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2010年5月22日 (土)

第4章 第二次世界大戦・そして敗戦

①太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

 戦いは、1918年(大正7年)、連合国側の勝利に終わり、翌年パリで講和条約が結ばれた。これがベルサイユ条約である。この条約で、ドイツは全ての植民地を失い、また、巨額の賠償金を課せられた。ベルサイユ条約によって厳しい制裁を受けた点は、イタリアも同様であった。ベルサイユ条約による厳しい制裁に苦しむこれら敗戦国の上に、1929年(昭和4年)に始まる世界大恐慌が襲い、国は混乱し、国民は大変な苦しみを受けることになる。この窮状を打開するために、国民は独裁者を生み出してゆく。イタリアでは、前に触れたように、松岡洋右が群馬会館の演説で絶賛した人物ムッソリーニが、そして、ドイツでは、ナチス党を率いるヒットラーがそれぞれ独裁政治を始める。

 特にドイツのヒットラーは、ベルサイユ体制の打破を唱えて国際連盟を脱退すると共に再武装を宣言し、軍備の増強を強力に押し進めていった。ヒットラーはオーストリアを併合し、チェコスロヴァキアにも併合の手を伸ばし、さらに1939年(昭和14年)、ポーランドに宣戦を布告するに至り、ついにイギリス、フランスがドイツに宣戦を布告、ここに第二次世界大戦が開始された。日本は、翌年1940年(昭和15年)9月、ドイツイタリアと共に日独伊三国同盟を結び、1941年(昭和16年)12月8日、東条内閣の下で、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争に入っていった。

 日本は何故このような道を選んだのか。日本は、既に1937年(昭和12年)から日中戦争に入り、その果てしない泥沼にはまり込んでいたが、この戦争遂行のために必要な物資は米英などに頼らねばならなかった。しかし、日本の中国侵略は米英等との対立を益々深め、日本はこれらの物資を貿易によって入手することが困難になってゆき、石油などを手に入れるため南方進出を企てたが、このことは米英との対立を更に深刻化させ、列強の対日経済封鎖を強めることになった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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