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2010年4月 3日 (土)

第三章 満州の嵐 ―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

 このような政府の政策と満州現地の東宮たちの計画が一つになって、満州移民は現実に本格的な一歩を踏み出すことになった。初めから現地住民や匪賊の抵抗が予想されたので移民は、東宮の立案の下で、「戦いつつ耕す」という決意を持ち、「機関銃、野砲、曲射砲、爆薬、手榴弾」などで完全に装備した武装移民の形で進められた。

 移民は、東北六県と、群馬、栃木、茨城、新潟、長野県から、在郷軍人で農業に従事中の者を対象として募集された。群馬県出身の団員は41名であった。

 昭和7年10月14日、彼らは松花江沿岸の町佳木斬(ジャムス)に到着。一行は、この到着の夜、早くも抗日ゲリラの襲撃を受けた。これは、日本の満州植民政策の前途多難を予想させる出来事であり、その後に現実のものとなった満州開拓民の悲劇に通じる第一歩でもあった。

 東宮鉄男たちが掲げる民族の協和とは、日本、朝鮮、漢、蒙満の五民族の協和を考えていた。しかし、五族の協和による「王道楽土」の建設を目指すには、その出発から矛盾に満ちたものがあった。移民の先遺隊が武装移民という形で満州に入り込んで行かねばならぬこと自体、この移民政策が、民族の協和、王道楽土とは違う方向へ向かってゆくことを示すものだといえよう。

 関東軍の指揮の下に、中国人の土地と家が強制的に買収されていった。しかし、買収とは形だけで、その価格は極めて安く、ただ同然のものであった。そして、指示に従わない農民は厳罰に処せられた。

 この頃、土地を奪われた多くの農民が満州国の県公署に陳情書を出しているが、それによれば、売買価格3000元のところに、480元しかくれないと訴えている。このようなやり方に対して強い抵抗運動が生れるのは当然のことであり、ゲリラの活動は熾烈を極めた。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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