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2010年4月25日 (日)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

当時、軍団主義のムードが高まっている中で、軍歌調のメロディに乗って歌われるこの歌によって胸をときめかせ、満蒙の果しなき荒野に夢をはせる純真な少年たちの姿が目に見えるようではないか。

 このようにして、満蒙開拓青少年義勇軍は日本中でブームになってゆき、主に貧しい農家の二、三男が参加していった。

 応募した少年たちは茨城県内原の訓練所に入り、三ヶ月の厳しい訓練を受けた。純真な若者たちは満州に渡り、五族協和による王道楽土をつくるのだと教えられ、これを信じた。そして、やがては一人十町歩の土地がもらえるということで、訓練を終えた若者たちは、未知の新天地に夢を抱いて日本を後にしていった。では、彼らを待ち受けた満州の現実はどうであったか。そして、若者たちはそれをどう受け止めたか。

 少年たちがまず驚いたことは、満州の自然の厳しさであった。冬は、零下30度から40度にも下がり、小便をすればたちまち凍るし、手袋から手を出していれば、凍傷にかかってしまう。外の金属に誤って口唇を当てると張り付いて離れなくなってしまう。

 かつて群馬県からこの義勇軍に加わった人が当時のことを語っている。それによれば、ハルビン駅に着いて凍えながら公衆便所に行くと、入口が黄色い氷の山で塞がっているので尋ねると、それは小便するとすぐに凍ってできる小便の氷山であった。「えらい土地に来たもんだ」と言って、同志と首をすくめたという。(曠野に消えた青春、満蒙開拓青少年義勇軍、群馬根岸中隊、大利根同志会編)

 次に少年たちが驚いたのは、中国農民の貧しさと汚さであった。少年たちの目に映る中国農民の生活の断片は、想像を絶する貧しさを物語っていた。そして、彼らの手足には厚くなるほど垢がたまり、ぼろをまとった身体から鼻をつく異臭が放たれていた。

(読者に感謝)

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