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2010年5月30日 (日)

第4章 第二次世界大戦・そして敗戦

    太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

しかし、この年、昭和17年の6月には、ミッドウェー海戦に大敗北し、これから戦局は次第に不利に転じ、この年後半からアメリカの本格的反攻が開始された。昭和18年2月にはガダルカナル島の大敗。昭和19年には、マリアナ群島が占領され、この年の末からはここを飛行基地とした、アメリカ空軍による本土爆撃が激化してゆく。

日本軍の不利は、報道管制により知らされなかったが、それでも、事態の容易ならざることは伝わる。県議会の様子も次第に緊迫したものになってゆくのが分かる。

昭和18年の県会において、條山千之知事は、「戦局は日を追うて凄愴苛烈(せいそうかれつ)、ただならぬ様相の下に決戦から決戦に突入し、千古未曾有(せんこみぞう)一大難局に直面している。この難局を打開する為には、一億国民が打って一丸となり大政を翼賛(よくさん)し奉らねばならず、その責務の重大さを痛感する」と発言。

また、昭和19年の議会の様子を上毛新聞は次のように伝える。菅谷議長は起って「今や重大危局に当面し、国の興亡のわかるる未曾有の秋(とき)に県会の招集を見た。各位と共に県当局と渾然一体となり、提案された昭和20年度予算を速やかに議了して戦時県会の性格を発揮し、もって130万県民の負託にそわんことを期するものである」と米英必滅の烈々たる闘魂を胸底に燃した挨拶を行う。議場の空気は、静ひつのうちにも緊張に張り詰められる・・・・。(上毛、昭和19年11月22日)

東京の大空襲は、昭和20年3月10日であったが、群馬県の太田は、これより早く、昭和20年2月10にB29による大規模な空襲を受けている。この爆撃で中島飛行機製作所で死者150人負傷者550人太田全体では羅災者数2139人に達した。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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