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2010年4月18日 (日)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

多くの移民は欺されたと思い、怒った。そこで、第一次移民団では百数十名の退団者が出たのだった。このような事態は、第二次移民においても大体同様であった。

このような第一次、第二次移民の失敗は、移民計画の反省と見直しを促すことになった。

そして、この事件以後の移民計画は、この事件の原因を十分参考にして行われるようになったのである。その主な点は、ゲリラの討伐を徹底し、移民村の治安を確保すること、移民の人選に注意すること等であった。そして、このような動きの中で、環境に対して心身共に順応性の高い純真な青少年を訓練し、将来、満州国の基礎となる堅実な村をつくるために移民として送り込もう、という考えが持ち上がり、ここに満蒙開拓青少年義勇軍が誕生することになった。政府がこのような政策を決定してゆく上で、現地で移民のことに当っていた東宮鉄男、また日本国民高等学校の加藤寛治等の意見が大きな影響を与えた。

 この青少年義勇軍の構想は、昭和12年の末から13年にかけて具体化されていった。昭和13年1月には、満蒙開拓青少年義勇軍募集要綱が作られ、ただちに募集が始まった。

 募集の対象となる若者は、数え年16才から19才までの者であった。このような若者を募集の対象とした背景には、次のような事情があった。つまり、前年の昭和12年、本格的な日中戦争が始まり、戦線が拡大する中で日本は厖大な兵士を投入しなければならず、そのために、20代、30代の農村青年を片端から召集したので、これら若者を満蒙開拓にまわすことができなくなり、未成年の若者に目がむけられたのであった。(読者に感謝)

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