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2010年4月19日 (月)

人生フル回転「シベリヤの帰還者、塩原さんの葬儀で弔辞を」

◇遂に塩原眞資さんが大往生を遂げ、私は告別式で弔辞を読んだ(18日)。87歳であった。あの気力と体力からして100近くまでは大丈夫と思っていたので残念であった。

 謹厳実直を絵に書いたような人で、内に熱い情熱を秘めていた。その人生の中核に翻る旗が「シベリヤ抑留」であった。

 弔辞では、平成16年塩原さんとハバロフスクを訪ね、かつての強制収容所跡をめぐった時の事を振り返った。

 「塩原さん、あなたはやっと帰国の日を迎えてナホトカ港を離れる時、地を蹴って、こんな所に二度と来るものかと心に叫んだそうですが、あれから54年の歳月を経て、再びシベリヤを訪ねることが決まったとき、少年のように心をときめかしておられました。恨みの大地は、この世で最も懐かしい、何が何でも再会したい存在になっておりました」

 私の弔辞はこのような調子で始まり、近代都市に一変したハバロフスクを見て感動と驚きに浮き立つような塩原さんの姿に触れ、次の部分に及んだ。

 「塩原さん、私の胸に焼きついている光景は、あの収容所跡地を訪れた時のことです。零下30度の寒さと飢えと重労働に倒れた多くの胴胞を葬った場所です。夏草が茂る中に、『友よ安らかに眠れ』と書かれた墓標が静かに立っていました。あなたは、その前で、『俺だけ先に帰って悪かった』と声をあげて泣きました。その姿を見て、私は、シベリヤ抑留の過酷さを改めて知り、また、人情に厚く信義を重んじるあなたの真の姿を発見した思いを強く抱いたのであります」

 私は、シベリヤ抑留の体験者が次々に亡くなっていくことは誠に残念である、60万人が抑留され、6万人以上の犠牲者を出したシベリヤ抑留を歴史の教訓として活かさねばならない、それは、平和の尊さ、人間の命の大切さ、そして人間は、限界の中で、これだけ頑張れるのだという事実である、と述べた。

 そして、「私はシベリヤ強制抑留の真実を伝えるために、あなたの協力を得て、『望郷の叫び』を書きました。あなたの事も書かせて頂きました。今日は、この本を棺に納めました。天国で読み返して下されば望外の幸せです」と結んだ。

◇この日は忙しい一日で、朝、中曽根選対の幹部会議が県連で行われた。情報の交換がなされ、戦略が練られ、今後の予定が確認された。要点は、24日の事務所開きをどう工夫するかであった。従来のような形式を一変すべしという意見が多かった。

◇夜、柔道連盟の総会があった。学校の練習で重傷の事故を生じた他県の例が取り上げられ、全柔連は、安全指導に全力をあげることが報告された。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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