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2010年4月30日 (金)

人生フル回転「死刑を破棄した最高裁。ブナの木の法要」

◇死刑判決を破棄し差し戻した27日の最高裁判決は、一般国民にとって衝撃的である。なぜなら一度、高等裁判所で死刑の判決を受けた人が一転して最高裁で、無罪となる可能性が生じたのであり、このことは、裁判とは、そんな微妙なものなのか、ちょっとした見方の違いで、死刑になったり無罪になったりするのか、という感じを抱かせるからである。

 また、裁判員裁判との関係では、このような難しい刑事事件の裁判に素人の一般市民が関わることを意味し、裁判員には大きな負担となるからである。

 このような二重の意味で、明日は我が身、という切迫感でこの事件を見詰めねばならない。この事件はどのようなものだったのか。

◇04年4月大阪のマンションで、主婦とその長男が殺された上放火された事件である。殺人と放火の罪に問われた森健充被告は、一審で無期懲役、二審で死刑の判決を受けた。

 27日の最高裁は、この一、二審を破棄して審理を大阪地裁に差し戻したのである。極めて異例のことといわれる。

 森被告は、一、二審の公判で一貫して否認した。直接の証拠はなく、犯人ではないかと推認させる情況証拠(間接証拠)のみであった。

 その情況証拠で最も重視されたものは、現場マンションの踊り場のたばこの吸い殻から検出された被告の唾液である。再高裁は、これにつき、「事件翌日に採取されたというのに茶色に変色しており、事件よりかなり前に捨てられた可能性が否定できない」と疑問を示した。

 そして、このような状況証拠のみで、有罪とするには、その状況証拠の中に、被告が犯人でないとしたら説明がつかない事実が含まれている必要があるとした。

これは、「疑わしきは被告に有利に」と言う刑事訴訟法の原則を適用した結果である。

◇劇団ブナの木代表の大野さんの一周忌が劇団のけいこ場で行われた。祭壇の側にスクリーンが設けられ、だいだらぽっちを演ずる大野さんが映された。

 私は劇団の顧問である。また、私が代表を務めるNPO・群馬情報バンクが劇団に協力している。ブナの木は、県内外の小学校等で年間非常に多くの上演を行っている。

 献杯に立った私は、子ども達に夢を提供するブナの木の役割は大きい、劇団の事業を発展させることが大野さんの意志に報いることだと挨拶した。

◇群馬県書道協会の顕彰祝賀会に出た(29日)。協会の2人が、それぞれ県総合表彰、県文化奨励賞を受けた。中曽根弘文さんと私が協会の顧問を務める。

 中曽根さんのあとで登壇した私は、中曽根さんは選挙の事に触れませんでしたが、夏の参院選には、元文部大臣を頼みますと挨拶した。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年4月29日 (木)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

草と土と煉瓦でできた今にも崩れ落ちそうな家々とみじめそうに見える農民の姿、これらが当時の満州の農村の現実の姿であった。

 私は、平成5年に中国残留帰国者協会の人と黒龍江省へ行き、その省都ハルビンから数百キロの奥地、海倫(ハイロン)県の双禄(ソウロク)という村を訪ねたことがある。昔、その近くに群馬県からの開拓の人たちがいた所であるが、黒い泥の海のようなぬかるみの中に音もなくたたずむ家々と、その中で営まれる人々の生活の実態を見た時の衝撃を忘れることができない。だから、50年前の義勇軍の少年たちがどのように感じたかおよその想像がつくのである。

このような現地の人々の実態を見た時、少年たちは何を考えたであろうか。神としての天皇をいただく国民として日本人は優秀な民族なのだということを訓練所で叩きこまれてきた少年たちの心に、このような中国人に対する軽蔑の念が生ずるのは自然なことではなかろうか。

 李沢民の母が、日本人は中国人をいつも軽蔑していた、だからあんなひどいことができたのだと言ったというが、それは恐らく事実であった。李沢民の母が言ったという「あんなひどいこと」とは、土地や家を取り上げたことだけを指すのではない。婦女に対する暴行や掠奪、そして日常生活における蛮行が頻繁に行われた、そういう全体を指しているのだ。見方を変えれば、日本人の思い上がったこのような行為こそ、みじめな、そして軽蔑すべき行為であった。これでは、五族協和による王道楽土の実現は始めから不可能であったと思われる。

 先にも触れた「曠野に消えた青春」では、次のような記述が注目される。(240頁)。「現他人に対する非行に対しては寛大であったから、小盗児(ショートル・泥棒のこと・注 中村)を満州国警察官に咎められても、訓練所内に逃げ帰れば中隊長裁量の罰則で、「反省者」として衛兵所内に軟禁される程度であった。正に義勇隊訓練所は治外法権領内であって、恐いのは関東軍憲兵隊のみであった。

(読者に感謝)

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2010年4月28日 (水)

人生フル回転「時効廃止の衝撃。検察審小沢起訴相当」

◇重罪で追われている人が六法全書を見ながら息を潜めて時が経つのを待つ話をよく聞く。

 そのような人にとって、時効の廃止や延長は大変なショックに違いない。一方で、時効の制度に対して、なぜ逃げ得が許されるのかと疑問を抱く人は多かった。

 時効見直しの改正法が27日衆院本会議で可決された。先に参院で可決されていたので、今回の衆院の可決によって改正法は成立した。

 改正法は、成立と同時に即日(27日)交付施行された。このスピードは異例のことである。

 この事により、28日午前0時に成立する時効が廃止となる。実はこの時点で時効を迎える事件があった。異例のスピード施行は、この時効完成の阻止を狙ったものだと思われる。真犯人の衝撃は大変なものだろう。

 その事件とは、1995年4月28日倉敷市で起きた放火殺人事件である。2人の夫妻が殺された。今日、4月28日午前0時に時効が完成する予定であった。

 今回の改正法の特色の一つは、法律成立前の事件でも、時効完成前のものには適用になる。そのために、倉敷の殺人事件に適用され、時効は正に寸前でアウトになった。

 又、95年「2月」に長野県岡谷で起きた殺人事件は、今年「2月」に時効が完成した。こちらの真犯人は胸を撫で下しているだろう。

 今回の改正法のポイントは、最高刑が死刑に当たる殺人や強盗殺人などの罪は、時効を廃止し、それ以外の人を死亡させた罪、例えば危険運転致死罪などについては、これ迄の時効期間が2倍に延長されるというもの。

 時効制度の変更により警察の初動捜査がますます重要になる。長い時が経過した後に起訴され、古い証拠が審理される場合だ、それが、しっかりしたものでないと冤罪につながる恐れが生ずるからである。

◇27日のもう一つの衝撃的なニュースは、東京の検察審査会が、小沢一郎は「起訴相当」と11名の全員一致で決議したことである。

 検察が小沢一郎を不起訴にした事に対しては、国民の多くが納得し難しい感情を抱いていた。今回の審査会の決議は、この国民感情を現わしていると私は考える。

 検察はこれにより、もう一度捜査することになった。そして、また、検察が不起訴処分をし、これに対し、検察審査会が再度起訴相当の決議をすれば、小沢一郎は強制的に起訴されることになる。この点は検察審査制度改正の結果である。

 検察審査会の制度は、司法に一般の市民の声を反映させる点に意義があるが、今回の議決はこの制度に全国民を注目させた。

◇中国の2つの大学にダンボール5箱の本を送った。税関のチェック郵便局の手続きなど大変な作業だった(27日)。船便なので最大2ヶ月かかるという。(読者に感謝)

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2010年4月27日 (火)

人生フル回転「中国から企業視察団・ミツバチ盗難と異変」

◇中国山東省から中小企業視察団が来月、来県することになった。本県に宛てた申込書の主は山東省人民政府の張偉齢氏である。

 この人には、昨年、私たち日中議員連盟が訪中した時、大変お世話になった。

 張氏の書面には、「宥座の器」が孔子研究院に設置されていること、曲阜師範大学における私の記念講演が大きな反響を呼んだ事などが書かれている。

 「宥座の器」とは2千数百年の昔、孔子が中庸の徳を説くために使った「器」を本県の針生清司氏が心血を注いで再現させたものである。

 本家の中国には機能する「器」がないことから針生氏が一念発起、13年の歳月をかけて再現に成功した。折からの孔子ブームもあって、孔子生誕の地・曲阜市における昨年11月の贈呈式は大きな反響を呼んだ。

 贈呈式に際して行われた曲阜師範大学における私の記念講演は、「経済大国日本の挫折と再生の課題」と題するもので、会場を埋めた多くの学生が熱心に耳を傾けてくれた。

 学生が私の話をしっかりと受け止めてくれた事は、その後、学生から寄せられたメールでも伺うことが出来た。

 この講演を機に日本の書物を同大学に送る話しがまとまった。県立図書館の協力を得て、ダンボール数箱の荷造りも出来、数日中に発送しようとしているところに、今回の人民政府の手紙が届いた。5月24日の歓迎会では、この書物の事も話題になるだろう。

 福田元総理がきっかけを作った山東省との交流を深めていきたい。その意味で大切な訪問団である。

 中国は歓迎がうまい国である。人民政府の官内で受けた歓待の素晴らしさは忘れられない。今回、私たちは、あのような華やかな事は出来ないかも知れないが、心のこもったもてなしをしたいものだ。執行部にはその事を心がけて欲しい。

◇各地で大量のミツバチが盗難にあっている。昨年の被害は200万匹以上だという。ミツバチは果物等の受粉に欠かせない。

 盗難事件の背景には、病気や謎の大量消失に起因する深刻なミツバチ不足のため輸入量が減っていえることがあると指摘されている。

 ミツバチ不足によって農家が困っていることは県議会でも取り上げられ、その時、「蜂群崩壊症候群」という言葉も語られた。

 それは、北米で始まった億にのぼるといわれる大量のミツバチが突然いなくなり死骸も見つからないという不思議な出来事で、世界各地に広がっているといわれる。

 地球上の異変に敏感な小さな昆虫が示すこの珍事は何を暗示するのか。天変地異が日常化している時なので、盗難事件から「蜂群崩壊症候群」を連想してしまう。(読者に感謝)

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2010年4月26日 (月)

人生フル回転「中曽根事務所開き・高崎駅頭の演説会」

◇中曽根弘文さんの事務所開きが行われた(24日)。参院選に向けての準備である。早朝の日差しは強く今日は温かい日になるかと思ったら、午前10時に式が始まる頃は、また冬に逆戻りとなった。この気温は、参院選の厳しさを暗示しているようであった。

 壇上の弁士は、民主党の混乱迷走を批判し、このままでは日本が駄目になる。それを阻止するために夏の参院選は中曽根を勝たせて欲しいと叫んでいた。さながら、出陣式のようであった。中曽根さんは実質的に出陣式の気持ちですと訴えた。

 午後、高崎駅頭で、県議会自民党八ッ場ダム推進議員連盟主催の、署名集め、並びに街頭演説会が実施された。

 私は、推進議連会長として挨拶。「民主党政権は、選挙のために現実を無視したマニフェストをつくり、そのために、政局は混乱し、日本がおかしくなろうとしている。八ッ場ダム問題は、その象徴である。57年苦しんできた地元住民のために、治水利水の観点から下流都県のために、そして、日本の民主主義のために、ダム推進を貫かなければなりません」、私は、こう訴えた。

 街宣車から見下ろすと、右翼の車が2台近づいて止まった。鳩山総理と小沢一郎の生首を模したものを棒の先に揚げている。

 車から降りた2、3の者は、「そうだ」、とか「頑張れ」と叫んでいる。応援するつもりなのだろうが、有難た迷惑なことである。民主党の大会が行われると言われるベイシアホール(旧県民会館)あたりは、右翼の街宣車の大音響で騒然としていた。ベイシアホールに通じる道はバリケードが置かれたりし、警察との間で通せ通さないと小競り合いの状態が生じていた。

 なぜ逮捕しないのかと、私がその場の警察官に叫ぶと、逮捕するかしないかは警察が判断しますと答えていた。

◇米軍基地反対の沖縄県民大会の盛り上がりは凄い。運動広場には、主催者発表で約9万人が参加した。

 最近の傾向として、政治問題の集会では多くの人が集まらない。長いこと基地で苦しんできた沖縄県民の怒りがエネルギーになっているに違いない。

 沖縄に多くの基地が集中していることは、沖縄県民にすれば、「差別」と感じることもよく分かる。

 一方で、中国の軍事力増大が続き、中国海軍の動きが日本領すれすれに迫っていることが報じられた。かつての冷戦はなくなったが、米国と中国の新たな対立の構図が出来つつあり、日本はその中で最前線に置かれている。

 憲法9条の下で、核を持てない日本にとり、日米安保条約の重要性が増している。平和ぼけと言われる日本人は国防の重要性を認識する時に来ている。(読者に感謝)

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2010年4月25日 (日)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

当時、軍団主義のムードが高まっている中で、軍歌調のメロディに乗って歌われるこの歌によって胸をときめかせ、満蒙の果しなき荒野に夢をはせる純真な少年たちの姿が目に見えるようではないか。

 このようにして、満蒙開拓青少年義勇軍は日本中でブームになってゆき、主に貧しい農家の二、三男が参加していった。

 応募した少年たちは茨城県内原の訓練所に入り、三ヶ月の厳しい訓練を受けた。純真な若者たちは満州に渡り、五族協和による王道楽土をつくるのだと教えられ、これを信じた。そして、やがては一人十町歩の土地がもらえるということで、訓練を終えた若者たちは、未知の新天地に夢を抱いて日本を後にしていった。では、彼らを待ち受けた満州の現実はどうであったか。そして、若者たちはそれをどう受け止めたか。

 少年たちがまず驚いたことは、満州の自然の厳しさであった。冬は、零下30度から40度にも下がり、小便をすればたちまち凍るし、手袋から手を出していれば、凍傷にかかってしまう。外の金属に誤って口唇を当てると張り付いて離れなくなってしまう。

 かつて群馬県からこの義勇軍に加わった人が当時のことを語っている。それによれば、ハルビン駅に着いて凍えながら公衆便所に行くと、入口が黄色い氷の山で塞がっているので尋ねると、それは小便するとすぐに凍ってできる小便の氷山であった。「えらい土地に来たもんだ」と言って、同志と首をすくめたという。(曠野に消えた青春、満蒙開拓青少年義勇軍、群馬根岸中隊、大利根同志会編)

 次に少年たちが驚いたのは、中国農民の貧しさと汚さであった。少年たちの目に映る中国農民の生活の断片は、想像を絶する貧しさを物語っていた。そして、彼らの手足には厚くなるほど垢がたまり、ぼろをまとった身体から鼻をつく異臭が放たれていた。

(読者に感謝)

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2010年4月24日 (土)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

この募集要項には次のようにあった。「我が純真な青少年諸君が満州に渡り、大陸の新天地で農業を通じて心身の鍛練に励み、成長して満蒙開拓の中堅人物となることは、小さく見れば青少年諸君の身を立てるためでもあり、大きく見れば我国とその兄弟国である満州国との双方の発展に役立ち、ひいては、東洋平和の礎を築くことになるのであって、これこそ男子としての大きな喜びでありましょう」

この制度ができると、新聞、雑誌、ラジオなど、マスコミはこれを華やかに取り上げていった。義勇軍の歌の懸賞募集が行われ、一等賞になった「われ等は若き義勇軍」は、ラジオを通して放送され、一般にもよく歌われたという。私の母もよく耳にしたというその歌詞を一部紹介すると、(四番まであった)

1、われらは若き義勇軍

祖国のためぞ鍬とりて

万国涯(はて)なき野に立たむ

いま開拓の意気高し

いま開拓の意気高し

2、われらは若き義勇軍

先祖の気魄亨けつぎて

勇躍つとに先がけむ

打ち振る腕に響きあり

打ち振る腕に響きあり

3、われらは若き義勇軍

ときこそきたれ満蒙に

第二の祖国うち建てむ

輝く緑空をうつ

輝く緑空をうつ

(読者に感謝)

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2010年4月23日 (金)

人生フル回転「私は愚かな総理。口蹄疫の衝撃、巨大地震」

◇党首討論で鳩山首相は動揺しているように見えた。ワシントンポスト紙に「愚かな首相」「最大の敗者」と酷評された事を谷垣氏に指摘された時のことだ。

 谷垣総裁は、ワシントンポストに怒りをあらわにすると同時に、情けない事だと迫った。首相は、これに対し、「私は愚かな総理かも知れない」とあっさりと認めた。多くの国民には、自信のなさの現われと映ったに違いない。

 外国の主要紙にこのように侮辱されることは異例だろう。対外的には日本国民が侮辱されたことと同じだ。外国からこのように評価されることは日本のイメージや信用力を傷つけるから、いろいろな面で大きな損害を生じさせるのではなかろうか。

◇口蹄疫発生の疑いが国内で生じて本県にも衝撃が走っている。かつて知人の食肉業者が口蹄疫の恐怖を真剣に語っていた事を思い出す。

 県は20日、緊急防疫会議を開き対策を協議した。そこでは、宮崎県で発生した疑い例が口蹄疫と確認された場合、県内の牛と豚の全頭を検査すると決定した。口蹄疫発生による経済的損害は甚大であるといわれる。

 口蹄疫とは牛、豚、羊など偶蹄類の動物をおかすウィルス性の伝染病で非常に伝染力が強い病気である。偶蹄類とは蹄(ひづめ)が割れている動物のこと。ウマは蹄が割れていない奇蹄類である、死亡率50%に達することもあり、生き残った動物も採食ができないため体重が著しく減り乳量も激減する。

 日本では長年にわたり発生はなかった。1967年、イギリスで大流行した時、イギリスは25万頭の牛を殺処分した。

 口蹄疫確定となれば、肉や生乳の価格が下がり畜産農家の損害は大変な事になる。県は風評被害を恐れている。あの狂牛病の時のような騒動になると大変である。

◇最近、地球上の各地で大地震が発生している。今年に入ってからも、ハイチ、チリ、中国と続き次は日本かと不安をかきたてられている。

 政府の防災会議は、東海地震と東南海・南海地震が同時に発生した場合の被害想定を公表した。それによれば、死者は総計2万5千人となり、そのうち、静岡県だけで8千100人に達すると推計した。

 東海地震は、駿河湾西岸から遠州灘東部を震源域として近い将来発生する可能性が高いとされる大地震。M8程度の浅い巨大地震で短期予知の可能性があるとされる。

東南海・南海地震は紀伊半島や四国の沖合で発生する海溝型の大地震。規模はM8クラスで速ければ今世紀前半にも発生の可能性があるといわれている。

 政府の今回の公表は、大地震が近づいていることを国民に知らせるサインと受取るべきだ。(読者に感謝)

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2010年4月22日 (木)

人生フル回転「前商の記念式典。全国学力テストの意味」

◇学校の大きな記念式典に出るとその学校の歴史や校風がよく分かるものである。県立前橋商業高校の新校舎落成記念式典に出た(21日)。長い歴史のある高校だが私が式典に出るのは初めてのことである。

 前商は、大正9年(1920年)4月26日に商業人の育成を目指して開校した。時あたかも、恐慌の真っただ中で、生徒は大変な緊張感をもって開校式に臨んだに違いない。

 この年3月株価が暴落、経済界は恐慌に見舞われ、本県主軸産業の繭糸業界と織物産業は大打撃を受けた。5月には県内銀行の取り付け騒ぎも起きた。

 前商は、正に騒然たる社会情勢の中の船出であった。同校の校歌には、「乱れ飛ぶ雲を払いて起てや」(1番)とか、「吹き荒ぶ風に乗じて起てや」(3番)などの句が見られるが、これらには、時代の風に立ち向かう気概が示されている。

 これらの校歌は、今日の無気力といわれる若者たちには、同校の厳しい歴史を示すとともに叱咤(しった)の鞭としての意味がある。口ずさみながら校歌とはこういうものかと思った。

 井田信夫同窓会長は、このような素晴しい校舎をもらったのだから、中味もそれにふさわしくないと校舎が泣くと発言、小池茜生徒会長は、前商生の誇りを持ち、前商魂を忘れないと謝辞を述べた。

 3万6千人を超える卒業生は各界で活躍している。同窓会長の井田さんはサンヨー食品の元副社長で、現在中曽根弘文後援会長として、間近に迫った参院選夏の陣に向け必勝を期して闘志を燃やしている。

◇全国学力テストが実施された(20日)。過去3回は全校参加だったが、今回は予算削減のため抽出方式となり、選ばれた学校は30.7%。本県では県下の公立校のうち27.6%が選ばれた。

 選にもれた学校も希望により自主参加できる。選にもれた学校の6割が自主参加をした。これは自校の学力の位置を知りたいと望む保護者が多いことを示すものだろう。

 全国1位の秋田県では家庭学習の定着など1位になるだけの努力と工夫をしている。また、最下位の高知県は課題克服に真剣になっている。

 本県の課題のひとつは、考える力や応用力が弱いことである。各自治体が学力テストの結果を今後に活かすことが何よりも大切なことだ。

 昔は国が教育を支配する手段になるとして、学力テストの違憲性が問われたことがあったが時代は変わった。今は、地域が自主的に学力対策に取り組む契機になりつつある。本県では来年から独自の学力調査を行う予定である。(読者に感謝)

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2010年4月21日 (水)

人生フル回転「アイスランドの噴火は、浅間の大噴火を思わせる」

◇北大西洋のアイスランドの火山噴火が世界中を混乱させている。氷河を突き破って上空に広がる凄まじい噴煙をテレビは連日報じている。

 ヨーロッパでは多くの空港が閉鎖され、人や物の動きが妨げられ、世界の経済にも影響が出はじめた。イギリスなどは、海外の国民の帰国に空母を使うという。前代未聞である。

それにしても火山の力はすごい。発達した文明の力も、その偉力の前には全く無力である。

 アイスランドは、地球のプレートの境目にある国だ。そこは地球内部からマグマが上昇するホットスポットになっているため火山が多いのだという。

 約30の火山が活動しており、1500年以降地球上に流出した溶岩総量の3分の1はアイスランドの火山のものと推定されている。

 これらの火山は厚い氷河に覆われている。今回のエイヤフィヤトラ・ヨークトル火山もそうだ。この長いカタカナはどこで切って発音したらよいか迷うが、ヨークトルは氷河の意味である。

 エイヤフィヤトラの爆発で噴火口のところは、南北1キロにわたり氷河に裂け目が出来、およそ1億5千万㎥の氷が溶けた。それは、東京ドーム120杯分だというから驚きである。

今回の出来事は、大自然の災害に対する備えを怠ってはならない事を教えている。日本は、アイスランドと共に世界でも有名な火山国である。

Imagescakiymxl_2 天明3年・1783年の浅間の噴火は想像を絶するこの世の地獄を作り出した。かつての浅間噴火の惨状を、今日の八ッ場ダムの必要性に関する一つの論点とする向きもある。

 また、この噴火は世界的な天候不順を起こし凶作をもたらした事から、その6年後のフランス大革命の一因になったと主張する説すらある。 あれから、227年が経つ。時々不気味な動きを示す浅間火山は膨大なエネルギーを蓄えつつあるのか。

浅間が危ないと言われて久しい。アイスランドの天を衝く噴煙は、浅間の恐ろしさを思い出させる。

◇浅間山から噴出した溶岩は、熱泥流と化して鎌原村を埋め尽くし吾妻川に流れ落ちてダムを作った。次の瞬間ダムは決壊し、鉄砲水は下流の村々を濁流にのみ込み多くの死者が出た。

 吹き上げられた灰は成層圏に達し日光を遮って天候不順を招来。その後、2、3年は北半球で冷夏が続いたと記録されている。

 このような火山の動きは現代でも続いているのだ。今回のアイスランドが一例だが、1991年、フィリピンのピナツボ火山の大噴火はケタ違いのもので翌年の地球の平均気温を下げた。大地震と異常気象が続く中で今回の噴火が起きた。地球がおかしくなっているのか。(読者に感謝)

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2010年4月20日 (火)

人生フル回転「鳩山25%に急落・徳之島のエネルギー。東照宮のこと」

◇今、私は、農村地帯を中心に戸別訪問をしているが、異常な空気を感じるのだ。短い時間で交わす初対面の人との会話で必ず出る話題が、子ども手当て、郵政、高速道、普天間基地、膨大な国の借金などだ。人々は、民主党はどうしようもないと言いながら自民党の混乱と不がい無さも鋭く指摘する。

 これ程一般国民が政治と社会の現実に危機感を抱いているのはかつてない事と思う。

 ある農家の奥さんは、このままでは子どもの時代はどうなるのでしょうといかにも心配そうな表情を見せた。

 今朝の朝刊では、「内閣の支持率続落25%」という大きな見出しが躍る。農村地帯を回って肌で受けた感触をこの世論調査は正しく反映していると思わざるを得ない。

 又、報道は、オバマ大統領が鳩山首相に対し強い不信感を表わした事を伝えている。ワシントンで行われた両首脳の非公式会談でのことだ。普天間飛行場移転問題に関しオバマは、鳩山首相に「何も進んでいないのではないか。最後までやり通せるのか」と発言したという。

 会議は日本側の再三の要請で開かれた(日本時間13日)。オバマは、11月の東京会談で鳩山首相が「トラストミー(私を信じて)」と発言した事に触れて、「キャン、ユー、フォロー、スルー(最後までやり通せるのか)」と発言したという。これは、「キャント、トラスト、ユー(あなたを信じられない)」と言われたに等しいことで、日本の首相がこのような場面に晒されることは、国民として恥かしいと思う。

◇鹿児島県徳之島の大集会は島民のエネルギーの爆発に見えた。普天間移転の候補地にあがっており、それに反対する集会だ。会場を埋め尽くすカラフルなプラカードがエネルギーの強烈さを印象づける。

 これでは、鳩山首相も、この島で計画を進めることには絶望感を持ったに違いない。

 基地の受け入れにはどこでも反対することは良く分かる。しかし、徳之島の異様な光景は、日米安保条約のことや国を守ることの大切さを、全く考えない日本国民を象徴する姿に映ってしまう。

◇東照宮家康公御命日正式参拝に出た(17日)。東照宮は徳川家康を祭る神社である。前橋の東照宮は、家康の孫で、前橋藩主松平氏の初代松平直基が創建した。

 瀬尾宮司が語るところによれば、家康が没したのは1616年4月17日、4月17日は全国の東照宮で家康の命日を祈る、今回は、394回忌である。

 歴史を知れば社殿の神事もおごそかに感じられる。選挙の度に、ここで必勝祈願祭が行われる。大澤知事の時もそうだった。多くの人は、歴史的事実を意識していない事だろう。(読者に感謝)

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2010年4月19日 (月)

人生フル回転「シベリヤの帰還者、塩原さんの葬儀で弔辞を」

◇遂に塩原眞資さんが大往生を遂げ、私は告別式で弔辞を読んだ(18日)。87歳であった。あの気力と体力からして100近くまでは大丈夫と思っていたので残念であった。

 謹厳実直を絵に書いたような人で、内に熱い情熱を秘めていた。その人生の中核に翻る旗が「シベリヤ抑留」であった。

 弔辞では、平成16年塩原さんとハバロフスクを訪ね、かつての強制収容所跡をめぐった時の事を振り返った。

 「塩原さん、あなたはやっと帰国の日を迎えてナホトカ港を離れる時、地を蹴って、こんな所に二度と来るものかと心に叫んだそうですが、あれから54年の歳月を経て、再びシベリヤを訪ねることが決まったとき、少年のように心をときめかしておられました。恨みの大地は、この世で最も懐かしい、何が何でも再会したい存在になっておりました」

 私の弔辞はこのような調子で始まり、近代都市に一変したハバロフスクを見て感動と驚きに浮き立つような塩原さんの姿に触れ、次の部分に及んだ。

 「塩原さん、私の胸に焼きついている光景は、あの収容所跡地を訪れた時のことです。零下30度の寒さと飢えと重労働に倒れた多くの胴胞を葬った場所です。夏草が茂る中に、『友よ安らかに眠れ』と書かれた墓標が静かに立っていました。あなたは、その前で、『俺だけ先に帰って悪かった』と声をあげて泣きました。その姿を見て、私は、シベリヤ抑留の過酷さを改めて知り、また、人情に厚く信義を重んじるあなたの真の姿を発見した思いを強く抱いたのであります」

 私は、シベリヤ抑留の体験者が次々に亡くなっていくことは誠に残念である、60万人が抑留され、6万人以上の犠牲者を出したシベリヤ抑留を歴史の教訓として活かさねばならない、それは、平和の尊さ、人間の命の大切さ、そして人間は、限界の中で、これだけ頑張れるのだという事実である、と述べた。

 そして、「私はシベリヤ強制抑留の真実を伝えるために、あなたの協力を得て、『望郷の叫び』を書きました。あなたの事も書かせて頂きました。今日は、この本を棺に納めました。天国で読み返して下されば望外の幸せです」と結んだ。

◇この日は忙しい一日で、朝、中曽根選対の幹部会議が県連で行われた。情報の交換がなされ、戦略が練られ、今後の予定が確認された。要点は、24日の事務所開きをどう工夫するかであった。従来のような形式を一変すべしという意見が多かった。

◇夜、柔道連盟の総会があった。学校の練習で重傷の事故を生じた他県の例が取り上げられ、全柔連は、安全指導に全力をあげることが報告された。(読者に感謝)

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2010年4月18日 (日)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

多くの移民は欺されたと思い、怒った。そこで、第一次移民団では百数十名の退団者が出たのだった。このような事態は、第二次移民においても大体同様であった。

このような第一次、第二次移民の失敗は、移民計画の反省と見直しを促すことになった。

そして、この事件以後の移民計画は、この事件の原因を十分参考にして行われるようになったのである。その主な点は、ゲリラの討伐を徹底し、移民村の治安を確保すること、移民の人選に注意すること等であった。そして、このような動きの中で、環境に対して心身共に順応性の高い純真な青少年を訓練し、将来、満州国の基礎となる堅実な村をつくるために移民として送り込もう、という考えが持ち上がり、ここに満蒙開拓青少年義勇軍が誕生することになった。政府がこのような政策を決定してゆく上で、現地で移民のことに当っていた東宮鉄男、また日本国民高等学校の加藤寛治等の意見が大きな影響を与えた。

 この青少年義勇軍の構想は、昭和12年の末から13年にかけて具体化されていった。昭和13年1月には、満蒙開拓青少年義勇軍募集要綱が作られ、ただちに募集が始まった。

 募集の対象となる若者は、数え年16才から19才までの者であった。このような若者を募集の対象とした背景には、次のような事情があった。つまり、前年の昭和12年、本格的な日中戦争が始まり、戦線が拡大する中で日本は厖大な兵士を投入しなければならず、そのために、20代、30代の農村青年を片端から召集したので、これら若者を満蒙開拓にまわすことができなくなり、未成年の若者に目がむけられたのであった。(読者に感謝)

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2010年4月17日 (土)

②満蒙開拓青少年義勇軍

―“われらは若き義勇軍、祖国のために鍬とりて、万里涯なき野に立たむ”―

第三章②③の粗筋

第一次、第二次の移民は失敗。そこで、環境に対して心身共に順応性の高い青少年を訓練して送り込むことに。しかし、若者たちも過酷な環境に耐えられず自暴自棄に。そこで彼らを支える女性をということで大陸の花嫁を送り出すことに。戦争の激化にともない、男は現地で召集され、北満の果てに女と子どもがとりのこされる。そして、敗戦。そこへソ連軍が。

1937年(昭和12)日中戦争

1938年(昭和13)青少年義勇軍送出始まる

1940年(昭和15)大陸花嫁養成始まる

1941年(昭和16) 太平洋戦争

 1932年・昭和7年3月に満州国が成立し、同年8月に移民案が議会を通過、そしてこの年の10月には第一次移民団が松花江沿岸の佳木斯(ジャムス)に到着と、ここまでは急速に進んだが、この第一次移民は、結果的に失敗であった。

前記のように、到着の夜、早くもゲリラの襲撃を受け、それはその後も頻繁に繰り返された。昔から満州は馬賊や匪賊が横行、人々は自衛組織をつくり、武器を持ってこれらと戦ってきたが、彼らにとって、日本移民は馬賊や匪賊よりも恐ろしい存在だったに違いない。なぜなら、これらの賊も土地や家までは奪わなかったからである。だから、土龍山事件のような大規模なゲリラ事件も起きたのである。

 これらゲリラの襲撃に加え、満州の過酷な生活環境が移民を苦しめた。妻子と離れ、酷寒の中、狼の声におびえながらの生活には、人々は精神的に耐えられず、集団的ノイローゼに落ち込んでゆくのも無理はなかったと思われる。(読者に感謝)

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2010年4月16日 (金)

人生フル回転「異常気象の中で中国の大地震。中小企業振興条例」

◇紅雲町の巌島神社の春の祭典に参加した(15日)。神事の始まりを待つ人は、冗談まじりに「お寒うございます」と言った。やっと満開を迎えた境内の桜は、先日の嵐のような強風に花をむしり取られ、枝を折られ無残な姿に見えた。

 一段高い開け広げた社殿に座ると身を切るような寒さを感じる。夏が来たと驚くとすぐに冬に逆戻り。こんな状態が続いている。正に異常気象である。

 祭典の後の直会(なおらい)で、「自然界も人間の世界も異常続きです。混乱する社会で、伝統の神事は地域社会を支える大切な柱です」と挨拶した。

◇異常気象は寒波や洪水となって世界各地を襲っている。頻繁に起きる各地の大地震も異常気象の一環かと思ってしまう。このような異常気象は全世界の人々の心に不安と動揺を与えているに違いない。

 このような折に、また中国奥地、チベット高原に位置する青海省で大地震が起きた。

15日朝のニュースは死者400人と伝え、翌日の報道では500人超となった。被災者のほとんどはチベット族である。3千メートルを超える高原の地で救済もままならないようだ。

 中国では、死者約9万人を生じさせた四川大地震が08年5月に起きた。それは、北京五輪直前ということもあって、私たちの目をテレビにくぎ付けにさせた。

 今年に入って、ハイチ(1月)、チリ(2月)、中国(4月)と世界各地で大地震が続いている。これらの報に接する度に日本はいつかと思ってしまう。日本列島の地殻の下でも黒い影が引き金に手をかけてタイミングを伺っているのは間違いないことだろう。

◇中小企振興条例を作るための第2回セミナーが行われた(15日)。前回は慶応大学の植田教授を招いて、この条例をつくる意義についての見解を聞いたが、今回は、私たちが作った条例案の説明及び検討が目的だった。

 昭和庁舎の会場には、県議、中小企業団体中央会、群馬県商工連合会等諸団体からも参加があり盛会だった。

 私が趣旨説明を行い、高経大の河藤准教授が具体的な内容検討を受けもった。私が強調したのは、中小企業に焦点をあてた条例をつくることによって、「中小企業立県」を実現させ、群馬県の経済と社会の活力を発展させたいという点であった。

 こういう条例を作らないと、行政の中小企業に対する意識は変わらないという発言があった。その通りである。

◇イノシシの肉が友人の狩人からよく届く。山で異変が起き、増えている。獣害が叫ばれて久しい。

 子連れで餌を求めて動く姿を想像してしまう。日本酒、酢、タカノツメを使って私流に料理すると美味しい。イノシシにエネルギーをもらって頑張ることにした。(読者に感謝)

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2010年4月15日 (木)

人生フル回転「中国からしかける振り込め詐欺

◇中国から電話をかける振り込め詐欺が相次いでいると聞き驚いた。遂に犯行の舞台は国際的になったのか。

 千葉県内で、今年2月から14件発生し、被害額は計約2100万に上るという。調査によれば、被害者への電話は中国からかけられている。末端の実行役は逮捕出来ても、中国には捜査権が及ばないため主要な役割を果す犯人をつかまえることが出来ない。このような手口がこれから増えるのだろうか。

 伝えられるところによれば、「船橋東署の鈴木巡査長です。あなたの口座から300万円が引き出されています。全国銀行協会に連絡して口座を凍結して下さい」と電話があり、巡査長の声は、銀行協会の電話番号を教えた。電話を受けた女性は、その番号にかけると、「暗証番号は」ときかれ、「新しいキャッシュカードをこちらから持っていくから古いカードをその者に渡して下さい」と指示された。

 鈴木巡査長の声。その指示する番号にかけたら「銀行協会」につながる。これだけ条件がそろうと、多くの人はだまされてしまうだろう。暗証番号を教えた上、キャッシュカードまで取られてしまうのだ。

 千葉県船橋市内の82歳の女性の場合、このような電話を受けた後、念のため銀行で調べたら口座から引き出されていないことが分かり詐欺は未遂に終わった。そして、だまされた振り作戦により、カードを受け取りに来た男は逮捕された。

 最近、日本国内の振り込め詐欺のリーダー格が次々と逮捕されている。今までは、どこかのマンションの一室から、台本に従って放送劇を演じるように電話をかけまくっていたのが、逮捕を免れるため、演劇の舞台を中国に移したのだろうか。あるいは、中国における中国人のアイディアによる新たな手口なのか。そして、また、この事件は、中国国内にも振り込め詐欺が広がる前兆なのか。 

中国では、最近、経済の発展が目ざましく、富裕層が増えているから、振り込め詐欺の巨大なマーケットになる可能性がある。中国では既に振り込め詐欺は始まっているのか興味あるところだ。

◇人間の心理は共通しているから振り込め詐欺はどこでも行われるのだと驚いたのはブラジルを訪れた時のことである。

 私は、05年(平成17年)、県会議長としてブラジル県人会60周年式典に参加した。その時日系人向けの「ニッケイ新聞」に、「聖州で振り込め詐欺急増、一日百件を超える」という大きな見出しがあるのを見た。聖州とはサンパウロ州のこと。

 その中味は、刑務所の中の囚人がケータイを使って外の仲間と連携して詐欺と脅迫を実行しているというショックなものだった。振り込め詐欺は他の国でも流行っているのだろうか。(読者に感謝)

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2010年4月14日 (水)

人生フル回転「工藤会との戦いは私たちのもの。犯罪国家北朝鮮」

◇工藤会との戦いは福岡県だけの問題ではない。全国の暴力団対策の成否がかかる問題であり、ひいては、日本の治安を守るために不可欠な警察と市民の協力関係の成否がかかる問題である。

 警察庁長官は13日、北九州市で、市民に銃口を向けた工藤会への対策を指示し、「日本の暴力団対策の成否は北九州での捜査にかかっている。まさに天王山だ」、「あらゆる法令を駆して工藤会を壊滅に追い込んで欲しい」と述べた。長官が現場でこのような指示を出すのは極めて異例のことだ。

 私は昨年10月福岡県警を視察し工藤会の実態を肌で感じ、福岡県議会が折りしも可決した暴力団排除条例を本県でもつくるべきだと主張してきた。

 暴力団に利益供与した企業等に罰則を科す全国初の条例は、昨年10月13日に可決され、今月1日から施行された。

 この施行と前後して、利益供与を拒む企業、及び暴力団追放運動のリーダー宅への発砲が続いた。正に、法律と市民に対する正面からの挑戦である。

 ここで警察力が有効に示されなければ、福岡の暴力団追放運動は挫折し、全国の同じ目的を有する市民運動は後退してしまう。その意味で「天王山」なのだ。

 暴力団追放運動を担う福岡県のある市民は、県警に対して、「運動を担う市民を徹底して守り抜く覚悟を持って欲しい」と注文をつけていた。

◇狂気の犯罪国家北朝鮮の動きは、拉致問題で苛立つ私たちにとって重大な関心事である。多くの日本人が拉致されていることは、日本が北朝鮮からテロ攻撃を受けていることを意味する。

 韓国軍艦が沈没し46人が行方不明になる事件が起きた。韓国では北朝鮮の犯行ではないかと騒がれ、国際的な関心も高まっている。

 国家がそのような事をする筈がないと私たちは思ってしまう。しかし、北朝鮮は、ラングーン爆弾テロ事件(1983年)や大韓航空機爆破事件(1987年11月)を起こしている。ラングーン事件とは、ビルマを訪問中の韓国大統領を暗殺しようとして韓国高官17人を爆殺したもの。

 日本人四人が麻薬密輸罪に問われ中国で死刑に処せられたが中国に流れ込む大量の麻薬は北朝鮮が国をあげて作っているものといわれる。平和ぼけといわれる日本人は北朝鮮問題を通じて国防意識を高めなければならない。

◇日本人学校の入学式で挨拶した(12日)。200人を超える若者のほとんどは中国人。「皆さん今日は。今日皆さんに会えて大変うれしいです。中国は偉大な国で、私は小さい時から中国にあこがれ、中国の文化や歴史を学んできました。21世紀になり中国と日本の関係はますます重要です。」私の中国語の一区切り毎に歓声が起きた。日中の新しい関係の進展を感じた。(読者に感謝)

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2010年4月13日 (火)

人生フル回転「福岡県の暴力団排除条例を本県で作る意義」

◇福岡県の指定暴力団「工藤会」が利益供与を拒んだ企業に銃弾を打ち込むなどの暴力行為を行ったとの報道に注目する。工藤会の動きは、群馬県が進めようとしている暴力団排除条例と間接的ながら関連があるからである。

 群馬県が見本とするこの条例は、福岡県が主に工藤会対策として昨年10月13日全国に先がけて成立させた。条例の主要点の一つに、暴力団に対する利益供与の禁止がある。工藤会の今回の発砲は、この利益供与を断られた事への報復とみられている。

 私が所属する文教警察常任委員会は、昨年10月福岡県警を視察した時、同県警の最大の目標は工藤会の撲滅であると説明された。そして工藤会の実態を知って衝撃を受けたのである。

 それは、スナックに手榴弾を投げ込む、警察宿舎に爆弾をしかける、学校で暴力団を非難すると、暴力団の子どもがいて、親が学校に怒鳴り込む、等々であった。

 これに対する苦肉の策として福岡県議会は画期的な暴力団排除条例を全会一致で可決させた。私は、この視察の直後から、議会で、本県もこの条例をつくるべきだと主張した。これに対して県警は、調査して本県の実態に促した暴力団排除条例を作りたいと答えた。

 そして、今年の2月定例会で私は、再度、この問題を取り上げた。暴力団は社会の最大の敵である。群馬県では暴力団に対する県民の危機意識が薄い。しかし、福岡県のようになってからでは遅い。三俣事件を忘れたのかといいたい。平成15年、前橋市三俣町のスナックで起きた暴力団員による殺人事件では一般人も含め4人が殺され、犯人の暴力団員は、これ迄に3人が死刑判決を受けている。決して、本県は暴力団の脅威が少ない県ではないのだ。

 暴力団が広く根を張るのを阻止するためには地方の官民が一体となって協力するための環境とシステムを作らなければならない。それが暴力団排除条例の意義である。常任委員会で発言する私の胸にはこのような意識があった。

 県警は、私の質問に対し、条例制定の方向で作業を進めているとして、暴力団排除条例に関してアンケート調査を実施したと答えた。

 それによれば、5550人中、4212人(75.9%)がこの条例の制定に賛成した事がわかった。

 アンケート調査をする迄もなく必要な条例は作るべきであるが、この調査によって殆どの県民が条例を求めていることが分かった。これは、制定される条例が県民の指示を得て機能する事を伺わせる要素である。

 条例を議決するのは県議会である。県民の意志は県会を動かすエネルギー源だ。暴力団排除条例の為に私は県議会で頑張るつもりである。(読者に感謝)

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2010年4月12日 (月)

「シベリア帰りの塩原さん危篤」

◇「眞資(しんすけ)さん、中村のりおです」耳元に口を近づけて叫ぶ私の声に塩原さんは微かな反応を示したようであった。

 酷寒と過重な強制労働を生き抜いてシベリアの強制収容所から生還した塩原眞資さんが病に倒れ日赤に入院したのは数日前の事であった。

 私は何とかして意識の交流を図りたいと願って2度目の面会に訪れたのである(11日)。

 塩原さんは、戦後5年もの長きにわたりシベリアに強制抑留された。寒さと飢えと重労働という極限の状態で、仲間はバタバタ倒れて死んだ。狂おしい程家族が恋しかった。

 ある時、酷寒の森から作業を終えて収容所に戻るとベッドに一枚の葉書があった。

「ニイサンノブジヲシリ、イエジュウヨロコンデイマス」で始まる、懐かしい妹からの便りであった。

 病室では、葉書の主細井照枝さんが付き添っていた。シベリアの事に話が及ぶと、照枝さんは米粒のようなカタカナで必死に書きましたと振り返っていた。

 ベッドで生死の境をさまよう塩原さんの姿を見ながら、私は平成16年7月に、塩原さんとシベリアの強制収容所跡を訪ねたことを思い出していた。

 夏草の中に「日本人の墓」と刻まれた墓石があり、側に「友よ、安らかに眠れ」と墨で書かれた木の墓標が立っていた。塩原さんは、その前で「俺だけ帰って悪かった」と声をあげて泣いていた。

 近く88歳を迎える塩原さんは、死を前にしたベッドであえいでいるが、脳細胞は生きている。その奥で、シベリアの強制抑留の出来事をたどっているのだろうか。何とか、もう一度、視線を交わしたいものだと願った。

◇片貝神社の大祭典は12年ごとに寅の年に行われる300年以上の歴史を持つ行事である。寒さで遅れた桜の満開と重なって神社の内外は人の波で埋まっていた。

 激しく揺れ動く社会は糸の切れた凧のようにどこに動いてゆくのか心配である。伝統の神事は、地域社会を大地につなぎとめる糸である。侍姿の若者を見て思った。

◇片貝神社で玉ぐし奉てんを終えるとただちにぐんまアリーナへ飛ぶ。群馬県柔道連盟60周年記念関口杯柔道大会の開会式は10時である。25分しかない。3分遅れで会場に入ると、係りが私に渡すマイクを持って待っている。一瞬のセーフだった。小学生の「型」の披露に感心する。ここにも日本を支える伝統が溢れていた。

◇夜、旧宮城村小学校の同級生たちと会食し懇談した。戦後の貧しい時代が歓談の中に甦る。私は来年の県議選にチャレンジする決意を述べた。そして、貧しい時代を知る政治家の役割を語った。(読者に感謝)

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2010年4月11日 (日)

第三章 満州の嵐

―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

謝文東は地主であり、その地方の自衛団の団長であった。そして、誠実で正義感の強い人柄は、土龍山地区の住民の人望を集めていた。日本人のやり方は、彼の正義感が許さなかったのであろう。住民の窮状を見かねて彼は立ち上がり、民衆軍を組織して行動を開始した。“謝文東立つ”の報が伝わると、各地の農民は武器を持って集まり、それは、たちまちふくれ上がっていった。江戸時代の農民一揆のような観があったと思われる。

この謝文東の乱に苦心していたのが東宮鉄男であった。東宮と謝文東は個人的には相通じるところがあったらしい。東宮鉄男伝によれば、東宮は、前橋市の移民懇談会で、謝文東を馬賊と説明し、「満州における馬賊発生の根本理由は、支那の悪政である。馬賊は、旧政権、軍閥、官僚の弾圧や搾取への反抗である。丁度群馬県に天領が多かったことから徳川の中期から博徒がばっこしたのと同じ理由である。国定忠治なども一介の博徒ではないらしい。その行為はともかく、ああした事をせずにいられなかった環境を吟味しなくてはならない」と話している。東宮が謝文東のことを、住民を苦しめる悪代官を斬った国定忠治と同じように見ていたかどうか明らかではない。もしそうだとすれば、悪代官は日本だということになるのだが。

 とにかく、謝文東は、抗日運動の盛り上がる中で、抗日救国の英雄であった。この土龍山事件は、ニューヨークタイムズによってとり上げられ、謝文東は中国の英雄として注目された。 

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2010年4月10日 (土)

第三章 満州の嵐 ―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

「日本人はただ同然に土地と家を取り上げていったよ。形は買うということですが、お話にならぬ安い値段。家の立ち退きも強制的だった。反対して地券を渡さない者もあった。すると、日本軍は、銃のお尻で壁を崩して地券を取り出した。昔、中国人、大切な物、壁の中に隠したよ。それから、日本軍、中国人から武器を取り上げた。これは、中国人にとって死ねということなの。なぜなら、中国の村、昔から匪賊に襲われる。戦わなければ、男は皆殺される。女は皆連れてゆかれる。大変なことよ。だから、中国人、武器を渡さない。土地を取られ、武器を取られ、裸になって、匪賊に殺されるより、日本人と戦うこと選ぶ、これ当然のことよ」

「日本人は、畑になっている所を奪ったの」

「そうよ、中国人、南からやって来て、何十年もかけて、大変な苦労をしてやっと良い土地を作ったよ。原野を開墾して、畑を作る。これ大変なことよ。十年も二十年も手を入れないと良い畑にはならない。私たちの苦労、日本人にはできないことよ。私の祖父、山東省から来て、命がけで開墾した土地を取られた。頭に来るの分かるでしょ。私の母がいつも言っていたことね、日本人はいつも中国人を軽蔑していた。だから、あんなひどいことができた」

 李沢民は、日本の侵略も歴史の一コマだと言っていたが、話が自分に関係しくると、かなり感情的になるらしい。だが、李の話すことはおおむね事実であって、このような事が軍の力によって強引に押し進められていた。

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2010年4月 9日 (金)

人生フル回転「育英の入学式。天野健太郎氏の発言。中国の死刑」

◇育英高校の入学式に出た(8日)。ベイシア文化ホール(旧県民会館)大ホールは新入生と父母たちでつくる入学式の空気で包まれていた。

 草間心平作詞の校歌は、「日輪は天にかがやき」で始まり、「流るるは利根の動脈」と続く。会場に響く歌声を聞きながら校歌は生徒の心を鼓舞し伝統の中にひきこむものだと感じる。

 名誉理事である私は、挨拶の中で「人生の新たなスタートラインに立った皆さんは、育英の歴史と伝統を知ることによって学園生活で良い成果を得られます」と話した。

 育英の開校は昭和38年で、ベビーブーマーが高校入学を迎えた時。その翌年に東京五輪があった。高校総体男子総合優勝の通算17回という実績も育英の波乱の歩みの中で見ると重みがある。文武の歴史を誇りにして、開校時に勝る時代の大転換期を生きる力を養って欲しいと思った。

◇前橋中曽根選対の準備を進める幹部会があった(8日)。前橋の県会議員は皆、選挙のベテランだが、今日の混沌とした時代状況の中で的確な戦略を立てられないでいる。

 私は、今回の参議院選では、有権者の心に訴える新鮮なスローガンを工夫することが重要だと提案した。

 この会議で興味ある報告があった。先日の中曽根弘文新春の集いで天野健太郎氏が小寺さんには絶対に一票を入れないで欲しいと発言した事は、私のブログでも紹介したが、自民党のホームページにこの事を載せたら、一日で2千ものアクセスがあったというもの。

 また、情報担当の県議から「同ホームページに、天野健太郎氏の演説を音声ファイルで掲載した」ことも報告された。選挙の常で、期日が近づくにつれ生臭い話も多くなるだろう。夏の参院選までにブログなどの使用を認めたネット選挙が可能になるのか気になるところである。

◇死刑制度に関心を持つ私として、国外の問題であっても、中国の死刑には驚かされる。まして、邦人が集中的に死刑となる今回の事態は格別である。既に赤野死刑囚が執行され、更に間もなく、別の三人の日本人死刑囚の刑が執行される。

 最低限の人権を保障する手続きが確保されているのか疑問である。死刑囚の拘置の状態も悲惨だといわれる。伝えられるところによれば、死刑囚は18キロの重い足かせをつけられ、壁に固定された鉄の鎖でつながれている。

 こんな折、中国人の死刑判決が伝えられている。福建省の鄭民生という男(41)は、小学校で児童8人を殺したとして死刑判決を受けた(8日)。事件から16日後、初公判での判決。信じられないことだ。鄭は生きるのが嫌になって小学生を殺したという。日本と似たような状況が中国でも進んでいるのか。(読者に感謝)

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2010年4月 8日 (木)

人生フル回転「北朝鮮の実態を聞く。専門学校の入学式」

◇「在日」のSさんと一杯飲んで楽しく話した。Sさんは在日韓国人の実業家で北朝鮮に親族がいる。私が命の綱ですと語る。北朝鮮は人間の暮らせる所ではない、日本から送るお金で命をつないでいるという。

 最近、デノミの失敗の責任をとらされて、責任者が処刑されたことが報じられたが、Sさんの話では、北朝鮮では頻繁に、そして簡単に処刑され、「山へ送られ」たりするという。山とは強制収容所の事である。

 ワイロがあらゆるところに横行しているといわれる。学校の成績も、ワイロによって点数を上げてもらえる。脱北者は、その親族まで厳しく罰せられ、多くは山へ送られるが、ワイロによって、それも逃がれられる、脱北者は稼いだ金を送金し、それがワイロに使われて難を逃がれる家族も多いとか。

 こんな話も聞かされた。北朝鮮は厳しい情報管理によって豊かな自由世界の事を国民の目に触れさせないようにしているが、国民は命がけで、これに接しようとしている。その1例がDVDで、かなり浸透している。

  当局は検査で踏み込むとまず電源を切る、すると、見ていた人は装置からとっさに取り出せない、そして、見つかると大変なことになるというのだ。

 このような国がいつまで存続するのか。国民のストレスは大変なものだろう。暴発しないのは力で押さえつけているからだ。しかし、それにも限界がある。Sさんは、やがて北朝鮮は崩壊すると語っていた。民主国

日本の良さをかみしめたい。

◇入学式のシーズンとなった。専門学校・山崎学園の入学式に出た(7日)。調理師、菓子製造、ホテル業、コンピューター等々の部門から成る同校の新入生は800名を超え、盛会だった。

 世の中は少子化の流れにあって、私立校は生徒が集まらず、危機に直面しているところが多い。山崎学園の盛況ぶりは、すぐに実社会で役に立つ実技を求める若者が増えていることを示すものだろう。

名前だけで力のない大学生が増えすぎて大学の崩壊が叫ばれてきた。初めから大学生でないことを自覚し、実を求める若者に声援を送りたいと思った。

 挨拶に立った私は、技術だけでなく、心の力もこの学園で養って欲しいと述べた。

◇今私が取り組んでいることに、中小企業の振興を図るための条例作りがある。県には既に中小企業の振興も視野に入れた条例があるが、中小企業に焦点をあてた中小企業憲章条例がどうしても必要という事で、中小企業の若者たちと作業を進めてきた。夢を形にしたい。

 議会の場で実現するので、請願を出し趣旨採択にこぎつけた。大学教授を招いてセミナーを行った。15日は、前進のための勉強会が開かれる。(読者に感謝)

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2010年4月 7日 (水)

「遂に日本人死刑・名張毒ブドウ酒事件」

◇ついに予告通り日本人の死刑が中国大連で執行された。中国国内で犯した犯罪は、中国の法律で裁かれるのだから、やむを得ないといえる。しかし、適正な手続きに従って裁判が行われたのか疑問があるといわれる。日本は、救済のために為し得る最善を尽くしたのか。

 以前、イギリス人が中国で死刑を執行されたとき、イギリス政府は非常に激しく抗議した。日本政府は「懸念を表明」する程度だった。この違いは、イギリスは死刑廃止国であるのに日本は存置国であることにもよるのだろう。

 あと3人の死刑囚が近く、やはり中国で死刑の執行を受ける。死刑制度に対する関心が日本国内で高まる一因となるだろう。また、麻薬犯罪に対する関心が高まる要因にもなるだろう。

◇名張毒ブドウ酒事件に再審の可能性が生じた。5人の女を毒殺したとされ、死刑確定から38年、死刑囚奥西勝は84歳になる。

 最高裁は、「審理が尽くされていない」として再審を再開するかどうかを決めるための審理を名古屋高裁に求めた。

 事件は、三重県と奈良県にまたがる小さな集落で起きた。公民館での集落の総会後の宴会で、女たちのために用意されたブドウ酒を飲んで5人の女が死んだ。

 一審の津地裁のあり方を問題視して無罪を、名古屋高裁は一転して死刑をそれぞれ言渡した。昭和47年(1972年)、最高裁で死刑判決は確定。以来、7度の再審請求がなされ、そのうち4回は、奥西死刑囚が自ら再審請求を書いた。死刑確定後の再審が開かれるか今後の動きが多いに注目される。

NPO法人、「赤城げんき会議」の勉強会がフラワーパークの一画で行われた(6日)。前橋、渋川地区の県会議員6人が出席。私は初めての参加である。

 話は自ずと県が来年度実施するDC(デスティネーションキャンペーン)へと進んだ。DCは、地裁の観光資源を掘り起こし、地域の活性化に活かすことを目的とする。様々な意見とアイデアが出た。伊香保から参加したある人は、現在伊香保に泊まる都会の人が少なくなっている、高速道が発達して日帰りが可能となったからだ、赤城山で楽しんで伊香保で一泊するというコースを考えて欲しい、と語っていた。

 私は、赤城山の観光開発を考える「有識者会議」に、このようなNPO団体などの提案や考えを反映させて欲しいと発言した。

◇先日の中曽根さんの集いで、与謝野さんについて自民党を出る議員は1人もいない。協調した国会議員がいた。新党をめぐっていろいろな動きがある。前橋女子高出身の中山恭子氏の動きも伝えられる。戦国時代の幕開けか。(読者に感謝)

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2010年4月 6日 (火)

人生フル回転「選挙運動にブログ。中国で邦人の死刑」

◇ブログが選挙運動に使える時代が近づいた。情報発信の手段としてこれだけネットが普及しているのだから選挙の手段として、これを除外していることは、民主主義の実態に沿わないといえる。その意味で、ネット選挙運動を解禁することは、時代の趨勢である。

 民主党は、今国会に議員立法で、ネット選挙を取り入れた公選法改正案を提出することを検討している。それは、ブログやツイッターも活用できるようにすることである。

 現行法は、選挙期間中に配布できる「文書図画」を規定のハガキとビラに限定している。つまり、文書図画に当たるものは、ハガキとビラ以外は配布出来ない。ホームページやブログはこれに当たるため、選挙期間中利用出来ない。改正法案は、これを改めようとするもの。

 夏の参院選に間に合うかどうかが注目される。そして、改正法が成立すれば、来年4月の県議選では、ホームページやブログの役割が大きなものになるだろう。期待するところ大である。

◇中国で4人の日本人の死刑が執行されるとはショックなことである。いずれも麻薬密輸罪で死刑判決を受けていた。

 その1人赤野光信死刑囚(65歳)の死刑は今日(6日)にも執行予定という。赤野死刑囚は、覚せい剤2・5キロを手荷物に隠して大連国際空港のロビーに入り警察官に取り押さえられた。

 大連国際空港は何度も訪れたことがあるので赤野死刑囚が拘束される状況が目に浮かぶようだ。

 実は、私はかつて、大連空港で、手荷物を日本まで運んで欲しいと頼まれたことがある。勿論断ったのであるが、今思うと、手荷物の中に覚せい剤などが隠されていたかも知れない。事件に巻き込まれた危険性を想像すると背筋が寒くなる。

 中国では薬物犯罪は死刑もある重罪である。今回の「死刑」を日本人は重く受け止めるべきだ。また、中国が薬物犯に厳罰を定めるのは、薬物が人間をダメにしてしまうこと、さらには社会をも崩壊させてしまうことを重視しているのであり、日本人は、薬物が恐ろしいものであることを、中国の側から学ぶべきだと思う。

 日本では、薬物が蔓延し若い層や普通の市民層にも広がっている。この動きをなんとかしなければならない。

 今日、中国で死刑になる日本人は、日本のこのような薬物事情とつながっている。そういう意味で、今日の死刑、その後の3人の死刑を、真剣に見詰めたい。

◇山崎直子さんを乗せたスペースシャトルが飛び立った(5日)。向井千秋さんに続く2人目の日本人女性宇宙飛行士である。宇宙時代がますます進むことと、女性の活躍を象徴する姿であることを実感する。苦しさと淋しさにあえぐとき、空を見上げて救われる気がする。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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2010年4月 5日 (月)

人生フル回転「中曽根さんの集い。身代わり投票。中学生の大麻

◇中曽根弘文さんの新春の集いは、参院選の出陣式のような雰囲気に包まれていた(3日)。総連合会長の天野健太郎さんは、小寺前知事の変節を挙げて、「小寺さんには絶対に入れないで下さい」と訴えていた。

 登壇した弁士の1人は、自民党の混乱動揺を指摘していた。だから、夏の参院選で群馬が頑張らねばならないというのだ。

 中曽根さんは、外相の経験を踏まえて外交問題、とくに日米防衛問題を取りあげていた。そして、参議院の役割として、良識の府であると共に再考の府だから、時には衆議院が可決した案件を参院は否決することもあるべきだと語った。私は、挨拶の中で、自民党は反省すべきことは十分に反省して、原点に立ち返って力を合わせれば不可能を可能にすると訴えた。

◇自民党の堕落を象徴するような事件が参院で起きた。若林元農相の「なりかわり投票」、そして議員辞職である。欠席した隣席の青木議員にかわって投票ボタンを押した。

 県議会は、起立によって態度を表明する方式だから、隣りが欠席でも代わりをすることは出来ない。

 参議院は、その改革の一環として1998年に押しボタン方式を導入した。議員一人ひとりの投票行動をきちんと記録し情報公開に役立てることが出来る。

 県議会では、賛否が入り乱れるときなど、議長がざっと数えて「賛成多数をもって可決されました」と表明する。そのような時、押しボタン方式は、即座に間違いなく賛否の数と誰がどのような投票行動をしたかが記録される。

 しかし、議場に於ける態度表明は非常に重要なものである。指先でボタンを押すよりも起立して堂々と意志を示す方が重みがあると私は思っていた。

それにしても、若林氏の身代わり投票は予想外のもので、決して許されない重大な違法行為である。議員の投票行動は、他人がかかわることが出来ない議員の最も重要な使命だからである。参議院は、不要論もある程で、その存在意義が問われている折、若林氏の行動は参院の自殺行為といわれても仕方がない。

中学3年の少女が大麻所持で逮捕された。刑法では、14歳に満たない者は罰しないとしている。中3少女は14歳だから逮捕となった。

この少女は、神戸市内の同学年の別の女の子からもらったと話している。大麻の害が中学生にまで広がりつつあるのかと思う。中学生の世界には、警察力が及びずらい。そして規範意識の弱い子どもたちの間に、大麻が広がることは恐ろしいことだ。本県はどうかと考えてしまう。家庭、学校、地域社会は、他山の石として、深刻に受け止めるべきだ。(読者に感謝)

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2010年4月 4日 (日)

第三章 満州の嵐

―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

 当時の新聞や文献を見ると、匪賊とか匪襲という言葉が目立つ。匪賊とは、本来、武装した盗賊の集団のことであるが、彼らの中には、日本によって土地を奪われて匪賊になるものも多かったという。抗日運動が盛んになるにつれ、このような匪賊も運動に加わって日本農民を襲うようになった。だから、本来抗日を目的とするゲリラと、匪賊は区別がつかない状態になっていたと思われる。

 私は、もと埼玉村開拓団のある人から次のような話を聞いた。それは、昭和14年12月末のこと、開拓団員の一人がゲリラに惨殺されたのである。雪の中を二人の団員が、部落から4キロ程離れた森にそれぞれ橇を走らせて薪を取りに入った帰りにゲリラに襲われたのであった。彼らは、丘の向うにゲリラが進んでくるおびただしい人馬の音を聞いた。必死で逃げたが一人が捕まった。逃げ帰った者の知らせを受け、全団の男が武装して現場付近の捜索に当たった。被害者は、死体で雪の中に放り出されていた。身につけていた物は全て剥ぎ取られ、顔は殴られて、元の顔が識別できぬ程腫れ上がり、その上、全身数十ヵ所をナイフで刺され、喉はえぐられていた。体の血は全て流れ出して、辺りの雪を真っ赤に染めていた。そして、血を抜かれた死体はコチコチに凍って、白いミイラのようになっていたという。

 満州至る所の開拓団がこのようなゲリラの襲撃を受けていた。中でも土龍山(どりゅうざん)事件と呼ばれる事件は、非常に大規模なものであった。これは、謝文東(しゃぶんとう)を頭とする農民の武装蜂起で、最大時、6万7千人の農民が武器を取って参加した。先程の李沢民の話にある、彼の祖父が加わった抗日ゲリラというのがこれである。

 李は、自分の祖父が日本軍に殺されたというだけに、この事件について聞かれると熱っぽく語り出した。

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2010年4月 3日 (土)

第三章 満州の嵐 ―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

 このような政府の政策と満州現地の東宮たちの計画が一つになって、満州移民は現実に本格的な一歩を踏み出すことになった。初めから現地住民や匪賊の抵抗が予想されたので移民は、東宮の立案の下で、「戦いつつ耕す」という決意を持ち、「機関銃、野砲、曲射砲、爆薬、手榴弾」などで完全に装備した武装移民の形で進められた。

 移民は、東北六県と、群馬、栃木、茨城、新潟、長野県から、在郷軍人で農業に従事中の者を対象として募集された。群馬県出身の団員は41名であった。

 昭和7年10月14日、彼らは松花江沿岸の町佳木斬(ジャムス)に到着。一行は、この到着の夜、早くも抗日ゲリラの襲撃を受けた。これは、日本の満州植民政策の前途多難を予想させる出来事であり、その後に現実のものとなった満州開拓民の悲劇に通じる第一歩でもあった。

 東宮鉄男たちが掲げる民族の協和とは、日本、朝鮮、漢、蒙満の五民族の協和を考えていた。しかし、五族の協和による「王道楽土」の建設を目指すには、その出発から矛盾に満ちたものがあった。移民の先遺隊が武装移民という形で満州に入り込んで行かねばならぬこと自体、この移民政策が、民族の協和、王道楽土とは違う方向へ向かってゆくことを示すものだといえよう。

 関東軍の指揮の下に、中国人の土地と家が強制的に買収されていった。しかし、買収とは形だけで、その価格は極めて安く、ただ同然のものであった。そして、指示に従わない農民は厳罰に処せられた。

 この頃、土地を奪われた多くの農民が満州国の県公署に陳情書を出しているが、それによれば、売買価格3000元のところに、480元しかくれないと訴えている。このようなやり方に対して強い抵抗運動が生れるのは当然のことであり、ゲリラの活動は熾烈を極めた。

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2010年4月 2日 (金)

人生フル回転「ロボットの進化。DNA鑑定装置の開始」

◇最近、高齢者介護の現場を見て大変さを実感した。そして、近い将来介護ロボットが重要な役割を果すだろうと思った。

 発達した科学技術の成果を応用したロボットは現在驚く程進化している。ロボットは日本のお家芸である。

 産業用ロボットは既に様々な分野で活躍している。不平はいわないし疲れることもない。ボーナスや手当ても要らず指令に従って働き続ける。人間のこの上ない従順な下僕である。

 しかし、介護や家事などに関わるサービスロボットは、人間と密接に関わるから、本格的に普及させるには、安全性の確保が求められる。経済産業省は、今年度から安全基準作りの検討を始めた。日本のロボット市場は将来6・2兆円に成長すると試算されている。

 05年の愛知万博では、いろいろなロボットが出品された。人間そっくりな女性接客ロボットも登場した。これを見た人は、このような「女性」に介護してもらったり、家で家事をしてもらう光景を想像した人もいたことだろう。愛知万博はロボット万博とも言われた。

 ロボットといえば多くの人は手塚治虫の「鉄腕アトム」を思い出す。雑誌「少年」に連載された「鉄腕アトム」は、昭和26年(1951年)から始まり17年間続いた。私たち少年の夢をかきたてたアトムの世界が今現実のものとなりつつある。物語の中のアトムが03年4月7日生まれで未来からやってきた少年とされたことは、手塚治虫が預言者であったことを思わせる。

 私は、日本のロボット業界が世界の最先端にあるのは、手塚治虫の影響力に負うところが大きいと思う。日本のロボット開発者・研究者の多くはアトムを創りたいという動機で研究に入ったといわれているからである。

◇鑑定精度、4兆7千億分の1というDNA鑑定装置を設定した鑑定棟の運用開始式が行われた(31日)。 私たち文教警察常任委員会は、昨年6月16日、元総社町の科学捜査研究センターを視察し、ここに作られる最新のDNA型鑑定装置及び鑑定棟につき説明を受けた。この年7月6日から始まった臨時議会で鑑定棟新築やDNA型鑑定資料保存庫等を整備する費用1億1千200万円が可決された。最新の鑑定装置2式は、国からの交付金で配備された。

 その前月、足利事件の菅家さんは、最新のDNA型の鑑定結果により再審を待たず17年ぶりに釈放された。その衝撃はすごかった。

 私は昨年7月17日のブログで、この装置を動かすのは普通の人間であるから人的ミスが恐いと書いた。

 今年初め、神奈川県警で恐れていた事件が起きた。DNA型が一致したとして逮捕状を取った男が全く別人と判明したのだ。DNA型データベースに誤った情報が登録されていたのだ。(読者に感謝)

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2010年4月 1日 (木)

「人事異動と行政の継続性。受動喫煙防止条例」

◇県職員の人事異動が一斉に発表になった。行政の各分野を担当する人がかかわることによって行政の継続性が損なわれ行政サービスが低下することがあってはならない。引き継ぎは綿密に行われていると思うが、行政サービスを受ける側からみて、それが果たして十分といえるか。時に不満の声も聞こえてくる。

 行政を担うのは人である。個人によって行政に打ち込む姿勢は異なる。法に従い、ルールに基づいて行政が行われることは当然であるが、それでも型どおりに行われる事ばかりではない。難しい行政課題に取り組んでいる人のあとを継いだ人が前任者と同じように取り組めるかが問題なのである。職場をかえる事が責任逃れになるとき、困るのは県民であり、それは行政への不信の原因となる。

 行政に対するチェック機能を果すべき議会はこの点に重大な関心を持つべきだ。また、執行部は、自らの問題として真摯に受け止めて欲しい。手続きは慣例に流れると形式化し、基本と理念が忘れられる。人事異動に際しての行政の引継ぎ問題を原点に立って考えるべきだ。

◇公共空間における喫煙規則の強化は必然的な時代の流れとなっている。健康に悪いことを承知の上で自分で喫煙することは、趣味を楽しむ問題として許されるとしても、他人に害を押し付ける事はどうみても許されるべきでないからである。これが受動喫煙の問題である。ここで受動喫煙とは、他人のたばこの煙を吸わされることである。

 03年に施行された健康増進法は、多数の者が利用する施設の管理者は受動喫煙防止の義務を負うと定める(同法25条)。しかし、受動喫煙防止の効果をあげるために、地方自治体が積極的な行動を起こすことが求められる。

 神奈川県は、全国に先駆けて4月から受動喫煙防止条例を施行する。これに続いて、京都、奈良、静岡、兵庫、和歌山、鳥取、鹿児島などの府県が条例制定を検討している。恐らく近い将来この波は全国の県に及ぶだろう。条例化によって住民の健康と命が救われるとすれば、条例化に取り組まない自治体は住民の健康と生命を守ることに積極的でないと非難されても仕方ない。

◇神奈川県の受動喫煙防止条例第1条(目的)は次のように定める。「この条例は、受動喫煙による県民の健康への悪影響が明らかであることにかんがみ、県民、保護者、事業者及び県の責務を明らかにし(中略)、受動喫煙による県民の健康への悪影響を未然に防止することを目的とする」、なるほどと思う。

◇タバコは、コロンブスの新大陸発見を機に原住民の習慣が全世界に広まった。それから500年余の今日、コロンブスが求めた黄金の国ジパングでこのような問題になっていることをコロンブスは天国で驚いているに違いない。(読者に感謝)

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