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2010年4月11日 (日)

第三章 満州の嵐

―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

謝文東は地主であり、その地方の自衛団の団長であった。そして、誠実で正義感の強い人柄は、土龍山地区の住民の人望を集めていた。日本人のやり方は、彼の正義感が許さなかったのであろう。住民の窮状を見かねて彼は立ち上がり、民衆軍を組織して行動を開始した。“謝文東立つ”の報が伝わると、各地の農民は武器を持って集まり、それは、たちまちふくれ上がっていった。江戸時代の農民一揆のような観があったと思われる。

この謝文東の乱に苦心していたのが東宮鉄男であった。東宮と謝文東は個人的には相通じるところがあったらしい。東宮鉄男伝によれば、東宮は、前橋市の移民懇談会で、謝文東を馬賊と説明し、「満州における馬賊発生の根本理由は、支那の悪政である。馬賊は、旧政権、軍閥、官僚の弾圧や搾取への反抗である。丁度群馬県に天領が多かったことから徳川の中期から博徒がばっこしたのと同じ理由である。国定忠治なども一介の博徒ではないらしい。その行為はともかく、ああした事をせずにいられなかった環境を吟味しなくてはならない」と話している。東宮が謝文東のことを、住民を苦しめる悪代官を斬った国定忠治と同じように見ていたかどうか明らかではない。もしそうだとすれば、悪代官は日本だということになるのだが。

 とにかく、謝文東は、抗日運動の盛り上がる中で、抗日救国の英雄であった。この土龍山事件は、ニューヨークタイムズによってとり上げられ、謝文東は中国の英雄として注目された。 

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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