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2010年5月31日 (月)

人生フル回転「暴力団と個人情報、暴力団と相撲協会」

◇最近暴力団に関する2つの出来事が注目されている。1つは証券取引から暴力団を排除することに関するもの。他の1つは、暴力団と相撲協会との関わりである。

◇日本証券業協会は、暴力団組員のデータベースを作ろうとしている。これによって新規申込のあった全ての客につき組員かどうかが即座に分かることになり、株取引から組員を排除することが可能となる。

 このデータベース作りには、警察庁の組員に関する情報提供が必要である。警察庁は全国の暴力団組員約3万8千6百人の氏名、住所、生年月日を提供する方向だ。

 この事については個人情報保護との関係が問題となるが、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」によれば、相当の理由がある時は、行政機関は、その保有する情報を保有目的以外に使用出来るとしている。

 株取引から暴力団を排除することは、この「相当の理由」に当たるといえる。そこで、警察庁は、社会から暴力団を排除するという公益性の為に暴力団情報を活用するという指針を示している。

群馬県は、07年、県営住宅への暴力団組員の入居を制限する条例改正を実現したが、県は、入居資格を審査する資料を県警から入取している筈である。その理屈は、今回の証券取引に関するものと共通する。

◇相撲協会には不祥事が絶えない。今回は、特等席に暴力団関係者が座ることに親方が便宜を図った疑いで大きな問題となっている。

 この席は、土俵に近く、テレビでこの席に座る人の表情までくっきりと映し出される。捜査関係者の間では、服役中の仲間にテレビを通じて自分の姿を見せるのが狙いとの見方もあるといわれる。

 あらかじめ準備しておけば、テレビを見ている受刑者に秘密の暗号を送る事も可能だろう。警察がテレビの映像を分析すれば、何か分かるのではなかろうか。

 今回の問題は昨年の名古屋場所の件であり、山口組系暴力団の関係者に関するが、今年の国技館の初場所でも別の暴力団幹部の姿が、この特別席で確認されており、今回の発覚は氷山の一角との見方もある。関係した親方は厳しい処分を受けた。

 この事件については、暴力団組員が相撲を見てなぜ悪いのかという考えがあるだろう。許されないのは、特別席が「維持員席」であるからだと思う。

 維持員とは協会を支える特別な人である。だから、この席に暴力団組員が座ることは、協会を支える力に暴力団が加わることになる。国技が反社会的な力によって支えられることは許されるべきではない。不祥事を続ける相撲協会には構造的な問題があるのだろう。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年5月30日 (日)

第4章 第二次世界大戦・そして敗戦

    太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

しかし、この年、昭和17年の6月には、ミッドウェー海戦に大敗北し、これから戦局は次第に不利に転じ、この年後半からアメリカの本格的反攻が開始された。昭和18年2月にはガダルカナル島の大敗。昭和19年には、マリアナ群島が占領され、この年の末からはここを飛行基地とした、アメリカ空軍による本土爆撃が激化してゆく。

日本軍の不利は、報道管制により知らされなかったが、それでも、事態の容易ならざることは伝わる。県議会の様子も次第に緊迫したものになってゆくのが分かる。

昭和18年の県会において、條山千之知事は、「戦局は日を追うて凄愴苛烈(せいそうかれつ)、ただならぬ様相の下に決戦から決戦に突入し、千古未曾有(せんこみぞう)一大難局に直面している。この難局を打開する為には、一億国民が打って一丸となり大政を翼賛(よくさん)し奉らねばならず、その責務の重大さを痛感する」と発言。

また、昭和19年の議会の様子を上毛新聞は次のように伝える。菅谷議長は起って「今や重大危局に当面し、国の興亡のわかるる未曾有の秋(とき)に県会の招集を見た。各位と共に県当局と渾然一体となり、提案された昭和20年度予算を速やかに議了して戦時県会の性格を発揮し、もって130万県民の負託にそわんことを期するものである」と米英必滅の烈々たる闘魂を胸底に燃した挨拶を行う。議場の空気は、静ひつのうちにも緊張に張り詰められる・・・・。(上毛、昭和19年11月22日)

東京の大空襲は、昭和20年3月10日であったが、群馬県の太田は、これより早く、昭和20年2月10にB29による大規模な空襲を受けている。この爆撃で中島飛行機製作所で死者150人負傷者550人太田全体では羅災者数2139人に達した。

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2010年5月29日 (土)

  太平洋戦争への軌跡

 ―空襲、県議会の動きー

そして、村田知事は、予算説明の中では次のように述べる。「この壮大雄渾(ゆうこん)なる大東亜戦争を闘い抜く為には、国防生産力の画期的拡充を図り、大な軍需に応え、食糧の増産、貯蓄の増強をなすことが銃後国民の責務である。県政の処理に当っても以上の信念の下に130万県民と共に相携えて、政府の政策に協力し戦争目的完遂に力を致したい。さて、今回提案の昭和18年度の予算は、政府の方針に基づき、協力既定経費の節約を図るのは勿論、新規経費は、戦時下国策遂行上、真に緊急性をもち実行可能にして、効率をあげ得べきものに限定し、一層重点主義と効率主義との観点から較量勘案(こうりょうかんあん)を加えた」

 また、この県会では、次のような決議がなされた。

「大東亜戦争開始せられてよりここに一年、皇軍将兵の勇戦奮闘により、帝国の武威(ぶい)を内外に宣揚(せんよう)せられつつあるは誠に感激に堪えず。然りと言えども、大東亜戦争は、緒戦の段階を経たるに過ぎず、戦いはまさに今後にありというべく、敵性国家軍を徹底的に激滅して、もって大東亜共栄圏の確立を期せざるべからず。我等は政府の施策に信頼し、堅忍持久(けんにんじきゅう)よく困苦に耐え、いよいよ鉄石の団結をもって、戦争完遂に邁進(まいしん)せんことを期す。右決議す」

昭和17年11月16日

群馬県会議長 菅谷勘三郎

内閣総理大臣 東条英機閣下

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2010年5月28日 (金)

人生フル回転「五月議会で議長選出。人間魚雷の元特攻隊員と会う」

◇議会開会日の恒例の朝食会で私は口蹄疫対策を提案した。宮崎の惨状は県行政が適切で迅速な対策をとらなかったことも原因となっている。このようなとき、議会の政治的決断は非常に重要である。本県としては、万一に備えて議員による特別対策チーム(仮称)のようなものを立ち上げるべきだというもの。政調会長が皆にはかって実現させることが決まった。

◇五月議会初日の最初の課題は新議長の選出である。例によって「一身上の理由による」議長の辞職願が出される。法律上の任期は4年なのだが、1年で辞職して次の者に譲ることが恒例となっている。議会改革が進む中で、最大の陋習(ろうしゅう)だと私は思う。陋習とは悪いならわしという意である。

 自民党の県議で期数を重ねれば誰でも議長になれるという事は、本来大変重い筈。議長職をはなはだ軽いものにしている。いずれはこの弊風を改めねばならない。

 第84代議長は、47表中46票を得て関根圀男氏が当選した。他の1票は早川昌枝氏であった。

 各委員会委員の選任が行われ、私は、産経土木常任委員会、及び、「ググッとぐんま観光推進特別委員会」に属することになった。今年から来年にかけての県行政最大の課題の1つは観光開発(DC)である。私は、特別委員会でこの問題に意欲的に取り組むつもりだ。

◇知事発言は口蹄疫問題で始まった。知事は宮崎の口蹄疫は、日を追って拡大し畜産業に壊滅的な打撃を与えている、本県でも牛や豚の農場等に対して緊急調査を実施して予防対策の徹底を図り、万一の発生に備え、早期の発見と被害の防止に万全の準備を進めると決意を述べた。

◇地域社会を図る楽しみの一つは、意外な人と出会うことである。昨日は、回天特別攻撃隊の生き残りだという老人に会った。

 この人は16歳の時、山口県徳山湾の海軍基地で終戦を迎えた。湾の一画に人間魚雷回転の秘密基地があった。特攻への志願をすすめる上官の手口は巧妙であったとこの人は語る。

 ある時1人の上官に呼ばれ、お前は優秀なので特攻隊員にするつもりで教育してきた、明朝素晴らしい返事を待っていると言われる。その晩、別の上官が来て、明朝断るような事があれば、それは海軍の方針に反することであって他に悪影響を与えるから内地には置かない、沖縄に回すと言われる。かくして、16歳の少年は特攻隊員にさせられたのだった。人間魚雷は上からハッチを閉められると中からは絶対に開けられない。

 私は靖国神社で見た黒い「回天」の姿を思い出した。それは、全体が魚雷であり、その中に入って操縦して敵艦に体当たりするのだ。いく分上気して語る老人の表情の陰に紅顔の少年の面影を見る思いであった。(読者に感謝)

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2010年5月27日 (木)

「口蹄疫に全てを奪われる宮崎の同友会の仲間」

◇中小企業家同友会の勉強会で、宮崎同友会の会員から送られた口蹄疫の報告に接し衝撃を受けた。

 それによれば、感染の拡大は止まらない、発生農場から半径10kmの家畜がワクチンと全頭殺処分の対象となるが、新たな農場に感染が発生すれば、そこから半径10kmとなるので、対象となる地域はどんどん広がっているという。

 会員で、唯一畜産農業を営む尾崎畜産の事が紹介されている。尾崎社長は繁殖と肥育で和牛1600頭を飼う。尾崎牛としてブランドが確立しニューヨークやシンガポール等へも輸出している。第2牧場(100頭肥育)が半径10km圏内に入ってしまった、1500頭の牧場もあと2~3日で10km圏内に入るだろう、15億円の設備投資と45年をかけて積み上げきたものがゼロになる、と尾崎社長は訴えている。

◇報告は、新聞などにはない事実を伝えている。そのいくつかを取り上げよう。①殺処分と埋却を進めるための人手と土地が足りない。牛飼いは牧草地をもつが養豚業者は余分な土地を持たない。②行政の担当者は約3年で交替していてプロがいない、10年前に発生した時は「この事はあの人に聞けばいい」というプロがいた。③全国から多くの義援金が県に送られているが、県としては、口蹄疫収束後の経済支援として配分することしかできないがいまお金が要る。そこで、宮崎県弁護士協会の協力のもと、「緊急ボランティア支援基金」を開設し全国から協力者を募ることにした。被災農家には、それらの人の宿泊所を提供してもらい、そこに基金をあてて当面の生活支援に資するという。

◇九州の新聞は口蹄疫の深刻な状況を伝えている。鹿児島県は、宮崎県境に近い曽於市の種牛を離島の喜界島や種子島に移す計画を進めている。

 宮崎県高鍋町の県立高鍋農業高校では、実習用の牛や豚を殺処分するとき、寮生活を送る畜産科の生徒を体育館に集め、県教委はカウンセラーを派遣した。処分される家畜の鳴き声を聞いて生徒がショックを受けるのを避けるためだ。声を聞かなくても、精神的衝撃は大きいに違いない。カウンセラーはその為である。

◇国は、口蹄疫蔓延につき、国や県の対策に問題があったのではないかとして、外部の専門家でつくる「疫学調査チーム」による調査に乗り出す。

 農水省幹部によれば、次の点が考えられるという。①埋却地確保に手間取り、殺処分が遅れた豚から感染が広がった。②農場に出入りした人や車両の消毒が徹底されなかった。③同県が発生確認(4月20日)の3週間前に口蹄疫を見逃していた。

 国の口蹄疫指針によれば、都道府県は、あらかじめ市町村と協議し、焼却、埋却場所の確保に務めるよう指導すると定める。この基本原理が守られなかった事がうかがえる。本県は、これらの事をしっかりと踏まえて備えるべきだ。(読者に感謝)

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2010年5月26日 (水)

人生フル回転「ある葬儀の感動。口蹄疫は止まらない」

◇喪主は語る。「母は心臓の持病があり子どもを産めば死ぬといわれていました」ある葬儀の喪主の挨拶である。それでも命を残したくて2人の子どもを設けた。その後、心臓の手術を受けることになり、執刀医は、心臓外科の権威・東京女子医大教授(当時)・榊原仠。貧しい母は、お金がないのだけれど助けてもらえないかと手紙を書いた。それが榊原教授の下に届き、思いもよらずその手術が受けられることになった。このように喪主は訴えるように語る。会場は水を打ったように静かだ。

喪主は続ける。「ところが手術の直前大変な事が起きました」突然父が倒れてこの世を去ってしまった。その事を手術を目前に控えた母に告げることは困難であった。その時、教授は母の下を訪ね、「御主人はあなたのために亡くなられた」と話し勇気付けた。「母は昭和14年に生まれ、70歳で亡くなりました。私が有難うと呼びかけると、母は既に息を引き取っていたのに、ありがとうと頷き返したように見えました」喪主の話に私は身を乗り出すように耳を傾けていた。

 この母の人生のドラマは、続いて歌われた「千の風になって」と重なっているように感じられた。有名なソプラノ歌手の声は滔滔と場内に流れ、その声は、70年を熱く生きて去った女性の声のように響いた。

私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風になってあの大きな空を吹きわたっています

人の死に方は、その人の生き様の究極の姿である。私は、仕事柄、いろいろな葬儀に出る。そこでは、様々な人生が喪主によって語られる。群響の主席チェロリストがかなでる送葬の曲もよかった。

 ◇口蹄疫発生の現地を見た人の話を聞いた。家畜の死骸を埋めたブルーシートがいたる所に目に付き、強烈な異臭が流れている。敗戦による死のまちのようだというのだ。

 都農(つの)町から発生したとされ、川南(かわみなみ)町、高鍋町、新富町へと広がった。発生地から半径10キロ圏内の全頭殺処分とワクチン接種が決まった。対象となる牛と豚は32万頭(5月20日現在)である。

 獣医師と埋め場所不足のため殺処分が進まず、その間家畜の体内でウィルスが増殖され、その口から飛び出すウィルスによって感染が拡大する。ワクチン接種は、この体内増殖を阻止し計画的に殺処分を進めるための手段である。

 10年前に宮崎県で発生した時は、発生と同時に国が消毒薬を一斉に手配するなど国と県の迅速な動きが被害を食い止めたが今回は、逆にその不手際が爆発的な感染拡大を許した。

 本県は、宮崎の事態をつぶさに分析して万一の時の参考にすべきである。また、政治的な対応が非常に重要なのだから、県議会は口蹄疫対策の特別委員会を作るべきだと思う。(読者に感謝)

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2010年5月25日 (火)

人生フル回転「議長・幹事長決まる。山東省の客をもてなす」

◇自民党最大の行事の一つである役員選考会が行われた(24日)。先ず幹事長を決める。その後は新幹事長が中心になって、議長候補その他の議会及び党の役員を決めていくという手順である。だから最初の幹事長選考が最大の山場となる。

 幹事長選考委員会の委員長は私が努めることになった。現幹事長の南波氏と、新たに真下誠治氏が名乗りを上げていたので、話し合いで決めるか選挙によるかが問題になった。各期の議員の意見は選挙によるべしというものが大方であったが、南波和憲氏は熟慮の末、新人に道を譲ることを決断したため、投票によらず、3期の真下氏が幹事長に決まった。

 第84代の県議会議長候補には5期の関根圀男氏が選ばれた。関根氏にとって議長就任は積年の悲願であった。正式には間もなく始まる議会に於いて投票によって選ばれるが、自民党が絶対多数を占める議会で関根氏が当選することは確実である。

 新議長には、議会改革を推進させ、議会の権威を高める役割を果すことを望みたい。県議会議長は、今や、名誉職では済まされないのだ。真の議会改革のためには、議会に於いて激しく政策論争を闘わせて議長のポストを争うことが望ましい。その日がいつか来るだろうか。

09_11_09_03 ◇この日の夕刻、山東省の中小企業視察団を迎へ、歓迎の夕食会が行われた。本県は、福田康夫元首相が交流の契機を作って以来山東省との関係を深めてきた。

 そして、昨年11月には、私が会長を務める日中議員連盟のメンバーが孔子誕生の地・曲阜市を訪れ、孔子ゆかりの「宥座の器」を贈呈し、私は曲阜師範大学で記念公演を行った。その時、私たちを歓迎してくれた人民政府の趙東波さんは、今回視察団の副団長である。夕食会には、稲山副知事、小比木生活文化部長、三澤産業経済部長も参加した。

 挨拶に立った私は、冒頭の次の部分を中国語で話した。「皆さん、ようこそ群馬県へ来られました。皆さんと再会できて私は大変嬉しく思います。中国は偉大な国です。21世紀になって、日中両国の関係はますます重要です。私は皆さんと交流し理解を深め日中の発展のために力を尽くしたいと存じます」そして、昨年山東省を訪ねた時に受けた熱い歓迎は生涯忘れる事が出来ませんと続けた。

 中国人は宴会上手である。5人の視察団との懇談は、昨年の中国での宴会を再現したように盛り上がった。

 会が終わって庁舎のエレベータで降りる時、利根川は夜の光を映して静かに流れ対岸のまちの夜景は明るく広がっていた。ピヤオリアン(美しい)とつぶやく声が聞こえた。この光景がこの夜の一番のご馳走だったかも知れない。(読者に感謝)

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2010年5月24日 (月)

人生フル回転「議会も口蹄疫調査。自民党の議長候補は」

◇「県議団各位、緊急調査のお願い」このような表題のFAXが自民党全県議に発信された。5月議会へ向けて口蹄疫対策に対する政策提案を取りまとめたいので、緊急に地元の畜産農家への訪問調査を行ってくださいというもの。幹事長と政調会長名で発信された。

 私は、現在、地域社会を回っている時なので早速、何軒かの畜産農家を訪ねた。どの農家も不安に怯えている。その表情は深刻だ。ある人は、宮崎から他県へ移らないのが不思議だ、こちらへ来たらお手上げだ、宮崎では、行政の不手際が原因で爆発的に広がってしまった、本県ではそのような事がないようもしもの時は万全を期して欲しい、その準備を進めて欲しいと語った。

 また、ある若手の畜産経営者は、今、宮崎で起きている事が最大の教材だ、県はそれを活かすための訓練をして欲しい、また、県は全庁横断的な特別対策本部を立ち上げるべきだと訴えていた。

◇口蹄疫の発生を期にして、改良された優秀な牛がどのように生産管理されているのかを知った。その1つがエース級種牛の精液の管理であり、この点も口蹄疫によって危機に瀕している。

 エース級の中でもスーパー種牛といわれる忠富士(ただふじ)も感染の疑いが判明して22日殺処分された。種牛1頭から採取される精液は、0.5ミリリットル入りストローで、最大、年間3万5000本程度だといわれるが忠富士は、年間3万7900本を供給しているというから驚きだ。

 宮崎牛のブランド価値を守るため保存精液は県が全量を管理し、県内の繁殖農家だけに提供している。生れた宮崎牛は子牛として県外に出荷され、出荷先のブランド名で売られることが多い。その例が松坂牛で、松坂市を中心とした地域で肥育される等の一定の条件の下で松坂牛ブランドが付けられるのだそうだ。そういうものかなあと思う。

 宮崎牛のブランドを支えてきた6頭のエース牛の1頭が殺処分されたわけだが、残りの5頭にも感染すれば宮崎牛のブランドがなくなると宮崎の畜産家は嘆いている。

殺処分対象となる家畜は約30万頭に達する。的確に対策を打てなかった政治の責任は極めて重い。政治主導といいながら政治が無力である事の現れだ。口蹄疫の現状は日本の危機管理の弱さを物語る。本県は、この点を肝に命じて対策をたてねばならない。

◇今日は、9時から自民党県議団の重要な会議がある。27日に始まる5月議会に備えるものだ。5月議会の最大の課題は議会の役員人事である。今日の会議は、党として、議長以下の役員候補を決める。自民党の候補が本会議でも当選する公算だから、今日の会議の意味は大きい。私は79代の議長だった。第84代の議長が今日中には、実質的に決まる。(読者に感謝)

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2010年5月23日 (日)

第4章 第二次世界大戦・そして敗戦

    太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

こういう時に、ヨーロッパでは、ドイツが電撃作戦によって破竹の勢いで各国を征服していた。これを見て、軍部を中心として、ドイツと手を結んで南方へ進出すべしという空気が強まり、前記のように、日独伊三国同盟の締結へと進むのである。しかし、三国同盟の締結はアメリカとの対立をさらに深刻化させ、アメリカは遂に日本に対する石油の輸出を禁止する措置に出た。こうして日米の対立は決定的になり、1941年(昭和16年)12月、アメリカとの間に太平洋戦争が始まったのである。

太平洋戦争突入後初の群馬県議会は、昭和17年11月に開かれた。知事村田五郎は、次のような開会の辞を述べる。

「大東亜戦争の下、初の県会でございまして誠に意義深く感ずる次第であります。大東亜戦争が開始せられましてから早くも一年近くなりまして、其の間、皇軍将兵の勇戦と相まって、銃後県民またよく鉄石の団結をもちまして、各自の職域において最善を尽くし奉国の誠をいたしつつありますことは、誠に感謝感激に堪えないところでございまして、御同慶に堪えませぬ。併しながら、大東亜戦争は緒戦の段階を経て、戦争はいよいよ深刻になって来つつあるのでありまして、正に、今後非常に重大な闘いが行われてゆくと思われるのであります。幸いに、皆様方の御支援と百三十万県民のご協力とを得まして、いよいよ決意を固めて、もって滅私奉公(めっしほうこう)、前古未曾有(ぜんこみぞう)の非常事難のために微力を尽したいと存じます」

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2010年5月22日 (土)

第4章 第二次世界大戦・そして敗戦

①太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

 戦いは、1918年(大正7年)、連合国側の勝利に終わり、翌年パリで講和条約が結ばれた。これがベルサイユ条約である。この条約で、ドイツは全ての植民地を失い、また、巨額の賠償金を課せられた。ベルサイユ条約によって厳しい制裁を受けた点は、イタリアも同様であった。ベルサイユ条約による厳しい制裁に苦しむこれら敗戦国の上に、1929年(昭和4年)に始まる世界大恐慌が襲い、国は混乱し、国民は大変な苦しみを受けることになる。この窮状を打開するために、国民は独裁者を生み出してゆく。イタリアでは、前に触れたように、松岡洋右が群馬会館の演説で絶賛した人物ムッソリーニが、そして、ドイツでは、ナチス党を率いるヒットラーがそれぞれ独裁政治を始める。

 特にドイツのヒットラーは、ベルサイユ体制の打破を唱えて国際連盟を脱退すると共に再武装を宣言し、軍備の増強を強力に押し進めていった。ヒットラーはオーストリアを併合し、チェコスロヴァキアにも併合の手を伸ばし、さらに1939年(昭和14年)、ポーランドに宣戦を布告するに至り、ついにイギリス、フランスがドイツに宣戦を布告、ここに第二次世界大戦が開始された。日本は、翌年1940年(昭和15年)9月、ドイツイタリアと共に日独伊三国同盟を結び、1941年(昭和16年)12月8日、東条内閣の下で、真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争に入っていった。

 日本は何故このような道を選んだのか。日本は、既に1937年(昭和12年)から日中戦争に入り、その果てしない泥沼にはまり込んでいたが、この戦争遂行のために必要な物資は米英などに頼らねばならなかった。しかし、日本の中国侵略は米英等との対立を益々深め、日本はこれらの物資を貿易によって入手することが困難になってゆき、石油などを手に入れるため南方進出を企てたが、このことは米英との対立を更に深刻化させ、列強の対日経済封鎖を強めることになった。

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2010年5月21日 (金)

人生フル回転「重粒子線治療とがん対策。北の魚雷と断定」

◇がん検診の受診率が全国的に非常に低い。本県も同様だ。そこで、県は受診率向上にむけた取り組みを始めた。県議会のがん対策特別委員会も、がん対策推進条例の制定に向けて動き出す。

 今日、本県に於いて、がんは死因の第一位である。そして年間5千人以上ががんで亡くなっている。一方で、がんの治療法は飛躍的に発達している。これを活かして、県民の命を救うことは行政の最大の課題である。

 平成19年にがん対策基本法が施行され、都道府県にがん対策推進計画の策定が義務づけられた。そこで、本県も群馬県がん対策推進計画を策定し、その中で、5年以内にがん検診受診率を50%以上にするという目的を掲げたのである。

 本県のがん検診受診率は全国平均を上回っているものの受診率は10~20%台と依然低迷している。がん対策で最も大切なことは早期発見、早期治療である。そのためには、がん検診が不可欠である。検診率向上のため行政は智恵を出さねばならない。

 19日、県は、生命保険会社、銀行、報道機関等と連携して受診率向上に当たるべく協定を結んだ。内容は官民一体となって検診の重要性をPRすること等である。

 世界的にも最先端を走る重粒子線治療施設をもつことになった本県は、これを機に、重粒子線治療を頂点にしたがん対策のメッカとしての地位を築くべきである。今回のがん検診受診率向上対策は、そのための小さなそして非常に重要な一歩である。

 そして、がん対策推進条例の制定を目指す県議会の動きも、その意味で重要な決意を示すものだ。

◇韓国軍艦の沈没は北朝鮮の魚雷が原因であると国際調査団は断定した。事件は、3月26日夜の事で死者・行方不明は46人に達した。

 韓国大統領は、自国だけで調査しようとせず米英などを加えた調査団に原因究明を委ねた。それは、国際社会に説得力を示すための賢明な策であった。恐らく、ラングーン爆弾テロ事件や大韓航空機爆破事件が韓国政府の念頭にあったに違いない。

 1987年、115人の死者を出した大韓航空機爆破事件は、ソウル五輪を阻止するための北朝鮮の工作であった。工作員の一人は自殺したが、逮捕された美人工作員金賢姫によって事件の全貌が明らかになった。

 自分こそ朝鮮半島における唯一の合法国家と主張する北朝鮮にとって南がソウル五輪を成功させることはプライドが許さなかったのだ。

 結果は失敗に終わりテロ国家の烙印を押される事になった。懲りずにまた今回の犯行を起こした。その目的は何か。また、北の核は私たちにとって非常に脅威である。最大の関心事は中国の出方だ。(読者に感謝)

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2010年5月20日 (木)

人生フル回転「職員のひげを禁止する伊勢崎市。裁判員制1年に」

◇伊勢崎市は、男性職員のひげを禁止する通達を出した。理由は、市民に不快感を与える恐れがあることだという。

 「クールビズの服装と合わせて公務員としてふさわしい身だしなみを考えてもらえるよう文書で禁止を示した」と市職員課は説明している。全国的にも、このような通達は極めて異例で注目を集めている。

 「市民に不愉快を与える恐れがある」と果たしていえるのか疑問だと思う。公務員の品位保持とひげは必ずしも矛盾しない。ひげをつけるかどうかは髪形と同様、個人の自由の問題である。

 罰則を伴わないとはいえ、一律に通達で禁止するとなると、職員はひげをつけることに大きな制約を受けることになる。これは、個人の自由を不当に制約するものとして今後、問題になるだろう。伊勢崎市の今回の通達は、個人の自由を尊重する憲法上の人権の制約として議論される可能性がある。このような問題点を認識できなかったとすれば、それ自体が問われるべきである。この問題は、公務員の品位は何かも問いかけている。

◇裁判員制度がスタートしたのは昨年5月21日で、今月21日で一年となる。一般市民が司法に参加するという画期的制度は、当初予想したよりも順調に推移してきたように思う。

 これまで、司法の分野だけ、主権者たる市民の参加がなく、それが当然と思われてきた。その結果、司法手続きは硬直し形式化し、結果として冤罪などの人権侵害が生じてきたと思われる。裁判員制度は、この弊害を打ち破ることを目的とした司法改革なのである。

 ある裁判員経験者は記者会見で次のように語った。「裁判官(の感覚)と生活感にはずれがあり、血の通った議論がされていない感じがした。裁判官は前例とか書面とか実体のない感覚で審理している」これは、従来の司法の実態を言い当てていると思う。

 今後の大きな課題は、市民が死刑判決と直接に向き合うことである。死刑制度自体にその存在を含めて大きな問題がある。一般市民がその大きな負担に耐えられるかということである。

 本県の裁判員裁判の第一号は、昨年12月8日、前橋地裁で始まった強盗致傷事件で、地裁前には266人が傍聴権を求めて列を作った。

 一年を振り返ってこの制度によって、私たちは刑事事件に対する関心を大いに高めた。裁判員にならない人も、もし自分が裁判員になったとすればという視線で刑事事件を考えるようになった。その事自体に大きな意義がある。この制度の下で、警察段階の捜査が一層重要になった。司法改革は、ここにまで及んでいるのである。(読者に感謝)

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2010年5月19日 (水)

人生フル回転「口蹄疫は異常事態だ」

◇口蹄疫の勢いが止まらない。18日現在で、殺処分対象は11万4千頭を超えた。惨状は想像を絶するものらしい。東国原知事は、「拡大を止めることが出来ない状況」と述べ、非常事態を宣言し、県民に不要不急の外出を控えるよう呼びかけた。

 防疫対策が遅れた原因が明らかになった。このブログでも口蹄疫の疑の発生は4月20日と書いた。4月19日に検体を国に送り翌日20日に疑いが確認されたのだ。

 しかし、実は、3月26日に初の口蹄疫の症例が確認されたが宮崎県は口蹄疫と気付かなかった。3月末に国に検体が送られていれば、4月初めには防疫対策をとることができた筈。この間に爆発的に広がってしまった。

 宮崎県の口蹄疫発症の現場では、獣医師不足で、殺処分が進まない、牛をつないだり豚を追い込んだりする人手の不足、埋設場所がないといった多くの問題点が発生し、非常に混乱している。ウイルスは生きている家畜の体内で増殖するから、殺処分が遅れればその間ウイルスを大量生産してしまうことになる。

◇宮崎の被害農家は惨状を知って欲しいと情報を発信している。それらは、殺処分は獣医師のみなし得るが、人手不足のため6分の1しか処分されていない、足の蹄の付け根から血を流し痛さに鳴く母豚、蹄が根本からただれ落ちて生爪状態になって痛くて立てない豚といった衝撃的な事実を記述している。

 また、ある畜産農家は次のように伝えている。「1例目発生から神経をとがらせて、消毒の徹底、外部からの人の出入り、買い物などを極力控え、家の敷地内に入る前には必ず車輌は消毒し、人も消毒液が目に入らぬように息を止めて消毒していましたが、それでも防げませんでした。」と。

 宮崎県は、今、パニック状態にあるようだ。高速の物流が渦巻く今日、宮崎県と離れているという事は重要な要素ではない。風評被害を恐れる余り、国は、宮崎の現実を詳細に伝えないきらいがあるが、事態はそれどころではないらしい。むしろ、国民が現実を直視して、一致協力して防疫対策に当たるべきではないか。

 香川県では、関係者は、関係する港で畜産関係の車輌を徹底消毒し、畜産農家での調査を続行し、野性動物を対象にしたチェックを含め、あらゆる手段で食い止めたいと語っている。

本県は、これらの課題を真剣に受け止めて、来るべき事態に備えるべきである。宮崎県だけで止めることができず全国に波及するのは時間の問題ではなかろうか。(読者に感謝)

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2010年5月18日 (火)

人生フル回転「口蹄疫の深刻さ。中小企業新興条例。重粒子線

Untitled ◇割れた蹄(ひづめ)の動物・偶蹄類に感染する伝染病・口蹄疫が宮崎県で急速に広がっている。牛や豚で被る損害は莫大である。

 疑い例が発見されたのは4月20日であるが、5月16日現在、111カ所に広がり、殺処分の対象となる動物は8万5千723頭で、そのうち、7万7千頭は豚である。豚が排出するウィルス量は牛のそれと比べ30倍以上だといわれる。

 宮崎県では国の対策チームが生活道や高速道路周辺の消毒を行う。物流の激しい時代だからウィルスが人や物に付着して全国に広がるのを阻止しようとするものだ。

 前橋市の宮城・粕川地区の民生員たちは今月宮崎県への旅行を計画していたが中止した。心配の相談が寄せられていたので、私は県畜産課長に話を伝えた。県当局は、現在口蹄疫が大変な時期だと説明し理解を得たのである。

 これは、ほんの1例である。宮崎県との物流の全てをカットすることは不可能だから、ウィルスが本県に侵入する可能性は高いと見るべきだろう。このことは日本全体について言えるのだから想像するとぞっとする。

◇宮崎牛ブランドを支える種牛も感染し49頭が殺処分されるが、その中に伝説の種牛といわれる「安平(やすひら)」が含まれていた。

 安平は人間なら百歳に当たる21歳。その精液から生み出された子牛は約20万頭で精液は今も冷凍保存されているという。安平は、種牛としては現役を引退した。普通引退した種牛は処分されるが、安平は宮崎の畜産業に大いに貢献したので殺さずに最期まで買う予定であった。偉大な老種牛もとんだ災難で哀れだ。

◇前橋機械金属協同組合の総会は大澤知事も参加して17日行われた。この組合は、伝統ある物づくり企業の集団である。当然の事ながら中小企業の振興が話題になった。

 私は、挨拶の中で、県議会は中小企業振興基本条例を作ろうとしていることを話した。

この条例は、群馬が中小企業立県であることを明確にかかげ、群馬は中小企業を大切にする県であることを表明し、県民が中小企業で働くことに誇りをもてるような環境を作ろうとしている、今日の厳しい状況の中で変化に対応する力は中小企業から生まれる、それを可能にする条例である。私は、このような事を訴えた。

◇前橋市のグリーンドームで粒子線治療の国際会議が開かれる(20~22日)。群大で始まった重粒子線がん治療を世界に知らせる良い機会になる。

 私は一昨年11月大連外国語学院で講演した折り、群馬の重粒子線がん治療を紹介したら、翌年2月同大事務局の宮偉さんから父の肺がんを何としても救いたいという便りを得た。中国からもこの施設に熱い視線が集まるだろう。(読者に感謝)

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2010年5月17日 (月)

人生フル回転「タレントの擁立。財政健全を憲法に。テロ国家北朝鮮」

◇中曽根弘文選対会議に続いて行われた自民党県議団総会に於いてある県議が党本部を批判した(16日)。それは、参院比例区にタレントや女優や元野球選手を擁立しようとする党本部の姿勢に対するもの。この県議は、こんな事をしているから自民党の支持率が上がらないのだと指摘した。

 私も全く同感である。民主党は柔ちゃんの谷亮子を出そうとしているが自民党も三原じゅん子や堀内恒夫の名をあげている。政治以外の分野で名が売れていることを利用するもので、邪道であり、政治に対する信頼を低下させるものだ。

 選ぶものは有権者であるが、有権者の意識の低さを悪用するもので、政治の首を自らしめることになる。

 参議院は、無用論がある程、軽く見られる傾向があるが、成り振り構わず数合わせで当選させようとする党本部の市政は、参院の存在意義を増々軽くする。

 この事は、現在、地域社会を回っていて、農家の軒先でもよく話題になることだ。このような本質的なことに体を張って反対する国会議員がいないことが、現在の国政の問題点を象徴していると思う。

◇この日の県議団総会では、自民党の参院選に向けたマニフェストが取り上げられた。その中に注目すべき点がある。それは、「自民党は、財政健全化を日本国憲法に明記します」というもの。

 具体的には、日本国憲法83条2項に、「財政の健全性の確保は常に配慮されなければならない」と明記し、国の借金にはっきりと制限を課します、というものだ。

 国の借金が、現在、雪だるまのようにふくらんで、約880兆円、国民1人当り693万円となっている。これは、先進国の中では突出した額であり、このままいけば日本国が破綻する事態となる。

 財政の健全性は国家存立の基盤なのだから憲法にそれを明記する事には大きな意義がある。現憲法の83条は、「国の財政を処理する権限は、国家の議決に基づいて行われなければならない」とある。マニフェストは、これに前記のような第2項を設けようとするもの。

◇3月に韓国の軍艦が沈没し46人が死亡・行方不明となったが、その原因は魚雷攻撃であることが明らかになった。

 韓国政府は北朝鮮の仕業と表明した。何という狂気か。北朝鮮は、過去に、ラングーン爆弾テロ事件でビルマ訪問中の韓国高官17人を殺した爆弾テロ事件、乗客等115人を乗せた大韓航空機を爆破させた事件等を起こしている。私たちは、このような狂気の犯罪国家を隣国に抱えながら、平和憲法の下で国を守らなければならない。それは国民の自覚にかかっている。(読者に感謝)

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2010年5月16日 (日)

③大陸の花嫁

―新日本の少女よ大陸に嫁げ。彼女たちの行手に待つ地獄―

折りしも、春、満州は長く厳しい冬の寒さから開放され、一斉に草花が咲き乱れる。見渡す限りの曠谷には、色とりどりの絨毯を敷き詰めたようにお花畑が展開する。これが満州の春であった。振り上げる鍬も軽く感じられ、畑のあぜに子供を遊ばせながら農作業に励む若い二人はいかにも幸せそうであった。

しかし、若い人たちのこのような幸せは、長く続かなかった。この頃、日本軍が各地で繰り広げていた血みどろの戦の中に、地の果て満州の開拓団も引きずりこまれてゆく。その時はせまっていた。では、この頃、日本はどのような状況に置かれていたのであろうか。そして、開拓村は、それにどのように関わっていったのか。

要約すれば、昭和16年太平洋戦争に突入、緒戦は調子が良かったが、戦いが長びくにつれアメリカの物量作戦に圧倒され、日本は窮地に追い込まれてゆく。そして、開拓団の若者たちも皆南方などに招集され、開拓団では、北満のソ連との国境近くに、若い女と子供だけが取り残されるという状態に置かれた。そして、昭和20年8月の敗戦を迎える。この時、この無防備な開拓村に怒涛のようにソ連軍が攻め込み、中国人の襲撃も重なって、まさにこの世の地獄が展開されることになった。このような日本の動きは、世界の動きと連動していた。そこで、当時の日本は、世界の大きな渦にどのように関わっていったかを大まかにみることにする。

第4章      第二次世界大戦・そして敗戦

    太平洋戦争への軌跡

   ―空襲、県議会の動きー

1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦では、ドイツはイタリアと手を結んでロシア、フランス、イギリス、アメリカから成る連合軍と戦った。

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2010年5月15日 (土)

③大陸の花嫁

―新日本の少女よ大陸に嫁げ。彼女たちの行手に待つ地獄―

このような状況の中で、新婚の生活はスタートした。厳しい環境ではあるが、若い夫婦には夢があった。二人で力を合わせ、立派な農場をつくり子どもを育てよう。この満州の新天地で皇国の農民として生き抜くのだ。こう誓い合う二人にとって、もはや厳しい自然環境も大した敵ではなかった。環境が厳しければ厳しい程、二人は心を一つにして助け合わねばならない。そのことがまた、二人の愛情を深めた。若い妻にとって、夫はこの世でただ一人の頼もしい男性であった。また、男は、自分をやさしく支えてくれる愛する妻のためなら、どんな難関でも平気で立ち向かうことができた。二人で助け合わなければ生きられないこの最果ての曠谷で、現代の若者には見られぬ程の強い愛情に結ばれた夫婦像が実現していった。

 義勇軍開拓団も、若者が妻を迎えるにつれ、集団生活から家族単位の生活へと移ってゆく。そして、男だけの殺伐とした訓練所は、次第に、笑い声があちこちで聞こえる和やかな村へと変わってゆくのであった。

衣食足りて礼節を知るという。妻を迎えたからと言って、物質的な豊かさが増すわけではないが、それよりも大切な心の豊かさが増して、若者たちは礼節を守るようになる。愛する妻を側において、今までのような馬鹿なことはできないし、またその必要はなかった。やがて、あちこちの家庭でかわいい二世が誕生する。赤ん坊の泣き声と若い夫婦の笑い声があちらからもこちらからも聞こえてくる。村は活気に溢れ、一見、平和な楽園のように思われた。

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2010年5月14日 (金)

人生フル回転「警察官の資格基準の緩和。部活と体罰。自殺3万人超。」

22_5_14 ◇先日のブログで、群馬県も警察官採用試験の資格基準を緩和すべきだと書き、同時に、県警にもその旨を要望したが、それに対して県警から文書で次のような回答があった。

 「大量退職時代を迎え、優秀で警察官にふさわしい人材の確保は大きな課題となっておりますので、当県といたしましても、採用基準の見直しを検討して参りたいと考えております。お尋ねの時期や内容につきましては、今後、関係方面と調整しながら検討してまいります(要旨)」

 若い警察官が使命感と誇りをもって職務に当たれるような社会環境をつくることも、優秀な警察官を増やすために重要なことだと思う。

◇県教委が体罰に関するガイドラインを作るに当り、体罰に関する調査を行った。その中に興味ある資料がある。

 それは、体罰が行われる時間帯は放課後が多い事(全体の51%)、そして、放課後の体罰の中で、全体の59%が部活の指導中に行われたということである。

 部活といっても体罰が問題となるのはスポーツのクラブ活動に違いない。高校野球ではよく体罰事件が表に出て全国選手権大会に出場出来なくなったりする。かつて、明徳義塾や駒大苫小牧高校の体罰不祥事が大きなニュースになったことがある。昨年、県議会の常任委員会でも取りあげられた高商女子バレー部の体罰事件はまだ記憶に生々しい。17歳(当時)の少女は精神的に傷つき登校出来ない状態となった。

 このバレー部の体罰事件を通して、スポーツのクラブ活動において体罰が絶えない原因には勝利至上主義があると思った。クラブ活動の意義が問われているのである。

ガイドラインは、「毅然とした指導と体罰の未然防止に向けて」の項目の中で、部活動について次のように指摘する。

「部活動においては、勝利のみを主目的にするのではなく、責任感連帯感涵養(かんよう)等に資するという部活動の意義をもう一度認識し直すとともに、部活動が教育の一環として行われることについて、全教職員で共通理解を図る(ことが大切である)」と。

 このガイドラインが出されるのを機にクラブ活動の意義を問い直し再認識すべきだ。

◇09年の自殺者がまた3万人を超えた。警察庁によると昨年の全国の自殺者は3万2845人で前年比1.8%増である。これで3万人超は12年連続となる。一日平均約90人の人が自ら命を絶っている。未遂は既遂の10倍はあるといわれる。本当に異常なことだ。

 自殺対策基本法は防止のための社会的取り組みを国や地方自治体の責務としている。本県も自殺問題に真剣に取り組まなければならない。(読者に感謝)

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2010年5月13日 (木)

議員日記・人生フル回転「体罰のガイドライン。最高裁の判決」

Photo_3 ◇県教委は、この度、体罰に関するガイドライン(案)を作った。教育上必要があると認めるときは、教員は「懲戒」を加えることが出来る。しかし「体罰」は許されない。

 両者の違いは微妙な事が多い。だから、その判断基準や指導のガイドラインを作ることは現場の教員の為にも非常に重要である。

 私は昨年の5月議会で、その年4月に出された体罰に関する最高裁判決を取り上げ、本県も体罰の基準を作るべきだと主張し教育長の考えを質した。福島教育長は、「今回の最高裁判決で体罰の視点がしっかりと示されたのでスタンダードな体罰の基準を作っていくことが大切だと考える」と答えた。このような経過を踏まえて、今回のガイドライン(案)が作られた。

 県教委は、体罰を判定する3要素として、目的、態様、継続時間をあげる。これは、前記最高裁判決が示した基準である。

 県教委はいくつかの実際の事例を挙げ、それを3要素に沿って分析した。その1、2を紹介する。

◎「体罰に当たるとされた事例」。「高校で授業中にケータイ電話を使用していた生徒に対して、その提出を求めたが応じなかったため、その生徒の机を蹴ったところ机が倒れ左足甲に当たった。左足甲打撲」-指導のためとはいえ、机を蹴る必要性は認められず結果として負傷を負わせたことは「体罰」に当たると判断。

◎「体罰に当たらないとされた事例」。「小学生で万引きをした児童に対し説諭したが、反省の態度が見られないため、児童の両肩をつかんで前後に強く揺すりながら先生は悲しいと言って反省を促した」-反省を促すために両肩をつかみ前後に強く揺する行為は体罰に当たらないと判断。

 その他「廊下に一時間正座させた」ことは肉体的苦痛を与えたとして「体罰」に当たるとした例、「配膳係りを一週間行わせた」ことは、肉体的苦痛を与えるものではなく「体罰」に当たらないとしている例などが見られる。

 事例と分析・判断を読んでガイドライン作りの困難さと現場の教員の大変さを感じた。

◇平成21年の最高裁判決は、1、2審で体罰に当たるとされたものを「やや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても、その行為は、目的、態様、継続時間等からして、許される教育的指導の範囲を逸脱せず体罰に当たらない」とした。

 この事例では、教員が児童を壁に強く押し付けた、児童は食欲低下となり通院した、母親が極めて激しい抗議行動を続けた、等が見られ興味深い。

 この事件の内容に立ち入って、教員、教育委員会、PTAなどが勉強会を開き意見を交わすことが出来れば有益だと思う。(読者に感謝)

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2010年5月12日 (水)

人生フル回転「警察官の採用基準の緩和を。国の借金と子ども手当て」

◇コンビニ強盗、振り込め詐欺、インターネットを使った犯罪等、犯罪は多様化して、市民の日常生活を脅かしている。

 今年3月、伊勢崎市と前橋市のコンビニを狙った3人の強盗が逮捕された。また、今月10日、11日と、ストッキングで顔をおおった男が、伊勢崎市内のコンビニや、郵便局を襲う事件が発生している。

 本県の犯罪認知件数は減少しているが治安状況が好転しているとは感じられない。安全安心なまちづくりを支える上で市民の協力は不可欠であるが、警察官の役割は増々重要になっている。

 現在、警察官の受験者数が減っている。警察官は危険と向き合って市民の生命や財産を守るという特殊な職業である。使命感と責任感をもった人材を門戸を広げて集めることが必要である。

 現在、この門戸を狭める要因となっているのが採用基準である。本県の場合年齢は30歳以下、体格は、男性警察官は、身長160cm以上、体重47kg以上、胸囲78cm以上であり、女性警察官は、身長155cm以上、体重45kg以上となっている。

 頼りになる強い警察官が求められるのは当然であるが、その要素は年齢と体格だけではない。精神的要素は非常に重要である。体だけは大きいが精神力が伴わない若者が非常に多い。

 全国自治体で、採用基準を緩和している所が増えているが、本県は変えていない。私は、今日の犯罪状況に立ち向かうに適した人材を幅広い範囲から求めるために、採用基準を緩和すべきだと考える。議会内で発言していくつもりだ。

◇財務省の発表によれば、09年度末の国の借金は、882兆9千億円に達し、国民1人当たりにすると693万円である。08年度末に比べ36兆4千億円の増である。

財務省の推計では、数年内に1000兆円の大台に乗せることは確実だという。日本はギリシャのように財政破綻になるのかと誰もが深刻に考え出した。

◇借金がふくらんでいく要因の一つに民主党政権の現実を無視した政策がある。その代表挌が子ども手当てである。

政府は財源の裏付けなく現金給付を行おうとしている。今年度、子ども手当てに必要な財源は2.3兆で、来年度以降は5.3兆円となる。因みに、国の防衛予算は約4.7兆円である。

財源はないのだから結局借金でまかなう事になる。子どものためといいながら子どもの将来に莫大な負担を課すことになる。

あるお婆さんが昔は貧しい中で子どもを育てたからよかった、国から銭をもらって育てるなんておかしいと語っていた。教育のためといって、明確な理念に基づかない現金をばらまく事は、国民の教育に対する情熱に水をさす。信を欠く政権の金となればなおさらだ。(読者に感謝)

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2010年5月11日 (火)

人生フル回転「口蹄疫の恐怖。五島市の対応をどうみるか」

22_5_11_2 ◇長崎県五島市とJAごとうが市民に南九州への旅行自粛を求める文書を作り、全世帯の85%に配布した事が長崎県で問題にされている。

 文書は、「五島の畜産を守りましょう」という題で、「口蹄疫の侵入防止の徹底を図るため、当面、南九州方面へのお出かけはできるだけ自粛してください」と書かれている。

 長崎県は、「畜産関係者以外にも自粛を求めるのは行きすぎ」と批判した。五島市の対応は口蹄疫の恐ろしさを示すものである。

 ウィルスの伝染力は非常に強く急速に広範囲に伝染していく。人の手足や種々の物体に付着して他に運搬されるといわれるから、五島市の対応も理解出来るのである。

◇08年10月世界遺産の調査で、長崎県の長崎市及び五島市を訪ねた。長崎市のキリスト教関連遺産は、群馬の富岡製糸跡と同時期に「世界遺産暫定一覧表」に登録された。その本登録に向けた取り組み等が調査の主目的であった。

 五島は隠れキリシタンの遺跡で有名である。のどかな島の光景が甦る。静かな海に囲まれた牧場で草を食べる牛の姿は島の平和を象徴している様だ。

 五島市は農業産出額のうち4割が畜産業で肉牛の年間産出額は約17億円である。

◇口蹄疫の損害は莫大である。感染した動物は、舌や口が痛いので、特殊な舌打ちのような動作を繰り返す。生き残った動物も採食が出来ないため体重が著しく減り乳量も激減する。

 そして、肉も売れなくなるから畜産業者の打撃は深刻だ。日本では長いこと発生はなかった。

 宮崎県では、先月20日から5月現在までの間に急速に広がっている。都濃町、川南町、えびの市などの牛と豚で殺処分された数は、6万2千匹を超えた。

 人と物の動きが激しい現代社会の事だから日本中に広がる恐れがある。本県の畜産業者は見えない敵の来襲に怯えていることだろう。

 本県畜産課は、口蹄疫のまん延防止のため以下のような注意事項を呼びかけている。

①発熱・流涎等異常と思われる家畜を発見したときは、至急管轄の家畜保健衛生所に通報願います。

②農場の立入を制限するとともに、車両・長靴、作業服などの消毒を厳にして下さい。

③根拠のない噂等により混乱することのないよう冷静な対応をお願いします。

④不明な点は管轄の家畜保健衛生所にお尋ね下さい。

◇日本で口蹄疫が発生した事は世界に衝撃を与えていることだろう。国際化の時代であるから、人と物の交流は国境を越えて頻繁に行われているからだ。

 東国原知事、宮崎県議会の動きを注目したいと思う。宮崎県の出来事は他山の石である。(読者に感謝)

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2010年5月10日 (月)

人生フル回転「口蹄疫が広がっている。運転中のケ-タイ使用、取締り強化。」

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◇最近、小さな時間を見つけると、運動靴で地域の家を訪ねている。飛び込みのセールスマンである。自分を売ることが主たる目的だがいろいろな意見を聞くことが出来、また地域の抱える課題も分かり大変勉強になる。

 夕刻、富士見のある農家に近づくと薄暗い牛舎に大きな牛の群れがひしめいている。主人は口蹄疫の風評被害が心配ですと話していた。

 口蹄疫の、疑いが生じたのは先月の事で、本県は20日直ちに、防疫会議を開き対策を協議した。

 口蹄疫は、牛、豚、羊など蹄(ひづめ)が割れている動物・偶蹄類を侵すウイルス性伝染病で非常に伝染力が強いといわれる。

 宮崎県で疑い例が1例発見されたのは4月20日であるが、以後、急速に広がっているらしい。感染の疑いが出た農家などは49カ所で6万2千匹が殺処分の対象になるという。

 1967年、イギリスで大流行したとき同国は25万匹を殺処分した。今回、宮崎県では豚にも疑い例が広がり、6万2千匹のうち豚が5万匹以上を占める。この勢いが全国に波及したら大変なことになる。

 各自治体は、防疫のための最大の努力をすることが求められている。地方の行政力が試される問題でもある。本県は、宮崎の例が口蹄疫と確認された場合、県内の牛と豚の全頭を検査すると決定している。

◇昨日(9日)、となりの宮城地区の葬儀に出た時の事、地域の人たちが宮崎県へ集団でバスツアーに出かけることになっているが、どうしたらよいかと県の対応を尋ねられた。

 長崎県のある地方の町では、行政が宮城県への旅行を自粛するよう呼びかけ、その事が風評をあおる過剰反応だと批判を受けたとも聞いた。難しい問題である。

◇運転中の携帯使用の取り締まりを県警は強化する方針である。最近、使用中の交通事故が増えているからだ。

 昨年県内でケータイ使用中に発生した人身事故は18件であったが、今年は、3月末で既に7件発生している。人身に至らない事故はずっと多いのではなかろうか。

 道交法改正により、運転中のケータイ使用が禁止され罰則が適用されるようになったのは04年である。その直後と比べ危険性及び違法性に対する意識が低下していると見られる。

 便利さに対する誘惑を絶つには勇気がいる。私も運転中のケータイ音につい手を伸ばすことがある。自分のルールを作り、運転中の使用を戒めようと決意している。

◇赤城山頂の赤城神社祭典に出た(8日)。三夜沢の赤城神社との関係でどちらが本家なのかと気になって調べたら祭る神様が違うのだという。そういわれれば異質な雰囲気である。(読者に感謝)

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2010年5月 9日 (日)

③大陸の花嫁

―新日本の少女よ大陸に嫁げ。彼女たちの行手に待つ地獄―

季節は秋だった。見渡す限り人影もない果てしなく続く草原を汽車はどこまでも走り続ける。この静かな草原のどこに争いごとがあるのだろうか、匪賊の襲撃とか皇軍が命がけで戦っているとか、彼女たちには信じられぬ思いであった。それにしても、夫となる人が待つ開拓地はどこにあるのだろうか。そして、そこにはどんな生活が待ち受けているのだろうか。彼女たちの心に頭をもたげる不安の影を追い払うように、いままで見たこともない光景が次々と目に飛び込んでくる。大きな真っ赤な太陽が草原を赤く染めながら沈んでゆく様を見て、彼女たちは思わず、「わあー」と歓声を上げた。やがて辺りは暗くなって、汽車はレールをきしませながら闇の中を突き進む。その時、彼女たちは行手に異様な光景を見て、また「わあー」と叫び声をあげた。それは火の海であった。野火である。闇の草原に、赤い波が広がるように火が揺れ動いている。その火はどこまでも燃え広がってゆくようであった。野火は満州の名物である。燎原の火とは、このような光景をさすのであろう。火の美しさに見とれていた彼女たちは、やがて我に返ると、目の前の火が自分たちの前途に待ち受ける運命を暗示するもののように思え、不安に駆られるのであった。彼女たちは、駅で出迎える若者と感激の再会を果し、馬車に分乗して開拓地へ向かう。彼女たちの心は複雑だった。それは、これから夫として共に人生を歩む若者と会えたことは大きな感激であったが、開拓地の実情は、話に聞かされていたこと、また、自分が夢に描いていたこととは大きく異なることが次第に分かってきたからであった。

しかし、もう後戻りすることは不可能である。ここを自分たちの戦場と覚悟を決めて頑張るより他に道はなかった。夜になると、凍った外気を震わせて狼の鳴き声が伝わってくる。何一つ娯楽はなく、また物資に乏しい、ただ働くだけの単調な生活環境だった。

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2010年5月 8日 (土)

③大陸の花嫁

満州における花嫁養成所、「開拓女塾」では、主に満州国内から応募した女性たちが訓練を受けた。この開拓女塾では、若者たちのいる開拓団へ全員が開拓実習という形で出かけていって、開拓団の仕事を手伝いながら見合いが行われる。ここでは、行動を共にしながら一定の期間かけて相手を選ぶのだから、良い組合せができたのではなかろうか。

見合いを済ませ、大陸の花嫁となることを決意して大陸に向かう女性たちの胸中はどのようなものであったろうか。船が日本の岸壁を離れ、島影が次第に小さくなってゆく時、彼女たちは言い知れぬ不安に襲われたことであろう。弱気になる彼女たちを勇気づけ奮い立たせたものは、大陸への期待と夢であり、また、時代の風であった。昭和12年に日中戦争が始まって以来皇軍の活躍が連日伝えられていたが、実際は、日本軍は泥沼に引き込まれるように戦線を拡大し容易ならざる状況に追い込まれつつあった。このことは、彼女らの兄弟や隣近所の若者が皆召集されてゆく中で、異常な緊張感となって国民の間に伝わっていた。まさに風雲急を告げる社会状況であった。だから、彼女たちは、大陸の花嫁となることは、この大切な時にお国に尽くすことであって、当然だ、涙を流しているときではない、と皆、考えていた。悲壮感を抱く彼女たちの姿は、正に満蒙開拓青少年義勇軍の女性部隊のそれであった。 

しかし、満州に着いて、その厳しい自然の中に入っていった時の彼女たちの驚きと不安は、青少年義勇軍の若者たちが初めて満州の地を踏んだ時の此ではなかったであろう。

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2010年5月 7日 (金)

人生フル回転「沖縄基地の迷走は国家の危機。ケータイで性被害」

22_5_7 ◇ゴールデンウィーク中の5月3日、中曽根前外相の国政報告会がJA芳賀支所で行われた。中曽根さんは、鳩山政権の外交防衛政策の混迷振りを取り上げ、日米の信頼関係がいかに重要かを訴えていた。

 選挙を目前にした地域の報告会で外交や防衛問題に長い時間を割く事を通常はしない。しかし、この日の聴衆は真剣に耳を傾けていた。

 前外相の話は、沖縄の基地問題が日本の安全と直結し、さらに自分たちの日常の安全と深く関わっている事を人々に理解させる上で効果的であった。鳩山首相の沖縄訪問は翌日に迫っていた。

◇鳩山首相は、4日、沖縄を訪問し、米軍普天間飛行場の県内移設を明言した。首相は、昨年夏の衆院選の際、基地の国外・県外移設を揚げ最低でも県外と公約し、沖縄県内で圧勝した。

 首相の県内移設の発言が沖縄県民の怒りと失望を招くのは当然だ。恥を知れと叫ぶ声が聞こえる。

 集会で、ある地元県議は、沖縄には「言葉は大事に大事に使いなさいという表現がある」と言って首相の言葉の軽さを指摘した。

 首相は、米海兵隊の抑止力の重要性を十分に認識していなかった事を記者団に認め「浅かったと言われればその通りかもしれない」と述べた。

 この発言は、先日の党首討論で、ワシントンポスト誌に「愚かな首相」、「最大の敗者」と酷評された事に関し、「私は愚かな総理かも知れない」とあっさり認めたのと同じパターンである。

◇首相がいう抑止力は最近の中国軍の動きや北朝鮮の状況と深く関わることだ。4月に入って、中国の海軍が日本近海で示威行動を展開している。

また、北朝鮮については、経済的に追いつめられ、現体制の危機が深まる中で過激な行動をエスカレートさせる危険が高まっている。

 このような状況に対して、抑止力として不可欠な存在が米海兵隊である。

◇沖縄県民の基地によせる感情は、沖縄戦を抜きにしては理解できない事だ。

 太平洋戦争では、沖縄は唯一住民を巻き込んだ地獄の戦場となり、多くの民間人が犠牲になった。

 米軍基地の存在は、沖縄県民にとっては、戦争の継続を意味するのだろう。

こう考えると沖縄県民が基地の問題を差別と結び付けてとらえることがよく分かる気がする。

◇県議会には「ケータイ議員連盟」があり、私達は、ケータイが容易にインターネットに接続し子どもたちが被害を受けることに重大な関心を寄せている。

 少女が性的暴行を受ける場面がネット上にさらされ、ケータイにダウンロードされるのを許すことは出来ない。

 政府はこのような画面へのアクセスを強制的に遮断する「ブロッキング」を導入する方針だ。本県もこの問題に正面から向き合う時が来た。(読者に感謝)

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2010年5月 6日 (木)

人生フル回転「群馬の原点・楫取素彦を塾で語る」

225 ◇4月の「ふるさと塾」は群馬の原点を探る意味で初代県令・楫取素彦、吉田松陰、新島襄、湯浅治郎、新井領一郎などを取り上げ、これらがみなつながっていることを話した(30日)。

 歴史を語ることを主たる目的として始めた「ふるさと塾」は10年以上の継続の中で、軌道修正しながら進化させてきたと思う。

 最近は、過去の出来事を現代と関連づけて話すことを意識している。揺れ動いてどこへ流されるか分からない今の社会で、大切なことは、私たちが立っている原点を見詰める事である。今回の塾は心の原点を探りたいという願いもあった。

 明治政府は難治の県とされた群馬にふさわしい県令として楫取を任命した。楫取は、山口県萩の生まれで、吉田松陰から松陰なき後の「村塾」を任された男である。

 松陰の2人の妹を順次に妻にしていることも松陰との関係がなみなみでない事を示している。

 教育者楫取は任された群馬を教育と新産業で発展させようと決意する。教育は新しい時代の道徳教育を目指した。ここに、新島襄の影響を受けてキリスト教徒となった第2代県会議長・湯浅治郎等の運動と楫取の考えが結びつく契機があった。

 群馬に多く存在した遊郭は子どもの教育環境を害し若者の勤労精神を妨げた。湯浅治郎を中心とした議会の廃娼の議決を楫取は支持し、ここに群馬は日本で最初の廃娼県確立への道が開かれたのである。

 新産業とは生糸産業のことであった。渡米して群馬の生糸を直接売り込む道を探ろうとする、新井領一郎に楫取の妻・寿子は一振りの短刀を渡し、これは兄松陰の形見です、兄の魂は太平洋を渡らねば救われないのですと語り励ました。

 ライシャワー駐日大使夫人のハルさんは、新井領一郎の孫である。祖父が楫取夫人から渡された短刀を持って渡米し頑張ったことはハルの著・「絹と武士」に詳しく描かれている。そのことも、ふるさと塾で紹介した。この日の塾の参加者は40名を超えた。

◇恒例の赤城神社の大祭に出た(5日)。真夏のような青い空の下、社をおおう杉林の中で少年剣士たちの竹刀の音が響く。

 神官たちを先頭にした長い行列は石畳を踏んで社殿に向かう。この日の行列はいつもより長いようだった。千葉県ながれ山赤城神社の人たちが20人以上参加している。

 赤城神社は県内に118社あり、埼玉、栃木、茨城など他県にあるものを合わせると191社あるという。

 この日の祭典で、この神社の存在は、変転極まりない社会を岩盤につなぐ絆であると感じた。杉の古木の下の碑には、三代将軍実朝の「上毛の勢多の赤城のからやしろやまとにいかであとをたわけむ」が刻まれている。(読者に感謝)

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2010年5月 5日 (水)

③大陸の花嫁

―新日本の少女よ大陸に嫁げ。彼女たちの行手に待つ地獄―

 当時のマスコミは、満蒙開拓青少年義勇軍の時と同じ論調で「大陸の花嫁」を書きたてた。そして、若い女性が大陸の花嫁となって満州に出てゆくことは国に尽くす最善の生き方だという社会のムードができていった。小学校でも青年学校でもそのように教えた。だから純真な少女たちは、まわりの話を疑うことなく受け入れ、大陸の花嫁を自分の理想と結びつけ、美化して満州に渡っていった。また、当時の日本社会は男尊女卑の傾向が強い上に古い因習などが根強くあって、結婚に不自由を感じる女性が多かった。そういう女性にとって満州は社会的拘束のない新天地であって、男女の自由な結びつきが可能な所と思えたのであろう。こうして、多く女性が大陸の花嫁を志して満州へ渡っていった。彼女たちこそ、そう遠くない将来に最も悲惨な状況に置かれる運命にあったが、それは、快い悲壮感と甘い夢に包まれた彼女たちが予想だにしなかったことであった。

 彼女たちと義勇軍の若者たちは、見合いによって結ばれるのが通常であった。見合いの方法はと言えば、花嫁養成所に入所する時の女性たちの戸籍謄本や写真、そして満州から送られてきた若者たちの資料、これらを検討して組合せをつくるのであった。この組合せが決まると、満州の若者が日本にやってきて見合いするのだが、大体は、最初の組合せでうまくいったということである。

 今、70代を越えているお婆さんたちに結婚のいきさつを聞くと、親が決めてくれたからと答える人が多い。また、結婚の晩に初めて相手の顔を見たとか、結婚式の時近くでよく見たら見合いの時の人と違っていたがしようがないと思ったとかいう話をよく聞く。自由結婚が徹底している今日とは異なった時代背景があったのである。

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2010年5月 4日 (火)

③大陸の花嫁

Photo 先住農民の指導者、日本農民の代表者、移民の先駆者だなどと恥ずかしくて言えるもの」ではありませんよ。勿論、実に立派で、これこそ日本人だという人も居ります。あの荒野に居って、世人から屯匪と侮称されながらも、建設作業に専念している者も居りますが」

 この時、寺嶋萬治は、いろいろ移民地を見てきた経験から、東宮に対して次のように答えた。「私は移民地を廻ってきましたが、結局、どこの移民でも婦人が第一ですね。花嫁ですよ。あちらの移民団は土地の事情が多少異なっていますが、家族がすぐ入ります。写真結婚も大抵入植後一年でやっていますよ。移民地には女が欲しいですね。女がいるとどことなく和やかになりますね。アメリカ大陸の開拓の始め、7人の男に女は一人だったことがアメリカの女尊男卑の思想の芽生えだとさえ言われてますからね。案外女は強いものですよ。いや、女の方が強いかも知れません。子供を抱いた女は戦場における武人ですね。開拓に花嫁と家族はつきものです。開拓史をひもとけば、どこまでも女はついていっています。カリフォルニアの山の奥の奥に伐採に入っている日本人、そこそこ人跡なしといった所へでも、夫に従って子供を抱いて山小屋で留守居をしているのが日本の女ですよ」

 満州の治安の悪い所へ花嫁を招くことに迷っていた東宮は、この寺嶋の話を聞いて思わずひざをたたいたという。現地の実情と東宮たちの花嫁招致の運動に動かされて、政府も「大陸の花嫁」に本腰を入れていった。日本国内各地に、「女子拓務訓練所」という名の大陸花嫁養成所がつくられていった。また、大陸にもこのような訓練所がつくられ、それは「開拓女塾」と言われた。これらの訓練所では、食物調理、生花、裁縫なども教えたが、皇国臣民道とか皇国農民道などの精神講座に力を入れた。

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2010年5月 3日 (月)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

 事実、無気力になって寝てばかりいて、故郷の父母兄弟を思って涙を落としてばかりいる若者や、逆に凶暴性を発揮して年下の者や中国人に八つ当たりする者が多くなっていった。また、自殺する者が出たり、酷寒の荒野に飛び出して行く者が出たりして、事態は深刻になってゆき放置できない状態になっていった。

 そこで考えられた対策の一つが“大陸の花嫁”であった。

 

③大陸の花嫁

―新日本の少女よ大陸に嫁げ。彼女たちの行手に待つ地獄―

ペーチカ焚きつつ帰りを待てば

雪の小道に鈴の音響く

響く鈴の音近くなる

扉あければ毛皮に粉雪

小雪払えばこぼるる笑顔

笑顔こぼるる茶はたぎる

これは、「新日本の少女よ大陸に嫁げ」と題した東宮鉄男の詩である。良い花嫁を大陸に招きたいという願いをこめて作った詩である。

 東宮は若い移民たちの姿を見て、早くから「大陸の花嫁」招致の必要性を感じていた。東宮鉄男伝によれば、東宮は、アメリカの移民地を視察して帰った寺嶋萬治に次のように語っている。「寺嶋さん、日本人は、天皇陛下が居られないと、第3国の国民より劣ってきますね。北満の未開地では移民がまるで野性に返って、本能のままの生活をする者が出てきました。どうしてあんなふうになるものですかね。

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2010年5月 2日 (日)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”― 「戦勝者そして大和民族なるがための優越感のみをもって鮮人、満人、漢人、蒙古人に接し彼らの民族性に対する理解並びに同情心なく圧迫を事とするに於いては、彼らの人心離間し将来事ある場合に非常に不利なる事故発生するに至るべし、実に肌に粟を生ずるの感を深くす」 ここで、「実に肌に粟を生ずるの感を深くす」と報告しているが、先ほどの「満州縦横記」でも、奉天居留民団長が、「非常に不安、付属地から一歩も外へ出られぬ」と述べているのである。 やがて訪れる日本人と中国人の間の逆転劇、そしてそこで生じた悲惨な事態は、すでに日本人自らの手によって準備されつつあったと考えるべきである。  右の報告書にあるように、異民族と接する時は、民族性に対する理解する必要である。そして、そのためには、自国の価値だけを基準にしてはならない。文化の違いを理解すると共に、長い歴史の過程で、どの民族にも様々な変化や段階があることを知れば、中国人の貧しさや汚さなどは、少し前の自分たちの姿であることに気付くはずであった。今日、国際化の時代を迎え、諸外国の人たちと接する時、我々の先輩たちが体験したことは、私たちがこれからの社会で歴史の教訓として生かすべきことと思われる。 ずい分話しが横道にそれたが、義勇軍の少年たちのこのような逸脱行為の多くは、いわゆる屯墾病といわれる一種の集団ノイローゼを原因としていた。心身ともに環境への順応性が高いからということを一つの理由として青少年義勇軍が創設されたわけであるが、不安定な情緒を特色とする青少年は逆に成人よりノイローゼに陥りやすい面を持っていたといえる。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年5月 1日 (土)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

内地訓練所から抱き続けてきた中国人に対する軽蔑感の為に、五族協和の理想も、仲良くせよ、他民族を敬せよの心得も、絵に書いた餅に等しくなっていたのが実情であった。故に、小盗児義勇隊の乱行の迸り(ほとばしり)を受けた現地住民こそ災難であったし、本来受けなくても良い危害を与えられたのだった。真に恥ずかしき重大な汚点の一つであった。一年八か月の訓練を積み重ねた我が中退の規律が斬く如きであったから、騒擾(そうじょう)、暴行、略奪等の事件が満州各地の義勇隊訓練所で頻発した事実は押して知るべしであった」と。そして、また、「こんな野蛮人に何故なった。“誰がした!”“他人に親切にせよ”を何故忘れたのかと後悔の念に責め苛まれる年頃であった」と述べている。

 当時、中国人蔑視の風潮は満州全土にみなぎっていた。少し横道に話はそれるが、このことは、青少年義勇軍を含め満州の日本人にやがて大きなつけとなって帰ってくることなので、当時の風潮につき触れる。

 江口圭一が昭和の歴史4(小学館)の中で引用する「満州縦横記」(群馬県選出の政友会代議士篠原義政の作)では、次のような記述が見られる。「悪いのは紳士も苦力(クーリー)も見分けなく支那人を侮辱する。これがため反日気分がみなぎってきた。町の中で支那の立派な婦人をからかう。停車場で入場切符も買わずに入る。何だ俺の顔を見ろ、日本人だぞとどなる。汽車の一等車へ入る。食堂車を占領して大酒盛をやる、拳を打つ、歌をうたう。ハルビンの郵便配達にその中に俺の郵便があるだろう、見るからおろせといった、そうはいかぬとことわると殴って大怪我をさせた」

 また、同じく同書が紹介するところによると、陸軍省が派遣した満州中華民国視察団の報告書(国立公文書館蔵)の中で、次のような報告が見られる。

「邦人には支那人に対し徒らに優越感を発揮する通弊あり。国法を以って禁止するアヘンの密売者は殆ど邦人に限らるる等不正をなすもの、満人を奴隷視する者、悪辣なる手段を弄して利益は壟断せんとする者等、満人の嫌悪を招くもの少なからず」

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