113歳の所在不明。8月15日が近づく」

◇奇妙な現象が続くものだ。21世紀のミステリーである。100歳を超える高齢者が長期間行方不明などという事が可能なのか。1人は戸籍上111歳の男性で、実は30年以上も前に死亡していた事が判明。今回は、113歳の女性で、警視庁が所在の確認を急いでいるという。いずれも東京都杉並区の出来事だ。

 複雑な背景があるのかも知れないが、地域社会の連帯が崩れ、家族や肉親の絆が薄くなっていることと関連があるに違いない。

◇また敗戦記念日が近づいた。65年前の8月上旬、敗戦は既に確実であった。なのに多くの若者が片道分のガソリンで戦火の中に飛び込んでいった。現代の若者の姿を見ながら、今、この事を思う。

 1945年(昭和20年)7月16日、アメリカ・ニューメキシコの砂漠で人類初の核実験が成功した。知らせを受けたポツダムに於ける米大統領の態度は一変して自信に満ちたものになったといわれる。

 7月26日には、早くも、太平洋のテニヤン基地に原爆は船で運び込まれた。日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発せられたのも、この7月26日だった。

 前橋市の桃井小を卒業し、前中(現前高)で学んだ鈴木貫太郎が、「命をかけても、機を見て終戦に導く」ことを決意して、首相の地位に就いたのは、この年の4月7日だった。

鈴木内閣は秘かに終戦の機をうかがっていたがポツダム宣言の受諾は容易な事ではない。結論を出せないでいるうちに、8月6日、広島に、8月9日、長崎に、原爆がおとされた。

鈴木は御前会議に於いて天皇の聖断を巧みに利用してポツダム宣言の受諾を決めた。8月14日の正午近くの事であった。そして翌15日正午「玉音放送」の実現となった。本土決戦を避け、終戦への道をつくった事で、鈴木は日本を救った総理大臣といわれている。

8月に入って、政府の中枢で大きな動きがあることを当時の国民はほとんど知らなかった。この間、前橋市は8月5日B29爆撃機の爆撃により壊滅的打撃を受けた。まちの大半は焼かれ535人の死者が出た。そして、終戦前夜、8月14日の夜、伊勢崎市と高崎市は日本最後の空襲を受けた。

当時4歳だった私は、県庁近くの防空壕に身をひそめた記憶をもつ。戦争を知る者が少なくなった。若者に戦争の事実を教えなければならない。8月15日、また群馬アリーナでマンネリ化した儀式が行われると思うと辛い。

多くの若者を参加させ、戦争の記録を見せ、生き残った元兵士に戦争の体験を語らせるといった思いきった企画ができないものか。(読者に感謝)

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2010年8月 3日 (火)

人生フル回転「ヘリの墜落。ヘリの視察中止。女子大学長の辞任と後任」

◇悪い事は続くのもだ。ヘリの墜落事故が相次いでいる。先月25日埼玉県の防災ヘリが墜落し5人が死亡、今月1日には熊本県で小型ヘリが水田に墜落し2人が死亡した。

 実は、私の属する産経土木常任委員会では、2日早朝からヘリで県内の道路状況を視察することになっていた。関東平野に展開しつつある壮大な道路網を鳥の目で眺める感激を期待していた。

 午前6時過ぎ、県の担当官から電話があって、気象条件が悪いので中止になりましたという。残念だがほっとする気持ちもあった。最近は、人間界も自然界も狂っているから空の異常事態は怖いという思いがあったのだ。

◇かつて江戸時代は日本橋を起点として五街道が伸びていた。今日、東京から放射線状に高速自動車道が走る。時計回りに、下から、東名高速道、中央自動車道、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道である。このうち、関東平野を走る、関越から常磐に至る3つの縦のラインを横切る東西のラインが間もなく完成する。北関東自動車道は来年のGW前の開通が確実となった。群馬、栃木、茨城3県の一体化が一気に進む。その経済、文化等各般にわたる効果は測り知れない。閉塞状況に陥っているこの地域に大きな夢を与えることになった。私たちの前途には道州制も横たわっている。ヘリによる視察は、この夢を実現する小さな一歩である。夢をふくらませながら次の機会を待つことにした。

◇2時15分から県立女子大の富岡学長と会談し、3時から近くの玉村町役場で行われる県と地域の懇談会に出た(2日)。

 富岡学長は任期終了前に辞任して高崎市長選に出馬する。富岡さんの情熱と気迫は凄い。後任の学長に関して意見を交わした。今月27日に決定され公表されるだろう。

 県立女子大と中国の大連外国語学院とは、私が中心となって平成20年連携の調印式が行われ新たな歴史が始まった。同大には、「日中友好中村文庫」が存在する。連携の成果として、1人の留学生が入学した。会えるかと期待したがちょうど夏休みで里帰りした直後だった。

 大連外国語学院は、旧満州国以来の歴史を持つ大学で、調印式の時は、大連から旅順にキャンパスを移した直後だった。私の記念講演に参加した多くの学生の生き生きした表情が思い出される。

◇玉村町役場における知事との懇談会で、高木前橋市長は赤城山の活用と振興策を取り上げた。この事に関して私は山頂と山麓の連携を図るため林道を活かす重要性を訴えた。重要な林道が整備されたまま10年以上も閉ざされている。(読者に感謝)

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2010年8月 2日 (月)

人生フル回転「夏祭に町の現実を見る。64回書道展授賞式」

◇夏祭りたけなわである。31日(土)は23ヶ所、昨日(1日)は13ヶ所回った。1日23ヶ所の町内を回るのは私の記録であり、限界に近い。祭りは町の姿を端的に現わす。子どもが多くて力がみなぎる町もあれば、若者が少ない静かな町もある。総じていえることは、どの町でも、祭りは、町の連帯感を高める重要な役割を果していることである。

 政治家が祭りに顔を出すことは、将来の選挙に備えるという意味があることは持論であるが、それ以上に、社会の現実を知るという政治家にとって重要な意味がある。

 祭りに関して大きく変化した事がある。政治家が空手で顔を出すことが定着した事である。昔は、お包みを用意する政治家が多かった。寄付行為違反として告発され新聞で報じられる事などが重なって、悪しき習慣は姿を消した。今年の夏祭りでは、全て受け付け

は、名刺だけで済ませているか、そうすることに抵抗感もなくなった。社会の進歩である。

◇第64回群馬教育書道展授賞式に出た(1日)。今年は、約2万2千の出品があった。昨年より約600点多かった。授賞者の9割以上は女性である。出品が増えた事に心あたたまる手ごたえを感じた。

 毎年の事であるがほほえましい光景がある。小学低学年の児童が受賞する姿である。呼名にこたえて登壇する小1の女の子は豆粒のようにかわいい。墨をすり、姿勢を正して筆を持つ姿を想像すると思わず口元がゆるむのを覚える。

 私は来賓を代表して挨拶した。そのポイントは次のような点である。文字には日本の長い歴史と文化が結びついている。このことは機械文明がいくら発展しても不変である。書道は身をもってこれを体感する手段である。日本は今日危機にある。その第1は経済の不況ではなく日本人の心が崩れていくことだ。書道は日本人の心を支える伝統文化である。このような事を述べたあとで、「皆さん、このような書道の意義を理解するなら、皆さんの受賞の重さがお分かりになるでしょう。これからも一層頑張って下さい」と結んだ。私は群馬県書道協会の顧問である。

◇ある夏祭りの会場の炎天下のテントで、私は暴力団のことを聞かれた。暴力団のことは、相撲協会との関係で今話題となっているが、かつて私が中心となって、県営住宅から暴力団を排除する条例改正を行ったことを知っている人の質問であった。

 私は、近く県議会で暴力団排除条例が可決されるだろう、そのポイントは、暴力団に利益を享受させないことで、例えばみかじめ料を提供すること、それを受け取ること、業者が暴力団に事務所を斡旋することなどが禁止されることだと説明した。(読者に感謝)

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2010年8月 1日 (日)

第五章 地獄の満州

徴用(ちょうよう)で軍需工場で働くか、6ヶ月の勤労奉仕で中国満州に渡るかの選択に迫られたとき、松井かずは、それ程迷わず、満州を選んだという。当時の異常な雰囲気がそうさせたのであるが、この判断が彼女の運命を大きく変えてゆくことになった。

勤労奉仕隊は、前橋だけで、20人程いた。これに何家族かの開拓民を目指すものを加え一行は前橋を出発し、新潟へ向う。新潟には、満州を目指す人々が、各地から多く集まっていた。

船は直ぐには出発せず、その間、彼女たちは、近くの農家を手伝うことになった。いよいよ新潟港を出版する時、農家の人々は握り飯を沢山用意してくれた。

海は荒れていた。高い波の谷間に、うっすらと佐渡ケ島が上下して見える。佐渡を見るのもこれが最後であろうか。群馬を出るときは強気だった松井かずも、いざ日本を離れるとなると次第に不安になっていった。

丸2日かかって朝鮮の釜山に着く。ひどく船に酔って何も食べられない。このまま死んでしまうのだろうかと、異国の空の下でますます心細くなってゆく。新潟でつくってもらったむすびは、手つかずで、その上、すえてひどい異臭を放っている。松井かずは、処分に困って、10個ばかりのむすびをそっと海に落とした。白いむすびが海面にぷかぷかと浮いている。彼女は、むすびが早く沈んでくれないかと願った。しかし、むすびは、その意思で泳いでいるかのように、そして、自分を捨てた人間を咎めているかのようにいつまでも海面にあった。貴重な食料を無駄にしたことへの自責の念と他人に見られたくないという思いがあった。そして、むすびを作ってくれた新潟の農家の主婦の顔が浮かんだ。

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